第7章:エリネの初仕事2 レンガの敷き詰められた道に、微かに潮の香りがする。 港町オルグの道は港から扇状に広がっていて、早い話、どこをどう歩いても 港に行くことができるようになっている。 銀髪のキリが口を開いた。 「ま、バケモノ相手にするわけでもなかろうし、ひよこちゃんの 初仕事には良いわよね」 「おっと、仕事を甘く見るものじゃない。道で何が起きるか、判らないぜ」 ユノーが釘を差す。 「お、珍しいねお二人さん。いつもだったらお互い、反対のことを言ってるだろうに」 「そりゃ、置物じゃないんだから、昨日と同じ方向を向き続けているって 訳には行かないよ」 タップとキリのやりとりを面白そうに見ながら、フィラントは新しい仲間、エリネに 話しかけた。 「ねえ、ユノーの兄貴に聞いたんだけどさ、エリネって家出してきたんだって?」 「ええ、まあ。」 「いいよなあ」 「え?」 「俺なんかさあ、もう、帰る家がないからさ。家出したくてもしようがないもん」 「……」 「あ、いや、そういう意味じゃなくてさ」 目を大きく見張るエリネに、慌ててフィラントが言葉を打ち消す。 「もし上手く行かなくてもさ、帰れる場所があるんだから気にするなって事。」 「……ありがとう。」 微笑むエリネに、フィラントは少し照れてしまう。 「あー、ひよこちゃんと猫ちゃんが仲良しだこと。」 「おいキリ、どうしたんだ?」 「別にどうもしてない」 そう言いながらもすたすたと先に行ってしまう。 どうやらまだエリネのことはお気に召していないらしい。 ユノーはため息をつく。 神官服を着たメロゥスはこれまた新入りのイオン……ハーフエルフの 吟遊詩人と話している。 「イオンさん。」 「はい、なんでしょう?」 「失礼ですけど、イオンさんは、男ですか?女の方ですか?」 「……」 「おいおいおい、やぶから棒に失礼な奴だね、本当に。」 人生経験の豊富なタップでさえ辟易する。 「いえ、エルフの方はみなさん男女の分け隔てなく育てられると聞きましたが、 本当に見分けがつかなかったものですから」 悪びれた様子もなくさらりとメロゥスは言ってのけた。 「私は、これでも一応女ですよ、メロゥス。もっとも、冒険者稼業をしているので ずっと男のなりばかりしていて、あまり女に見られたことはありませんし、 エルフには男とか女とかはあまり重要なことではないんです。とはいえ、 私は純粋なエルフではないのですけれど。」 いいながらイオンは笑う。 「はあ、おんな……でしたか。」 あごの辺りをさすりながらタップがつぶやいた。 「なんだぁ。なんだかんだ言っといて、結局タップもイオンが女かどうか、 知りたかったんだ。」 フィラントに図星を言われてタップはへへへ、と頭をかく。 「お、だけどよ、そう言うフィラントだって」 「あのう」 エリネが声をかけた。 「私は、どっちに見えます?」 「……って」 「エリネは女の子に決まってんじゃん」 何言ってるの、とでも言いたげにフィラントが断定する。 他の6人も、そうそう、とうなずいている。 エリネは自分の変装が功を奏していないことを知って、がっかりする。 本当は、エリネが知らない間に、あの酒場のマスターが、メンバーにエリネが女だと 言うことを伝えてしまったからなのだが、エリネはそれを知らない。 エリネはしゅんとなってしまった。 タップ、さっきのお返しとばかりにフィラントを突っついた。 「あ〜、女の子を泣かしちゃったよ、フィラントく〜ん」 「泣かしてないって!ね、エリネ」 そう言ってフィラントはエリネの顔を見た。 エリネは、タップの言うように泣いるわけではなかった。 が、とても落ち込んだ様子だった。 うつむいたまま、顔を上げようとしない。 「さぁ〜どうするの〜フィラント君。泣いちゃうよ泣いちゃうよぉ」  なおもフィラントにかまうタップの頭に、ごちんと何かがぶつかった。 目の前で火花が散って、思わずタップはしゃがみ込む。 「っっっくぅぅぅぅぅ……」 「タ、タップさん……!」 「……大丈夫ですか、タップ?」 それぞれ、口を手で覆って目をまん丸にして驚くエリネ。口をへの字にして、 「ざまあみろ」といった表情でタップを見るフィラント。毎度のことに慣れて しまったのか、穏やかに心配するメロゥス。  ユノーが剣の柄でタップを殴ったのだ。ユノーはにやにや笑いながら言う。 「いいかげんにしろよ、ったく。タップはフィラントをいじめるのが 好きなんだからな。大人げないぜ。どうだ、ちょっとは懲りたか?」 「ユノー。……あんた、馬鹿力出しすぎ」 キリは額を押さえてため息をつく。 