第七章

「蛟家って聞いた事あるか?」
「蛟家・・・・・・ですか?聞いた事がある気はしますが」

 深雪は、紫苑が語る言葉を聞いてもピンとはこなかった。五十嵐家に納められていた蔵書の中に、日本の力ある剣術/呪術に関する知識も少なからず載っていた気がするが、そんなに覚えようとはしなかったからだ。

 円卓の騎士になってからも、彼女の関心の多くは魔獣だけに注がれていた。特に、大切な男の魂を奪った魔獣に。

「日本でも力のある剣術家系の一つだな。確か、蛟蛇刀という業物が伝わっているはずだが・・・・・・」

 そして、紫苑は自分が聞いた目撃証言に関して語り始めた。

 魔獣らしき影を目撃したのは、この近所に住んでいるOLで、会社の残業帰りの遅い時間に通りを歩いている時に、空き地で誰かが組み合っている様子を見咎めたらしい。

 誰かが襲われているかもしれないと感じた彼女は、大きな誰何の声を上げて空き地に中に入った。月と街灯の明かりだけで薄暗い空き地の中で、彼女の声を受けて立ち上がったのは血に濡れた女性の姿だった。薄暗い為、表情はわからなかったのだが、真っ赤な目が暗闇の中で爛々と光っていた。そして、大量の髪の毛がまるで生き物の様に女性の頭上で蠢いていた。

 足元には、誰かが倒れていたような気もするが、彼女は叫び声を上げると、その場から逃げようと急いで振り返り通りに向かった。後ろから、何かが絡み合い蠢く音が近づいてくる。彼女は、涙と共に叫び声を振り絞りながら走った。

 その時、目の前に大きな光が映った。

 その光に驚き倒れこみ、恐る恐る顔を上げた彼女の目に映ったのは、飛び出してきた彼女を怒鳴り散らすライトとビーム全開の車の運転手の様子だった。背後を振り返っても女性の姿は忽然と消えていた。

 しかし、空き地には、全身を切り刻まれたの男性の死体が残されていた。彼女の見た光景は幻ではなかったのだ。

「と、こんな所だな。俺が聞いた目撃証言ってのは」
「魔獣は女性の姿形をしているって事ですね。そして、弱点は・・・・・・光ですか?」

 両ポケットに手を突っ込み、風景に目をやりながら深雪の前を歩く紫苑は、深雪の話を聞きながら嬉しそうに口を歪めた。

「そうだな。そうすれば、事件が全て夜に起こっている事も説明がつく。他には、何か気づいた事あるか?」
「話を聞く限りでは、彼女の武器は髪ですよね。殺害されていたのって・・・・・・全員、男性ですか?」

 それを聞くと、紫苑は口笛を鳴らした。

「ヒュー・・・・・・ビンゴだ。いい騎士になりそな奴だな。ついでに付け加えると、襲われた全ての男性は、さっきの奴も含めてある剣道場に通っている。美しいお嬢さんがいるって評判の剣道場」
「それが、蛟家ですか?」
「ああ。で、それが目の前の右側にあるでっかい屋敷。援護が無いんだったら、ちょっと偵察ぐらいはしておこうと思ってな」

 深雪が右側を見ると、白い壁が続く屋敷の塀が見えた。かなり大きい屋敷でどこかの政治家の家みたいだ。紫苑は、周囲を見回しながら蛟家の前にある通りの樹に手をかけると、一瞬のうちに樹に足を掛け、塀の上に無音で上がっていた。

 深雪は初めて紫苑と会った時の彼の動きの素早さを思い出し舌を巻いた。既に彼の動きの早さは人間の域を脱している。どういう能力であの俊敏さを身に付けているんだろうと少し興味を覚える。

「ほら、早くしろよ。人数すくねぇんだから見つかったら置いて逃げるぞ」
「あ、はい」

 本心からだろうな、と深雪は口に出さずに思った。

 深雪は、胸のペンダントに念を集中させると、ペンダントが淡い光を発し始める。次の瞬間、深雪は紫苑の隣に現れた。秘晶石を媒介として恋人の『空間移動』の力を借り受けたのである。

「お前も・・・・・・結構、何でもありだな」

 紫苑は、そう言って目を細めると屋敷の敷地内に目を落とした。すると、彼は屋敷の玄関口に立っている人物を見つけ、楽しそうに目を歪めた。その視線を追った深雪は肩に猫を乗せている上背の高い眼鏡を掛けた男性を見つけた。

