Hommage for the Black Rod.

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登場人物

海場澤隆:主人公
カリーナ:魔工庁第十三特殊技科一級魔女技官ウィッチ・クラフト・オフィサ三二
三柳理彩:主人公の同級生
小峰慎一郎:主人公の親友
空蝉サチカ:魔工丁魔術調査課員。隆と同行して任務にあたる
今村岳史:主人公の親友。風紀軍の情報部に所属するハッカ
桐壷奈々世:生徒会の副会長を勤める女生徒
帚木:生徒会の渉外担当

本文

1 戦闘開始

「……参ったね」
 “瘴気濃度四〇パーセント 東京の瘴気は本日大変上昇しています。それに伴い中級悪魔ミドル・デーモン出現率が危険域に達しておりますので、外出はお控え下さい”とテレビから陽気なお天気キャスタの声が聞こえる。
 午前中の授業をさぼって午後から登校しようと思ったら、昼過ぎから急に瘴気濃度が上がってきた。今日の午後の授業は、あと一回欠席したら単位を落とすことになってしまうギリギリのところなのに、だ。しかも必修科目だからこのままでは、恥ずかしことに高校生で留年と言うことになる。
「……参ったね」
 となると危険を承知で無理矢理登校するしかない。運良く中級悪魔ミドル・デーモンに出会わなければ問題ないだろう。しかしもし出会ってしまったら、大変なことになる。俺だって、学校で一通りの戦闘術は肉弾フィジカル魔法マジカル共に習っているが中級悪魔ミドル・デーモンってのは高校生レベルの能力では手に負えるものではない。普通ならば、対悪魔戦闘術デーモニック・コンバットをみっちりしこまれ祝福特殊装甲B・S・Aを装備した聖機動隊ホーリー・オーダの一個小隊は必要な相手なのだ。
 そんなことは分かり切っているが必修科目の単位を落とすのは致命的だし、幸い昨日の授業で使った呪術戦法衣スペルド・ジャケット等一式の装備はあるので丸腰というわけでもない。
「まっ、どうにかなるだろ。瘴気濃度四〇パーセントなら、中級悪魔ミドル・デーモンの出現率は全国で日に一〇体ってところだしな」

 学校までの道程は、自転車で二〇分丁度。特にこの時間ならば、道は空いているので速度を気にしないでも十分に間に合うところだ。瘴気濃度が高い今日のような日ならば、警察が巡邏している大きな道を通った方が安全だが、そうすると遠回りになってしまう。
「こんな理由で単位落したら母親に殺されちまうしな」 そうぼやきながら、自転車を漕ぐ。俺の母親は、全世界に一〇二四人しか存在しない教会公認聖母オフィシャル・マリアだ。教会公認聖母はその絶大な信仰心のため、微笑むだけで中級悪魔ミドル・デーモンをも浄化してしまうほどの神聖値キリエスを叩き出す司祭たちの事だ。こと俺の母親の場合、教会公認聖母になる前はカトリック教会所属の戦闘司祭コンバット・シスタだったので尚悪い。
 そんなことを考えている間にも必死に自転車を漕いだ。母親だけではなく、俺の家族は皆始末が悪い奴らばかりなので、とにかく留年だけはさけなければならない。だいたい高校で留年なんてのはどうも格好が悪い。
 流石に瘴気濃度が高いだけあって、道ばたには陰気に惹かれてノコノコ顔を出した低級霊ポルターガイストだの、人通りが少ないのをいいことに通りに現れては、様々な場所にはた迷惑な呪いをかけている小悪魔インプなどが大量に出現している。殆ど自意識を持っていない低級霊はそもそも人のに触れると逃げ出すし、ちょっと戦闘訓練を受けた人間ならば小悪魔程度ば簡単に撃退することができるので、やはりあいつらも人間の目を避けるようにする。しかも俺みたいに呪術戦法衣スペルド・ジャケットを着ている人間ならば尚更だ。
 一方で普通の人間ならばこんな日には外出しないようにするものだが、そんな人間の中にも闇を好み瘴気を糧とする奴らもいる。もともと瘴気の濃い場所に住んでいた連中なんかは、瘴気の影響で半ば魔化していたりするからたちが悪い。そういう連中にとっては今日みたいな日は気持ちが良いに違いない。
 ――ん?
 坂の下にある三叉路の脇から、妙な格好をした少女が現れた。どうも制服みたいだが、このあたりにはあんな制服の学校は無い。その少女はくるりと俺の方を振り向いてにっこり笑った。
海場澤隆かいばざわりゅうさんですね」
「……まずは君が名乗るんだな」
 なんだか嫌な予感がする。
「すみません申し遅れました。わたくし、魔工庁第一三技科一級魔女技官ウィッチ・クラフト・オフィサ三二。通称カリーナと申します」
 魔工庁といえば、日本の魔法技術を司る公的機関である。しかも魔女技官ウィッチ・クラフト・オフィサはその中でも門外不出といわれている特殊技能者達だ。彼女達の能力は一般には全く知られていない。
 比較的信憑性が高い噂では魔女技官ウィッチ・クラフト・オフィサ達はなんらかの形で魔族の血を引く亜人デミヒューマンだと言われていた。それ故に高い魔法的才能を有しているのだとか。
「で、そんな魔女っ子さんがなんの用だい」
「魔工庁に協力して頂きたいのです。現在私達が抱えている問題がありまして、それを解決するためには、偉大な両親の血を引き継ぐ貴方の能力が不可欠と判断しました。当然ですが報酬はお払いいたします」
 こいつら俺のことはしっかりと調べているようだ。しかも虎の子の魔女技官ウィッチ・クラフト・オフィサを出したということは重要な事に違いない。
「悪いが、興味無いな」そういって俺は、少女の横を通り抜けようとした。
「話を最後まで聞いて頂ければ、私達魔女技官ウィッチ・クラフト・オフィサと貴方は、目的と利益が噛み合っているという事実を理解して頂けると思います。それから学校の方にはこの件で海場澤様は遅れるという旨をご連絡していますので、授業についても問題はありません」
「それは分かった。だけどあんたらに協力するつもりは微塵も無い」
 ただでさえ役人が嫌いなのに、何をやっているか一般に公開していない奴らなんてなおさらだ。
「貴方に協力していただけないの、三柳理彩さんの命を助けることができない――と言ってもでですか?」
「…………」
「非常に残念な事ですが、今回の瘴気嵐が原因で理彩さんは今危険な状態にあります。具体的には憑依段階三、中級悪魔ミドル・デーモンによって肉体及び精神を完全に乗っ取られた状態です」
「――三柳が」
「現在は理彩さんの身柄を第一三技科で引き取り、強制ギアスを掛けた上で物質空間、アストラル空間、イセリアル空間に及ぶ結界内に安置しています」
 普通ならば憑依段階が三を超えた時点で聖機動隊ホーリー・オーダによって被憑依者の肉体ごと完全に破壊されるはずだ。
「俺と取引するためにわざわざ三柳を助けたのか」
「そういった側面が全く無いとは申しません。しかし海場澤さんとの交渉が主たる目的ではありません。詳しくお話しすることはできませんが、今回理彩さんの身に起こったことは極めて珍しく魔工庁としても見逃すことはできなかったのです」
「三柳は確かに俺の友人だが、魔工庁の中でも特に異端視されているあんたらと取引して自分の命を危険に晒したくは――」
 俺が断わろうとした瞬間、曲がり角の向こう側で瘴気が瞬間的に膨れあがるのを感じだ。カリーナと名乗る少女もそれを感じたのか、後ろを振り返り一瞬様子を窺った。
「海場澤さん、ここは危険です。話を聞いて頂くにしろ、断わるにしろ移動しましょう」
「一体なんだって言うんだ」

