『パートナー』3


1/3 18:34



 東区臨海都市計画区。
 行政の無謀な開発計画によって埋立地を建設したものの、入居希望者が全く現れずに無人のままに放置された陸の孤島。ゴーストタウン。
 街灯すらない道を進み、無計画に立てられたビルの前で止まる。そのビルの前には、国産の小粋な軽自動車が停めてある。
「ふん。女を引っ掛けるには、まあまあの車だな」
 懐中電灯を取りだし、車の中を調べるが、これと言ったものは見つからない。ナンバープレートを確認し、陸運局に電話して照会を頼む。
「……これ、付け替えたものじゃないかな?」
 一佐がプレートに近よって、不審そうに見ている。
「ん?」
「ほら、プレートを止めるナットの部分が磨り減って、塗装も少しはげてる。何回か取り外しして使用したプレートじゃないのかな?」
「ふむ……」
 廃車にかかる経費を払うことを嫌って、車を不法投棄するものもいる。盗難車の数も多い。ナンバープレートを入手することは、さほど困難ではない。
「世の中犯罪が多くて困るな」
「まったく」
「ここまで多いと、誰も彼も疑わしくなって困る」
「まったく」
「一佐、トランク開けてくれ」
 彩美が乗ってきた車を指差す。一佐は大人しく運転席側のドアを開け、中を探る。
「えっと……どれだ?」
 暗くてよく見えない。
 がちゃん。
「え?」
 一佐の右手首に、手錠がはまっている。彩美はすばやくもう片方を車のハンドルにかけて固定した。
「……なんの、真似です?」
 彩美は一佐から距離を取ると、説明を始める。
「今回の事件に関して、おまえの情報は、あまりにも正確過ぎる。県警ですら正確な情報を把握している人間は少ないと言うのに、だ」
「それは」
「むろん、おまえがそれだけ優秀だ、ということも考えられる。が、もしおまえが真犯人だとしたら、放置しておくのはあまりにも危険だ」
「……」
「飯をおごる約束だったな。取調室でカツ丼、おごってやる」
「もし俺が犯人じゃなかったら、この行動は問題になるよ」
「その時は謝る」
「許すと思う?」
「許すさ」
 彩美は断言する。
「もしおまえがわたしと同じ立場だったら、同じことをしただろう。だから、許す」

1/3 18:40



 こつ、こつ、こつ。
 剥き出しのコンクリートの床は、足音がよく響く。
 無計画に建設され、見通しがたたずに内装もなしに放置されたビル。
「……」
 三階。ワンフロアぶち抜きの殺風景な光景。
「やあ」
 窓から夕暮れの海を見つめていた榊原は、階段を上ってきた彩美に挨拶する。
「いい夕暮れだな」
「……」
 じっと立ち尽くしている彩美に、榊原は笑いかける。
「いいところだと思わないか? 静かだし、景色はいい」
「開発行政のあり方について、疑問を感じるだけだ」
「情緒のない奴だ」
 微笑。
「いい景色だ。こっちにこないか?」
 榊原はそう言って、彩美を手招きする。
「気に入ってる場所だ。教えたのは、おまえが最初だよ」
「用がそれだけなら、帰る」
 彩美はそう断言したまま、榊原に背中を見せた。
 そのとき、榊原は動いた。

