# 青空文庫のルビ付きテキストと同じルールでルビを振るようにしてあるので # それに対応したテキストビュアを使って閲覧すれば綺麗にルビが振ってある # 文章を読むことができます。 ■登場人物 海場澤隆:主人公 カリーナ:魔工庁第十三特殊技科一級魔女技官《ウィッチ・クラフト・オフィサ》三十二 三柳理彩:主人公の同級生 小峰慎一郎:主人公の親友 南雲サチカ:魔工丁魔術調査課員。隆と同行して任務にあたる ■本文 「……参ったね」 “障気濃度四十パーセント 東京の障気は本日大変上昇しています。それに伴い中級悪魔《ミドル・デーモン》出現率が危険域に達しておりますので、外出はお控え下さい”とテレビから陽気なお天気キャスタの声が聞こえる。 午前中の授業をさぼって午後から登校しようと思ったら、昼過ぎから急に障気濃度が上がってきた。今日の午後の授業は、あと一回欠席したら単位を落とすことになってしまうギリギリのところなのに、だ。しかも必修科目だからこのままでは、恥ずかしことに高校生で留年と言うことになる。 「……参ったね」 となると危険を承知で無理矢理登校するしかない。運良く中級悪魔《ミドル・デーモン》に出会わなければ問題ないだろう。しかしもし出会ってしまったら、大変なことになる。俺だって、学校で一通りの対悪魔戦闘術《デーモニック・コンバット》は肉弾《フィジカル》、魔法《マジカル》共に習っているが中級悪魔《ミドル・デーモン》ってのは高校生レベルの能力では手に負えるものではない。普通ならば、対悪魔戦闘術《デーモニック・コンバット》をみっちりしこまれ祝福特殊装甲《B・S・A》を装備した聖機動隊《ホーリー・オーダー》の一個小隊は必要な相手なのだ。 そんなことは分かり切っているが必修科目の単位を落とすのは致命的だし、幸い昨日の授業で使った呪術戦法衣《スペルド・ジャケット》等一式の装備はあるので丸腰というわけでもない。 「まっ、どうにかなるだろ。障気濃度四十パーセントなら、中級悪魔《ミドル・デーモン》の出現率は全国で日に十体ってところだしな」 学校までの道程は、自転車で二十分丁度。特にこの時間ならば、道は空いているので速度を気にしないでも十分に間に合うところだ。住宅街の中を通って行くことになる、障気濃度が高い今日のような日ならば警察が巡邏している大きな道を通った方が安全だが、そうすると遠回りになってしまう。 「こんな理由で単位落したら母親に殺されちまうしな」 そうぼやきながら、自転車を漕ぐ。俺の母親は、全世界に千二十四人か存在しない教会公認聖母《オフィシャル・マリア》だ。教会公認聖母はその絶大な信仰心により微笑むだけで中級悪魔おも浄化してしまうほどの神霊値を叩き出す司祭たちだ。こと俺の母親の場合、教会公認聖母になる前はカトリック教会所属の戦闘司祭《コンバット・シスター》だったので尚悪い。 そんなことを考えている間にも必死に自転車を漕いだ。母親だけではなく、俺の家族は皆始末が悪い奴らばかりなので、とにかく留年だけはさけなければならない。だいたい高校で留年なんてのはどうも格好が悪い。 流石に障気濃度が高いだけあって、道ばたには陰気に惹かれてのこのこ顔を出した低級霊だの、人通りが少ないのをいいことに通りに現れては、様々な場所にはた迷惑な呪いをかけている小悪魔などが大量に出現している。殆ど自意識を持っていない低級霊はそもそも人の気《け》に触れると逃げ出すし、ちょっと戦闘訓練を受けた人間ならば小悪魔程度ば簡単に撃退することができるのでやはりあいつらも人間の目を避けるようにする。しかも俺みたいに呪術戦法衣《スペルド・ジャケット》を着ている人間ならば尚更だ。 