夢の中でまどろんでいると、焦げくささが鼻を突いた。
妙にリアルな夢である。
匂いはどんどん強くなってきた。というか煙?
「うわー。またやってしまったのじゃ」
ガーネットの声までしている。五感を抑えた響く贅沢な夢である。これであと味覚までそろったら完璧だ。
メイリアの手料理食いたいなぁ。
「うう、さっぱりわからんのじゃ。えーい」
うるさいガーネット。
クリスが目を薄く開けると、いきなり痛みが走った。
「ぐぉっ」
涙が出てくる。
なんかやばい。目をぱちぱちさせながら無理矢理開いた。テントの中はに霧がかかったみたいにぼんやりとしていた。煙のせいで。
「火事かよっ」
クリスはあわてて体を起こした。体の上からかけていた毛布代わりの毛皮がずり落ちた。
煙の発生源は囲炉裏だった。ガーネットがそこでしゃがんで何かを焼いていた。もくもくと煙が出ている。
囲炉裏の火は異常に強かった。煌々と鍛冶屋の炉のごとく燃え上がり、ガーネットの髪を赤く染めている。
クリスはとりあえず入り口まで這うようにして進み、布の隙間から顔を出した。
外は清浄だった。
こんなに空気が旨いとは知らなかった。
顔を切るような寒さだが、それがいまは心地よかった。
クリスの首のすぐ上から煙がテント外に逃げていく。
とりあえず、入り口の布を思いっきり捲り上げて空気口を作ると、クリスは囲炉裏で炎と格闘している自称嫁に尋ねた。
「げほ。なにしてるんだ?」
「朝ごはん」
ガーネットは振り向きもせずに答えた。
手には串。それに刺さっているのはかつて肉だったもの。でかい。それを直接火にかけてはいるが。
「焦げてるぞ、どう見ても」
どうもても真っ黒である。
「ああっ。話しかけるでない気が散る失敗してしまう」
「もう焦げてるってば」
「あー。なんで上手くいかぬのじゃ」
皿の上には串刺しにされた炭の塊が並んでいた。無駄にでかい。
だいぶ煙が晴れてマシになった。
クリスは手で煙を払いながらガーネットの後ろにしゃがみこんだ。
「もったいないなぁ。鹿さん、無念だって化けてでるぞそのうち」
「うるさい黙れ痴れ者がっ」
「まぁがんばれ。自分で食事作れるようになるのもいい訓練だ」
クリスはガーネットの頭をなでた。
「うう、子供扱いするでない」
ガーネットは頭を振った。
「実際子供じゃん」
「失礼なっ」
クリスはガーネットを抱きかかえてなでなでした。
猫みたいにやわらかくて暖かかった。
最初は暴れていたが、しばらくするとクリスの腕の中にすっぽりと入っておとなしくなった。
ひとしきり遊んだところで聞いてみる。
「で、残りはまだあるのか?」
「これが最後の一切れじゃ」
ガーネットはうなだれた。
「そうか」
クリスは皿の上の肉? に串を刺して眼前に持ってきた。
「うう、せっかく汝のために用意したのに」
そう言われると、自分がなんか悪いことをしたみたいではないか。
「すまない。今日もカナンからもらってくる事にするのじゃ。はぁ」
クリスはナイフを取ると、丸こげ肉の炭化した部分を豪快にがりがり削った。
皿の上に炭が落ちる。
白い部分には焦げ臭い匂いがついているだろうから、一緒にそぎ落とす。
そこから、ほんの一切ればかりだが赤く綺麗に焼きあがったお肉が出てきた。
「あむっ」
肉を贅沢にも丸丸潰して作ったごちそうだ。肉汁が中からあふれてきて熱々で旨い。
「……結構いいな」
「本当か?」
ガーネットは目を大きく開けて笑顔でクリスを見た。
「どうじゃ。すごいであろう」
「いちいち削るのめんどいけどな」
「うう、そういうことは言うでない」
クリスはもうひとつ手にとってがりがり削った。露出したうまく焼けた肉を、今度はガーネットに向けた」
「ほれ」
「ん。……わらわに食えと?」
ガーネットはなぜか赤くなった。
「朝食だろう? 二人の分なんだろう?」
「うむ、その通りだが。ありがたく頂くことにする。あ、あーん」
首まで赤く染めて口を開く。クリスの差し出した肉をぱくっと食べた。
ゆっくりかんで飲み込んだ。
「むぅ。話には聞いていたが、結構恥ずかしいものであるな」
「? 何のことだ?」
なんかまたオババに変なことでも吹き込まれたのか。
「新婚夫婦というものはそういうものではないのか? なんでも『あーん』すると相手が食べさせてくれるという伝統があるとか」
「いや、知識偏りすぎだよそれは」
クリスはがっくりと肩を落とした。
「わらわもやるのじゃ。ほれ。あーん」
「せめて炭落とせよっ! 腹壊すわっ」
クリスは集落のまわりにある樹で懸垂をしていた。
雪の中、商人たちがそりを引いてきたのが見えた。
それはさておき、懸垂を続ける。
枝につかまっているのではない。
指先に魔力をこめて、手袋越しに枝に張り付いているのである。
魔力を集中させる、奥義である。
しばらくしたら、声を掛けられた。
「おーい。旦那」
下を見るとガーネットがクリスを見上げていた。
「……それ微妙に間違ってるぞ」
「むぅ。じゃぁなんと呼べば」
「旦那様とかご主人様とかマスターとか」
「……それはメイドとかというものじゃないのか?」
「気にするな。ところでなんかしたのか?」
危険なので話題を変えてみる。
「商人が来た」
「ああ、見えた」
「族長たる汝が挨拶してこないといかんぞ」
「お前行ってこいよ」
クリスはだるそうに傍らのガーネットに答えた。
「仕事であるぞ」
「……あんまりノードアルスの連中に知らせたくないんだよ。俺が族長扱いされているとか言うと変な妄想抱くし」
「むっ。……よなよな別の女を連れ込んでしゅちにくりんのあびきょーかんをしてるとか?」
「俺を何だと。大体意味わかって言ってるのか?」
「じつはあんまりよくわからん」
クリスはため息をついた。
「つーわけで、ガーネット、頼む」
「わかった。いたしかたあるまい」
ガーネットはうなずいた。
しかしこう、上から見ると胸ぺったんこでつまらん。
これがメイリアだったら谷間が見えて、そのあと見つかって樹を蹴られて落っこちる。
つるんでよかったかもしれない。
「どうした? 頭ひねって。器用な奴じゃな」
「なんでもない」
じゃぁ行ってくるぞよ。と告げてガーネットは行った。
クリスは懸垂を再開した。
指先で固定しているので、特に手首と指関節に負担がかかる。
「むー。やっぱり邪道かのぅ」
本来は壁や天井を掃除するときの技法である。
筋力トレーニングとしてやるのは癖がついてよくない、とは言われたものの。
ここは壁がないからなぁ。布だし。
上下運動しながら遠くを見ると、中央広場に馬に引かれたそりが入っていくのが見えた。
そういえば最近の情勢とか知らないな。
それとなく探ってくるか。
クリスが指先の魔力集中を解くとそのまま落下。雪の上にふわりと着地した。
「さて、目立ちたくはないんだよなぁ」
クリスの足元は新雪だったにもかかわらず、落下しても足が埋まったりせずに足跡ひとつついてなかった。
もっとも、そこから続く足跡は普通についていたのだが。
広場は人が集まってごちゃごちゃしていた。
