からみ酒

からみ酒



 突然の電話。突然の呼び出し。
 今更会ったからなんだっていうんだ、とも思わないでもない。それでも呼び出されればほいほい出てくる自分が情けない。
 夜の都心。いわゆる世間一般の”若者”とやらがあふれている場所。
 例え年齢が同じであっても、まるで自分が異邦人であるかのように思える。
 待ち合わせで有名なビルの前には、街にすっかり溶け込んでいる彼女がいる。
 こっちの姿を確認すると、久しぶりだというのに声もかけないで先に歩き出す。
 帰ろうか、と本気で思う。
 彼女がくるっと振りかえる。髪がゆれる。
「早く来なさいよ。はぐれるわよ」
 いつか殺す。
 連れてこられたのがカラオケボックス。
「カラオケだったのか」
 せめてなにか確認しろ、俺。
「カラオケは嫌い?」
「得意ではないな」
 じゃあなにが得意かと聞かれれば困るが。
「じゃあ二時間ね」
「二人で二時間? 長くないか」
「あんたに選択権はない」
 部屋で二人きりになったら殺す。
 リモコンとばかでかい本を二冊持って、部屋に入る。
 彼女は部屋に入るなり、インターホンを取る。
「生二つ」
「二つも飲むのか」
「ばか?」
 頼む前に俺にも意見を聞けというのは、常識はずれの指摘なのだろうか。それから、俺が酒を全く飲めないことは承知のはずだろう。
 そのまま俺にリモコンと本を渡す。
「お先にどうぞ」
 おまえはなにがしたい。
 とりあえず、適当にカラオケをする。
 ジョッキでビールがくる。
「飲め」
 なぜ命令する。
「つまみ頼んでいいか?」
「駄目」
 なぜだ。
 しょうがないのでジョッキに口をつける。彼女は一気に飲み干すと、マイクを取る。
 歌う。
 歌う。
 歌う。
 更に歌う。
 こら二時間もつわ。
「歌えい!」
 おまえがマイクを独占しているんだろーが。
 熱気で部屋が暑くなる。喉が乾いて、しょうがないのでビールをなめる。喉は潤わない。ビールを飲み終わった彼女は、今度はウィスキーを頼みだす。
 歌のレパートリーが尽きかけたころ、終了時間を告げるインターホンがなる。延長を申し込む隙なくわかったと言ってきる。
 目の前にグラスを三つほど転がしている彼女は、不満そうだったが、大人しく最後の曲に入る。
 気分が悪いのは、締切った空間で歌い続けたせいか、苦手なアルコールのせいか。
「行くわよ!」
「どこに?」
 答えはない。
「考えてないんだろう」
 きっと睨む。が、反論はない。読まれているのは分かっているからだ。
「軽く飲みに行こうか?」
 自殺行為に近い提案。どうしてこういうことするかなあ。
「そね」
 機嫌がわずかに良くなる。マイナス100がマイナス90ぐらいに、だ。
 すたすたと彼女は歩きだす。大人しくついていく。
 そういう通り特有の細く入り組んだ道を、彼女はすたすたと歩いていく。
 こりゃひとりでは帰れないな。
 大人しくついていくことにする。
 発音できないアルファベットで書かれた小奇麗な店にはいる。
「いつもこんな店にきてるのか?」
「普段はあんまり飲みに行かないわよ」
「嘘吐き」
 ばきっ。
「殴るわよ」
 殴ってから言うなよ。
 勝手にメニューを取って、勝手に注文する。っていうか、俺にもメニューを見せろ。
「前を通りかかったことはあるけど、入るのは初めてなのよ」
「さよけ」
「ずっときたいと思ってた」
「良かったな」
 こんなんだから、うまく行くはずもなく。
 黙って料理と飲み物を待つ。
「大体さあ、あなたと仕事で行く店に行くわけないじゃない」
 ああそうですか。勝手にしてください。
 大皿に盛った料理と、飲み物がくる。ちょっと軽め。
「これはなんだ?」
「地中海料理」
 ずいぶん大雑把な説明だな。
「なんでもいいか。うまいから」
 理解することを放棄した。
「そうね。そう言えば」
 携帯電話の音が鳴る。
「ごめん」
 彼女とは思えない言葉を口走ると、携帯を取る。
「はい。あ、いえ。ちょっと今友達と」
「ええ。そうですね……あはは」
 なにがあははだ、と笑って電話をする彼女を見ながら、飲み物に口をつける。
 彼女は始終笑顔を絶やさず、軽やかに話す。
 なんだよ。その態度の違いは。
「いえ。それでは失礼します」
 電話をきる。
 ばきっ。
 なぜ俺を殴る。ちょっと言ってやることにする。
「あのさあ」
「なによ」
「なんか知らんけど、話して楽しい相手がいるなら、そっちをあたったらどうだ?」
 ばきっ。
「笑ってるからって、楽しいと思うな」
「いちいち殴るな」
「殴らせろ」
「嫌だ」
「けち」
「けちで結構」
「じゃあ飲め」
 勘弁しろよ。
 頭が痛い。気分が悪い。お願いですからもう許してください。でないと殴ります。
 彼女はいつのまに注文したのか、冷たい烏龍茶のグラスが不意に俺の頬に押し付ける。
 ひゃっこい。
「ほら」
「ん」
 額に当てる。少し楽になる。
「んでさあ」
「ほい?」
「どうよ?」
「ひゃっこい」
「誰がそんなことを聞いた。最近、どうよ?」
「内閣の不支持率は65%だが、不信任案は否決されたらしい」
「誰が時事を語れと言った」
「イスラエルの首相選挙の行方が、中東の今後を決定付けると思うぞ」
「知ったことか」
「大学の中央図書館の受けつけむかつく」
「だからどうした」
 会話が続かない。
「困った奴だ」
「それはあなたでしょ。わたしはあなたの近況を話せって言ってるの」
「論文を書いて、散々叩かれた」
「相変わらず、ね」
「相変わらず、さ」
「わたしは……どう見える?」
「相変わらず、以外のなにものでもなかろう」
「そっか」
 彼女は笑って、飲む。そしてメニューを手に取る。
「今思い出したけど、雑誌に書いてあったんだけど、これがおいしいのよ」
「まだ飲むのか?」
「あなたもね」
「勘弁してくれ」
「ま、飲めなかったらわたしが飲むわ」
 彼女が注文する先のキッチンの奥においてあるテレビでは、遠い砂漠の国での民衆蜂起と治安部隊の衝突や、過半数に支持されていない政権とか、合併提携して規模を縮小する会社の話が垂れ流されている。
 俺は財布の中にある『こころ』の作者の顔の数を思い出しながら、いかにして目の前の女をホテルに連れこむかと邪悪な陰謀を練るが、アルコールのせいで頭が回らない。