断章4:2003年 ローマ


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◆ 1
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 2003年。ローマ。
 サン・ピエトロ大聖堂前広場。
 ひとりの旅の神父が跪き、祈りを捧げている。
 静かに。ただ静かに。
 イタリアの太陽の元。まるで彼の周囲だけ冬がきたような寒気を感じて、観光客たちは彼をよけていく。
 ある人はそのままそそくさと足を先に進める。また別の人は、神父の姿を興味深そうに見つめている。
 神父はそれらの人間がまるで目に入らぬかのように、静かに祈りを捧げる。周囲の人間も彼の祈りを妨げないように、言葉少なげである。
 突如、その空間に闖入者が現れた。

「たすけてっ!」
 赤い髪の少女が、神父の修道服の影に隠れる。さらに、ばらばらと十人ほどの男女が神父と少女を囲む。
「ロセウムさん、戻りましょう」
 神父とロセウムと呼ばれた少女を囲んでいた人々の中から、ひとりの女性がにこやかに微笑みながら、そう言う。
「あまり皆を困らせないでください。さあ、戻りましょうね」
「嫌よっ! 神父様たすけてっ!」
 ロセウムは叫んで、神父の黒い修道服を更に強く握り締める。
 神父とロセウムを囲んでいる男女は、皆笑顔。口調も物腰も柔らか。周囲の通行人や観光客も、その様子にとまどっている。
 じりじりと包囲を狭めてくる男女。そのとき、ふと神父が口を開いた。
「”御子”の弟子の使徒たち。その使徒の弟子たち。その弟子の弟子たち。ここにくると、そんな弟子たちの歴史をひしひしと感じますね」
「は?」
 ロセウムはじめ、その場にいた全員が神父の言葉の意味を取りそこなう。
「あるものは言葉で伝え、別のものは文字を使った。絵や彫像、このような建築物を使ったものもいた。儀式という方法を採ったものもいた。伝えられるうちに、言葉は変質し、抽象的な表現は誤解を生み、時には争いの種となった。しかし、そのような歪んだ教えの中から、尊い信仰心を持ったものも生まれることもある。このような建造物を前にすると、そんなことを考えてしまいますね」
「……電波なことを、口走ってるんじゃなあい!」
 すぱーん。
 ロセウムが神父の頭をはたく。
「はっ。これはなにごとです?」
 まるで今気がついたかのように、神父は周囲を見回す。
「みなさん、わたしになにか御用ですか?」
「あなたはこれまでの人の話、全然聞いていなかったの?」
「はあ。なにせ瞑想にふけっておりましたから」
「なんでやねーん!」
 すぱーん。
 ロセウムの平手の甲が、神父の胸にヒットする。
「とにかく端的に説明するわね。こいつら悪い奴で、いたいけな美少女のわたしを拉致しようとしているのよ。あなたも神父なら、当然わたしをたすけるべきよね」
「端的な説明ですね」
 神父は苦笑。
「だ、そうですが。あなたがたはどのように主張されますか?」
 神父は微笑んで、周囲の男女に問い掛ける。
「あなたには関係のないことです。この子を渡していただけますね」
 渡していただけませんか? ではなく、いただけますね、と断定調でリーダー格の女が言う。
「わたしとこの娘はあなたの仰る通り、関係がありませんからね。渡すもなにもないでしょう」
 そう言いながらも、神父はロセウムを自分のそばに抱き寄せる。
「もっとも、あなたがたが彼女の仰る通り、人倫にそむく行為をしているのならば、傍観はできません」
「異教の徒には関係のない話です」
 くすり、と神父の唇が歪む。
「法は守りなさい。二千年前のナザレの新興宗教の開祖も、そう言っているでしょう?」
 神父と少女を囲んでいた男女は、一瞬神父が何を言っているのか、理解できなかった。
『そこを、通しなさい』
 神父がそう言うと、彼らを取り囲んでいた男女の壁が割れる。神父は何事もないように男女の間にできた道を、ロセウムの手を引いて、進む。
 神父の左右に道を譲る男女は皆一様に全身に鳥肌を立たせ、脂汗を滝のように流している。
「なにをしているの!」
 リーダー格の女性が叫ぶ。その瞬間、男女の集団は我に返り、どっと神父に押し寄せた。人の波が元に戻り、神父を飲み込み、地面に激しく叩き倒す。
「きゃああ!」
 ロセウムが絶叫する。彼女の目の前で群集に地面に倒された神父は、頭を激しく石畳の床に打ち付けた。その石畳と接触した部分から、血が派手にはね飛ぶ。
「神父様! なによこの人殺しっ! 誰かたすけてぇ! 救急車呼んでっ!」


