おいてきたのは烈しき想い ======================== 誕生 ---- 「どうだ、遥(よう)!」  部屋に、一人の男が駆け込んでくる。年の頃は20代半ば。  農作業の途中だったからか、首にかけた手ぬぐいに泥がこびりついている。  部屋の中には、女性が二人、赤子が一人。  赤子を産湯に浸からせ、体の血糊を拭き取っているのが産婆であろう。 「元気じゃよ。良い目をしとる」 「でも、一言も泣かないのよ」  心配そうな妻の声に、笑顔で帰す男。 「大丈夫、俺とおまえの子だ。きっと強い子に育つぞ」 「ひょひょひょ……律のような頑固者にならねばよいのう」 「ばあさん……一言多いんだよ」 「ひょひょひょ……じゃあ、私は失礼するよ」 「ありがとうございました」 「おう! ばあさん。後で改めて挨拶に行くぜ」  産婆は、そのまま赤子を妻の遥に渡し、手早く片づけてから家を出ていった。  しばし、愛おしそうに赤ん坊を眺めていたが、ぽつり……と律が口に出す。 「烈(れつ)」 「え?」 「うん。いいな。こいつは烈だ。どうだ?」  赤ん坊を抱き上げながら言う。 「ええ……良い名ね。烈……」 「よし、決まりだ。烈。大きく、強く育てよ……」  高く抱き上げても、表情一つ変えない、肝の据わった赤子であった。 幼少 ---- 「烈っ!」  向こうから、走って来るのは烈よりわずかに年上らしき少女。烈は5歳にし ては小柄な方だが、それと同じくらいの背丈しかないこの少女は、短身といっ ても良いだろう。  村外れの小高い丘の木陰で寝転がっていた烈は、上半身だけ起こして少女を 迎える。 「明(めい)か……なに?」 「『なに?』じゃないでしょう! どうして魚取りにこないの? 皆がせっか く誘ってくれたのに」  丘から見渡せる小川には、幾人かの子供たちが川で遊んでいるのが見える。 「べつに」 「何よ、別にって」 「魚取る必要なんて無いから」 「魚取り、楽しくない?」  ころころ、表情が変わる明。先ほどの怒ったような顔は、既に烈の気配をう かがうかのような顔になっている。 「楽しい……って?」 「えーと……」  逆に問われ、考え込んでしまう。 「遊んでいると、うれしくなったり、笑いたくなったりするでしょ?」 「しない」  しばし考えた画期的な答えを、にべも無く跳ね返される。 「うそっ! そんな事あるわけないよっ!」 「うそはついてない」  怒ったような顔から、感情が爆発しすぎで涙を流しはじめる明。対する烈は、 未だ無表情だ。 「うそっ!うそ……ひっく……」  泣き始めた明を横を、立ち上がって摺り抜ける。 「え……どこ……いくの?」 「かわ」 「遊びに……ひっく……行くの?」 「泣き止むなら遊びに行く」  その言葉を聞いた途端、明の表情が晴れる。 「ほんとっ? じゃあ、いこう!」 「……」  手を引かれるままに、烈は川へと向かっていた。 「ねえ……悲しいって事もないの?」 「ない」 「じゃあ、泣いたことは?」 「涙を流した事はある」 「どんなとき?」 「魚の煙の中に顔突っ込んだとき」 「……それ……違うよ……」 「じゃあ、泣いた事はない」 「寂しいね……」 「べつに」 「きっと、お母さんが死んじゃったときとかには泣いちゃうよ」 「そうかな?」 「うん……私は泣いちゃったもん」 「そう」  烈は、子供としては珍しく無表情な子であった。親の言う事は素直に従い、 他の子供とも余計ないさかいなどを自分が起こす事はない。  しかし、邑(むら)の子供の中ではいつしかはぐれて行き。自然と一人でい る事が多かった。 発心 ----  村は、ざわついていた。  森で狩りをしている若者が、全身血だらけで戻ってきたからだ。  この邑(むら)の王である邑長の館に運び込まれ、邑中の男達がその館に集 まった。  王とは、邑の土地神を祭る役目を持った一族の事であり、多くが土地神の子 孫である事が多い。  央華の土地は、人民には厳しい。それを守り、人の住めるような地域を維持 するのが土地神の役目だ。  それ以外にはほとんど何もしないため、祭っても何もせず、祭らなくなれば 祟られる神として祭られている事が多い。 「村長!」  館の奥には、その土地神を祭る祭壇がある。いま、王が土地神に伺いを立て てきた事なのである。  余程の力を持つ土地神でない限り、子孫といえど何の力の持たぬ王へ意思を 伝える事は不可能だ。 