断章3:1999 エルサレム


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◆ 0
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 照りつける灼熱の太陽のもと、爆音をたてて長距離輸送機と護衛機が基地に着陸する。
 星条旗の描かれたその機体から、ぞくぞくといかつい様子の男たちが降りてくる。
 それを迎える基地の兵士たちは、整列して男も女も小銃を掲げてその両側に立つ。
 男も女も。
 ここは世界で唯一、女性にも兵役のある国。
 ”戦闘国家”イスラエル。
 1999年。5月。


「様子は?」
「大人しいものです」
 CIA局員はモサドの男の言葉にうなづく。
 ”覇権国家”アメリカにてテロ活動を行い、逮捕拘束されていたイスラム過激派の指導者が、何者かによって奪取され、つい先日イスラエル領域においてモサドに身柄を拘束された。誰が奪還したのか、なぜイスラエル国内にいたのか、なにひとつ分かっていない。
「彼はアメリカ国内でテロを行い、アメリカでの裁判を待つ身だ。身柄はアメリカに引き渡してもらう」
 CIA局員の言葉に、モサドは無愛想に上に言ってください、と答える。モサドにとっても拘留中の男は重要な情報源なのだ。
「テロリストが彼を奪還しようとする可能性は?」
「十分あります。そのために警備兵を増員しました」
「こちらも護衛のための戦力を連れてきている。配置には便宜を図ってくれたまえ」
 モサドは内心舌打ちしつつ、ひとつの部屋の前でとまる。
「すぐお会いになりますか?」
「無論だ」
 モサドが扉を開ける。


 その男は老人だった。
 髪も髭も伸び放題。目はうつろでなにかぶつぶつとつぶやいている。更に情報によれば昔の戦傷により左足は義足のはずだった。
 椅子に座らされ、全身を拘束されている。こうまでしないと、危険なのだ。
 CIA局員はじっとその男を見詰め、口を開こうとした時、
 携帯の着信音が鳴った。
「あの男のものです」
 モサドはそう言うと、周囲の男たちに目配せする。彼らは素早く携帯に装置を取り付ける。
「逆探知します」
 CIA局員は黙ってうなづく。
 素早く準備を済ませると、電話を通話状態にする。スピーカーから声が流れ出す。
『慈悲深く慈悲あまねきアッラーの御名において……
 たたえあれアッラー。天地の創造主。天使らを御使いに立てたまう。
 その翼は二つ、三つ、また四つ。数を増して創造なさるは御心のままに。
 まことアッラーは全能の神』

「なんだあれは?」
「コーランの一節のようですね」
 いぶかしむCIA局員に、モサドは静かに答える。
『……
 もしもアッラーが人間の罪をお咎めなさるとしたら、地上にはひとりの人間も残らぬであろう。
 それは審判の時までの猶予。
 されどそのとき至れば、
 アッラーは全てをご存知』

「”ジーニアス”!!」
 老人が叫んだ瞬間、
 彼の左足の義足に仕込まれた爆弾が爆発し、基地をふっ飛ばした。

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◆ 1
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「あら、アリ。帰っていたの?」
 石造りの家の中。買い物から帰ったマナートはいつのまにか家の中にいる異母弟を見て、驚きの声をあげる。
「ちょうど近くに寄ったからな」
 外出用の全身を包む黒い民族衣装のマナートに対して、アリはスーツ姿である。
「いつも突然なんだから。連絡ぐらいくれてもいいでしょう?」
「突然だから連絡できなかった」
 アリの言葉にマナートは苦笑する。
「ごはん、食べていくでしょう?」
「ああ。”長老”に呼ばれているから、いったん出かけるけど」
「ヨーロッパ育ちのアリの口にあうかどうか分からないけど、腕を振るうわよ」
「あわせなくていい。”旧大英帝国”イギリスの飯はまずかった」
 苦笑。マナートは素焼きのコップに水を注いでアリに差し出す。
「でも心配していたのよ。ほらイギリス、IRAとかでぶっそうじゃない」
「交通事故の方がよっぽど怖いね」
 アリとしては、マナートの指摘は滑稽だったが、心配してもらった気持だけは受け取る。この地方では同じ量の血と同じ価値のある水を軽くなめる。
「ところで異母姉さんは結婚してないのかい?」
「なによ、突然」
「いや、気になったから」
「アリこそ、どうなのよ?」
「いや……俺はこういう生活だから」
「じゃあわたしも、アリがそういう生活だから」
「なんだよ、それ」
「ん?」
 マナートはじっとアリを見つめる。アリはその視線に耐えかねて、赤面して立ちあがると、椅子にかけていた外套を取る。
「”長老”に呼ばれているんだ。行ってくる」

