文明の利器
4/21 22:24
春になったとはいえ、夜はまだ冷える。だが、その冷気もアルコールの回った身体には心地よかった。ふう、と一息つくと、瀬川一佐(せがわ・かずさ)は左手で萌黄和奈(もえぎ・かずな)の手を引く。
西都大学ミステリ研究会の、新入生歓迎コンパの帰り道。三年生で部長をしている一佐は、今年春の新入部員の和奈を家に送る羽目になっていた。本日初めて本格的にお酒を飲んだ和奈は、すっかりふにゃふにゃになって、一佐にしなだれかかっている。
「先輩ぃ……歩くの速過ぎです」
「はいはい」
足を止めて、和奈が追いつくのを待つ。さっきからこの調子で、なかなか先に進まない。バスは既に終わっており、タクシーも通りかからない。このペースだと、最終電車に間に合うかどうかも不安だ。
夜遅いこともあり、周囲に人影はなく、車もほとんど通らない。街灯同士の間隔は広く、視界は悪い。しん、と静かな空気の中、足音と二人の声だけが響く。
「……きもちわるいです」
「そりゃあ、あれだけ飲めばね」
袖にしなだれかかる和奈を、気遣いながら先に立って歩く。
ぐにゅ。
「!?」
足元に異様な感触を覚えて、一佐は足を上げる。
「……」
そこには、ひき殺されたらしき大型の柴犬の死体が転がっていた。全身各所に打撲跡があり、更に手足が引き千切れて周囲に散乱している。首輪とリードのついた首の骨も折れており、無残な姿をさらしていた。
「はうっ。せ、先輩ぃ」
和奈の顔が、真っ青になっている。必死に一佐の袖にすがりつく。
「先、行こうか」
一佐の声に、和奈はこくこくとうなづく。
「滑るから、気をつけて」
血が散乱している道路を、二人はゆっくりと、しかし足早に過ぎ去っていく。
「……」
和奈の呼吸が荒く、冷える夜だというのに汗を大量にかいている。顔色も悪い。先ほどから一佐の袖を握っている握力も、弱くなってきた。
一佐は周囲を見まわす。確か近くに公園があったはずだ。案の定、あった。入り口に止めてある車が邪魔くさい。
「ちょっと休憩していこうか」
状況によるとかなりやらしい台詞だが、そういう雰囲気でもない。和奈はこっくりとうなづく。
入り口近くに設置してあるジュースの自動販売機に歩みより、冷たいお茶を買って和奈に渡す。自分は冷たいコーヒーを買う。場所を移動しようかとも思ったが、池の方向からは酔っ払いらしき声が聞こえてきている。奥にあるちょっとした林の方からは、男女のアレな声が聞こえてくる。
(場所、間違えたな)
今更ながらそう思う。しかし、和奈はずるずると地面に座り込み、うつむいてお茶に口をつける。かと思えば、頭を抱えて身をよじり、うめきだしたりもした。
(まったく、東雲が飲ませすぎるから……)
一佐は心の中で悪態をつきながら、和奈の背中をさする。しばらくすると、和奈は落ち着いてきたようだ。時計を見ると、わずかに23時を回っている。地下鉄は終わってしまった。
(困った)
とりあえず困ってみることにする。和奈は徐々に回復しつつあるが、帰る電車がない。
(だとすれば、俺の部屋か、ホテルか……やばい話だ。東雲にばれたらどうなることか……)
「先輩」
気がつけば和奈が、潤んだ目で一佐を上目遣いに見ていた。
「あの、いきなりこんなこと言うと変に聞こえるかもしれませんが……この近くに、死体があるんです」
「は?」
一佐は話についていけずに、絶句する。不審な顔をする一佐に、和奈は言葉を続ける。
「あの、わたし昔から、近くに死体とか殺人とかあったら、わかるんです。映像とかメッセージとか、場合によって違うんですけど、とにかく、被害者のそういったものが、伝わってきてフラッシュバックを起こすんです」
必死で説明する和奈。一佐はため息をついた。
「……君、飲みすぎ」
「本当なんです。信じてください」
「……で、今回はどんなものが見えたんだい?」
「強い真っ白な光と、強い衝撃。それだけです」
一佐は池の方角に目をそらした。いつのまにか酔っ払いも、アベックもいなくなっているようだった。
「向こうのベンチで、横になって休むかい?」
「あうっ。信じてくださいよ。いや、信じなくてもせめて引かないで」
「いきなり言われれば、引く」
「先輩だから話したんですよ。引かないでください」
「とりあえず向こうに行こう。君は顔色悪いぞ」
「はうう」
なおも意味不明なことを言いつづける和奈を、一佐は池の方角に連れていく。この公園の人造の池にそって、ベンチが幾つか並んでいる。とりあえずそのうちのひとつに和奈を寝せ、バッグを枕にする。
「とりあえず休んでいるんだね。君自身が、死にそうな顔をしている。苦しいなら救急車呼ぼうか?」
「お酒じゃないです。フラッシュバックが……」
「まだ言うか」
「お願いです先輩。このままじゃ手遅れに」
「はいはい」
一佐は冷たい飲み物を買ってこようと思い、足を動かす。暗いので、地面に気をつけながら歩くことにした。ふと、地面にかすかに、なにかを引きずったような跡が見える。暗くてわからないが、血のようなものも混じっている。
その引きずった跡をたどって、歩いてみる。池の前にたどり着いた。暗い明かりの中で、心当たりのものを探した。すぐに見つかる。池の前の手すりに、泥と血の跡のようなものがついている。
一佐は道を引き返すと、先ほどの公園入り口近くの自動販売機で、冷たいスポーツドリンクを買う。ふと、慎重に周囲を見まわす。人の気配はない。一佐は携帯電話を取り出すと、ダイヤルした。
続く
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