外からの珍しい客人である。商人がやってきたときはいつもこんなもんだが微妙に様子が違っていた。
遠巻きにして中央を眺めている。
クリスがひょいっ、と人をかき分けて中に入った。中央では二人の女性が対峙していた。
赤い槍を持った赤毛の女の子と、白い法衣に身を包んだ女性である。
「メイリアまた来たのか……」
クリスは自分の幼馴染で婚約者の名前をつぶやいた。
いいかげん簀巻きにされたので懲りて二度とこないかと思ったのだが。
「とっとと帰るが良いのじゃ」
ガーネットはメイリアの正面に立っていた。
左手でメイリアを指差すと、薄い胸を張ってそう告げた。
「あんたなんかに命令される筋合いはないわよっ。それより、なんならここでこのあいだの決着付ける?」
「クリスの勝ちはわらわの勝ちじゃ」
「うるさいっ。この臆病者がっ」
あんまり聖女らしからぬ物言いである。
メイリアの背後で商人たちが青くなっていた。そりゃまぁ、村人を敵に回したら、最悪メイリアともども袋たたきだからな。
ほっとくと危険なのでクリスはのこのこと輪の中に歩み出た。
「まぁ落ち着けよ」
「おおっ、クリスや、昔の女が来たぞ」
そう言われるとクリスがなんかひどい男みたいに聞こえる。
「誰が昔の女よっ」
「クリスはわらわと結婚したのじゃ」
「は?」
メイリアはぽかんと口を開けた。
「わらわとクリスは『もえもえのしんこんせいかつ』なのじゃ。邪魔をするやつは犬に食われて死んでしまうのだ」
ガーネット、それぜんぜん違う。
メイリアはクリスを見るときっとにらみ付けた。
「いっしょに寝てるだけじゃなくついに手まで出してっ!」
一瞬で間合いをつめ、顔めがけて殴りかかった。
「待てっ、そんなでたらめ信じるなって言ってるだろういつもっ」
クリスは半歩下がりながら手で拳を払った。
「この浮気もんがぁ」
「話聞けよ〜」
メイリアの連打をクリスは必死に払った。
右のハイキックを両腕でガード。
腕が痺れ、衝撃が肩の後方へ抜ける。
足首まである純白のロングスカートがまくれ上がり、太股まで覆うハイソックスが吊り紐で固定されているのまであらわになった。
白づくしだ。
「……こっち側の人にはばっちり見えてるぞ」
「ばかぁ」
足を戻して逆の左ローを受けれずにクリスは転んだ。
蹴りというより足を引っ掛けて転がされたという感じだ。
「見るな見せるなばかぁ」
「……じゃぁハイキックやめるかズボンにしろと」
「法衣はスカートしかないわよっ」
クリスは尻を払いながら起き上がった。
「むー」
「なによ。文句ある?」
「毎回思うんだななんで冤罪で毎回毎回殴られて蹴られなきゃあかんのかとちょっと世の不公平さに恨みつらみを述べてみたいものです」
「やめなさい。神様が見ていらっしゃいますわよ」
「自分に都合がいいときだけ神官ぶるのやめれ」
クリスは肩を落として頭を前に垂れた。
「あー、もー、めんどくせぇ」
クリスは顔を上げてガーネットをキッと見つめた。
「夫婦生活ってことは、当然子供を作るよな」
「……犯罪よあんなまだ未成年じゃない」
メイリアは怒った。
「ちょっと黙ってくれ。とりあえず最後まで」
「ぶぅ」
「でまぁ、作るよな」
「当然である。わらわとクリスはらぶらぶなのじゃ」
ガーネットは平然と答えた。
「じゃぁ、子供ってどうやって作る」
メイリアに殴られた。痛い。
「このセクハラ成年がぁ」
「……最後まで聞けと。あと普通平手だろう」
いきなり拳は女性としてというか人間としてどうかと思う。
「そ、それはじゃ。愛があれば子供はできるのじゃ」
急に、ガーネットの声のトーンが下がる。
「できねぇよ」
クリスは即座に突っ込んだ。
「うー。そうじゃ。抱き合うとできるのじゃっ」
「こう、立ったままぎゅぎゅーっと」
クリスは腕で自分自身を抱きしめた。
「そうじゃ。そうやってほんわかしているとできるのじゃ」
「だ、そうだ」
クリスは傍らのメイリアに視線を移した。
「だ、そうだ」
「よくわかったわ」
メイリアはガーネットに指を突きつけた。
「抱き合っただけで子供ができるわけがないじゃないっ!」
「そ、そうなのであるか?」
ガーネットは目を大きく見開いた。
「だまされたのじゃ」
クリスはメイリアをひじで突っついた。
「ほれ見たことか」
「うう、今回ばかりは不明を恥じるものよ」
メイリアはしゅんとなった。
「もっと信頼しろよ」
「だってぇ」
クリスがめいりあの方をぽんぽんと叩いていると、ガーネットが口を開いた。
「クリスが毎晩『こうしていれば子供ができるよ』とわらわを抱いているのはでたらめだったのか?」
クリスの腕がかちこんと固まった。
メイリアの肩がぷるぷる震えている。
「……で、誰をどう信じろと?」
「まぁおちつけ、ほらおちつけ。しょうがないんだよガーネットが子供子供って言って納得しねぇから」
「神様。とりあえず先に懺悔しておきます」
メイリアの拳がクリスのみぞおちを綺麗に打ち抜いた。
クリスは呼吸もできずにうずくまっていた。
しばらくしてようやく横隔膜が仮営業を再開した。
「毎回食らうたびに思うんだが腹筋って紙の鎧だよな」
呼吸を乱しまくりながらクリスは言った。
額から冷たい汗がぽたぽた落ちる。
「大丈夫かクリス。暴力女のいうことはあまり気にするでないぞ」
「言葉じゃなくて拳が飛んでくるのが困りもんなんだよ」
「神の罰です」
メイリアが冷たく言った。
「いや、思いっきり殴ったのは人だろう」
クリスは身体を起こした。
腹筋がまだ痛い。
「で、何しに来たんだ」
クリスはメイリアに尋ねた。
「クリスを連れて帰りによ!」
「帰ったってつかまるだけだぞ。冤罪で」
「それは私が何とかしてあげるから。巫女に掛け合って真相を調べてもらうから」
「それで、駄目だったらどうするつもりだ」
「うー。……そんときはいっしょに逃げよう」
「却下だ却下。だいたい何しに戻るかさっぱりわからんぞ、それ」
「私はクリスに元の生活に戻って欲しいのよっ!」
メイリアのまっすぐな視線を、クリスは受け止めれなかった。
目をはずす。
広場では商人たちを囲んで人々がものを見ていた。毛皮と布を物々交換しているのが見えた。ところどころでは銀貨が使われている。村の中では使えなくとも、商人たちとのあいだでは使えるのでとりあえず腐る食料や毛皮を銀貨に換えるのも合理的なのだろう。
「聞いてるの?」
メイリアの耳をつっつく声がクリスに届く。
「俺はもう中央に戻るつもりはないよ」
クリスは誰にともなくつぶやいた。
「なんで?」
「クリスはわらわといっしょにいるのがいいのじゃ」
ガーネットがうれしそうに語った。
「いいから黙ってなさい。ほれ、せっかく客が来たんだからなんか見てこいよ」
「いやじゃ。暴力女を置いてクリスを一人にしては置けぬのじゃ」
「じゃぁ、黙ってなさい。お願いだから」
「むぅ」
ガーネットは不服そうだったがとりあえず口を閉じた。
クリスはまだぴくぴくしている腹をなでさすった。
回復しねぇなぁ。
「クリス、変わったね」
