御子神


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◆ 1
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 闇夜の中、法服を着た女性が二歳ぐらいの女の子を抱きかかえて走っていた。風を切る音がして、女性に矢が突き刺さる。
 悲鳴。そのまま女性は倒れる。その時に腕の中の女の子をかばうように抱きしめ、横向きに地面に倒れた。
「まったくてこずらせおって」
 闇の中から三人の黒衣の男が現れる。
「この子には……」
「殺れ」
 女性の言葉をさえぎって、黒衣の男のひとりが言う。残り二人がボウガンを構える。女性はなおも盾になるように、必死に女の子を抱きしめる。
 瞬間。
「ぐあ!」
「ぎゃあ!」
 ボウガンを構えていた二人が次々と倒れた。残った男が何事か確かめようとした時、その顔面に石畳が命中する。
「ぐはあ! 何奴」
どくどくと鼻血を流しながら、黒衣の男は石畳の跳んできたほうを睨む。
「誰でもいいだろう。おまえらの、敵だ」
 その方向から現れたのは、歳は15、6ぐらいで、長い髪を後ろで縛っている少年だった。腕を振ると、風を切る音がして大きな石畳が飛ぶ。黒衣の男はひらりとそれをかわすが、倒れた男に当たったらしく鈍い音がする。
「いらぬことに首を突っ込まないことだ。痛い目を見るぞ」
「鼻血出しながらすごむなよ。みっともない」
 そう言いながら、少年は道路から石畳をはがして握る。なお、これはれっきとした軽犯罪である。
 石畳が飛ぶ。黒衣の男はそれをかわすと、少年にまっすぐ突っ込んできた。両手にはきらりと鉤爪が光る。少年はベルトから大型のアーミーナイフを抜く。
 二つの影が交差する。
 空中に数本、少年の髪が舞う。それが地面に落ちるよりはやく、黒衣の男がどう、と倒れた。
 少年は無言で女性に近寄る。矢は女性に致命傷を与えている。
「この子を……」
 女性はわが身を省みることなく、女の子を少年に差し出す。
「ミトフェムの大神殿まで……」
 そこで女性は息絶えた。

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◆ 2
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「ようアレスどうしたか? 隠し子か?」
「うるさい」
 フェニスの街の宿屋。アレスは連れている二歳ぐらいの女の子をからかわれながら、カウンターにつく。
女の子を膝の上に座らせ、マスターに食事を注文する。
「で、本当にどうしたんだ?」
「賊に襲われているのを救った。それだけだ」
 カウンターに貨幣を置きながら、アレスは無愛想に答える。
「で、情報が欲しい」
 アレスはマスターに事の顛末を簡単に話す。
「ま、調べとくさ。ところで、おまえに客だぞ」
「ん?」
 パンをスープに浸して、女の子に食べさせていたアレスに、マスターは食堂の隅のテーブルをあごでしゃくる。その様子を見たのか、そのテーブルについていた女性が立ちあがり、アレスに近づいてくる。
「げっ」
「げっとはなによ。失礼な」
 セイエリス。フェニーラ魔法犯罪捜査局のアレスの仇敵だった。悠然とした様子のセイエリスに対して、アレスは冷や汗をかきながらナイフを探る。
「おいおい。事情は知らないが店の中での騒動はごめんだぜ」
 女の子の口元をナプキンで拭きながら、マスターが言う。
「わかってる。エリス、表に出ろ」
「いいでしょ」
 セイエリスはドアを開けて宿屋の前の道に出る。道幅は戦うのに十分な広さがある。月の光も明るい。左手で細剣の鞘を握る。
「……」
アレスは出てこない。
ひょい、と宿屋の中に戻る。
しーん。
そこにはアレスも、アレスが連れていた女の子の姿も無かった。
「……アレスは?」
マスターは黙って、目線だけで裏口を示す。
「……」
「……」
「……」
「逃げたなー!!」
全くその通りだった。