一方で普通の人間ならばこんな日には外出しないようにするものだが、そんな人間の中にも闇を好み障気を糧とする奴らもいる。もともと障気の濃い場所に住んでいた連中なんかは、障気の影響で半ば魔化している奴もいる。そういう連中にとっては今日みたいな日は気持ちが良いに違いない。 ――ん? 坂の下にある三叉路の脇から、妙な格好をした少女が現れた。どうも制服みたいだが、このあたりにはあんな制服の学校は無い。その少女はくるりと俺の方を振り向いてにっこり笑った。 「海場澤隆《かいばざわりゅう》さんですね」 「……まずはお前が名乗るんだな」 なんだか嫌な予感がする。 「すみません申し遅れました。私《わたくし》、魔工庁第十三技科一級魔女技官《ウィッチ・クラフト・オフィサ》三十二。通称カリーナと申します」 魔工庁といえば、日本の魔法技術を司る公的機関である。しかも魔女技官《ウィッチ・クラフト・オフィサ》はその中でも門外不出といわれている特殊技能者達だ。彼女達の能力は一般には全く知られていない。 比較的信憑性が高い噂では魔女技官《ウィッチ・クラフト・オフィサ》達はなんらかの形で魔族の血を引く亜人《デミヒューマン》だと言われていた。それ故に高い魔法的才能を有しているのだとか。 「で、そんな魔女っ子さんがなんの用だい」 「魔工庁に協力して頂きたいのです。現在私達が抱えている問題がありまして、それを解決するためには、偉大な両親の血を引き継ぐ貴方の能力が不可欠と判断しました。当然ですが報酬はお払いいたします」 こいつら俺のことはしっかりと調べているようだ。しかも虎の子の魔女技官《ウィッチ・クラフト・オフィサ》を出したということは重要な事に違いない。 「悪いが、興味無いな」そういって俺は、少女の横を通り抜けようとした。 「話を最後まで聞いて頂ければ、私達魔女技官《ウィッチ・クラフト・オフィサ》と貴方の目的と利益が噛み合っているという事実を理解して頂けると思います。それから学校の方にはこの件で海場澤様は遅れるという旨をご連絡していますので、授業についても問題はありません」 「それは分かった。だけどあんたらに協力するつもりは微塵も無い」 ただでさえ役人が嫌いなのに、何をやっているか一般に公開していない奴らなんてなおさらだ。 「貴方に協力していただけないの、三柳理彩さんの命を助けることができない――と言ってもでですか?」 「…………」 「非常に残念な事ですが、今回の障気嵐が原因で理彩さんは今危険な状態にあります。具体的には憑依段階三、中級悪魔《ミドル・デーモン》によって肉体及び精神を完全に乗っ取られた状態です」 「――三柳が」 「現在は理彩さんの身柄を第十三技科で引き取り、強制《ギアス》を掛けた上で物質空間、アストラル空間、イセリアル空間に及ぶ結界内に安置しています」 普通ならば憑依段階が三を超えた時点で聖機動隊《ホーリー・オーダー》によって被憑依者の肉体ごと完全に破壊されるはずだ。 「俺と取引するためにわざわざ三柳を助けたのか」 「そういった側面が全く無いとは申しません。しかし海場澤さんとの交渉が主たる目的ではありません。詳しくお話しすることはできませんが、今回理彩さんの身に起こったことは極めて珍しく魔工庁としても見逃すことはできなかったのです」 「三柳は確かに俺の友人だが、魔工庁の中でも特に異端されているあんたらと取引して自分の命を危険に晒したくは――」 俺が断わろうとした瞬間、曲がり角の向こう側で障気が瞬間的に膨れあがるのを感じだ。カリーナと名乗る少女もそれを感じたのか、後ろを振り返り一瞬様子を窺った。 「海場澤さん、ここは危険です。