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◆ 1
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2008年仙台。
かつての杜の都は、その名の通り生い茂る木々に占領されていた。
北都、東北の地方中枢都市としての機能は既に停止している。
横須賀で爆発した核兵器のせいで関東一円は壊滅。放射能に汚染されノーマンズランドと化している。メディアの中心である東京が吹っ飛んだせいでマスコミも壊滅。現在の日本がどのような状況になっているのか、正確なところは誰も知らない。
それでも人は生きていた。
「えー。では汝船越朗は圭子を妻とし、生涯愛することを誓いますか?」
「はい。誓います」
「本当だな! 浮気とかしたらみんなでたこ殴りだからな」
「おおー」
「変な茶々入れはしないでください。では御厨圭子、あなたは朗を夫とし、病めるときも貧しい時も……」
「長いぞー。飯が冷めちまう」
「ええい。茶々を入れるなと言っているでしょう。えーと、つまり以下同文です」
「くすっ。ええ。わたしも以下同文です」
「では、誓いの指輪を」
「まだあんのかよ」
「ええい。サクラメント(儀礼)には定められた手順と言うものがあるのです。もうちょっと敬虔に出来ないのですか」
「無理だ」
「無理でしょう」
「無理だな」
「無理」
「無理ね」
「ええい。満場一致で。そもそも結婚式と言うものはですね、神の前で婚姻の契約を交わすサクラメントで、この契約の約というのは旧約新約の約と同じ意味で非常に神聖な……」
「神父話長い。しかも脱線」
「あなたが引っ掻き回しているんでしょう。ええい。後はですね、この中でこの結婚に異議のある人はいませんね」
「ちょっと待った〜」
「そらみさん、”衛”さんを黙らせてください」
「はい」
「もがもがもがもが」
「異議のある人はいませんね。ではみなさん、この二人の婚姻を認め、同じ街の住人として祝福する人は拍手してください」
ぱちぱちぱちぱちぱちぱち。
「後は”衛”さんと”シェリフ”あたりにお言葉をいただきたいのですが」
「おめでとう。以上」
「幸せにね。以上」
「そらみさん、その二人を一回ずつ蹴ってやってください」
げしげし。
「それではみなさん乾杯のグラスを……まわりましたか?それでは乾杯の音頭を……”衛”さん、これくらいは真面目にやってくださいよ」
会場がしん、となる。
「では僭越ながら。……四年前、あの天使たちが攻めてきた日から、俺たちの世界は変わってしまった。軍……自衛隊と在日米軍が吹っ飛び、その余波で関東が吹っ飛び、日本と言う国家まで吹っ飛んでしまった。
あれから……いろいろあった。俺も”シェリフ”も今でこそばかやってるが」
「ばかやってるのはおまえだけだ。俺は真面目だ」
「くくっ。まあ、当時は戦いだった。こんなめでたい時になんでそんな話を、と思うかもしれない。でもこれは事実であり、しかもそれは現在進行形だ。
だが、状況が好転したのも又事実だ。正直、当時は何かを祝うとか、笑うとか、そんなことは考えられなかった。でも」
「てめーの方が長いぞお!」
「こんにゃろ。とにかく乾杯〜」
「乾杯!」
どんちゃんどんちゃん。
「うっ。これはなんだ?」
「たんぽぽ酒ですよ」
「作ろうと思えば、酒ってなんでもつくれるんだな」
「これでも結構研究しましたから」
「研究って、試作品を俺に飲ませることか?」
「”衛”さんはなに飲んでもおいしいとしか言わないから、ちっとも参考にならないんですよね。おかげでひどい目にあいました」
「まるで俺が味音痴みたいな言い方じゃないか、神父」
「みたい、じゃなくて味音痴なんです」
どんちゃんどんちゃん。
どんちゃんどんちゃん。
「じゃーん。このめでたい席にごちそーでーす」
「ああっ! いつのまに。それは!」
「神父がこっそり隠して作っていたワインですー」
「おおー」
「そ、それはサクラメントのためにわたしが作っておいた大切な!」
「駄目ですよお。こういう良いものはこういうおめでたい席であけないとぉ」
「酒も飲まずに酔えるとはたいした特技だ」