ん、そうかな、とユノーは頭をぼりぼりとかいた。 「いやー、すごいですねえ。剣にたんこぶが出来そうな勢いでしたね」 「あ、ほんとにたんこぶが出来てる」 「おいおい、うそだろう?どこだよ」 剣の柄を覗き込んでいたフィラントを押しのけて、ユノーは自分の剣を点検した。 「ユノー……剣にタンコブが出来るわけが無かろうが」 もはやキリは呆れるしかない。 「あの……タップさん?」 「うー」 まだ後頭部を押さえてうめいているタップ。 見ているエリネは心配になってきた。 「どうしよう、お医者さんに行った方が」 「大丈夫だよエリネ。タップに医者はいらないって」 そうそう、とみんなもにこにこしながら頷く。 ……お医者さん、か。けっこう良い暮らししてたみたいね、とキリは思った。 「ひぃ〜。いっっってぇぇぇぞ、おい、ユノー!剣の心配より仲間の心配を せんかい!」 ああ痛、とまだ言いながら、ようやっとタップが立ち上がった。 「タップ、ちょっと手をどけて見せてみな。」 「おおおお、こりゃひでー」 「わ、すっごいたんこぶ……」 「ちょ……っと、やりすぎた……かな、は、はははは」 口々に言う仲間達。 タップは痛み以上に彼らの言葉の方が気になった。 「なあ、そんなにすごいのか?」 「そりゃもう」 「あ、タップさん、あまり動かない方がいいと思います。なにしろ頭ですし、 こう言うときは大事をとらないといけないって聞いてます」 タップの中で心配がむらむらと入道雲のように湧いてくる。 さらに思い出がぐるぐると走馬燈のように目の前を回り始めた。 ああ、俺は死ぬのか。こんなところで死ぬのか。せめて怪物と戦って死ぬとか、 世界一手強い罠を外し損ねて死ぬとか、もうちょっとましな死に方があるだろうに、 よりにもよって仲間とじゃれあっているときに剣の柄で……。くそう、柄だぞ、柄! 刃物で切られて死ぬんならまだしも、柄で殴られて死ぬなんて、あの世の親父に なんて言って顔をあわせりゃあいいんだ。 ああ、こんな事なら夕べはけちけちせずにもっと酒を飲んでおくんだった……。 「……なんだかエリネさんは、施療院のシスターみたいですねえ」 そんなタップにお構いなくマイペースのメロゥス。 「そうですか?実は、前に何回かお手伝いした事があるんです」 「はあ、そうなんですか」 メロゥスはなるほど、と得心のいった様だった。 「でもエリネさん、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。意識もありますし、 血が出ているわけでもありませんし。それよりなにより、……まあ、なにしろ、 タップですから」 「おぉーい。どういう意味だ、メロゥス?」 「アハハ、まあまあ」 イオンが笑いながらタップをなだめる。 「じゃ、とりあえず傷を治す魔法をかけておきましょうか」 「さすが本職」 フィラントは自分が魔法と縁がないせいか、メロゥスやキリが魔法を 使うところを見ると、わくわくした。 「戦神マイリーよ、そなたに仕えし神官メロゥスが謹んで申す……」 メロゥスの祈りの言葉と共に、タップのたんこぶを暖かい色の光が包んだ。  フィラントは、ふっと臭いを感じた。エリネの臭いだ。 まだ熟す前の、木の実の臭いに少しだけ似て、ほんのりと青かった。 何気なく隣を見た。一緒にエリネが魔法を見ている。 他のみんなは感じてないのかな?とフィラントは不思議に思った。 どうやら、フィラントだけがその臭いを感じることができたようだ。 それは、フィラントが広い草原で子供時代を過ごしたためだったのかも知れない。  フィラントの目の前で大きなタンコブは空気が抜けた風船のように ぺしゃんこになった。あざの一つも残らない。 ああ、やっぱり魔法ってすげえよなあ、とフィラントは思う。 エリネの方を見ると、エリネはフィラントが思っていたほど楽しそうな顔を していない。何というか、例えば石を投げたら下に向かって落ちるのが当たり前 だと言うのと同じように、メロゥスが使った魔法でタンコブが消えるのが当たり前 ……とでも思っているような顔だった。エリネがオルグの酒場で、父系は魔術師の 血筋だと言っていたのを思い出し、そのせいかな……と、はじめは思った。だが、 それにしては少し様子がおかしい。 フィラントはエリネを嫌いではなかったのだけれど、彼女の表情を見た瞬間、 なんともいえない、嫌な、暗い気持ちになった。 エリネがこちらを見た。 「どうしたの?怒ってるみたいな顔。」 「え?別に怒ってるわけじゃないけど……」 フィラントは弁解がましく、ぼそぼそと言った。 