梅雨中の雷は晴れ近し
注意:これは「彼のヒーロー」の直後の話になります。先にそちらをお読みになってから読まれると、より楽しむことができます。
雷とともに、うっとおしい梅雨が続き、
だあだあと、情け容赦のない雨が降り続く。
ああ、憂鬱ったらありゃしない。
「起立。礼」
日直の声を境に、教室はがやがやとした喧騒に包まれる。窓の外はバケツをひっくり返したような大雨。運動部の連中の中には、グラウンドが使えなくて休みの奴もいるが、大抵において普段通り。平凡で退屈な高校生活。
雷鳴。
一部女子の、わざとらしい悲鳴。それに群がる男子。莫迦どもめ。
帰ろう。席を立つ。
下駄箱に上履きを放り込み、下履きを履いて、誰も彼もろくにまとめずに無理矢理突っ込んだ傘立てから、力一杯自分の傘を引き抜く。
びり。
傘立ての金具に引っかかって、傘が破れた。
「……」
安物だからな、と思っていると、すっと目の前に黒い紳士用傘が差し出される。
「使え」
いつの間にかそこにいた、同じクラスの刀治圭。そいつに冷たい目線を向けて。
「いらない。あなたが濡れることないわ」
「じゃあ、一緒に」
「遠慮しとく」
反射的に、冷たい言葉を投げつけて、破れた傘を差してすたすたと歩き去った。
びしょ濡れになって、失敗したと後悔しながら。
「あら、瑠香ちゃん。おやおや、女の子がそんなにびしょ濡れになって」
行きつけの診療所。無人の待合室。知り合いの看護師が、姿を見るなりタオルを持って駆け寄ってくる。
「どうしたの?」
「傘が破けた」
看護師がごしごしとタオルで雨水をぬぐう。伸ばしっぱなしの髪は水分をたっぷりと吸って、ぽたぽたと垂れ流す。
「それはまあ、大変だったわね。相合傘を勧めてくれる男の子とかはいなかったのかな?」
「断った」
まあ、という看護師の声に、しまったと後悔する。にまりと笑う看護師。5年以上の付き合いなので、やや気を緩めていたか。
「もったいない。嫌いな人だった?」
「別に」
「もったいないわねえ」
「……わたしも、そう思う」
詰問に、観念してうなづく。看護師から離れて、自分の手でタオルを取って雨を拭いた。
「先生ね、往診に行ってるの。ちょっと待っててくれる?――その間に、服を洗濯して、乾かしてしまえばいいわ。パジャマ貸してあげる。……それとも、ナース服がいい?」
「ここが救急病院じゃなくてよかったわ。……莫迦」
しとしとと、雨が降り続ける。
入院患者用のパジャマを着て、ナースステーションで先生の帰りと、制服をぐるぐる回している乾燥機が止まるのを待ちながら、所在なげにたたずんでいる。窓から表の街路をなんとなく眺めながら。
「告白されたのは生まれて初めてだし、凄く嬉しかったんだけどね……残念ながら、わたしにその資格がないから」
「うん? 何の話?」
机に向かって書類仕事をしていた看護師が、軽く相槌を打つ。
「人に世話かけて、迷惑かけて。可愛くないし、綺麗でもない。お嫁にもいけないし、いつ死ぬか分からない。そのくせ嫉妬深い。最悪よね。もうちょっと、都合のいい女だったらよかったのに」
「うわー。いいですねー。らぶらぶですねー。青春ですねー」
「人の話、聞いてないでしょ」
悪態をついて、そっと窓の外の街路に視線を落とす。遠くで、鉛色の雲の中閃光が光り、数秒遅れてごろごろと音が響いていった。
「梅雨中の雷は晴れ近し、って現象知ってる? 停滞していた梅雨前線が高気圧に押されて北上しようとしていくときに、雷が鳴るようになるんだって。つまり、雷が鳴ると、もうすぐ梅雨が終わって、夏が来るってこと」
「なにそれ」
「天気に関することわざ。雨降って地固まる、みたいな」
看護師はそれっきり、もはや興味を失ったようで、書類に意識を戻している。それは天気のことわざじゃないんじゃない、と声をかけても返答がない。しょうがないので、視線を窓の外へと向ける。
「……あれ?」
視線の端に、見覚えのある傘。その下には、見覚えのある男と、彼に寄り添うように同じ傘の中に入っている、見知らぬ女。自分が通っている高校とは違う制服を着た女子学生。嬉しそうにはしゃぎながら、一緒の傘の下で寄り添っている。後姿だけなので、顔は分からないが、ゆらゆらと揺れる髪の左側には、鍵を思わせる硬質な輝きを持つ髪留めをつけている。
「なに、よ。それ」
どくん、と。冷たい感情が胸の中に広がっていった。
雨が降れば、外出は控えようかと思う。
逆に、雨の狭間の晴れ間には、外出しないと何かもったいないような気もする。
そういえば、傘が破れていたなと思い出して、郊外型シティモールへと向かった。
