ディービィ(仮題)



 マイクが仕事を終えてアパートに戻ったとき、外は今にも雪が降り出しそうな灰色の空だった。 歩道を歩く仕事帰りの人々は皆寒そうに厚手のコートを着込み、急ぎ足で暖かい自宅へ向かっている。 通りに面した店はどこも、半月後に迫ったクリスマスに向けてのセールの飾り付けがなされていた。 独り者にとっては、あまり関係ないイベントなんだが。


 マイクはアパートの自室に入ると、まず起動しっぱなしになっているパソコンのディスプレイの電源を入れた。 ほどなくして、ディスプレイにひとつのプログラムのウィンドウが表示される。 ネットワークでつながっている多人数の人とおしゃべりするプログラム、チャットソフトの見慣れたウィンドウだった。 独り者のマイクにとって、帰宅してからのおしゃべり時間は数少ない楽しみのひとつだった。


 マイクは自分のハンドルネーム(チャットで使うニックネーム)を変え、戻ってきたことを同じ部屋にログインしている人たちに伝える。 部屋の中ではここ1時間ほど何の会話もされていなかったためか、即座に発言が返ってきた。
「おかえり、マイク。本日は晴天なり。」
「本日は曇天だよ、ディービィ。」マイクは苦笑しながらキーボードを叩く。「雪が降りそうだ。」
「本日は曇天なり。本日は曇天なり。雪が降りそうだ。」1秒もたたないうちに、ディービィから返事が返ってくる。
「ところで、ヨーロッパで騎士が病気になったらしいね。」ディービィはいつも以上に饒舌だった。
「お隣のヘストンさんが会社で倒れたって。君の会社の株は今どうなんだろう。」そして、いつも以上にわけがわからなかった。
「今週末は映画かぁ。魚の夢って知ってるかい?本日は……」


 急にディービィは黙ってしまった。そしてすぐに別の人の発言が画面に現れた。友人のトニーからだった。
「やぁマイク、おかえり。」
「ただいま。今日もディービィは元気だね。」苦笑しながらトニーに挨拶を返す。
「さっき、ちょっといじってみたんだ。いままでややおとなしかったからね。」トニーのタイピングのスピードは相変わらず早い。
「でも、今度はちょっと元気すぎたかな。」さすがにディービィほど早くはないが。
「もう少し調整が必要なようだね。」
「ああ、でも昨日に比べると、少しはマシになったと思うよ。このペースでいけば、来年の夏くらいには普通に会話できるようになるんじゃないかな。」
ディスプレイの向こう側に、トニーの得意げな顔が見えたような気がした。

「雪、降るかな?」マイクは話題を変えた。
「降るんじゃないかな。天気予報見たかぎりでは。」
「ジングルベール、ジングルベール、鈴が鳴る」唐突にディービィが口を挟む。
「ディービィがクリスマス待ち遠しいってさ。」マイクは苦笑しながらキーボードを叩く。
「だろうね。こいつにとっては初めてのクリスマスだろうからさ。」
「そうか、君がディービィを作ったのは今年の3月だっけ。」
マイクはキーボードから手を離すと、感慨深げに天井を見上げた。 そして、まだコートのままだったことを思い出し、一旦キーボードから離れて着替えることにした。


 ディービィはトニーが作ったプログラムだった。 トニーが人工知能を研究している大学のコンピュータの中で動いていて、それまでに話されたことを全て記録し、分析し、文として構成して発言する。 少し前までは文として成り立つものは少なかったが、先月にバージョンアップしてからは少しずつ会話ができるようになってきた。 おそらく話の内容は理解できてないだろう。子供が大人の言葉をおうむ返しにするのと似たようなものだ。 しかし、子供はどんどん成長し、やがて言葉を探し、組み合わせて自分の言葉でしゃべれるようになる。 ディービィも似たような成長をしていくのだろう。楽しみだ。


 部屋着に着替えて画面の前に戻ると、ディービィは新たにログインした常連に、近所のハムスターのかわいらしさについて熱く語っていた。



M.Morris 2004.1.28/2006.4.10改