げしげし。
「そういう意地悪言う人にはあげません」
「あなたのものじゃないでしょう。返しなさい」
「わーい。神父を押さえろぅ。では新郎新婦からどうぞ」
どんちゃんどんちゃん。
どんちゃんどんちゃん。
「あれ?もうなくなった。口当たりが良いからついたくさん飲んじゃった」
「なに、俺の分ないのか?」
「ははは。残念だな。こういうのは主賓優先だ。悔しかったらおまえも結婚してみろ」
「そーそー。そうすれば神父が又ご馳走してくれるわよ。その時はお返しにわたしたちがパーティーの企画をしてあげる」
「結婚はひとりじゃできないからなあ」
「とほほ……サクラメントのためのワインが……」
どんちゃんどんちゃん。
どんちゃんどんちゃん。
どんちゃんどんちゃん。
どんちゃんどんちゃん。
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◆ 2
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仙台で唯一の教会兼バー(ただし教会として使用されることはほとんどない)というけったいなものを経営している神父は、約一名を除いて客が全員出ていってしまったのを確認すると、ドアを閉じる。
「暗くなってしまいましたね。明かりももったいないし、あとかたずけは明日にしますか」
「”衛”さんがソファの上で寝ていて動こうとしないんです」
ウェイトレスの御子神そらみが困ったような声で言う。
「毛布でもかけて放っておいてあげなさい。少し飲みますか?」
「なにかあるんですか?」
「残り物が少々、ね。二階に行きましょう」
居住区になっている二階で、窓を開ける。透明な大気を通じて月と星の光が差し込み、わずかに明るい。
「今日はどうもお疲れ様でした」
「どうもです。ふう、ちょっと疲れたけど、楽しかったです。でも”衛”さん、大丈夫ですかね?」
「駄目でしょう。ずいぶんと飲んでいましたしね。まあ、しょうがないでしょう。彼は圭子さんのこと、好きみたいでしたし」
「ええ!?」
「気がつきませんでした? まあ、あまり他言することでもありませんしね」
「でもそれって」
「あなたが気にすることではありませんよ。どうぞ」
神父はそらみにはこべら酒のコップを差し出す。そらみはちょっとむくれた様子でそれを受け取る。
「介入する資格はない、というわけですか?」
「言葉遊びは止めましょう。資格だの権利だの、そんなものが実在するなんて信じているのですか?あなたが気にしても、朗さんも圭子さんも”衛”さんも、みんな気に病む以上のことにはなりませんよ。当人たちは大人ですからね。既に決着はついています。蒸し返しても良いことなど何もありませんよ」
「大人だから……ですか。わたしをのけ者にして。子供だから?」
そう言うと、そらみはグラスの中身をぐっとあおり、咳き込む。
「面白くありませんか?でも、それで当人たちが納得して、楽しくやっているのだからそれで良いでしょう? 大丈夫。あなたの番もすぐに巡ってきますよ」
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◆ 3
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「じゃあ神父は従来の進化論に疑問を持っているわけだ」
「そうですねえ。あるいは進化という概念自体に疑問を持っているのかもしれませんね」
翌日の昼近く。ようやく起きてきた”衛”と神父は朝食とも昼食ともつかないものを採りながらだべっていた。
「たとえば首の長いキリンは、確かに高いところの葉を食べたり、遠くを見渡したりするのは得意ですが、水を飲むのは大変苦労します。そんな不完全なものを指して『進化』と絶対的に賛美するのもおかしな話でしょう」
「しかし、プラスからマイナスとを差し引いて、正になればそれは進化といえるんじゃないのか?」
「数量的な問題ではないでしょう。ただひとつのデメリットが致命傷になることもあります」
「それは結果論だろう」