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◆ 2
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 空気が動いた。
 神父を床に叩きつけた男女も、己の所業を認識すると青くなって一歩二歩とあとずさる。
「神父様が死んじゃう! 救急車呼んで!」
 ロセウムは声の限り、周囲の観光客に叫ぶ。
 果たして、それまで傍観していた観光客たちはざわめきだす。状況を見ようとロセウムたちに近寄るものや、どこかに走っていくものも出てきた。
「引き上げますよ」
 女リーダーは状況を見て、すばやく判断。背を向けて、観光客たちを尻目に走り去っていく。その部下らしき男女もそれに続く。
「おとといきやがれこの(ピー)野郎!」
 ロセウムは神父の側で叫ぶが、すぐにやるべきことを思いつく。
「ちょっと、よこしなさいよ!」
 主語と目的語が欠落した言葉をしゃべると、近寄ってきた観光客の男のネクタイを引いた。
 観光客の男の首が締まった。
 慌ててネクタイを解いて、神父の頭部に巻く。神父の体温は冷たい。
「ちょっとちょっと。冗談じゃないわよ」
 ネクタイをきつく巻いて、止血をする。
「やよ! 死んじゃ嫌よ!」
 ぶんぶんぶん。
「……申し訳ありませんが、あまり頭を動かさないでいただけますか」
 ロセウムの腕の中で、神父がかすれ声で訴える。
「神父様、生きていたんですね」
「勝手に殺さないでください、おばかさん」
「お、おばか……」
 ロセウムは絶句する。そして、顔を赤くして、涙をあふれさせて、叫んだ。
「そ、そーゆー、そーゆーこと言う? 心配したのに。本当に心配したのに! 死んじゃったかと思った。本当に思ったんだから!」
「……申し訳ありませんが、耳元で叫ばないでいただけますか」
「うがぁ! ムカツク神父!」
 遠くから救急車のサイレンが、大急ぎで近づいてきた。


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◆ 3
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 その日の夜。ロセウムのアパートメント。
「とにかく、大事にならなくてよかったわね」
「出血は多かったようですけど、たいした損傷はないようです」
 ほうれん草を練りこんだパスタにクリームソースを絡めながら、ロセウムは苦笑する。
「ま、ご飯ぐらい食べていってよ。一応たすけてもらったし」
「ありがとうございます」
 頭にぐるぐる包帯を巻いた神父が、礼を言う。
 ロセウムはてきぱきとテーブルに皿を三つ並べる。
「お兄ちゃんがいるんだけど、いつ帰ってくるかわからないから」
「では先にいただいていましょう」
「ちったあ遠慮しなさいよ」
「もが?」
 幅広のパスタをもぐもぐしながら、神父が首をかしげる。
「ひかふぃ、あふぉふぃほはひはふぁひふぉもふぁっはへひょうは」
「食べながらしゃべらないで」
 ごっくん、と神父は口の中のパスタを飲み込む。
「これおいしいですね」
「さっきの発言と、文字数が合ってないんだけど」
「食事時の話題ではないと、考え直しました」
「ま、いいけどね……」
 ロセウムもパスタを口に運ぶ。
「神父様って何してる人?」
「神父をしています」
「いや、そーじゃなくて。今時旅しているんでしょ? 何か目的でもあるの?」
「ま、修行の旅ですがね」
「珍しー。ブッディストみたいじゃない」
「そうですか? 昔は別に珍しくもなかったのですがね」
「珍しいわよ。田舎町でも行ったら、きっと新聞に載るわよ。『我が町に旅の神父が修行にきた』って」
「……載りたくありません」
 ロセウムはくすくす笑う。
「まあ、目的がないわけじゃないんですけどね」
 神父はフォークにパスタを巻きつけながら、言葉を並べる。
「人捜しですよ」
「誰? 生き別れの恋人?」
「わたしを何だと思っているんです。まあ、片想いの横恋慕ではありますがね」
 ロセウムは吹き出す。
「不埒ねー。修行が足りないわよ、神父様」
「一言もありません」
「ま、みんなそうやって大きくなっていくものだよ」
 ロセウムは偉そうにフォークを振り回す。
「ま、この話題はこの辺にしておきましょう」
「あ、逃げた」


