第9章:最初の夜まで
ネミラの街に向かって、二台の馬車が街道をゆく。
半日ほども過ぎたろうか。
街の近くにはまだ民家や畑があったが、そろそろ風景は森や丘が中心に
なってくる。
荷馬車の荷台からエリネは風景を眺めていた。だが、荷馬車の荷台は人が
座るようにはできていないので、悪路で車輪ががたがた言う度に
エリネのお尻はぶつけられて痛む。痛みはだんだん耐え難くなってきた。
思わず口にする。
「あーあ、フィラントやイオンさんたちはいいな、馬に乗れて。」
「なんだ、エリネさんはもう音を上げたんですか?」
「ふふふ、家出なんかするんじゃなかったー、って思ってるんじゃありませんか?」
「そんなこと……ありません!絶対ないです!……ただ、」
「ただ?」
「ちょっとお尻が痛くって……」
「おやおや。」
メロゥスとイオンがなごやかに話しかけてくる。後ろの馬車との間には
フィラントとイオンが馬に乗って護衛している。メロゥスはエリネと一緒に
前の馬車に乗っている。
契約のときの話では御者席に載せてもらうはずだったが、エリネという「女の子」
がいることを知った御者は、「御者席にいると馬糞が飛んで来るぞ。後ろにいた
方がええ。荷物だってそんなにぱんぱんに積んでいる訳でもねえ、ちょっくら
どかしてやっから娘っこは後ろさ、座れ。」と、いかにも人のいい田舎の人らしく
勧めてくれた。つい言葉に甘えてエリネとメロゥスは荷台の隅っこに腰掛けたのだが、
エリネは今は少し後悔していた。
またがたん、と馬車が揺れる。痛みに思わずエリネは腰を少し浮かせた。
「そんなに痛みますか?」
メロゥスはエリネが痛がるのを不思議そうに見ている。
「め、メロゥスさんは痛くないんですか?」
「別に……うーん、女性の方がお尻が柔らかいのでしょうね、きっと。」
「そっか、そうですよね」
真面目にエリネはうなずく。
「ねえエリネ。そんなに痛かったら薬を付けてやろうか?」
フィラントが声をかけた。
手綱を片手で持って片手で懐を探している。
さすがに草原で子供の頃から馬を乗り回している狩人達の出身だけあって
馬の扱いは手慣れた物だ。
「うん、あるある。おーい、兄貴ぃ!」
「おう、なんだぁ」
一番前で馬に乗っていたユノーが振り返る。
「エリネがお尻が痛いらしいんだ。ちょっと止めてくれよ」
「あー? ……よし、分かった。」
馬車が止まる。
ユノーは馬を返して隊列の中央へ。キリも来た。
「どうした、エリネちゃん」
後ろの荷台からタップがにやにやしながら見ている。
馬車が止まると、初めてエリネは自分のお尻がじーんと痺れているのを知った。
「……今まで固い椅子なんか座ったこともないって感じね」
冷ややかにキリが言う。
「キリ、お願いですからそんな言い方をしないであげて下さい。最初の旅で
そんな風に言われたら、少しエリネが可哀想です」
「あら、才能がないのに続けさせる方がよっぽどかわいそうってもんでしょ」
イオンの願い出をにべもなくあしらう。
「……ほら、エリネ、立てる?」
馬から下りたフィラントが荷台に乗ってきた。
「立てることは立てるけど、……ちょっと痛い」
「どれ、見せてみなよ。薬塗ってやるから」
「……え?見せるの?」
「そうだよ。見なきゃどこに塗っていいのか分からないだろ?」
「そ、そりゃそうだけど……」
エリネはそれほど男女のことに興味があるわけではなかったし、
今まで気にもしていなかった。でも、いくらそう言うことにうといと
いったからって、みんなが注目しているのに自分のお尻をさらすわけには行かない。
「あの、フィラント?」
「何だい、イオン」
「エリネは女の子なんだし……」
「うん」
フィラントはだからなんだ、という顔でイオンを見る。