話を聞いて頂くにしろ、断わるにしろ移動しましょう」 「一体なんだって言うんだ」 ゴァァァァァッ 角の向こうから獣のような雄叫びが聞こえた。その音声は恐怖の波を伴って周囲を伝搬し、心臓を鷲掴みにされたかのように一瞬体が竦む。 「破っ」 全身の気を臍下丹田《せいかたんでん》に集中し、一挙に解放することでまとわりついた障気を払うと同時に瞬間的な金縛りからも逃れた。 「練気法ですか。お若いのに流石ですね。しかし、中級悪魔《ミドル・デーモン》の鳥悪魔《ヴロック》が相手では分が悪いでしょう」 「確かにな――」 「糞っ、なんでこんなところに鳥悪魔《ヴロック》が」 角の向こうから知った声が聞こえた。それを聞いて少女もハッとしている。 「悪いな嬢ちゃん。どうも俺のダチが鳥悪魔《ヴロック》相手に苦戦しているらしい。逃げるわけにはいかなくなったよ」 「無茶です。ご友人には申し訳ありませんが、無駄死にするくらいなら――」 そんな少女の声は無視し、懐からグロック17を抜き角まで走る。鳥悪魔《ヴロック》の特徴的な姿を認めた瞬間、『近代兵器学』の授業で習った通りに両手で銃握《グリップ》をしっかりと包み込むように握り、きっかり十一回引き金を引いた。 弾《ダン》、弾《ダン》、弾《ダン》、弾《ダン》、弾《ダン》、弾《ダン》、弾《ダン》、弾《ダン》、弾《ダン》、弾《ダン》、弾《ダン》。 「通常悪魔《デーモン》は高い物理防御能力を持っているので銃器による攻撃はありませんよ」俺に追いすがってきた魔女技官《ウィッチ・クラフト・オフィサ》がご丁寧に説明してくれた。 しかし今俺が使った弾丸は、護身用に生徒会から全生徒に支給されている対悪魔用聖祝銀弾《デーモン・ベイン・ブリット》だ。うまくいけば効果があるだろう。 「む、海ちゃんか。助かるぜ」 「大丈夫か小峰」 「なんとかな。体術だけならこの小鳥様は大したことないぜ」 などと簡単にこいつはいっているが、鳥悪魔《ヴロック》の動きは素早く俺にはそんなに簡単な相手には見えない。 「クラス一の徒手空拳使いは言う事が違うな。問題は奴《やっこ》さんが使う魔法の類だ。不浄爆《アンホーリー・ブライト》なんて撃たれたらたまらねぇ」 そう言いながら、俺は鳥悪魔《ヴロック》が小峰の動きに捕らわれているうちに、後ろ側に回り込んだ。それに気がついたのか奴は巨大な鈎爪を素早く突き出してくる。ホルスタにグロッグ17を仕舞いながら、バックステップでそれを交わし相手の腕が伸びきったところで、腰に佩いた日本刀を抜きながら一閃。 シャアアアアアッ。 ボトリと不快な音を立てて鳥悪魔の手首から先が落ちた。抜刀直後の一瞬の隙を狙って今度は逆の腕を使い抉るに薙ぎ払ってくる。抜刀の慣性が残っているため、俺はかわす事ができない。 「ちっ」 やられるかと思った瞬間、悪魔の鳥面に強烈な回し蹴りが決まり巨体が三メートルほど吹っ飛んだ。 翼を広げ低空で体勢を整えた鳥悪魔《ヴロック》はすぐに左手に魔力を始めた。 「しまった。距離を詰めろっ」 一歩の差で鳥悪魔《ヴロック》には届かず、もろに不浄爆《アンホーリィ・ブライト》の直撃を食らった。 痛みに耐えながら、更に踏み込み一文字に斬り払うが手応えがない。 「海ちゃん! 後ろだ」 慌てて振り返ると目の前に鳥悪魔《ヴロック》の鈎爪があった。 「くはっ」顔面を斬り付けられながらも右手に持った刀を全力で突き、当たった反動を使って後退する。 「まじいな。こりゃ」 「おい小峰」額から流れる血を裾で拭きながら俺は言った。「少しだけあの鳥野郎の注意を反らせるか。そうすれば俺が一撃でどうにかする」 「少しってどれくらいよ」 「十秒」鳥悪魔《ヴロック》との距離を開けすぎず詰めすぎないように間合いと取る。 