HIDDEN MOON
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 4年間、この日から逃げてきたのだが、ついに再びその日を迎えることになった。
「ユリは就職どうするの?」
 両親の事故死から3年、父方の叔父に引き取られてから、両親の遺産と叔父夫婦の援助で、どうにか大学に通ってきたのだが、そもそも大学に進んだのも、『就職』という2文字からなるべく逃げていたかったからなのだった。
 父の兄・自分の叔父である芳生 拓匠(よしお たくぞう)の妻・倫代(みちよ)が何となく口にした心配を聞いて、ユリは味噌汁を気管支に流し込み咽た。
「倫代ちゃん、その話は抜き。」
 叔母を倫代ちゃんと呼び始めたのは、10歳頃から。倫代は、小柄ながら丸い体系の可愛らしい女性だった。愛想の好い笑顔のステキな、良き女である。その倫代は、全然歳を感じさせないので、小さい頃からずっと『姉』のような存在だったのだ。それ故、本人も喜ぶことから、倫代ちゃんと呼ぶようになった。親戚一堂仲がよかった所為もあり、引き取られたあとも、多少の遠慮だけで済んだことに、ユリは両親へ多大な感謝をしていた。
「でもねぇ...、パパも心配してるし」
 と、咽て苦しんでいるユリの背中を叩いた。パパとは、叔父・拓匠のことである。子供のいない夫婦で、若い頃からずっと『パパ・ママ』と呼び合っては、仲睦まじい。
「今日の午後までに何とかすればいいでしょ?いざとなったら、拓匠さんにお世話になればいいし」
 拓匠は、ユリの父親と2人で『芳生探偵事務所』を経営していた。ユリの父親が亡くなってからは、拓匠一人で経営している。評判も探偵員の質も、落ちることがないのは、拓匠の地道な営業方法が功を奏しているからである。人間的にも信頼の置ける人物だった。何より、ユリには優しい。優し過ぎる故、親戚の子供たちからクレームがつくほどであった。
「うちも手一杯なのよ。意外にも...」
 簡単にお世話になるというユリに、倫代が言った。
「え〜。今まで通り、少しお小遣いくれるだけでいいよ。正社員とかじゃなくてさ」
 図々しい提案をされ、困った顔をする倫代に、にんまりとユリは笑って見せた。
「この話の続きは、今日の夜ね!」

 両親は割と話の判る人たちだった。と、ユリは思う。大学進学の際、精神学科系に合格出来たのも、何も言わず挑戦させてくれた両親のお陰だったとユリは思っている。入学後、少々遊び呆けてしまったユリを、やはり何も言わず見守っていてくれた両親は、3年前の飛行機墜落事故で、この世を去った。
 当時請け負っていた仕事の調査をする為、母同伴で日本を出た父は、滑走路から離陸した僅か2分後、燃料漏れによる火災で、空中で焼け死んだ。大学があるからと一人留守を頼まれたユリは、その光景を飛行場で見ていた。消防による消火活動もままならないまま、機体は燃えて行った。
 その光景を、今でもユリははっきり覚えている。決して癒えない傷である。



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『1週間ほどアメリカに行くから、留守を頼んだよ』
 いつも通りユリが大学から帰ると、事務所から父親が電話をしてきた。
「お土産忘れないでよ!」
と、留守を請け負ったユリは、愛犬ニンニと共に、もうすぐ、ひととき日本を発つ両親を見送りに、空港へ向かった。家の前の大通りでタクシーを運良く拾えたユリは、離陸寸前で空港に着いた。搭乗口すぐ脇の窓から、両親を乗せたジャンボ機が見えた。
 ニンニを抱えると、すぐにジャンボが滑走を始めた。1週間後帰ってくる両親の顔と、山程のお土産を胸いっぱいに思い描くユリを置いて、ジャンボはゆっくり頭を上げる。最後の後部車輪が滑走路を離れたとき、少し安堵感を覚えたユリは、窓から一瞬目を離した。
 その直後、館内が一斉にざわめいた。所々で、小さく悲鳴が聞こえる。最初は、館内で何か起こったのかと思い周りを見回したが、誰もが窓の外の夜空を見て、顔を強張らせていたことに、ユリは事態を把握した。慌てて離陸したばかりのジャンボを見上げると、そこで宙を舞っていたのは、白く美しいジャンボ機ではなく、大きな炎を輝かせた、空飛ぶ鉄の固まり...。
 ユリが窓を割らんとする勢いで食い付いて見ていると、ジャンボは滑らかに放物線を描いて落下して行く。炎はその間、満タンに積み込んだ燃料を食い、どんどん大きくなって行く。機長が咄嗟に判断したのだろう、ジャンボは元の滑走路へと戻ってきた。やがて隣の滑走路へ頭から突っ込んだジャンボは、大きな爆発音と共に、その体を粉々にされた...。
 噛み締めた唇が切れ、血が少し流れた。腕の中のニンニは、盛んに吠えている。周りのざわめきと悲鳴は一向に止まず、ユリの心を一層怒りと悲しみに駆り立てた。
 忘れ得ぬ、両親の死の瞬間。

