吸血鬼 ====== 路地裏 ------  外は、雨が降っていた。肌につきささるように降りしきる雨の中で、小さな 路地裏に男が一人、うずくまって座っていた。男は、埃と泥だらけになった黒 い服を見に纏い、肩のあたりから引き裂かれたようにちぎれた左腕を、必死に くっつけようとするように、右手で押さえていた。その腕は、人のものとは思 えないほど、白い。  雨は、容赦なく降りしきる。うずくまる男の身体にも、肩の傷口、いや、切 断面にも……。  もし、誰か別の人間が通ったら、果たして、この光景の違和感に気づく事が 出来るだろうか、今の東京では、路地に男がうずくまっていようと、その男が どんなに美形だろうと、手を差し出したりはしない。まして、真夜中ならばな おさらだ。そして、『眺める』しかしないものには、この一見正常にみえて異 常な光景は、違和感すら覚えないだろう。  男の腕の切断面からは、一滴の血すら出ていなかった。切断面を覗く事が出 来るものがいれば、その筋肉組織や骨格は、人間のそれに酷似したものである と分かるが、血液が透明なのか、存在しないのかは定かではないが、とにかく、 あの赤黒い液体は、その切断面から吹き出していなかった。  男は、うつむきながらも、左肩を押さえ、何かをつぶやいていた。  『呪文』と呼ぶには、あまりにも有名な、一節。 ”天にましますわれらの父よ……”  キリスト教の事を、少しでも知っていれば聞いた事もあるだろう、『主の祈 り』と呼ばれるものである。  今の日本人が、この祈りを口に出したところで、神は、振り向いてはくれな い。神の力が、人間に及ぼされなくなってから、もうかなりの時代(とき)が 過ぎていた。  彼は、力を貸してくれない事など無いように、自分のすべき事が祈る事のよ うに、ただ祈っていた。その表情、声ともに、不安の色は一切無い。ただ、疲 労だけはつきまとっていた。  どしゃ降りの雨が、小雨になり、やがて雲が晴れ、月の光が差し込むように なったころ。彼は歩き出していた。少し、足取りが重いものの、ふらつくこと なく歩いてゆく。左肩は、傷一つなくなり、完全に癒着していた。  金髪で、碧眼、ドイツ人なのか、背丈は180cmを超えているだろう。凍て つくような目と、身に纏う険しい雰囲気さえなければ、誰もが見入るような美 貌を持った青年であった。 「ちが、たりない。」  自分の発した『日本語』に、思わずはっとして立ち止まる。幸い、真夜中の オフィス街は、人影一つ見えない。徐々に、髪の色と目の色が黒に、漆黒の黒 に変わってゆく。 『血が足りない?なぜ、私は血を求める? 私は……誰だ?』  自分の発した言葉によって、やっと彼は考える事を始めた。自分を取り戻し た、といってもよい。真っ先に出てくるのは、疑問。  彼は、そのまま、ふらふらと歩いていった。影を、求めるように。 彼 -- 『誰か……いる?』  暗い人気の無い公園を歩き回っていると、人の気配を感じた。  公園の中で、歩いている独りの女。こんな夜道を、危険だとは思わないのか。 「あの……」  私の声に、女は振り向いた。少し長めのショートカットで、目鼻立ちは整っ ているのだが、服装と、体に着いた油絵の具の匂いで台無しにしている。芸術 家は、えてして自分の周辺に無頓着なものが多い。しかし、貴重な情報源だ、 夜のうちに、事態を把握しなければならない。  彼女は、懐から紙切れのようなものを取り出しながら、私の様子を伺う。そ の目は、野生の豹のような鋭いものだった。 「腕が、治ってる。たいした回復力ね。」  何のことだかわからない。だから、私は黙っていた。 「どうしたの?さすがに、観念したのかしら?」  この女は、何か私の事を知っているようだ、しかし、殺気は消えない。 「あなたは、誰だ?」 「え?」  今の私の問いは、彼女にとって意外なものだったらしい、拍子抜けしたのか、 いぶかしげに眉をひそめる。 「あなたは、私の敵なのだろう。なら、私の事を知っているはずだ。私は、誰 だ?」 「無駄よ、魅了の術は私には効かない。おとなしく、滅ぼされなさい。」  駄目か、どうやら、私は彼女にとって、滅ぼされるべき存在のようだな。両 手の紙切れから、不思議な圧力を感じる。あれが彼女の『武器』か。