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◆ 2
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 黄昏時。急速に気温が下がる。
「”ジーニアス”、入ります」
「アリか」
「”ジーニアス”、です」
 奥で胡座をかいている老人が、ふんと吐き捨てる。
「留学して、西洋かぶれになって帰ってきたか」
「そういうわけではありません」
「ではどういうわけだ?」
「俺をアリと呼んでいいのは異母姉さんだけです」
 哄笑。”長老”は破顔する。
「ははは。そいつは悪かったな”ジーニアス”」
「いえ。分かっていただければ結構です」
 ”ジーニアス”=アリは勧められるままに自分も床に座る。
「まあ、老人のたわごとと思って気にせんでくれ。イスラム原理主義とはいっても、マイクロソフト製のコンピュータを使い、アメリカ国防省の作ったインターネットを使い、ロシアやアメリカ製の武器を使い、国連総会へ働きかけ、ユダヤ金融機関を使う。おまえら若いものの言うことは分からんでもないが……やはり寂しいものだよ」
 口を開こうとする”ジーニアス”を、”長老”は手で制止する。
「言わんでも分かっておる。もうなんべんでも聞いたからな。”議長”ももう70。これからはおまえたち若い世代の時代だ」
「我々はまだまだ……」
「別に今すぐ我々が退陣するわけではない。ただ、覚悟はいつでもしておかねばならないがな」
「は」
 一礼する”ジーニアス”に”長老”はファイルを手渡す。
「次の作戦だ」
 ”ジーニアス”はそれを受け取ると、ぱらぱらと目を通す。これだけで”ジーニアス”はその内容を理解し、暗記することができる。そのままファイルをしまう。
「で、どうなんだ?」
 ”長老”は笑みを浮かべたまま”ジーニアス”にくだけた口調で問い掛ける。
「は。十全に遂行してみせます」
「そうではない。マナートのことだ」
「はあ?」
 ”長老”の顔はイスラム原理主義の黒幕というより、えろじじいのそれになっている。
「彼女はおまえを好いておる」
「知ってます」
「ひとりの男として好いておる、と言っておるのだぞ」
「……知っています」
 ”長老”は笑う。が、眼は笑っていない。
「”ジーニアス”、おまえは天才だが、だからといって自分ひとりで今の自分があるなどとは夢思っておらんだろうな」
「勿論」
「おまえは一を聞けば十を知り、地に水が染み込むが如く成長していった。訓練を受け、留学し、最強の戦士となった。しかし、その裏にはいつもマナートが身を粉にして働いておまえを支えていたことを忘れておるまいか?。一介の難民の家庭に生まれた男がイギリスに留学など、いくら天才でも本来なら不可能だった」
「異母姉さんと”長老”には感謝しています」
「彼女はおまえを愛している。この言葉は軽くはないぞ」
「十分に承知しています」
「ではなぜ彼女の心に応えない?儂は彼女が不憫でならぬ」
「いつか、なんらかの形で応えようと思っています」
「いつか、なんらかではない。今すぐ戻って、好きだ、愛していると言ってこい」
「それはできません」
「なぜだ?マナートを嫌っているのか?」
「とんでもない」
「なぜだ?異母姉弟だからか?そんなことは気にする必要はない」
「”長老”はもっと保守的な御方かと思っていましたが」
「茶化すな。家族や部族、全ての社会的制約から解き放たれ、アッラーの神の前でただのひとりの人間として、答えてみよ」
「……アッラーの神の前でただのひとりの人間として、お答えします。俺は戦士です。今度の作戦、いや今この瞬間にも死ぬかもしれない。もしそうなれば、異母姉さんはどうなりますか?黙ったままならともかく、もしそんなことを言った後に死んでしまえば、俺が異母姉さんの人生を潰してしまうことになる」
 ”長老”は深くため息をついた。
「不憫な子らよ……」

