房中術 ======  新宿の裏路地の酒場、そこは、立ち寄る客もほとんどいないほどに人気が無 かった。  この酒場は、いつもほとんど客がいない。開店時間は、夕方から明け方。  客がいないのには理由があった。並みの客は、ここには入る事はおろか、認 識する事すらできない。これで、“普通の”政府機関や警察機構の目を逃れて いるのだ。  では、どのような客が来るのか? 並みの客がこれない酒場には、並でない 客が来るのである。そう、都会の影に潜む、さまざまな能力を持った“術者” 達。彼らが裏の世界の住人が、この酒場の客であった。  その女主人、真央(まお)。長い黒髪を携えた絶世の美女である。年の頃は 20代後半に見えるが、実際のところは良く分からない。  裏の世界の人間たちが、仕事をもらいに来る酒場に、このような美女がいる のは、どう考えても不思議な事であったが、それゆえ、彼女の実力も、推して 知るべしであろう。  今日は、仕事の報告待ちだった。最近復活したヴァンパイアを退治すると、 勇んでいた一人の少女に、呪符を与えた。その結果が、そろそろ来る筈なのだ が……。  少し……遅い。少女の初陣だけに余計な気を回しすぎているのかもしれない が……。  真央は、カウンターの席に座り、手に持っていたウイスキーの入ったグラス を傾けた。  カラン  鳴ったのは、ドア鈴の音。一人の男が入ってくる。見たことが無い、新顔ら しい。真央の目には、両腕のリストバンドが、妙な輝きを帯びて見える。裏の 世界の住人である事は間違い無いようだ。  男は、下品な笑みを浮かべ、女主人を見据えた。目の前にいる女性との『楽 しみ』でも想像しているのだろう。体格は、大きくはないが、筋肉はついてい るようだ。発散する闘気を隠そうともしない。この酒場に入ってこられるのだ から、そこそこの術者である事は分かる。 「光の呪符師、真央だな?」  男は無造作にカウンターへ行き、真央の隣に腰を下ろす。遠慮のかけらも無 い。 「……」 「今度の仕事に、お前の呪符(フダ)を使いたい」  そう言って、札束を取り出し、無造作にカウンターに叩き付ける。力が余っ ているのか、見せ付けているのかは知らないが、無駄な動きだ。 「断るわ」 「なんだと!どういう事だ!」 「……なんとなく」  真央は男と話す気も起きない、その程度の奴だ。こんな奴の相手をするのな ら、一人でいた方がましであるとすら思った。 「上等だ!何なら、力ずくでもいいんだぜぇ!」  男は、そう言って腕まくりをする。腕のリストバンドが、淡い光を放つ。今 度は、真央の霊視によるものではない。実際に光を放っているのだ。 「この、『剛力の腕輪』は、俺の力を数十倍に跳ね上げるんだ!これで殴られ たら、たとえビルでも崩れるぜ!」  効果はともかく、ネーミングセンスは最悪である。その声を聞いて、真央が 始めて動きを見せた。ただ、立ち上がっただけだが。  店の空気が変わった。エアコンはしっかりと整備されているにもかかわらず、 室温は氷点下まで下がる。しかし、店にある水や酒は凍らない。空気中の水分 は結露を通りこし、ダイヤモンドダストとなって店の中に漂った。 「お? なんだ?」 「私の能力は、光の呪符だけじゃないのよ。それすらも知らない貴方には、私 の呪符など使えないわ」 「おもしれぇ!」  男は、嬉々とした顔をし、襲い掛かってきた。真央の周囲に、光の壁が現れ るが、難なく叩き壊す。ビルを砕けると言うのも、あながち嘘ではないらしい。 あの壁は、銃弾くらいならやすやすと受け止められる強度を持っているのだか ら。 「かんねんしな、俺の勝ちだ」  両腕を取られ、若干浮かされて身動きが出来なくなる真央、足は自由だが、 だからといって何かが出来るわけではない。蹴りを繰り出したところで、体術 ならば男の方が勝っていた。 「分かったわ、好きになさい」  真央には、男の次の反応すらも手に取るように分かった。自由を奪った女に 好きにしろ、と言われれば、下品な男の考える事などあまり無い。 「おとなしくしてりゃぁ、痛くはならねえぜ、気持ちよくなるだけだ」  三流のAV男優のような台詞をはきながら、スカートをずり上げ、舌なめず りをする。  足が地面を取り戻すが、真央が逃げるようなそぶりは見せない。 「待って、ちゃんとしたいわ」  冷たい笑みを浮かべ、手を振り払って自分から脱ぎ出す。男も、いそいそと 来ているものを脱ぎ始めた。  双方とも、下着だけの姿になる。男は部屋の氷点下にわずかに身震いするが、 真央の方は特に寒がる様子はない。 「いいわよ」 「よし、いくぜ!」  二人は、しばらく抱き合っていた。下着姿の男女が行き着くところは、それ ほど多くない。じきに、男は真央の上にのしかかり、荒い息を上げ始めていた。 「ど、どうだ?」 「……」  真央は、目をつぶって、何かに耐えているように見えるが、内部の気は増幅 している。男は、それに気付いていない。 「そろそろね」 「何のことだ? ……うおっ!」  突然、男のからだが痙攣する。その顔は、快楽ではない、苦痛。体内の気が 異常に乱れ、リストバンドも光を失う。 「こ、の」  何とか離れようとするが、体は自由に動かない。 「まだしゃべれるの? 思ったより気の量は多いわね、でも、使い方がなって ないわ」 「う、うぅ……」 「覚えて置きなさい、今回は初犯だから殺さないでおいて上げる。こういう技 もあるのよ」  そう言うと、不意に男から体を離し、さっさと奥に入る真央。しばらくする と、奥から、シャワーの音が聞こえてくる。店内の室温は、いつのまにか元に 戻っていた。  術者でなくなった男では全裸で氷点下に長くはいられない。真央が殺さなく ても、凍死してしまうだろう。  男は、しばらくするとふらふらと立ち上がり、逃げるように店を出ていった。 その姿から、入ってきたときのような闘気は感じられない。腕輪も光を失った と同時に、男の腕から逃げるように転がったままだ。  男の気は、コントロールが出来ないばかりでなく、明らかに減少していた。 もう、裏の世界で仕事を続ける事はできないだろう。 『房中術』  房中とは、寝床や部屋と言う意味を持つ。つまり、男女の交わりによって、 自分や相手の気をコントロールする術の事だ。一時的に相手の気を増幅する事 も出来れば、永久に相手の気を減少させる事も出来る。もちろん、減少した気 を回復させる事も可能だ。  古代には、高名な術者の家にはこの術を受け継ぐ娘が代々付き従って、術を 行使していたと言う。  店の奥から、シャワーの音が消えてしばらく経ってから、真央が現れた。 「お代は腕輪とそこそこの気……ちょっとサービスしすぎたかしら?」  くすりと笑ったその顔は、ぞくりと寒気を覚える微笑だった。