闇の私と、 相反する力、あれなら、闇の私だけなら、封じ込める事が出来るだろう。しか し……。 「ヴァンパイア!滅びなさい!」  彼女の気合と同時に、両手の札が飛び出す。紙切れとは思えないような速度 で私の方へ向かい、光を発しながら私の前で十字に交差する。  光の十字架。もし私が、彼女の言うヴァンパイアなら、胸を焼かれ、消滅し ていたかもしれない。それほどのエネルギーだった。  私は分かっていた。あの光では私を滅ぼす事が出来ない。むしろ、光の私に 力を与える。  私を包む光の帯は、幾重にも重なってゆく。その光が巻き付くたびに、身体 に力が戻るのを感じた。  光の中で、私の存在を想像してみた。外見、気配はヴァンパイア。力は、光 と闇の二つを根元とし、神の声を聞く。自分で分析して、矛盾しているのが分 かる。 「無駄だ」  静かに言うと、私は、2枚の飛び回る呪符を握り締めた。 「なっ!」 「今の呪符では、私には通用しない」  しまった、これでは、まるっきり悪役のセリフではないか。 「貴様に、聞きたい事がある」  なるべく、丁寧に、敬称を付けてみたのだが。 「呪符(フダ)を防いだくらいで、いい気にならないで!」  彼女は、私の言葉が勘に障ったのか、私に向かって突っ込んでくる。手には、 銀色に輝く短剣が握られていた。さすがに、あれを心臓に食らったら、死んで しまうような気がする。でも、受けなければ、彼女の機嫌はおさまらないだろ う。  私は、ほんの数センチだけ、動く事にした。私の胸に、銀の短剣が突き刺さっ た。 月光 ----  月齢7、半月程度の月光は、暗い公園を、わずかに照らしていた。公園には 人影も無く、静まり帰っている。  女の持った短剣は、男の胸に深々と突き刺さっていた。しかし、傷口から血 は出ていない。  男は、女の背中に両手を回す。女も小柄な方ではなかったが、男の腕にすっ ぽりと包まれた格好になった。 「な!」  女が言葉を失い、離れようと男の胸を押す。しかし、男の腕はびくともしな い。 「話を聞いてほしい、何もしない」  男は、静かにそういった。どうやら、女性を抱きすくめるのは、『何かする』 うちには入らないらしい。  逃げられないと悟ってか、女が力を抜く。しかし、殺気は消えていない。 「単刀直入に言う。私は、自分が何者なのか分からない。記憶喪失、というや つだ」 「え?」 「あなたは、私を狙っている。私の事を、何か知らないか?」  女は、呆気に取られていた。滅ぼすべき魔物から、『何か知らないか?』な どと効かれた事は、恐らく始めてだろう。  女は、少し考えていたようだ。だが、別の事態を認識し直す。 「放して!」 「襲わないと約束すれば、放してやる」 「襲っているのはそっちでしょ!」 「襲っていない、抱きしめているだけだ」 「同じ事よ!」  そこまで言うと、彼女は、胸に刺さった短剣を引き抜き、引き抜かれた痛み で腕を緩めた男から逃げ出した。  一挙動で届く範囲よりも間合いを開け、身構える。 「私の話を聞いてくれ」  男は、その場所から動かない。しかし、真剣な目だけは、彼女から離さなかっ た。その目は、いわゆる『吸血鬼』の赤い目ではなく、青い海のような、深淵 の目だった。 「わかったわ」  一息つくと、彼女は、静かに言った。殺気は完全に消えていたが、瞳の色は 警戒心を含んでいる。 「私の事を教えてほしい、私は、誰だ?」 「本当に、覚えていないの?」  彼女の言葉に、男は、静かに頷いた。 「あなたは、数日前に復活したヴァンパイアよ、復活したとたん女を襲ったん で、私が退治する事にして、今夜、あなたと会ったの」  女の言葉を、男は黙って聞いている。 「今夜、というのは、この公園の事か?」 「違うわ、あなたと最初に会ったのは、もっと前、夕方頃よ。その時、光の呪 符で左腕を切り落としたんだけど……」 「なるほど……では、もうお前に用はない」 「な……何でよ!」  去りかけた男は、女の声に立ち止まった。 「今日会ったばかり、封印すべき敵、それまでは訳の分からない女性を狙う獣。 この状態で、お前が私の事を知っているとは思えん。もし、私の事を知ってい るのなら、光の呪符だけで倒そうとはしないはずだ」 「なんか、『あなた』から『お前』になってるんだけど……」 「当たり前だ、情報源でもないものに、敬意を払う必要はない」 「……さすがヴァンパイアね、高慢なところなんかまさに。