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◆ 3
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「ふ、剣と魔法の腕では劣っても、悪知恵と逃げ足の速さは俺の方が上だ!」
 わけのわからないモノローグをつぶやくと、アレスは潜伏場所の、港で使われていない倉庫の中にもぐりこんだ。女の子には宿屋を抜け出す時にひっつかんできたパンを渡した。自分は死んだ法服を着た女性が持っていた船のチケットを見る。
「フェニスももう潮時か。ミトフェムあたりに逃げ込むか……安心しろ、ちゃんとつれていってやるから」
 そう言って女の子の頭をなでる。女の子はパンにかぶりつきながら、こくんとうなづく。
「人見知りをしないんだな。まあ、何が起こってるか理解できていないだけか」
 ふるふる。
 女の子は首を振る。
「嘘つけ」
 ふるふる。
 ふるふる。
 ふるふる。
「……わかった」
 女の子はパンに注意を戻す。
「……変な奴」
 自分のことは棚に上げて、アレスはチケットを入れてあった紙袋に入れなおす。そしてもうひとつ、一緒に入っていた紹介状と書かれた封筒を取り出す。
「これって開封無効なのかな?」
 女の子は興味もなさそうにパンにかぶりついている。
 ろうそくの明かりに照らして、すかしてみてみる。
「……あんまりよく見えないな」
 封筒を開けようかとも思うが、やはり思いとどまって再びろうそくの火にかざす。
「やっぱり読めない」
 あきらめてしまう。
「しかし、名前ぐらいわかんないと不便だな。自分の名前言えるか?」
「二歳」
「よおしにさい。これからおまえのことをにさいと呼ぶからな」
 いやいや。
「どうしたにさい」
 いやいや。
 いやいや。
 いやいや。
「おまえがそう言ったんだろうが」
「……ティナ」
「ふむ。で、おまえは何者なんだ?」
「ティナ」
「なぜ追われている?」
「ティナ」
「あの追っ手は何者だ?」
「ティナ」
「なめてんのかおまえ」
ティナは涙目になる。
「くそ、二歳児にまともな答えを期待した俺が悪かった」
「♪〜」
アレスはあきらめて寝ることにした。

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◆ 4ー夢歩きー
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「今日からおまえの妹だ」
 連れられた、小さな女の子。汚れて、不安そうな目をしている。
「これから仲良くしてやるんだぞ」
 なぜそんなことをするのか、分からなかった。

「アレス、遅いー! ご飯冷めちゃったじゃない」
「先に食っておけば良かったんじゃないか」
「またそんなこと言う……ちょっと、立ったまま食べないで座りなさいよ」
「もが?」

「で、どっちが良いと思う?」
「かわんねーだろ」
「もう、ちゃんと選んでよ」
「安い方」
「なにそれ」
「どーせ金払うの俺だろうが」

「うわぁ」
「……はぁ」
「なにため息ついてんのよ。もっと良く見ようよ。せっかくきたんだから」
「連れてこさせられたんだがな。あんなもん見て何が面白いんだ」
「駄目ねえ」
「何が駄目なんだ」
「もっと近くに行こうよ」
「ちょっと、待て。はぐれるぞ」

 床にたまった血の池。
 二度と開かない瞳。
 二度と開かない唇。

 ユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイ……

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◆ 5
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 船室の中に小さな荷物を置くと、備え付けのベッドに腰を下ろす。
「あんまりちょろちょろするなよ」
 アレスはそう言うものの、ティナは落ち着かない。
「船旅は長いんだ。ま、出港してしまえばこっちのもんだろ。俺は寝るぞ。昨日は変な夢を見て、どーも寝た気がしない」
 ティナはわかってるのかわかっていないのか、さっぱりわからない。それでもアレスがベッドに入ると、自分も一緒にもぐりこんでくる。
「ま、いいけどさ」
 そういって目を閉じるものの、なかなか睡魔は訪れない。
「……」
 あきらめて、起きる。
 ポケットから、船に乗りこむ前にマスターから預かった封筒を取り出し、中身を引出す。
「ふむ」
 短時間のうちに結構な量の情報を集めてもらった。結構利用していた情報屋だけに、別れは惜しかった。
 ごそごそとじゃれつくティナを無視して、内容を読む。
『黒の御子』
 マスターからの情報にはそう書かれていた。
 アレスも名前だけは聞いたことがある、秘密結社的性格を持つ宗教集団だ。構成員は貧民から貴族まで幅広いらしいが、具体的なことは良くわかっていない。
 教義としては現世利益を掲げている。それも単なる金銭や健康ではない。
「死んだ親しい人間の復活。仇の呪殺。難病からの回復。意中の恋人をものに。なんだこれは」
 なにやら怪しげな体験談が添えられている。
「教義の詳しい内容は……ないのか」
 その代わりに儀式の噂などが添えられている。それによると、教団の中で『御子神』と呼ばれる子供を崇拝し、その子供を生贄に捧げることで願いがかなうと言う。『御子神』とはただの子供ではなく、その名の通り神に近い子供なのだと言う。
「で、マスターによればおまえを襲った奴らの姿格好がその『黒の御子』の実行部隊にそっくりなんだそうだが、おまえそんなにたいした奴なのか?」
 ティナは首をかしげる。
「……到底そんなふうにはみえんな」
 その時汽笛の音が響いた。
 出港の時間。

