主役は
最後にやってくる
とんとんとん。
右手の人差し指を台本の上でリズムを取るようにして叩きながら、篠山青は客席から舞台を睨んでいる。
台本を最初から読みながら、目の前の舞台で役者の動きをシュミュレート。頭の中で音を入れ、照明をつける。
「……」
納得、いかない。
舞台セット組みも既に終わり、最終リハーサルもとっくに終わり、講堂に残っているのは、もはや青だけだ。文化祭公演前は夜遅くまで残ることも大目に見られているが、それも大概にしないと、部の活動に悪影響が出る。
それでもなお、納得いかない。
「あーお。あなたまだ、残っているの? 早く帰りなさいよ。いつまでも残ってると、また学生さんの甘えって怒られるわよ。学校の講堂だからいいものの、ちゃんとしたホールでそんなことすれば、ものすごいお金取られるんだからね」
青の背後から声がかけられる。そこには、楓ヶ丘第三高校演劇部部長の柊木晴香が腕を組んで立っていた。部長には就任したばかりだが、楓ヶ丘第三高校演劇部随一の役者にして演出家として既に名高い。ちなみに、青とは児童劇団時代からの付き合いだ。
「けちいことを言うなよ。学生さんのうちは、学生さんの特権を生かすのも手だ」
「素人っぽいこと言わないでよ。確かに文化祭公演は無料だけど、冬公演はきちんとホール借りて、お金取るんだからね。その癖、直しなさいよ」
晴香の正しい姿勢ときびきびとした口調は、見る人を圧倒する力を持っている。なんともまあ、男前な女だ。
「それにあなた、この期に及んでまたなにか考えてたでしょ。もう、この段階では変更は利かないわよ。最終リハーサルまで終わってるんだから。変更は駄目。絶対に駄目。駄目ったら駄目だからねっ」
「しかしだな、こう。なんとなく、納得いかなくて」
「ここで変更入れたら、確実に本番が駄目になるのよ! 絶対駄目だからねっ!」
だめーっ、と両手を振りあげて威嚇する晴香に、青は降参して、立ち上がる。
「わかったよ。ところで、そっちはこんな時間まで何してたんだ」
「む。ちょっとね」
「やだね。秘密主義の部長は」
「別に、秘密じゃないわよ。綾子に公演見にきてって誘ってただけよ。ま、色よい返事はもらえなかったけどね」
「天才ってのは、扱いにくくて困るな」
晴香の友人の夏秋綾子は、驚くべきことに現役の女子高生作家である。好意で演劇の台本を書いてくれることもあるが、その公演を見に来ることはない。
「まだまだ、綾子の納得するレベルにきてない、って思うと悔しくはあるわね」
「そういう意味じゃないと思うけどな」
やたらと金と劇団のレベルの話をしていた晴香を送り出して、青は舞台周辺のコード類をガムテープで固定する作業を始めた。大体は舞台セット組みの段階で固定してあるが、所々固定し忘れた部分がある。当日朝はいろんな人がばたばたするし、誰かがコードに足を引っ掛けて怪我をしたり機材を壊されても迷惑だ。丁寧に固定する。
「あれ? 先輩、まだいたんですか?」
床にはいつくばってコードと格闘していると、一年生の姫野みゆき(通称姫)がやってきた。なんとかいう昔の女優の娘であるこいつは、整った顔立ちと天性のカリスマ性で、入部したときはそれはもう話題になったものだ。それが、台本を読ませてみたところ、滑舌が悪い、間が悪い、台詞喋っていない間は素に戻っていると三拍子そろった駄目っ娘であることが判明して、よく晴香をきれさせたものだ。
それから半年。まあ、たった半年で主役として舞台に上がることになっているのだから、世の中には天才って奴が確かにいるんだと思わされる。
まあ、今でも「ささげにすをかけさしすせそ、そのうおあさせでさしました」が怪しいときがあるけど。
「どうしたんだ? 今日は早めに帰って、ゆっくり休めって言われてたろ?」