……ちょっと!  待ちなさいよ!」 「まだ何か用か? お前の用意してある呪符では、私は滅ぼせん」 「光の呪符が効かないって、何で?」 「私が知るか、自分の名前も思い出せないんだぞ、まあ、可能性はいくつかあ る」 「可能性?」 「少しは自分で考えろ、頭が腐るぞ。まず、お前の呪符が弱すぎて話にならん 場合」 「なんですって!」  今のは、『弱すぎて』に反応したのだと思いたい。まあ「頭が腐る」といわ れて激怒してもおかしくはないが……。 「これは、まずありえない、光の呪符を作れる時点で、すでにかなりの力量だ という推測は出来る。したがって、あれの威力が弱いわけではない」 「当たり前よ、あの呪符は、もらうの苦労したんだからね」 「なんだ、やはりもらい物か、次に、私が、闇のものではない場合」 「それはないはね、貴方から発せられる気は、間違いなく闇のものよ」 「そこだな、私とお前の見解の違いは、私は、自分の事をこう思っている。闇 の存在であるが、光の力を借りる。光を使う闇のものだとな、それが証拠に……」  そこまで言うと、男は、静かに目を閉じ、胸に手を当てる。そして、『呪文』 を口ずさむ。 ’願わくば、御名を崇めさせ給え、御国を来らせ給え……”  女に刺された胸の傷が、あっという間にふさがる。 「『主の祈り』? そんな力があるなんて……」 「私には、神が力を貸して下さる。光の呪符が効かない可能性の一つだ」 「そんな……」 「その様子だと、予想だにしなかったようだな、やはりお前から得るものは何 も無い」  男は、そう言って、立ち去ろうとする。そこに、別の気配が現れた。 『こんなところに女性を一人にするとは、紳士の風上にも置けぬな』  ザワッ  あたりの空気の重さが変わる。怒り、悲しみ、憎しみを吸った空気『瘴気』。 「!」  女は、慌てて声のした方を振り向く。そこには、黒いわだかまりとともに、 一人の男が立っていた。 『お初にお目にかかる。我が名は闇の貴公子、ディアラス卿』 「どうやら、本物のヴァンパイアみたいだな」 「そうね、貴方は人違いだったみたいね」  男と女は、ディアラスと名乗った男と対峙するように、並んで立った。 『お嬢さん、そのような薄情な男など捨てて、こちらへ来なさい』 「いや!」  即答する。そして、その言葉と同時に再び光の呪符を構えた。 「戦うのか?」 「あたり前よ、そのために来たんだから」 「……」 『お嬢さん、私と戦おうというのですかね?』 「いけっ!」  答えの代わりに呪符を投げる。呪符は物理法則を無視して飛び、ディアラス 卿へ向かっていった。 「無理だな」  男がぼそりと言った言葉に反応するかのように、ディアラス卿が輪郭をぼや けさせ、黒い霧となって辺りに漂う。  呪符は黒い霧に振れた途端に破裂し、光を撒き散らすが、消えたのは周囲の わずかな空間だけで、霧の量は減ったように見えない。 「そんな……」 『無駄ですよ、お嬢さん』  そのまま、霧の範囲は広がって行く。  しばらくすれば、この辺り一帯を覆ってしまうだろう。 「くっ……結界を……」  自分の周囲の地面に呪符をはり、光の魔法陣を発生させる。その中までは、 霧は入ってこない。 『ほう、なかなかやりますね。しかし、いつまでもつのか……』 「確かにな」  声を発した男は、霧の中で平然と立っていた。 「……まだいたの?」 「まあな」 「……貴方は、平気なのね……」 「もともと、闇の霧だからな。私を食ったところで腹が膨れる訳ではないのだ ろう」 「……そう……」 「さて、ディアラス卿。教えていただきたい事がある」 『なんだ、まだいたのですか? できそこないの貴方に用はありません』 「……できそこない? なぜ、私を出来そこないと呼ぶのですか?」 「何、へつらってるのよ!」  女の苦情には反応しない。 『完全な美しき闇を内包せず、神の力などというものを借りているお前は、出 来損ない以外の何者でもありません』 「やはり、貴方は何か知っているのですね? 私は何者なのですか?」 『ほほう……知らないのですか? ならば、その光の魔法陣を壊したなら、私 の知っている事を教えて差し上げましょう』 「何ですって?」  女の光の魔法陣は、霧程度ではびくともしない。