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◆ 6
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 帆に風を受けて船は進む。
 甲板の上で、アレスとティナは海を眺めていた。
「海しか見えないから退屈だな」
 あくびをするアレスに対して、ティナはじっと海を見つめている。
「なんか面白いものでもあるか?」
「うみ」
「それは俺にも見えるが、面白くないぞ」
 それでもティナはじっと海を見つめている。
「……なんだかね」
 アレスは飽きて、甲板の上を眺める。
「お♪」
 黒髪の美人を甲板に見つける。花に引き寄せられる蜜蜂の如くそちらへ足を運ぶ。
「おひとりですか?」
 さりげなく声をかける。女性はアレスの方に顔を向ける。アレスより十歳は上な感じがしたが、十分許容範囲。ついでに好み。
「いえ。良いものをお持ちのようなので、つい声をかけてしまいました。あはは」
 そう言って、女性が片手に持っているリュートに目を向ける。もちろん口からでまかせである。楽器の質などアレスにはわからない。
 それも女性のほうはちょっと嬉しそうににこっと笑う。
「夕方から、演奏するわよ」
「それまで、お時間ありますか?」
「ええ」
「それでは、下の食堂に御一緒しませんか?」
「いいわよ」
 らっきー、とアレスは心の中でほくそえむ。
「ちょっと失礼」
 そう言うと、アレスは来た方向へ戻る。
「ティナ、俺ちょっと……あれ?」
 いない。
「どこ行ったんだ?」
 きょろきょろ。
「どうしたの?」
 背後にひょいとさっきの女性が現れる。
「あ、いや連れの女の子がいなくなったんで」
「連れの女の子がいるのに声かけたの?」
「いや、預かった二歳ぐらいの女の子」
「目を離しちゃ駄目じゃない。しょうがない、一緒に探しましょう」


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◆ 7
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 アレスは甲板を捜し歩くが、ティナは見つからない。念のため自分の船室も探したがいない。
「海に落ちたのか?」
 だとしたら探しようがない。甲板から海を見つめる。
「アレス」
 先ほどであった女性がアレスに声をかける。
「見ていた人がいたわ。三人ほどの男がそれらしき女の子を連れて行くのを。こう抱えて。薬でも使ったのかしら?」
「……??」
「なにか?」
「俺、名前教えたか?」
「聞いたわよ」
「えっと」
「わたしはエリス。本名じゃないけど、そう呼んで」
「……嫌な名前だ」
「なんで?」
「なんでもない。それよりティナを探そう。そいつらの服装は? 水夫?」
「いえ。そうじゃなかったみたいだけど」
「じゃ、客室を探そう」
「どうやって?」
 エリスが首をかしげていると、アレスはそれを無視して客室のならびに向かう。
「かたっぱしから」
 がちゃっ。
 平然と客室のドアを開ける。
 ずかずか。
 平然と入って行く。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
 エリスの止める声を無視して、客室の中の人間を無視して、クローゼットを開け、ベッドの下を探る。いないと分かると出ていく。
「こ、こらっ! ごめんなさいね」
 エリスは客室の呆然としている男に謝ると、アレスを追いかける。アレスは次の部屋に取りかかっている。
「やめなさーい。あなた常識ないの?」
 ないらしい。

「ああ、グリン、愛してるわ」
「僕もだよ、マゼンダ」
 ベッドの中で裸で抱き合う二人。
 とたん、ばたんと扉が開き、アレスはずかずかと入りこんで部屋の中の物色を始める。
 ごそごそごそごそ。
「……な」
 絶句する二人。
「やめんかーい!」
 すぱーん。
 エリスはハリセンでアレスの頭をしばくと、アレスの襟首をつかんで船室の外に引きずり出す。
「どうも失礼しました。ささ、気にしないで続けて続けて」
 エリスはそう言い放つと、アレスを引きずって船室から出ていった。

