主待メイド



 夕暮れ。
 わたしはひとり、屋敷の玄関の前に座り込んでいた。
 濃い藍のエプロンドレスのまま、玄関から門を、その先を見つめている。
 庭では二匹の番犬が寄り添って眠っている。毎日餌をやっているのに、あの狗たちはわたしになつかない。
 冷たい風が吹き、カチューシャで止めている髪を揺らす。
 ふと視線を上げると、宵の明星が目に付いた。空はわたしの服と同じ、黒に近い濃い藍。
 今夜はきっと、星も月も綺麗に見えるだろう。
 ため息をひとつ。

 狗たちが、ぴくんと動いた。それに気がつき、わたしも耳を澄ます。
 口元をわずかにほころばせ、そっと立ちあがった。ぱんぱん、とほこりを払い、髪を整える。
 今夜はきっと、星も月も綺麗に見えるだろう。



 勢いをつけた自転車は、なんとか坂の頂上までもった。
 人里離れた屋敷の前につく。高い塀に囲まれた敷地の唯一の出入り口である門を開けて、中に入る。
 黒狗が二匹、駆け寄ってくる。慌てて門を閉めて、この凶暴な獣が敷地外に逃走するのを防いだ。
 狗を軽くなでてやると、自転車を押して庭を横切り屋敷へ向かう。
「いらっしゃいませ。空也様」
 玄関で立ち尽くしているメイドの庭藤が、無表情で挨拶をしてくる。こいつはいつもこうだ。
「久しぶり」
「大変お久しぶりです」
 やぶへびだった。視線が痛い。
 こそこそと逃げて、自転車を駐車場に止める。ついでに郵便受けの中を確認。中は空だった。
「郵便物は執務室の机の上にまとめてあります」
「うわあ!」
 気配もなしに、いつのまにか庭藤が背後に立っていた。逃げるの失敗したらしい。そっと振りかえる。
 磁器のような白い肌。絹糸のような黒髪。整った顔つき。全体として名匠の手による人形めいた印象を受ける。暗いときに出会うと、ちょっと怖い。
「申し訳ありません。おどろかせてしまいました」
 感情のこもらない声でそう言われても、真意を推し量ることができない。
「じゃあ、俺は執務室にいるから」
「はい。すぐにお茶をお持ちします」
 こそこそと逃げ出す。

 俺こと榊空也が、屋敷の主である葦津昴と出会ったのは三年前だった。なんの前触れもなく彼女と街で出会い、文学的な表現をするならば「恋に落ちた」。
 交際期間はわずか数ヶ月。そのまま彼女は「本国に帰る」と言い残して、消えてしまった。俺はその間に、彼女の屋敷の管理雑用を頼まれている。
 なんでそんなことをしなければいけないのか。理不尽なところがあるが、こればかりは惚れた弱みでどうしようもない。
 とは言え、彼女はそのまま帰ってこず、一年二年が過ぎた。その間、以前は毎週末には屋敷に仕事にやってきていた俺も、やがて一ヶ月に一回。二ヶ月に一回と間を開けてくるようになる。屋敷の唯一の住人であるメイドの庭藤が、俺に嫌味を言うのも当然というものだろう。
 二階に上がり、執務室の中に入る。本来は彼女の部屋。机の上には郵便物が山のように積まれている。
「さすがにためすぎたな」
 ちょっと嫌になったが、あきらめて机につく。郵便物は多くは既に開封してあり、丁寧に並べてある。
「検閲済みか。信用されてないな」
「そんなことはありません」
「……」
 相変わらず、いつのまにか背後に庭藤がいる。庭藤は何を言っていいのかわからない俺には構わず、机の上に紅茶を置いた。
「俺のこと、監視してる?」
「してません」
 庭藤がいつからこの屋敷に仕えているかは知らないが、葦津とはわずか数ヶ月の付き合いの俺をそう簡単に信じるとも思えない。貧乏な家の倅である俺が、なにかものを盗み出したりしないか、目を光らせているのだろう。
 ちょっと悲しい。