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◆ 4
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 食事が終わると、ロセウムは流し台に皿をつけた。それから、戸棚からワインの瓶と、グラスをふたつ取り出す。
「安物だけど、せっかくの来客だからあけよう」
「その前に確認しておきたいのですが、あなたは何歳ですか?」
「いけないなあ。そんな細かい事を気にしていては、司祭にレベルアップできないぞ」
「なんですかそれは」
 苦笑。
 ロセウムはワインをグラスに注ぐ。二つのグラスのうち、ひとつを神父の前に置き、自分はもうひとつのグラスを取る。
「では」
 神父は目の前のグラスを取り、前に掲げる。
 ロセウムはぐっと、ワインをあおった。
「……」
 やり場のないグラスを引っ込める。
「ふう」
 ロセウムは一息つくと、空のグラスをテーブルに置く。
「さっきの話だけどね」
 ロセウムは自分のグラスにワインを注ぐ。
「わたしを連れ戻そうとして、神父様に怪我させたの、『天使の翼』っていう新興宗教の教徒なの」
 いつ聞きました? という言葉を神父は飲み込む。しゃべりたい、誰かに聞いてもらいたいのだろう。
「その新興宗教がなぜ?」
「わたしも教徒だから」
 ロセウムは再びグラスをあおる。かなりペースが速い。
「でも勘違いしないで。あんな変な人ばっかりじゃないよの。もともとボランティア活動が活発なところで、わたしもそっちから入ったの」
「ボランティア活動?」
「うん。わたしは施設の慰問活動で、人形劇とかしてたの。人形も自作して。結構上手なのよ」
「なるほど」
 神父は一口ワインを口に含む。ロセウムは減った分をすかさず注ぎ足した。
「周りの人もそんな感じだったし……本当にいい人ばっかりだったのよ。そんなある日、突然教団の人がきたの。”教主”様に会わされて、君には素質があるんだって言われた。わたしは人形劇しかできません、って言ったら笑ってた」
 ロセウムは一息つくと、じっとワイングラスを見つめる。
「それから先にことはよく覚えてない……どこかに閉じ込められて……なにか注射されたの。その後、身体が痛くて熱くて、特に背中のあたりが痛くて、それで隙を見て逃げてきたの」
「警察には行きましたか?」
「行ったわよ! そしたらちょっとそこで待ってなさいって言われて、十分もしないうちに教団の人が押しかけてきた。つながっているのよ。当然だわ。わたしも知っていたはずなのに。教団は様々な活動で警察や医療、行政各分野に影響力を持ってるんだから。そのための慈善活動だったんだわ!」
「なるほど」
 神父はうなづく。
 政治とは古来まつりごとと言う。まつりごととは祭祀、宗教を指す。
「古来より、政治は宗教家の得意とすることろですからね。公約を教義、政策を活動、選挙を布教、支持を信仰、利権を加護と呼びかえれば、ね」
「全く。気がつかなかったなんて! ばかすぎるわ!」
 ロセウムはワインを飲み干し、グラスを投げ捨てる。
「ばかすぎる! ばかげてる! ばかばかしい!」
 天井に向かって叫ぶ。
「なんだっていうのよ、一体!」
 両手で顔を覆って、下を向く。かすれ声。
「……それから、街中逃げ回って……広場で神父様にたすけてもらわなかったら、わたし……」
 ばん、と両手でテーブルを叩く。
「ここだってばれてる。……わたし、ずるいよね。御礼をするとか言って、本当はひとりじゃ心細いから、神父様に居て欲しいだけなのに……」
「別にずるいだなんて思っていませんよ。最初から、そんなことだろうと考えていましたから」
 神父は床に落ちたグラスを拾い、流しで軽く洗うと、再びワインを注いだ。
「叫びたければ叫びなさい。泣きたければ泣きなさい。理不尽なことを理不尽だと指摘するのは、大切なことです。でも、それだけで終わってはいけませんよ」
 ロセウムは神父に抱きついて、泣きじゃくった。


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◆ 5
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 アートルムが自分のアパートメントに帰ってくると、妹が見知らぬ男と抱き合っていた。
 とりあえずブローニング・ハイパワーを抜く。
「のわっ」
「わわっ」
 神父とロセウムは、慌てて離れる。
「死ね」
「わぁ! お兄ちゃん撃っちゃ駄目え!」
 ロセウムはアートルムにすがりつく。
「あのね、この人は今日変な人に追われていたときに、たすけてもらったの」
「……で?」
 アートルムの眼が冷たい。ロセウムは冷や汗を掻いて手をぶんぶんと振って、力説する。
「その……やましいことは、何もないのよ。ほら、神父様からも何か言って!」
「ええ。ただ慰めて、ご馳走になっただけです。おいしかったです」
 アートルムは、ブローニングのセイフティをはずす。
「おまえは黙ってろーっ!」
 先手を取って、ロセウムが神父を殴る。
「とにかくね、お世話になった旅の神父様なの。だから一晩ぐらい泊めてあげても……」
「大却下だ」
 アートルムはきっぱりと言う。
「どうして。やましいことなんて、本当に何もないんだから」
「うさんくさい」
「なんで? 神父様なのに」
「今時神父だからといって、信用する奴があるか。聖職者なんて、性犯罪者の群れだ」
「聖職者ならぬ、性職者ですね」
「おまえはしゃべるなーっ!」
 ロセウムは神父を蹴り飛ばす。
「神父様は違うわよ。ちょっと電波だけど、いい人なんだから」
「おまえにかかれば、誰でもいい人だろうが」
「お兄ちゃんが、人を悪く見すぎているだけじゃない!」
「俺の判断は、常に適切だ」
「違うわよ! だいたいねえ……」
「まあまあ」
 口喧嘩を続ける兄妹に、神父が割ってはいる。
「こんなことで喧嘩してはいけません。お気持ちはうれしいですが、ここは兄君の方が正論ですよ」
「おまえはーっ! 誰のために頑張ってると思うんだーっ!」
 ロセウムは神父にチョップする。まともにうけた神父はよろめく。
「……乱暴過ぎです。とにかく、今回のことは、あなたが安易に他人を信じたことがが一因にあるのですよ」
「わたしが悪いって言うの?」
「あくまで一因、ですよ」
「むう。ムカツク神父!」
「おや、嫌われてしまったようですね。仕方ないのでここは退散するとしましょう」
 神父はくすくす笑って、出口へ向かう。
「ちょっと、どこ行くのよ神父様」
「ご安心を。野宿には慣れていますから。それよりも兄君とは仲良くなさい」
 神父は呆然とする兄妹を尻目に、アパートメントを出ていった。