メイリアは不満げに眉をゆがめていた。
「そうか?」
「そーよ。変よ。昔だったら『俺の無実は自分で晴らす』とかいってむちゃやって何とかしたじゃない」
「むぅ、きっと大人になったんだよ」
「それは大人とは言わない」
メイリアはきっぱり言った。
「なんかあったの? 西のほうで」
「いや、別に」
クリスは首を振った。
アーヴィスを斬ったことも、国王殺しの汚名をかぶせられたこともきっかけに過ぎないんだろう。
正義を声高に主張することに耐えられなくなった。ただそれだけのことだろう。
「……まぁいいわ」
クリスの予想に反してメイリアはあっさり追及をやめた。これがいつもなら三日三晩徹底的に追求を食らっている。
で、あることないこと吐かされているのだった。
「じゃぁ、わたししばらくこっちにいるから。よろしくね」
さらりと発せられたその言葉に、クリスはうなずいた。
「な、なにをいうかこの暴力女がっ」
ガーネットがあわてて叫んだ。
そして気が付く。
「いま、なんて?」
「だから、わたしがここにいてクリスの面倒を見てあげる、ってことよ」
クリスは思った。メイリアまで巻き込む気はないと。
「帰れ」
「いやーよ。帰れって言っても近くにテント張ってまた来るから」
「なんでこーメイリアはいっつも無茶するんだよっ!」
クリスはつい怒鳴った。
「だいたい仕事はどうした。神殿長だろう。そっちほっとくわけにもいかんだろう」
「ああ。やめてきた」
メイリアは夕飯の献立でも告げるぐらいにあっさり言った。
「むちゃくちゃだこいつ」
「聖女聖女ってうるさいけどね。まず幼馴染一人助けられないとね。というわけで辞表出してきた上でこっちに来たから」
メイリアは一枚の書類を取り出した。
『ノードアルス北の森における布教および神殿建築のための事前調査を命じる』
辞令だった。巫女のサインまで入った公文書だ。
「いーのかそれで。だいたい、聖女を頼って困っている人が何人もいるんじゃないのか?」
「うん。それはしょうがないよ。そもそも聖女と言ってもあくまでも直接であった人にしか助けることはできないから。治癒とかね」
メイリアは笑った。
それは聖女の微笑というよりも、おてんば娘が親にいたずらを見つかったときの表情だった。
「だから、まず、クリスを助けたいんだよ」
そういわれてしまうと反論できなくなってしまう。
「うん。じゃぁ、いていいぞ」
「反対なのじゃ〜」
ガーネットが声を張り上げた。
「何でだ?」
「う。その、あの。うー、どうしてもなのじゃ!」
「理由になってねぇよ。村の外は危険だろうが」
まぁ、メイリアなら大丈夫だろう気もしなくもないが。そのへんのモンスターが襲ってきても殴り返されるのがオチだ。
外見相応にわがままに暴れるガーネットを抱き寄せ。頭を軽くなでた。
「だいたい考えてみろ。アレだぞ。アレ。目を話したらなにするかわかったもんじゃないぞ」
「むぅ、たしかにいろいろ問題を起こしそうであるのだ」
二人でメイリアをじとーっと見た。
「……あなたたち人の目の前で悪口ですか」
メイリアがむくれた。
「まぁ仕方がなかろう。族長が決めたことじゃ。反対すまい」
「いや、さっきまで反対しまくってただろうが」
さてこれからどうなることやら。クリスはため息をつかずにはいられなかった。
夜になった。
テントの中はクリスのほかにはガーネットとメイリアしかいない。
一人増えてしまった。
二人が正面からにらみ合っているので非常に居心地が悪い。
非常に心臓に来て良くない。たとえると藪の中に短剣持った犯罪者がいて隙を狙われているような。
「外の空気吸ってくる」
クリスが立ち上がろうとしたら両側からバシッと手をつかまれた。
お前ら示し合わせてないか?
「もうちょっと落ち着くがよかろう。汝がここの主であるからしてな」
「逃げる気?」
逃げたいです。
いったい俺が何をしたというんだ二人とも。なんで俺が挟まれなきゃいかんのだ。
しぶしぶクリスは座った。
「さて、そろそろ眠ることにするかのぅ。いずこのどなたかのおかげですっかり疲れてしまったのじゃ」
「そういえば、どこで寝てるの?」
メイリアが尋ねた。
やばい。
非常にやばい。
答えた瞬間に拳が飛んできそうなぐらい危険な質問である。狙ったわけではなかろう。
クリスが目をぱちくりさせていると、不思議そうにメイリアはクリスを見た。
「そういえば最近なんか中央ではやっているもの、ある?」
クリスが露骨に話題を変えようとしたが。
「ほら、汝も一緒に寝るであろう。早く来るがよい」
ガーネットがベッドの上に転がって手招きをした。
クリスの背筋に寒気が走った。
クリスの命が大ピンチ。
「……ほう、人が見てないうちにずいぶん手が早くなったものね」
メイリアさん声が怖いです。
「いや、あれだ。彼女は妹みたいなものだから……」
クリスは引きつった笑いをメイリアに見せたが。
「めおとが一緒に眠るのは当然である。もうすぐ子供もできようぞ」
「って話を被せるなっ。だいたい子供の作り方知らんだろうお前はっ!」
あわててガーネットに突っ込む。
「……ちょっと話聞かせてもらおうかしら? 拳で」
メイリアは指をぼきぼき鳴らした。それ聖女のすることと違うだろう。
「やめてー。まぁ落ち着け。頼むから落ち着け。いやマジで落ち着いてくれ頼むから。作り方わかってたらあんなあっけらかんとするか?普通」
「むー」
なんとか拳は止まった。セーフ。メイリアは眉をひそめてクリスをじと目で見ていた。
「人相悪くなるぞ。聖女様が」
「ほっといてよ。誰のせいだと思っているのよ」
「ほれ、クリスも早く」
ガーネットが手招きをした。
「じゃぁ、私はどこで寝ればいいのかな?」
メイリアは言った。
「そのへんの地べたで寝るがよい」
「おい」
メイリアの声が冷たくなる。拳を構えたのを、クリスは何とか押しとどめる。
「夫婦の仲を邪魔するものは犬に蹴られて死んでしまえと言うではないか」
「それ微妙にぜんぜん違う」
「くっ。やっぱり、あんたとはここで決着をつけないといけないようね」
「なるほど。わらわもそれには同感だ」
「ああもう、ガーネットまで煽るなよ」
クリスはいきなりメイリアを担ぎ上げると、彼女を胸に抱いて歩いた。
「あっ」
メイリアが赤くなった。
メイリアの体は軽かった。あんな暴力的な打撃力なのにうそみたいだ。こういうところはちゃんと女の子している。
お姫様のように、そっとベッドに横たわらせる。ガーネットの横に。
「じゃぁ、二人で寝ろよ。俺がこっちで寝るから」
クリスは二人に告げた。
「は?」
「なんですと?」
なんか毛布の変わりになるのを探して、テントの中を探す。
「いや待て。わらわな夫にそんなことをさせるわけには行かぬ」
「そうよ、なんでこんなつるぺたと一緒に寝ないといけないのよ」
「やかましい。もうじき貴様程度は超えてみせる。まだわらわには未来があるからな」
「将来性だけね」
「もうちょっと仲良くできんのかお前らは」
クリスはため息をついた。
