TRPGでは、キャラクターの性格や過去を定めなければならないゲームが、少なからずあります。それは何故でしょうか。
キャラクターになりきってゲームを進めるため? ──いえいえ、わたしはそう思いません。
厳格に性格を記入する必要のあるルールでは、その性格に違反すると罰則を下されるからです。例えば魔法が使えなくなる、レベルが1に戻る、経験点もしくはそれに代わるボーナスがもらえない、などです。
キャラクターになりきるための性格ルールであれば、罰則など必要ないでしょう。「だってこんな奴なんだもん」と言えばいいだけですものな。つまり、性格を定めるのは──
ゲーム上の制限である。
──ということです。ゲームの制限というのは、ゲームをより面白くするためのものです。制限のないゲームというのは、ただのママゴトであり、大して楽しくはありません。そして、ゲーム上の制限を覆されるというのは、ゲームが混乱することに繋がります。
トランプゲームの大富豪(もしくは大貧民)で、「同じマークで続き番号3枚以上だったら出してもいいんだよ」とゲーム中に言われて、悔しい思いをしたことはありませんか?
わたしはあります。先に言え! 卑怯なり!
TRPGは完全に自由なゲームである。──そう思いますか? そんなことはないでしょう。各々が好き勝手に動いた場合、待っているのはダラけた展開と意に染まぬエンディングです。
自由度の高いTRPGだからこそ、守らねばならない大原則があるのです。
個より全。
ズバリ、これじゃないでしょうか。全員が楽しめるという前提がなければ、TRPGをする意味は無くなります。
はい、ここで「自分が楽しければよい、後は個人の努力次第だ」と反論するアナタ。コンピューターRPGで寂しく遊んでいてくださいね。もしくは「自分のキャラクターはみんなを楽しませているはずだ」と反論するアナタ。自意識過剰です。
TRPGは、まず全員の楽しみが念頭にあり、その次に個人の楽しみがあるはずです。その順番を間違ってはいけません。
全員の楽しみというのは、それぞれのTRPGルールが推奨する遊び方、及びゲーム上でマスターが提示した目標などです。
一般的RPGであれば、パーティーがお互いの持つ能力や情報を提供しあい、ひとつの目的に達することを推奨しています。一風変わったRPGであれば、好き好んで危険に近づく、隙あらば他のPCを殺す、ということを推奨するものもあります。
ところが、そのゲームの意図する遊び方と個人の遊び方がズレていると、迷惑を被るのは周囲の人たちです。
変な例ですが、自分は囲碁をしていたのに相手は五目並べをしていた、なんてことになったら、ゲームにすらなりません。もし、ごく一般的なRPGで、他のPCに敵対することを望むプレイヤーがいたとしたならば、それは勘違いというものでしょう。
個より全。これを踏まえているのならば、個を大切にすることは良いことでしょう。しかし、個を大切にするあまり、全をないがしろにする行為は、他のプレイヤーの個を認めていないようなものです。嫌われる前にやめましょうね。
さて、ルールで定める性格といえば、主に「善/中立/悪」の3つです。
わたしはTRPGをはじめたばかりの頃、「悪人になっても良いだなんて、なんて思い切ったゲームなんだ!」と思いました。ただ、基本的に悪人ではないわたしには、悪人をプレイするのは無理ですけどね。
しかし、そうではなかったのです。(いや、わたしも実は悪人だった、ということではなく……)
悪とは、単に悪人というわけではなく、全に反発する性格とも言えます。しかし、TRPGでは個より全が優先されるのでしたね。
つまり──
キャラクター的な矛盾をプレイヤーが解決する。
──ということが必要なわけです。
個より全を優先しつつ、性格違反の罰則をくらわないためには、矛盾を矛盾としないための高度なロールプレイが必要だということです。
ここで「だってこんな奴なんだもん」と言った人。ブブー。アナタはロールプレイを放棄しています。
こんなことを言う人もいます。「あの時こう言ってくれたら、このキャラクターも動いたのに。君たちの努力不足だよ」
さて、努力不足はどちらでしょうか。どうして人のキャラクターの面倒までみなければならないのでしょうか。自分でなんとかせんかい。
もちろん、周囲のプレイヤーはゲームに加わりにくい立場の人へ、助け船は出してくれるでしょう。それもロールプレイの一環だからです。
しかし、それは他人の功績であって、それだけに頼るようでは、プレイヤーが「ただキャラクターになりきっているだけ」のコマになってしまうのです。それでは本末転倒ですよね。
──さて、ここでやっと本題に入ります。
キャラクターの「善/中立/悪」3つの性格で、遭遇しがちな矛盾の乗り切り方の例をあげてみましょう。
1)善のキャラクターの矛盾
善のキャラクターは、基本的に個より全を大切にする人物が多いですから、それ程問題はありません。しかし、融通のきかない決まりがあったりするので注意が必要です。
・例 悪を見逃さねばならない