イオンはフィラントもまだそういうことには幼いと気付き、どうしていいものかと
困ってしまった。
「フィラント。それ、貸しな」
いきなりキリがフィラントの手から葉っぱに包まれた薬を取った。
フィラントは予想外のことに言葉も出ない。
「ほら、メロゥス、出て」
たたき出されるようにメロゥスが降りる。
キリは自分の背負い袋から薄い毛布を取りだし、荷物の間にかけて目隠しを作った。
「これなら恥ずかしくないでしょ。さあ、脱いで」
キリなりの優しさであった。あるいは、単に仕事が遅れるのを好ましく思わな
かっただけかも知れないが。
素直にエリネはズボンを脱いだ。
「ああ、やっぱり赤くなってる。靴擦れみたいな感じね。ちょっと痛いけど
我慢してよ」
キリの細い指が、葉っぱの容器からベタベタする薬をなすりとる。
フィラントの薬は随分しみた。本当に、これ効くのかなあと思いながらエリネは
耐えた。
「はい、おしまい。ほら、早く服を着なさい」
「あ、はい」
手早く着衣を整える。
「もういいわね?目隠しを取るわよ」
取った毛布をさっさと畳む。
ぽんと投げて寄こした。
「それ、座るときに敷いておくといいわ。もしそれでも痛むようなら、
フィラントにでも一緒に乗せてもらうのね」
「……あ」
ありがとう、というよりも先にキリはとっとと荷台を降りてしまった。
エリネも続いて降りる。
「あ、エリネ。どう?まだ痛い?」
心配そうにフィラントがいう。
「ううん。まだちょっとしみるけど、さっきよりはずっと楽になった。
ありがとう、フィラント」
「いやあ、俺、大したことしてないし」
口ではそういいながらも、顔はとてもうれしそうだ。
イオンが口添えした。
「キリにお礼を言った方がいいですよ」
「え、うん……」
「いいわよ、うっとおしいから。仕事を早く片付ける方が先でしょ。」
いいながらキリはまた馬にまたがり、列の最後尾へ。
「……お礼、言いそびれちゃった」
「あのう、もう私は上がっていいんでしょうか?」
メロゥスはのんびりと言った。
「大丈夫じゃないの?もうエリネちゃんが可愛いお尻を見せてくれる事も
ないだろうし」
タップはつまらなさそうだ。
「タップ、そんなにエリネのお尻が見たかったの?」
フィラントは憤慨の面持ち。
「冗談だよ、冗談。冗談が分からないと女にもてねえよ」
「タップがもててるところなんか、見たことないよ」
「子供が寝てる時間に大人は遊んでるんだよ」
「うふふ、フィラントとタップさんって本当に仲良しなんですね」
言われて二人は黙った。そして二人で笑いあう。
再び隊列は出発した。
今度はエリネは座布団代わりにキリが貸してくれた毛布を敷いている。
そのおかげか、もうお尻が痛むことはなかった。
日が傾いてきた。
もしエリネの件で止まっていなければ宿場町にたどり着いていたはずだが、
あの件以降、ユノーは移動スピードを少し遅らせていた。それはあの人の良い御者も
もう一人の御者も納得済みだ。
そろそろ野営地を探そうか、と誰かが言い出した。
頑張っても街まではかなりあると思われた。
運良く、まだ明るいうちに野営できそうな場所を見つけることができた。
枝の細い木の林に、開けた場所があったのだ。
「よし、今夜はここで泊まろう」
ユノーが言った。
「もし盗賊に襲われるにしても、暗い中を移動しているときに襲われるよりも
マシだろう?馬も休ませなきゃならないし……なにしろ借り物だしな」
エリネの胸は、メンバーへの感謝と、済まない気持ちとでいっぱいだった。
「さてと」
ユノーがメンバーを見渡していった。
「テントはふたつ。どう分かれるか?」
К А Я М А
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