最近気を使うようになった髪をなんとなく束ね、数少ない外出着でおでかけ。気温が上がってきたが、長袖を着ないと、紫外線にやられて火傷したように真っ赤になってしまう。
いくつかのショウウィンドウをひやかし、ふと空を見上げてみれば、晴れ間は終わったらしく、鉛色の雲が空に立ち込めてくる。そうこうしているうちに、ぽつぽつと雨が降り出し、雨脚はどんどん強くなる。
あわてて、近くの店に駆け込む。シンプルなデザインで有名なブランドの専門店。これはもう、ここで傘を買って、それを差して帰らないといけない。
「さて、傘は、と」
探しながら、店内を歩く。ちらちらと小物に目移りしながら、物色していると、不意に、がらがら、どん、と雷がなった。
「きゃっ」
どこかわざとらしい女の声が聞こえる。なんとなくそちらを見てみると、思ったとおりどこぞの14,5ぐらいに見える少女が、にやつきながら「怖いわ」などと言いながら、連れの男に抱きついている。
莫迦ものが。
「……ん?」
ふと、その女に見覚えがあるような気がして、もう一度よく見てみる。Tシャツとジーンズというラフな格好で、スタイルは結構いい。無邪気を装っているようなその大きな瞳の色から、そういうタイプの女だということが判断できる。よく動くその表情は仮面。
ゆらり、と少女の髪が揺れる。そこには、鍵を思わせる硬質な輝きを持つ髪留め。どこかで見た、髪留め。雨の音が聞こえる。そう、あれは確か、
病院の窓から見た、別世界の幸せな男女。
きっと、その女が抱きついている男を睨みつける。数日前にわたしに告白して、それ以来わたしの心をかき乱している張本人。それだけのことをしておいて、自分は早くももう、新しい女といい感じ。
ぶっ殺す。
「こんにちは、刀治くん。その女の子はどなた? よかったら、紹介してくれない?」
かつかつと近寄って、冷たい声で語りかける。圭はちらりとこちらを見て、苦笑。なにその態度。女の方は、露骨になにこの女、みたいなことを言いたげにこちらを見ている。むかつくその態度。
「ああ。これは俺の……」
「あなたこそ誰? わたしの圭と、どういう関係?」
わたしの、を強調した少女の口調に、かちんとくる。すう、と息を大きく吸い込んで、
「ひどいわ。わたしのことは、遊びだったのねっ!」
おなかの底から、店全体に響き渡るような大声で、怒鳴りつけた。店中の視線が一気に集まる。
「ま、まてっ。何を言ってるんだ。そもそも振られたのは――」
店員と来客の冷たい視線を浴びることになった圭が、あわてて詰め寄ってくる。その潜めた声がいやらしい。
「初めてだったのにっ。よくも、もてあそんだわねっ」
好きだと言われたのも、こんなに心乱したのも、学校に行くことを楽しく感じるようになったのも、全て初めてだったのに。
「一体、なにをっ」
言葉に詰まる莫迦者。いや、莫迦は自分か。勝手に舞い上がって、一人でいい気になっていた、世間知らずの、莫迦。
情けなくて、涙が出てくる。
「お兄ちゃん、不潔」
目の前で睨みあっていた少女が、ぽつりと呟く。
「誰がだっ。全く身に覚えが……」
「お兄ちゃん?」
いいわけをしようとする圭を無視して、少女の言葉にふとひっかかる。
「妹?」
こちらを睨んでいる小娘を指差して問う。礼儀正しいとはいえないが、こんなのに礼儀正しくしてもしょうがないだろう。更に強く睨まれたが、気にしない。
「妹の宮古だが、なにか?」
なんだよう、と言いたげな圭に、失笑。笑えてくる。笑う。笑いながら、ばんばんと圭の肩を叩いて、
「痛い痛い痛い痛っ――ぐあっ!!」
肩を叩こうとして、狙いが外れて頭とか頬とか顎とか鳩尾に拳がめり込んだりしたが、瑣末事なので気にしない。
「な、なによ……」
不満そうに口を尖らす宮古。ふうん、こうしてみると、あどけなさを残していて、なかなか可愛い。
「いえ、別に。ふうん、可愛いじゃないの」
床に身体を二つに折って苦しんでいる何かがあったが、邪魔なので足で蹴って隅に追いやって、宮古に向き直る。
「なによ、あなた。お兄ちゃんについた悪い虫?」
「何。お兄ちゃんを取られそうで、嫌?」
こちらを睨んでくる宮古に、微笑を浮かべてそれを受けて立つ。
遠くで雷鳴が鳴る。滝のような雨の音さえ心地よく、顔が笑ってしまうのを止められない。
雷とともに、もやもやとした梅雨は明けて、
ギラギラとした、情け容赦ない夏がやってくる。
ああ、楽しいったらありゃしない。
クリエーターズネットワークテーマ『雷』参加作品。
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