終末の住人 『覚醒』 大塚 剣 「きゃああぁぁぁっ!」  新宿の夜に、悲鳴がこだました。不夜城、新宿。そこは、路地から出た大通 りである。ネオンの明かりで、行動の妨げとなる闇は少ない。  悲鳴を聞いて、駆けつけるものはいない。その街にいるのは、悲鳴を上げた 女性と、悲鳴を上げさせたもの、二人だけ。 「あ……あぁぁぁ……」  女性の悲鳴が、次第にか細くなってゆく。自分の足で立つ事が出来ないほど 脱力し、彼の前にひざまずく形となった。  ひざまずいて始めて視線が合う。あどけない少年の顔には、冷たい笑みが浮 かんでいた。  新宿の街中での衰弱死。ニュースはただそれだけを報じ、週刊誌はあらぬ事 を書き立てた。  無責任なワイドショーをグラスを拭きながら真剣に見ている人物が一人。喫 茶店『月影』の店長、月島直人である。彼のほかに店内に人影はない。近くの 高校が終わる時間まで、あと30分くらい有る。それからが稼ぎ時なのだ。  事件が起きたと予想されている時間は、彼が昨晩、結界が張られたのを感知 した時間と重なる。その時は、急いで駆けつけたのだが間に合わなかったのだ。  彼は、この事件は自分と同様の結界を形成できる能力者によるものとにらん でいた。彼と同じ、「終末の住人」であるという事だ。  結界とは、一時的にわずかな過去の世界への扉を開く事で、現実とは違う世 界を形成する能力である。その作られた領域「結界」を、普通の人間が感知、発 見する事は出来ない。また、そこで行われた破壊は、現実世界には影響を与え る事もない。  この結界の中に、自らの意志で入り込めるのは、「終末の住人」と月島が呼 んでいる特殊な異能力者だけである。結界能力を持たないものは、その中に入 り込む事は出来ない。  例外が、結界の内部から召還された場合である。その場合、能力者でなくて も結界内に入り込む事が可能なのだ。召還された者は、結界の外から出る事は 出来ず、閉じられた世界で逃げ惑うしかない。 「もう、3人も被害が出ている。怨霊の調べはついているんだ、問題は、俺一 人じゃ怨霊退治が出来ないって事だな……」  終末の住人達は、誰もが普通とは違う異能力を持っている。しかし、万能で はない。彼の異能力は、怨霊を調伏できるような代物ではないのだ。  ワイドショーの話題が別のものに変わると同時に、グラス拭きを止め、受話 器を取る。 「……こんにちは、月影のマスター、月島です。ええ……少し手伝っていただ きたくて……あ、旅行?そうですか……。それでは仕方が無いですね。がんばっ てください。……では」  受話器を置き、ため息を一つ。現在の唯一の協力者は、手が離せないらしい。 ただの旅行ならまだしも、異能力の訓練のためならば、無理は言えない。 「一人で何とかするしかないのか……」  考え込む月島を嘲笑うかのように、ドアベルが鳴り、女子高生達が集団で入っ てきた。考え込むほど、暇はないのだ。  川島竜也は目を覚ました。自分の体を見回し、自由に動く事を確認する。目 を覚ました……と表現したが、眠っていたわけではない。身体が自由にならな い間の記憶も残っている。  父親の死を、悲しむ間もなく身体の自由を奪われた。自分の体の中にある怨 霊は、現在の終末の住人を一人づつ始末して行く気らしい。自分の最後が、人 類そのものへの怨みとなり、地球そのものへの怨みとなっている。  終末の住人がいなければ、地球は破滅への道を勝手に転がっていってくれる のだ。地球を滅ぼす方法として、最も簡単な方法であろう。  そのための力を貯えていた。竜也の母親くらいの女性から生気を奪い、自分 の力としていた。母親を知らない竜也にとって、目の前の女性が苦しんでいる のを見るのはつらかった。しかし、同時に流れ込んでくる生気に愉悦と安心感 を感じもしているのだ。  どうする事も出来ない。自分を引き取ってくれると言っていた家に帰る事は、 その家族を危険にさらす事になる。自分の体が自由に動くのは、数時間しかな いのだ。  川島竜也は眠りについた。少しでも長く自分の心を保つために。いつか、差 し伸べられる救いを信じて。  竜也の頭が、大きな手のひらに捕まれる。  既に抵抗する力は残っていない。せめて、このまま頭を叩き潰せば、川島竜 也を道ずれに出来る。  怨霊は、最後の最後まで終末の住人を始末する事のみを考えていた。自分を 受け入れて尚自らの心を失わない少年。この強い意志は、終末の住人である証 だ。彼を殺すことで、自分の目標に一歩近づく。 「!」  目の前の鬼の瞳が、瞬時に変わる。地面に叩き付ける力が抜け、押し倒すだ けとなった。竜也の頭はつぶれていない。  最後のたくらみさえも、遂行できなかった。もう、この世界にとどまれる力 は残っていない。前世紀の住人といえど、現代の終末の住人3人を同時に相手 にする事は無理だったのだ。  鬼へと変じながらも、人間としての意識を失わずに「守る戦い」の出来る目 の前の自分の後輩を、怨霊は怨恨と同時に、憧憬も感じていた。 「竜也君!」  後方で支援をしていた女性が駆け寄ってくる。その服はぼろぼろに破れてい るものの、身体には傷一つ残っていない。怨霊の瘴気の雨をその身に受けたの にもかかわらず、破れたのは服だけだったのだ。驚異的な回復能力と、自らの 生命力を自由に使いこなす術者である。  あと、もう一人、氷の狼を召還する娘……この現代において、伝説の狼を呼 び出し、実態化させ操ることの出来る術者。その顔を見る前に、怨霊の最後の 思念は消え去った。 「っと!」  結界が解ける一瞬前に、結界の張り直しを行う。いま、この状態で現実世界 に戻ってしまっては、大騒ぎになってしまう。  結局、月島は間に合わなかった。自分の把握していなかった新たな住人が、 怨霊と川島竜也を止めてくれたのだ。彼らが、竜也と温泉旅行で出会い、最初 の怨霊の目標であった事も、ようやく調べがついた。  突然張られた結界に、3人とも警戒している。いつまでも隠れている必要は ない。正面から姿をあらわした。 「こんばんわ。大変でしたね」 「あんたは?」  月島の挨拶にも、警戒の念を解かない「鬼」。 「新宿の喫茶店、月影の店長で、月島直人といいます。あなたたち終末の住人 を迎えにきました。まず、そこのお嬢さんの服を治さないといけませんね」  そういうと、月島は破れた服を着ている女性の方に歩み寄り、精神を集中し て指を鳴らす。 「え?」 「完了です」  服は、元あったように完全に復元されていた。彼の異能力の一つである。精 神を持たない物体なら、再生と崩壊を操る事が出来るのだ。 「あんたも、能力者なんだな?」 「はい。ただ、余り荒事は得意じゃないんですけどね」 「で、俺達に何の用なんだ?」 「ここでは何ですから、私の喫茶店にいらして下さいませんか?そこで全てを お話します」  結局、竜也は月島が引き取る事になった。他の3人は月影への連絡先を聞い ただけではあるが、何にせよ協力者が増えた事には変わり無い。  なぜ、終末の住人が生まれたのかは、彼にはまだ分かっていない。  1998年12月。災厄は、訪れようとしていた……。