 はあ、とため息をついて、手を休めた。
 どうも空也は機嫌が悪いらしい。
 恋人に放置されて二年以上も経てば、あんなにすねた人間になってしまうのだろうか。まあ、気持ちはわかる。身に染みてわかる。
 待つ、ということは非常に精神的に負荷をかける。
 待ち人がくることを信じるしかない。一番辛いのは、待っている側は能動的になにか行動することができないことだ。
 ただ、待つしかない。
 しかも、必ず帰ってくるとは限らない。
 時間とともに不安は増し、不安を解消するために何かすることもできない。待つことをやめる以外は。
 キッチンタイマーが鳴って、意識を戻した。オーブンからパルメザンチーズのスティックパイを取り出す。
 空也はまだ、待つことをやめる気にはなっていないようだ。
 とりあえずお茶を入れ替えて、おやつを持って行ってやろう。



「終わらない」
 ためるんじゃなかった、と後悔する。
 時計は夜の十時を過ぎている。仕事が残ったまま、力尽きた。
「終わりになさいます?」
 背後には、いつ出入りしたのかわからない庭藤がいる。テーブルの上にはウィスキーのボトルと、バスケットにクラッカーとナッツ、それにチーズ。それにグラスが三つ。
「それならば、つきあっていただけませんか?」
 そう言うと、庭藤は返事も聞かずにグラスにウィスキーを注ぎだす。しかもロック。
「なにかあったの?」
「今夜は夜空が綺麗ですから」
 なにがなんだかわからない。そのまま、薦められるままに来客用ソファにこしかける。ウィスキーのグラスを受け取り、庭藤と同時にテーブルに置かれた三つ目のグラスにかちん、と当てる。
「君は気障だな」
「空也様ほどではありません」
 ああそうですか。
 液体が喉を焼きながら、流れ込む。思わず軽くむせた。
 庭藤が、わずかに笑った気配がする。確信は持てないが。
「帰ってきませんね」
 庭藤の言葉は無感情で、真意を推し量ることができない。
「帰ってこないな」
「よくあることなんですよ。いつも不意に出かけて、数年後になんの前触れもなくふらっと帰ってくる。そういう人なんです。御主人様は」
 ナッツを口の中に放り込む。微妙に味付けしてあって美味しい。こういう点では、庭藤は理想的なメイドだ
「……葦津との付き合いは、君のほうがはるかに長いんだものな。待つことには慣れている訳だ」
「待つことに慣れるなんて、そんなことはできません。今回は空也様がいらっしゃるので、以前よりに楽ですが」
「どこまで本気なんだか」
「メイドは嘘はつきません」
 一瞬凍った。じっと庭藤の顔を観察する。真意が読めない。今のは冗談だったのだろうか? 
「そんなに見つめられると、照れます」
 庭藤はそう言うと、グラスに口をつけた。



 どうも信用されていない。ウィスキーをもう一度あおる。マッカラン。せっかくいいのを持ち出してきたのだから、アルコールの力を借りることにした。
「本当ですよ。わたしは屋敷から離れられませんから、空也様に手伝っていただいて、大変助かっています。それに、わたしひとりではなにかと不安ですが、空也様がいらっしゃれば安心できます」
「ふうん。安心ねえ」
 空也は照れたようにむすっとして視線をそらし、グラスに口をつける。
「なにせ、御主人様が信用された方ですから」
 その言葉を聞くと、空也はどういう表情をしていいのか困ったような顔をする。口元をわずかにほころばせ、半分ほどに減った彼のグラスにマッカランを追加することにする。
「そういうわけで、もう少し頻繁にこられると助かります」
「以後気をつけます」
 びしっと言うと、希望通りの答えが返ってきた。目的達成。
「約束ですよ」
 そう言うと、ウィスキーのボトルを捧げ持つ。空也のグラスは減ってない。
「飲んでください」

 窓を開けると、心地良い夜風が入ってくる。火照った身体を冷やしながら、星と月と空気をつまみにウィスキーを味わう。
「ま、このぐらいの楽しみがないと、やってられませんよ。御主人様」
 背後のソファの上では、空也がつぶれて眠っている。そっと毛布をかけてやっているところが、メイド流の思いやりだ。
「早く帰ってこられたほうが、ご自身のためだと思いますが」
 星も月も答えない。
 はぁ、と息をついて窓を閉めた。


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