しかし、女が霧の中に取り 残されれば、身体の内側から生気を吸い取られてしまう事は明白だ。 「分かりました。約束ですよ」 『当然です。さっさとしなさい』  その答えを聞くと、男は光の魔法陣にゆっくりと歩み寄る。 「ちょっと……あんた、あんなちんけなヴァンパイアの言いなりになるの?」 「お前は何も知らない、彼は何かを知っている。彼に協力するのが当然だろう?」 「……やっぱりあんた、闇のものだよ」 「光だの闇だのは、性格には関係ないと思うがな」  そこまで言うと、魔法陣の中に入って来る。魔法陣は、彼を妨げようとはし ない。 「……」  観念したのか、黙って男を見上げる女。女も長身の方だが、それでも20cm の身長差がある。  その瞳は、あきらめて恐怖におびえている訳ではない。あくまでも立ち向か う強い意志を感じる。 「光の魔法陣は、神の力で無効化出来る」 ”御心の、天に成る如く、地にも成させたまえ”  地面に置かれた呪符は、その言葉を受けて燃え出し、無くなる。同時に光の 魔法陣も消え去った。 『よくやりましたよ』  途端に、霧が殺到する。しかし、別の壁に阻まれて、女までは届かない。 「え?」 『おまえ! 何をやっているのですか!』  男が、女を抱き寄せていた。身体から光を発し、その光に照らされた範囲は 黒い霧が近づけない。 「ち……ちょっと、近づきすぎっ」 「離れたら、霧の餌食だが?」 「っ……」 『女を放しなさい!』 「答えるのが先だ。光の魔法陣は取り払っただろう」 『その女を食わねば意味が無いでしょうが!』 「そんな事は知らない。約束だ、教えてもらおうか」 『分かりました。教えて差し上げましょう。私の知っている事全てをね』 「さっさと話せ」 『知っている事は“ない”。以上です。ひゃはっはっはっは!』 「……お前……」 「……まあ、調子良すぎると思ったのよね……」 『さあ、話ましたよ』 「……悪いが、この娘を渡す事は出来んな」 『まあ、そういうだろうと思っていました。あなたごと食ってやります』  霧が、濃くなる。今まではおぼろげに月の光が届き、周囲の公園の街灯も見 えていたのだが、完全に外界から隔絶される。 「さて……」 「ちょっと、どうするの?」 「お前が倒すのだろう? 俺が壊した光の魔法陣の代わりはしてやっているの だから、さっさと退治しろ」 「……」 「出来ないのか? できるならさっさとしろ」 「……今の状態じゃ、呪符は効かないわ……」 「そのとおりだ」 「……」 「……」  しばし沈黙がある。結局、決め手は持っていないのだ。 「無理なのだな。じゃあ、私が案とかしてやる事は可能だ」 「本当?」 「ただし、条件がある」 「何?」 「奴を倒せたら、俺の望むものを必ず用意しろ」 「望むもの……って、何よ?」 「わからん」 「わからんって……」 「奴を倒すのに、それなりに消耗する。その時、俺のからだが回復の為に何か 望む筈だ。それを満たしてくれれば良い。どんな状態になるか見当がつかない からな」 「……」 「どうする? さっさと決めろ。飲まなければこのままほうり出して私は去る」 「……わかったわ」 「よし」  そういうと、おもむろに首筋に爪を走らせ、薄く後をつける。 「痛っ……なに?」 「契約の傷痕だ。契約遂行するまで傷が広がって行き、やがて首が動体から離 れる」 「なっ」 「俺の望むものによっては、見捨てる可能性もあるからな」 「そんなこと……」 「いくぞ」  女の言葉を遮り、呪を唱え出す。 “我らの、日用の糧を今日も与え給え”  光の範囲が強く、大きくなり、輪郭のはっきりとした球体になる。 “我らに、罪を犯すものを、我らが許す如く、我らの罪をも許し給え”  光の球体は、闇の霧とせめぎあい、伸縮を繰り返していたが、呪を唱え終わ ると同時に拡散した。 『ちいいぃぃっ』  辺りは、公園。月の光も、街灯の明かりも戻っている。  二人とわずかに離れた位置に立つ、ディアラス卿。 「後少し実体化が遅ければ、危ないところだったな」 『なかなかやりますね、貴方。しかし、闇の力を極めた私には腕力では勝てま せんよ』 「出来るかどうかは、やってみなければ話からんさ」  男は、そう言い放つとディアラス卿との間合いを詰める。ヴァンパイアの膂 力は、常人の数倍になるという。  瞬時に間合いを詰め、拳を突き出す。