「五秒に負けてくれ」そう言いながら、走り出したかと思うと鳥悪魔《ヴロック》に向かっていった。 小峰が時間を稼いでくれている間に、俺は刀を鞘に仕舞い奴に気付かれないように慎重に移動して背後に回った。今や鳥悪魔《ヴロック》は自分の飛行能力を活用し低空を移動しながら小峰を翻弄している。 「早くしろ海!」 鳥悪魔《ヴロック》の太くねじれた鈎爪に腕を捕らわれながらも残った左手で小峰は相手を攻撃し続けている。そこでようやく奴の死角に入ることができた。 「破阿阿阿阿阿っ」 右腕に全身の気を集中し、踏み込みと同時に勢い良く鞘から刀を抜く、それに合わせて右腕に溜めた気を切っ先に向けて送り込みながら体全体が円を描くように刀を振り抜く。虚をつかれた鳥悪魔《ヴロック》は、かわすことも受けることも出来ず、鳥頭と胴体が泣き別れることになった。 「クラス一の剣術使い。流石だな海ちゃん」 肩で荒い息をしながら、ニヤリと笑って言い返してきた。ピクピクと痙攣している鳥悪魔《ヴロック》の死体は、周囲に強烈な障気を分泌していた。この濃密な障気の中に長い間滞っているのは危険かもしれない。 「本当にすばらしいですね。練気法は直接拳や脚などで打撃を与えないと相手に対して気を送ることは出来ないはずですが……」 パチパチと手をたたきながら魔女技官が近寄ってくる。 「そういえばまだいたのかあんた」 「誰? もしかして海ちゃんロリコンだったの」 「初めまして、魔工庁第十三特殊技科一級魔女技官《ウィッチ・クラフト・オフィサ》のカリーナと申します」 小峰は「どういうことだ」と問うような目で俺を見た。その視線は無視して、魔女に向かう。 「魔女さんよ。とにかくさっきの話は無しだ。俺はあんたらに協力するつもりはない」 「理彩さんの事はよろしいんですか。それにもし協力してくだされば、たった今お二人が感染してしまった。魔族病《フィーンディッシュ・ディジーズ》も治療することができますよ」 「なんだって!?」それを聞いて小峰が色めき立った。 「参ったな。そうかさっきの不浄爆《アンホーリィ・ブライト》か」 魔女技官は小憎たらしくもニコニコしている。まるでこっちが困っているのを楽しんでいるようだ。 「えーと、悪魔学《デーモノロジィ》だったか勉強したよな。魔族病《フィーンディッシュ・ディジーズ》に掛かった人間は徐々に衰弱していってそれに耐えられなければそのまま死んでしまうんだよな。耐えられた場合は……」 「その場合最悪、掛かった人間は下級悪魔になり周囲にいる人間を虐殺し始める、だ。直す方法は一つ。極めて神聖値《キリエス》の高い司祭により病魔と呪いの両方を同時に消し去って貰うしかない」 そしてそんなに神聖値《キリエス》の高い司祭による治療は法外な料金を取られるのが常だ。残念ながらそれができる俺の母親も今は仕事で地球の裏側にいる。通常ならば魔族病《フィーンディッシュ・ディジーズ》に掛かった人間は三日程度で衰弱するか悪魔化するかどちらかだ。 「俺がその依頼とやらを受ければ、俺だけではなくて小峰も治療してくれるんだな?」 「はい。それくらいはお安い御用です」 「なんだか知らないが、俺も治療して貰うのに海ちゃんだけに任せることはできねーよ。手伝うぜ」 相変わらず律儀な奴だ。 「馬鹿言うな。取引する相手は“あの”魔女技官《ウィッチ・クラフト・オフィサ》なんだぞ。ヘタをすれば犬死にするだけだ」 俺の親父も魔女技官《ウィッチ・クラフト・オフィサ》達は何を考えているか分から無いから付き合うのは止めた方が良いと言っていた。 気が付けば鳥悪魔《ヴロック》の死体が放っていた強烈な障気が、無視できる程度までに低下していた。