 ゴァァァァァッ

 角の向こうから獣のような雄叫びが聞こえた。その音声は恐怖の波を伴って周囲を伝搬し、心臓を鷲掴みにされたかのように一瞬体がすくむ。
「破っ」
 全身の気を臍下丹田せいかたんでんに集中し、一挙に解放することでまとわりついた瘴気を払うと同時に瞬間的な金縛りからも逃れた。
「練気法ですか。お若いのに流石ですね。しかし、中級悪魔ミドル・デーモン鳥悪魔ヴロックが相手では分が悪いでしょう」
「確かにな――」
「糞っ、なんでこんなところに鳥悪魔ヴロックが」角の向こうから知った声が聞こえた。それを聞いて少女もハッとしている。
「悪いな嬢ちゃん。どうも俺の友人が鳥悪魔ヴロック相手に苦戦しているらしい。逃げるわけにはいかなくなったよ」
「無茶です。ご友人には申し訳ありませんが、無駄死にするくらいなら――」
 そんな少女の声は無視し、懐からグロック17を抜きながら角まで走る。鳥悪魔ヴロックの特徴的な姿を認めた瞬間、『近代兵器学』の授業で習った通りに両手で銃握グリップをしっかりと包み込むように握り、きっかり一一回引き金を引いた。
 弾《ダン》、弾《ダン》、弾《ダン》、弾《ダン》、弾《ダン》、弾《ダン》、弾《ダン》、弾《ダン》、弾《ダン》、弾《ダン》、弾《ダン》。
「通常悪魔デーモンは高い物理防御能力を持っているので銃器による攻撃はありませんよ」俺に追いすがってきた魔女技官ウィッチ・クラフト・オフィサがご丁寧に説明してくれた。
 しかし今俺が使った弾丸は、護身用に生徒会から全生徒に支給されている対悪魔用聖祝銀弾ホーリィ・ポイントだ。うまくいけば効果があるだろう。
「む、海ちゃんか。助かるぜ」
「大丈夫か小峰」
「なんとかな。体術だけならこの小鳥様は大したことないぜ」
 などと簡単にこいつはいっているが、鳥悪魔ヴロックの動きは素早く、俺にはそんなに簡単な相手には見えない。
「クラス一の徒手空拳使いは言う事が違うな。問題はやっこさんが使う魔法の類だ。不浄爆アンホーリー・ブライトなんて撃たれたらたまらねぇ」
 そう言いながら、俺は鳥悪魔ヴロックが小峰の動きに捕らわれているうちに、後ろ側に回り込んだ。それに気がついたのか奴は巨大な鈎爪を素早く突き出してくる。ホルスタにグロッグ17を仕舞いながら、バックステップでそれを交わし相手の腕が伸びきったところで、腰に佩いた日本刀を抜きながら一閃。
 シャアアアアアッ。
 ボトリと不快な音を立てて鳥悪魔の手首から先が落ちた。が、抜刀直後の一瞬の隙を狙って今度は逆の腕を使い抉るように薙ぎ払ってくる。抜刀の慣性が残っているため、俺はかわす事ができない。
「ちっ」
 やられるかと思った瞬間、悪魔の鳥面に強烈な回し蹴りが決まり巨体が三メートルほど吹っ飛んだ。
 翼を広げ低空で体勢を整えた鳥悪魔ヴロックはすぐに左手に魔力を始めた。
「しまった。距離を詰めろっ」
 一歩の差で鳥悪魔ヴロックには届かず、二人とももろに不浄爆アンホーリィ・ブライトの直撃を食らった。
 痛みに耐えながら、更に踏み込み一文字に斬り払うが手応えがない。
「海ちゃん! 後ろだ」
 慌てて振り返ると目の前に鳥悪魔ヴロックの鈎爪があった。
「くはっ」顔面を斬り付けられながらも右手に持った刀を全力で突き、当たった反動を使って後退する。
「まじいな。こりゃ」
「おい小峰」額から流れる血を裾で拭きながら俺は言った。「少しだけあの鳥野郎の注意を反らせるか。そうすれば俺が一撃でどうにかする」
「少しってどれくらいよ」
「一〇秒」鳥悪魔ヴロックとの距離を開けすぎず詰めすぎないように間合いと取る。
「五秒に負けてくれ」そう言いながら、走り出したかと思うと鳥悪魔ヴロックに向かっていった。
 小峰が時間を稼いでくれている間に、俺は刀を鞘に仕舞い奴に気付かれないように慎重に移動して背後に回った。今や鳥悪魔ヴロックは自分の飛行能力を活用し低空を移動しながら小峰を翻弄している。
「早くしろ海!」
 鳥悪魔ヴロックの太くねじれた鈎爪に腕を捕らわれながらも残った左手で小峰は相手を攻撃し続けている。そこでようやく奴の死角に入ることができた。
「破阿阿阿阿阿っ」
 右腕に全身の気を集中し、踏み込みと同時に勢い良く鞘から刀を抜く、それに合わせて右腕に溜めた気を切っ先に向けて送り込みながら、体全体が円を描くように刀を振り抜く。虚をつかれた鳥悪魔ヴロックは、かわすことも受けることも出来ず、鳥頭と胴体が泣き別れることになった。
「クラス一の剣術使い。流石だな海ちゃん」
 肩で荒い息をしながら、ニヤリと笑って言い返してきた。ピクピクと痙攣している鳥悪魔ヴロックの死体は、周囲に強烈な瘴気を分泌していた。この濃密な瘴気の中に長い間滞っているのは危険かもしれない。
「本当にすばらしいですね。練気法は直接拳や脚などで打撃を与えないと相手に対して気を送ることは出来ないはずですが……」
 パチパチと手をたたきながら魔女技官が近寄ってくる。
「そういえばまだいたのかあんた」
「誰? もしかして海ちゃんロリコンだったの」
「初めまして、魔工庁第一三特殊技科一級魔女技官ウィッチ・クラフト・オフィサのカリーナと申します」
 小峰は「どういうことだ」と問うような目で俺を見た。その視線は無視して、魔女に向かう。
「魔女さんよ。とにかくさっきの話は無しだ。俺はあんたらに協力するつもりはない」
「理彩さんの事はよろしいんですか。それにもし協力してくだされば、たった今お二人が感染してしまった。魔族病フィーンディッシュ・ディジーズも治療することができますよ」
「なんだって!?」それを聞いて小峰が色めき立った。
「……参ったね。そうかさっきの不浄爆アンホーリィ・ブライトか」
 魔女技官は小憎たらしくもニコニコしている。まるでこっちが困っているのを楽しんでいるようだ。
「えーと、悪魔学デーモノロジィだったか勉強したよな。魔族病フィーンディッシュ・ディジーズに掛かった人間は徐々に衰弱していってそれに耐えられなければそのまま死んでしまうんだよな。耐えられた場合は……」
 尻つぼみになった後を引きとって俺が言う「その場合最悪、掛かった人間は下級悪魔になり周囲にいる人間を虐殺し始める、だ。直す方法は一つ。極めて神聖値キリエスの高い司祭による破邪の奇跡で、病魔と呪いの両方を同時に消し去って貰うしかない」小峰の言葉を引き継いで言った。
 そしてそんなに神聖値キリエスの高い司祭による治療は、法外な料金を取られるのが常だ。残念ながらそれができる俺の母親も、今は仕事で地球の裏側にいる。通常ならば魔族病フィーンディッシュ・ディジーズに掛かった人間は三日程度で衰弱するか悪魔化するかどちらかだ。
「俺がその依頼とやらを受ければ、俺だけではなくて小峰も治療してくれるんだな?」
「はい。それくらいはお安い御用です」
「なんだか知らないが、俺も治療して貰うのに海ちゃんだけに任せることはできねーよ。手伝うぜ」
 相変わらず律儀な奴だ。
「馬鹿言うな。取引する相手は“あの”魔女技官ウィッチ・クラフト・オフィサなんだぞ。ヘタをすれば犬死にするだけだ」
 俺の親父も、魔女技官ウィッチ・クラフト・オフィサ達は何を考えているか分から無いから付き合うのは止めた方が良いと言っていた。
 気が付けば鳥悪魔ヴロックの死体が放っていた強烈な瘴気が、無視できる程度までに低下していた。人体に影響を及ぼすレベルまで上昇した瘴気はそんなに簡単に消え去るものではない筈なんだが……。
「小峰様の友人思いなご提案は非常にすばらしいと思います。しかし、今回海場澤様にお願いする依頼は完全に部外秘の内容なので、残念ながら小峰様にお手伝い頂くわけにはいきません」
 鳥悪魔《ヴロック》によって破壊された壁の破片を避けながら小峰に近寄って魔女技官ウィッチ・クラフト・オフィサが申しわけ無さそうに言った。
「そういう事だから、すまんな小峰。気持だけ受け取っておくよ」
「でも――」それでもなお小峰は食い下がった。
「デモもストも無いんだよ。お前が無理矢理俺に付いてくるって言うなら、この魔女さん達は実力でお前さんを排除するぜ。だろ?」
 俺はそう断定しながら、少女に同意を得るためにそちらへ顔を向けた。魔女技官ウィッチ・クラフト・オフィサは、こくりと頷いて黙っている。
「ってなわけだ。まあ気にするなや。その代わり今度、昼飯でも奢ってくれよ」
 ようやく小峰も、どんなに主張しても無駄だということを理解したのか不承々々ながらも、同意してくれた。
 早速、治療を受けるためにカリーナの案内で魔工庁へと向かった。