「ええ。結局それは致命傷を受けてから語ることしか出来ない結果論です。しかし、そういうリスクが常に存在していることは警戒すべきじゃありませんか?」
「まあ、それは確かに」
神父はくすりと笑う。
「まあ、あまり悲観するものでもありませんがね。生き物には適応能力というものがあります。わたしは進化よりもこっちの方を重視しているんですよ。細菌は抗生物質により攻撃されると、抗生物質に耐性を持つようになる。しかも進化論が想定する時間より、遥かに短い期間で、です」
「嫌なたとえだ」
「そうですか?環境や状況の変化、外敵の攻撃に対してもっとも素早く適応した存在としてばいきんやごきぶりは適当な例だと思いますが」
「もう、やめてくださいよ、神父。食事しながらばいきんとかごきぶりとか」
洗物をしていたそらみがしかめっ面で口を挟む。”衛”は肩をすくめて、
「そらみちゃん、機嫌悪いな。あの日か?」
「いや、二日酔いでしょう」
「ち・が・い・ま・す!もう、朝から体調悪いのに、変なこと言わないでください。わたし、機嫌悪いんですよ」
「だからあの日だろ?」
「それを二日酔いと言うのですよ」
「違ーう! ふたりしてもう、わたしが体調悪いのを笑いものにして、楽しいんですか?」
「とんでもない。我々は可愛い可愛いそらみちゃんを心配しているのだよ」
「そうですよ。わたしたちはこんなにもそらみさんを愛しているというのに」
「ふたりとも真顔で言うなー! 嘘くさい!」
失礼な、と”衛”と神父が口をそろえて言ったとき、ドアが開いて”シェリフ”が入ってくる。
「”衛”、やっぱりここか。ちょっといいか?」
「俺今食事中」
「さっき船越夫妻のところに行ったんだがな」
「人の話聞いちゃいねえな」
「黙って聞け。いいか、船越夫妻がいなくなった。部屋は荒れていた。そしてこれを見ろ。現場に落ちていたものだ」
「現場言うな。しかし、そーすると新婚夫婦の朝に踏みこんだのか。やってたらどうするつもりなんだ……それは!」
”シェリフ”の手の中のビニール袋には、大きな白い羽があった。
「ベッドの中でおおたちまわりした挙句、勢い余って羽枕が破けて……」
「この後に及んでぼけるな。真面目にやれ」
「わかってるさ。天使、だな」
四年前、突然襲来した天使。核ミサイルも通用せず、数々の魔力を使う、人類の敵。
「しかしなぜ?天使の力を持ってすれば、街ごとふっとばすことだって可能だったろうに」
「わからん。問題は、船越夫妻がいなくなって、これが残っていたということだ」
「……さらわれたか?しかし天使がそんなことをするなんて聞いたこともないぞ」
「奴らのすることはいつでも意味不明さ」
「それもそうだな……神父、俺の銃を出してくれ」
神父はため息をついてそらみに、”シェリフ”にお水でも出して、その後二階で休んでいてください、と言っていったん消える。
「あの……なにがあったんですか?」
今まで話を聞いていたにもかかわらず、そらみは”シェリフ”に水を出しながら聞いてしまう。
「わからん……わからんが、そらみちゃんも天使を見つけたら我々に教えてくれ」
”シェリフ”の答えに、そらみは首を振る。
「天使が来たって……船越さんたち死んじゃったんですか? わたしたちみんな死んじゃうんですか?」
「わからん。今はそれしか言えん」
”シェリフ”がそう言ったとき、神父が武器を持って戻ってきた。64式自動小銃とAK47。ベレッタ92Fが二丁。
「一応メンテはしてありますから、すぐに使えます」
「ありがとう」
”衛”は礼を言うと、肩から吊るしたサスペンダーホルスターにベレッタをかけていく。両脇の下に、合計二丁。
「”シェリフ”はアサルトライフルを使ったことは?」
「あるわけねーだろ」
「じゃあまんがはじめて物語だ」
そう言って”衛”は”シェリフ”に64式自動小銃を投げてよこし、自分はカラシニコフを握る。”シェリフ”は普段からニューナンブを持っている。
「弾丸はもうこれだけしか残ってません。大事に使ってください」
神父はそう言ってマガジンを差し出す。”衛”と”シェリフ”はうなずいてそれを受け取る。
「ちょっと待って……核兵器も効かない相手に、そんなもので対抗する気?」