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◆ 3
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 1999年7月。
 ”ジーニアス”は空港のロビーで時間を待っていた。その腕に”ラスール”がじゃれつく。彼女は”ジーニアス”と所属を同じくする人間だ。
「あまりひっつくなよ」
「あら、わたしたちは新婚さんの設定のはずよ。ひっつかなきゃ不自然だわ」
「しかし人前でだな」
「あら、周りをごらんない」
 ”ラスール”の言うとおり、周囲はこれからバカンスに出かけるらしき家族連れやカップルで賑わっている。その中でカップルのべたつき具合はイスラム文化で育った”ジーニアス”の想像を絶するものがある。
「……アメリカは堕落している」
「そう?わたしはこういうの結構好きだけど」
 始終軽い調子だが、”ラスール”は”ジーニアス”に匹敵する天才だ。作戦のパートナーとしては申し分ない。
「時間だ。行こう」
 ”ジーニアス”の言葉に、”ラスール”はハイヒールの踵を一度かつん、と鳴らしてそれに続く。金属探知機を腕を組んだまま通りぬけ、旅客機に乗りこむ。
 ニューヨーク発、ギリシア行き旅客機は、その後ハイジャックされた。

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◆ 4
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「当機は我々がハイジャックした。その点を理解して行動してもらえると嬉い」
 ”ジーニアス”が宣言する。セラミックナイフや銃で武装した部下が機内を制圧する。
 数カ国語でそれを繰り返す。いずれも流暢に。
 パイロットを拘束し、オートパイロットを自力で切りかえ、設定を変える。
 それを終えると、部下の持ってきたバッグの中からガラクタとしか思えないジャンクパーツの集まりを取り出す。
 それらは”ジーニアス”の手の中で組みたてられ、次々と形になっていく。
 銃。爆弾。通信機。その他様々な機械がガラクタの中から、”ジーニアス”の手の中から生まれていく。
「”ジーニアス”、アメリカ政府がお呼びよ」
 ”ラスール”の言葉に、”ジーニアス”はうなづいて無線を取る。
「我々の要求は全米の全テレビ放送を一週間、我々に提供することだ。六時間後に返事を聞く。用意をしていろ」
 一方的に要求を伝えると、無線を切る。
「あなたがたの身の安全は抵抗しない限り、そしてアメリカ政府の対応次第という限定つきで保証します」
 ”ラスール”はにっこりと笑って乗客に宣言する。
「君たちは一体どう言うつもりだ」
 白人の背の高い乗客が抗議する。
「こんなことをしてなんになると言う。悪い事を言わないから行動を改めるんだ」
 返答は嘲笑。
「わたしに言わせれば、あなたのしていることこそ自体を悪化させることはあっても、改善することはないわ」
「いいか。わたしは君たちのことを思っていっているんだぞ。すぐに我々を解放したまえ」
 ”ラスール”は笑って白人の口を殴りつける。
「ご心配ありがとう。でも東洋の言葉でね、巧言令色鮮仁と言って、良くしゃべる人間は信用しないことにしているのよ」

