見えない翼 ==========  ……こんなはずじゃあ無かった……。  俺の部屋、風呂場からはシャワーを使う音がする。  水道代は、2ヶ月ほど滞納している。年越したら止められるだろう。  ……こんなはずじゃあ無かった……。 「おーい、タオル借りるからねぇ」  風呂場から、明るい声。食事をして元気が出たらしい。俺の今年の最後の食 料を全部食ったんだ、そりゃ、元気も出るだろう。あと一週間、こいつでしの ぐ予定だった。  ……こんなはずじゃあ無かった……。  クリスマスの夜、バイト代をはたいて買った彼女へのプレゼントは、彼女の 目の前で川に投げ捨てた。振られた俺の、つまらない見栄。  あれ売れば、今年をしのげたかもしれないが……。  ……こんなはずじゃあ無かった……。 「ありがとう……たすかったよ」  家への帰り道、雪の降る道で倒れてる少年を“拾った”。あのまま捨て置く 事なんか出来なかったし、周りに人は居なかった。  ほんのちょっと、介抱したら追い出すつもりだったのに……。  ……こんなはずじゃあ……っ! 「ん?」  目の前で、ちょこんと座るそいつ。セイ……と名乗ったそいつはタオルを肩 に掛けてこちらを見ている。  汚れを拭けば、結構奇麗な顔立ち。美形……というには幼さが残るが、良い 男には違いない。 「ん? じゃねえっ。用がすんだら、さっさと出てけっ」 「そんな事言わないでよ、もう、終電も終わっちゃったしさあ」  そりゃ、そうだろ……終電ぎりぎりに帰ってきて、それから一週間分の食料 を食いつぶしてたんだからな。 「だいだい、何処のお子さんだっ? 家に電話して迎えに来てもらえよっ」 「無理だよ。僕、天使だもん」 「てんしぃ? この科学の時代に、なぁにが天使だっ」 「はね、見えないの? 信仰心が薄い証拠だねっ」 「神様なんざ、今日の日の入りと一緒に捨てたんだよっ」 「なんだ、だったら、今日の朝までは信じてたんだ。今時珍しいねっ」 「うるせぇっ」  そう言って、部屋の片付けを始める。  つきあって俺も食事は済ませたから、もう寝るだけなんだが……。 「あ、お布団敷いとくねー」  ……こ……こいつ……。 「ほんとに天使だったら、何でこんなとこにいるんだよ」 「……」  返事はない、振り返ってみると、布団は敷き終わり、その上に座ってうつむ いているセイ。表情は、さきほどとはうってかわって、笑みは全く見えない。 「おい……」 「大人にね、ならなきゃ行けないんだ、僕」 「は?」 「天使は、大人になるのか、性別が出来て人となるのか、決まる時期があるん だ。僕は、普通ならとっくに決まっているところなのに、そういった変化が現 れないのさ」  おいおい、真剣な顔してるが、話してる内容はひたすらイッてるぞ……。 「ああ、そうか……」 「やっぱり、信じて……くれない?」  そう言って浮かべる表情が、切なく、今にも泣き出しそうで……。 「いや……俺は……」 「なーんてねっ」  いきなり、ころりと変わった表情で、俺は、次の言葉を飲み込んだ。 「なっ……」 「えへへー……信じた? 今、『信じる』って、言おうとしたでしょー。単純 だねー」 「てっ……てめぇ……」 「あー。もう眠いっ。んじゃっ、おやすみー」  ……そのまま布団をかぶり、速効で寝息を立て始める。  ……こ……このガキャ……。  ……しかも、一つしかいない布団を一人で引っかぶりやがって……。 「すー……くー」  ……寝息……本気で寝てやがる……。  ……こんなはずじゃあ、無かったのに……。 「おはようっ。朝だよっ」  タオルケットにくるまっていた俺を見下ろし、元気な声が聞こえる。  さ……寒くてほとんど寝られなかったぞ……。 「おーい、おきろー」  目を開ける。……っつう……瞼と連動して頭に響く。 「あれ? どうしたの?」 