人体に影響を及ぼすレベルまで上昇した障気はそんなに簡単に消え去るものではない。 「小峰様の友人思いなご提案は非常にすばらしいと思います。しかし、今回海場澤様にお願いする依頼は完全に部外秘の内容なので、残念ながら小峰様にお手伝い頂くわけにはいきません」 鳥悪魔《ヴロック》によって破壊された壁の破片を避けながら小峰に近寄って魔女技官《ウィッチ・クラフト・オフィサ》が申しわけ無さそうに言った。 「そういう事だから、すまんな小峰。気持だけ受け取っておくよ」 「でも――」それでもなお小峰は食い下がった。 「デモもストも無いんだよ。お前が無理矢理俺に付いてくるって言うなら、この魔女さん達は実力でお前さんを排除するぜ。だろ?」 俺はそう断定しながら、少女に同意を得るためにそちらへ顔を向けた。魔女技官《ウィッチ・クラフト・オフィサ》は、こくりと頷いて黙っている。 「ってなわけだ。まあ気にするなや。その代わり今度、昼飯でも奢ってくれよ」 ようやく小峰も、どんなに主張しても無駄だということを理解したのか不承々々ながらも、同意してくれた。 早速、治療を受けるためにカリーナの案内で魔工庁へと向かった。 本来ならば省庁の多くは、東京の中心霞ヶ関に設置される。しかしながら魔工庁はその危険な特質の為、都心からほど遠い藤沢の一角に作られていた。周りを山に囲まれ、人家の殆ど見あたらない魔工庁近辺は、常にうっすらとした障気に満ちている。世間では、魔界との境界地帯《ボーダー》と呼ばれているだけのことはあった。 間近に見た魔工庁の巨大なビルは異様だった。祈祷によって霊的ポテンシャルを高められた特殊なコンクリートで作られた壁面には、びっしりと聖言《ホーリー・ワード》が描かれ、周囲の障気に反応して文字が明滅する様はまるでビル自体が生きているかのようだった。違法な実験も行なわれているという噂の魔工庁に溢れる〈魔〉を抑えるために必要な処置なのだろう。 ビルに到着するなり、俺と小峰は別々の場所に連れて行かれそうになった。 「おい、俺達を別々の場所に連れて行く必要は無いだろう。少なくとも俺は、小峰がちゃんと治療を受けるのを見届けるまで、あんたさんの依頼を引き受けるつもりは無いぜ」 「分かりました。では二人とも私について来て下さい」 魔工庁にはお抱えの高司祭が大勢詰めているため、魔族病《フィーンディッシュ・ディジーズ》の治療はすぐに終わった。最後まで小峰は、なんとか手伝えないかと食い下がったが、最終的には警備員に引きずられるようにして帰っていった。 魔法的な治療を施す部屋だけあって、様々な触媒《マテリアル・コンポーネント》や焦天具《ディヴァイン・フォーカス》が棚に整然と並べられていた。また、床には精密な陣が描かれている。余りにも細かい術式だったので、一見気が付かなかったが、多重階層呪陣《M・L・F》だ。どうやら必要な神聖値《キリエス》を得るために、診療台の下に下級天使《エンジェル》を捕縛《トラップ》しているらしい。 「では、約束通り、私達魔工庁の依頼をお受けして頂けるのですね?」 治療の間、何処かへ姿を消していた魔女技官《ウィッチ・クラフト・オフィサ》カリーナが念を押すように俺に聞いた。 「ああ。だがその前に見せて欲しい物がある」 「なんでしょうか」頑是《がんぜ》無い子供をなだめるような表情で、年下にしか見えない少女は言った。皺一つ無い白い肌に浮かぶ微笑みは、どこか婉然としている。 「三柳の姿を見せてくれ。でないと、あんたらがあいつを助けたという証拠が無い」 「と申されましても、先程お伝えしましたように、理彩さんは物質、アストラル、イセリアルの三空間に渡る多層結界の中に安置されています。