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◆ 8
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「おばか。もうちょっと考えなさいよ」
 げしげし。
 アレスは廊下でエリスにお仕置きされていた。
「ではどうするんだ」
「まずは情報を集めるのよ。それから協力者を募るの」
「めんどくさい」
 げしげし。
「さあ、まずはもう一回その子がさらわれた時の様子を見た人に聞き込みに行くわよ」

「ええと、三人とも黒衣を着ていました」
 船の食堂。アレスとエリスはその発見者と言う女性に食事をおごりながら話を聞いていた。
「そのうち一人はすごく背が高かったですよ。二メートルはありそうな大男。あ、もういっぱいパフェ良いですか?」
 良く食う女である。ひとのおごりの食事ならいくらでも入るという、アレスと同じタイプの人間らしい。
「その女の子に近づいて行って、取り囲んでいたから良く見えませんでしたけど、その後一人が抱きかかえて甲板から降りて行きました。あれって誘拐なんでしょうかね? あ、ケーキも良いですか。そんなところですかね」
「勝手に食え」
 アレスとエリスは礼を言ってその場を離れる。エリスがアレスに伝票を押しつける。
「俺が払うのか?」
「当然でしょ?」
 フェニーラの大神殿から報酬は出るのだろうか、とアレスは不安になった。

「二メートルを超える大男なんて、そうはいないはずよ」
 船員の休憩室。エリスは休憩中の水夫相手に話を聞いている。
「ましてや黒衣を着た三人組みなんて目立つわ。誰か見ていないかしら?」
 水夫たちはお互いに少し話し合うと、結論を出す。
「203号室の客が、そんな感じだったけど?」
「ありがとう。アレス、チップをあげて」
「俺がかよ」

「これは誘拐事件の線が濃厚なの。協力して頂戴……こら、アレスっ!」
 船長室。エリスは船長に協力を求め、アレスは無断で書類をめくっている。
「とりあえず儂立会いで、改めるという形になるが……小僧、なにを見ているんだ」
「小僧言うな。名簿」
「例の203号の客?」
 アレスは別のファイルを取ると、さっきまで見ていた書類をエリスに渡す。
「どーせ偽名じゃないの? ……グルード・バートン?」
 エリスはひとつの名前を見て、首をかしげる。
「先の戦争での英雄と同じ名前ね。二メートルを超える大男っていうのも共通しているから、可能性はあるけど、その英雄がなんで誘拐なんか?」
「当人に聞こう」
 アレスは貨物リストを放り投げる。
「そうね。船長、立会いをお願いするわ。それからアレス、あなた出したものはかたずけなさいよ」

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◆ 9
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 船長が持ってきた鍵を差し込む。がちゃり、と鍵が開く。アレスはドアを蹴り飛ばした。
「うおっ。足が痛いっ」
「このドアは引くのよ」
 エリスはドアを開けた。
「待て」
「もう開けちゃった」
 そのままずかずかと部屋の中へ入りこむ。
「本当にこの部屋?」
 203号室の中には人の気配が全くなかった。備え付けの家具も使われた様子もなく、荷物もない。エリスは一応部屋の中の人を隠せそうな場所を探すが、なにも出てこない。
「どういうこと? こら、アレスどこに行くのよ」
 とっとと部屋を出て行こうとするアレス。
「貨物室」
「どういうことよ」
「そいつらの貨物リストを見た。大型の馬車を持ちこんでいる」
「!!」
「貨物室なら、人の出入りもほとんどない。ティナなら荷物の中に詰めれるしな」
「急ぐわよ」
「もういい」
「は?」
「やばい連中だからな。居場所も大体分かったし、俺一人でやる」
 すぱーん。
 エリスは即行でハリセンでアレスをどつく。
「なにをする」
「なんとなく突っ込んでみただけ。で、行くわよ」
「人の話聞けよ」
「あなたひとりだけだと、どーにも頼りないからね。ついてってあげる」
「いらん」
「表現を変える? あなたがあんまり非常識だから、至らないことしないようについていくの」
「余計なお世話だ」
「あなたがもうちょっとまともだったら、余計なお世話しないのにねえ」
「五月蝿い」


