宇宙の学校


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◆ オープニング
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 スラスタの角度を調整して、機体の体勢を立て直した。翼を広げ、バーニアを吹かして、一気に音速まで加速する。
 虚空の中、真紅の単座式航宙機が光速の70%で爆走する。その5光秒後方を、青の機体が追いかける。
「くっ」
 紅の航宙機のパイロット、アリーチェ・リーンはレーダに映った機影と識別番号を確認して、軽くうめいた。他のライバル達は大きく引き離してやったのに、ゴール手前300光秒まできて、思わぬ伏兵に捕まった。
 航宙機の航路には、サーキットのように厳密なコースはない。走れるなら、どこを走ってもいい。無論、それなら最短コースを走ればいいのだが、そのルートは誰もがそう考えるため、接触やニアミス、衝突回避装置の作動などのデメリットを抱え込むようになる。
 アリーチェはスタートダッシュの時点で後続を突き放して、最短コースであるイオとエウロパの軌道の中間をぶっちぎっていたはずだ。それなのに、わざわざ木星とイオの宇宙気流の悪路を選んだ後続機が、結果として今現在自分を追い上げている。
 エウロパのゴールまで、直線コース。この時点では、もはや打てる手はない。宇宙ではコースを塞ぐこともできないし、なにより機体の進路を動かそうとすると、速度が音速<ドンガメ>並みに落ちてしまう。
 後続機"ブルームーン"の速度は、光速の80%まで加速した。機体性能は、向こうが上。それは認めざるを得ない。
 このままでは、抜かれる。
「レッドアイ、オーバードライブ準備」
 アリーチェは、機体のシステムに告げる。不平そうな警告音。1コールで切る。システム起動。アイドリング。安全装置解除。オーバードライブ起動。
 半実体化した真紅の機体"スカーレット・オハラ"は、次の瞬間光速を超えた速度で、一気に後続機を突き放した。


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◆ ブリーフィング
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「あー、疲れた」
 源川ソラは鞄を抱えながら、ぐったりした声でそう言った。
 航宙学校の図書館。隅にある個室の自習室に陣取ると、端末のスイッチを入れて床に座り込む。黒猫型ロボットのガブリエルが端末と交信し、演算を始めた。その間、ソラは目を閉じてじっとしている。。
 集団生活が基本の航宙学校だが、個人の時間はできるだけ大事にしたい。
「ソラ、起きろ」
 ガブリエルがコンソールの上から声をかける。ソラは静かに目を開けた。
「解析が終わった。反省会を始めるぞ」
「反省と後悔はしないことにしているんだ」
「黙って聞け」
 ホロディスプレイが複数立ち上がり、情報を提示する。
「機体のメンテナンス、レース展開の予測とそれに基づくルート選定及びフライトには、現状では解決できる問題はない。問題は、ラストでの"スカーレット・オハラ"との接近戦<ドッグファイト>だ」
「接近戦<ドッグファイト>は苦手なんだよ。相手も悪かった」
「その意見は科学的とはいえないな。決して勝てない相手ではないぞ」
「無茶言うなよ。向こうはパイロットコースのエース。こっちは航宙力学と電脳が専門。自動操縦<オートパイロット>ならとにかく、手動操縦<マニュアル>に関しては向こうが圧倒的に上だよ」
「向こうが得意な分野で勝負することはない。精神論は好きではないが、ソラには勝つための気合が見られないぞ」
「僕も精神論は嫌いだよ。気合じゃ勝てない」
「……話を元に戻そう。問題はここだ」
 ホロディスプレイの一枚が、追撃戦を演じている"ブルームーン"と"スカーレット・オハラ"が映し出される。その隣のホロディスプレイでは、異常値を叩き出している数字とグラフが乱れ狂う。
「"スカーレット・オハラ"の超空間光速駆動<オーバードライブ>で、空間に異常が生じて、乱気流が生じた。これに巻き込まれ、弾き飛ばされた。機体を立て直すためにスピードを音速以下に落として」
「後続に抜かれまくってしまった、と」
「結果は9位。後一歩でトップだったのに」
「トップなんて取ったことないし、現実的じゃないね。まかり間違ってそんなものとってしまったら、パイロットコースのお嬢様方<レディス>に目の敵にされてしまう。男の癖に生意気だ、って」
「前時代的な価値観だ」
「女性のほうがパイロット適正が高い、というのは社会的に公認された認識だからね。ハインラインぐらい読めよ、黒猫<ピート>」
「君の趣味にはついていけない。で、これへの対策だが、現在のところひとつだな」
「空間の波に、同じかそれ以上の波を当ててやればいい」
「そう。こちらも超空間光速駆動<オーバードライブ>だ。ただし、この場合次の瞬間超空間光速駆動<オーバードライブ>同士の接近戦<ドッグファイト>が展開されることになるが」
「危険すぎる。現実的じゃないね」
「現実にありえることだ。シュミレーション結果は保存しておこう」


