第四章

「さむいにゃー、げんいちろう、だんぼういれて」

「少しは我慢して下さい。暖房もお金が掛かるんですよ」

「はー、かいしょうなしのしゅじんをもつとくろうするね」

 寒い寒いと少し萎びたソファーの上で連呼する黒い猫と白い猫。その二匹は、明らかに日本語を喋っていた。普通の猫ではありえない。

 しかし、それに平然と受け答えをする長身の青年は、溜息を一つしてソファーから身を起こし、暖房器具の近くに歩いていく。

「それでこそ、幻一郎」

 黒い猫が背筋を伸ばしながら欠伸と共に喜ぶ。黒い猫は美湖、白い猫は美由。彼らは普通の猫ではなかった。式神。日本に古来より伝わる呪術の一つである陰陽道の技によって創られる魔法生物である。

 暖房のスイッチを入れると、長身の男性、霧上幻一郎は、そのまま台所へと歩いていき、ポットに水を入れ、火にかける。続いて、少し遅めの朝食を食べる為に戸棚からカップラーメンを一つ取り出す。そして、また一つ、溜息をついた。

 美湖と美由は、陰陽道を生業とする霧上家の当主に仕えるべくして創られた式神であったが、当主の座を捨てた霧上幻一郎に従っている。それは、幻一郎にとって光栄な事であったが、彼らの普通の猫とは比べ物にならない食事の量は、儲からない探偵業を営む幻一郎の財政を日々圧迫しているのであった。

 ポットが湯が沸く音が鳴ると同時に電話のベルが響く。幻一郎が火を止めていると、器用に美由がコードレスの受話器を咥えて持ってくる。美由の喉を軽く撫でて幻一郎は受話器を受け取る。

「ありがとう、美由……もしもし?」

「兄さん、起きてましたか」

「久しぶりですね。丁度、朝御飯を食べようとしていたところですよ」

 受話器から聞こえる声は、幻一郎にとって聞き慣れた人物のものであった。霧上家の現当主、幻一郎の実の弟である霧上鏡二郎であった。

「実は、今日は兄さんにお願いがあって電話したんだけど」

「おや、珍しい。どうしたのですか?」

 家を継ぐ事を捨てた幻一郎に対して鏡二郎は常に強意的に接していた。『お願い』なんて言葉が彼の口から出るのは久しぶりである。

 続いて鏡二郎の口から出てきたのは、幻一郎に霧上家当主の代理として蛟家という古武道家の新当主への挨拶に行って欲しいという事であった。先日、後継者が正式に決まり、当主引継ぎを終えた蛟家への挨拶回りである。霧上家とも縁のある蛟家の名前は幻一郎も聞き覚えがあった。だが、幻一郎は少し渋った。家を捨てたのにそれに煩わせるのは面倒だったからだ。

「なんで、あなたが行かないんですか?」

「……本当だったら僕が行くはずだけど、今回は騎士として動く事になったから行けないんだ」

 騎士。それは正確には『円卓の騎士』と呼ばれる。二十世紀末、一千年の永きに渡って日本に封じられていた666匹の悪しき存在達が解き放たれた。それは『魔獣』と呼ばれ、この世のものではなく、この世を亡ぼす為だけに存在していた。

 解き放たれたといっても、世界中の特異な能力者達との凄惨な戦いを経て封じられていた666匹の魔獣を封じる最後の結界はまだ効力を残しており、魔獣は日本国外へ逃れる事は出来ない。そして、この事は既に遥か昔から予期されており、それゆえに日本は、魔獣に対抗できる特殊な能力を持つ人間の血が世界中で最も連なっている地域となっていた。

 今現在、一千年の昔に魔獣を倒す為に組織された『円卓の騎士』は再び組織され、霧上家の二人も、優秀な術者として魔獣を倒す為に円卓の騎士に登録をしていた。

「へぇ、魔獣ですか。そっちの方が余程楽しそうですね。私がそっちの方に行きますよ」

 幻一郎は気軽に受話器に向かって答える。しかし、受話器から帰ってきたのは強固な拒否だった。

「いや、この事件は僕がやるよ。当主としての実力を見せないとね」

 幻一郎と鏡二郎の術者としての実力がどちらが上かは、幻一郎にも分からなかったが、騎士としての実績は幻一郎の方があった。歴史のある呪術家としての様々な体面の存在が受話器越しにも幻一郎にも感じられ、彼は再び溜息をついた。

「しょうがないですね。挨拶ぐらいでしたら。魔獣退治、頑張って下さいね」

 そう言って、幻一郎は電話を切る。

「おでかけなの、げんいちろう?」

 電話の会話を横で聞いていた美由が尻尾を振って尋ねてくる。

「ええ、食事をしたら出かけましょう。今晩は美味しい食事が食べられますよ」

「やったー」

「久々のまともな食事だー」

 幻一郎は、思い思いに勝手な事をいい跳ね回る二匹を微笑んで見ながら、手元のカップラーメンに静かにお湯を注ぎ込んだ。

「まぁ、退屈な平穏も、慣れないと。いつも日々があのように魅力的なわけではないですから……」

 そう、幻一郎はボソリと呟いた。

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