 本来ならば省庁の多くは、東京の中心霞ヶ関に設置される。しかしながら魔工庁はその危険な特質の為、都心からほど遠い藤沢の一角に作られていた。周りを山に囲まれ、人家の殆ど見あたらない魔工庁近辺は、常にうっすらとした瘴気に満ちている。世間では、魔界との境界地帯ボーダと呼ばれているだけのことはあった。
 間近に見た魔工庁の巨大なビルは異様だった。祈祷によって霊的ポテンシャルを高められた特殊なコンクリート製の壁面には、びっしりと聖言ホーリィ・ワードが描かれ、その文字が周囲の瘴気に反応して明滅する様は、まるでビル自体が生きているかのようだった。違法な実験も行なわれているという噂の魔工庁に溢れる〈魔〉を抑えるために必要な処置なのだろう。
 ビルに到着するなり、俺と小峰は別々の場所に連れて行かれそうになった。
「おい、俺達を別々の場所に連れて行く必要は無いだろう。少なくとも俺は、小峰がちゃんと治療を受けるのを見届けるまで、あんたさんの依頼を引き受けるつもりは無いぜ」
「分かりました。では二人とも私について来て下さい」
 魔工庁にはお抱えの高司祭が大勢詰めているため、魔族病フィーンディッシュ・ディジーズの治療はすぐに終わった。最後まで小峰は、なんとか手伝えないかと食い下がったが、最終的には警備員に引きずられるようにして帰っていった。
 魔法的な治療を施す部屋だけあって、様々な触媒マテリアル・コンポーネント焦天具ディヴァイン・フォーカスが棚に整然と並べられていた。また、床には精密な陣が描かれている。余りにも細かい術式だったので、一見気が付かなかったが、多重階層呪陣M・L・Fだ。どうやら必要な神聖値キリエスを得るために、診療台の下に下級天使エンジェル捕縛トラップしているらしい。
「では、約束通り、私達魔工庁の依頼をお受けして頂けるのですね?」
 治療の間、何処かへ姿を消していた魔女技官ウィッチ・クラフト・オフィサカリーナが念を押すように俺に聞いた。
「ああ。だがその前に見せて欲しい物がある」
「なんでしょうか」頑是がんぜ無い子供をなだめるような表情で、年下にしか見えない少女は言った。皺一つ無い白い肌に浮かぶ微笑みは、どこか婉然としている。
「三柳の姿を見せてくれ。でないと、あんたらがあいつを助けたという証拠が無い」
「と申されましても、先程お伝えしましたように、理彩さんは物質、アストラル、イセリアルの三空間に渡る多層結界の中に安置されています。物質空間を封じる結界は、完全に光を遮断しているので、残念ながらお見せすることはできません」
真眼トゥルー・シーイングがあるだろう」
「あれは危険です。確かに真眼トゥルー・シーイングを使えば、結界による光線の遮断を超えて内部を視認することが可能ですが、そうすると彼女に憑いている中級悪魔ミドル・デーモン――狼悪魔グラブレズまで見ることになってしまいます」
 高密度の瘴気の塊である悪魔デーモンは、物質界に介入する場合、霊的物質である瘴気から肉体を作り、それを依代よりしろにして顕在化する。つまり悪魔にとって肉体という物は、コアを入れる容器に過ぎない。コアは、その余りにも大きい霊的ポテンシャルの為、人間が直接触れると精神的な死すら招く危険がある。わけても中級悪魔ミドル・デーモンコアとなれば、修練を積んだ魔術師や司祭でも直視するのは危険だ。
「何故危険かは理解していらっしゃるようですね」
「さっきのテストだけじゃあ、物足りなかっただろう。ついでだから真眼トゥルー・シーイング狼悪魔グラブレズを見ても、俺がそれに耐えられるかどうか試してみたらどうだ」
「テスト? 海場澤様が何を言ってらっしゃるのか理解しかねますが」
「とぼけるのは勝手だが、看過されているんじゃどっちにしたって変わらないぜ。さっきの鳥悪魔ヴロックは、明らかにおかしい。中級悪魔ミドル・デーモンが、幾ら高校生の割に腕が立つと言っても俺と小峰に倒せる物じゃない」
「海場澤様は自分の能力を見くびってらっしゃるのですよ。それに小峰様だって――」
「それだけじゃない、中級悪魔ミドル・デーモンなら倒した後に周囲に発せられる瘴気の量は、あんなもんじゃない。もし周りに植物や小動物がいたなら、その瘴気を浴びて一瞬で死滅してしまう程なんだ。それがどうだ、鳥悪魔ヴロックを倒した直後ですら周囲の瘴気濃度は、殆ど上昇しなかった」
 悪魔学デーモノロジィは、高校の教育課程の中でも最も重視される科目だ。特に俺の場合、親が親だけあって自然とこの手の事には詳しくなっていた。門前の小僧という訳だ。魔族病フィーンディッシュ・ディジーズに掛かった場合、すぐに現われるはずの発作が全く無いのもおかしい。さっき受けた治療も、素人目には分からなかったかもしれないが、明らかに魔族病フィーンディッシュ・ディジーズを治すためのものではなかった。俺が気が付いたのはその時だ。
「流石、ですね」と見た目に似合わぬ、重い溜息を吐くが、それもどこかわざとらしい。考えてみれば鳥悪魔ヴロックの正体を見破るのもテストの内なのかもしれない。けった糞悪い連中だ。
「そんなわけで、三柳の身柄を確認するまではあんた達を信用するつもりはこれっぽちも無いのさ」
「命の保証はしかねますよ」
 やれやれ、といった調子で彼女は言った。

 そうして案内された場所は、ビルの遥か地下だった。一度も止まらず、五分近くもエレベータに乗っていただろうか。通常の建物の基準で考えれるならば地下三〇階という事になるだろう。
 エレベータから降りると、そこは五〇×五〇メートル程度の広さのガランとした空間だった。丁度、学校の体育館の様な大きさだろうか。その床全体に描かれた巨大な魔法陣は青白く発光している。壁には小さな方陣が等間隔で無数に呪付されていた。そちらからは懐中電灯の様な指向性の高い光が、床の紋様に向って放たれているのが判る。
「積層立体結界」そこまで見てようやく、部屋中に広がる巨大な魔法陣が何か判った。
「よく御存知ですね。この結界は、単に狼悪魔グラブレズを封じ込めるだけではなく、三柳さんの代謝の進行を防ぐために、時間の進みを無限に小さくするものでもあります」
「それじゃあ狼野郎は物質、アストラル、イセリアルの三空間どころか時空間まで封じられている訳か」
「はい。ですから狼悪魔グラブレズは、陣内のアストラル空間に身を潜めています」
 物質空間に出現した途端、時間遅延に飲み込まれてしまうのを回避するためだろう。確かにアストラル空間には時間の流れが存在しないので、時間遅延のトラップからは逃れることが可能だ。
「三柳の肉体が完全にコアに乗っ取られるまで、実時間でどれくらい掛かるんだ」
「三〇日間というところでしょうか。結界内時間で三日という事になります」
 つまり結界内部の時間は現実の一〇分の一の速度で進んでいるという訳か。何か時間遅延の兆候が見えないものかと、目を凝らしてみるがさっき魔女技官ウィッチ・クラフト・オフィサが言っていたように、中心部に近い位置に物質界に及ぶ結界らしき存在があり、完全に可視光線の侵入を阻んでいた。
真眼トゥルー・シーイングを用意してくれ」
「最後にもう一度だけ聞きます。本当によろしいのですね? 私達は海場澤様に危険が及ばぬよう可能な限りの処置は施しましたが、それでもなお中級悪魔ミドル・デーモンコアを直視する事は極めて危険です」
「しつこい」にべもなく俺が言うと「そうですか」とうなだれた調子で技官の少女は溜息を吐いた。そして、左手に持っていたティッシュ箱大のケースから、スノーボードに使うようなゴーグルを取り出した。
 ゴーグルを受け取り、早速それを装着する。いきなりコア本体を見るのではなく、周囲の魔法陣などを確認しつつ徐々に視線を中心部に近づけていけ、とあらかじめ注意を受けていたでその通りにしてみる。
 当然のように床に描かれた陣からは、真眼トゥルー・シーイングによって視覚化された、かなりの量の神聖値キリエスを持つオーラが立ち昇っていた。しかし、積層立体結界の中央に近づくにつれ、だんだんと神聖値キリエスが減少しているのが判る。狼悪魔グラブレズの持つ瘴気が神気を中和しているのだろう。
 壁に描かれた無数の魔法陣の中には、捕縛トラップされた下級天使エンジェル達が、一心不乱に祈りを捧げているのが見えた。