「幻一郎・・・・・・さん?」
「知ってるのか?」
「はい。一度、BARで御一緒した事があって・・・・・・騎士の方ですよね」

 温和な笑みを浮かべている幻一郎は、確か『吊るされし人』の騎士だったはずだ。BARでは一度しか会っていないが、物静かな方だったという覚えがある。彼は、中学の制服を着た女の子に呼び掛けられて、屋敷の中に入って行くところだった。

「あれは多分、蛟家の次女だな。美樹とかいったはず」

 元気一杯で輝いている少女を目で追いながら深雪は屋敷にうっすらと立ち込める空気に気がついた。霊気でも瘴気でもなく、この世の全ての存在を根底から覆すような得体の知れない冷たさを持つ、自分とはどうやっても相容れない雰囲気。

「・・・・・・邪気です」
「確かにな。でも、あの少女じゃ、ないな。この家には、あと父親と姉の二人がいるらしい。怪しいとすれば姉か、それとも全く別の存在か」

 深雪の脳裏に魔獣との出会いが思い出されていく。
 彼の魂を奪った憎い魔獣。
 深雪が命を賭けて追っている存在。

 気づかないうちに胸のペンダントを力強く握り締めていた。自分を救ってくれた物言わぬ彼に少しでも頼ろうとするかのように。

 紫苑は何も言わずに横目でその様子を見ていたが、だるそうに息を吐くと深雪に向って一つの提案をした。

「なぁ。これからあの野郎が屋敷の中に入る。あいつも馬鹿じゃない。まだ俺達には気がついていないだろうが、この邪気にはもう気がついているだろう。とりあえず、あいつに囮になってもらって、誰にも気づかれていない俺達で調べるってのはどうだ?」
「え、そんな。幻一郎さんはどうするんですか?」
「大丈夫だよ。あいつは簡単に死ぬタマじゃないし」

 そう言って紫苑は、深雪の話には耳も貸さずに楽しそうに指を鳴らす。

「見殺しにはしないさ。せっかく偶然にも三人揃ったんだ。魔獣を倒す機会があるんだったら俺は喜んで協力するつもりだぜ」

 紫苑は笑って深雪を見る。
 深雪は、直感的にそれが嘘だと感じた。
 目の前の彼は、人に喜んで協力しようと思っているわけじゃない。
 倒して、勝つのが喜びなんだ。

「でも・・・・・・」
「正面から乗り込もう、とか考えてるんだったら俺は帰るぜ。やるんだったら一人でやりな。おまえ達、二人じゃ魔獣には勝てないと思うがな」

 深雪が反対しようと言いかけるのを紫苑は容赦無く遮る。顔は、先程の笑顔のままだが目は笑ってない。それに、声は情など少しも感じられない程、冷たかった。

「酷い人ですね」

 非難するように深雪は紫苑を睨みつける。深雪は幻一郎と親しいというわけではなかったが、それでも囮に使うというのは考えもしなかった。
 すると、紫苑は半眼で深雪を見返し、肩をすくめた。

「甘いんだよ。円卓の騎士ってのは、どうしてこう、どいつもこいつも甘いのかね」
「仲間を囮にするなんて!」

 紫苑は、素早く手を伸ばし、深雪の下顎に手を添えるようにして引き寄せた。

「あんま声大きくするなよ。一番勝てる手を考えてるんだ」

 すぐ近くに顔が近寄る。紫苑も険が無ければ、魅力的な風貌をしている。深雪は思わず頬を赤らめたが、紫苑は全く表情を変えなかった。

「なっ・・・・・・・」
「マジになりなよ。勝ちたいんならさ。負けたら二度目は無いんだぜ?死んだら、会いたい人間にももう会えないんだ」

 表情を変えずに冷たく言い放つ紫苑の言葉が深雪の胸をえぐる。

「わ、わたしは・・・・・・」

 悔しくて、反論したくて、それでも口を開こうとした時に彼の笑顔が脳裏に浮かんだ。もう自分は見れないが、取り戻したい笑顔が。
 深雪は、それ以上、何も言え無くなってしまった。
 彼の事を思い出して口篭もってしまった自分が恥ずかしくてそのまま黙るしかなかった。

「ここまで言わせんなよ。俺が悪者みたいじゃねぇか・・・・・・とりあえず、どこから調べるか、っと」

 俯いて黙っている深雪を見ながら、だるそうに紫苑は呟いた。


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