そらみの声は悲痛そのものだった。”衛”はくすりと笑う。
「まあ、これは気分出しみたいなものだ。本当に天使なら、逃げるさ」
「追ってくるわよ」
「大丈夫」
「どうして」
「なんとなく」
そう言って、”衛”は笑って見せる。が、
そらみは涙を流して”衛”の袖にすがりついた。
「へ?」
状況が飲みこめずに、うろたえる”衛”。
「さて、”シェリフ”、64式自動小銃の使い方を説明するので、表に行きましょう」
「そうだな」
「まてこら」
神父と”シェリフ”退場。
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◆ 4
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「ずいぶんと早かったじゃないか」
「体調が悪いらしいから部屋で寝せていただけだ」
「俺はなにも言ってないぜ?」
”衛”と”シェリフ”の会話を聞き流しながすと、神父は”衛”に大型のハンドガンを渡す。
「装弾数が少ない上に弾丸の規格が違いますが、威力は保証しますよ」
「デザートイーグル……神父、こんなものどこで手に入れた」
「それは秘密です」
なんだそりゃ、と”衛”はつぶやくと、そのままデザートイーグルをヒップホルスターに突っ込む。
「しかし、こうも銃ばかり持っていると重いな」
「弾丸の規格がばらばらなせいです。くれぐれもジャムには気をつけて下さいね」
「俺はマーマレードの方が好きだな」
「ばかばっかり言ってるな。行くぞ」
”シェリフ”が急かすと、”衛”はうなづいた。
「やれやれ、こっちにも、か」
船越夫妻の家周辺。”衛”は木の枝に引っかかっている大きな白い羽根を見つけてひとりごこちた。
「どう思う?」
”シェリフ”の問いに”衛”は、まだはっきりしたことはわからんが、と前置きして。
「二階の夫妻の窓が外側に向かって破壊されていた。部屋の中も荒れていたし、家の外に羽根がある。あの二階の窓から飛んでいった、というところか?」
主語があいまいな”衛”の言葉に、”シェリフ”はうなづく。
「つまり、落ちた羽根を追っていく、という話だな」
「ああ」
二人はその後無言で捜索を続けた。どんどん街から離れ、杜の中へ入っていく。
「昔はこのあたりも市街地だったんだがな」
”シェリフ”の言葉に、”衛”は今は人外魔境だがな、と答える。落葉樹はすっかり葉を落としてしまっており、見渡しは比較的悪くない。”シェリフ”は落ち葉を踏みしめながらつぶやく。
「もうすぐ冬だな」
「冬は嫌いじゃない」
「寒いぞ」
「その方が暖かさのありがたみがわかる。それに暑い国はもうこりごりだ」
捜索しながら進んでいるので、その歩の歩みは遅い。二人とも周囲を見まわし、周囲をぐるぐると移動しながら徐々に先に進んでいく。
途中で携帯食料で小休止をとった他は、ほとんど休みなく二人は進んでいく。そして夕刻近く。
「あれ、か」
”衛”が指差した先、ひときわ高い木の枝の上に人影が二つ。
「朗と圭子?」
”シェリフ”の言葉に、”衛”は肩をすくめる。
二人は近づき、より詳細に見てみる。二つの人影は、仰向けに倒れたところを木に引っかかっているように、不自然なかたちで木の枝に引っかかっている。木の下から見上げて、”シェリフ”がつぶやく。
「死んでいるのか?」
「おそらくはな。下ろすか?」
「いや、現場を荒らしたくない。登ってみよう」
「ま、がんばって」
”シェリフ”が木に登って、遺体をじっと見つめ、ふと小銃の銃身で遺体を押す。どすん、と音を立てて落ちる。
「現場を荒らしたくないんじゃなかったのか?」
そう言いながら”衛”は遺体を見る。その背中から生えた白い羽根。それ以外の全身がケロイド状に火傷を負っている。
「写真で見たことがあるけど、原爆の被害を受けるとこんな風になったな。除く羽根」
「なんでおまえはそんなに冷静なんだ」
「そう見えるか?」
「見える」
「それは悲しいことだな」
”衛”は二つの遺体により近づいて観察する。”シェリフ”はこみ上げてくる吐き気を押さえながら距離をとってそれを見つめている。
「焼け方に妙にむらがあるな。不可解だ」
「今更不可解が増えたところでたいした問題じゃないだろ」
