スノビズム


6/8 20:11

 玄関から、チャイムの音が聞こえた。
 瀬川一佐(せがわ・かずさ)はキッチンで煮込んでいる鍋の火を止めると、ちらりと居間に視線を投げかけ、玄関に向かう。
 ドアを開けると、そこには藤倉彩美(ふじくら・あやみ)巡査部長が立っていた。
「おやすみなさい」
 ドアを閉めようとする。が、彩美がしっかりとノブを握っていて、閉められない。女性とは思えない力でノブを固定する彩美に、一佐はため息をつく。
「なにか?」
「ここは、東雲弥生という人の部屋のはずだけど、なぜおまえがいる?」
「東雲に用?」
「あがらせてもらうぞ」
 かみ合わない会話をすると、彩美は返事も待たずにあがりこむ。一部の隙もないスーツ姿と、切れ長の鋭い眼、きびきびとした動作が絵になるが、横暴なことはちょっと遠慮して欲しい一佐だった。
「なに?」
 居間で専門書を読んでいた東雲弥生(しののめ・やよい)が、突然の闖入者に目を向ける。
「関係は?」
 彩美はそう言って、一佐と弥生に交互に視線を向ける。一佐はため息をついた。
「ため息は、あまりつかないほうが良いぞ。辛気臭い」
「誰のせいだと思ってるのさ」
「関係」
 彩美は無表情で説明を促す。
「西都大学医学部の同級生。同じミステリ研究会所属。俺が部長で、彼女が副部長。高校時代からの友人関係。こんなものでいい?」
 彩美は弥生に視線を向ける。弥生は専門書を閉じると、長い髪をかきあげた。
「昨日このマンションで、殺人があったという話だから、不安だからきてもらったのですけど?」
 丁寧ながらも、どことなく芯の強さを感じさせる口調の弥生の言葉に、彩美はふうん、とうなづく。どこか部屋の中の空気が重くなる。
「女傑同士ってのは、相性悪いんだろうか」
 一佐がぼそっとつぶやくと、彩美と弥生はぎろっと一佐を睨む。
「はは……カレー食べる?」
 二人はうなづく。一佐はとほほな気分でキッチンに戻り、人数分カレーを注ぐ。
「それで、結局彩美さんはなんの用なの?」
「殺人のあったマンションで、一人暮しの女性の部屋に入っていく男を見かけたのでな、不審に思っただけだ」
「……絶対カレーの匂いをかぎつけてきたんだな」
「思ったことをすぐ口に出す癖は、直した方が良い」
 テーブルの上にカレーを並べる。
「で、詳しい話は聞いていないんだけど、殺人て?」
 一佐はカレーを勢い良くかっ込む彩美に尋ねる。
「……ご飯、食べてないの?」
「昨日からずっと捜査だからな。今日はなにも食べてない」
「……ご苦労様」
「お代り」
 彩美はあっという間に空になった皿を、一佐に差し出す。それを持ってキッチンに戻っていく一佐を見ながら、彩美は口を開く。
「昨日、このマンション『めぞん・どーる』の203号室で、一人暮しの女性の死体が発見された。彼女……仮にAとしておこう」
「匿名にしても、このまま203号室に行って表札見てくれば名前わかるんだけど」
「人の話をうまく聞くコツは、無駄な突っ込みをしないことだ。黙ってお代りを注げ」
 とほほ、と一佐はカレーのお代りを注ぐ。
「第一発見者は、彼女の職場の同僚。こちらはBとしておこう。Aが無断欠勤して、自宅に電話しても出ないので、自宅まで様子を見に行った。Aは外出した様子はなく、チャイムを鳴らしても出ないので、管理人に連絡して部屋を開けてもらった。Bの知り合いには、一人暮らしで病気になって、そのまま一人で倒れていた人物がいたらしいからな。そして、Bは殺されていたAを発見した。これが昨日の23時頃」
 黙々とカレーを口に運んでいた弥生が、首をかしげる。
「密室殺人?」
「鍵のありかを知っていたら、殺して外側から鍵をかけてそれで終わり。いまどきのマンションなんて、誰も隣人に注意を払わないからな。その心配性の同僚がいなかったら、数年は発見されなかったんじゃない」
 一佐が彩美の前にカレーのお代りを置きながら、そう言う。彩美はうなづく。
「数年は大げさだがな。被害者は夜の水商売の仕事をしていた。水商売や風俗嬢は匿名性が高い。一般に、その仕事についていることを隠したがるからな。彼女がここに住んでいることを知っている人間は、極めて限られている」
 それだけ言うと、彩美は再びカレーに取りかかった。これではしばらく話は聞けそうにない。代わりに弥生が口を開く。
「このマンションは、結構セキュリティが硬いのよ。入り口はひとつしかないし、その入り口はパスワードとカードキーの組み合わせか、内部から操作しないと開かない。おまけに監視カメラもあるから、外部から不審者が入り込めばばれてるはずよ」
「……そうすると、俺も不審者と目されているんだろうか」
「だから、刑事さんが来たんでしょう?」
 飯をたかりにきたんだろう、と言いかけてやめる。
「だとすれば、犯行可能な人間は限られてくるな」
「そうだな」
 あっという間にカレーを食べ終わった彩美が、一佐の言葉にうなづく。
「遺体の状態は?」
「被害者の死亡推定時刻は、一昨日の23時頃だと推測されている。死因はナイフで刺殺。遺体には性交の跡があった。あと、部屋から現金や貴金属などが盗まれている。遺体のあった場所が居間なことから、顔見知りの犯行と見ている」
 その内容に、一佐と弥生は唖然とする。
「殺人、強姦、強盗の凶悪犯罪者が闊歩しているマンションに住んでいるんだね、東雲は」
「だから泊まってって、言ってるの」
「はいはい」
 一佐もカレーを口に運ぶことにする。
「シャワー、借りる」
 彩美はそういうと、バスルームに歩いていった。

 続く
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