7月4日

 自分、本来TRPGに不向きな性格なのかもしれないなあと思うことが。何故かと言うと、基本的に感情的で中立の立場に立った物の考え方をする為には熟考するタイプだから、というのがあるんですよ。つまり、理性的な判断を即興でこなすのが下手なんですよね。これが、オフラインならば場の空気を読むとか代換手段があるのですが、オンラインだとそれもやりにくい。これが、自分がチャットセッションにいまいち踏み切れないでいる理由だったのだと気がついたのです。オンラインセッションの利点を自らの欠点が潰してしまう、なんとも勿体ない話なのですが。オンラインでその場その場の感情を掴む方法や、手段。もしくはオフラインでオンラインばりの利点の追及(これは無理そうだな(^^;)。やはり、これはテレビ電話みたいのが出てこないと解決しにくい問題なのかもしれません。 と、いいつつもなんとか出来ないかなぁと悪あがきしてみたりするのであった。

7月11日

「もしも〜」という空想は、誰しも一度はした事があるのではないでしょうか。でも、時が経つに連れ知識と経験から「予測」する事が可能になりそういった事に束縛されない自由な発想が失われていく……案外ありがちな事ですよね。思考の束縛から放たれて自由な発想をする方法論として以前にブレインストーミングとかのお話をしましたよね。それよりももっと単純かつ根源的な発想が「もしも〜」だと思うのです。(そういや昔某科学雑誌でもしもワールドなんて漫画もあったなぁ…あ、いや、蛇足。) たまには「もしも〜」と空想にふけるのを楽しむのもいいもんですよね。

7月18日

 口は出すけど金(手間暇・労力と置き換えても可)は出さない。TRPGで遊ぶ人口ってこの比率が他の趣味を持つ人よりも比率が高いように自分は感じるのですよ。その通りだと仮定して話を進めます。資本主義社会において、サービスに対して対価を支払うのは当然な事で、趣味の分野でも当然何かをするには金がかかるもんなんですよね。でも、TRPGはぶっちゃけた話プレイヤーするだけならば一銭も掛けずに遊べるんですよ。これが実は問題なんじゃないかなぁと思ったりするのです。細かいこと言えばダイスや計算機、飲み物や茶菓子、場合によっては場所代等かかりますが、これだって無茶すれば削れないこともない(お勧めしかねるけど)。マスターがルールブックからキャラクターシート、シナリオやら果ては場所や茶菓子類まで用意する。これって、なんか間違っているように感じるんですよ。もちろん、そんな事無い人達も大勢いるとは思いますが、でも、今上げた極端な例に当てはまるような人がいるのもまた事実でしょう。例えばちょっとしたコンベンションで微々たる参加費を支払って「俺は金を払っているんだからちゃんとサービスしろ」といった意見って、必ず耳にしません? でもその前にちょっと考えて欲しいんですよね。「自分は、受けるサービスに見合った代価をきちんと支払っているのだろうか?」と。参加費500円なんて、正直言って必要経費の捻出すらままならないんじゃないですかね。その分誰が穴埋めしているのかと言えばそれは、主催者のボランティア精神なわけでして。人の良心の上にあぐらをかくような事は少なくとも自分はしたくないし、見ていてみっともなく感じるものでもありますよね。

7月21日

 “TRPGは共通の知的財産たりえるか?”
 うーん、正直まだそこまでは至っていないと言うのが主観なのであるが、けど悲観しているわけでは無かったりもするのであった。なんだかんだと言われながらも新しいシステムは発売されているし。それは、温故知新では無いけど今迄に登場したTRPGに敬意を持って新たにデザインされたシステムに見受けられるのですよ。パクリやオリジナルと言った論主も最近は余り聞かないしね。これって実は以外と健全な状態なのかもしれない。そんな些細な事にこだわらず、訴求していく姿勢ってのは大切だと思います。

7月27日

 普遍性ってものに自分は凄く興味を引かれるものがあるんですよ。それは今の仕事にも活かされている(と思う)のですよ。デザインって、基本的に個性の自己主張なんですよね。ポスターなんかだとよく「押し付けのデザイン」とか呼ばれたりするのですが。でも大切なのは個性なり自己主張にしろ押し付けが「心地よいもの」でなければならないって事。実はこれが一番難しいところでもあったりするのですが。デザイナーはこの、自分が主張したい事をいかにして人の心に届けるか、その為の手法に多くの時間を割きます。この姿勢って凄く大事なことのような気がするんですよ。そして、その労力の結晶が「普遍性」と言う形になって人々の心に根づいてくれるものなのではないでしょうか。「普遍性を持たないもの」は決して大衆には受け入れて貰えないものとも言い換える事ができると思います。(大衆受けする必要があるか、ないか。と言う議論はひとまず置いておくとして)
あるセッションで、いわゆるバッドエンディングなシナリオをマスタリングしたのですが、そのセッションを終えた後プレイヤーから胸ぐら捕まれそうな勢いで非難を浴びたんですよ。ある人に「そこまで(プレイヤーに感情移入)させられれば大成功だよ」といったお言葉を頂いたのですが、自分はそれを失敗だと思っているんですよね。それが先にあげた「普遍性をもっていない」って事なんです。この例は非難がマスターに来る=プレイヤーの中で消化不良を起こしていると言う図式が背景にあるからだと思うのです。消化不良をおこしていると言う事は、与えられたものに対して拒否反応を示している。結局自分の自己主張の押し付けが普遍性を持っていなかったと言うところが問題なのではという結論に帰結するんです。
たまに「自分がやりたい事がある。でも、それをするとプレイヤーに受け入れて貰えない」といった話を聞きますが、自分の伝えたい物、やりたい事に対して相手に受け入れて貰えるようデザインする余地は残されているのではないでしょうか。その工程を妥協やパクリではなく、昇華する方向へ持っていければ、自他共に満足のいく素晴らしいものになるのではないでしょうか。

7月29日

 舞うって、凄いですねぇ。人の心を捉えて離さないその動き。四肢を動かすだけのその動作にすら人は、想いを込めて人にそれを伝えることを可能とするんですもんね。たった布きれ一枚ですら、そこに何かを感じさせる動きをするんですから。人を引きつける魅力って、凄く曖昧でとらえ所の無い物に感じるのですが、でも、それを見極める目は持っていたいですね。感受性と言い換えても良いかな? やっぱり感動するって素晴らしい事だし、出来うるならばそれを人に与えてみたい。今日の8耐前夜祭を観ていてそんな事がふと頭の中をよぎりました。


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