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◆ 5
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「”ジーニアス”、テレビ局から電話よ」
 ”ラスール”が進言する。”ジーニアス”は無線機を取る。
「はろぅ」
「あの……こちらは」
「わかってる。そちらの聞きたいことから答えよう。乗客は全員無事で、現在機内食を召し上がっていただいている。皆さん非常に協力的な態度でたすかった。約一名虫歯をうったえられていた方がいたが、偶然歯医者が乗り合わせていたので治療していただいた」
 ”ラスール”が苦笑する。”ジーニアス”軽く唇をなめる。
「我々がなぜこのような行動に及んだのか、それを説明するのは非常に手間のかかることだ。パレスチナ100年の歴史を振りかえらねばならない。そして”覇権国家”アメリカがどのように我々に介入してきたか。わたしはアメリカ国民にそれを理解していただきたい。数々の”和平”がいかに現実から乖離したものであるか、それにより我々がどのような状況に追い込まれたかと言うことをアメリカとアメリカ国民に知っていただきたい。なぜパレスチナの失業率が55%に及ぶのか。なぜパレスチナ人の一日の水の使用量が1.7リットルしかないのか。諸君らはわたしをテロリストと罵るかもしれない。しかし、現在パレスチナの民が恐怖と欠乏のもとに生存すら困難な状況に落とし入れられているのはなんなのか。わたしは諸氏にそのことを知っていただきたいのだ。
 荒野でテント生活を強いられることがどう言うことか知っているか?
 市場に品物が並ばないと言うことは?
 ある日突然家を追われるということは?
 銃弾を撃ちこまれて死んでいく子供を見たことはあるか?
 我々がなにをした?なにをしたというのだ。
 この世に生まれいでたことか?
 息をしたことか?
 水を飲んだことか?
 食物を口にしたことか?
 我々はそれを”覇権国家”アメリカと世界に問いたい」
 言いたいことだけすますと、やはり”ジーニアス”は一方的に通信を切る。
「ちょっと演出過剰なんじゃない?」
 ”ラスール”の言葉に”ジーニアス”は軽く笑う。
「あれじゃまるでハリウッド映画かヒトラーよ」
「問題あるまい」
 わかりやすい言葉を、繰り返し使うこと。加害者ではなく、被害者の立場を主張すること。
「結果的にメディアを独占できればな」
 ”ジーニアス”にしてみればどうでもいいことだった。
 最終的には国家建設も、世界秩序も、”戦闘国家”イスラエルの存在さえ”ジーニアス”にとってはどうでもいい。
 もし、”蜜と乳の流れる国”が本当に肥沃な土地であったら。
 あるいは豊富に資源が産出すれば。
 もしくは、巨大な製造業が存在すれば。
 それとも、”聖地”が巨大な観光産業をもたらせば。
 いずれにせよ、パイの拡大がもたらせれれば、問題の多くは解決されると”ジーニアス”は信じている。
「ま、いずれにしても仮定の世界だ」

