お買い物
「ライダー、お買い物に行こうか」
朝ごはんの後片づけが終わったあと、桜はそう切り出した。
学校は春休み。弓道部の練習もない。天気はとってもいい。外出日和。
「買い物、ですか? 先日、スーパーからあんなにたくさん買ってきたばかりではないですか」
ライダーは小首をかしげる。その仕草がちょっと可愛い。以前のライダーであれば、冷たく切り捨てていたところだが。
いや。桜は知っている。昔からライダーは心配屋で、おせっかいで、優しかった。誰かさんにそっくり。
印象を変えたのは、性格や仕草の変化ではなく、外見の変化だ。
以前は顔の半分を覆うよう覆面をしていたが、それが今は眼鏡をかけて素顔を見せている。素顔を見ると、つくづく美人だなと思う。以前は見えなかったが、ライダーの素顔は優しい表情をしている。
「うーん。お客様が見えたから、張り切って買い込んじゃったからなあ」
「買いすぎ。作りすぎです。コクトーも驚いていたではないですか」
厳しい言葉。でも、本気で怒ってはいないことは顔を見ればわかる。
「でも、ちゃんとおもてなししないといけないと思ったし。恩人、なんだから」
「まあ、否定はしませんが」
突然衛宮家を訪ねてきた黒桐幹也という人は、桜たちの抱えている問題を、一晩で解決してくれた。
士郎の依り代となることのできる人形は、人間と寸分違わぬものだった。人間以上でも、以下でもない。成長し、老衰し、寿命が来れば死ぬ。病院で手術も受けられるし、風邪薬も効果があるし、殺されたら死んでしまう。魂が入っていないだけの、ヒトガタ。
そして、ライダーの魔眼を封じる魔眼殺し。一見普通の眼鏡にしか見えないそれは、ライダーの覆面以上に効果を発揮した。世界が変わった、とライダーは言った。正しくはは戻った、とも。
詳しくは話してくれなかったが、アテナの呪いを受けて以来、ライダーの見る世界は一変してしまったのだと言う。それが、この眼鏡をかけただけで、元に戻った、と。
黒桐さんって魔法使いですね、と桜は言った。幹也は僕じゃないよ、と笑っただけだった。
「食べ物じゃないわよ。お洋服。春物を買わないといけないし、ライダーも、いつまでもその格好はちょっとね」
ライダーの服装は、数年前に流行ったボディコンとかいうやつだ。正直、それはどうかと思う。
まあ、それだけではない。ここのところ、ひきこもりが激しかったから。こんな日ぐらいは、外出しようと思う。
ライダーは腕を組んで、少し考える。あ、断られるかな、と思ったが、
「サクラがそう言われるのでしたら」
なんて言って、頷いた。
「外に出るの、久しぶりかもね」
冬木大橋の上で海からの風に吹かれながら、桜はふとつぶやいた。新都までバスに乗っても良かったが、どちらかといえば歩きたかった。
ライダーは静かについてくる。
何軒かブティックをはしごする。結局ライダーが選んだのは、ジーンズにトレーナーという普通の服だった。他にも色々着せて遊びたかったが、ライダーがあまり華美な服装を嫌ったこともある。桜も好みは地味なほうだし、それはそれで落ち着いた。
そもそもライダーは、着飾る必要がないほど桁外れに美人だ。
桜が選んだリボンでライダーの長い髪を止めると、買い物はおしまい。桜自身の買い物も終えて、ひと休みすることにした。
「サクラ」
冬木中央公園の広場。ベンチで休んでいる桜。
「大丈夫ですか?」
「え?」
心配するようなライダーの視線。
「顔色、悪いですよ」
「……」
否定しようと口を開いて、言葉が出てこない。代わりに出てきたのは、
「ごめんね、ライダー」
「謝罪には及びません」
うつむき、うなだれる。
沈黙。静寂に耐えかねたように、ライダーが口を開いた。
「飲み物でも、買ってきましょうか。冷たいのとあったかいのと、どちらがいいですか?」
「うん。あったかいほう、お願い」
探してきます、と言って歩いていったライダーの後姿を見送る。桜は、ライダーの心遣いに感謝しながら、空を仰いで懺悔する。
「わたしが、殺した」
あの新都の町で。この公園で。そして通り過ぎた深山町で。
何人も。何人も。それこそ、数え切れないほど。
風が、吹いた。
「桜ちゃん」
声が聞こえて、顔を上げる。
そこには上下とも黒い服装をして、黒ぶち眼鏡をかけた青年。左の前髪が、目を隠すように伸びている。
「幹也さん」
青年の名を呼ぶ。幹也はハンカチを取り出して、桜の額に浮かんでいた汗をそっと拭いた。
「苦しいの?」
少し、楽になる。桜は無理やりに笑顔を作った。
「いえ。大丈夫です。心配かけてすみませんでした」
「違うよ」
え? と、桜はきょとんの目の前の青年を見返す。
「桜ちゃん。痛みはね、耐えるものじゃない。訴えるものなんだよ」
一瞬、この人がなにを言っているのかわからなかった。
少し考えて、かぶりを振る。
「大丈夫です。わたし、慣れてますから。大抵のことなら、なんとも思えないんですよ」
あなたも、そうなんじゃないですか? と、髪を伸ばして隠されている潰された幹也の左目を見ながら、答える。幹也は、ええと、と少し考えた後に、
「桜ちゃん。痛みは悪いものじゃないんだ。悪いのは傷。人間には痛みが必要なんだよ。でないと、危険に気がつかない。どんなに苦しくても、自分自身のために、僕らに痛みは必要なものなんだよ」
諭すわけでもなく、説くわけでもなく、静かに語る。
「だから」
「痛みを感じない人は、危険がわからない」
「うん」