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◆ 6
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「待て」
 アパートメントを出て、寝床を探していた神父を、背後から呼びかける声があった。
「おや?」
 神父が振返ると、そこにはアートルムがいた。
「どうしました」
「ああ」
 アートルムはしばらく言おうか言うまいか悩んでいたようだが、やがて口を開いた。
「悪かった」
「はい?」
 神父は首をかしげる。
「あなたは何も悪いことはしていませんよ」
「でも、悪かった」
 変な兄妹だ、と思って神父は微笑む。
「おまえの言動を見ていて、自分の認識の間違いに気がついた。おまえはそういう人間ではない。侮辱して悪かった。謝る」
 神父は肩をすくめて、くすっと笑う。
「ま、いいですよ。悔い改めたものは、許されます」
 ちょっと冗談めかした口調で言う。アートルムが本気でほっとした様子なのが、これまたおかしい。
「ところで、これからどうするつもりだ?」
 アートルムが話題を変える。
「別に。今日はもう疲れたので、適当なところで寝て、また旅立つつもりですが」
「適当なところって……」
「公園とか、駅のベンチとか、適当に見繕いますよ」
「あのな、そういう所でもきちんとショバ割りが決まっていて、簡単には場所は手に入らないぞ」
「へ?」
「……今までは、神父だからって通じていたかもしれないがな。どこでも、それが通じるわけじゃない。下手をすれば、先住者たちから私刑にあうぞ」
 神父はわからない、という顔をする。
「ああ。とにかくな。駄目なんだ。で、安宿で良ければ、俺の知っているところを紹介してやる。安心しろ、一晩ぐらい俺がおごってやる」
「わたしは別に、妹さんと同じ屋根の下でもかまいませんが」
「大却下だ」
 きっぱりと言いきると、アートルムは先に立って歩き出す。ついてこい、ということなのだろうと、神父はついていく。
 しばらく二人は無言で歩く。
「言っておくが」
 ふと、アートルムが口を開く。
「俺がおまえを信用したといっても、別に俺が神や神父を信用したわけじゃないからな」
 ぷっ、と神父が吹き出す。
「何がおかしい?」
「神は信用する、とは言いませんよ。信じる、もしくは信仰する、です」
「言葉遊びだ」
 アートルムは断言する。
「神など存在しない。俺は神など見たことないし、存在を感じたこともない。俺たちの両親が死んだときも、その前も、その後も、いくら祈っても神はなにもしてくれなかった」
 ぎゅ、とアートルムは拳を握り締める。
「聖職者とやらも同様だ。どいつもこいつも、口ばっかりのでたらめ野郎ばっかりだった。表向きでは善人ずらして、その中身はエゴイズムの塊だ。本当に他人を思いやることのできる聖職者なぞ、おまえがはじめてだ」
「聖職者も人間ですからね。むしろ、人間だからこそ、とも言えますか」
「どういう意味だ?」
「言葉のままですよ」
 神父はくすりと笑う。
「まつりごととは政治。そして人間とは政治的動物です。人間が二人集まれば社会が生まれ、社会が生まれれば規範も生まれ、規範が生まれれば逸脱も生まれます」
「わかりやすいように話せ」
「人間社会を律する規範。それは神の与えたもうたものです。神がモーセに律法を与えたもうたのはご存知?」
「めちゃくちゃ屁理屈だぞ。だいたい、俺は聖職者がその規範を守っていないと言ってるんだ」
「それですよ」
「は?」
「少なくともあなたの中には、神や聖職者のイデアがある。神は細部に宿りたまう。いやあ、めでたいめでたい」
「一体何がめでたいんだ。電波な奴だな」
 神父はくすくす笑う。
「少なくとも確実なのは、あなたが神や聖職者に対して『かくあるべし』という理想を抱いていて、それとずれていることに腹を立てていることですね。わたしのように開き直ってしまえば、腹も立ちませんよ」
「何だよそれは」
 アートルムは問うが、神父は楽しそうに異国の言葉の歌を歌いだし、答えようとしなかった。


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◆ 7
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 アートルムが案内したのは、本当に素泊まりだけの安宿だった。
 隣にバーのようなものがあったが、どのような関係にあるのか神父にはよくわからなかった。
「あ、アートルムさん。ちょうどいいところに」
 ホテルマン、と呼ぶにはやや汚い男が、アートルムを見つけると駆けてくる。
「俺の紹介で、一晩泊めてやってくれ」
 アートルムは、神父をあごでしゃくる。ホテルマンもどきはうなづく。
「はい。それは結構ですが。バーの方で柄の悪い酔っ払いが……」
「またかよ」
 アートルムは神父をちらりと見る。
「部屋のキーもらって、部屋に行きな。俺は一仕事してから帰る」
「妹さんを襲っていた連中のこともありますし、はやく済ませたほうがよろしいかと」
「わかってるさ。でも、女の子は金がかかるからな。これでなかなか大変だ」
 ホテルマンもどきが、ぽーんとキーを神父に投げて、そのままどこかに行く。
 しょうがないので神父は、キーについていたナンバープレートを頼りに部屋を探すことにした。
「わ、わかりにくい作りの建物ですね」
 少しばかり道に迷っていると、建物の裏口のほうから鈍い殴打音と、悲鳴が聞こえてきた。