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◆ ボーイミーツガール
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 夕方には、図書館を含めた航宙学校の施設は全て立ち入りできなくなる。
 ソラはガブリエルと一緒に自習室を出ると、校庭を横切って校門をくぐる。
「あ」
 校門では、そわそわしたそぶりのアリーチェ・リーンがいた。
「やっと来たわね」
 仁王立ちでソラを睨みつけるアリーチェ。待ちくたびれたわ、とつぶやく。
「約束してたのか?」
 ガブリエルの言葉に、ソラはいや、と答える。
「気にする必要はないわ。わたしが勝手に待ってただけだから」
 言い切るアリーチェ。ソラは、どう反応していいのか困った。
「少し、付き合ってくれない?」
 それだけ言うと、アリーチェはくるりとソラに背を見せると、すたすた歩き始めた。
「あれ、なんだろう……」
「知らん」

 衛星エウロパの地下都市。木星開発公社や宇宙開発事業団の拠点として建造され、その後いくつかの企業が住み着いた太陽系第3の植民地<コロニー>。
 学生街のはずれにある公園。
「今日は悪かったわね」
 アリーチェの言葉に、ソラは軽く首をかしげた。
「なにが?」
「……。禁止されている超空間光速駆動<オーバードライブ>で、あなたを危険な目にあわせてしまったこと」
「ああ」
 ソラは手をひらひらと振った。
「気にすることじゃない」
「あんたねえ」
 はあ、とアリーチェはため息をついた。
「せっかくトップを狙えたのに。もう少し悔しがったりしてもいいんじゃない?」
「悔しがっても、トップになれるわけじゃないからね。それよりも、命が助かったことを感謝するよ」
「気合が感じられないわね」
「そんなもの、何の役にも立たないからね」
 ぎろり、とアリーチェはソラを睨む。
「よくいるのよね。テストの前に『全然勉強してない』とかいって、結構いい点取るやつ。わたしは、そういう奴は大嫌い。やる気がないなら、わたしの視界に入らないでくれる? こっちは真剣勝負しているんだから」

「ソラ、そろそろ帰ろう」
 ガブリエルの声に、ベンチでひとり呆然としていたソラは我に帰った。
「もうそんな時間?」
「ああ。大丈夫か?」
「うん。……参ったな。憧れてた女の子にあんなことを言われるのが、これほどショックだとはね」
「何事も経験だ。少年よ」


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◆ 時間差情報
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 学生寮に戻ると、夕食の時間は終わっていた。食欲もないし、抜くことにする。
 自室に入り、端末を立ち上げ、ベッドに寝転がる。ガブリエルは端末と交信を始め、ソラは目を閉じて休む。
「ソラ、連絡船が来ていたらしいぞ」
 ガブリエルの言葉に、ソラは生返事をしただけだった。
 地球からの不定期連絡船。半年に1回くるかどうかというその船だけが、エウロパと地球<故郷>を結んでいた。
「なんかある?」
「地球と火星のニュースがどっときたな」
「半年のタイムラグつきでね」
「ないよりいい。あと、メールが来ているぞ」
「開けて」
 ソラの目の前に、ホロディスプレイが広がる。
『成績表がきました。優秀で嬉しいです。
 来年からは専門課程に進むそうですね。ソラが自分で決めた道だから、多くは言いません。
 でも、パイロットだけはやめてください。ソラには、お父さんの分まで生きて欲しいから。
 それでは、無事に帰ってくる日を待っています。
 母
追伸
 たまにはそちらからもメールしてください』
 黙って、ディスプレイを消す。
「このタイムラグって、結構痛いよな」
「なにか書いてあったのか?」
「別に」
 ロボットはマスターのプライヴァシを尊重する。話題を打ち切り、地球と火星のニュースの整理を始めた。
 ソラはベッドに寝転がり、目を閉じる。
「ソラ」
「寝かせてくれないか。どうせ半年遅れのニュースだろう。1日ぐらい遅れても大差ない」