「うん。そうしようと思っていたんですけど」
そう言う姫は、制服のセーラー服ではなく、上下ブルーの私服できていた。
「どうした?」
「どうにも、緊張して」
「ほー。姫でも緊張するのか」
「むー。さすがの姫様でも緊張ぐらいはします」
ぴょん、と舞台の上に飛び乗って、姫はえへへと笑う。
「先輩。わたしの立ち位置、どこだっけ」
「もう忘れたのか莫迦姫。青のビニールテープの目印があるだろ」
「はい、そうでした」
「大丈夫かよ、全く。おまえがその色がいいって言ったんじゃないか」
この段階で立ち位置忘れられたら、たまったものじゃない。いらついてる青に、姫は平然と笑ってみせる。舞台の上に合計5箇所あるうちの一番手前、舞台中央の青のビニールテープの目印の上に立ち、
『僕は天使と会った。その日天使と会った。なにもかも無意味に思えたあの日。オシエとカチの狭間で、イデアとリアルの境界で。これは僕とアイツの物語。さあ、物語を始めよう』
鳥肌がたった。天才って奴は、確かに存在する。姫の単語ひとつ、台詞ひとつが叩きつけるように心を惹きこみ、揺るがす。
「先輩、どうですか?」
姫が素に戻った途端、魔法は解ける。こいつはこれを自覚しているのだろうか。
「まあ、とちってはいなかったな」
「ん」
厳しい評価を受けて、姫はむっとして、舞台の平台の上に腰掛ける。
「先輩。最後に一回、読み合わせをしてくれませんか。そうすれば、今まで頑張ってきたことに、自信を持てる気がするんで」
今更かよ、と思わないでもないが、それで落ち着くのならばと思って、台本を持って客席に座る。
「今年はお前のお守りばっかりだな、ゴーシュくん。おかげでねずみの子どもはすっかり具合がよくなったよ」
そして、本番。
「よし、時間だ。部長、もう役者を表に出すなよ」
「おけ」
インカムをつけた青の言葉に、晴香は短く答えて舞台袖に隠れる。
「舞台、音響、照明。準備は?」
『舞台、問題ありません』
『音響、準備完了です』
『照明、準備完了。結構お客さんはいってるぜ』
公演前の緊張した空気。この空気は、嫌いじゃない。
ちょっと気になって、客席を見る。確かに、講堂いっぱいに観客が入っている。
(それなりに有名になったものだ。ん……)
インカムを外し、その人影に近づく。
「夏秋、来てくれたのか?」
みつあみにめがねという、一見ぱっとしない外見の少女。この少女が実は高校生作家だと知る人間は、実のところ少ない。
「ありがとう。あとで感想とか講評とかもらえると、助かる」
「ん。それって、ちょっと違う」
綾子はぼつぼつと、小さな声で呟くように喋る。
「わたし、演劇のことはよくわかんない……やったことも、ないし。頼まれたから話は書いたけど」
ぐっと、身を小さくして、
「今日は、お客として、きたの。なんか話題になってたし。見とこうかな、と思って」
「ん。ああ。よろしく」
天才という奴は、やっぱりなんか違うなと思いながら、青は舞台袖に引っ込んでインカムをかぶりなおす。時計を見て、
「時間だ。客電落とせ」
天才ならぬこの身では、納得いかなくてもできる限りのことをするしかない。
「客音、フェードアウト」
かくして講堂は暗闇と静寂に包まれる。これから2時間を精一杯やる。それぐらいしか、自分にできることはない。
配電盤のスイッチに指をかけ、舞台に眼を向ける。そこには、姫が既に定位置についていて、出番を待っている。
「役者、定位置についた。幕をあげるぞ」
ぱちん、とスイッチをオンにする。静かに緞帳が上がり、オープニングがフェードイン。サスが姫を照らし、緞帳が上がりきると同時にピンが射抜く。
『僕は天使と会った。その日天使と会った。なにもかも無意味に思えたあの日。オシエとカチの狭間で、イデアとリアルの境界で。これは僕とアイツの物語。さあ、物語を始めよう』