「げほっ……ごほっ」  答えようとして、出たのは咳だけ。咳をして更に頭痛が増幅される……。 「風邪? 全く、普段から不摂生だからねー。あ、熱あるねぇ」  ……て……てめぇ……。  言い返す気力も無い。  バイト行かなきゃ、年越す金もねぇってのに……。  俺は、そのまま眠りについた。  トントントン……という、昼のメロドラマにありがちの包丁を使う音で、目 を覚ました。  俺は、起き上がって、周囲をみわたす。  部屋は片づけられていた。  机の上の封筒は、母親からのいつもの仕送り……。中身は、無い。 「あ、起きた?」 「なに……やってんだ?」 「ごはん作ろうと思って、買ってきたよっ」 「……」 「ん?」  熱は、下がっている。外は夜。一日中寝ていたらしいな、バイト、無断欠勤 か……。一度でも無断欠勤すればクビだって言ってたな……。  この時期の仕送り。こいつは、里帰りの為の資金。年越し位家族で過ごそう という、母親の想い。 「出てけ」 「えっ?」  一言。それ以上は必要ない。真っ直ぐに玄関を指差す。  その表情を読めないほど、奴も子供ではなかったらしい。 「……ごめん。はしゃぎすぎた……。あと、お味噌入れて味整えるだけだから ……」  そう言うと、エプロンを外し、奇麗にたたんで机の上に置く。  沈んだ表情のまま、靴を履き、玄関のドアを開ける。  冷たい空気と一緒に、雪が部屋の中に入ってきた。雪は、部屋の温度ですぐ に暖まり、消える。  玄関を出て、最後に俺の目を見る。俺の表情は、先ほどから変わっていない。 「さよなら……ありがとう」  ぱたん……と、玄関は閉じ、外の空気は入り込まなくなった。 「くそっ」  コトコトうるさい鍋のガスを切り、食卓に並べられた料理を横目に布団の寝 転がる。  寝転がった所で、奴を拾ってからの事が思い出される。  全く、とんだ聖夜だぜ!  いくら腹が立っても空腹はやって来る。  味噌汁に最後の仕上げをし、食卓に並べられた料理に箸をつける。  ……ふん、上手いじゃないか。まあ、材料費は実家まで戻る交通費なんだ。 上手くてあたりまえだな。  っと、こいつ食ったら、本格的に年越す算段たてねーとな。今日やる予定だっ た日雇いのは、そのまま即日で金になるからな。もう一回頼んでみるしかない だろ……。  電話を手に取り、オーナーへ電話を掛ける。 「はい、○○」 「あ、すみません。今日行く予定だった……」 「ああ、お金だったら、セイくんに渡しといた筈だろ?」 「え?」 「彼、慣れてないなりにがんばってたからね。明日は、君が出てこれるのかい?」  セイ? って、奴の事だよな……。いったい……。 「あの、今日、俺、風邪引いてて」 「ああ、聞いてるよ、それで、かわりにセイ君をよこしてくれたんだろ? い や、最近の若者にしちゃ、大したもんだ。また頼むな」 「あ……はい……」  俺のかわりに、バイトいってたのか……じゃあ、この食事、その金で?  そこまで想像して、俺は交通費のある場所を思い出す。そうだ、封筒からさっ さと抜いて、別の場所に……。 「あった!」  帰郷の為の交通費もある。じゃあ……。 「ちくしょうっ!」  馬鹿は……俺か……。寝ぼけてたじゃすまねぇぞ……。  部屋を飛び出し、降り注ぐ雪に慌ててコートを引っかぶる。この雪……昨日 よりひどいぞ。これで一晩外に居たら、ただじゃ済まない……。 「ちぃっ」  自分の愚かさを呪うのは、あいつに謝ってからだ!  道端に倒れる人影を見つけたのは、最初にあいつと出会ったところから、そ れほど離れていなかった。  駆け寄ると、髪型、顔立ちは似てるけど……女?  胸の膨らみは薄着のせいかはっきりと分かる。顔の輪郭も、セイは中性的だっ たが、彼女には明らかに女性を感じる。 「あ……きて……くれた?」 「え? あの……」 「えへへ……ボク、女の子に……みえる?」 