 聖なる、聖なる、聖なるかな、
 三つにいまして、一つなる、
 神の御名をば、朝まだ
 起きでてこそ、ほめまつれ

 陣から発っせられる神気以外には、光源が存在しない空間に響き渡るグレゴリオ聖歌はどこか虚ろに聞こえた。
 そうして周囲を確認しながら、ゆっくりと部屋の中央へと視線を進めていった。中心に近づくごとに場の神聖値キリエスは下り、逆に瘴気濃度が上っていくのがすぐに分った。肉眼で確認したときは、黒い障壁に阻まれて見通すことが出来なかった所まで進むと、瘴気濃度は耐え難い程にまで増大していた。
 意を決して、陣の中心に目をやると、場の持つ圧倒的な霊的ポテンシャルに押し潰されるような感覚に見舞われた。一瞬でも気を抜けば、良くて気絶、下手をすれば精神を破壊されてしまいそうなほどの“質量″をひしひしと感じる。
 「くっ」歯をくいしばり全身に力を込めて、その強烈なプレッシャになんとか耐えたが、少しの間は全身が痺れ息をすることもできなかった。しばらくするとようやく呼吸が落ち着き、再び体を動かす事ができる様になった。
「これが、中級悪魔ミドル・デーモンのパワーって訳か……」
 余りに圧倒的な暗黒のオーラを凝視していると、中心部に呆漠とほのかに光る物が見ええた。
「理彩!」
 俺はそのまま、脱兎の如く走り出し、立体陣の中に踏み込もうとした。しかし、一番外側に張り巡らされた物理結界を越えようとした瞬間、全身をマグマに包まれた様な激痛を受けた。

「――ですか。海場澤さん」
 どこからともなく、自分の事を呼ぶ声が聞こえた。眼を開いてみると、自分のすぐ横に知らない女が立っているのが見えた。どうやら俺は、ベットか何かの上に仰向けになって寝ているようだ。しかし、ここまで自分で来たという記憶は無い。確か俺は地下の結界で……。
「参ったね」
「無茶はしないで下さいと言われたでしょう。中級悪魔ミドル・デーモンを封じる程強力な結界に飛びこんだら、ただでは済まない事くらい貴方ならば分かっていた筈です」
 そうだ。俺は地下で狼悪魔グラブレズに憑依された理彩を見て、思わず結界に突っ込んでしまったんだ。
「あの物理結界には、もしかして沸血ホリッド・ウィルティングが侵入者に掛るような術式が埋め込まれていたのか?」
「その通りです。内部から狼悪魔グラブレズが出て来るのを防ぐのも、あの結界の役割ですが、他方で何人なんぴとも、近寄る事が出来ないようにする役割もあるんですよ」
「しかし、俺は沸血ホリッド・ウィルティングなんか喰らって良く死ななかったな」
 今更ながら、自分の体を点検し全く外傷が無い事に気が付いた。四肢や間接も自由に動く。
「死ななかったと言っても、ギリギリでしたけれどね。貴方についていった技官がカリーナ様でなければ、間違いなく貴方の魂は散華さんげしていましたよ」
「ところで、あんたはどこの誰さんなんだい」
「自分から名乗るのが、礼儀じゃないですか?」
「知っている奴に、改めて教える事もないだろう」と言いながら、その女を観察する。年は俺より少し下、という所だろうか。ここが魔工丁でなければ高校生と評価してしまうだろう。身長は百六十センチメートル前後、多少痩せ気味に見えるが、それ以外は特に変った所は無い。服装は、それが魔工丁の制服なのかカリーナと同じあつらえの物を着ている。
「今回の事件で、貴方とパートナを組む事になった魔工丁魔術調査課の空蝉うつせみサチカです」
「自己紹介は済んだみたいですね」後から声が聞こえたので、振り向くと、ちょうどカリーナが扉を閉じている所だった。「もう、ああいう無謀な事はしないで下さい」そう言いながら、ベッドの横にある丸椅子に腰を架けた。
「悪かったよ。ところで任務ってのは何なんだ」
「ディディ・コーポレーションというアメリカ外資系の会社を御存じですか?」
 知っているも何もディディ・コーポレーションと言えば魔術と科学技術を融合させ、今俺達が使っている様々な法衣や武器等を作成している巨大企業だ。うちの学校で支給される装備も、一部の特殊な物を除けば全てこの会社が作っている。裏では下方世界の存在と取り引きしていという黒い噂もある。
「そんな大企業がどうしたっていうんだい」
「実はディディ・コーポレーションに、私達の研究成果が奪われてしまったのです。正確には研究成果が収められたハード・ディスクが盗まれたのですが。そのデータは魔工丁の中でも第一種の機密とされている物で、既に内部では永久封印が決まっていました」
「その機密データとやらは、どんな内容なんだい」
 するとカリーナは首を振り「残念ですが、海場澤様にもそれだけはお教えする事が出来ません。第一種機密に属する危険なデータである、という事実以上の事は口外する権利を私は持っていないのです」
 まあそんなものだろう。ここでペラペラと喋ってくれるようでは、変って怪しい。しかし第一種機密という事は、魔工丁の中でも、上位の者しか知らされていない情報の筈だ。他の省庁のトップですら知らなくても不自然ではない。
「じゃあ、そのデータが記録されたハード・ディスクを奪い返せば良いんだな」
「はい。それで既に空蝉の方から話を聞いているかもしれませんが、今回の件に関して海場澤様に彼女が同行する事になっていす。詳細は彼女が知っているので、聞いておいて下さい。それと魔工丁からの依頼という事も可能な限り隠蔽して頂くようお願いします」
 ただでさえ一般人からの風当たりが強い省庁の一つなのに、第一種機密が民間企業に盗まれた、なんて噂が広まったら、確かに魔工丁にとっては責任問題になりかねない重大な事なのかもしれない。