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◆ グランド・ツアー
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 実習という名の宇宙開発事業団での労働を終えて、1日が潰れた。
 レースなんかよりずっときつい時間だが、将来の就職のことを考えるとソラにとって大事な時間だった。
「それに、今日はお駄賃で旧式のフライトシュミレーションもらっちゃったからな。早く帰って遊ぼう」
 フライトシュミレーションというより、シューティングゲームのようなものだった。無愛想な事務員が「こういうの好きだったら、もっていっていいよ」とくれたものだ。地球ではだいぶ型落ちした奴だが、娯楽の少ないエウロパではそれなりに楽しめる。
 帰りのホームルームの教師の言葉を無視して、終わりをそわそわ待っていると、手元の端末に呼び出しメールが入ってきた。差出人は教師のギュル・フェネル。
 静かにホームルームの終わりを待つことにした。

 職員室の隅に、ギュルの机はあった。くたびれたスーツ姿の中年。挨拶すると、ギュルは黙って視線だけでソラに椅子を勧める。ソラがそれに応じると、ギュルは黙ったままチャイを淹れてくれた。
 ふたりで甘いお茶を飲む。
「ソラはグランド・ツアーには出ないのか?」
 ギュルの言葉に、ソラは少し考え込む。
 グランド・ツアーというのは、エウロパで開催される年に1度のお祭りだ。様々なカーニバルが開催されたりもするのだが、それらはおまけに過ぎない。
 本命は、航宙機でのレースだ。エウロパからスタートし、木星第1衛星メティスと第16衛星シノペとの間を周回し、タイムを競う。その間、イオ、エウロパ、ガニメデ、カリストのチェックポイントを通過しなければならない。
 当然、衛星は動く。更に木星圏は磁気嵐と乱気流と無数のアステロイドが荒れ狂っており、太陽系有数の難関コースとなっている。
 このまともでない<ルナティック>レースはエウロパだけでなく、太陽系中で知れ渡っており、腕自慢の航宙士がこの季節になると大挙してエウロパを訪れ、ちょっとした観光にもなっている。
 技術力をアピールしたい企業や国威発揚のための国の機関から、ちょっとしたレーシンググループ、航宙学校の生徒まで、多種多様な参加者が、各々技術を競う。
 ソラも、憧れがないわけではないが……。
「今年はやめときます。そこまで真面目な生徒じゃないんで」
 ギュルは不思議そうに、首をかしげた。
「お前は真面目な生徒だと思うぞ? 今年はどこかのグループに入って手伝いだけしてみても、悪くないと思うが」
 ソラは少しだけ考えた。確かに、出場するいくつかのグループから声をかけられてはいた。しかし……
「いや。やめときます。色々考えたいことがあるんで、今年は第三者の立場で、観戦させてもらいます」
「ふむ。なにか思うところがある、というわけか」
 ギュルはふむ、と考え込んだ。ソラとしては、まさかアリーチェと顔を合わせずらいだけ、とは言えず、居心地の悪い思いをする。
「それなら良かった。いや、良いわけじゃないが」
 意味不明なことを口走るギュルに、ソラは首をかしげる。
「グランド・ツアーの運営委員会が、人員を募集しているんだ。実質ボランティアみたいなものだし、アクティブな人間はみんな出場側に回ってしまって、人手不足で困ってる」
 なるほど、とソラは頷いた。
「そっちに回ってもいいですよ。面白そうだし、良い経験になりそうだ」