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◆ 8
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 大理石でできた巨大な建物の一室。
 ロセウムは左右を教徒に挟まれて、ここに連れてこられていた。
 髪は乱れ、服もいくつかボタンが外れている。身体にいくつか擦り傷や引っかき傷がある。
 神父とアートルムが出ていった後、狙い済ましたように(実際に狙っていたのだろう)信徒たちは現れた。かなり抵抗したのだが、結局は捕まってしまった。
「なかなか頼もしいな」
 そう言うのは、『天使の翼』の”教主”だ。ロセウムは過去に一回しかあったことはない。にこやかでハンサムな若い男だ。だが、ロセウムはどうしても好感を持つことができなかった。
「さて、落ち着いて話し合いたいことがあるんでね。すぐお茶が入るので、そこに座って待っていて欲しい」
 ”教主”はそう言うと、笑って自分が座っているソファの、テーブルを挟んで反対側にあるソファを勧める。
「話し合いというのは、お互いが自分の言いたいことを言って、相手の言うことを聞いて、はじめて成立するものよ。相手の話を聞く気がない場合、それは話し合いとは言わないわ」
 ロセウムの憎まれ口にも、”教主”は動じない。
「手段がいささか強引であったとは認めよう。しかし、わたしの話を聞けば、君は納得するだろう」
「そーゆーのが、会話が成立していないって言ってるのよ!」
 ロセウムの言葉は、”教主”には届かない。
 ”教主”は身振りで再びロセウムにソファを勧める。ロセウムがじっとしていると、”教主”は苦笑して、口を開く。
『座りたまえ』
 ロセウムは、なにかに突き動かされるように、ソファにつく。
 信徒らしき女性が、紅茶を持ってくる。”教主”はそのまま信徒たちに退出を命じる。
「君に世界の真実を教えよう。1999年に世界各地で目撃された、天使たちについてだ」
 ロセウムは黙って、紅茶のカップに口をつける。何か薬でも入っていたら、話を聞かずに倒れてやる、などと思いながら。
「世間ではあの天使たちを神の使いだとか、救世主だとか呼んでいるが、実は違う」
「あなただって、そう呼んでいたじゃないですか」
 ロセウムの反論に、”教主”は苦笑する。
「そう受け取ったものも、いるかもしれないな。なんにせよ、真実を知る資格のあるものは少ない」
 ”教主”はまじめな顔になる。
「あの天使たちの目的は、人類の絶滅だ。本来は1999年に絶滅計画が始まる予定だったが、それに反対する天使の反乱によって、計画の延長を余儀なくされた」
 ロセウムは目をぱちくりさせる。
「これは信じてもらうしかない。が、真実だ。我々は反逆天使たちが稼いだ5年という歳月の中で、再び天使軍団と戦うための戦力を蓄えなければならない」
 ロセウムはこめかみに指を当てた。
「あほくさ……」
「そう思わせるのも、奴らの作戦だ。奴らは戦力の逐次投入などしない。人類に対して敵対行動を見せるのは、人類を絶滅させるだけの戦力が整ってからだ」
「ああそうですかい。……で、その天使と戦うための戦力? わたしよりも、アメリカ国防省辺りにかけあってよ」
「天使は、特殊な形而上のフィールドを持っている。このフィールドの中では、飛んでいる矢は止まっている。アキレスは亀に永久に追いつけない。このフィールドの前では、どのような攻撃も天使に届くことはない。天使に対抗できるのは、天使だけだ」
 ロセウムは、指でこめかみをぐりぐりする。
「ここからが本題だ。君には天使として覚醒する素質がある。だから、天使の力を身につけて、天使と戦わなければならない。やってくれるね」
「嫌よ」
 きっぱりと即答するロセウムに、”教主”はにっこりと微笑む。
「わたしの言うことが、理解できなかったようだね。君に世界の真実を教えよう。1999年に世界各地で目撃された、天使たちについてだ」
「繰り返すなあ! 訪問販売か宗教の勧誘か! おまえは!」
 ロセウムは、目の前にあるテーブルをひっくり返す。紅茶のカップが跳ね飛び、床に落ちた。
 がちゃん、と音がしたとき、部屋の電話が鳴った。


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◆ 9
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「侵入者だと?」
 ”教主”が電話の前で狼狽する。
「なぜ排除できん……ちょっと待て」
 ”教主”はこそこそと逃げ出そうとした、ロセウムの襟首をつかむ。
「早急に排除しろ。以上だ」
 ”教主”は電話を切る。そしてじたばたするロセウムに目を向ける。
「銃で武装した一人の男が侵入したらしいが、知り合いかね」
「きっとお兄ちゃんよ」
「残念だが、ここまでたどり着けない。教団が独自の軍隊を持っていることは、君も知っているだろう?」
 どこからか、銃撃戦の音が聞こえてきた。しばらくすると、それも止む。
 そして、”教主”の電話が鳴る。
「わたしだ」
『おまえか。人の妹をかどわかした、ロリコンの変態は』
「……だ、誰だ!」
『うちの門限は9時と決まっているんだ。すぐにそっちに行くから、言い訳でも考えてろ』
 電話が切れる。
「ばかな……」
 うろたえる”教主”を、ロセウムがじと目で見る。
「”破産国家”イタリアの人間の軍隊が、お兄ちゃんに対抗できるわけないじゃない。イタリア軍っていうのは、二次大戦ではヨーロッパの軍隊で唯一、エチオピア軍に負けたり、圧倒的優位にありながら、フランス予備役軍に負けたりするような奴らよ」
「君たちだってイタリア人だろう?」
「違うわよ。わたしとお兄ちゃんは、シチリア人だもの」
「君とイタリアナショナリズムについて議論するつもりはない。まあいい。君に天使の力を見てもらういい機会だ。きなさい」
 ”教主”はロセウムの手を引いた。

