鋼のキューピット 強制結婚令
どんどんどんどんどん。
扉を叩く音に、俺は重い目蓋をやっとのことで開けた。
どんどんどんどんどん。
扉の叩く音。五月蝿いなあ。なんだって言うんだ。この部屋を訪れる用事のある奴なんていないだろうに。ガスと水道はとっくの昔に料金の取立てを諦めて、止まってる。家賃は6ヶ月まで溜めなければ文句は言われないはずだ。宗教だって、この貧乏ぶりを見れば、裸足で逃げ出したってものだ。
そうすると、あれか。この間応募した新人賞が優勝かなんかしちゃったりして、それで電話代払ってなくて連絡が通じない俺を救いあげるべく、出版社の人が来てくれたりとか、そういうこと? そうに違いない。きっとそうだ。もう、賞金の出ない佳作とか、努力賞とか、そういうのはたくさんだ。今回こそきっとノミネート! そしてメジャーデビュー!
せんべい布団を蹴って、跳ね起きる。ちょっと待ってくださいと扉に向かって叫び、四畳半の部屋のスナック菓子の空き袋や拾ってきたチラシや雑誌で見えない床を注意深く進んで、形だけの洗面台で身支度して、紐で部屋の中に吊るしてある洗濯物の中から、一番綺麗なシャツとパンツを選んで大急ぎで身につけ、布団を蹴飛ばして廊下へと続く扉を開ける。
「はいはい、お待たせしました――ごはっ!?」
扉を開けた途端、何かが俺の顔面を強打して、のけぞる。ふらふらと後退しながら、じんじんする鼻と目蓋の奥の熱に耐える俺の視界に入ってきたのは、スーツを着た小柄なツインテールの美少女と、彼女が突き出してきた一枚の紙だった。少ししわになっている。
あ、あれにぶつかったんだなと思っていると、美少女はそのポーズのまま、俺の名前、性別、生年月日、年齢、住所、経歴及び年収まで読み上げる。なんなんだ。
「以上、間違いありませんか?」
鈴のように響く美少女の声に、いちもにもなくコクコクと頷く。ああ、声まで可愛いなあ。こんな美少女が、うちに何の用なんだ。まさか、道端ですれ違った俺に一目惚れ?
「あなたに結婚命令書が出ています。72時間以内に、市役所に婚姻届を提出してください」
「は? 結婚命令書?」
なんだそれは。呆然とする俺に、美少女は眉をひそめる。
「強制結婚令を知らないのですか?」
「うちはNHK見てないから」
「なんですかそれは。――まあ、いいでしょう。強制結婚令―非婚化と少子化に伴う社会問題解消に関する特別措置法―というのは、現在の急激な人口減少による様々な社会問題の増大と経済の衰退、国家財政の逼迫に対処するための特別措置法です。これにより指定された男女は、強制的に結婚を義務付けられます」
あー。そういえば、2007年ショックの後、日本の労働人口が激減して、経済はがた落ち、それにこのままの勢いで人口の激減により、そもそもこれまでの日本の社会システムが維持できなくなる。このままでは、強制的に若い男女を結婚させる法律を作るしかない、とかいう趣旨の政府広報をどっかで拾ったような気がする。あれは何年前だっただろうか。それから、結婚も子作りもしない若者に対して、マスコミからのバッシングキャンペーンがあったな。それはつい最近ような気がするが……
「で、それが、俺に?――何。君と結婚するの?」
「あはは。あなたなんかと結婚するくらいなら、ナメクジと結婚しますね」
にこやかにひどいことを言う美少女。俺はナメクジ以下かよ!
「じゃあ、無理だよ。俺は自分で言うのもなんだが、徹底的に、1ppmたりともモテナイ男なんだ。俺みたいなナメクジ以下の男と結婚したい奴なんて、でてこないさ。だから、そんな命令書なんて、意味がないさ」
両手を広げて、そう言ってアメリカドラマの俳優のようにHAHAHAと笑ってみせる。
「ご心配なく。あなたがナメクジ以下の駄目男だというのは、あらかじめ分かっていたことです」
ナメクジ以下って言うな!