「いや……何もお答えくださらなかった」  実際には、声が届かなかっただけなのだが、それは致し方ない事であろう。 「どうするんだ……」 「これは、妖怪の仕業ですな。この傷、只の獣ではありえません」  運び込まれた若者の傷を看ていたこの邑一番の物知りは、そう診断する。 「とにかく、我々の手で守るしかない。森への出入りは禁止し、夜も見張りを 置こう。各自、合図合たらすぐに戦えるように備えて眠りについてくれ」  王の宣言に、その場にいる全員がうなずく。力の無い人々に出来る事は、そ れほどあるわけではない。 「ただいま」 「あ、あなた……おかえりなさい」  帰って来るなり、クワやら鋤やらを引っ張り出し、手の届くところに準備す る律。遥は怪訝そうな顔をしている。 「どうしたの?」 「これから、見張りをつける事になった。どうやら近くの森に妖怪がいるらし い」 「そんな……」 「いざとなったら、俺も邑の為に戦わねばならん。遥、烈の事は頼むぞ」 「……はい」 「とうさん」  部屋の中から、烈も起き出して来る。相変わらず、不安というものは表情に は無い。 「烈か……聞いていたな?」 「はい。僕は何をすれば?」 「母さんを守ってくれ」 「分かりました」 「ふ……相変わらずだな」 「……」  側によっていき、烈の頭に手を置く。 「烈……怖いか?」 「べつに」 「ふ……そうか。それで良い。お前はきっと、母さんのおなかの中に忘れ物し たんだな……」 「わすれもの?」 「ああ。いつか、見つかる筈のものだ。生きているものなら、誰もが持ってい るものだ」 「……」 「俺と母さんの息子なんだ。いつか、分かるときが来る」 「はい」 「律!いるか!」  背後の玄関が打ち鳴らされる。遥が開けると、そこには一人の男につれられ て明がいた。 「おう、どうした?」  中に招き入れようとするのを、明だけを中へと入れる男。 「俺は、見張りに行かなきゃならん。すまないが、これからしばらく明を預かっ てもらえないか?」 「ああ、お前のかみさん、死んじまったんだったな。いいぜ、なあ、遥」 「もちろん構いませんよ。明ちゃん、よろしくね?」 「あ……よろしくお願いしますっ」  ぺこりと頭を下げる明を見てから、男はもう一度頭を下げてから出ていった。 手には明かり用の松明と拍子木。 「気をつけろよ」  おざなりな言葉を投げかけてから、扉を閉める。 「何かあったの……あったんですか」 「ん? ああ、見張り当番ってのを作ったのさ。んで、今日はお前の父ちゃん が当番って訳だ」 「でも……」 「大丈夫よ、さあ、遅いのだし、寝ましょう」 「烈、布団入れてやんな」 「はい。ここ」  素直に従い、自分の布団の半分を開ける。 「じゃあ、火、消すわよ。お休み」 「おやすみなさい……」  ごそごそと、烈の布団に入りながら明が礼儀正しく答えた。  夏の夜ではあるが、大陸の夜は意外に寒い。  布団に二人入ったところで、暑すぎると言うわけではない。  静かに、両側の律と遥の寝息のような規則正しい呼吸だけが聞こえる。  烈は、目がさえていた。不安はないし、高揚感も無い。あるのは冷静な周囲 の分析。状況の変化による、自分の変化。  きゅっと、右手、明の寝ている方の手を握られる。若干震えているのが感じ られるほどの、小さな手。 「烈……」  そちらを向けば、明の方もこちらを見ている気配がした。  明かり取りの窓すら閉め切ってしまっている。月明かりは入ってこない家の 中は、真の闇となる。 「もう……ねちゃった?」  ささやくような声。息がかかるほど近くにいる。顔を寄り添わせて寝ていれ ば、そうなるのは必然である。 「ねてない」 「眠れないの?」 「うん」 「……こわい?」 「こわくはない」 「そっか……わたし……怖い……」 「大丈夫だ」  母親の言葉をそのまま使う。母が大丈夫といったのなら、それを信頼するの み。 「何が起こるのかな……」 「さあ」  冷たい答えに、手を強く握る事で反抗する。 「痛い?」 「いや、まだいたくない」 「こうしていても良い?」 「いいよ」 「ありがと……」 「寝た方が良い」 「うん……おやすみ」 「おやすみ」  また、静かになる。しばらくして、明の息も規則正しくなる。烈の手は明に 握られたままで、腕全体を抱きしめるように眠ってしまったため、身動きが取 れない。  