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◆ 6
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「アメリカ政府は我々の要求を拒絶した」
 給油のために着陸しているアテネ空港。”ジーニアス”は静かに宣言した。
「一歩譲歩すれば、十歩踏みこんでくるのがテロリストの手段である。どのような理由があろうとも、かかる暴力的手段による要求には応じられない」
 それがアメリカ政府の返答だった。この返答がくるまでの間に”ジーニアス”は数度にわたってマスコミ相手に演説を行い、アメリカ及びその他の国のメディアをかなり高い割合で占拠していた。
「もうやめたまえ。テロリズムはなにも生み出さない」
 殴られた白人の男が、再び騒ぎ出す。”ラスール”がその男に近寄ろうとするのを、”ジーニアス”は制する。
 ”ジーニアス”は客席の通路を歩き、物色する。窓側の席に赤い服の六歳ぐらいの少女を見つけ出し、手を伸ばす。
 少女の顔が恐怖に歪む。と、通路側の席に立っていた少年が立つ。立ちあがり、立ちはだかる。その顔は蒼白。
 ”ジーニアス”はデザートイーグルを少年の頭に突きつける。少年の手は恐怖で震えている。
「名前は?」
 ”ジーニアス”の問いに、少年は唾を飲みこんでから答える。
「白樺衛」
「やめろ。子供に手を出すな!」
「黙れ」
 白人の男の声に、”ジーニアス”は見向きもせずに言う。顔は少年に向かったまま。
「怖くないか?」
「怖い」
「後悔していないか?」
「している」
「ばかなことをしていると思うか?」
「思う」
「のけ」
「いやだ」
「なぜだ?」
「わからない」
 ”ジーニアス”は笑う。
「俺たちがなにをしているか分かるか?」
 少年は全身から勇気を振り絞り、”ジーニアス”を睨みつけて言う。
「茶番だ」
「正解だ。来い”衛”」
 ”ジーニアス”は”衛”を連れて移動する。
「おまえの言うとおり、これは茶番だ。事件を起こし、演説を行い、マスコミを利用して宣伝工作を行うためのな。他にもいくつかの会社の株価変動などもあるがね。さて、事件、演説とあるが、宣伝のためには足りないものがあると思わないか?それがなにか言ってみろ」
「ショッキングな映像」
「大正解だ!カメラを用意しろ」
 ”ジーニアス”は部下に命じると、”衛”の頭にデザートイーグルを突きつける。カメラの準備が整うと、聖句を唱える。
「慈悲深く慈悲あまねきアッラーの御名において……
 たたえあれアッラー。天地の創造主。天使らを御使いに立てたまう。
 その翼は二つ、三つ、また四つ。数を増して創造なさるは御心のままに。
 まことアッラーは全能の神」
 ”衛”は眼を閉じる。閉じた眼から涙がこぼれる。
「死ぬのは嫌か?」
「嫌だ」
「ならたすけてやる。条件付でな」
 ”衛”は眼を開ける。”ジーニアス”はデザートイーグルのマガジンを抜く。
「チャンバーに一発だけ入っている。これであの男を殺せ」
 そう言って、騒いでいた白人の男を指差す。
「銃を撃ったことは?」
「ない」
「じゃあ教えてやる」
 そう言って、”ジーニアス”は”衛”にデザートイーグルを持たせると、背後から抱きかかえるように両手を”衛”の手に添える。
「右手の人差し指をトリガーにかけて、左手を添えろ。違う。銃身を持つな。グリップの下に添えるんだ。銃身を持つとスライドの指が当たって怪我をしたり、ジャムの原因になる。後ろについている三角形のものがサイトだ。銃を目線と同じ高さまで持ってきて、これで狙いをつけろ。それから、セイフティを外すのを忘れるな。違う、そっちは分解ボタンだ。おまえ銃をばらす気か。こっちのレバーだ」
 ”衛”の手の中のデザートイーグルが白人の男を狙う。
「ま、待て……」
「黙ってろ。今大切なレクチャーの最中だ」
 ”ジーニアス”の眼光で、白人の男は蛇に睨まれた蛙のように動けない。
「この銃はデザートイーグルと言って、イスラエル・ミリタリー・インダストリー社が元来はターゲットシューティング用に作った銃だ。色々な種類があるが、これは.357マグナムを使用している。全長260ミリ。装弾重量1.7キロ。はじめて撃つには大型で重いが、気合と根性でなんとかしろ。撃つ時は反動が発生して銃身が上に跳ね上がるから気をつけるんだな。手が震えてる。しっかり狙え。他の人間に当たる」
 ”ジーニアス”は”衛”の手から手を離す。”衛”の手はがたがたと震えて、銃身は滑稽なほどゆらゆらとゆれている。
「しょうがない奴だ。俺がいつも使っている方法を教えてやる。『コーラン』の第35章だ。俺の言う通りに続け。心が落ち着く」
 そう言って、”ジーニアス”は背後から、”衛”の肩を軽く叩く。
「慈悲深く慈悲あまねきアッラーの御名において……」
「慈悲深く慈悲あまねきアッラーの御名において……」
「たたえあれアッラー。天地の創造主。天使らを御使いに立てたまう」
「たたえあれアッラー。天地の創造主。天使らを御使いに立てたまう」
「その翼は二つ、三つ、また四つ。数を増して創造なさるは御心のままに」
「その翼は二つ、三つ、また四つ。数を増して創造なさるは御心のままに」
「まことアッラーは全能の神」
「まことアッラーは全能の神」
「……もしもアッラーが人間の罪をお咎めなさるとしたら、地上にはひとりの人間も残らぬであろう」
「……もしもアッラーが人間の罪をお咎めなさるとしたら、地上にはひとりの人間も残らぬであろう」
「それは審判の時までの猶予。されどそのとき至れば、アッラーは全てをご存知」
「それは審判の時までの猶予。されどそのとき至れば、アッラーは全てをご存知」
「撃て!」
 ハンマーがファイアリング・ピンを叩く。薬莢が爆発し、銃弾が飛び出す。着弾。同時にガス圧によりスライドが後退して余剰ガスと空薬莢を排出する。
 白人の頭部はまるで西瓜割りの西瓜のように吹っ飛んでいた。
「よくやった」
 そう言って、”ジーニアス”は”衛”の手からデザートイーグルを取り上げる。”衛”は膝をつく。
「”ラスール”、エチケット袋を取ってやれ」
 ”ラスール”はそれに従う。”衛”は吐いた。苦しみの声をあげながら、涙を流して嘔吐する。
 ”ジーニアス”の部下が、”ジーニアス”になにかを進言する。”ジーニアス”はうなづくと、今度はアサルトライフルを取り出す。
「”衛”、これはAK-47というカラシニコフ・アサルトライフルだ。古い銃だが、安価であることや信頼性により世界中に広まった銃だ。特に冷戦期に”社会主義的帝国”ソ連の軍事介入を受けた地域にはポピュラーな銃だな。アサルト・ライフルというのはライフルとサブマシンガンの両方の機能を兼ね備えた銃のことだ。その切り替えはこのレバーで行う。フルオートだと発射速度は一分間に600発。装弾数は30発。トリガーを引きっぱなしだと三秒で弾がきれる計算だ」
 そう言うと、”ジーニアス”は”衛”にAK-47を握らせる。
「さて、現在グリーンベレーがこの飛行機の左翼に控えている。おまえはこれを使ってそれを排除しろ。大丈夫だ。事前にイスラエルにおびき出してふっ飛ばしてやったからたいした人数じゃない」
「なんで俺が……」
「さっさとやれ。やらなければ、あの女の子にやらせようか?」
 ”衛”はあきらめたように非常口に立つ。レバーをフルオートにあわせ、非常口を開ける。全身を黒い戦闘服で包み、ガスマスクとヘルメットで完全武装した特殊部隊の姿が目に入る。カラシニコフを構えるのが一瞬遅れる。
「違う!人質だ!」
 特殊部隊の男が叫ぶが、その声は”衛”には聞こえない。トリガーを引く。信じられない速度で銃弾が飛び、薬莢が排出される。すさまじい反動で銃身が上に跳ね上がる。時間の感覚が消える。空になったマガジンが強制排出される。”ジーニアス”は”衛”を機内に引き込むと、自らAKMを撃つ。反対側では”ラスール”が右翼より接近していたグリーンベレーを掃討する。
 わずか数秒。
 アメリカ最強の陸軍特殊部隊が敗北するのに要した時間は、たったそれだけだった。