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◆ 10
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 暗い闇の中。カンテラに照らされた空間。黒衣をまとった三人の男がいる。三人の中心には紋様のついた布をかけられたテーブル。そしてその上には眼を閉じて、眠っているらしいティナがいる。
 黒衣の男の一人が呪文を唱える。別の背の高い男がナイフを取り出した。
 不意に。
 ごんごんごん。
「ちわー。ルームサービスです」
 間抜けな声が聞こえる。
 呪文を唱えていた男の声が止まる。男が残り二人に目配せすると、その二人は剣を抜く。
 馬車のドアを勢いよく開けると、そのままドアの前にいた男に斬りかかる。二本の剣が立て続けにドアの前にいたアレスに突き刺さる。そのままアレスはさらさらと砂のように崩れ落ちた。
「!!」
 次の瞬間、一人の黒衣の男の背に一本の裂傷が生じる。空中にかすかに血飛沫を跳ね飛ばす糸がゆらめいた。
 そして、
 長身の男が黒衣を、その糸の方角に投げて、馬車の上に飛び乗る。大剣を構えて周囲の気配を探る。その下から、肉を切り裂く音と、悲鳴が響く。
「幻術師か」
 七つある魔法の系統のうち、闇系統は闇と幻をつかさどる。
「出て来い!」
 返事はない。
「出てこなければ女の子の命は無いぞ!」
「出てこようがこまいが殺す気だろう」
 言いながら、アレスが闇から現れる。
「もっとも、しかるべき儀式をしないまま殺すとも思っていないがな。まあ、追い詰められた人間はなにをするか分からないから、出てきてやる」
「なめた口を利く少年だ」
「自分では冷静な状況分析だと思うが」
「ほざけ」
 薄明かりの中で、男は大剣を振るう。アレスは背後に飛び、別の馬車の上に飛び移る。
「俺を知らないらしいな。グルード・バートン、先の戦争の英雄だ」
「自分で英雄とか言うなよ。恥ずかしい」
「その軽口、いつまで持つかな?」
 バートンはその長身に似合わぬスピードで一気に間合いを詰める。一閃。アレスは素早くかわすと、馬車の下に降りて、馬車や貨物の間を逃走。
「待て! 正々堂々と立ち会え!」
「二歳児をさらって喜んでいる奴が正々堂々とか言うなよ」
 バートンが跳躍し、アレスの前方の床に舞い降りる。しかし、その時アレスは既に固定してある貨物を蹴って跳躍し、馬車の上に飛び乗っている。
「理由があるのだ。なにも知らない奴が知ったような口を利くな!」
「理由があればなにしてもいいと思っているのか。ろりこん変態野郎」
「変態と呼ぶな!」
 バートンも跳んで馬車の上に乗る。
「貴様こそ、逃げ回ってばかりか?」
「俺のことはどうでもいいんだよ」
 バートンが斬る。アレスは跳んでよけ、貨物庫の中を逃げ回る。バートン追う。捕まらない。
「ええい、ちょこまかと」
「文句だけは一人前だな」
 どたどたどた。
「戦争が終われば、いくら英雄といっても戦争が終われば過去の産物だ。おまえに俺の気持が分かるか!」
「分かるもなにも、んなこと聞いてねえ。興味もない」
「俺は更に力を手に入れて、更にかつてより増して栄光を手に入れる! 英雄のための糧となれ!」
「よそをあたれ」
 ついに、アレスは部屋の隅の、狭い行き止まりに追い詰められる。
「ふん。俺の剣にかかることを光栄に思え」
「幼児誘拐犯に殺されたら、恥ずかしくてあの世で知り合いに顔を合わせられん」
「言いたいことはそれだけか」
 バートンが大剣を振りかぶる。
「かつて戦場で三人の将軍を屠った俺の剣を受けよ!」
 がすっ。
 振り下ろしたバートンの大剣が、その軌道上にあった横の馬車に深く刺さって止まる。
「……」
「……ばか」
 アレスはベルトから大型アーミーナイフを抜く。
「ぬ、抜けん」
「一生やってろ。安心しろ、そう長い間じゃない。それから、その程度で威張るな」
 アレスがナイフをバートンの喉に突きたてようとした瞬間、
「!!」
 床から闇が伸びて、アレスを包み込む。
「これは……」
 とぷん、と闇は床に落ちる。後にはなにも残さず。
「ふがいないぞバートン。この男はわたしが始末しておく。おまえは儀式の方を見ていろ」
 呪文を唱えていた黒衣の男の声が、闇の消えた辺りから響いてくる。
 狐につままれたような顔をしていたバートンは、馬車に戻り、儀式用のテーブルを見る。
 ティナがいない。
「なんだと!?」
 慌てて馬車の外に出る。馬車の上に乗って、カンテラで貨物庫を照らす。
 こそこそ。
 エリスがティナを抱きかかえて、出口に向かっている。
「待て!」
 バートンは飛ぶように走り、エリスの前方に回りこむ。
「その子供を渡してもらおうか」
「やだ」
 エリスはティナを抱きかかえたまま、きっぱりと言う。
「なら、力ずくで行かせてもらう」
 大剣を構えるバートンに、エリスは両手でティナを抱きかかえたまま、表情も変えない。
「あのね……アレスにも勝てない男が、わたしに勝てると思っているの?」