拳に光の力をのせているのは明らかだ。 『甘いですよ!』  それをいなし、肩口をつかんで引き上げる。片腕だけで、男の体が宙に浮い た。 「……力があれば良いという訳ではない」  その手を取り、持ち上げられたまま蹴りつける。額、喉、みぞおち、両肩の 付け根。 『うっ……うおおおぉぉぉっ』  突然、苦しみだし、男を離す卿。男に蹴られた所から、ぼろぼろと崩れて行 く。 『な……何をした……不死の私が……崩れるというのか……』 「何をした? それが分かれば苦労はない」 『く……おおおぉぉぉ……』  そのまま、苦悶の声を上げながら、黒い塵となり、月の光に解けるように消 えて行く。  公園は、静寂を取り戻した。 彼女 ----  目の前の光景を、理解するまで時間がかかった。  一人の男が、不死といわれるヴァンパイアを4発の蹴りで滅ぼしてしまった。  そんな事、考えられると思う? しかも、あいつが使ったのって……。 「神式格闘術……」  思わず、声に出してしまう。そう、神式格闘術。もう日本には伝えるものの いない、神道を源に持つ退魔格闘法。  術式は神道。力の源はキリスト教。気配は闇。あいつ、何者なんだろ。  あいつが振り向く。その顔は、血の気が無いみたい。暗くて良く分からない けど……。  こっちに歩み寄ろうとして、ふらついて倒れた。 「ちょっと!」  慌てて歩み寄る。抱き上げてみると、結構美形。血の気が引いているみたい で、怖いくらい白い。 「大丈夫?」  私の呼びかけに、目を開いた。開いた瞳は蒼。 「約束だ、望むものを用意してもらおう」 「……分かったわ、で、何なの?」 「……血だ」  やっぱり……やっぱりこいつ、ヴァンパイアなんだ……。 男 --  血が……足りない……。  自分の体からの要求は、すぐに分かった。  あのヴァンパイアは私の事を「出来損ない」と言った。「出来損ない」でも、 ヴァンパイアには代わりが無いのだろう。私には、人間の血が必要だった。 「……」  私の要求に、言葉を失い見下ろす女。  明らかな失望……か? この女、私を殺すのかもしれない。  彼女の懐には、まだ光の呪符が残っている筈。闇部分を消されれば、自らの 光の力に潰されてしまうだろう。今まで光の呪法を無効化していたのは、光の 力であったが、今は動く事すら出来ない。自らの肉体の生存で手いっぱいなの だ。 「どうした? 約束した筈だ」  言葉には不安は出さない。おそらく、この女は私を殺そうとするだろう。自 分の血をやる訳はないし、他の人の血をやるのなら先ほど倒した奴と変わりは ない。  不思議と、死ぬ事への恐怖はなかった。いや、ヴァンパイアなら死ぬのでは ないのかもしれないが……。 「……」  彼女は、答えない。ただ私を見下ろしているだけだ。迷っているのか? 「どうした。約束を守るのか破るのか、さっさと決めろ」 「やぶったら……どうなるの?」 「何とかここから移動して、女の血を探す」 「そんな事……させられないわ」 「まあ、お前の立場は分からんが、仕事内容からすれば当然だな」 「それに、何とか移動……って、指一本動かせないみたいじゃない」 「そのとおりだ。自由になるのは首から上だけというところだな」 「それでどうやって移動するのよ」 「何とかする」  はっきり言うと、無理だ。今の状況で放っておかれれば、いつまでもこのま まだろう。まあ、自然回復くらいはするだろうから、数日すれば動けるように 成る筈だ。だが、数日もこんな公園で寝ていれば、さすがに目立つからな。騒 ぎになる事は間違い無い。 「……」  女は、まだ動こうとしない。 「どうするんだ?」 「……血を……」 「ん?」 「血を吸われると、どうなるの?」 「分からん」 「分からんって……」 「吸うと言ったって、コップ一杯程度だから、出血多量で死ぬような事はない。 だが、ヴァイパイアは血を吸う事によって眷族にするらしいからな、それが術 者の任意ではないなら、自動的に眷族となるだろう」 「……ヴァンパイアの血の吸い方で、眷族の能力が変わるって聞いた事があ る……」 「それが本当なら、活力を得る為の吸血とは別の方法なのだろうな。だが、根 拠はないぞ」 「多分……大丈夫よ」 「……」  自分に言い聞かせているような声。 「わかった。いいわ、私の血で良いのでしょう?」  