「真面目にやれよ。なんでこんなにまだらに焼けているんだ?焼けてるところは徹底的に焼けているくせに、無傷のところは完璧無傷だ。中間がない」
「どういうことだ?」
「知らんよ。ただ、ひとつ遺留品があるな」
”衛”は無傷だった二つの遺体の手にはめられた指輪を視線で示す。
「……埋葬しよう」
「道具がない。いったん街に戻らないとな」
ばさ、と音がした。
”衛”は視線を上げ、見た。
黒い修道服を着た天使。
視線が合った。
カラシニコフのレバーをセイフティからオートに一気に捻り込み、銃身を空に向けトリガーを引く。
銃撃。
薬莢がばらばらと地面に落ち、数十秒で空になったマガジンが強制排出される。
天使は悠々と街へ向かって飛んでいった。
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◆ 5
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暑くて目が覚めた。ついでに背中が痛い。
そらみはベッドから降りると、タオルで顔をふく。
嫌な夢を見た。身体が熱くてだるい。
きっとひどい顔してるだろうな、と思って姿見を見る。
「……なに、これ」
背中に手を伸ばす。一対の羽根がパジャマの背の部分を破いてでていた。手を横に上げれば、肘ほどにあたるような小さな羽根。
「……なんの冗談よ」
きっと悪い冗談。”衛”さんか誰かが寝ている隙におもちゃをくっつけたんだ。
非現実的な推測を胸に羽根をぎゅっとつかむ。
痛い。
「……」
茫然自失。
外から銃撃の音がして、意識が戻る。
続いて人々の声。
ひときわ身体を震わすような重い射撃音が近くで連続して四回。
(銃撃戦に巻き込まれたら、まずなによりはやく身を低くするんだ)
昔”衛”に話の種に聞いたことがある。
身を低くする。いや、腰が抜けているんだ。
窓の外を確認したかった。しかし、窓の外から確認されたくなかった。動かずに耳に意識を集中する。
重い射撃音。
「どうだ?天使野郎」
「変な呼び方をしないでください。シャルギエル、です。なかなか痛かったですよ”衛”さん」
「だろうな。おまえたちに攻撃がほとんど効かないのは、なんらかの時間と空間を歪める形而上のフィールドを発生させるからだ。ならばそのフィールドの内部から攻撃してやればいい。零距離射撃、後何発で死ぬ?地獄に落ちろ」
「残念ながら我々天使は主の命を果たすまでは、死ぬことを許されないのです。属性と記憶を保ったまま、輪廻の輪に入るだけです」
「活動を停止しろ。それで勘弁してやる」
吹雪の吹く音。何かの割れる音。爆発音。
「!!……お見事です」
「人間(おれたち)は死ぬまで生きてやる。絶望こそが死に至る病だ。細菌のように適応しながら。例えその変化によって大切なものを失い、致命的な欠点を持つに至っても。滅びるまでは、適応し続けながら生きる」
「Amen(承認します)」
銃撃音。同時に鋭利な刃物で肉をえぐる音。
「!!」
空に暗雲が立ち込め、ひときわ冷たい風が吹いたかと思うと、大粒の雪が降り出した。
そらみは部屋の中で震えていた。寒さからではない。むしろ身体は熱かった。まるで燃えているかのように。
びい、と音がしてパジャマの背中の部分が更に裂ける。姿見を見ると、羽根が一回り大きくなっている。
「……どーなってるの」
扉の外から、ずりずりとなにかとてつもない重いものを引きずる音が聞こえてくる。
「神父め。こんなものまで隠し持っていたのか。劣化ウラン弾を叩きこんでやる」
”衛”がなにか大きなものをもってぶつぶつ言いながら近づいてくる。
「殺し方は分かったんだ。後は破壊力だ。天使なんか全部ぶち殺してやる」
そらみの部屋の前で、”衛”は止まる。
「そらみちゃん、まだ居るのか?いたらここは危険だ。はやく逃げるんだ」
ノックもなしに、ドアノブが回る。
「だ、駄目っ!!」
心臓をわしずかみにされたような恐怖に捕われ、そらみはドアノブに飛びついて押さえる。
「駄目!入ってきちゃ駄目!」
「早く出てくるんだ」
当然の如く話は聞いてもらえない。
