折られた牙  放課後。けだるい授業も終わり、生徒達が開放される時間。俺は、窓枠に手 をかけ、空を見上げた。  青い空。『空の青さは、いつも変わらない』何処かで聞いたそんなフレーズ が、俺の頭に浮かんだ。あの時の空も、こんな青かったんだろうか? 「香川くん。」  廊下の向うから声がかかる。教室には、いつのまにか誰もいなくなっていた。 しかし、声をかけた主、瀬戸来智(せと らいち)は、中に入ってこようとし ない。なぜか、扉の陰に隠れ、別名『飛雄馬の姉さん』状態になっている。  俺が立ち上がると、扉の影から姿を現した。 「今日、バイトは?」 「今日は、休みをもらってるんだ」 「そう、めずらしいね」 「ああ、会いに行かなきゃならない人がいてね」  そこまで言うと、俺は彼女の側を摺り抜け、廊下に出た。彼女は、俺の後を 付いてくる。俺は、振り向きもせずに歩く。  昇降口まで来て振り向くと、そこには誰もいなかった。  ……なんなんだ……  昇降口を出ると、日差しが目に飛び込んできた。今日は、良い天気だ。  丁度、2年前になる。俺は、いきなり跡取りにされた。今までは気楽な次男 坊だったのが、いきなり跡継ぎ。成神流(なるかみりゅう)剣術の継承者だそ うだ。  それまでの俺は、剣術の修行も強制されていなかったし、年の近い兄さんに べったりの祖父だったので、ろくな技術があるわけではない。その日、兄さん を目の前でなくした日、俺は祖父に呼び出された。  祖父は、目の前で呆然としている俺を見下ろしながら、木刀を投げよこした。 「じいちゃん?」 「取れ」  短く。一言。 「どういうことだよ?」 「成神流を継ぐのは、お前だ。今まで怠けていた分、これから鍛え直してやる」 「何言ってんだよ! 兄ちゃんの葬式も終わってないんだぞ!」 「故人に慮して、自らの歩みを止める必要はない」  そういうと、自分も木刀を構える。その目はいたって冷静で、本気だ。 「構えろ。向かってこなければ、怪我をするぞ」  それだけ言って、踏み込んでくる。肩に強い衝撃。 「ぐっ!」 「剣を取って構えろ!」  更に打ち込んでくる。慌てて木刀を拾い……重い?  ドンッ! 「かはっ……」  拾おうと下を向いたときに、首筋を打たれた。その衝撃は、今から考えると 軽いものだったが、その時は命の危険を感じたものだ。 「その木刀は、兄は十のときから振るっていたぞ!」 「無茶苦茶なっ!」  俺は、重たい木刀を取って立ち上がった。  結局、俺が我慢できたのは半年だった。道場を継ぐ事に異論はなかったが、 俺の命を救って死んだ兄貴を「未熟」と称する祖父を許す事は出来なかった。  道場を抜け出し、付き合いのあった友人のところを頼った。学校は、家から 逃げるための場所だった。中三の5月。  その時、俺はだれかれ構わずに当たり散らしていた。鞘を持たずに抜き身を 持って、人を斬りつづけていたようなものだった。いつしか、俺と友人とは、 「飛天」と呼ばれる喧嘩のコンビを組むようになっていた。 「あきらちゃん!」  いつも纏わりついていた、3つ年上の女性。麻衣さん。兄貴の彼女で、親同 士が取り決めた婚約者だ。剣術道場の婚約者らしく、気丈で、実力もあった。 「……」  彼女の呼びかけに、いつも鋭い眼光で返す。「頼む」とは、兄貴の最後の言 葉。あの純粋な兄貴が、俺の気持ちを察していたとは思えない。俺は、彼女が 好きだった。そして、もう俺は「頼む」と死んでいった兄貴を超えられない事 も分かっていた。 「また喧嘩?」 「……」 「そんなに人を傷付けて楽しいの?」 「……向かってくるから相手をしているだけだよ」 「でも、いつもやりすぎているじゃない」 「……」  何も言わずに、バイクに跨る。免許はない。 「ちょっと!あきらちゃん!」  俺は、そのまま走り去った。彼女の声と視線から逃げるかのように。  その日の相手は一つのチーム。ガキ共が集まっただけの集団だったが、最近 このあたりでいろいろと悪さをしている。チーム内は、たばこ、シンナー、ド ラッグ、何でもありだ……と聞いた。  夜中の道路が戦場となる。俺から見れば、全員素人。負ける要素は何も無い。  あれから1年。俺は、強かった。強いと思っていた。祖父に鍛えられたから ではなく、自分の力で強くなったと思っていた。中三の11月24日。運命の 日。 「あきらちゃん!」  喧嘩が収束しつつあるときに、見慣れた声が夜空に響く。 「な!……なんでこんな所に!」  一瞬の油断。後頭部への衝撃。朦朧。  あの時……いつもそう思う。自分が油断をしなければ、もっと早く動けてい たなら。この日の喧嘩を買わなければ……。  ドラッグでイッたガキの駆るバイクが、後ろから突っ込んできた。軽い衝撃 にたたらを踏む。今まで俺の居た場所には、麻衣さんの姿。  左手を伸ばす。思わずつかんだバイクの前輪。そのまま地面へと押し付けら れ、手のひらが奇妙に歪む。しかしバイクは止まらない。彼女に向かって……。 「あきらちゃん……へいき?」  腕の中でか弱い声をかろうじて出している麻衣さん。俺は、うなずく事しか 出来なかった。  咳と共に、血を吐く。折れた肋骨は肺に刺さっている。 「ごめんね。ずっと一緒に居たかったけど……」  またもや喀血。息をするのもつらいらしい。 「大丈夫……。大丈夫だから……」  にこり……と笑うと、彼女の身体から力が抜けた。  目を覚ました病院で真っ先に告げられたのは、「勘当」という事実。俺は、 素直にそれを受けた。  結局、俺の左手と彼女の命は戻らなかった。俺は父方の親戚の家に厄介にな り、1年間浪人して御園の全寮制の学校を選んだ。普通の高校に通って、いつ までも居候は出来なかった。そういう意味で、入学金をためつつ、奨学制度を 採れるまで勉強した。  蛍雪学院。俺の一人の生活が、ここから始まった。  11月24日。ここにくるまでに日は傾き、夕日が赤く燃えている。  兄貴の墓に軽く挨拶した後、少し離れた麻衣さんの墓の前にくる。  ひざまずきはしない。首も垂れない。彼女は、それを望まないと分かってい た。  この夏。自分が一人でない事を認識した……。京都。そこには、もう一人の 俺が居た。麻衣さんが居なければ、俺は彼女と同じようになっていただろう。 「弁護士に、なろうと思う」  一言、報告。先の事は分からない。だから、何か決めるたびにここへこよう。 自分の決意と、自分がなるかもしれなかった人たちを守るために。