胡蝶の夢

 朝目覚めて「あれ今日も生きてる」とか不思議に思ったことはありませんか。また何を阿呆なこと言い出すんだ此奴は気でも違ったのではあるまいか、と思ってもいいのでまあ聞いてやって下さいや。
 つまるところ別段特殊な事じゃなくて、今から二千三百年も前に荘子という変人が『胡蝶の夢』という漢詩で似たようなことを書いていますね。ざっと書くとこんな感じ(常用漢字外の文字があるので漢文の部分はGIF画像にしてあります)。

《意味》
むかし、荘周は自分が蝶になった夢を見た。楽しく飛び回る蝶になりきって、
のびのびと快適であった。自分が荘周であることを自覚しなかった。
ところが、ふと目が覚めてみるとやっぱり荘周である。
いったい荘周が蝶となった夢を見たのだろうか、それとも蝶が荘周になった夢をみているのだろうか。
荘周と蝶とはきっと区別があるだろう。こういうのを物化(万物の変化)という。
 この手の「現実なんてのはオノレの頭の中に広がった夢や妄想と差が無いんだ、いや寧ろオノレの想像力の産物こそが現実なんだっ、いやわからんどっちだどっちなんだよぉぉぉ」みたいなテーゼってのはわざわざ二千三百年前にに立ち返らないでも、いろいろなところで囁かれていますよね。比較的最近だったら映画『マトリックス』とか、小説だとフィリップ・K・ディック氏の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』とか高畑京一郎氏の『クリス・クロス』あたりですか。
 大抵はそんな事言われても、引きつった顔で「いや、そんな事言われても知らないよ。ってか今が楽しいから現実でも妄想でもなんでもいいんじゃん?」とかって思うわけです。僕もそう思っていました。
 ただちょっと魔が差して歪んだ思弁に身を任せてみると、本当に今楽しいのかオマエどちらかというと辛いことの方が多いんじゃ無いかいや人生なんてそんなもんだとか達観しないでちっと考えてみようぜダンナ、とかって思ったりするのです最近(多分疲れてるだけ)。
 で、仮に人生は辛いものと定義してみたとして、そうだとすると何で人間は毎日々々飯喰って糞して寝て起きて正常な新陳代謝保って生命活動維持してまで、自分の意識とは無関係に明日を生きようとするんだろうとか不思議に感じるのです。そんな辛いなら、一回寝たらそのまま目も覚めずに死ねるような機能を人間が内蔵していてもいいんじゃねぇかとか。そう考えて、冒頭の台詞に戻るわけです。だからどうだってもんでも無いんですけど。
 僕は無才浅学なんで、きっとこの程度の事についてはハイデカーとかウィトゲンシュタインとかゲーテとまモーゼとか親鸞聖人とかYHWHみたいな、名前しか聞いたこと無いお偉い方々がいろいろ考えて、勝手に結論とか出しているんじゃないかと思うんですけどね。
 取り敢えずよく分からなくなってきたので寝ます。明日は生きてますかね。


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