 まさしく蜘蛛の子を散らすように。
 アートルムはブローニングを射撃し、教団の私設軍隊を粉砕する。
 重く腹の底に響くような射撃音が鳴るたびに、悲鳴と恐怖が教団に撒き散らされる。
「ちっ。一体どこなんだ。こんな広い施設作りやがって。これじゃ、中で何が起こっていても、外の人間にはわからないはずだ」
 本当に広い。郊外とはいえ、大学の施設並みの広さがある。現在地は中庭のような場所の、樹の陰である。視界には建物が軽く六つはある。
「……どれなんだよ」
 連続した銃撃音。夜間迷彩をしたアートルムから百メートルは離れた地面を、銃弾が削る。
「撃てばいいってものじゃないだろう」
 ナイトスコープを装備したアートルムは、敵を発見。八人編成。ブローニングを撃つ。9ミリパラベラム弾の薬きょうが三つ転がり、私兵が三人倒れる。残りは悲鳴をあげて逃走した。
 アートルムは軽く舌打ちをする。先ほどからロセウムの居場所を聞くために捕虜を取ろうとしているのだが、敵の逃げ足が速すぎて全く捕まらない。
 どうしたものか。
「お兄ちゃん!」
 ふと、中庭にロセウムの言葉が響く。見ると、ロセウムを連れた”教主”が一番立派な建物から出てきた。その後ろに、白いローブにフードをかぶるという、けったいな格好をした人影が三つ。ロセウムが叫ぶ。
「お兄ちゃん! こいつら、変!」
 それは見たらわかるぞ、とアートルムは心の中でつぶやく。身を低くして、中庭の木々や建造物の陰を縫って、そちらへ近づく。
 ”教主”は後ろの三人に、前に出るように指示した。
「なるほど、たいした戦力だ。しかし、それすら天使の前では何に役にも立たないのだよ」


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◆ 10
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 白いローブが宙に舞った。
 そこに現れた三人の男たちは、いずれも背中に一組の羽根を持っている。
「さて、天使の力を見てもらお……」
 アートルムは、”教主”にみなまで言わせるつもりはなかった。
 ドンドンドンドンドンドンッ! 
 ブローニングで頭部に二発を三人に、合計六発を瞬く間に正確に射撃する。
「死んでろ、ばか……ん?」
 しかし、目の前の三人は撃たれた様子もない。静かに前に進み、アートルムを包囲する。
 ごう、と音がする。アートルムは反射的に身を翻した。先ほどまでアートルムがいた場所を、空中から現れた炎が焼く。
「……!!」
 超自然現象に驚いている暇はなかった。アートルムは地を駆け、マガジンの中の9ミリパラベラム弾をありったけ、三人の天使に撃ちこむ。
 やはりなんの効果もない。
「無駄だよ。天使にはそのような攻撃は、通用しない」
 ”教主”が薄笑いを浮かべてそう言う。アートルムは黙って、13連マガジンを交換する。
「無駄だと言っているだろう」
 アートルムは”教主”を無視して、走り出す。
 前へ。
 目の前の天使の脇をすり抜け、意外そうな顔をしている”教主”の前へ。
 そのままブローニングのグリップで殴り倒す。同時にロセウムが、”教主”の股間に蹴りを入れた。
 意味不明の叫び声が聞こえたが、無視。
 ”教主”から、ロセウムを強引に奪い取る。そのまま”教主”の身体を、牽制として天使たちに向かって蹴り飛ばす。
「逃げるぞ」
「うん」
 短い会話を交わすと、アートルムとロセウムは中庭を走り出す。が、すぐに天使たちが立ちふさがる。
 アートルムがブローニングを撃つが、やはり効果はない。
「こっち!」
 ロセウムがアートルムの手を引いて、方向転換。敵のいない方向へ。そのままひとつの建物の中に逃げ込む。背後から、どん、どどんと低い音が響くが、その正体を確かめている余裕はない。
 兄の手を引きながら玄関を駆け抜け、廊下を走り、防火扉を閉める。
「建物の中を突っ切って、裏口から逃げ……あ」
 視界に、荒い息をついて壁に寄りかかっているアートルムが入る。アートルムが背中を預けている壁が、紅い。
「お兄ちゃん!」
 慌てて駆け寄る。アートルムの背中のボディアーマーが破砕し、肉が削げている。見ているだけで痛そうだ。
「お兄ちゃん……どうしよう……」
「いつまでも、ここに、じっとしている、わけには、いかん。先に、行くぞ」
 そう言って歩き出すが、その足取りは頼りない。ロセウムは慌ててアートルムに肩を貸す。
「……」
 アートルムは何かを言おうとしたが、言葉にはならなかった。ただ苦しげな荒い息のみが口から漏れる。
 スペクトラ繊維のボディアーマーを着たアートルムは、重い。ロセウムは歯を食いしばってアートルムを支える。
 ずきり。
(や、やばい……)
 一瞬にしてロセウムの額から、冷や汗が流れ出る。教団を抜け出してから今まで、引いていた症状が戻ってきたからだ。身体の熱さ、特に背中の激痛が復活してくる。
(冗談じゃないわよ……こんなところでふたり倒れたら)
 意図的に背中の痛みを無視して、一歩一歩前進する。
 周囲の風景に、ロセウムは見覚えがあった。確か一度連れてこられて、監禁された建物だ。病院にも似た白っぽいつくりの廊下。左右に電子ロック式の扉が並んでいる。
(どうしよう……)
 必死に考えながら、ロセウムは足を先に進める。背中の痛みは徐々に増してきている。
「ん?」
 ロセウムはふと、扉のひとつの向こうに気配を感じた。よく見ると、電子ロックのランプがブルーになっている。入れる。
「ちょっと貸して」
 ロセウムはアートルムからブローニングを受け取ると、アートルムを壁際にたてかける。
「ちょっと待っててね。この部屋に隠れよう」
 そう言うと、ロセウムは扉の開閉ボタンを押して、ブローニングを構えたまま、すばやく部屋の中に踊りこんだ。