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◆ ボーイミーツガール2
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 グランド・ツアーのスタッフの仕事を引き受けてから、ソラの日常は多忙になった。
 基本的なガイダンスに始まり、専門的なレクチャー。それが済むと、事務局での雑務。放課後はほとんどそれに潰れた。
「ソラくん、ここの仕事に慣れた?」
 事務局3班の班長、セーヴァの言葉に、ソラはうなづいた。年上で美人のセーヴァは、ここ最近ソラが事務局に日参する理由になっている。
「ソラくんが来てくれて、本当に助かってるわ」
 セーヴァはにっこり笑って、ソラに仕事をどさりと渡した。
 その量に少しひるんだとき、事務所に来客が現れた。
「ちょっといいかしら?」
 カウンターに現れたアリーチェに、ソラは少し驚いた。
「どうかした?」
「ツアー関係と学校関係の話があるんだけど」
 仁王立ちしているアリーチェにソラは椅子を勧める。
「じゃあツアー関係で。学校の話は学校で」
「あなた最近、学校に姿見せないじゃない」
「いや、ちゃんと授業には出てるって」
 ただ単に、これまで放課後図書館やドックで過ごしていた時間を、事務局での時間に回していただけだ。
 アリーチェはむっとして、ソラを睨みつける。
「レースに出るの、やめたの?」
「やめたわけじゃない。今はこっちの仕事をしているだけ」
「……もういいわ。あなたの行動に文句をつけるのは、やめた」
「は?」
「どうせ、理解できないし」
 いや、君のほうが理解不能だよ、とソラはつぶやく。
「いいわ。今日は別件できたのよ。わたし、グランド・ツアーに出るわ。チームウィザードの3番で」
「おめでとう」
 航宙学校の中にも、チームは複数ある。その中でも、チームウィザードは伝統と実績のあるチームだ。
「おめでとうじゃないわよ! ひとつのチームから出場できるのは2機まで。これじゃわたし、出られないじゃない! 4・5年生が、立場を利用して、パイロットになってるのよ」
「パイロットコースのお嬢様方<レディス>の決め事を、僕に言ったってしょうがないだろう」
 チームウィザードは伝統がある分、封建的な気風がある。特に今のチームリーダーのドロシー・キュロットはその性格が強い。
 正直、ソラはお嬢様方<レディス>の妙な体育会系? なノリについていけずに、チームウィザードを敬遠していた。
「そこで、よ」
 アリーチェはぐっと、カウンターの上で組んでいたソラの腕を握る。
「新しいチームを作って、グランド・ツアーに出たいの」
「絶対やめとけ」
 アリーチェはむーとする。
「今から急造チームを作ったって、間に合わない。航宙はパイロットだけじゃできないんだ。機体を整備する人間、部品を調達する人間、資金を調達したり対外交渉をする人間、情報を収集分析する人間、戦略戦術を立てる人間、そしてそれらの人間をまとめあげる人間。それだけの人間をこれから用意するのは不可能だよ。第一、これ以上の新規チームの結成は、学校だって認めないさ。航宙学校には既に3チームあって、それぞれに学校から補助金が出てるんだ。これ以上チームは作れない」
「それは、なんとかして」
「なんともならない。なんとかしても、グランド・ツアー運営委員会は、何の実績もない新規チームの参加を認めない」
「む」
 アリーチェは少しひるむ。
「まだツアーまでは時間もあるし、チーム内で他に文句のつけようのないタイムを出すしかないんじゃない?」
 アリーチェは少し考えた後、ふんと横を向いた。
「なんだ。あなた、結構言うじゃない」
「事実を指摘しただけだけどね」
「ま、いいわ」
 アリーチェは立ち上がる。
「今の時点では、言われていてあげる」
 びしい、とソラに指を突きつけると、そのまま出て行ってしまった。
「なにしに来たんだか」
「ソラくん。ちょっと減点」
 ソラの背後から肩に肘をついて、セーヴァが少し怒った口調で咎めてくる。
「? なにか、間違ったことを言いましたか」
「正しけりゃいいってものでもないわ。ものはいいよう。いいこと、人生において大切なことを教えてあげる」
 ぴっと人差し指を立てて、
「女の子には、親切にしておくものよ。ましてや、自分を頼ってきた女の子は、大切に扱うものよ」


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◆ グランド・ツアー2
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 グランド・ツアーが始まるまでの1ヶ月は、怒涛の勢いで過ぎていった。
 グランド・ツアー委員会の決める規制<レギュレーション>は、直前まで二転三転し、そのたびに対応の変化を余儀なくされた。
 ツアー参加チームのチームや機体の内容は、直前まで二転三転し、そのたびに一連の手続きをやり直さなくてはならなかった。
 それらひとつひとつに怒っている暇はなく、最後には慣れてしまった。

