さよなら

 キーンコーンカーンコーン…………

 鐘の音が鳴っている。秋の最初の始業式の始まりを知らす鐘の音だ。

 少年は、体育倉庫の入り口に座り込んで手に持っている草を凝視しながら弄繰り回していた。周囲には誰もいなく、ささやかな風が紅葉の葉を揺らせながら少年の足元に運んでくる。風は、少年の少し伸びた前髪を揺らすが、少年は意に介さない。狭い、袋小路となっている倉庫の前で少年は、ただ手の草を見つめていた。

 乾いた葉を踏みしめる音が少年を現実に引き戻した。音が聞こえた方に振り向くと、そこには制服を着た一人の女性が立っていた。長いストレートの黒髪に背はそんなに高くないが細身の女性は、胸のバッチに二年を示す校章を付けていた。少年の制服の胸には、一年を示す校章が光っている。

 少年は、女性を見ると目を見開き、視線を上下に動かしてから、目の前の女性の微笑みと目が合って、恥ずかしそうに下を向いた。手に持っていた草を弾くと、草はゆっくりと地面に落ちた。

「何?君はサボり?」

 女性は、しょうがないなぁ、という感じで首を傾げ、少年を見た。草を踏みしめる音が少年に近づいてくる。少年は、ずーっとうつむいていたが、音がすぐそばまで近づいた時に顔を見上げ女性を見た。女性は、軽やかな感じで腕を後ろに組み、地面に右足のつま先を立てて立ち、少年の前に立っていた。

「………ええ」
「しょうがないなぁ。そんなに学校、つまらない?」

 女性は、少し寂しそうな表情をすると、少年を見て倉庫の角を見た。女性が見た角の方からは、始業式の伝統的な長い校長のマイクを通したダミ声が聞こえてくる。少年は、草をいじって緑色に染まった指先を腰の辺りでこすると、女性と目を合わせないで小さく口を開いた。

「恵美さんは、学校、つまらないですか?」
「え?私の名前、知ってるの?」

 恵美と名前を呼ばれた女性は、少年に名前を呼ばれて目を丸くした。少年は、顔を上げるとそばに立っている恵美の顔を見上げた。

「ええ。昔……ここで、部活の荷物を運んでいる時に手伝ってもらった事があって……」
「そんな事あったかなー。ごめん覚えてないや」
「いや、それだけでしたから」

 恵美は、少し困った顔をして小さく右手を胸の前で振った。少年は、目の前に立っている木に目を移した。恵美は、そんな少年の様子を見ながら更に少し、少年に近づいた。

「私、学校は好きなのよ……とっても……今日はたまたま、ね」

 そう言って恵美は少年に微笑みかけた。少年は、視界に入ってきた恵美の顔を見上げ、見つめ、そして下を向いた。

「知ってますよ」

 少年の声は震えていた。また、恵美は目を丸くした。でも、今度はすぐに寂しそうな申し訳無さそうな顔をした。

「……そっか、知ってたんだ」

 恵美は、そう言うと、少年の目の前を歩き始めた。枯れた草を踏みしめる音が少年の耳に届いた。少年は、何とかして自分の震える声を抑えようとした。心の中に広がる感情に押し流されないで、自分が伝えたい事を伝える為に。

「ごめんねー。じゃあ、驚いたでしょう」

 恵美は、困ったように苦笑すると、また右手を小さく振った。それが彼女の癖だという事を、少年は知っていた。少年がそれを知っている事は、彼女は知らなかったけれども。

「ここは思い出の場所なんです」

 少年は、何とか声を震わせない様にしながらそう言った。心臓が早鐘のようになっている。いてもたってもいられず、自分が心に渦巻く激情に飲み込まれてどうにかなってしまうそうな感じがする。でも、少年はそこに座っていて。周囲は音も無く、ただ静かだった。

「そうなんだ・・・・・・ごめんね。私、もう行かないと」

 恵美は、優しげな微笑を浮かべながら入り口に座っている少年を見ると、静かにそう言った。そして、また歩き始めた。枯葉の踏まれる音が少しづつ少年から離れていった。少年は、ただ、その場にうずくまって座り続けていた。

 (思い出の場所でした・・・)

「おいっ!祐樹!こんな所でサボってたのかよ!」

 二人の少年が角から現れて少年に近づいてきた。二人とも制服を着て、胸には一年の校章をつけている。茶色がかった髪に薄い緑のピアスをしている少年と、髪を短く刈り込んだ体格の良い二人の少年。ピアスの少年は、少し不安げに体格の良い少年を見ると、少年に声をかけた。

「祐樹、あのさ校長が今、言ってたんだけど・・・・・・お前の・・・・・・ほら、二年の」

 風が吹いた。袋小路の奥から角に向かって。枯葉の音がざわめいたが、踏まれる音はもう聞こえなかった。鐘が鳴った。授業の始まる鐘の音。少年は、入り口に座って、立てた足の間に顔をはさんで俯いていた。

 (あなたと出会った場所でした・・・)

「おい。祐樹?泣いてんのかよ?」

 (・・・・・・学校よりも何よりもあなたが好きでした)

 風はもう吹かなかった。


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