天使がメイドでやってきた


 周囲に人家のない廃工場。そこが、刀治圭の住処だった。
「もう慣れたけど、変なところよね」
 併設された居住部分のキッチンで、赤宮瑠香は食材を切り分けながら、呟いた。
「しょうがないだろう。そういう家なんだから」
 圭は雑誌を読みながら、そう答える。
 工場の経営主の圭の両親は、現在は東欧にいるので、工場は現在動いていない。
 ブザー音。来客を告げるチャイム。
「ん?」
 この家を訪れる人はほとんどいない。不審に思って、圭は雑誌をテーブルに置いて立ち上がった。
 玄関のドアを開けると、そこに深い青い眼の少女が立っていた。
「お兄ちゃん、久しぶり」
 メイド服を着たその少女に、圭は不審な目を向ける。
「覚えてないの? ラピスだけど」
 不安そうな少女の瞳。圭は、ああ、とうなづいた。
 ラピス・ラズリ。圭の両親の友人の娘で、子供の頃何度かあったことはあった。と、いうか、常に世界中を飛び回っているラピスの親に代わって、よく面倒を見ていたものだ。しかし、
「その格好は、なんだ」
「お邪魔するね」
 圭の質問に答えず、ラピスは持っていたトランクを抱えて、家の中に上がっていく。
「おい」
「これから、お世話になります」
 そう言って、部屋の奥へずんずんと侵入していく。
「まてこらー」

「誰」
 瑠香の手の中で包丁が踊った。刃を上にして、柄に手を固める。
 リビングへの闖入者に鋭い視線を向け、踵をわずかに浮かす。
「あ、瑠香お姉さまですねぇ」
 瑠香の全身から発する殺気を無視して、ラピスはにぱっと笑って、メイド服のスカートをつ、と持ち上げて挨拶した。
「お、お姉さま?」
 瑠香は一瞬絶句。
「だって、圭お兄ちゃんの彼女さんでしょ。だったら、わたしにしてみれば、お姉さまみたいなものですぅ」
「は?」
 瑠香はこの突然乱入してきた金髪碧眼の少女の言葉の意味がつかめずに、眼をぱちくりさせて、
「あなた、圭のなに?」
「わたし、ラピス・ラズリといいます。圭お兄ちゃんとは、一緒にお風呂入ったり、一緒に寝たりした仲です」
「こら、ラピス。一体どういう……」
 ラピスを追ってリビングに戻ってきた圭を迎えたのは、殺気を孕んだ瑠香の視線と、刃を上にして、腰溜めに構えられた包丁だった。
「この変態がぁ!」

 ラピスの両親は、世界中を飛び回る職業らしい。しかも、ラピスがまだ小さな頃、祖国で政情不安定になる事件が起き、両親はラピスを安全な日本の、信頼できる友人である圭の両親の元に預けた。
 人種も、民族も、文化も、宗教も、言語も、なにもかも違う異国で、知っている人も誰一人いないまま、ラピスはひとり、残された。
「そのとき、わたしの面倒を見てくれたのが、圭お兄ちゃんなんです」
「そうだったのね。苦労したのね」
 よしよし、と瑠香はラピスの頭をなでる。
「おい、たすけてくれ」
 壁に包丁で磔にされた圭が、抗議の声をあげる。
「ふん。あんたのことだから、どうせラピスちゃんがなんにもわからないことをいいことに、邪なことをしていたんでしょ」
「なんでそうなる」
 すとっ、と瑠香は根元まで突き刺さって、圭の服を壁に縫い付けていた包丁を抜く。
「壁に穴を開けるな」
「あなたが性犯罪をやめたらね」
「してねーよ」
 ふん、と笑って、瑠香はキッチンに戻っていった。間もなくキッチンから、しゃーこ、しゃーこという音が響いてくる。
「砥いでるし!」
 刃物大好きな瑠香は、常に刃物をぴかぴかにしていないと気に食わない性格らしい。
「で、ラピス。お前なにしに来たんだ?」
「あ、お姉さま。お料理なら、わたしも手伝いますぅ」
「人の話を聞けっ」
 瑠香を追ってキッチンへ入っていくラピスに、圭はため息をついた。