 新型大出力エンジン。高機動スラスタ。封印解除された超空間光速駆動<オーバードライブ>機関。進路を阻害するデブリを破壊するための、2本のフォースブレード。
 原型を止めないほどに改造した"ブルームーン"を前に、ソラはご満悦だった。
「飛ばしてみたいなあ」
「多分、その機会はないわよ」
 大改造をサポートしたセーヴァは、軽く笑う。
「緊急救助<レスキュ>用の規制<レギュレーション>解除機だからね。出番はない方がいいのよ。シュミレーションだけで満足することね」
「まあ、ね」
 コンディショングリーンのテスト結果が告げられる。ソラが終了を告げると、"ブルームーン"は不満そうに信号灯を二回点滅させて、沈黙した。

 エントリーを締め切り、テスト走行の日程を調整する。参加機体の規制<レギュレーション>を点検し、テスト走行の終わった機体は予選まで封印される。
「封印は、予選当日まで絶対に解除しないこと。レーサーって我侭な人間が多いから、なかなか決まりを守らないけど、きちんと守らせること」
 エウロパドックの廊下を歩きながらセーヴァのレクチャーを聴いて、ソラは苦笑する。
「まあ、そういった人たちの我侭には、慣れてますよ。あ」
 前から、チームウィザードの面子が歩いてくるのに気がついて、ソラは口をつぐむ。
「あら、源川くん、ごきげんよう」
「こんにちは。キュロット先輩」
 先頭を歩くチームリーダーにして1番機のパイロットのドロシー・キュロットに挨拶する。ぞろぞろとその後に続くお嬢様方<レディス>に会釈をしていると、ばかんと頭をヘルメットで叩かれた。
「わたしにも挨拶しなさいよ」
 パイロットスーツ姿のアリーチェが、薄笑いを浮かべて絡んでくる。
「なにかいいことでもあったの?」
「テスト走行のタイムアタック、見てなかったの?」
 見てるわけないだろう、と口の中でつぶやく。
「予選では、わたしが出ることになったから。変更お願いね」
「また変更かよ」
「頼んどくわよ」
「リーンさん。手続きはこちらでしておきますから」
 少し離れたところで立ち止まったドロシーが、アリーチェを睨んでいる。
「団体行動を乱すのは、よろしくなくってよ」
「はぁい」
 険のあるドロシーの言葉に明るく答えるのは、よっぽど嬉しいのか、あるいは別の理由があるのか。
 アリーチェは小走りで、他のチームのメンバーと一緒に去って行った。
「若いっていいわね」
 セーヴァの言葉に、そうですね、と答えて、3メートルほど歩いてから。
「いや、セーヴァさんも若いですよ」
 と、付け加える。
「ありがとう。そう言って欲しかったのよ。でも、そういうのってタイミングが大事。さっきのガールフレンドとの会話だって、文句を言う前におめでとうの一言がなんで先に出てこないかな、きみは」
「公衆の面前だと、褒めにくいんですよ。あのお嬢様方<レディス>の人間関係に介入したくありませんからね。噂でしか聞いたことありませんけど、結構どろどろしているんでしょ?」
「わたしに聞かないでよ。わたしは、航宙学校出身じゃないんだから。民間の船乗り出身。純粋培養されたエリートさんの社会は、ちょっとわかんないな」


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◆ メティス
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 大出力バーニアが虚空を照らし、"スカーレット・オハラ"は更に速度を上げる。
 光速の80%の速度でシノペまでたどりつき、スラスタを全開。光速レベルのまま機体を滑らせ、シノペを旋回する。そのまま一気に加速。カリストのチェックポイント目指して、更に速度を上げる。

「彼女、結構調子いいじゃない」
 運営委員会の事務室の中、セーヴァはモニタに映る情報を見ながら、ソラに言う。ソラは監視をガブリエルに任せて、なにか別のことをしていた。言われてモニタ上の情報を確認する。
「次の選手にスタートを指示してもいいんじゃないですかね」
「ん。そうね。さくさくいきましょう」
 予選では、各機のタイムアタックでスコアが競われる。10分程度の間隔で1機ずつスタートするため、レースのように機体同士がデットヒートを繰り広げることはない。コースを3週する間に、言い訳なしのタイムをたたき出さなければならない。
 接触の心配がない程度の距離が出れば、次機がスタートする。衛星は動き、わずかであるがコースの距離も変わる。公平を期すために、予選はスムーズに行われなければならない。