物質空間を封じる結界は、完全に光を遮断しているので、残念ながらお見せすることはできません」 「真眼鏡《トゥルー・シーイング》があるだろう」 「あれは危険です。確かに真眼鏡《トゥルー・シーイング》を使えば、結界による光線の遮断を超えて内部を視認することが可能ですが、そうすると彼女に憑いている中級悪魔《ミドル・デーモン》――狼悪魔《グラブレズ》まで見ることになってしまいます」 高密度の障気の塊である悪魔《デーモン》は、物質界に介入する場合、霊的物質である障気から肉体を作り、それを依代《よりしろ》にして顕在化する。つまり悪魔にとって肉体という物は、核《コア》を入れる容器に過ぎない。核《コア》は、その余りにも大きい霊的ポテンシャルの為、人間が直接触れると精神的な死すら招く危険がある。わけても中級悪魔《ミドル・デーモン》の核《コア》となれば、修練を積んだ魔術師や司祭でも直視するのは危険だ。 「何故危険かは理解していらっしゃるようですね」 「さっきのテストだけじゃあ、物足りなかっただろう。ついでだから真眼鏡《トゥルー・シーイング》で狼悪魔《グラブレズ》を見ても、俺がそれに耐えられるかどうか試してみたらどうだ」 「テスト? 海場澤様が何を言ってらっしゃるのか理解しかねますが」 「とぼけるのは勝手だが、看過されているんじゃどっちにしたって変わらないぜ。さっきの鳥悪魔《ヴロック》は、明らかにおかしい。中級悪魔《ミドル・デーモン》が、幾ら高校生の割に腕が立つと言っても俺と小峰に倒せる物じゃない」 「海場澤様は自分の能力を見くびってらっしゃるのですよ。それに小峰様だって――」 「それだけじゃない、中級悪魔《ミドル・デーモン》なら倒した後に周囲に発せられる障気の量は、あんなもんじゃない。もし周りに植物や小動物がいたなら、その障気を浴びて一瞬で死滅してしまう程なんだ。それがどうだ、鳥悪魔《ヴロック》を倒した直後ですら周囲の障気濃度は、殆ど上昇しなかった」 悪魔学《デーモノロジィ》は、高校の教育課程の中でも最も重視される科目だ。特に俺の場合、親が親だけあって自然とこの手の事には詳しくなっていた。魔族病《フィーンディッシュ・ディジーズ》に掛かった場合、すぐに現われるはずの発作が全く無いのもおかしい。さっき受けた治療も、素人目には分からなかったかもしれないが、明らかに魔族病《フィーンディッシュ・ディジーズ》を治すためのものではなかった。俺が気が付いたのはその時だ。 「流石、ですね」と見た目に似合わぬ、重い溜息を吐くが、それもどこかわざとらしい。考えてみれば鳥悪魔《ヴロック》の正体を見破るのもテストの内なのかもしれない。けった糞悪い連中だ。 「そんなわけで、三柳の身柄を確認するまではあんた達を信用するつもりはこれっぽちも無いのさ」 「命の保証はしかねますよ」 やれやれ、といった調子で彼女は言った。もしかしたら、狼悪魔《グラブレズ》の核《コア》を見せる事はテストとして組み込まれていながらも少女は、その方針に反対だったのかもしれない。 そうして案内された場所は、ビルの遥か地下だった。一度も止まらず、五分ちかくもエレベータに乗っていただろうか。通常の建物の基準で考えれるならば地下三十階という事になるだろう。 エレベータから降りると、そこは五十×五十メートル程度の広さのガランとした空間だった。丁度、学校の体育館の様な大きさだろうか。その床全体に描かれた巨大な魔法陣は青白く発光している。壁には小さな方陣が等間隔で無数に呪付されていた。そちらからは懐中電灯の様な指向性の高い光が、床の紋様に向って放たれているのが判る。 「積層立体結界」そこまで見てようやく、部屋中に広がる巨大な魔法陣が何か判った。 