「セイ……なのか?」  セイは、こくりとうなずく。そのまま、目を閉じてしまう。抱きかかえると、 熱い?! 熱が出てるな……。 「待ってろ、今、病院に!」 「待って……病院は……」 「んな事言ってる場合か?」 「大丈夫……ボク……天使だから……」 「……こんな時までっ」 「だから……」 「……とにかくっ。俺の部屋に戻るぞ」 「……うん」  そのまま、抱きかかえて俺の部屋にいく。昨夜より重く感じるのは、風邪で 俺の体力が無くなっているだけが原因じゃないだろう。  玄関に入り込み、雪を払ってから布団を敷きなおす。幸い、雪だったせいで 服はさほど濡れていない。 「ねえ……」 「あ? 今医者に来てもらうから、ちょっと待ってな」 「医者……要らない。それより……」  電話を取る俺の手を抑え、こちらを見る。目の前で覗かれた、熱で潤んだ美 人の瞳。元々の顔立ちは、それほど変わっていない。しかし、纏う雰囲気と、 上気した頬が、一層美しさに磨きを掛けていた。 「ボク、女の子に見える?」 「あ……ああ」 「ほんとに?」 「ああ、その……奇麗だよ……」 「……うれしい……な。君に、そう言ってもらえるなんて、思ってもみなかっ た」 「本当に……」 「天使じゃないよ。冗談だってば」 「でも……」  あの軽口、冗談に思えなかった。現に、昨晩の少年ではなく、今のセイは明 らかに「女性」だ。 「っと、そんな事より、ごめんな。謝らなきゃいけないんだ。俺、早とちりし ちまって……」  それに、セイは微笑で返す。その笑みに力は感じられない。 「悪いと思ってる?」 「ああ」 「じゃあ、ボクのお願い、聞いてくれる?」 「……お願い?」 「うん……」  なんだってんだ? また冗談で……って表情じゃない……。 「ボクが、本当に女の子か、確かめて欲しいの」 「え?」  思考が停止する。  確かめる……って、どうやってだよ……。 「抱いて……」  俺が、その言葉を理解するのに、たっぷりと十数秒かかった。 「セイ?」  その瞳は、真剣そのもの。冗談を言っているようには見えない。  ゆっくりと、目を閉じるセイ。何を待っているのか、俺にだって分かる。  昨日まで、恋人だっていたんだ。そう言う事が無かった訳じゃない。 「あの……いいのか?」  我ながら間抜けな台詞。  女の方からこんな形で迫られたのは始めてだから……とは、言い訳だな。  こくん……と、うなずく。いまだ、目を閉じてじっと待つ。すこし、瞼が震 えているのは、目を閉じたままで待つ事への不安感からだろう。  目にかかった前髪を払い、その手を耳たぶへと移しながら、優しく口付けを する。  ぴくん……と、一瞬硬直するが、すぐに力を抜いた。  触れるだけのキスはすぐに離し、頭を抱えるように抱きしめてやる。 「あ……」  ちいさいを声をあげるが、それ以上は抵抗を見せずに、俺の胸に体重を預け て来る。 「もう、止まらないぞ?」  ここから先へ進んだら……という意味である。 「うん……優しくしてよね。いちおう、はじめてなんだぞ」  気丈にも見える、いつもの元気の見える口調。  俺は、覚悟を決めて布団にゆっくりと押し倒した。 「おはようっ。あさだよっ」  元気な声。すばやく目を覚まし、隣を見ると、着替えている最中の彼女。  あ……。 「あ、もうっ。着替え中ですっ。もうちょっと待っててねー」  そう言って、俺の視線から逃げるように、背中を向く。その背には、天使を 思わせる、白い……白い翼。 「天使……か……」  ふと、手に取れそうで、手を伸ばす。触れる寸前で、その翼はふ……と、消 えた。 「もう……あれは冗談だって言ったでしょー」 「見えたぜ、いま」 「見える訳無いってば」  いいんだよ、俺にだけ見えていれば。  朝日の中で笑う俺の天使は、この世で一番美しいと思えた。 END