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◆ 11
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「Freeze!」
「は?」
 ブローニングを構えて部屋に踊りこんだロセウムは、目の前の人物の姿を見て、しばし呆然とした。三拍ほど呆然とした後、大声を出す。
「なんで神父様が、ここにいるのよ!!」
 入った部屋は病院の診察室二個分ほどの大きさに、様々な器具類や本棚などが配置してあった。そして部屋の隅のコンピュータの前に、夜別れた神父が座っている。
「何でと言われましても。わたしは夜の散歩の途中でして」
 ロセウムは神父の胸に、ブローニングを突きつける。
「悪いけどわたし、ギャグに付き合っている余裕ないの。一個だけ教えて。神父様、わたしたちの敵?」
「敵だと思いますか?」
「質問しているのはわたし!」
「わたしもしています」
「……」
 ロセウムは一瞬ぎろっと神父を睨んだが、すぐにブローニングを下ろす。
「敵だとは、思えない」
「騙されましたね。実は敵なのです」
「な。何っ!」
「嘘です」
「ギャグに付き合ってる余裕ないって言ったでしょ! とにかく手伝って!」
 ロセウムは神父を一発殴ると、廊下に手を引いていく。そのまま二人でアートルムを部屋の中に運び込む。神父がアートルムを診察台の上にうつぶせに寝せている間に、ロセウムは中から部屋のキーをロックする。
 神父はどこからか救急箱を取り出し、手早くアートルムの背中の傷を消毒し、包帯を巻く。
「ここでできるのは、ここまでですね」
 神父の言葉に、ロセウムはうなづく。
「で、神父様はここでなにをしていたの?」
「秘密です」
「……いいもん。勝手に見るから」
 ロセウムはそう言うと、先ほどまで神父が操作していたらしきコンピュータの前の椅子に座り、画面を見る。
「……データの転送? ずいぶんサイズが大きいみたいだけど」
「ええ」
「どこに送っているの?」
「南極です」
「……まじめにこたえる気、まったくないのね」
 ロセウムはため息をつく。
「まあ、神父様が何者で、なにをしていたかなんて、どうでもいいけど。ところでわたしたち、今絶体絶命のピンチなんだけど」
「そうですか」
 ロセウムは椅子の背もたれに寄りかかる。泣きたいほど背中が痛い。
「お兄ちゃんは怪我してるし、わたしも後少しすれば痛みで動けなくなっちゃう。鉄砲も効かない天使もどきはくるしさ……なんでこんなことなっちゃったんだろうね」
「教えてあげません」
「知らないんでしょ? あるいは、理由なんてなんにもないか……ねえ」
「なんですか?」
「たすけて」
 ロセウムの瞳から涙がこぼれる。神父は指でロセウムの涙をぬぐうと、はっきりと言った。
「嫌です」
「……恩知らず」
「代わりのものを、あげましょう」
 そう言うと、神父はロセウムの涙で濡れた指先を、ロセウムの額に当てる。そのまま縦に指を引き、あごまで線を引く。一度離すと、今度は横に引き、十字を切る。
「祝福です」
 その一言で、ロセウムの身体の熱と、背中の痛みが更に増す。ロセウムは朦朧とする意識の中で、布の裂けるような音を聞いた。
 ふと、意識が戻る。心地よい冷気。
 気がつけばロセウムは、神父の腕の中にいた。
「動けますか?」
 言われて、ロセウムは身体の痛みが引いていることに気がつく。
「……神父様、これは?」
「教えてあげません」
「意地悪」
 ロセウムは神父の腕の中からすり抜けると、アートルムへと近寄る。アートルムは驚いたような顔で、ロセウムの背中を見ている。
「??」
 ロセウムは首をかしげて、自分の背中に手を回す。そこには羽毛の感触があった。いつのまにか背中に、一組の小さな羽が生えている。
「!? !?」
 神父を見る。
「教えてあげません、って言ってます。”教主”が何を目的にあなたを拉致したか、考えればわかることでしょう」
「あの天使もどきの軍団を作ること?」
 ロセウムの答えに、神父はうなづく。そして神父は部屋の隅へと歩き、窓を開けた。
「頭の悪い話です。”教主”たちは表と裏に待ち構えているようですが、ここからでも出られますよ。あちらに地下ケーブルを埋めている地下道への入り口がありますから、そこから脱出できますよ」
「神父様の侵入ルート?」
「そんなところです。目印はつけてありますから、参考にしてください」
「ありがとう」
 ロセウムは礼を言うと、再びアートルムに肩を貸して歩き出す。窓に足をかけ、羽根を広げて、窓の外に羽ばたく。
 顔面から地面に落ちた。
「痛い〜」
「そんな小さな翼で飛べるわけがないでしょう。滑空すらできませんよ」
「何の意味があるのよぅ。この羽根」
「何でもかんでも人に聞いてはいけませんよ。いつだって大切なことは、自分で悟るしかないのです。ほら、今の物音を聞きつけてこないとも限りません。さっさとお行きなさい」
「神父様は?」
「わたしはあなたのようなおばかではありません。心配無用です」
「おばかってあんた……」
「ほら、早く行きなさい」