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◆ 7
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 エルサレム上空。
 この空に、所狭しと天使が雲霞の如く飛び交っている。
 風が唸り、炎や雷が飛び交い、天使同士、手に持った武器で対峙する。
 超自然的な応酬の余波により、既に眼下の街は壊滅している。それでも天使たちはお互いに戦うことを止めない。
 その中、ひとりの天使が乱戦の中をすり抜け、四枚翼の天使の元へたどり着く。
「ガブリエル様」
「シャルギエルですか。これはどうしたことです?」
「ルシフェル様が全軍の約三分の一の戦力を率いて、反逆されました。この場はお退きください」
「なんですって?それで天使長は?」
「ミカエル様には未だ連絡がつきません」
「天使長の命がなければ、退くわけにはいきません。それに数ではまだこちらが多いはず」
「我が軍は地球上の各地に散っています!メタトロン様が急ぎ再編成してこちらへ向かわれていますが、このエルサレムの近衛師団だけではではルシフェル様の攻撃を防ぎきれません。御身が大事です」
「ならばなおのこと、天使長の身の安全が先決です」
「わたしはメタトロン様より、ガブリエル様の身の安全を確保するように言われてきました。退いてください」
「わたしはあなたよりもメタトロンよりも位階が上です。従ういわれはありません」
「メタトロンはなにを考えている?」
 不意に声がする。
「天使長」
「ミカエル様」
 二人の天使は声のした方を振りかえる。六枚の翼を持つ熾天使。天使長ミカエルの姿があった。
「シャルギエル。メタトロンはなにを考えている」
 打つようなその言葉に、シャルギエルは自ら意識しないままに答えてしまう。
「はい。地球上に散った軍団を再編成し、近衛師団を包囲しているルシフェル様の軍勢を逆包囲するおつもりです」
「ではそれまで持ちこたえてみせよう」
「御身の左を守ります」
 ミカエルとガブリエルは並ぶ。
「シャルギエル。おまえはメタトロンに承知した、と伝えよ」
「わたしは……」
「行け」
 その言葉には強制力がある。シャルギエルは意思に反してその場を離れる。乱戦の隙間を抜けながら戦線を離脱する。ふと、戦場を振り返る。
「あれは……」
 十二枚の翼を持つ天使が剣を掲げて、ミカエルとガブリエルの元へ流星の如く煌きながら飛んでいく。十二枚の翼を持つ天使はひとりしかいない。
「大天使長、ルシフェル様……いけません!」
 空中で対ショック体勢を取る。
 次の瞬間閃光が走り、衝撃が走る。
 北はトルコ
 南はエジプトやサウジアラビア
 東はイラク
 西は地中海
に至るまで爆風と地震と津波が襲う。
「冗談じゃありません。近東が壊滅してしまいました。天使のナンバー1・2・3の戦いたるや、すさまじいものがありますね。下級天使は今ので消滅してしまったかもしれませんね……本気ですか?」
 シャルギエルの視界の中で、先ほどの衝撃を生き残った天使たちが再び戦いを続けている。
「よくもまあ、続けるものです」
 生き残った天使たちは、戦いの中心たるルシフェルとミカエル、ガブリエルから距離を取り、近東の空に拡散しながら戦っている。
「さすがにあれに近寄っても巻き添えを食うだけですからね……おや?」
 シャルギエルは、先ほどの衝撃を受けたせいか、地中海に墜落していく旅客機を見つけた。
「巻き添えを食いましたか……!!」
 シャルギエルの背後から、百合の花が旅客機の方角へ、更に西へと飛んでいく。
「しまった!ガブリエル様、肉体を失われましたか!」
 旅客機が海に落ちる。水飛沫が飛び空気がかき乱される。
「!!」
 シャルギエルはうろたえる。飛ぶ百合の花を見失ったのだ。
「ガブリエル様……どこに……」
 シャルギエルの長きにわたる探索の旅が始まった。