「天使が出た。早く逃げるんだ。ちょと隠れてるだけで良い。大丈夫だ。天使なんか俺がすぐに倒してやる」
「ま……待って。い……今着替え中だから……」
「後にしろ!」
「だ、駄目駄目駄目ぇ!」
涙が出てきた。必死の叫びに嗚咽が混じる。
「……30秒だけ待つから。それだけ経てば、どれだけ叫んでもドアは蹴破るぞ」
そらみが泣いていることに気がついたのか、”衛”は苛立ちながらも少し譲歩する。
そらみはドアを離れると、必死で部屋の中を探す。30秒以内になんとかしないと、どんなものかは知らないが劣化ウラン弾を食らってしまう。
”衛”さんが、わたしを、撃つ。
テーブルの上から果物ナイフを取る。迷いは一瞬。時間はない。
大きく息を吸いこむと、一気に引いた。
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◆ 6
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そらみの悲鳴。
時間を数えていた”衛”は、一瞬たりとも迷うことなくドアを蹴破る。
部屋の中には、背中から一対の白い羽根を持つそらみが床に倒れていた。
羽根の付け根には果物ナイフが三分の一ほどを切断しかけたまま食い込んでいる。炎のように紅い血がぽたぽたと流れる。その血が傷口を覆い、傷を再生していく。
「痛いよう……」
激痛に涙を流しながら、そらみは”衛”に眼を向ける。”衛”は負傷してわき腹の部分が紅く染まっていた。その手にはM60機関銃。今までそらみが見たことも聞いたこともない巨大な銃。あんなものを片手で持っているなんて信じられなかった。
「止めて……撃たないで」
そらみは必死に”衛”に頼む。
”衛”はそのそらみの様子をじっと見ていたが、不意につぶやいた。
「そうか。そういうことか」
瞬間。
”衛”の身体が巨大な氷に閉じ込められる。
「この戦争の我々の目的にたどり着きましたか。”衛”さん」
”衛”の背後から声と共に人影が現れる。
「神父?」
そらみの声に、神父はうなづく。その背中には翼があり、頭部と胸部数個所に銃で撃たれた傷がある。
「どうも計算違いばかりですね。ひとつ言わせてもらえますと、今回のことはあなたがいけないんですよ」
「??」
シャルギエルはそらみの羽根から果物ナイフを抜き取る。そのままそらみの血が傷を覆い隠していく。そのままそらみの身体に手を当てると、それまで燃えあがらんばかりに熱かった所から、苦痛が引いていく。
「”衛”さんは……」
「ご安心なさい。死んではいません。もっともわたしの永久凍土から逃れることも出来ませんが」
シャルギエルはそらみの羽根が回復していることを確認すると、窓を開ける。
「もうここには居られません。行きますよ。天使階級第九位、御子神そらみ」
「でも」
「ここに残れば街の人々戦わねばなりませんよ」
「でも……」
「わたしの永久凍土はわたしが生きている限り破れません。”衛”さんは無事です」
窓の外は吹雪いていた。
「吹雪に紛れて撤退します」
シャルギエルは断言した。
そらみはのろのろと立ちあがると、落ちている果物ナイフを拾う。そしてそのまま喉に。
「救われませんよ」
シャルギエルは冷たく言い放つ。
「天使は、死によって解放されることはありません。属性と記憶を保ったまま、輪廻の輪に入るだけです」
ぽとりと、ナイフが落ちる。
「いつか帰ってこれる日がきます」
そらみは、うなづいた。
仙台に冬が訪れた。
補注
進化論について、シャルギエルと”衛”は完全に誤解しています。
進化という言葉は、環境に適応するという意味しかありません。むしろ変化という言葉がふさわしいようです。(最近では進歩という言葉も同様に考察を加えるべきではないかとも思うのですが)
だから、シャルギエルの言っている、種としての環境への適応というのは、十分進化論のフォローの範疇(というかそのもの)に入っているらしいです。
まー、彼は進化論という言葉が嫌いでいちゃもんをつけているのでしょう。多分。
2000/11/29
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