タップが勢いよく立ち上がり、ズボンについた砂をたたき落とす。 おそらく、今晩は生還祝いとしてまた酒を飲むつもりなのだろう。 じゃあ行こうか、と再び7人は歩き出した。  フィラントはまださっきのエリネの事が気になっている。 無表情……というよりも、どちらかと言えばあえて無関心でいるような……。 エリネの顔を穴が開くほど見つめていて、視線に気付いたのか、 エリネが振り向いて目が合うと、フィラントは自分がやましいことをしているようで、 どきどきした。 エリネは困ったように笑った。 「フィラントは、魔法が好きなのね」 図星を指されて、フィラントの心臓は止まりそうだった。 「あたしのお母さん」 「え?」 エリネの声はとても小さくて、町の雑踏の中では聞き取りにくかった。歩きながら 訥々とエリネが語る。フィラントは一生懸命耳を澄ました。 「死んじゃったの……二年前に。夏の始めで、とても暑い日だったのを覚えてる。 私の家、町からちょっと離れていて、馬車で半日かけて行かないと、買い物も できないの。私と父さんは朝のうちに出かけて、お母さんは家にいたんだけど。」 そこで言葉を切った。 「丘の道を父さんと二人で登っていって、いつもは緑色の屋根が見えてくるのに、 ……黒い……煙が見えて……」 父が、母の名を呼びながら馬車を飛び降り、家に向かって走っていく。 エリネは馬車から降りることができなかった。ただぶるぶると震えていた。 父が上着を脱いで手近の火を消そうとはたく。火の勢いはちっとも衰えない。 父は思いついたように側の井戸の水を汲み、頭からかぶった。 家の中に入るつもりなのだ。そうと悟って、エリネは「行かないで」と叫んだ。 「お父さんまで死んじゃう!……私をおいていかないで。一人にしないで!」 父はためらった。だが、エリネに向かい、笑顔で首を振った。「大丈夫だから」 そう言ったような気がする。燃え盛る火の音で声は聞こえなかった。 その時、やっと近くの人たちが駆けつけてきた。エリネの父が今にも火の中に 飛び込もうとするのを見て、慌ててみんなで止めた。羽交い締めにされた父は、 叫んでいた。「離してくれ!行かせてくれ!頼む!お願いだ!」父の希望は叶え られず、エリネの家は、はかなくも燃え落ちた。 あの時、父が母の元に行けなかったことは、エリネと父にとって、一体、幸福だった のか、不幸だったのか。 エリネは何かをこらえるように、ぎゅっと唇を結んだ。 フィラントはいたたまれなくなった。 うっすらと涙を浮かべながら、エリネはとつとつと語り続ける。 「それは、誰かが使った魔法の爆発で、お母さん、巻き込まれたんだって。 ……だから、私は。」 「ごめん。ごめんね、エリネ。俺、知らなかったんだ」 「しょうがないよ。……気にしないで、フィラント。私、平気だから」 エリネは無理矢理笑って見せた。  フィラントは、エリネが昔の自分と同じに思えた。 自分も、家族を失くしたとき、ユノーに慰められて、「平気だから」 と笑って見せた。そうしたら、顔は笑っているのに、急に涙が止まらなくなって、 こらえきれず、ユノーにしがみついてわんわん泣いた。エリネが今泣かないで いられるのは、二年という時間が過ぎて、わずかなりともエリネの心を 癒してくれたからだろうか。  ……エリネは、「魔法」に自分のお母さんが殺されたような気がしているんだ ろうな。  俺は逆だ。 キリとユノーに出会ったとき、俺は死にかけていた。それをユノー達が街の神殿まで 連れていってくれて、ようやく命を取り留めた。魔法がなかったら、俺は死んで いたんだ。ところが、俺はようやく傷が埋まっただけの、そんな体で仇討ちに行った。 今から思えば無謀なことだったけど、いろんなものを失いすぎて、そうするしか なかったんだ。もしやらなかったら、きっと生きる気力を無くしていたんじゃ ないかと思う。案の定、囲まれて、せっかく拾った命を無駄にするところだった。  キリが火の玉や稲妻の魔法で助けてくれたから、助かったんだ。そしてメロゥスも マイリーの魔法で助けてくれた。もちろん、ユノーにはとても感謝しているけど、 あの時ほど「魔法」がすごいって思ったことはなかったんだ。  世の中に、自分のように魔法が好きなわけではない人間もいる、と知って、 フィラントはエリネとの距離が離れてしまうように思えた。けれど、距離はこれから 少しずつ縮めていけばいい。いつか、エリネもフィラントのように、純粋に魔法を 「すごいなあ」と思ってくれたらこんなにうれしいことはないのに。  そう、フィラントは思った。