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◆ 8
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 地中海上空。作戦は最終段階に近い。
「前方の様子が変よ」
 ”ラスール”の言葉に、”ジーニアス”はレーダーを見る。
「なにがだ?」
「なにもなさすぎる。イスラエル空軍あたりがちょっかいを出してきてもいいはずよ」
「確かに妙だな」
 機先を制することを得意とするイスラエル空軍が見えないというのは、確かに不安だった。”ジーニアス”は傍に控えさせていた”衛”を見る。
「どう思う?」
「可能性としては、ベイルート空港に既に手を伸ばしていて、待ちうけていることか」
「だろうな。念のためにルートの変更を検討してみるか」
 長時間にわたる拘束と恐怖、更には衝撃により”衛”の精神は摩滅している。そのため、”ジーニアス”と”衛”の間には一種、誘拐犯と被害者の間に結ばれるような奇妙な人間関係が生じていた。
「他に空港が?」
「滑走路さえあれば、どこにでも下りられるさ」
 ”ジーニアス”は無線を取る。
「どういうことだ?」
 通じない。
「キプロス島は?」
「あんなところに降りられるか。それにもう通りすぎた」
「ダマスカス?」
「ダミーのひとつとして考えておこう」
 ”ジーニアス”は数回無線をかけなおす。
「イスラエルの動きに関する情報が全く入ってこない。ダミーをベイルートからダマスカスに変更する」
 ”ジーニアス”は手早く無線をかけながら、手早くオートパイロットを設定しなおす。
「忙しくなるな。もう着陸体勢に入っていなくてはいけない距離だ。”衛”、席についていろ」
 前方をじっと見詰めていた”衛”に、”ジーニアス”が言う。
「なにか見えたか?」
「……」
 コンソールに集中したまま”ジーニアス”が聞くが、”衛”は黙ってその場を離れる。ずっとレーダーを見ていた”ラスール”は、その様子をちらりと見たが、すぐに注意を計器に戻す。
「?」
 ”ジーニアス”は不思議に思って前方を見る。
 その瞬間、目の眩むような強い光が”ジーニアス”の眼を焼く。その数瞬後に衝撃波が旅客機を襲う。
 計器が悲鳴を上げ、天地が逆転する。旅客機は吹き飛び、宙を舞う。中に居る人間は三半規管が失調し、混乱に至る。
 もはやパニックを通り越して、呆然とするしかない。誰もなにをしていいのか分からなかった。
 ただひとりを除いては。