1/3 18:43



 榊原は彩美の襟を取った。瞬間、彩美の天地が逆転する。
 次の瞬間、コンクリートの床に叩き付けられていた。反射的に顎をひき、頭を打たないようにする。それでもダメージは大きい。
 榊原の手が床に倒れた彩美のジャケットにかかり、一気に引き裂く。布が悲鳴をあげ、ボタンが始め跳んだ。榊原の顔には普段の穏やかな微笑はない。
「やはりおまえか」
「やはり気がついていたか」
「信じたくはなかったがな」
 彩美は全身の感触を確かめる。頭は打っていない。骨にも異常がないとありがたい。
「県警が作ったあの犯人像。あれは公委に影響力を持っている自称良識派の代議士のでしゃばりが、強硬に主張していたものだ。自分が気に入らないものを、犯罪者と結び付けたがっていたからな。その願望まるだしの妄想だが、なまじ地位があるだけに影響力を発揮してしまった。その介入の裏には、おまえの姿がちらついていた」
 シャツに榊原の手が伸びる。彩美は両手でその手首をつかみ、封じた。
「事件の被害が大きくなり、大事件となるに連れて県警は事件に本腰を入れて取り組まなくてはいけなくなった。ところがそのたびに組織系統が変化し、情報伝達が鈍くなった。更にどういうわけか現場から離れた上層部から、まるで見当違いの指示が送られてくるようになった」
「現場から離れ、現実を把握することができなくなった人間は、仮想現実の中に生きている。その中で自分の願望こそが真実だと思いこみ、それと相反する事象は間違いだと断定する。自分にとって都合のいい事例を並べて、こじつける。現実と妄想の区別もつかなくなる。幸せな夢を見てるんだ。ほっといてやれよ」
 榊原は彩美の手を振り払い、彩美の白いカッターシャツを引き裂いた。彩美は抵抗しようとするが、身体に激痛が走りうまく動けない。
「その介入一つ一つに、おまえの影がちらついていた。実際に主張していたのはおまえではない。内容を考えたのもおまえではない。おまえはただ、そそのかしただけだ。そしてそれだけで十分だった」
「冷静にモノローグ語っている場合か?」
 榊原は、彩美のシャツから、更に下着に手を伸ばす。
「俺は昔から、人の顔色ばかりうかがっていた。人が何を望んでいるか、一目で判断することができた。それを実行すれば好かれたし、善人だとも言われた。だが……」
 一気に下着をむしりとる。
「おまえはそんな俺を見下しているだろう! 人に媚ばかり売る下郎だと、思っているだろう! だがそれもこれまでだ」
「榊原」
 彩美は指先に神経を集中する。頼む、動いてくれ。
「おまえ、交番時代のことを覚えているか? おまえは検挙数こそ多くなかったが、地域の中で住民とよく接し、誰とでも仲良くなり、誰からも信頼されていた。店舗があれば防犯のために足を運び、ひとり暮しの老人がいれば訪ねて話相手になり、虞犯少年がいれば声をかけ良き理解者となった。そんなおまえを、密かに認めている人間も大勢いた。だからわたしも、おまえが会議をさぼろうが、行方をくらまそうが、極めて気に食わないが黙認することにしていた。しかし……」
 彩美の腕が、動く。スラックスの内側のヒップホルスターからニューナンブを抜き、銃口を榊原の肩に押しつけた。
「おまえが犯罪者としてわたしと対峙している以上、わたしはおまえと戦わなくてはいけない」
 トリガーを、引く。
 銃声。一発目は空砲だが、ゼロ距離射撃では衝撃だけで十分な破壊力を持つ。彩美の上に乗りかかっていた榊原は、後方に吹っ飛ぶ。
「残念だ」
 ハンマーを起こすとシリンダーが回り、次弾装填。今度は実弾だ。
 榊原もすばやく身を翻しながら、ニューナンブを抜いた。