2 クラッキング

「なんとか頼めるか」
「んーまぁ、やってみるけど無理だと思うよ。何せ、あの大企業ディディ・コーポレーション様だからねえ。そう簡単にクラッキングできるようじゃ問題があるってもんでしょ」
 今村は目の前にある一九インチのディスプレイを眺め、カタカタとキーボードを打ちながら、楽しそうに答えた。学校のパソコンルームで、違法クラッキングを楽しそうに行なう事には問題は感じていないのだろうか。
 ターミナルにひたすらコマンドを打ち込んでいるが、あまりにも移り変りが早くて、どんな作業をしているのか追っていく事ができない。一緒についてきた空蝉も、さっぱり分からない様子で、ぼけっと画面を見ている。
「しかし今村。キーボードなんていう旧時代の遺物を、なんでまたわざわざ使うんだよ。結線ジョイントすれば、そんな面倒な入力方法よりも遥かに高速なアクセスが出来るじゃないか」
 もう何十年も前にコンピュータと人間の脳を電子的に結線して、デジタルデータ化された脳波を用いて入出力を行なうプロトコルが実用化されている。キーボードなんて物は、ニューヨークにある近代科学博物館にでも行かなければ、殆ど見かける事すらない代物だ。中には結線ジョイントに必要なチップを脳に埋め込むのを忌避している連中もいるが、そういう奴等はそもそもコンピュータと無縁の生活を送っている。
「おーい海ちゃん。クラッキングするって言うのに結線ジョイントするクラッカなんて今時居ないぜ。小学生だって、クラッキングするなら非結線アンプラグドって常識として知ってるだろうに」
「……違法行為クラッキングに及んでいる奴に常識を諭されたく無いな」
「頼んだのは、どこのどいつだっての。もし結線ジョイントのままクラッキングなんてしたら、下手すれば相手の仕掛けたブービィ・トラップに引かかって脳死する事だってあんだぜ」
 確かにそれを言われるとグウの音も出ない。ディディ・コーポレーションに忍び込むにしろ、強襲するにしろ、せめて本社の内部地図くらい無い事にはどうしようもない。そこで学内でも有数のハッカであり、俺の親友でもある今村にサーバへのクラッキングを依頼したのだ。図面だけでなく、問題ハード・ディスクのありかも可能ならば特定したい所だ。
侵入検知装置IDSにひっかかったらどうするんだ」
「大丈夫だよ海ちゃん。それくらい考えてるって。とりあえず、東大と京大のサーバを含め、その他にも研究機関なんかのサーバを合計で七つは経由してるから、向こうは逆探知しようとしても、それを一つ一つ解析しなきゃならない。ヤバイと思ったらこっち側の接続を、瞬時に切ればバレないと思うよ」
 二〇世紀後半に爆発的な勢いでインターネットが普及して以来、ネットワークを利用した犯罪は急激な増加の一途を辿った。それから十数年後にはネットワーク犯罪に対する法的な取り締まりも厳しくなっている。また多くの巨大企業は自前のネットワーク・ガーディアン――事実上の私設軍――という実効的な力を持つ事も許されていた。最近では、クラッキングの真最中に、クラッカの所在地を突き止め根城を強襲するような事すらある。
「ディディ・コーポレーションのネットワーク・ガーディアンは悪名高い監視騎士団ナイト・オブ・ウォッチですよ? 本当に大丈夫なんですか」
 空蝉は、ハッカと言っても見た目はオタク高校生でしかない今村を、いまいち信用しきれていないようだ。確かに、監視騎士団ナイト・オブ・ウォッチに見付かるのは危険だ。あいつらがネットワーク・ガーディアンという皮を被ったインテリヤクザに過ぎないのは有名だ。
「大丈夫かどうかなんて、誰が保証してくれるっていうんだいお嬢さん。世の中には、何一つ確実な事は無いように思えるけどね俺には。それとも俺が大丈夫だって言えば良いのかな?」
「気休めに口先だけの安全を得ても仕方ないな。ま、この学校の自衛組織も生半可なものじゃないから、監視騎士団ナイト・オブ・ウォッチもここまで侵入するのは骨だろう」
 この学校の一般的な評価は超難関高校という所だが、学力だけがトップクラスという訳ではなかった。一万人以上も生徒がいる事実もさる事ながら、組織力や財力、そして政治力すらも、とても高校とは言いがたいものがある。この学校に存在する戦闘集団を集めれば、市警程度では止める事すらできない軍隊が出来上がる上、それが生徒会によって効率良く組織されているのだ。
「ところで海ちゃん」ディスプレイから目を離さずに言う。
「なんだ」
「何で海ちゃんが魔工丁の役人さんと一緒に仕事してるんだい」
「魔工丁の役人さんって誰の事だ」
 俺は空蝉が魔工丁の人間だという事を、今村には話していない。そんな事を教えて事件に友人を巻き込みたくはない。だいたい、どんな理由であれ魔工丁とつるんでいるなんて評判が立ったら、友人が減るのは受け合いだ。
「空蝉・ダイアナ・サチカ。一五歳。魔工丁魔術調査課所属。五歳の時にブラジルから日本に移住。登録番号はA七四八三一二六四九一か。現在の住まいは神奈川県横浜市」
 こいつ住基ネットに侵入して市民登録データを見やがったのか。しかし目の前のマシンでは、そんな事をしている気配はなかったが、一体どうやって――。
「別のマシンに結線ジョイントしてるんだよ。そっちで調べたのさ」
 俺の反応を予測していたのか、脂下やにさがった顔をこちらに向けながら、左手で首の後から出ているコードを指した。コードの先が、服の中に消えているからてっきり逆の端はどこにも繋がっていないと思ってしまったが、どうやら鞄の中にあるノートパソコンに接続しているらしい。
「ハッカってのは、油断も隙もあったもんじゃないな」
「今更何を言ってるのかね。それに空蝉さんの所属は見ただけで分かったよ。住基ネットに入ったのは確認の為さ」
「……そう言えばお前は制服マニアだったな」
 俺がそう言うと、空蝉はビクッと身構えた。何もそこまで毛嫌いする事もないだろうに。人間性を評価される前に、レッテルで判断されてしまうオタクというのも中々大変なようだ。しかし今村はそんな彼女の様子は気にした風もなく、淡々と作業を進めている。
 徐々にキーボードを打つ速度が遅くなってきたので、画面を見てみると、既にディディ・コーポレーションのサーバには侵入済みのようだ。今は何とか管理者権限を盗もうと、サーバのソフトウェア状況を調べている。もしサーバの管理人がいい加減であれば、ソフトウェアのバージョンアップを怠り、セキュリティ・ホールがそのままになっている可能性もある。
 ん?
 窓の外から騒々しいエンジンの音が聞こえてくる。しかし車のエンジン音では無い。これは――ヘリコプタ、だろうか。ディスプレイから顔を上げ、窓の方を見る。
「――!」
 一台の戦闘用ヘリコプタが、機銃をこちらに向けてホバリングしていた。「伏せろ!」言うなり俺は、空蝉の肩を捕み強引に押し倒して、自分はその上に伏せた。その一瞬の後、一斉に火を吹いた機銃が、コンピュータルームを左右に薙払う。

 ズガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッ。

「海場澤さん、あれは監視騎士団ナイト・オブ・ウォッチですよ。どうしてこんなに早く気が付かれてしまったんでしょう」
 ちっ。今村の野郎め。ヘマしやがったか。
「悪ぃ、海ちゃん。どうやらすっかりクラッキングが監視されたいたらしい! しっかしこんなに素早く監視騎士団ナイト・オブ・ウォッチが動き出すなんて、相当ヤバイもん捜していたんだなっ」機銃掃射の中、大声で今村が叫ぶ。どうやら素早く身を伏せて、難を免れたらしい。
 銃撃音が止んだかと思うと今度は、ガラスを割って何者かが飛び込んで来るの音が聞こえた。騎士ナイトのお出ましか!
「今村ぁっ。騎士ナイトの連中は俺が何とかする。お前はこのお嬢さんと風紀軍の連中を呼んできてくれ」
 俺はそう言いながら、左手で刀を、右手でグロッグ17を抜き放ちながら立ち上がり、そのまま狙いも定めずに引き金を絞った。
 ――騎士ナイトは三人か。
 騎士ナイトと言っても、中世騎士物語のような甲胄フル・プレートシールド広刃剣ブロード・ソードという古風な出立ちではない。ケプラを強化した、対刃繊維製のスーツに防弾ジャケット、それぞれ魔法的な防御も施してある。どれも尋常な刃物では傷一つ付かない高性能な装備だ。
 獲物は三人ともばらばらで、アサルト・ライフル、コンバット・ナイフの二刀流、そして素手。白兵戦装備の二人が、テーブルを迂回して挟み込むように素早く近づいてくる。
「今村、急げ!!」
 そう言いながら、ライフルを構えた騎士ナイトの手先を狙ってグロッグ17を撃つ。弾丸は、吸い込まれるようにライフルを支えている左手に命中した。そのままグロッグ17を、間合いギリギリまでやって来ていた二刀流の男に勢い良く投げる。飛んで来た拳銃を避ける為に、左手でそれを弾こうとした瞬間の隙を捉えて、がら空きになった左肩に日本刀を突き込む。が相手がスウェイバックして躱そうとしたので、手応えは浅い。
 ――傷付けただけか。
 二刀流の相手は間合いから外れてしまったので、そのまま振り向いて素手の騎士ナイトに向かう。ほぼ腰の高さに、ディスプレイがずらりと並んでいるので、初めて戦う相手に有効な八相の構えは取れない。脇構えの状態から、右手を押し出して鞭のように刀を袈裟に振るった。相手は左手の手甲でそれを受けようとする。そこで右手の力を抜き、刀の軌道をずらして、逆胴を狙う。更にそれを避けようと、相手が体を捻るタイミングに合わせて左足を踏み込み、一瞬で腕を伸ばして腹を刔《えぐ》るように刃を水平にして突く。ケプラ繊維は斬戟には強いが刺突に弱い。左足を踏み込んだ勢いもあり、腹に深々と刺さったかと思うと、相手は二メートルもふっ飛んでいた。
 そのままふっ飛んだ素手の騎士ナイトを跨ぎ越えて、横薙ぎに刀を払いながら振り向く。近付いていたナイフ使いは、間合いを見切ているのか避けようともしなかった。
「この学院に乗り込んで来るなんて、流石、監視騎士団ナイト・オブ・ウォッチ。インテリヤクザの面目躍如だな」
 今度は正眼に構えながら、じりじりと隙を伺い半歩ずつ近付く。しかし俺には時間の余裕は無い。すぐにライフルの騎士ナイトが、痛みから回復して射撃を始めてしまうだろう。仕方無い―― 「破っ」掛け声と共に、踏み込む右足に一瞬で〈気〉を集める。その〈気〉の力を使って、通常ではあり得ない速度で一気に間合いを詰めめた。それと同時に振り被った刀を、相手の右肩目掛けて打ち込む。躱す事は不可能な斬戟だ。受けるにしても、十分に力の乗った斬戟をコンバット・ナイフではさばききれないだろう。
 がきぃぃぃん。
 しかし相手も一筋縄ではいかなかった。逆手に持ったナイフの柄尻で正確に刀の支点を狙い、斬戟の力を左右に一切分散させずに受ける事で真上に刀を弾いてのけた。斬戟の力がそのまま自分の手に返ってきた為、俺は大きく仰け反ってしまった。
 ――まずいな。やっこさん結構デキるじゃないか。
 当然その隙を逃す騎士ナイトでは無く、逆の手に持ったナイフを喉笛に向かって突いてくる。丁度頭上まで上がってしまった刀から素早く手を放して、背中側に落した。それを右手でさかに受けとり、相手が踏み込んだ瞬間、手首を回転させて柄尻に左手を添える。背中を回り脇を通って、死角から突然目の前に出現した刀を避ける事は出来ず、もろに切先に向かって騎士ナイトは踏み込んで来た。
「ふう、危ねえ。あんたが背車刀はいしゃとうを知らなくて助かったよ」
「海ちゃん、避けろ!」
 それと同時に窓側から銃声が聞こえた。今村の声が聞こえた瞬間、理由も考えずに身を縮めようとした――が、何如なる武術家でも、立ち上がる速度を速くする事は簡単にできても、屈む速度には自ずと限界がある。頭上には蹴るべき地面が無いのだから当然だ。両腕を下に突き出しつつ脚を畳んで、あたなう限り素早く伏せたつもりだが、それでもライフルから発射さらた弾丸の速度には到底及ばない。
 マズい、殺られる!? と思った瞬間、周囲の空気がうねり濃縮された空気の塊が、俺の頭と弾丸の間に層を成した。ライフルの弾丸は、その空気の層に触れるやいなや急速に勢いを失ない、俺の体に届く直前でコトリと床に落ちた。
除弾プロテクション・フロム・ブリットの呪文か! 助かる空蝉さん」
 パソコンルームの入口で呪文増幅杖メタマジック・スタッフを構えている空蝉を振り返って言った。そのまま机に飛び乗って一気に騎士ナイトとの距離を詰めて行く。除弾プロテクション・フロム・ブリットがあればライフル程度の弾丸ならば、完全に防ぎきる事が出来る。相手の騎士ナイトはそれを知ってか、すぐにライフルを捨て腰からトンファを2つ取り出して構えた。
 ――隙が無い。ただのスナイパなら楽だったんだけどな。
「海場澤さん気を付けて下さい。外にいるヘリコプタか機銃掃射を受けたら除弾プロテクション・フロム・ブリットでは防ぎきれません」
「んな事言われたって、手の届かない所にいる相手をどーしろっての」
 そう言いながら、更に騎士ナイトとの距離を詰めて、自分の間合いまで近付く。
「流石にクロムモブリデン鋼製のトンファごと叩っ斬るってのは現実的じゃあ無いしなぁ。参ったね」
 仕方が無いので、間合いを取りつつ一度刀を鞘に納めた。そして、相手が踏み込んできたら何時でも居合で斬り返せるように構える。既に今村が風紀軍を呼んだ筈なのだ。状況の膠着は寧ろ都合が良い。
「危ない!」近付くヘリコプタのホバリング音と共に空蝉がそう叫ぶのが聞こえた。その声に反応してしまいそうになる自分を抑え、必死に目の前の騎士ナイトに集中する。
 案の定、騎士ナイトは空蝉の声に反応してしまい、一瞬窓の外を見た。俺はその動作を確認した瞬間に、膝を曲げ脱力していた脚に力を入れ踏み込む。踏み込みの慣性、腰を回す回転力、更に肩、肘、手首を全て連動させ、足から剣先が一本の鞭になるイメージを持ちながら、一気に抜刀した。
 騎士ナイトが外を見たのはほんの数瞬だが、この距離、この間合いでの戦いに於いてそれは永遠とも言える隙だ。
 ゴトリと、騎士ナイトの手首が床に転げ落ちた。
「ふう」と呼気を吐いて全身を弛緩させる。と、そこへ―― 「やべえ、ヘリコプタの事忘れていた」
 全身の力を抜いてしまったので、即座に反応する事が出来ない。既に機関銃の銃口は狙いを定めている。殺られた、と思った時唐突にヘリコプタが狂ったようにジグザグに動き始めた。
「間に合ったか」と廊下の方から叫ぶ声が聞こえた。入口を振り返ると今村が結線ジョイントしたノートパソコンを抱えながら立っているのが見えた。
「今村さん、何をしたんですか」
 空蝉が怪訝そうな顔で尋ねている。
「ああ、あのヘリコプタが使っている無線の回線を利用して、ヘリコプタの制御機構をクラッキングしたんだよ。何せ細い回線だから遅くて遅くて。思ったより時間がかかって焦った」
「お前あの短かい時間で、そんな事していたのか。恐れ入るな」
 思わず唖然としてしまった。
「んまあ、これくらいは、ね。ところで風紀軍の連中が学校の周囲を調査し始めたよ。どうも監視騎士団ナイト・オブ・ウォッチの連中は、この学校に秘かに配備されているレーダなんかを逐一破壊して回ったらしい」
 そういう事だったのか。如何に悪名高い監視騎士団ナイト・オブ・ウォッチと言えども、この学校に解こされた防御を抜けてくるのは簡単な事では無い。それに気が付かれずに、戦闘ヘリが近付くなんてのは不可能なのだ。
「風紀軍が動いているなら調査はすぐに終わるだろう。取り敢えず安全な場所に行くとするか」

3 作戦

「ところで海場澤さん。さっきから二人が言っているフウキグンって何ですか」
 地下に向かう階段を降りながら空蝉が怪訝そうに尋ねてきた。当然の質問だろう。如何にこの学院が特殊な存在だと認識していても、学内に軍隊が存在するとは考えづらい。
「この学校の生徒会によって組織された、生徒による生徒の為の武装集団だよ。頂点に生徒会長を頂く完全な軍隊。全部で五〇〇人近くなるかな。この学校に在籍している生徒の中でも優秀な人間を集めているから、馬鹿にならない戦力になるよ」
 この学校には、良くも悪くもそれぞれの方面でトップレベルの能力を持つ人間が数多く入学してくる。その中から選別して風紀軍にスカウトしているのだから、高校生と言えど侮れる存在ではない。また、風紀軍に所属すると学内の施設利用の点で、様々な便宜が図られるのでスカウトされて断わる生徒は少ないのだ。
「海場澤さんは風紀軍に所属されているんですか」
「一応ね」とだけ応えて、階段を下りきった所にある部屋に入った。

「会長、説明を要求する権利が私にはあると思いますが如何でしょうか」
 部屋に入るなり、鋭く詰問が飛んできた。そこは一〇平米程の小さな事務所めいた部屋で、左側の壁にはロッカと本棚、右側には机が並んでいる。声の主は部屋の中央にある大きなテーブルに腰かけて、マシンに結線ジョイントして何か作業をしているようだった。
「まあそう怒るなよ桐壷きりつぼ
 彼女の向いに腰かけながら言った。
 そこでようやく彼女は、空蝉の存在に気付いたようだ。
「そちらの女性は魔工丁の方のようですが、どちら様ですか」
「んまあちょっとね。俺の個人的な用事があって来てもらたんだ」
 なんだって、俺の周りの連中は空蝉の制服を見ただけで魔工丁の人間だと分かるのだろうか。これじゃあ隠しようもない。
「こんにちは空蝉です」空蝉が戸惑いながら挨拶した。
「で、彼女は生徒会の副会長を勤めてくれている桐壷奈々世君」
「会長がどんな方と関わり合いになっても知った事ではありませんが、それはともかく監視騎士団ナイト・オブ・ウォッチの件を説明して下さい。何故我校があんなヤクザめいた奴等の襲撃を受けなければならないんですか」
「細かい事を説明する事はできないんだけどね。実は今度ディディ・コーポレーションに忍び込まなくちゃいけなくてね。それで今村に頼んで、ディディ・コーポレーション本社のサーバに侵入して内部地図を手に入れてもらおうと思ったんだよ」
「ディ、ディディ・コーポレーションって会長……そんな無茶な」
「そう言わないでよ。向こうが学院に攻撃してきた以上、もう俺個人の問題では済まないし、場合によっては風紀軍の動員も考えられるんだ。桐壷も覚悟してくれ。俺は当分の間顔出せないと思うから、その時は君に風紀軍の指揮を執ってもらう必要もあるからね」
「もしかして海場澤さん。生徒会長なんですか」
 空蝉は驚いたように俺と桐壷を交互に見ながら言う。
「残念な事に、ね」
 そう本当に残念な事だ。迷惑と言ってもいい。去年の生徒会長戦には誰も立候補者がいなかった所為で、前任者による推薦で俺が推されてしまったのだ。あの糞会長め。
「指揮権委譲については了解しました。しかし学院側から査問されたら、どうなさるつもりですか」
「そのへんは大丈夫。今村が情報部の連中を総動員してクラッキングの痕跡を消しているから、監視騎士団ナイト・オブ・ウォッチが襲ってきた理由は、俺個人の問題って事にできると思う。細かい部分は後で渉外の帚木ははきぎと詰めるよ」