 ギアをトップに。感情はホットに。知性はクールに。
 理論上の最短コースを、線をなぞるように正確に疾る。イオのチェックポイントを機体を滑らせながら通過し、進路をメティスに向けて光速の80%で疾走。
 木星の重力と磁気嵐のデータが、絶えずモニタに送られてくる。チームから送られてくる分析結果と指示に従い、進路を決定し、限界まで速度を上げる。
 自己レコードを塗り替える速度で、メティスを周回する。
 ぷつん。
 なんの前兆もなく、機体から手ごたえが消えた。

「"スカーレット・オハラ"に異常発生。コントロールを失っている模様」
 オペレータの報告に、事務室は騒然とした。
「どういうこと?」
「わかりません。制御系に異常が生じたのかも。慣性に流されたまま、機体を制御できていません」
 ぎり、とセーヴァが鬼のような形相で歯噛みする。
「ガブリエル。"スカーレット・オハラ"に侵入<アクセス>。コントロールを奪え」
 ソラの指示に従い、電算機がめまぐるしく動く。
「駄目だ。対象が見つからない<ファイルノットファンド>。おそらくレッドアイは落ちて<コンセント抜けて>いる」
 ガブリエルの言葉に、ソラは畜生と呟き、決断する。
「"ブルームーン"を機動」
「承知した。やる気を出してきたな」
 ガブリエルは尻尾をぴんと立てて、命令をおくる。にやりと<チシャ>笑ってみせた。

「呆れたわね」
 セーヴァはコンソールの前で、左のホロディスプレイデータ解析を進めながら、右のホロディスプレイでカタパルトに移動する"ブルームーン"を確認する。
『こちら"ブルームーン"。出ます』
「待ちなさいソラくん。レースが止まるまで待ちなさい。コースを逆走する気?」
 返事はない。規制<レギュレーション>解除された"ブルームーン"は鼻で笑うように軽くバーニアを吹かした後、光の速さで飛んでいった。
「呆れてものも言えない」
 セーヴァは目前のふたつのディスプレイを見て、ため息をついた。


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◆ ジュピターズリング
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 コントロールを失った"スカーレット・オハラ"は、木星の輪の周回軌道上を迷走していた。木星の重力と磁気に引き寄せられ、形成されたアステロイドベルトの只中。いまだにクラッシュしていないことを神に感謝すべきか。
「くそっ」
 アリーチェは泣きたい気分になって、コンソールから手を離した。なにがどうなってるのか、さっぱり分からない。
「あいつなら、わかるんだろうなあ」
 つい、そんなことを呟いてしまう。
「暴言は訂正するから、助けてよ。あんたが怖かったのよ。羨ましかったのよ」
 なに考えてるか分からない、あの男の態度が頭の中でちらつく。
「助けろよ、畜生。こっち見ろ。年増女といちゃつくな。こっちに気づけ。気遣え。畜生」
 目頭が熱い。コンソールを叩く。手のひらが痛い。
「畜生<ファッキンマザーファッカー>!!」
『汚い言葉だ。最悪、と言っていい』
 ノイズしか吐き出さなかった通信から、聞きなれた人を食った声が聞こえてきた。
「……」
『3分で助けに行く。それまで、いい子で待ってろ』

 虚空を青い光が切り裂く。
 規定外の出力を持つバーニアが猛り、2秒で光速の80%まで加速する。
「ソラ、前方に注意しろ。レースの機体が正面から来てるぞ」
 ガブリエルが警告する。
 レーダを見ると、エウロパのチェックポイントに向けて光速の95%で突っ込んできている航宙機がある。接触まで時間がない。通信回線をあける。
「メイデイ。こちら委員会事務局。事故機を回収する。コースをあけてくれ<そこをのけ>」
『この速度じゃ不可能だ<五月蝿い>。邪魔するな<おまえがのけ>』
 プライドの高そうな声が返ってくる。
 カチンと来た。
 言い争っていては、衝突する。速度を上げながら、衝突回避装置を切る
「ガブリエル。超空間光速駆動<オーバードライブ>準備」
「ばかな真似はよせ」
「吹き飛ばしてやる」
 時空が歪み、時空嵐が吹き荒れる。予測される相手機のコースに注意しながら、スラスタを全開にして進路を調整する。
 目前の景色が歪んだ。
「海王星まで吹き飛べ」
超空間光速駆動<オーバードライブ>発動。"ブルームーン"が半実体化して、光速を超える。
「……っ」
 半実体化すれば、現実の認識は曖昧になる。しかしその中で、"ブルームーン"はすれちがう機体をはっきりと感じていた。