桜はベンチの横に移動してスペースを空け、幹也にどうぞ、と勧める。幹也はありがとう、と言って桜の隣に腰を下ろした。
「そして」
桜は、うつむきながら、はっきりと言葉をつむぐ。
「痛みを感じない人は、他人の痛みもわからない」
そうだね、と幹也はうなづく。
「わたし、酷い女なんです」
桜は、幹也の顔を見つめる。
「お兄様も、おじい様も殺しました。街で声をかけてきた男の人も、関係ない人たちも。大切な姉さんや先輩まで、殺してしまいそうになりました」
立ち上がり、幹也から少しだけ距離をとき、笑いかける。
「わたしは死んで当然の人間なんです。でも、死にたくない。どれだけ罪深くても、大切な姉さんや先輩を残して、死にたくない。そういう、自分勝手な人間なんです」
自分はなにを言っているのだろう、と思う。会って間もないこの人にこんな話をして、どうしようというのか。
でも、止まらない。
「でも、わたしのせいなんですか。わたしが悪いんですか。わたしに聖杯なんてものを埋め込んだのはおじいさまで、わたしをマキリの家に売り渡したのはお父様で、わたしを助けてくれなかったのは姉さんだった。聖杯戦争なんてものに巻き込まれて。わたしは戦いたくなかったのに。"この世、全ての悪<アンリ・マユ>"なんてもの、関わりたくもなかったのに」
涙が、こぼれてくる。自分に押し付けられた理不尽を、幹也に理不尽に叩きつける。
自分は甘えている、と思う。この先輩に少し似た穏やかな人に、甘えている。
「桜ちゃん」
ふたつ、と幹也は指を2本立てて静かに言った。
「ひとつ。君の罪は、君自身が背負っていくしかない。そして、罰っていうのは、罪に応じてその人が勝手に背負うものなんだ。良識があればあるほど、その人にかけられる罰は重くなる。桜ちゃんはいい子だから、罰はとても重くなるだろうね。誰も罪を許してくれる人がいないのなら、一生苦しむしかない。
でもね、桜ちゃん。罪は償うことができる。どうしたら償いになるかは、自分で考えるしかないけど。罪はなくなることはないけど、償うことによって罰は軽くなるはずだよ」
それはひとつの生き方。そのような生き方をしている人を、知っているはず。
「そして、もうひとつ。君は誰も助けてくれなかった、と言ったけど。誰かに助けを求める努力をしたのかい。
――痛みは耐えるものじゃなくて、訴えるものなんだよ」
夕暮れの冬木大橋を、ライダーとふたりで渡る。
幹也と別れた後、ライダーの買ってきてくれたお茶を飲んで一休みしてから、帰ることにした。ライダーはバスを使おうといったが、結局歩くことにした。
「サクラ」
不意に、ライダーが桜を呼び止めた。
「コクトーはああ言っていましたが、わたしは、サクラには幸せになる権利があると思います」
ちょっと驚いて、それから、静かに微笑む。
「立ち聞き、してたんだ」
「申し訳ありません」
「うん。まあ、いいよ」
少し立ち止まって、少し考え事。
それから、
「うん。決めた」
なにをですか? というライダーの問いには答えず、決意に満ちた表情で、ライダーに笑いかける。
「わたしを支えてね。ライダー」
衛宮家に戻ると、凛が夕食を作っていた。
「姉さん。ロンドンから戻ったの?」
帰るなら帰ると連絡くれてもいいのに、と言いかけた途端。
「桜。あの人形、士郎の依り代、どうしたの!」
なんて、血相を変えてつかみかかってきた。
もらいもの、なんて言ったら。
「なによそれ。なんでわたしがいない間にそんなことになってるの!」
こぶしを握り締め、がおーと吼えた。
それからまあ。
三人で夕食を食べながら、今までの情報を交換しあった。
ロンドンの協会本部に呼び出された凛は、裁判にかけられるわ、魔法使いのじーさんが出現するわ、あれやこれやの果てに学校を卒業したら向こうの学院に入学することが決まっているわ、実に波乱万丈な体験をしてきていた。
桜は桜で、黒桐幹也という人が訪ねてきたり、式という名前の女性に殺されかけたり、ライダーが眼鏡っ娘になったりと、色々あった。
「それでね、姉さん」
肉じゃがをふたりでつつきながら、
「わたし、正義の味方になろうと思います」
「うん。いいんじゃない」
凛はなにごともないように返答して、もきゅもきゅと肉じゃがを咀嚼する。
その反応に驚く桜に、凛はただし、と付け加える。
「それは、幸せになるための手段であって目的じゃない、わよね」
はい、と答えると、凛はうんうんと、うれしそうにうなづいた。
「それなら、安心して冬木の管理者を任せられるわ」
え? と訊ねる桜に、
「ほら、わたし来年からロンドン<あっち>に行くことになったし、しばらくの間冬木<こっち>を留守にすることになるよね」
「わ、わたしなんかが?」
「桜にしか、頼めないことなのよ。わたしがいない間は、色々よろしく」
じっと真摯な目で桜を見つめる凛。そんな風に言われると、桜としてははいとしか言えない。
「じゃ、約束」
差し出された指に、指に絡める。
にっこりと笑う凛。桜はそれに応えて、優しく微笑む。
ああ、とそのとき桜は悟った。
自分が望んでいたことは、この姉に勝つことでも、救ってもらうことでもなく、こうやって手をつないで、お互いに認め合って生きていくことだったんだ。
だったら、これからも間桐桜は生きていける。
強くも、上手にも、生きられないけど。
それでもこの道を歩むこと自体が、幸せだとわかったから。
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