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◆ 9
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 衝撃で機体が揺れた瞬間。
 ”衛”はテロリストの部下のひとりからカラシニコフを奪う。機体が舞い、天地が逆転する。シートベルトで固定された乗客と、そうではないテロリストが離れる。騒音と悲鳴の中、”衛”の耳は確実にレバーをセイフティからシングルショットに、シングルショットからフルオートへと切り替わる音を聞く。
「慈悲深く慈悲あまねきアッラーの御名において……」
 狙って撃つ。反動があるので手動三点バースト。三秒強で弾がきれる。その時は既に六人いたテロリストの部下が全滅している。
 死体から武器を奪う。
 急激なGが身体にかかる。耳鳴りがする。
 今までとは比較にならないほど大きな衝撃。壁に叩きつけられる。騒音。
 半瞬、気絶。
 次の瞬間には既に、”ラスール”と格闘戦に入っている。
「たたえあれアッラー。天地の創造主……天使らを御使いに立てたまう」
 右手にトカレフを構え、左手のナイフで”ラスール”のベレッタの銃口を宙に押し上げる。”ラスール”もまた、左手のナイフを”衛”のトカレフの銃身に叩きつける。
 トカレフが暴発する。数回兆弾。行方を気にしている余裕はない。
「その翼は二つ、三つ、また四つ。数を増して創造なさるは御心のままに」
 ”衛”はトカレフを手放し、足元を浸す海水をかぎ分けて”ラスール”の懐に入り、右手で”ラスール”の右手首をつかむ。”ラスール”はナイフを手放して、左手でその”衛”の右手袖を取る。そのまま身体を回転させ、右肘を”衛”の脇の下にいれててことする。そのまま、引く。
 ”衛”の視界が回る。
 海水の侵入している床に叩きつけられる。”ラスール”は足でナイフを持っている”衛”の右手を踏み、ベレッタを構え、呼吸困難にあえぐ”衛”の代わりに聖句を続ける。
「まことアッラーは全能の神」
 そう言って、”ラスール”は笑った。
 ひときわ大きな音がして、機体が揺れる。
 大きな衝撃を受けて、今度こそ”衛”は気を失った。

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◆ 10
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 気がついたとき、”衛”は病院のベッドの上にいた。
 頭ががんがんする。
 看護婦が異国の言葉でしゃべっていた。
 ほどなくしてPKOの制服を着た軍人と、一緒に飛行機に乗った御子神そらみがやってくる。
 頭痛のせいでほとんど会話にならない。
 わかったことは、ここはキプロスの病院であり、PKOキプロス駐留部隊に保護されたということだけだった。
 意識が戻ると、叩き出されるように退院した。ベッドは足りていないらしい。
 ほどなくして、日本大使館を通じてそらみと一緒に帰国した。
 頭痛は治らなかった。
 日本に帰るとマスコミに囲まれた。
 頭痛はひどくなった。
 日本で入院した。
 それは入院というより、隔離に近かった。
 頭痛が治って退院するころには、世間は事件のことを忘れていた。
 
 ”ラスール”は死んだらしい。
 ”衛”の暴発したトカレフの兆弾が死因だったと聞いた時、”衛”はどう反応していいのか全くわからなかった。
 ”ジーニアス”の行方はわからない。旅客機は墜落した後にばらばらになり、その後行方不明になったのだという。
 イスラエルという国家は地球上から消滅した。その地は天使が占拠しており、人間は立ち入ることはできないという。
 天使が現れ、地球上の一部を占拠しているという話はメディアを通じて聞いた。実物を見た”衛”でもにわかには信じがたいことだった。
 地球環境が好転していると、やはりメディアを通じて知った。天使の恩寵だと言うものもいた。


 季節は巡る。
 仙台の冬は早い。
 ”衛”は冬は嫌いではない。それよりも、夏は大嫌いだった。いや、夏というよりも、暑いのが嫌いだった。暑い国はもう散々だった。
 初雪の降った日。一通のエアメールが届いた。差出先はグルジア。
「って、どこだ?」
 差出人の名前も住所もない。その代わり、手紙の裏にはアラビア語が並んでいた。その内容は、
『もしもアッラーが人間の罪をお咎めなさるとしたら、地上にはひとりの人間も残らぬであろう。
 それは審判の時までの猶予。
 されどそのとき至れば、
 アッラーは全てをご存知』

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