女が出した答えは、私の予想を良い意味で裏切ってくれた。 「ああ、特に処女の血が欲しいとは思わないからな、大丈夫だろう」 「しつれいねっ! あたしはっ……」 「ん?」 「……なんでもない。手で良いんでしょう?」  そう言って、手を私の口元に差しだす。すこしだけ、いたずら心が沸いた。 「首筋でないとだめだ。生気の量が違うからな」  嘘である。怒り出すかと思ったのだが……。 「う……分かったわよっ」  そう言うと、私の首に手を回し、少しだけ抱き上げて首筋まで持っていった。  ついでだ、首筋でいただいても良いだろう。  私は、女の首筋に牙をたてた。 夜明けの公園 ------------ “我らの、日用の糧を、今日も与え給え”  夜はふけ、公園に人気はない。この季節、遅くまで出歩いているカップルや 若者の集団がいる事が多いのだが、今夜は特殊な結界で足が遠のくようにして いる。 「あっ……くっ」  広場の中央で座り込み、なやましげな声を上げている女は、仰向けに寝てい る男を抱きかかえ、首筋に唇が押し付けられるほど強く抱きしめている。  実際は、男が女の首筋から血を吸っているのだが、端から見てそのような想 像が出来るに人間は少ないだろう。  女は、牙を突き立てられているのに痛みはほとんど感じていなかった。頭に もやがかかったようになり、わずかに牙が食い込む為に痛みが快感へと変わる。  得物を逃がさない為の、ヴァンパイアの特殊な能力である。牙を刺し、血を 吸っている間は、得物は快楽に溺れ、無力化する。  牙から吸える血の量は、消して多くない。コップ一杯ほど、献血よりも少な い量とはいえ、数分かかる。 「あふ……ちょっ……っと……」  女は、霞がかかった目をしばたき、必死に意識をつなぐ。術を習得する過程 で、痛みや快楽を御する術は教えられた。その時と同様に意識を保つ。  しばらくして、男は首から唇を離し、手で軽く触れてから起き上がった。 「あ……」 「助かった。次に会うときは敵かも知れぬから、今のうちに礼を言っておく」  そう言うと、立ち上がり、立ち去ろうとする。 「あ……待ちなさいよっ」  女も、一瞬遅れて立ちあがった。既に意識は覚醒してる。 「ほう……しばらくは腑抜けていると思ったが……」 「私だって術者なんだから、普通の人と一緒にしないで」 「なるほど、それくらいの修行は積んでいるという事か……で、何だ?」 「これから何処に行くつもりよ」 「分からん。とりあえず、俺の素性を探しに行く。この街で何かしら生活して いたなら、少しは情報があるだろう」 「その間、他の女性を狙う訳ね?」 「確実ではないが、その可能性は高いな」 「だったら、行かす訳には行かない」 「お前に構っている暇も必要もない。もうすぐ夜明けだしな」 「やっぱり、日の光は弱いのね?」 「ヴァンパイアであるなら、その可能性が高いというだけだ。実際のところは 分からん」 「……神式格闘術」 「?」 「貴方が、さっきの奴を倒すのに使った格闘技の名前よ」 「知っているのか?」 「ええ、しかも、意外に縁が深い部類に入るわね」 「教えてくれ」 「見返りは?」 「!……」  余裕を持って言う女に、言葉に詰まる男。確かに、男は女にとってメリット である物が無い。 「何か、望みがあれば、かなえられるよう努力はする」 「じゃあ、私についてきて」 「何?」 「私じゃ、貴方を滅ぼす事は出来ない。でも、貴方をこの街に開放する訳には 行かない。だから、私が監視します」 「……」 「特に人に手を出さないなら、情報収集だってやっても良いし、手伝って上げ るわ。そっち方面に知り合いも多いしね」 「……」 「どう?」 「監視下に入るのは構わない」 「そう。良かった」 「だが、人の血を吸わねば生きていけない場合はどうする? 何か策があるの か?」 「ええ、心当たりがあるわ」 「どんな?」 「今は秘密。でも、確実よ」 「分かった。条件をのもう」 「決まったわね。じゃあ、行きましょう」 「ああ」  女は男を伴い、公園を後にする。  空は白みかけていたが、何とか夜明けには間に合いそうであった。 「そうだ、名前も聞いてなかったわね。私は沙和。潮月沙和(しおつき・さわ) よ。貴方は?」 「知らん」 「んー……じゃあ、ライ……雷(らい)って呼ぶね」 「勝手にしろ」