とりあえず防寒具のコートを二つ見つけた。これでもかぶってかまどの前にでも転がってよう。
ベッドの上では二人がひそひそ話をしていた。
何を話しているのやら。
クリスが火の前に座り込むと、ガーネットが声をかけた。
「わが夫よ、ちと来るがよい」
「んぁ? なんかしたのか?」
「そうよ」
メイリアが肯定した。
どうしたんだか。女というのはよくわからんものである。
クリスは首をかしげながらベッドに近づいた。
突然、二人に引っ張り込まれた。
クリスはベッドの上に倒れこんだ。あっさりと仰向けにされて、ベッド中央に寝かされた。
「な、何のまねだ?」
起き上がろうにも左右からがっしり押さえつけられて逃げられない。
「夫を床に寝せるわけにはいかぬのでな。そこで寝るがよい」
「不本意ながら折衷案ってわけよ」
「何だよそれ」
「やむを得ぬ。少々狭いが三人でもぎりぎり何とかはなるであろう」
「というわけで真ん中で寝るの。決定」
「そ、そんな無茶なっ」
「いままでガーネットを抱いて寝ていまさら何を言うのよっ!」
「……で、お前はいいのか?」
「……昔はいっしょに寝たじゃない。何をいまさら」
「拒否権なし」
「ないわ」
「だめじゃ」
即答だった。
「というわけで寝るのだ」
ガーネットが毛布をかけた。
「ごふっ」
顔の上にかぶさった。
クリスは首を振って顔を出す。
「腕を貸すがよい」
ガーネットはいつものようにクリスの腕の上に頭をちょこんと乗っけた。
「ふわぁ。眠いのじゃ」
頭をなでてやるとくすぐったそうに腕に頬ずりをする。
「くーりーす」
反対側からメイリアに引っ張られた。
「こっちも見なさいよ。やけるじゃない」
メイリアはクリスの腕を勝手に取って枕にした。
「お、おい」
両側から腕をぴーんと引っ張られる形になってちょっと苦しい。
「へへ。何年ぶりかしらね」
「おいおい。法衣がしわになるぞ」
「まぁたまにはいいわ。予備あるし」
メイリアはいたずらっ娘みたいに笑った。
数年ぶりかもしれない。
「でもよかった。クリスが幸せそうで」
「そうか?」
そんなことを言われるとは意外だった。
「ん。ちょっと悔しいかな」
「何が」
「秘密」
そういうとメイリアも黙ってしまった。
クリスは身動き取れない状態で、天井を見ていた。
両腕に二人の女の子の体重を感じながら、木のはせる音を聞いていた。
寝返りが打てねぇ。
クリスは目を覚ました。
囲炉裏の火はまだ燃えていて、ぱちぱち音を立てている。
両腕に頭の重みを感じる。
痺れてる。
右側からガーネットがいつものように抱きついてる。
左を見るとメイリアがすやすやと寝息を立てている。
胸の脇がクリスのわき腹に当たっている。
動く隙なし。
「うう」
クリスはうめいた。
甲高い笛の音がかすかに聞こえた。
「んにゃ?」
ガーネットがそれに反応して起き上がり、目をぱちくりさせた。
「敵か?」
もう一度笛が鳴った。
「ん? どうしたの?」
メイリアがもぞもぞと起き上がった。
両腕が自由になったクリスは状態を起こすと腕を振った。
結構痺れる。
寝返りが打てない分腰が痛い。
「先に行くぞっ」
ガーネットは傍らに置いておいた槍を手に取ると、テントから飛び出した。
「どうしたの?」
寝ぼけているらしい。
目をとろんとさせてクリスを見ていた。
「敵襲、ってな」
夢の中でまどろんでいると、焦げくささが鼻を突いた。
妙にリアルな夢である。
匂いはどんどん強くなってきた。というか煙?
「うわー。またやってしまったのじゃ」
ガーネットの声までしている。五感を抑えた響く贅沢な夢である。これであと味覚までそろったら完璧だ。
メイリアの手料理食いたいなぁ。
「うう、さっぱりわからんのじゃ。えーい」
うるさいガーネット。
クリスが目を薄く開けると、いきなり痛みが走った。
「ぐぉっ」
涙が出てくる。
なんかやばい。目をぱちぱちさせながら無理矢理開いた。テントの中はに霧がかかったみたいにぼんやりとしていた。煙のせいで。
「火事かよっ」
クリスはあわてて体を起こした。体の上からかけていた毛布代わりの毛皮がずり落ちた。
煙の発生源は囲炉裏だった。ガーネットがそこでしゃがんで何かを焼いていた。もくもくと煙が出ている。
囲炉裏の火は異常に強かった。煌々と鍛冶屋の炉のごとく燃え上がり、ガーネットの髪を赤く染めている。
クリスはとりあえず入り口まで這うようにして進み、布の隙間から顔を出した。
外は清浄だった。
こんなに空気が旨いとは知らなかった。
顔を切るような寒さだが、それがいまは心地よかった。
クリスの首のすぐ上から煙がテント外に逃げていく。
とりあえず、入り口の布を思いっきり捲り上げて空気口を作ると、クリスは囲炉裏で炎と格闘している自称嫁に尋ねた。
「げほ。なにしてるんだ?」
「朝ごはん」
ガーネットは振り向きもせずに答えた。
手には串。それに刺さっているのはかつて肉だったもの。でかい。それを直接火にかけてはいるが。
「焦げてるぞ、どう見ても」
どうもても真っ黒である。
「ああっ。話しかけるでない気が散る失敗してしまう」
「もう焦げてるってば」
「あー。なんで上手くいかぬのじゃ」
皿の上には串刺しにされた炭の塊が並んでいた。無駄にでかい。
だいぶ煙が晴れてマシになった。
クリスは手で煙を払いながらガーネットの後ろにしゃがみこんだ。
「もったいないなぁ。鹿さん、無念だって化けてでるぞそのうち」
「うるさい黙れ痴れ者がっ」
「まぁがんばれ。自分で食事作れるようになるのもいい訓練だ」
クリスはガーネットの頭をなでた。
「うう、子供扱いするでない」
ガーネットは頭を振った。
「実際子供じゃん」
「失礼なっ」
クリスはガーネットを抱きかかえてなでなでした。
猫みたいにやわらかくて暖かかった。
最初は暴れていたが、しばらくするとクリスの腕の中にすっぽりと入っておとなしくなった。
ひとしきり遊んだところで聞いてみる。
「で、残りはまだあるのか?」
「これが最後の一切れじゃ」
ガーネットはうなだれた。
「そうか」
クリスは皿の上の肉? に串を刺して眼前に持ってきた。
「うう、せっかく汝のために用意したのに」
そう言われると、自分がなんか悪いことをしたみたいではないか。
「すまない。今日もカナンからもらってくる事にするのじゃ。はぁ」
クリスはナイフを取ると、丸こげ肉の炭化した部分を豪快にがりがり削った。
皿の上に炭が落ちる。
白い部分には焦げ臭い匂いがついているだろうから、一緒にそぎ落とす。
そこから、ほんの一切ればかりだが赤く綺麗に焼きあがったお肉が出てきた。
「あむっ」
肉を贅沢にも丸丸潰して作ったごちそうだ。肉汁が中からあふれてきて熱々で旨い。
「……結構いいな」
「本当か?」
ガーネットは目を大きく開けて笑顔でクリスを見た。
「どうじゃ。すごいであろう」
「いちいち削るのめんどいけどな」
「うう、そういうことは言うでない」
クリスはもうひとつ手にとってがりがり削った。露出したうまく焼けた肉を、今度はガーネットに向けた」
「ほれ」