自分の感覚が、変わって行くのを感じていた。呼吸を感じる。両親のと明の、 そして自分の。血液の流れを感じる。力を込めれば筋肉の収縮を感じ、心臓は 常に動き、肺は常に呼吸を促している。 「(きた)」  前触れも、根拠も無い。仙人として修行を少しでもしていれば、殺気の感知 などは基礎中の基礎。戦闘時の必須の条件である。  拍子木が鳴らされたのは、それから数瞬後。 「えっ?」  声を上げたのは遥。  逆隣で律が何も言わずに身を起こす。 「遥。行って来る。二人を頼むぞ」 「はい。気をつけて……」  ゆっくりと遥が上体を起こしたときには、律は静かにクワを持って扉を開け ていた。  静かに外に出て、扉を閉める。 「かあさん」 「あ、烈、おきてたの?」 「うん」 「明ちゃんは?」 「ねてる」 「そう……大丈夫。大丈夫よ……」 「……」  母の大丈夫は、自分に向けても発せられている。息子を守る使命でもって、 気丈を保っているのだ。  ワアアァァァ……  何処かで、人の声だか、なんだか分からない音が聞こえる。  一軒一軒の間が離れているため、隣で何かあっても、家の中からは何も情報 は得られない。  烈の殺気を感知できるのも、漠然と感じる程度である。壁の向こうの殺気の 数を当てるような芸当は、仙人の中でも気を扱う専門化でしか出来ない。 「なに?」  右腕にかかっていた束縛が緩まった。明が起きるのと同時に烈は立ち上がり、 寝間着を着替える。 「あら、明ちゃん、起きちゃったの?」 「はい……なに、この音……」  ワァァァァァ……  亡者の断末魔のような、おそろしげな音。明らかに負の感情を含んでいる。 何処かで、戦闘なり虐殺なりが起こっているのだ。  ズゥゥン!  隣で、何かが崩れる音がする。木の壁一枚隔てているので、正確の事はわか ら無い。 「きゃっ……な……なに?」  明が音に反応する。 「大丈夫よ……」  遥がそれをあやすように後から抱きかかえる。 「烈、ちょっと外に見てきてくれない?」 「わかった」 「そこから顔を出すだけで良いからね」 「うん」  戸を開け、家の外を覗く。最初に目に入ってきたのは、赤々と燃える炎。 「なんか……」 「外へ出よう。母さん。この家も燃える」  そう言ったと同時に、壁から炎が入って来る。既に外側から燃えていたのだ。 「きゃああぁぁっ!」  悲鳴を上げたのは明。 「明ちゃん。出るわよ!」 「いやっ……こわいっ」  差し伸べる手をふりほどく明。7歳になったばかりの少女に、この状況で冷 静を保てというのは難しい。 「明ちゃん」 「やああぁぁっ!」 「明!」  烈が戻ってきて、両手を固定する。力は意外に強く、明は振りほどく事が出 来ない。 「あ……烈……」  顔を近づけ、じっと目を見る。 「ここを出る。大丈夫だ」  そう言えば彼女が安心する事は、先ほど分かった。言葉が真実を伝えていな くても、彼女にとって落ち着くきっかけであれば良い。 「うん……」 「よし、行くぞ」  そういって、手を引いて立たせてやる。左手を明に握られてしまったため、 右手には戸を閉める為の棒を持つ。  3人で同時に家の外に出る。  死体が、死体と見えないのが幸いだった。ほとんどは何か別の物体のように 引き千切られていたし、黒こげになっているのもあった。  炎は夜の闇を無くし、血のにおいをごまかしてくれる。  何時からか降り始めた雨は、雷を呼び、絶叫をごまかす。  3人は、とりあえず人のいそうな方、川の方へ向かっていた。炎が渦巻く邑 の中よりも、幾分安全な筈だった。 「この建物の裏から、川だよ」  若干元気を取り戻した明がととっと2、3歩先へ進む。  烈や遥が壁の向こうを確認するより早く、彼女は建物の角から身を乗り出す。 「明ちゃん!」  遥の呼びかけは、無駄に終わった。烈の左手に、わずかな衝撃が伝わる。彼 女の小さい体が、胸から金属質の槍をはやして数歩後ろへ後ずさった。 「え……あ……」  何か言おうとして、烈の方を見る。答えの代わりに口から出たのは、大量の 血液。 「(敵か?)」  明の身体を引き寄せる。彼女の体重を片腕で引き寄せればそれなりの抵抗感 がある筈だった。最初の抵抗感は、一瞬でかき切れる。  ざぁっ  角の向こう、横合いから飛んできたのは、無数の針。それは、幼い明の身体 を直撃し、貫通して行くどころか、虫食んで行く。