「さて内部地図の入手は絶望的だし、これからどうしようかねぇ」
 桐壷が淹れてくれた珈琲を飲みながら、誰に話すともなく独白した。元より明確な策があったわけでもないが、こうも先手を打たれてしまうとやり難くて仕方ない。あんな巨大なビルに宛もなく忍び込んだ所で目的の品を発見できるとも思えない。
「空蝉さん、何か良い案でもない?」
「私は特に考えはありません。あくまで私の役割は海場澤さんのサポートですから、余程の事が無い限り全てお任せします」
 監視騎士団ナイト・オブ・ウォッチに奇襲されたのは余程の事じゃないのだろうか。自分達でどうにかする能力があるならば魔工丁も俺に頼りはしないのだろうが、なんとも無責任な話だ。しかしこの手詰りの状況では、本当に当ても無く本社ビルに忍び込んで目的の代物を探すくらいしか手を思い付かない。
「……参ったね。ところで、空蝉さんは招請コーリングの呪文は使える?」
「どちらかと言えば招来サモニングの方が得意ですが、簡単なもので良ければ招請コーリングもできます」
 招請コーリングは異界の生物をこの世界に恒久的に呼び出し、使役する呪文の系統の事だ。一時的に異界の生物の仮身を呼び出すだけの招来サモニング呪文とは違い、時間をかけた呪文の構築が必要になるので呪文体系としては高度な部類に属する。招請コーリング招来サモニングと言った招喚コンジュレーション呪文が得意な術師の事を特に招喚魔術師と呼んだりする。
「得意なのは、上方アッパー? それとも下方ロウワー?」
上方世界アッパープレーンです。私達魔女技官ウィッチ・クラフト・オフィサ天使エンジェルを使役する術を頻繁に使用しますから」
 天使エンジェルか、それは都合が良いかもしれない。無策に忍び込むよりは多少マシな作戦が立てられそうだ。
 珈琲を口に運びながら思案を巡らせていると階段を誰かが降りてくる音が聞こえ、間もなくして部屋の扉が開いた。今村だ。
「お、いたいた。海ちゃん、取り敢えずクラッキングの痕跡は学校のサーバから全部消去しておいたよ。それとクラッキングした時のデータが、サーバのキャッシュに少し残っていたから解析してみたよ」
「何か分かったか?」
 この状況ならどんな情報だって歓迎だ。不確かなデータでも多少は判断の助けになるだろう。
「残っていたのはサーバを通過したメールのパケットなんだけど、どうもそメールの中に頻繁に〈グレゴリ・プラン〉って言葉が沢山出てきてるんだよね。メール本文ではそのプランの内容には全く触れられていないんけれど、会議の予定だので〈グレゴリ・プラン〉って単語は頻出している」
「ふうん。グレゴリ、ねえ。何だか分からないけれど心に留めておくか。とにかく助かったよ。ありがとう」
「誠意は言葉じゃなくて行動で表わせよな。今度昼にA定食奢れよ」
 今村はそう言って、部屋を出ていった。A定は学食で一番高い。驚くべき事に、安さが売りの筈の学食で一食二○○○円も取るのだ。
「〈グレゴリ・プラン〉ですか。私達と何か関係あるんですかね」
「さあ、今の段階では分からないよ。ところで空蝉さんが招請コーリングできる天使エンジェルってどの位階?」
下級天使エンジェル大天使アークエンジェルです。権天使プリンシパリティはまだ無理です」
 大天使アークエンジェルか、桐壷にも頼めばなんとかなるか。あのコに面倒な事をお願いするのは気が引けるけど仕方無い。
「それなら何とか忍び込む事はできそうだな、明日の夜にでも早速行こうか」
「しかし海場澤さん、忍び込むと言ってもあの建物に侵入するのは簡単な事ではありませんよ。少なくとも排他結界フォビタンスがありますからイセリアルも、アストラルも完全に弾かれてしまいます」
「まあ任せて。そこは考えてあるから」