「よく御存知ですね。この結界は、単に狼悪魔《グラブレズ》を封じ込めるだけではなく、三柳さんの代謝の進行を防ぐために、時間の進みを無限に小さくするものでもあります」 「それじゃあ狼野郎は物質、アストラル、イセリアルの三空間どころか時空間まで封じられている訳か」 「はい。ですから狼悪魔《グラブレズ》は、陣内のアストラル空間に身を潜めています」 物質空間に出現した途端、時間遅延に飲み込まれてしまうのを回避するためだろう。確かにアストラル空間には時間の流れが存在しないので、時間遅延のトラップからは逃れることが可能だ。 「三柳の肉体が完全に核《コア》に乗っ取られるまで、実時間でどれくらい掛かるんだ」 「三十日間というところでしょうか。結界内時間で三日という事になります」 つまり結界内部の時間は現実の十分の一の速度で進んでいるという訳か。何か時間遅延の兆候が見えないものかと、目を凝らしてみるがさっき魔女技官《ウィッチ・クラフト・オフィサ》が言っていたように、中心部に近い位置に物質界に及ぶ結界らしき存在があり、完全に可視光線の侵入を阻んでいた。 「真眼鏡《トゥルー・シーイング》を用意してくれ」 「最後にもう一度だけ聞きます。本当によろしいのですね? 私達は海場澤様に危険が及ばぬよう可能な限りの処置は施しましたが、それでもなお中級悪魔《ミドル・デーモン》の核《コア》を直視する事は極めて危険です」 「しつこい」にべもなく俺が言うと「そうですか」とうなだれた調子で技官の少女は溜息を吐いた。そして、左手に持っていたティッシュ箱大のケースから、スノーボードに使うようなゴーグルを取り出した。 ゴーグルを受け取り、早速それを装着する。いきなり核《コア》本体を見るのではなく、周囲の魔法陣などを確認しつつ徐々に視線を中心部に近づけていけと、あらかじめ注意を受けていたでその通りにしてみる。 当然のように床に描かれた陣からは、真眼鏡《トゥルー・シーイング》に依って視覚化された、かなりの量の神聖値《キリエス》を持つオーラが立ち昇っていた。しかし、積層立体結界の中央に近づくにつれ、だんだんと神聖値《キリエス》が減少しえているのが判る。狼悪魔《グラブレズ》の持つ障気が神気を中和しているのだろう。 壁に描かれた無数の魔法陣の中には、捕縛《トラップ》された天使《エンジェル》達が、「聖なる、聖なる、聖なるかな、三つにいまして、一つなる、神の御名をば、朝まだ来《き》、起き出《い》でてこそ、ほめまつれ」と一心不乱に祈りを捧げているのが見えた。 そうして周囲を確認しながら、ゆっくりと部屋の中央へと視線を進めていった。中心に近づくごとに場の神聖値《キリエス》は下り、逆に障気濃度が上っていくのがすぐに分った。肉眼で確認したときは、黒い障壁に阻まれて見通すことが出来なかった所まで進むと、障気濃度は耐え難い程にまで増大していた。 意を決して、陣の中心に目をやると、場の持つ圧倒的な霊的ポテンシャルに押し潰されるような感覚に見舞われた。一瞬でも気を抜けば、良くて気絶、下手をすれば精神を破壊されてしまいそうなほどの“質量″をひしひしと感じる。 歯をくいしばり全身に力を込めて、その強烈なプレッシャになんとか耐えたが、少しの間は全身が痺れ息をすることもできなかった。しばらくするとようやく呼吸が落ち着き、再び体を動かす事ができる様になった。 「これが、中級悪魔《ミドル・デーモン》のパワーって訳か……」 余りに圧倒的な暗黒のオーラを凝視していると、中心部に呆漠とほのかに光る物が見ええた。 「理彩!」 俺はそのまま、脱兎の如く走り出し、立体陣の中に踏み込もうとした。