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◆ 12
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 兄妹を見送ると、神父はパソコンの前に戻った。「転送終了」の文字を確認する。
 不意にpipiと音がして、部屋のドアが開く。そこから”教主”と三人の天使が現れ、中に入ってくる。
「何者だ? あの兄妹はどこに行った?」
 ”教主”の言葉に、神父は微笑して立ち上がる。
「バラキエル。あなたの計画は素晴らしい。人間に天使の力を与え、”彼”に対抗する作戦ですか。実に素晴らしい。わたしたちも考えないではなかったですが、実現に移すことはできませんでした。それをわたしたちを出し抜き、実現するとは。あなたは素晴らしい」
「何者だと聞いている!」
 バラキエルと呼ばれた”教主”は、声を荒げる。神父の微笑は変わらない。
「聞きなさい、バラキエル。協力せねば”彼”には対抗できません」
「まず名を名乗れ!」
 バラキエルの度重なる荒い言葉に、神父は微笑を止める。
「天使軍諜報部、通称”メタトロン隊”所属。雪天使。シャルギエル中尉です」
「敵だ! 殺せ!」
 炎が、雷が、真空が、衝撃波が、部屋の中を吹き荒れ、破壊する。
 炎と煙が舞いあがり、部屋の中のものはひとつたりとも原型をとどめていない。壁も破壊され、建物の中でこの部屋のあった部分だけえぐりとられたような形になっている。
 その中で、シャルギエルは傷一つなく、立っていた。
「なんと気の短いことです。それからひとつ言っておきますが、あなた方ではわたしと正面からぶつかっても勝てませんよ」
 バラキエルが、空中から炎の剣を取り出す。そのまま一気に間合いを詰めて、斬りかかる。しかし、シャルギエルは壁の破壊された背後へと跳び、中庭に降り立った。
「聞く耳を持ちませんか。いいでしょう。かかってきなさい。あなた方の力、見届けましょう」
「ほざけ」
「あなたには言っていません」
 炎の剣を構え、一直線に突進してくるバラキエル。シャルギエルは修道衣の下からデザートイーグルを抜く。左手を宙に伸ばし、大気中の水分を凍らせて氷の盾とする。
 氷の盾で角度を付けて、炎の剣を受け流す。瞬間、シャルギエルは盾を捨て、両手でデザートイーグルをホールド。銃口をバラキエルの頭部に当てて、発射。
 重い炸裂音。デザートイーグルの弾丸が、バラキエルの頭部を破壊する。
 頭部を失って、なおバラキエルは立ち、喋ることができた。しかし、
「ば、ばかな……再生できん」
「抗エーテル弾です。対天使用にメタトロン様が開発されたものですよ」
 シャルギエルは冷笑して、再びデザートイーグルのトリガーを引く。
「!?」
 が、発射されない。慌てて後方に飛び、銃を確認する。
「……送弾不良ですか?」
 スライドを引いても、銃身から薬きょうが排出されない。中で詰まっているのだ。
「……まだまだ改良の余地がありそうですね」
 そう言うと、デザートイーグルをしまう。手を振ると空中から無数の氷の刃が現れ、バラキエルをばらばらに切り裂いた。
「邪魔者は消えました。さあ、あなた方の番です」
 シャルギエルは、目前の戦闘を見て唖然としている三人の天使に向かって手招きする。
「アダムとイヴの子孫よ。楽園の追放者の末裔よ。放浪の時は終わりに近づいています。そしてその運命の時にこそ、あなた方の力が必要となるのです。さあ、かかってきなさい。試練を乗り越えんとする者たちに、わたしたちは祝福を与えましょう」
 シャルギエルは微笑を浮かべて、三人の天使に手招きする。三人の天使は、それに引き寄せられるように、シャルギエルの前に歩みより、
 跪いた。
「??」
 困惑するシャルギエルに、跪いた天使の一人が言う。
「我々は誤った”教主”に騙されていました。どうか我々をお導きください」
「はぁ?」
「我々が間違っていました。我々に正しい教えをお与えください」
 シャルギエルの顔から微笑が消える。それが無表情になり、思案顔になり。
 最後に怒り狂った。


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◆ 13
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 三人の天使を一方的に殺戮する作業を終えると、シャルギエルは翼を広げて空に飛び立った。
 ローマの街を一度だけ振返る。口から落胆のため息が漏れた。
 ふと、路地に動く影があった。
 ロセウムとアートルムが支えあって歩いている。
 その歩みは遅い。一歩一歩、確かめるように踏みしめながら、着実に歩く。
 それを見たシャルギエルの口に、わずかに微笑が浮かぶ。
 そしてシャルギエルは身を翻し、夜空の闇に消えていった。

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