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◆ エピローグ
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 エウロパの学生街にも、かろうじて娯楽施設というものはある。
 ソラはくたびれた複合娯楽施設のカフェテラスで、所在無げに時計を見て、ため息をついた。
 映画だのボーリングだの、娯楽施設をひとところに集めたビルのカフェテラスは、ちょっとした待ち合わせや休憩に良く使われる。近くの店にディスプレイされた大型テレビは、1年前の地球のニュースをだらだらと流している。
 ふと視線を人ごみに向ける。
「ん?」
 視界の隅に、ギュルとセーヴァが並んで歩いている姿が目に入った。小さな子供をつれて。
 他人のプライベートに干渉する趣味はない。ガブリエルを連れてきていないので、調べるのも億劫だ。
 テレビに注意を戻すと、グランド・ツアーを振り返る特集が流れていた。
 優勝した16歳の美少女が、インタビューを受けている。
『一番印象に残ったこと? 予選のとき、正面から光速を超えるスピードで航宙機が突っ込んできたことかな。対抗機なんて、生まれて始めての体験だったから』
 決められた機体しか飛ばないサーキットでしか疾ったことのないエリートの言葉に、ソラは不愉快そうに眉をひそめる。
『事故機を救出するためにすっ飛んでいって、逆走でコースレコードをを更新したそうじゃない。正式の記録には残ってないけど。できれば今度、レースしてみたいわ』
「しねえよ」
 まともに勝負すれば、10周は周回遅れにされそうな相手の発言に、ソラは憂鬱になる。暗にグランド・ツアーでも自分のライバルになりそうな人間はいなかった、と豪語する月出身の年下の娘に不快感が湧き上がってくる。こいつを痛い目にあわせてやれる可能性のある奴ときたら……
「お、ちゃんときてるじゃない。偉い偉い」
 平気で2時間も遅刻してくる、ルーズな人間であることが最近判明している。
「映画、終わっちゃってるよ」
「あ、そう」
 まるで気にした様子のないアリーチェの大物ぶりに、呆れるやら感心するやら。
「この後だと、なにがあるの?」
「もう宗教映画と、エレメンタリースクールの児童向けアニメーションと、深夜のB級映画<レイト・ショウ>しかない」
「最後のにしましょう」
「本気?」

 木星の輪の中から助け出したときは、アリーチェはぼろぼろの状態だった。コントロールの利かない状態で、光速に近い速度でアステロイドの帯に突っ込む恐怖がどれだけのものか。
 あれ以来、アリーチェは航宙機には乗っていないという。
「まあ、一時の休暇みたいなものよ。わたしは、宇宙<そら>を飛ぶことなしには生きられないんだから」
 そう強がるが、ソラはアリーチェの手の震えを見逃さなかった。そして、自分の中に彼女の力になろうという気持ちが沸いてくるのを自覚していた。
 "スカーレット・オハラ"の不調は、事前にチームウィザードの面々によりシステムに仕込まれていたトラブルが原因だった。セーヴァがそれを突き止め、ドロシーを問い詰める場面は壮絶だった。セーヴァが平手打ちでドロシーを吹っ飛ばした時以来、ソラはセーヴァを怒らせるのはやめようと心に誓ったものだった。

「どうしたの?」
 アリーチェの言葉に、ソラの回想は中断される。
「いや、深夜映画<レイト・ショウ>まで、どうやって時間を潰そうかなと思って」
「もう、その話をしていたんじゃない。どうしようか、って」
 どうしよう、と言われてもガブリエルを連れてきていないので検索できない。
 困り果てているソラを見て、アリーチェはくすりと笑った。
「まあ、ウィンドウショッピングでもしながら考えましょうか」
 代案もなく、とりあえずうなづく。
 テレビでは、チャンピオンがキャスターからマイクを奪って、わたしは誰の挑戦も受けると言いながら中指を立てている。下品なことこの上ない。
 まあ、過剰反応すべき問題でもない。
 隣ではアリーチェが取り留めのない話をしてくる。噂では自分のチームを作るために動き始めているらしいが、その話題は出てこない。
 まあ、急ぐ必要もむきになる必要もない。学生さんは気楽な商売。とりあえず今このときを楽しむことにしよう。


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