しかし、一番外側に張り巡らされた物理結界を越えようとした瞬間、全身をマグマに包まれた様な激痛を受けた。 「――ですか。海場澤さん」 どこからともなく、自分の事を呼ぶ声が聞こえた。眼を開いてみると、自分のすぐ横に知らない女が立っているのが見えた。どうやら俺は、ベットか何かの上に仰向けになって寝ているようだ。しかし、ここまで自分で来たという記憶は無い。確か俺は地下の結界で……。 「無茶はしないで下さいと言われたでしょう。中級悪魔《ミドル・デーモン》を封じる程強力な結界に飛びこんだら、ただでは済まない事くらい貴方ならば分かっていた筈です」 そうだ。俺は地下で狼悪魔《グラブレズ》に憑依された理彩を見て、思わず結界に突っ込んでしまったんだ。 「あの物理結界には、もしかして沸血《ホリッド・ウィルティング》が侵入者に掛るような術式が埋め込まれていたのか?」 「その通りです。内部から狼悪魔《グラブレズ》が出て来るのを防ぐのも、あの結界の役割ですが、他方で何人《なんぴと》も、近寄る事が出来ないようにする役割もあるんですよ」 「しかし、俺は沸血《ホリッド・ウィルティング》なんか喰らって良く死ななかったな」 今更ながら、自分の体を点検し全く外傷が無い事に気が付いた。四肢や間接も自由に動く。 「死ななかったと言っても、ギリギリでしたけれどね。貴方についていった技官がカリーナ様でなければ、間違いなく貴方の魂は散華していましたよ」 「ところで、あんたはどこの誰さんなんだい」 「自分から名乗るのが、礼儀じゃないですか?」 「知っている奴に、改めて教える事もないだろう」と言いながら、その女を観察する。年は俺より少し上、という所だろうか。ここが魔工丁でなければ大学生と評価してしまうだろう。身長は百六十センチメートル前後、多少痩せ気味に見えるが、それ以外は特に変った所は無い。服装は、それが魔工丁の制服なのかカリーナと同じ誂えの物を着ている。 「今回の事件で、貴方とパートナを組む事になった魔工丁魔術調査課の南雲《なぐも》サチカです」 「自己紹介は済んだみたいですね」後から声が聞こえたので、振り向くと、ちょうどカリーナが扉を閉じている所だった。「もう、ああいう無謀な事はしないで下さいね」そう言いながら、ベッドの横にある丸椅子に腰を架けた。 「悪かったよ。ところで任務ってのは何なんだ」 「ディディ・コーポレーションというアメリカ外資系の会社を御存じですか?」 知っているも何もディディ・コーポレーションと言えば魔術と科学技術を融合させ、今俺達が使っている様々な法衣や武器等を作成している巨大企業だ。うちの学校で至急される装備も、一部の特殊な物を除けば全てこの会社が作っている。裏では下方世界の存在と取り引きしていという黒い噂もある。 「そんな大企業がどうしたっていうんだい」 「実はディディ・コーポレーションに、私達の研究成果が奪われてしまったのです。正確には研究成果が収められたハード・ディスクが盗まれたのですが。そのデータは魔工丁の中でも第1種の機密とされている物で、既に内部では永久封印が決まっていました」 「で、その機密データとやらは、どんな内容なんだい」 するとカリーナは首を振り「残念ですが、海場澤様にもそれだけはお教えする事が出来ません。第1種機密に属する危険なデータである、という事実以上の事は口外する権利を私は持っていないのです」 まあそんなものだろう。ここでペラペラと喋ってくれるようでは、変って怪しい。しかし第1種機密という事は、魔工丁の中でも極めて上位の者しか、知らされていない情報の筈だ。他の省庁のトップですら知らなくても不自然ではない。 「じゃあ、そのデータが記録されたハード・ディスクを奪い返せば良いんだな」