「ん。……わらわに食えと?」
ガーネットはなぜか赤くなった。
「朝食だろう? 二人の分なんだろう?」
「うむ、その通りだが。ありがたく頂くことにする。あ、あーん」
首まで赤く染めて口を開く。クリスの差し出した肉をぱくっと食べた。
ゆっくりかんで飲み込んだ。
「むぅ。話には聞いていたが、結構恥ずかしいものであるな」
「? 何のことだ?」
なんかまたオババに変なことでも吹き込まれたのか。
「新婚夫婦というものはそういうものではないのか? なんでも『あーん』すると相手が食べさせてくれるという伝統があるとか」
「いや、知識偏りすぎだよそれは」
クリスはがっくりと肩を落とした。
「わらわもやるのじゃ。ほれ。あーん」
「せめて炭落とせよっ! 腹壊すわっ」
クリスは集落のまわりにある樹で懸垂をしていた。
雪の中、商人たちがそりを引いてきたのが見えた。
それはさておき、懸垂を続ける。
枝につかまっているのではない。
指先に魔力をこめて、手袋越しに枝に張り付いているのである。
魔力を集中させる、奥義である。
しばらくしたら、声を掛けられた。
「おーい。旦那」
下を見るとガーネットがクリスを見上げていた。
「……それ微妙に間違ってるぞ」
「むぅ。じゃぁなんと呼べば」
「旦那様とかご主人様とかマスターとか」
「……それはメイドとかというものじゃないのか?」
「気にするな。ところでなんかしたのか?」
危険なので話題を変えてみる。
「商人が来た」
「ああ、見えた」
「族長たる汝が挨拶してこないといかんぞ」
「お前行ってこいよ」
クリスはだるそうに傍らのガーネットに答えた。
「仕事であるぞ」
「……あんまりノードアルスの連中に知らせたくないんだよ。俺が族長扱いされているとか言うと変な妄想抱くし」
「むっ。……よなよな別の女を連れ込んでしゅちにくりんのあびきょーかんをしてるとか?」
「俺を何だと。大体意味わかって言ってるのか?」
「じつはあんまりよくわからん」
クリスはため息をついた。
「つーわけで、ガーネット、頼む」
「わかった。いたしかたあるまい」
ガーネットはうなずいた。
しかしこう、上から見ると胸ぺったんこでつまらん。
これがメイリアだったら谷間が見えて、そのあと見つかって樹を蹴られて落っこちる。
つるんでよかったかもしれない。
「どうした? 頭ひねって。器用な奴じゃな」
「なんでもない」
じゃぁ行ってくるぞよ。と告げてガーネットは行った。
クリスは懸垂を再開した。
指先で固定しているので、特に手首と指関節に負担がかかる。
「むー。やっぱり邪道かのぅ」
本来は壁や天井を掃除するときの技法である。
筋力トレーニングとしてやるのは癖がついてよくない、とは言われたものの。
ここは壁がないからなぁ。布だし。
上下運動しながら遠くを見ると、中央広場に馬に引かれたそりが入っていくのが見えた。
そういえば最近の情勢とか知らないな。
それとなく探ってくるか。
クリスが指先の魔力集中を解くとそのまま落下。雪の上にふわりと着地した。
「さて、目立ちたくはないんだよなぁ」
クリスの足元は新雪だったにもかかわらず、落下しても足が埋まったりせずに足跡ひとつついてなかった。
もっとも、そこから続く足跡は普通についていたのだが。
広場は人が集まってごちゃごちゃしていた。
外からの珍しい客人である。商人がやってきたときはいつもこんなもんだが微妙に様子が違っていた。
遠巻きにして中央を眺めている。
クリスがひょいっ、と人をかき分けて中に入った。中央では二人の女性が対峙していた。
赤い槍を持った赤毛の女の子と、白い法衣に身を包んだ女性である。
「メイリアまた来たのか……」
クリスは自分の幼馴染で婚約者の名前をつぶやいた。
いいかげん簀巻きにされたので懲りて二度とこないかと思ったのだが。
「とっとと帰るが良いのじゃ」
ガーネットはメイリアの正面に立っていた。
左手でメイリアを指差すと、薄い胸を張ってそう告げた。
「あんたなんかに命令される筋合いはないわよっ。それより、なんならここでこのあいだの決着付ける?」
「クリスの勝ちはわらわの勝ちじゃ」
「うるさいっ。この臆病者がっ」
あんまり聖女らしからぬ物言いである。
メイリアの背後で商人たちが青くなっていた。そりゃまぁ、村人を敵に回したら、最悪メイリアともども袋たたきだからな。
ほっとくと危険なのでクリスはのこのこと輪の中に歩み出た。
「まぁ落ち着けよ」
「おおっ、クリスや、昔の女が来たぞ」
そう言われるとクリスがなんかひどい男みたいに聞こえる。
「誰が昔の女よっ」
「クリスはわらわと結婚したのじゃ」
「は?」
メイリアはぽかんと口を開けた。
「わらわとクリスは『もえもえのしんこんせいかつ』なのじゃ。邪魔をするやつは犬に食われて死んでしまうのだ」
ガーネット、それぜんぜん違う。
メイリアはクリスを見るときっとにらみ付けた。
「いっしょに寝てるだけじゃなくついに手まで出してっ!」
一瞬で間合いをつめ、顔めがけて殴りかかった。
「待てっ、そんなでたらめ信じるなって言ってるだろういつもっ」
クリスは半歩下がりながら手で拳を払った。
「この浮気もんがぁ」
「話聞けよ〜」
メイリアの連打をクリスは必死に払った。
右のハイキックを両腕でガード。
腕が痺れ、衝撃が肩の後方へ抜ける。
足首まである純白のロングスカートがまくれ上がり、太股まで覆うハイソックスが吊り紐で固定されているのまであらわになった。
白づくしだ。
「……こっち側の人にはばっちり見えてるぞ」
「ばかぁ」
足を戻して逆の左ローを受けれずにクリスは転んだ。
蹴りというより足を引っ掛けて転がされたという感じだ。
「見るな見せるなばかぁ」
「……じゃぁハイキックやめるかズボンにしろと」
「法衣はスカートしかないわよっ」
クリスは尻を払いながら起き上がった。
「むー」
「なによ。文句ある?」
「毎回思うんだななんで冤罪で毎回毎回殴られて蹴られなきゃあかんのかとちょっと世の不公平さに恨みつらみを述べてみたいものです」
「やめなさい。神様が見ていらっしゃいますわよ」
「自分に都合がいいときだけ神官ぶるのやめれ」
クリスは肩を落として頭を前に垂れた。
「あー、もー、めんどくせぇ」
クリスは顔を上げてガーネットをキッと見つめた。
「夫婦生活ってことは、当然子供を作るよな」
「……犯罪よあんなまだ未成年じゃない」
メイリアは怒った。
「ちょっと黙ってくれ。とりあえず最後まで」
「ぶぅ」
「でまぁ、作るよな」
「当然である。わらわとクリスはらぶらぶなのじゃ」
ガーネットは平然と答えた。
「じゃぁ、子供ってどうやって作る」
メイリアに殴られた。痛い。
「このセクハラ成年がぁ」
「……最後まで聞けと。あと普通平手だろう」
いきなり拳は女性としてというか人間としてどうかと思う。
「そ、それはじゃ。愛があれば子供はできるのじゃ」
急に、ガーネットの声のトーンが下がる。
「できねぇよ」
クリスは即座に突っ込んだ。
「うー。そうじゃ。抱き合うとできるのじゃっ」