 その日から、ユリは心を閉ざした。マスコミの報道も、近所の噂も、ただのうわ言にしか聞こえず、心を癒してはくれない。ニンニだけが傍にいて、慰めてくれるのだった。それ以外は、形だけの嗜みにしか思えなかったのだ。誰にも解る筈がないのだ。それを理解してか、友人も親戚も、声を掛けては来なかった。
 ただ抜け殻のように、朝起きて、大学へ行き、帰宅する。そんな日々が続いた3ヶ月後のある日、倫代がユリの家を訪ねて来た。

「諦めなさい」

 その一言だけ言うと、倫代はすぐに帰った。そのとき、ユリの中で何かが動いた気がした。
『諦める』。根本的なことのような気がした。悔やんだり悲しんだりして、果たしてこの感情が治まるのか...。抜け殻だった体に、ほんの少し、感情が戻った気がした...。

 その日から、ユリは少し笑うようになった。今まで忘れてしまっていた分、少しずつ、ぎこちなく。そして、食欲も戻ったある日、あまりの空腹に3ヶ月ぶりに冷蔵庫を開けようとしたとき、ユリの目に1枚のメモが飛び込んできた。
 白い、小さなメモ紙に書かれた字は、ユリの心を更に動かした。

荷物を持って、来なさい 倫代 ...

 それは何より嬉しい、慰めの言葉だった。一人っ子だったユリは、今まで一人で生きていると思っていたから。
 その日はあまりの嬉しさに、一晩中、ベッドで泣いた。



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 それから凡そ2年半、もうすぐ卒業を迎える。将来の夢は、今まで誰にも話さなかった。そして、両親の死に対して、やっておきたい事があった。卒業式典を終えたユリは、仲間との食事を早々に切り上げると、叔父家に帰ってきた。今では、ここが、自分の家である。部屋に戻って、着替えると、拓匠と倫代のいる事務所へと走った。

「拓匠さん!」
 ものすごい勢いで事務所の扉を開けたユリは、拓匠の机へと駆け寄り、顔を突き出してこう言った。
「私をここで雇って下さい!」
 バン!と大きな破裂音を響かせ、ユリの右手の平が机を叩いた。拓匠の顔は、変わらない。午前中、倫代からこうなるであろう話は聞いていた所為もあるが、何となく、弟の死からずっと感じていた事だったから、動揺もしなかった。
「おまえじゃ無理だな」
 ふんとそっぽを向いた拓匠は、新聞を広げてユリに背を向けてしまう。周りにいた探偵員も、成り行きを静かに見守っていた。

「解ってる。だから、やりたい...」

 理由などない。直感が、その道を指差している。見えないところで、何か自分だけが知らないことがありそうな気がした。両親を亡くした日から、その影にずっと追われて来たのだ。
「無理だ」
 拓匠は尚も、そっぽを向いたままだ。倫代は、ユリの後ろで、にこにこしながら窺っている。事の行く末が、見えているように。

「...」

 何時間も過ぎたかもしれない。そんな長い時間が過ぎたあと、拓匠が深く溜息をついた。
「言い出したら聞かない子だと、ユリのお父さんも言ってたよ」
この言葉に、ユリの顔が綻んだ。
「拓匠さん大好き!!」
 拓匠の背中に飛びついたユリの顔を見て、倫代は少しびっくりした。
 それは覚悟の出来ている、厳しくも穏やかな顔。何もかもを見据えた、自分の知らないユリの顔だったから。



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 母親のお下がりである水色のレザージャケット。10月も半ばになると、この格好じゃ流石に寒い。が、若さを頼りに、更にミニスカートで頑張ってみる。左の胸ポケットに隠した、父の形見の銃が、少し重かった。
 急に飛び込んだ失踪事件の調査の合間に、少し休憩を兼ねて街をぶらついて余所見をしていたユリは、急にものすごい衝撃を受けた。暫く何が起こったのか解らず、思いきり尻餅をつき、痛がっているユリに、男性が声を掛けた。
「ごっごめん。大丈夫?」
 さっと立ち上がった相手が、手を差し伸べた。
「ごめん。余所見しててさ...」
 どうやら、相手も余所見をしていて、更に全力疾走をしていた為、ユリは思いきり後ろへ突き飛ばされたようだった。
「大丈夫です。余所見してて...。ごめんなさい」
 手を借りて立ち上がると、ユリがぺこりと頭を下げた。顔を上げると、男性は安心したように軽く笑うと、「じゃあ」と、会釈をして走って行ってしまった。
 歳は25・6だろうか。バッグも持たず、セーターにパーカーを羽織っただけの軽装で、平日の昼間に街をうろついている人種にしては、なんだか妙に引っかかる雰囲気を持った男性。ぶつかったときに感じた、あの固くて冷たい感触はなんだったのだろう...?
 ユリはそんなことを思いながら、走り去る男性の背中を見送った。

 このあと、ユリは再びこの男性と再会することとなる。
が、それはまた、別の話...。






HIDDEN MOON / end ... uryu matsuri
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