眠れぬ夜は、別に無理して眠らなくてもいい
荒れ狂った感情を吐き出す方法というのは、色々ある。
例えば酒。
しかし、他人に迷惑をかけずに吐き出すのは、なかなか難しい。
特に酒。
「歌はいいねえ」
無意味に、そんなことを言ってみる。深夜の郊外にあるカラオケボックス。オールナイトコース。
恐縮しているのか、戸惑っているのか、状況を理解していないのか、姪の美土里は視線を目の前の本とマイクと俺の顔の間を交互に巡らしている。
俺の部屋に避難してきたら、俺のマンションまで怒鳴り込んできた父親のことを思い出しているのか。裏口からこっそり抜け出して、車でこんなところまで繰り出した事態の展開についていけないのか。
そんな美土里を無視して、カラフルなメニュー表から飲み物を選ぶ。
「ふーん。フリードリンクなんだ。じゃあ、高いものを頼んだ方が得だな」
突然ばっと、美土里がメニュー表を取り上げた。
「飲み物は、わたしが選ぶ」
微量の恐怖を瞳に含ませて、美土里がメニュー表の裏を俺に向ける。
「変なものは、やめてくれよ。青いのとか」
「そんなもの、選ぶわけないじゃない」
荒れ狂った感情を吐き出す方法というのは、色々ある。
例えば歌。
美土里が一度マイクを握ると、離さない人間だったとは、初めて知った。
しかし、中島みゆきがメインというのは、誰の趣味だ。
俺か。
職にありつけない大阪の少女。
体罰にさらされる少年。
目の前で起きた惨事を告発できない女性。
試合の通知を握り締めたまま逝ったボクサー。
地域社会の中に縛り付けられ、夢に挫けた若者。
こんな目にあうのならば、女になど生まれなければよかった。
「叔父さん、寝ちゃった?」
心配げな声に、意識が戻る。
「寝てたら、店員さんに怒られない?」
「いかがわしいことに使っている奴もいる。寝てるぐらいで文句を言われる筋合いはない」
「い、いかがわしいことって……」
ひらひらと手を振って答えると、美土里は硬直してしまった。
「や、やっぱり、三親等は罪だと思う……」
意味が分からん。
「おまえも寝ていいぞ」
とりあえずそう言ってみたが、美土里はふるふると首を振った。
「眠れそうに、ない。無理に眠っても、多分嫌な夢を見るから」
「少しアルコールを飲むか? 眠れるかもな」
「やだ。怖い」
それならば、無理には勧められない。未成年だしな。
「じゃあ、無理に眠らなくていい。歌ってていいぞ」
「聞いてる人が居ないと、寂しいし」
しょうがない。姿勢を直す。
「それに、叔父さん全然歌ってないじゃない。なんか汚いよ」
どこがだ。
理不尽に汚い呼ばわりした美土里は、本をこちらに突きつけてきた。
黄色い太陽がまぶしい。
痛む喉をさすりながら、店を出た。
身体にしがみつきながらふらふらと歩く八割方眠っている美土里を、車の助手席に放り込む。シートについた途端、美土里の意識は落ちていった。
「勘弁してくれよ。こっちはそろそろもう、若くないんだから」
缶コーヒーで、無理やり意識を覚醒させる。
今日が休日であることに感謝しながら、部屋に戻ったら一日眠ろうと決心した。
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