「こう、立ったままぎゅぎゅーっと」
クリスは腕で自分自身を抱きしめた。
「そうじゃ。そうやってほんわかしているとできるのじゃ」
「だ、そうだ」
クリスは傍らのメイリアに視線を移した。
「だ、そうだ」
「よくわかったわ」
メイリアはガーネットに指を突きつけた。
「抱き合っただけで子供ができるわけがないじゃないっ!」
「そ、そうなのであるか?」
ガーネットは目を大きく見開いた。
「だまされたのじゃ」
クリスはメイリアをひじで突っついた。
「ほれ見たことか」
「うう、今回ばかりは不明を恥じるものよ」
メイリアはしゅんとなった。
「もっと信頼しろよ」
「だってぇ」
クリスがめいりあの方をぽんぽんと叩いていると、ガーネットが口を開いた。
「クリスが毎晩『こうしていれば子供ができるよ』とわらわを抱いているのはでたらめだったのか?」
クリスの腕がかちこんと固まった。
メイリアの肩がぷるぷる震えている。
「……で、誰をどう信じろと?」
「まぁおちつけ、ほらおちつけ。しょうがないんだよガーネットが子供子供って言って納得しねぇから」
「神様。とりあえず先に懺悔しておきます」
メイリアの拳がクリスのみぞおちを綺麗に打ち抜いた。
クリスは呼吸もできずにうずくまっていた。
しばらくしてようやく横隔膜が仮営業を再開した。
「毎回食らうたびに思うんだが腹筋って紙の鎧だよな」
呼吸を乱しまくりながらクリスは言った。
額から冷たい汗がぽたぽた落ちる。
「大丈夫かクリス。暴力女のいうことはあまり気にするでないぞ」
「言葉じゃなくて拳が飛んでくるのが困りもんなんだよ」
「神の罰です」
メイリアが冷たく言った。
「いや、思いっきり殴ったのは人だろう」
クリスは身体を起こした。
腹筋がまだ痛い。
「で、何しに来たんだ」
クリスはメイリアに尋ねた。
「クリスを連れて帰りによ!」
「帰ったってつかまるだけだぞ。冤罪で」
「それは私が何とかしてあげるから。巫女に掛け合って真相を調べてもらうから」
「それで、駄目だったらどうするつもりだ」
「うー。……そんときはいっしょに逃げよう」
「却下だ却下。だいたい何しに戻るかさっぱりわからんぞ、それ」
「私はクリスに元の生活に戻って欲しいのよっ!」
メイリアのまっすぐな視線を、クリスは受け止めれなかった。
目をはずす。
広場では商人たちを囲んで人々がものを見ていた。毛皮と布を物々交換しているのが見えた。ところどころでは銀貨が使われている。村の中では使えなくとも、商人たちとのあいだでは使えるのでとりあえず腐る食料や毛皮を銀貨に換えるのも合理的なのだろう。
「聞いてるの?」
メイリアの耳をつっつく声がクリスに届く。
「俺はもう中央に戻るつもりはないよ」
クリスは誰にともなくつぶやいた。
「なんで?」
「クリスはわらわといっしょにいるのがいいのじゃ」
ガーネットがうれしそうに語った。
「いいから黙ってなさい。ほれ、せっかく客が来たんだからなんか見てこいよ」
「いやじゃ。暴力女を置いてクリスを一人にしては置けぬのじゃ」
「じゃぁ、黙ってなさい。お願いだから」
「むぅ」
ガーネットは不服そうだったがとりあえず口を閉じた。
クリスはまだぴくぴくしている腹をなでさすった。
回復しねぇなぁ。
「クリス、変わったね」
メイリアは不満げに眉をゆがめていた。
「そうか?」
「そーよ。変よ。昔だったら『俺の無実は自分で晴らす』とかいってむちゃやって何とかしたじゃない」
「むぅ、きっと大人になったんだよ」
「それは大人とは言わない」
メイリアはきっぱり言った。
「なんかあったの? 西のほうで」
「いや、別に」
クリスは首を振った。
アーヴィスを斬ったことも、国王殺しの汚名をかぶせられたこともきっかけに過ぎないんだろう。
正義を声高に主張することに耐えられなくなった。ただそれだけのことだろう。
「……まぁいいわ」
クリスの予想に反してメイリアはあっさり追及をやめた。これがいつもなら三日三晩徹底的に追求を食らっている。
で、あることないこと吐かされているのだった。
「じゃぁ、わたししばらくこっちにいるから。よろしくね」
さらりと発せられたその言葉に、クリスはうなずいた。
「な、なにをいうかこの暴力女がっ」
ガーネットがあわてて叫んだ。
そして気が付く。
「いま、なんて?」
「だから、わたしがここにいてクリスの面倒を見てあげる、ってことよ」
クリスは思った。メイリアまで巻き込む気はないと。
「帰れ」
「いやーよ。帰れって言っても近くにテント張ってまた来るから」
「なんでこーメイリアはいっつも無茶するんだよっ!」
クリスはつい怒鳴った。
「だいたい仕事はどうした。神殿長だろう。そっちほっとくわけにもいかんだろう」
「ああ。やめてきた」
メイリアは夕飯の献立でも告げるぐらいにあっさり言った。
「むちゃくちゃだこいつ」
「聖女聖女ってうるさいけどね。まず幼馴染一人助けられないとね。というわけで辞表出してきた上でこっちに来たから」
メイリアは一枚の書類を取り出した。
『ノードアルス北の森における布教および神殿建築のための事前調査を命じる』
辞令だった。巫女のサインまで入った公文書だ。
「いーのかそれで。だいたい、聖女を頼って困っている人が何人もいるんじゃないのか?」
「うん。それはしょうがないよ。そもそも聖女と言ってもあくまでも直接であった人にしか助けることはできないから。治癒とかね」
メイリアは笑った。
それは聖女の微笑というよりも、おてんば娘が親にいたずらを見つかったときの表情だった。
「だから、まず、クリスを助けたいんだよ」
そういわれてしまうと反論できなくなってしまう。
「うん。じゃぁ、いていいぞ」
「反対なのじゃ〜」
ガーネットが声を張り上げた。
「何でだ?」
「う。その、あの。うー、どうしてもなのじゃ!」
「理由になってねぇよ。村の外は危険だろうが」
まぁ、メイリアなら大丈夫だろう気もしなくもないが。そのへんのモンスターが襲ってきても殴り返されるのがオチだ。
外見相応にわがままに暴れるガーネットを抱き寄せ。頭を軽くなでた。
「だいたい考えてみろ。アレだぞ。アレ。目を話したらなにするかわかったもんじゃないぞ」
「むぅ、たしかにいろいろ問題を起こしそうであるのだ」
二人でメイリアをじとーっと見た。
「……あなたたち人の目の前で悪口ですか」
メイリアがむくれた。
「まぁ仕方がなかろう。族長が決めたことじゃ。反対すまい」
「いや、さっきまで反対しまくってただろうが」
さてこれからどうなることやら。クリスはため息をつかずにはいられなかった。
夜になった。
テントの中はクリスのほかにはガーネットとメイリアしかいない。
一人増えてしまった。
二人が正面からにらみ合っているので非常に居心地が悪い。
非常に心臓に来て良くない。たとえると藪の中に短剣持った犯罪者がいて隙を狙われているような。
「外の空気吸ってくる」
クリスが立ち上がろうとしたら両側からバシッと手をつかまれた。
お前ら示し合わせてないか?