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◆ 11−夢歩きー
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 闇。
 一面の闇。
 ぬっとりと絡み付くような闇の中。
「まいったな」
 アレスはそっと手先を探る。感覚が普段と違う。
 全くの闇。常人なら発狂する。
「まずい」
 アレスは闇の魔力により、無光の空間でも見渡すことができる。しかし、それでもなにも見えないということは。
(なにもない、あるいは周囲に闇しかない、ということだ)
 上下の感覚すらおぼつかない。不安。
「ん?」
 耳を済ます。なにかが聞こえる。
 とたん、視界が開けた。
「ここは?」
 去年までは見慣れた部屋。そう、去年まで生活していた部屋だ。
「アレス、起きなさーい」
 聞き覚えのある声。見覚えのある姿。
「フィーリア?」
「早く起きてよ。今日もお客さん多いんだから」
 気がつけば、アレスはベッドに横になっている。その横でアレスの義理の妹、フィーリアがアレスをゆさゆさとゆする。
「眠い」
「駄目よ。起きなさーい」
 ゆさゆさ。
 しょうがないので起きる。
「まったく、おとーさんと一緒に夜な夜ななにやってるんだか」
「女の子には秘密のこと」
「夜遊びするお金があるなら、家に入れてよね」
「カルマは?」
「おとーさんはもう起きてるわよ」
 会話しながら、着替える。服の感触を確かめる。
「じゃ、わたし先に行ってるから。急いで来てね」
「あ、待て」
「ん?」
 くるり、と振りかえったフィーリア。
「なに?」
「ん。そういえばおまえそんな顔だったな」
「なによ、それ。別の女と間違えたの? 失礼ねえ」
「ど忘れだよ、ど忘れ」
「もう。街でナンパに精を出す軍資金があるなら、わたしに服の一着でも買ってよ」
「いいぜ」
「えっ?」
 フィーリアの驚いた顔。
「今度、な」
「いつになるやら」
「いいから、先行けよ」
「早く来てよ」
 フィーリアがリズミカルな足音を鳴らしながら、部屋から出て行く。
 (そう。これはつい去年までの記憶だ)
 (フェニーラで巡礼者向けの宿屋を経営していたカルマ。彼に引き取られた、孤児の俺とフィーリア。俺が兄。フィーリアが妹)
 (カルマは表向き宿屋の主人でありながら、フェニーラの貴族相手の盗賊という裏の顔も持っていた。俺はその手伝いをしていたが、そのことはフィーリアには秘密だった)
 (そして、カルマは俺にも秘密のもう一つの顔を持っていた)
 アレスは着替え終わると、ドアを開ける。
 (諜報員という、秘密の顔を。そのことは、俺もフィーリアも知らなかった。だから……)
 ドアを開けた先は、夜だった。
 ひらけたホール。床にたまる血だまり。両手両足を短剣により突き刺され、壁にはりつけられているフィーリア。
 (だから、こうなった。突然。なんの前触れもなく)
「やり直せる」
 どこからともなく、その声が聞こえる。
「なぜあの夜、彼女をひとりにしたのか。なぜ彼女が生きている間に、もっと優しくしてやらなかったのか。その二つの後悔が、おまえの心に残った」
「……」
「やり直せる。取り戻せる。御子神の力によってな」
「……」
 アレスは下を向き、目を閉じる。
「さあ、こちらへ来い。こちらへ……」
 招き声が聞こえる。アレスはそちらへ足を向けた。


