遅刻気分でロックンロール


「遅刻遅刻〜」
 朝8時10分を回った頃、三上サチはピーナツバターサンドをくわえたまま、必死に通勤路を駆けていた。新人で初出勤の日に遅刻だなんて、到底許されない。中学生と間違われるかのような童顔と体型だが、これでも今日から立派な社会人なんだ。
 お気に入りのスニーカーを駆って、住宅街を疾走する。ちらりと腕時計の時間を確認しながら、ピーナツバターサンドを一気に口の中に押し込む。これから元気盛りの子どもたちの相手をするのだ。朝食を抜くなんて、そんなことはとてもできない。咀嚼しながら、職場への最後のカーブへ向かって、一気に地を蹴った。あそこを抜ければ、あとはもう一直線!

 いきなり、目から星が飛んだ。

 転んだ、とわかったのは、数秒経った後だった。なにかにぶつかって、転んだ。
「あいたたた……何?」
 アスファルトに打ち付けられた身体を起こして、自分がぶつかってつまずいたものらしきものに目を向ける。
「Hey,ねーちゃん。よそ見して走っていると、とんだaccidentで火傷するぜ。baby」
「は?」
 そこには、ジーンズの上下にショートカットの4歳ぐらいの子どもがいた。ぶつかったときに擦りむいたのか、手に血を滲ませて、涙目になりながら、よくわからないことを言っている。
「そう急くなよ、子猫ちゃん。coolじゃないぜ。世の中には、ピーナツバターサンドより優先することなんて、ありはしないんだ」
「へっ?」
 Oh,yay.とその子どもが両手の人差し指で指差す先には、アスファルトの上に無残に転がっているピーナツバターサンドの残骸がある。サチが自分の口を確かめると、自分がくわえていたピーナツバターサンドはまだそこにある。と、いうことは……
「桜花!」
 男性の声とともに、ぱこんと音がして、子どもの頭がはたかれた。視線をそちらに向けると、いつのまにそこにいたのか、紺のスーツを着たサチより少し年上の男性がいた。
「おまえまた、わけの分からないことを。もうすぐ遅刻だぞ」
「時間に縛られて生きるなんて、Rockじゃないね。My uncle.もっと大切なことはあるんだ。ピーナツバター……」
「おまえのロックはどうでもいい。俺が遅刻しそうなんだ」
「気にするなよMy uncle。なんなら、一緒について行ってやろうか? 謝礼はピーナツバター……」
「おまえはっ、おとなしくっ、あすなろ保育園に、行けっ!」
 ひょい、と男性は子どもを抱きかかえる。そのままふと、サチに視線を向けた。その視線に、サチはどきりとする。なぜだか胸の鼓動が止まらない。
「申し訳ない。駄目な子が迷惑をおかけした」
「ああ、いいいえ、こちらこそ。ピーナツバターサンド、ごめんなさい」
 サチは自分でもよく分からないままに、あらぬことを口走る。男性は不審な表情をした後に、もう一度サチに頭を下げると、その場から歩き去っていく。
「Hey,子ウサギちゃん。運命って奴があるなら、また会おう。その時はピーナツバターサンド弁償しろ」
 ジーンズの子どもは、男性の腕の中でしっかりとしがみつきながら、そんなことを口走って連れられて行った。
「……あんな子もいるんだ」
 しばし呆然とその後姿を見送っていたサチだったが、ふとあることに気づく。
「あすなろ保育園って、今日から私の勤め先じゃない。っていうか、遅刻っ!!」
 跳ね起きて、道を駆ける。
 運命ってあるのかもしれない、などと思いながら。


クリエーターズネットワークテーマ『遅刻寸前の少女が交差点で衝突した男子に一目惚れ』『新人』参加作品。
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