「もうちょっと落ち着くがよかろう。汝がここの主であるからしてな」
「逃げる気?」
逃げたいです。
いったい俺が何をしたというんだ二人とも。なんで俺が挟まれなきゃいかんのだ。
しぶしぶクリスは座った。
「さて、そろそろ眠ることにするかのぅ。いずこのどなたかのおかげですっかり疲れてしまったのじゃ」
「そういえば、どこで寝てるの?」
メイリアが尋ねた。
やばい。
非常にやばい。
答えた瞬間に拳が飛んできそうなぐらい危険な質問である。狙ったわけではなかろう。
クリスが目をぱちくりさせていると、不思議そうにメイリアはクリスを見た。
「そういえば最近なんか中央ではやっているもの、ある?」
クリスが露骨に話題を変えようとしたが。
「ほら、汝も一緒に寝るであろう。早く来るがよい」
ガーネットがベッドの上に転がって手招きをした。
クリスの背筋に寒気が走った。
クリスの命が大ピンチ。
「……ほう、人が見てないうちにずいぶん手が早くなったものね」
メイリアさん声が怖いです。
「いや、あれだ。彼女は妹みたいなものだから……」
クリスは引きつった笑いをメイリアに見せたが。
「めおとが一緒に眠るのは当然である。もうすぐ子供もできようぞ」
「って話を被せるなっ。だいたい子供の作り方知らんだろうお前はっ!」
あわててガーネットに突っ込む。
「……ちょっと話聞かせてもらおうかしら? 拳で」
メイリアは指をぼきぼき鳴らした。それ聖女のすることと違うだろう。
「やめてー。まぁ落ち着け。頼むから落ち着け。いやマジで落ち着いてくれ頼むから。作り方わかってたらあんなあっけらかんとするか?普通」
「むー」
なんとか拳は止まった。セーフ。メイリアは眉をひそめてクリスをじと目で見ていた。
「人相悪くなるぞ。聖女様が」
「ほっといてよ。誰のせいだと思っているのよ」
「ほれ、クリスも早く」
ガーネットが手招きをした。
「じゃぁ、私はどこで寝ればいいのかな?」
メイリアは言った。
「そのへんの地べたで寝るがよい」
「おい」
メイリアの声が冷たくなる。拳を構えたのを、クリスは何とか押しとどめる。
「夫婦の仲を邪魔するものは犬に蹴られて死んでしまえと言うではないか」
「それ微妙にぜんぜん違う」
「くっ。やっぱり、あんたとはここで決着をつけないといけないようね」
「なるほど。わらわもそれには同感だ」
「ああもう、ガーネットまで煽るなよ」
クリスはいきなりメイリアを担ぎ上げると、彼女を胸に抱いて歩いた。
「あっ」
メイリアが赤くなった。
メイリアの体は軽かった。あんな暴力的な打撃力なのにうそみたいだ。こういうところはちゃんと女の子している。
お姫様のように、そっとベッドに横たわらせる。ガーネットの横に。
「じゃぁ、二人で寝ろよ。俺がこっちで寝るから」
クリスは二人に告げた。
「は?」
「なんですと?」
なんか毛布の変わりになるのを探して、テントの中を探す。
「いや待て。わらわな夫にそんなことをさせるわけには行かぬ」
「そうよ、なんでこんなつるぺたと一緒に寝ないといけないのよ」
「やかましい。もうじき貴様程度は超えてみせる。まだわらわには未来があるからな」
「将来性だけね」
「もうちょっと仲良くできんのかお前らは」
クリスはため息をついた。
とりあえず防寒具のコートを二つ見つけた。これでもかぶってかまどの前にでも転がってよう。
ベッドの上では二人がひそひそ話をしていた。
何を話しているのやら。
クリスが火の前に座り込むと、ガーネットが声をかけた。
「わが夫よ、ちと来るがよい」
「んぁ? なんかしたのか?」
「そうよ」
メイリアが肯定した。
どうしたんだか。女というのはよくわからんものである。
クリスは首をかしげながらベッドに近づいた。
突然、二人に引っ張り込まれた。
クリスはベッドの上に倒れこんだ。あっさりと仰向けにされて、ベッド中央に寝かされた。
「な、何のまねだ?」
起き上がろうにも左右からがっしり押さえつけられて逃げられない。
「夫を床に寝せるわけにはいかぬのでな。そこで寝るがよい」
「不本意ながら折衷案ってわけよ」
「何だよそれ」
「やむを得ぬ。少々狭いが三人でもぎりぎり何とかはなるであろう」
「というわけで真ん中で寝るの。決定」
「そ、そんな無茶なっ」
「いままでガーネットを抱いて寝ていまさら何を言うのよっ!」
「……で、お前はいいのか?」
「……昔はいっしょに寝たじゃない。何をいまさら」
「拒否権なし」
「ないわ」
「だめじゃ」
即答だった。
「というわけで寝るのだ」
ガーネットが毛布をかけた。
「ごふっ」
顔の上にかぶさった。
クリスは首を振って顔を出す。
「腕を貸すがよい」
ガーネットはいつものようにクリスの腕の上に頭をちょこんと乗っけた。
「ふわぁ。眠いのじゃ」
頭をなでてやるとくすぐったそうに腕に頬ずりをする。
「くーりーす」
反対側からメイリアに引っ張られた。
「こっちも見なさいよ。やけるじゃない」
メイリアはクリスの腕を勝手に取って枕にした。
「お、おい」
両側から腕をぴーんと引っ張られる形になってちょっと苦しい。
「へへ。何年ぶりかしらね」
「おいおい。法衣がしわになるぞ」
「まぁたまにはいいわ。予備あるし」
メイリアはいたずらっ娘みたいに笑った。
数年ぶりかもしれない。
「でもよかった。クリスが幸せそうで」
「そうか?」
そんなことを言われるとは意外だった。
「ん。ちょっと悔しいかな」
「何が」
「秘密」
そういうとメイリアも黙ってしまった。
クリスは身動き取れない状態で、天井を見ていた。
両腕に二人の女の子の体重を感じながら、木のはせる音を聞いていた。
寝返りが打てねぇ。
クリスは目を覚ました。
囲炉裏の火はまだ燃えていて、ぱちぱち音を立てている。
両腕に頭の重みを感じる。
痺れてる。
右側からガーネットがいつものように抱きついてる。
左を見るとメイリアがすやすやと寝息を立てている。
胸の脇がクリスのわき腹に当たっている。
動く隙なし。
「うう」
クリスはうめいた。
甲高い笛の音がかすかに聞こえた。
「んにゃ?」
ガーネットがそれに反応して起き上がり、目をぱちくりさせた。
「敵か?」
もう一度笛が鳴った。
「ん? どうしたの?」
メイリアがもぞもぞと起き上がった。
両腕が自由になったクリスは状態を起こすと腕を振った。
結構痺れる。
寝返りが打てない分腰が痛い。
「先に行くぞっ」
ガーネットは傍らに置いておいた槍を手に取ると、テントから飛び出した。
「どうしたの?」
寝ぼけているらしい。
目をとろんとさせてクリスを見ていた。
「敵襲、ってな」
「敵? なにそれ」
「モンスターだよ。ここどこだと思ってるんだ。辺境だぞ。街中じゃねぇよ」
クリスは靴を履くと鞘を腰に帯びた。
刀身のない剣なのでお守りのようなものだ。
「ああ、待って。わたしも行くってば」
クリスはメイリアを待ってテントを飛び出した。
たいまつの明かりが北に向かって流れている。
戦士たちがたいまつを左手に掲げて走っているのだ。
それに沿うようにクリスたちは村の北端目指して走った。
テントの間を縫うように進む。
そこを抜けて村の外へ出る。
森まで多少の距離がある。
その開けたところに、ガーネットを先頭に戦士たちが剣を振るっていた。
地面に投げ捨てられたたいまつと、戦士たちの剣や槍に宿る炎だけが明かりだ。