1/3 18:50



 立て続けに銃声。
 車の中に拘束されている一佐は、目前のビルから十発ほどの銃声が連続して鳴り響くのを聞いた。
「何が起こっているんだ?」
 彩美は一佐を拘束して、警察に連れて行くかと思えば、黙って目の前のビルに入って行ってしまった。
 とりあえず左手を警察無線に伸ばそうとして、
「使い方がわからない……」
 困った。
 自分の携帯電話を、左手だけでなんとか取り出す。
「電波が届いてない……ここは本当に市内か?」
 行政区分上は。人は住んでないけど。
「こうなったら車で……」
 当然、キーはついていない。
「こうなったら間接外しで手錠を外して……」
 言ってみただけ。そんな技持ってない。手首が擦れて痛くなっただけだった。
「なにをけったいなことをしているんだ、君は」
 声がした。そちらを振り向くと、センスのいいスーツを血でぐっしょりと汚した男が、よろよろとビルから出てくる。青白い顔で、一佐に笑いかける。
「隣を失礼するよ……なんだ? 藤倉に手錠プレイでも強要されたか? 大変だな」
 微笑しながら、榊原は助手席に乗りこんで、無線を操作する。
「東区臨海都市計画区で犯人と銃撃戦になった。応援と、救急車を頼む」
 それだけ言うと、無線を切る。
「おまえもまあ、藤倉に付き合うのは大変だと思うが、我慢してやってくれ。あれはあれでいいところもあるんだ。正義感は強いし、ものの考え方も地に足がついている。頭が堅くて融通が利かないところもあるが、まあ長所と短所は表裏一体だ」
 榊原は助手席のリクライニングを下げ、ぐったりと寝そべる。
「怪我してるじゃないか。手当てしないと」
「できないことは言わないほうがいい。今の君にできるのは、手錠プレイだけだ」
「……」
 確かに一佐は動けない。榊原は微笑する。
「ああ……そういえば俺も、母親にそんな風にされたことがあったな。最初は優しかったんだけど、ある日から急に冷たくなってな。暴力をふるわれるようになった。必死になって母親の機嫌を取って、優しくしてもらおうとしたが、結局できなかったよ」
 ふふ、と軽く笑う。
「それから色々あって……そうだな。学校時代に、全然知らない女から告白されて、なんともいえなかったら「傷つけた」とかいって、迫害されたりな」
「それは災難だな」
「災難さ。まあ、それから色々あって、なんとか渡っていく知識も身につけた。今思えば、交番時代が一番充実してたかな? 当時はそうは思わなかったんだがね」
「そんなもんだろ」
「そんなものさ」
 榊原は薄く目を閉じる。
「悔いのない人生など無い。遣り残したことのない人生などない。過ちを犯さない人間はいない。俺はたいして人から必要とされなかったし、誇り高い生き方もできなかった。それでも一生懸命生きた。命をかけて戦った……悔いはあるが、文句を言う筋合いではない。ただちょっと、頼まれてくれないか?」
「俺のできることなら」
「藤倉を、頼む。三階にいる」
 榊原は最後の力を振り絞って、ニューナンブを取り出して一佐に差し出す。
「なるべく急いでくれ」
「……」
 一佐はそれを受け取り、手錠の鎖に銃口を当てた。
 切断。

1/4 14:30



 警察病院。病室。
 見舞いにきた一佐は、ベッドの上の怪我人に挨拶した。
「土産はないのか?」
「ない」
「帰れ」
「おごってもらう約束なら、ある」
 昨日、ビルの三階で足を撃ちぬかれて倒れているところを助けた彩美が、ベッドの上でふてくされている。一佐の施した応急処置が良かったためか、後遺症もなく回復できる見込みらしい。
 ふと、彩美は思い出したように尋ねてみた。
「そういえば、榊原はどうしたんだ?」
「救急車が到着した頃には、既に死んでいた」
「そうか」
 ふう、と彩美はため息をつく。
「あいつはあいつで、いいところもあったんだがな。なんでああなってしまったんだろう」
「昼のワイドショーでは、自宅で大量の犯罪関係の本が見つかったとか言ってたな」
「あたりまえだろう。警察官なんだから。わたしは真面目な話をしている」
「現時点では断言はできない」
 一佐はベッドの横の、備え付けの丸椅子に座った。
「が、俺は彼は分裂病だったのではないかと思う。幼い頃に母親から虐待されたこと、子どもの頃クラスの女子に長期間に及ぶいじめをうけたこと。そのことが根底にはあって、それが女性全般に対する敵意として現れた。その犯行は広範囲に広がったが、超自我の働きによりやがて対象は限定されることとなった。それが俺の予測した犠牲者像……」
「わたし、というわけか」
「彼は常に内心、女性に対して恐怖心を抱いていた。それは犯行を重ねることによっても克服できず、より「強い女性」と戦い、倒すことで克服しようとした」
 そして、敗れた。
「あいつは、わたしがあいつのことをばかにしているとか、見下しているとか、そんなことを言っていた。そんなつもりはなかったが」
「うん。日常的にそんな感じだ」
「……改めるよう、努力する」
 彩美は意図的に、笑顔をつくって見せる。
「おまえには色々世話になった。迷惑もかけたな」
「かなりな」
「気にするな、と言えよ」
「気にしろ」
「狭量な奴だ」
「改めるよう、努力する」
 彩美はくっくっく、と無意識のうちに笑う。それを確認すると、一佐は立ちあがった。
「じゃあ、俺はそろそろ帰る」
「ああ……本当に、色々悪かったな」
「気にするな。頼まれただけだ」

あとがき
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