彼女の身体が跡形も無く崩 れ去るのも、一瞬であった。残ったのは左腕で引き寄せた彼女の右手。 「ひっ」  一瞬の恐怖から即座に立ち直れた遥には、母親の力強さを感じる。  人影が建物の影から姿をあらわす。恐らく、術を使って明の身体を粉々にし た者に間違い無い。 「烈っ」  遥は烈の体を抱きながら、まだ火が燃え移っていない家の中に飛びこむ。そ のまま烈を下にして倒れこむ。 「かあさん!」  どいてくれ……と言うよりも速く、家の天井がごそりと消え去り、無数の針 の雨が降り注ぐ。  金行の術法に、木行の存在である木の壁は防ぐ効果を持たない。金克木。木 は刃物によって切り倒される真理によって、木の壁は針の雨を防ぐ事は出来な いのだ。  母親に完全に体を覆われた烈に、怪我はない。身体にぬるぬるとした生暖か いものが滴り落ちて来る。 「かあさん?」 「烈……いいこと……周りが静かになるまで……じっとしてるの。貴方は良い 子だから……言う事、分かるわね?」 「はい」  胸に抱えられているため、遥の表情までは伺えない。覆っている遥の身体か ら、大量の血液が流れ落ちて来る。天井を破壊された為に、雨も同時に降り注 ぐ。  足跡と殺気は、しばし立ち止まってこちらを伺っていたが、烈にかかる遥の 身体の重さが増した瞬間に、殺気は別の物を探し始め、足跡が遠ざかって行く。  烈は、動かなかった。背中の地面から若干の痛みはあったが、彼が感じてい たのは、身体を伝い落ちる血液と、徐々に冷たくなって行く母親の身体だった。  雷鳴が立て続けに鳴り響き始める。雨は猛然と放り注ぎ、地面をぬらし、火 を止める。  明らかに自然現象を凌駕していた。時折、剣戟の音も聞こえ始めた。戦って いるものがいるのだ。 「(殺気が薄れて行く……にげたのか?)」  烈は既に冷たくなった母親の死体の下で、じっと待っていた。母親の最後の 言い付けを守る為に。  雨は止み、雷鳴は遠ざかった。日の光が射しこみ始める。  嵐の後の朝は、すがすがしいものであった。全ての汚いものを地上へ洗い流 したかのように。  静かになった。 「もう……いいか」  母親の身体を押しのけ、立ち上がる。母親の血を全身に浴び、どす黒く染まっ た服にも、傷はない。  壊れかけた家屋から外に出る。晴れやかな青空とは対照的な、凄惨な村であっ た場所。  火によって燃えている家だけでなく、土に潰されているものや、水に浸かっ ているものもある。死体の一つ取っても、こげているもの、切り裂かれている ものなど、いろいろだ。 「生き残りがいたぞ!」  上空からの声にすばやく身構える。右手の棒は離していない。  見上げた途端、上空に一人、地上から3人の人間が姿をあらわした。  上空に漂っていた甲冑を着込んだ男が、烈の前に降りて来る。  手には炎を模した穂先を持つ槍を持っている。 「この村のものか?」 「そうだ」 「……無事だったのは、お前だけらしい。我々がもう少し早く来ていれば、助 けられたのだが……」 「あなたたちは?」 「仙人だ。ある妖怪を探していてな。それも既に退治したが」 「そう……仙人……」  それを聞き、警戒を解く。彼らから敵意は感じないし、仙人が永遠の寿命を 得る為に善巧を行っている人たちだという事も聞いた事がある。 「ひどい格好だな。その腕は?」  いわれて見て、左手につかんでいたものを見る。この世に残った彼女の一部。 「友達だった」  そういって、手を放す。する……とぬけて、地面に落ちる。とさ……という 音は、ひどく軽く感じられた。 「動じないのだな。心を壊したか?」 「昔からこうだから」 「ほう……ふむ……」  近寄ってきて、瞳をじっと見詰める武人風の仙人。 「超羽(ちょうう)、どうしたんです?」 「こいつ、五遁の感情がほとんどられない。生きて心を持っているのが不思議 なくらいだ」 「父さんは、大切なものを母さんの中に忘れてきたって言ってた」 「そうか……お前、俺のところにこないか?」 「超羽、弟子を取るのですか?」 「弟子?」 「ああ、仙人となる修行をするのだ。行くところはないのだろう?」 「行くところ……は、ない」 「では決まりだ」  顔を離し、手を差し伸べる。烈は、小さい手でその手を取った。  この時、烈は6歳。これより花烈円(か・れつえん)の名を与えられ、道士 として修行に励む事になる。