「学校が休みになったんで、旅行に来ました。またうちの両親は海外だし、お兄ちゃんのところに行ってきなさいって。刀治の小母様からも、そうした方がいいって。瑠香お姉さまのことも、小母様から聞いたんです」
 シチューの昼食を摂った後、お茶会に移行した中で、ラピスはそういった。
「お兄ちゃんのところなら、滞在費要らないし。小母様も、そのまま日本に留学することもひとつの選択肢として考えなさいって、言ってました」
「滞在費要らないって、なんだよ」
「ふうん。日本への留学を考えているの?」
「ええ。うちの国も悪くないんですけど、今はちょっと。やっぱり、日本は安全ですから」
 つ、と瑠香は圭に視線を向ける。(事情があるの?)と問いかけるその視線に、圭はうなづいた。
「ところで、さっきは流されたが、滞在費要らないって、なんだよ。おまえまさか、居候するつもりか」
「小母様は、家事とかして、お兄ちゃんの面倒を見ればそれでいいって、言ってくれましたよ」
 ラピスはそう言って、椅子から降りると、メイド服のすそを翻ししてくるっと一回転してみせる。
「よろしくお願いします。ラピスは、今日からお兄ちゃんのメイドです」
 そう言って、スカートのすそをつまんでお辞儀。

「お兄ちゃんで、メイド? どこのエロゲーよっ!!」
 圭の部屋。昼食の後片付けをしているラピスをキッチンに残して、瑠香は圭を詰問していた。その右手は圭の襟首を掴んで、高く掲げている。
「待てっ。俺にもなにがなんだかわからないんだっ」
 宙に浮かされている圭は、必死に瑠香を落ち着けようと説得する。
「家事もあなたのお世話も、わたしがしてあげてるじゃない! なんの不満があるのよ」
「だから、俺の話を聞いてくれ」
 懇願すると、ようやく瑠香は圭を地面に降ろした。
「わかったわ。説明してくれる?」
「ああ。とはいっても、俺だって状況がわからないんだ」
 ふうん、と瑠香は腕を組んで、冷たい眼で睨む。
「じゃあ、ひとつだけ。あなた、あの娘をこの家においておく気?」
「ああ。それはそうだ」
「ばかー!!」
 圭のあごに見事な瑠香のアッパーが炸裂し、圭は宙を舞った。

「あーあー。瑠香お姉さま、泣いて走って行ったよ」
「俺も泣きたい」
 アークドライブだかアルティメットだかの乱舞技を受けて、床につっぷしている圭が、いつの間にか様子を見にきたラピスに愚痴る。
「俺が一体なにをしてったいうんだ……」
「悪とは言わないけど、不誠実ではあると思う」
「おまえまで……」
 圭はいぢけている。そんな圭を見て、ラピスはぽつりと
「ごめんなさい」
「ん?」
「わたしさえ、こなければ」
「ラピス」
 ごろん、と圭は床の上を転がる。
「俺には、誰かがいていいとか、いちゃ悪いとか、そういったことは分からない」
「……」
「だけど、ラピスにはそういうことは言って欲しくない。少なくとも、おまえが自分の家にいられないのは、おまえが悪いからじゃない。おまえの家族がああなのは、おまえのせいじゃない。それなのに、いちゃいけないなんて、決めつけることは俺にはできない。そこらへん、瑠香はああ見えて情が深いから、話せば分かってもらえる」
「お兄ちゃん」
 あの彼女さんのこと、そこまで信用しているんだね、と心の中で呟く。自分の信じられるものは、
「あのね。怖いの。お父さんもお母さんも、知らない間にいなくなるのよ。ラピスのこと、見えてないみたいなの」
 目の前の、兄だけ。
 しがみついて、涙を流すラピスに、圭は言葉をかけようもなく、落ち着くまでずっと髪を撫でていた。

「圭! あなたのことはよーくわかったわ。つまり、こういうことなんでしょう!」
 すぱーん、とドアが開いて、なんでかサテン生地の艶のあるメイド服っぽいものを着た瑠香がそこに立っていた。
「そのエロビデオに出てきそうな、安っぽいなんちゃってメイド服はどうしたんだ?」
「圭はこんなのが趣味に違いないって、宮古がくれたの。劇団で使ったんだって。……って、エロビデオってなによっ! つーか、なにしてるのよ!」
 床に横たわったまま、ラピスを抱きしめている圭の姿は、本気で犯罪者っぽい。
「瑠香。真面目な話がしたいんだが。ラピスの国はシュヴァルツヴァルトという名前で……」
「圭っ! あなたって人は、こんな小さな娘を、こんな小さな、自分で自分のことを決められないような年齢の女の子をっ! それが、どれだけ重い罪なのか、わかってるのっ?」
「頼む。頼むから、人の話を聞いてくれ」
 怒りに燃えた瑠香の耳に、圭の言葉は入らない。
「天誅!」
 事態がまとまるのは、当分先になりそうだった。

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