 確かにディディ・コーポレーションの建物には容易に侵入できるわけじゃない。しかし、堅固な防御と言っても物理的な限界も金銭的な限界もある。例え、最も硬い鉱物がダイヤモンドだからと言って、外壁を全てダイヤモンドで作る奴はいない。要するにその物理的な限界を一瞬でも超えられるならば、守りを突破する事は可能だ。
 ディディ・コーポレーションの四方を囲う壁は、一見して普通のコンクリートでない事が分かる。恐らく核シェルタの外壁なみの強度があるだろう。戦車の主砲を至近距離から被弾しても壊れないに違いない。
 また魔法的な防御もされているが、それはこの際関係が無いので良しとしよう。
 仏教が怪異と戦う為に編み出した練気法は、元々徒手空拳で用いる技法だ。体内にある〈氣〉を練る事で、拳を鉄のように固くしたり、あるいは一気に気を放出する事で超人的な瞬発力を出す事ができる。
 うちの親父は仏門に身を捧げる修道僧であり、この練気法の達人と言われている。俺はそんな親父に子供の頃から練気法の修行をさせられていた。それと同時に、江戸時代から続く神道無念流の道場主である祖父からは剣術を教わった。
 そして俺は誰にも内緒で、その二つを一つの技にする方法を模索し続けた。最近ようやく合わせ技がモノになりつつあり、自分ではそれを剣気法と呼んでいる。
 一般人は硬い物の方が斬り難いと思っているけれど、それは単に剣の硬度が斬ろうとする物体の硬度よりも低い時に、硬度の低い側が破損してしまうだけで、実は適度に柔らかい物の方が斬り難い。硬い物を斬り裂きたければ、より硬い物質で斬撃を浴びせればよいだけだ。〈氣〉を剣に込めれば、それは容易い事。後は、精一杯の剣速で斬撃を送り出せばそれで終わり。
「はっ」
 大上段に構えた刀を一気に振り下す。一寸たりとも刃筋は乱さずに。それを数回も繰り返すと、なんとか人が通り抜けられる程度の穴が壁に開いた。空蝉は信じられないという顔で、その穴を見つめている。
「さて行こか」そう言って俺は穴を潜った。
 穴の先は物置めいた所だった。リノリウムの床には少しだけ埃が積っている。その上には使われていない机や椅子、ダンボールなどが雑然と詰まれていた。
 今の所警報が鳴った様子もない。空蝉と桐壷に招請コーリングしてもらった大天使アークエンジェル権天使プリンシパリティが、正面玄関方面でこの会社に攻撃を仕掛けているのだから、殆どの警備はそっちに掛りきりなのだろう。そもそも、自社が何故天使に攻撃されるのかが理解できないのだから、相当混乱してるんじゃないだろうか。
「行こうかって、当てはあるんですか? 目的の物がある場所は分かりませんよね」
「まあ、取り敢えず一番上か一番下に行けば良いんじゃないのかな。重要な機密なら普通の社員は出入りできない場所にあるだろうからさ」
 このビルの地下は駐車場しか存在しない事は確認している。つまり目指すは最上階だ。もっとも魔工丁のように、それよりも遥か地下に施設を作っているというなら話は別だが。今村に頼んで水道局のデータを盗み見た限りでは、そういう地階が存在する余地はなかった。
「中に入る前に、正面玄関の現状を確認した方が良いんじゃないですか?」
「そうだね。ちょっと桐壷君に連絡してみよう」俺はそう言いながら、懐からケータイを取り出し、副会長の番号をコールした。
「もしもし、桐壷です」電話口から彼女の淡々とした声が聞こえる。バックに、銃撃音が響いている。正面玄関を監視している所だろう。
「ああ、俺、海場澤。これから突入する所なんだけれど、そっちの状況はどう?」
「順調と言えば良いんでしょうか……とりあえずディディ・コーポレーションの警備員と招請コーリングした天使達が交戦しています」
「そっか、ありがとう。変な事に巻き込んじゃってゴメンネ桐壷君。今度TWINの抹茶パフェをおごるから許して」
「抹茶パフェって……前に私がお誘いした時は『甘い物は苦手だ』と仰っていませんでしたか?」
「まあまあ、硬い事言わないで。それじゃよろしくね」
 相変わらず彼女の記憶力は良い。あんな事まで覚えているとは。
「さて、今度こそ行こうか」
 そういってずかずかと進む。抜き足差し足で歩いても、どの道セキュリティ・システムに見付からずに行けるとは思えない。それに気が付かれても大丈夫なように、陽動を行なったのだ。
 倉庫部屋を出ると、ごくごく普通のオフィスビルらしく幅三メートル程の廊下が左右に伸びている。立地からすると左が正面玄関に続いているのだろう。扉から首を出して左右を確認すると、右の突き当たりにエレベータ・ホールが見えた。
「エレベータで上がるつもりですか」
「本当は階段の方が安全なんだけどね。三〇階まで階段で上るのは空蝉さんも嫌でしょ」
 俺は嫌だ。
「そりゃあ、まあ最上階まで階段で行くなんてぞっとしませんよ」
「でしょ。それにさ、万が一スンナリ上れたらラッキィじゃない」
 ま、それはありえないだろう。そんな杜撰なセキュリティだったら、そもそも今村のクラッキングに気付かれなかった筈だ。
 空蝉も納得してくれたようなので、エレベータ・ホールに向かう。そこまでの間には、別の部屋の入口も見当たらない。ホールの手前にトイレがあるだけだ。こうして見てみると、とても裏で下方世界との取り引きがあると噂される伏魔殿とは思えない。
 ホールへ行くと、丁度良いのか悪いのかエレベータが到着した。
「空蝉さん、どんな人がエレベータから降りてきても、しれっと関係者面してね」
「えっ、そんな。気付かれたらどうす――」
 チン、という音とともにエレベータの扉が開いた。
 空蝉はビクッとして押し黙り、素早く深呼吸している。中にいたのは、宅急便の配達人のようだった。台車に大量の荷物を乗せている。その中に一つ、やたらと大きな箱がある。
「あ、お疲れさまです。今日は荷物が多くて大変ですね」
 俺はニコニコしながら挨拶した。
「ちわーす。すみません横通りまーす」
 配達人のオニーサンは、こちらを見ようともせず荷物が倒れないように支えながら正面玄関の方へ向かっていった。
 それを見届けて、すぐさまエレベータに乗り三〇階のボタンを押して扉を閉める。
「やっぱり、こんなの無茶ですよ。変装もなしにビルに乗り込むなんて。絶対に途中でバレるに決まっています」
 あんまり当然の事を言わないでほしい。情報も策も提供せず、俺に任せたのはそっちなのだ。悪態の一つもつきたくなるが、彼女の気持も分からないでもない。こんな状況で平然としていろ、という方が無理な注文だ。
「もう始まっちゃったんだから、覚悟してよ。今更引くには遅いし」
 途中で誰かが乗ってくるかと思ったが、意外な事にそのまま三〇階に到着した。陽動作戦が功を奏して、社内はてんやわんやなのかもしれない。
 エレベータの扉が開くと、目の前のホールには見慣れた監視騎士団ナイト・オブ・ウォッチの連中が一〇人、ずらりとSMGサブマシンガンでエレベータに狙いを定めて待ち構えていた。
「うげぇ!? ばっちり見付かってるじゃん」
 そう言いながらエレベータの中にある僅かな死角に身を隠す。何故か騎士ナイトは発砲してこない。するとホールから声が聞こえた。
「そのエレベータは止めた。見ての通り貴様等は袋の鼠だ。大人しく武器を置いて出てこい」
 監視騎士団ナイト・オブ・ウォッチの小隊長だろうか。なんとも陳腐な物言いである。大人しく出て行こうが、子供らしく出ていこうが、どっちにしろ命の保証はない。それなら暴れてやろうと言うものだ。
「空蝉さん。除弾プロテクション・フロム・ブリットって出る?」小声で聞くと、彼女はコクリと頷いた。
「じゃあ、俺が飛び出すと同時にそれを行使キャストして。その後は、状況見て臨機応変に援護って感じでよろしく」
 またもやコクリと頷く。動揺しているみたいだ。本当に大丈夫なんだろうか。
「んじゃ、行きますか。――分かった。武器を置いて出るからいきなり撃つなよ」
 ホールにいる小隊長だかなんだかに叫びながら、腰に佩いた刀の鯉口を切り正面にいた騎士ナイトに向かって走る。
 後から空蝉が呪文を行使キャストする声が聞こえる。SMGサブマシンガンを構えた騎士ナイト達は、発砲命令がかからないので直ぐに反応できない。よし、これなら間に合う。
「撃て!」と小隊長が命令するやいなや、一〇個の銃口から五月雨式に弾丸が発射される。しかし、その尽くが体に当たる寸前で圧縮された空気の壁に阻まれて失速していった。それを見て、監視騎士団ナイト・オブ・ウォッチは一斉にSMGサブマシンガンを捨てて腰に差してあるコンバット・ナイフを抜こうとする。
 が、遅い。
 正面の騎士ナイトがナイフを抜く前に、そいつの胴体を左斜め下から右上に向かって一撃で斬り捨て、返す刀で、左隣りにいた奴の右肩から下を斬り落す。周りにいた騎士ナイトは、俺を中心に散会し間合いを取った。
 ――やっぱり囲ってじわじわ攻めてくるよなぁ。それはとっても嫌なんだけど。
「将を射んとすれば、馬を射ってる余裕なんて無いのよ」
 雑魚に構っている余裕はないので、そのまま小隊長めがけて走る。こちとら動き続けなければ、波状攻撃を受けて御陀仏なのだ。
 小隊長に肉薄した所で、後から悲鳴が上った。空蝉の声ではない。チラリと見てみると、突然エレベータホールに出現した巨大な月輪熊が騎士ナイトを襲っていた。それもどうやら、ただの熊ではなく天使の遺伝子を組み込まれた幻獣である。普通の武器では傷を負わない。
 そう言えば空蝉が招喚サモニングが得意とか言っていたっけな。監視騎士団ナイト・オブ・ウォッチの連中は熊と俺を相手にするため二手に分かれた。これなら、どうにかなりそうだ。
 俺が相対しているのは小隊長含め、五人。今回は全員が同じコンバット・ナイフで武装している。パッと見では、どいつも俺より格闘の腕は下のようだ。しかしリーダの指示の下、連携の取れた動きをしているのが厄介だ。互いの距離は二メートル強。俺の間合いではあるが、容易には仕掛けられない。腰にグロッグ17もこんな状況では無用の長物ちょうぶつにすぎない。こんなもの抜いて狙いをつけている間に、肉薄されてお終いだろう。
 ――仕方ない。また一発芸といきますか。
 なにげなく左手一本で構えた刀を、そのまま肩に置く。ひどく無防備な格好になるので、その瞬間相手が腰を沈めた。距離を詰められる前に、そのまま左肩に構えた日本刀を真正面の小隊長に向かって投げる。
 こんな長物ながもので投擲するとは予測できなかったらしく、完全にリアクションが遅れた。俺は自由になった両手を使い、袖に隠していた投げナイフを振り向きもせずに、左右にいた騎士ナイトに投げた。
 投擲を食った三人のうち、反応ができたのは一人だけだ。小隊長の胸には深々と日本刀が突き刺さり、右にいた騎士ナイトも腹にナイフを生やしている。左の奴は上体を素早く回転させて避けたようだ。
 残り二人は、俺が無手になったタイミングを捉えて同時に攻撃してきた。
「残念。これが無手じゃないのよ」
 そう呟きながら、背中に隠しておいた長脇差ながわきざしを抜く。
「ところで、あんたらの実力じゃあ二人がかりでも、防御に専念した俺にかすり傷一つ負わせられないと思うんだけど、それでも続けんの?」
 返事はない。増援の可能性が高い分、時間を稼げばそれだけ向こうが有利になる事は間違いない。できればさっさと片付けたいが、格下とは言え連携がキッチリしているので、隙がない。
 ――さてはて、どうしたものやら。

# この後、投げナイフを避けた三人目が死角から海場澤を攻撃 → かけつけた小峰に助けられる → 3対2で騎士《ナイト》を圧倒 → サチカのピンチ → 海場澤が体をはって助ける