正義を尊ぶ僧侶が悪の権化(?)ゴブリンを見逃さなければならないとします。正義の僧侶としては、ゴブリンは殺さねばならない敵と教わっています。
しかし、パーティー的なことを考えれば、プレイヤーはゴブリンを見逃す理由を正確に把握して、理由を無理矢理にでも捻り出すべきなのです。
「今回だけは見逃してやる。次に会った時が最期だと思え」
……と言いつつ、もう会わないんですな。
「彼らにも守るべき家族というものがあったのですね」
……と言いつつ、慈悲深い笑みを浮かべるんですな。
「泳がせておけば、仲間を見つけることが出来るかもしれない」
……と言いつつ、ニヤリと笑うんですな。
「口惜しいが、今はお前らに構っている暇はない」
……と言いつつ、悔しそうにするんですな。
また、どうしても「悪は倒す!」と言って譲らないプレイヤーには、周囲からの助け船が必要となります。(ああ、面倒じゃのう)
「どうか神の御慈悲を。彼らにもチャンスをあげましょう」
「彼らにも守るべき家族というものがあるのでしょう」
「泳がせておけば、仲間を見つけることが出来るかもしれませんよ」
「今はそんな奴らに構っている時間はありません」
……等々。
つまり、前パターンの回答を導かせるような問いかけです。これでもパーティーに協力しないようであれば、パーティーをパーティーとも思わず、周囲のプレイヤーに嫌われたいのでしょう。構わぬ。思う存分嫌ってさしあげろ。
2)悪のキャラクターの矛盾
善のキャラクターとは反対に、悪のキャラクターは全に反発します。しかし、それを押し通すとゲームとして成り立たないので、行動のひとつひとつに矛盾を正当化するこじつけが必要となります。
・例 旨味のない人助けをしなければならない
自分自身にメリットが無ければ動かないのが悪のキャラクターです。お金で動くキャラクターならば、お金の交渉次第で動きもするでしょう。
しかし、マスターにしてみれば「メリットは与えたくない」という場合もあるわけです。例えば、非常に貧乏で、本当に何も持っていない人物の妹がさらわれたとか、交渉しても「寄こせ」と言ったものが、どうしても渡せないものだとか。
その気配を敏感に察知し、理由を無理矢理にでも捻り出すのが優秀なロールプレイってものです。
「敵の持ってる金目のものは俺が戴くからな!」
……と言いつつ、敵は欲しいものを持ってないんですな。
「ふっ、いつもの気まぐれさ」
……と言いつつ、照れ笑いするんですな。
「そいつが俺の探していた奴かもしれない」
……と言いつつ、拳を握りしめるんですな。
「人さらいだけは勘弁ならねえ!」
……と言いつつ、先頭きって走るんですな。
どうしても「俺には関係ないね」と言って譲らないプレイヤーには、周囲からの助け船が必要となります。(何でそこまでせねばならんのじゃ)
「敵の持ち物は差し上げますから」
「わたしたち、あなたが頼りなんですよ」
「その人、あなたの探していた人じゃないですか?」
「お願いします、人さらいだけは許せないんです」
……等々。
はい、これも前パターンの逆呪文のようなものです。人にここまで言わせる人は、努力が足らないぞ。ちょっとムカつく。
てゆーか、もっと楽なキャラクターをやればいいじゃないですか。パーティーに利のない悪キャラクターなんて、他のプレイヤーに嫌われるだけじゃん。ねえ。
3)中立のキャラクターの矛盾
中立のキャラクターは、善でも悪でもなく、個人の基準で判断するというキャラクターになるでしょう。いわば、個を重要視しているともいえます。しかし、全の重要性も把握しているはずなので、それほど問題になるような行動を起こすこともないでしょう。
問題になるのは、個人の過去などに影響される価値観の違いです。そして、対応方法は善のキャラクターや悪のキャラクター、両方に通じるでしょう。
・例……をあげるのも面倒だから、もういいですな。
要するに、無理矢理にでも理由を捻り出し、全プレイヤーと協力して解決に進む、というプレイスタイルは、どんな性格のキャラクターをやったとしても同じなのです。
他人の助け船を待つのも良いですが、それを受け入れた結果、自分の想像するキャラクターの性格から離れてしまうこともあるでしょう。それは、プレイヤーとしても不本意ではないですか?
他のキャラクターやプレイヤー、そしてマスターに負担をかけない回答は自分で用意するべきです。
やってみれば、それがなかなかに難しく、そしてとても楽しいことだと分かるはずです。なぜなら、それがより高度なロールプレイに繋がるからなのです。
高度なロールプレイとは、悪い言い方をしてしまえば、多少の妥協です。しかしながら、全員が少しずつ妥協をしたならば、完全なる平和な世界が訪れます。逆に、誰かだけが我を通せば、他のプレイヤーに負担がかかるわけです。全員が我を通せば、それはゲームの崩壊です。
一度TRPGから離れた人の多くは、我の通しすぎでTRPGに嫌気がさしたのではありませんか?
若い頃にはありがちです。
多少の妥協。それは「大人」の証拠。TRPGは確実に、大人になってからの方が楽しめます。これは確実です。
さあ、みなさん、美しく平和な世界、ユートピアを目指しましょう〜。
|