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◆ 12
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 闇の中を、一本の銀色の糸が光る。
「なっ!」
 姿は見えない。しかし、その声をアレスは確実に聞いた。
 袖に隠し持っていたワイヤー。姿は見えなくとも、確かにそこにある。カルマから教わった、奥の手。
 眼を閉じる。闇で見えないが、糸を通じた感覚のみで操る。闇の中を、糸が舞う。
ーー捕えた。
 感覚がそう告げる。
「なんの真似だ! 失ったものを取り返したくはないのか!」
 闇の中の声。冷笑で返す。
「別にそういうわけじゃないが。ただ、おまえが信用できないだけだ。それに」
 アレスは眼を開ける。
「よくもまあ、人の恥ずかしい過去をべらべらと並べてくれたな。ちったあ遠慮しろ。それにな、俺は人から過ちを指摘されるのが大嫌いなんだ!」
「な、なんてわがままな奴だ! いいか、これからのおまえの人生を考えてみろ。大切なものを失ったまま抜け殻として生きるか、あるいはそれを取り戻すかの瀬戸際なのだぞ! もっと賢い選択をしたらどうなんだ!」
「初対面の分際で偉そうに説教すんな!」
 ワイヤーを、引く。闇に銀色の亀裂が入り、紅に侵食される。そのまま、世界が割れる。

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◆ 13
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 世界が割れる。その外にあったのは……世界だった。
「ん。うまく脱出できたようね」
 エリスがティナを抱きかかえたまま、アレスの目の前に立っていた。その後ろでは船長と船員がどたどた騒いでいる。
「あれは?」
「犯人を捕まえているの。ミトフェムについたら捜査局に引き渡すわ。その時は同行してくれる?」
「あいにくと急ぎの用があるんでね」
 内心の冷や汗を隠しながら、のほほんと答える。離れたところで三人の黒衣の男が船員たちに捕縛されて引っ張られていく。
「ま、それが終わった後なら」
 つまり、とんずらこいた後なら、という意味である。
「ま、別にいいわ」
 エリスはアレスに、この期に及んでまだ寝ているティナを渡す。
「つわものだな」
「将来大物になるかもよ」
 笑って、貨物室を出て行くことにした。

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◆ 14
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 ミトフェム大神殿。
「どうもありがとうございました」
 やさしい雰囲気を持った、ゆったりとした法服を着た年配の女性が頭を下げる。その服の模様から地位が分かるらしいが、アレスには区別がつかない。
「感謝よりも謝礼が欲しいな。現金ならなお可」
 アレスの無礼な言葉に怒った様子もなく、女性は少し待ってくださいね、とアレスを応接室に残して席を立つ。アレスは隣に座ってるティナに視線を移す。
「ま、そういうわけでここでお別れだ」
「!?」
 ティナは少しさびしそうな顔をする。
「ま、そんな顔をするな。時々遊びに来てやるから」
 そう言って、ティナの頭をなでる。
「……しかし遅いな。とっととくれよなあ。うーん、どのくらいくれるかなあ?」
 アレスは頭の中で色々と計算を始める。ティナはその様子を呆れたように見ていたが。しばらくして、ドアが開いて神官服を着た女性に連れて行かれる。それと入れ違いに、背後からぞろぞろとフェニーラ魔法犯罪捜査局の制服を着た人間が三十人ほど。
「アレス」
 先頭に立っていた前髪を伸ばした女性が、手配書を見せる。
「フェニーラ本国から、一級指名手配の手配書よ」
「……」
「……」
「ここで立ち回ってもいいんだが、あいにくとここは神殿だ。表に出ろ」
「いやよ」
「……」
「……」
「下手な真似をすると人質の命は無いぞ」
「どこに人質がいるのよ」
「俺だ」
「却下」
「……」
「……」
「俺は無実だ」
「やってないのか?」
「ばりばりやった」
「なら問題ないでしょ」
「……」
「……」
「……」
「ネタ、尽きた?」
「うむ」
「ひっとらえなさい」
 三十人が一斉に襲いかかる。その瞬間、部屋が闇に包まれる。
 どたどたどた。
 混乱する部屋を尻目に、アレスは窓から逃げていく。
「ばいばいき〜ん」

「で。あれでよろしかったので?」
 前髪を伸ばした女性が、隣のエリスに話しかける。
「ま、いいんじゃない? そこそこ面白かったし」
 ばしゃん、と水が落ちる音がする。
 すると、その場にいたエリスの顔が、セイエリスに変化する。
「なかなか楽しかったし、ね」

あとがき
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