朝目覚めて「あれ今日も生きてる」とか不思議に思ったことはありませんか。また何を阿呆なこと言い出すんだ此奴は気でも違ったのではあるまいか、と思ってもいいのでまあ聞いてやって下さいや。
つまるところ別段特殊な事じゃなくて、今から二千三百年も前に荘子という変人が『胡蝶の夢』という漢詩で似たようなことを書いていますね。ざっと書くとこんな感じ(常用漢字外の文字があるので漢文の部分はGIF画像にしてあります)。
この手の「現実なんてのはオノレの頭の中に広がった夢や妄想と差が無いんだ、いや寧ろオノレの想像力の産物こそが現実なんだっ、いやわからんどっちだどっちなんだよぉぉぉ」みたいなテーゼってのはわざわざ二千三百年前にに立ち返らないでも、いろいろなところで囁かれていますよね。比較的最近だったら映画『マトリックス』とか、小説だとフィリップ・K・ディック氏の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』とか高畑京一郎氏の『クリス・クロス』あたりですか。《意味》
むかし、荘周は自分が蝶になった夢を見た。楽しく飛び回る蝶になりきって、
のびのびと快適であった。自分が荘周であることを自覚しなかった。
ところが、ふと目が覚めてみるとやっぱり荘周である。
いったい荘周が蝶となった夢を見たのだろうか、それとも蝶が荘周になった夢をみているのだろうか。
荘周と蝶とはきっと区別があるだろう。こういうのを物化(万物の変化)という。