「あなたと結婚する人は、既に法務省から指定されています。いや、逆かな? ほら、入って、挨拶して」
美少女が安アパートの薄い壁をどんどん叩いて促すと、ドアの影から女性がすっと部屋の中に入ってきた。
でかい。胸が。Tシャツとジーンズという姿で、引き締まった身体と胸のでかさが際立っている。いや、背もでかい。170センチぐらいか。俺より高い。年の程は俺と同じくらいだろうか。長い黒髪の下は整っている造形といっていいが、表情が見えず、暗い光を湛えた目が何か怖い。そして、何より特筆すべきなのは、その首には黒い首輪が巻かれていた。
「不束者ですが、よろしくお願いします」
首輪女は無感情な声でそう言って軽く頭を下げると、すたすたと部屋の中に入っていく。
「あ、ちょ、ちょっと」
引きとめようとする俺に、美少女が近づいてそっと囁く。
「言葉には注意したほうが良いですよ。彼女、4人殺してるから」
「は?」
さっと、血の気が引く。淡々とと散乱しているチラシや雑誌をまとめ、スナック菓子の袋をゴミ袋に突っ込んでいる首輪女から目をそらし、美少女に同じように囁き返す。
「ど、どーしてそんな、人殺しが俺のところにっ」
「単純な算数ですよ」
美少女はそんなことも分からないのかという顔をして、嘆息する。
「彼女は4人殺してます。昔の法律なら、死刑です。でもこれでは、人口が5人減ってしまう。だから、強制結婚令を使いました。子どもを6人生めば、彼女は無罪放免です」
「なっ。そんな。その間に俺が殺されてしまったら、どうなるんだよ」
「彼女の子どもを生むノルマがひとり増えるだけですよ。別段たいしたことじゃない」
「たいしたことだろ!」
なんなんだその無茶苦茶な制度は。俺のような善良な市民をなんだと思っているんだ。
「五月蝿いですね。文句を言うなら、あなたが受け取った生活手当、自立支援手当及び税金社会保険料滞納分総額まとめて1,003,602円、耳を揃えて払ってもらいましょうかっ! 公費で無為に生活しておいて、つべこべ文句を言うんじゃないわよ! せめてマスかいて無駄に浪費しているその精液つかって、ちっとは世の中の役に立ちなさいこのインポ野郎!!」
台風のように怒鳴り散らすと、美少女は手に持っていた書類の束を俺の顔面に叩きつけ、そのままドアを乱暴に閉めると、どすどすと足音を立てて去っていった。
「ふふふ。インポ野郎に立てとはこれいかに」
ショックのあまりわけの分からないことを口走りながら、がっくりと床に崩れ落ちる俺。あんな美少女の口から、あんな汚い言葉が出るなんて、世界はまだまだ驚異に満ちている。
「ちょっとどいてくれない? 邪魔」
挙句の果てに、雑巾で畳を拭いていた強制配偶者に足で転がされ、ごろごろと部屋の隅へと転がっていく。
「さて、こんなものかな。贅沢いってもきりがないし、死刑囚拘置所と比べれば、天国みたいなものね」
窓を開けて布団を干し終わると、恐ろしいことを口走る俺の嫁(殺人犯)。窓から空を見上げるその表情は、どこか儚げで、それでいてどこかすがすがしいような気がした。なぜだか分からないが、そう感じた。
そういえば、彼女のことについては、彼女自身から何も聞いていないことに気づく。
「さて、と。旦那様。ご飯にしますか? お風呂にしますか? それともわ・た・し?」
悪戯っぽい笑顔を見せると、その首輪女はそう言って三つ指をついた。その笑顔は、まるで普通の同年代の女性のもののようでもあり、それがなんとなく照れくさくて視線を外そうとするが、なぜだか下げた視線は彼女の胸へと集中してしまう。
なんだか、ドキドキが止まらない。
クリエーターズネットワークで話題になった『強制結婚』についての作品。
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