戦っているのは銀色の狼の群れ。
「銀狼ギルトヴァーンっ。何でこんな人がいるところに?」
メイリアが驚きの声を上げた。
「レアなのか?」
クリスは声で尋ねながら、視線は周囲を見回していた。
「……じゅぎょーでやってでしょうが。精霊種。山奥にいて人里には出てこない。領域を侵すものにはわりと容赦しないいっぴきおおかみ。って習ったでしょうが」
「群れてるぞ」
「言葉のあやよっ。でも、何でここにいるのよ」
「狼さんにでも聞いてくれよ」
聞いたところで何の解決にもならないと思うが。
影が飛んできた。
銀狼が跳躍してクリスめがけて口をあけた。
クリスは動かない。
銀狼がクリスをぱくりと噛み付こうとしたそのとき、メイリアが動いた。
空中で銀狼を殴り飛ばした。横から。
「邪魔っ」
地面をころころ転がって動かなくなった。気絶したっぽい。
「お見事」
「あんたも邪魔っ。少しはよけなさい」
みたところこっち優勢っぽい。
ガーネットの火槍に貫かれて狼が一匹火の粉になった。
「苦戦しているところから一匹ずつ潰すぞ」
「了解」
膠着状態のところをメイリアが後ろから狼を蹴る殴る蹴る蹴る蹴る。
「うー。なんか動物虐待している気分」
「まぁ虐待なのは間違いないんだが」
「ってあんたも仕事しなさいよ」
メイリアの後ろからクリスはロープを狼の首めがけて投げた。
銀狼に引っかかった。
銀狼は首を引っ張られてクリスを青い目で見た。
「……」
銀狼が飛び掛ってきた。
ロープが緩んで地面に落ちる。
よける暇なし。
とがった牙の奥に赤い喉元が見えた。
クリスは一か八か口のかなに手を突っ込んでつかんだ。
銀狼の舌を。
そして、水を入れたバケツを振り回して「落ちないぞ〜水」と遊ぶ要領で狼をぶん回した。
そのまま投げ飛ばす。
「無茶するわね。腰の剣はなによ」
「割と飾りだ」
クリスは答えながらせっせと口を縛った。
ついでに足も。
「大丈夫ですか?」
メイリアは営業スマイルでかまれて怪我をした人の腕に触れた。
光翼を展開する。
メイリアの手に集まった光が傷口に溶け込むように流れていく。それにあわせて傷が見る見るうちにふさがっていった。
「これで大丈夫ですよ」
「フェニーラ神殿もよろしく」
クリスはぼそりと言った。
「そこ、茶々入れない」
振り向いてメイリアがマジ怒りしていた。
「なんとかなったようだなぁ」
向こうを見るとガーネットが逃げる銀狼を追いかけていた。そりゃ逃げたくもなるな。
銀狼は森へと逃げていく。
追いかけるガーネットの足が止まった。
「ん?」
風向きが変わった。
北から吹き付けるような冷気がやってきた。
巨大な影が現れた。
黒き森の奥から、銀狼が現れた。馬に乗った人間の背よりも高い位置に頭がある。
またでっかいのかよ。
「なんで辺境の生物はみんなでかいんだよ。人間以外」
「辺境だからじゃないの? 街中で猫がでかかったら困るし」
そういう問題ではない。
「猫だったらかわいいじゃないか」
「うーん。じゃれつかれて城とかぽろりと折れそうだよねぇ。見張り塔とか」
すごいファンシーでシュールな光景を思い浮かべてしまい、クリスは首を振った。
とりあえず目の前に意識を戻す。
ガーネットが銀狼の前に立った。
ガーネットがちっこく見えた。
「おぬしがなにを考えておられるのかはわからん。だか、この先通すわけにはいかんのじゃ」
銀狼は声も上げずに少女を見下ろす。
大木のように静かにそこにいた。
銀狼は森の精霊。そこにあるのが自然なごとく森と調和していた。
風に合わせて銀の毛皮が波打つ。
「高く売れそうよね」
「いやそこ問題じゃねぇよ」
突っ込んでふと思った。
メイリアや師匠の戦闘時に雰囲気が似てると思った。構えもせず周りと調和して静かにそこにある。
いやな予感がする。
クリスは柄に指を当てていつでも抜けるようにした。
銀狼の姿が消えた。
「なっ」
銀矢のごとき踏み込みで、一瞬にしてガーネットの眼前に現れた。
口を大きく開けて丸ごとぱくり。
閉じられる口の中に、一本の光が走った。
それはかすかではあるが確かな輝きだ。クリスの剣が銀狼の口内に飛び込み。
爆発音がした。
ガーネットを飲み込まんとする口が、クリスの剣を縦に挟み込んで一度止まった。
夜の囲炉裏のそばでは、目を凝らしてみないと見えない光の刀身が、煌々ときらめきながらはじけ飛ぶ。
一拍遅れて再びぱくりとせんと口が動く。
虚を疲れて放心しているガーネットを抱きかかえて横に飛んだ。
銀狼の口がガーネットがさっきまでいた空間をくわえこんだ。
その顔の横に、飛び込んできたメイリアの拳が飛んだ。
白い拳。聖女の無駄にでかい魔力がこめられた一撃だ。本来なら怪我人の治療のために髪から与えられた力を容赦なく打撃力に代えて銀狼の頬を殴った。
ずん、と重い音が響いた。
反動で軽く顔が横にずれたものの、銀狼は平然としていた。
「……きーちゃいないか」
クリスとガーネットはころころしていたが、すばやく起き上がった。
「な、な、なんじゃいったい。早くてぜんぜん見えなかったぞ」
「人間にはまだまだわからない自然の英知はいっぱいあるのだ」
クリスたちは銀狼の動きを見ていた。
隙がない。もともとの体格差の上に妙にどっしり感がある。
崩す手が見つからない。
銀狼は首を上げて天を見た。
そして吼えた。
「あおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーん」
風が鳴いた。吹き付ける北風がクリスたちを打った。
葉が風にあおられて森がざわめいた。
声そのものが、心臓を圧迫してくる。
声がやんだ。
銀狼はクリスたちに背を向けると森へと帰っていった。
銀色の影が森の奥へ消えるのを見やってクリスはつぶやいた。
「勝った気はしないな」
「なにをいう。村を守ったのじゃ。立派な勝利である」
ガーネットはクリスにそう告げた。
「むぅ」
そういわれてみればたしかにそうかもしれない。
「はいはい〜。怪我した人は並んで〜一列」
向こうではメイリアが営業スマイルで治癒魔法をかけている。
「また来るんだろうなぁ。はぁ」
「しかし、なぜこんな麓まで降りてきているのだあやつは」
クリスはガーネットを見やった。
彼女までそう言うか。クリスはさっきメイリアと交わした話を思い返す。
『……じゅぎょーでやってでしょうが。精霊種。山奥にいて人里には出てこない。領域を侵すものにはわりと容赦しないいっぴきおおかみ。って習ったでしょうが』
こっちまで降りてくるはずもない。
「レア?」
「少なくとも今までに聞いたことはないのじゃ」
となると、ひとつ疑問が残る。
「どうして銀狼ギルトヴァーン……だっけ? はこっちに来たんだ?」
「わらわにはわからぬ」
原因がわかれば、何か手が打てるかもしれない。
それを解決すれば銀狼は帰っていってくれるかもしれない。
とはいえ。
「調べたいんだが。どうやって調べるんだ?」
「直接行くしかあるまい。だがな。行ったところで何かわかるかどうかはわからぬぞよ」
そーなんだよなぁ。
とりあえず狼の襲撃に備えて策でも練るか。
死人が出なくて良かった。クリスは思った。
(朝のラブラブごたごた。着替えを見たり見なかったり)
クリスが男たちといっしょに溝を掘っていると、ガーネットがやってきた。
上から見下ろしてくる。
細い太股が見えた。
「なにをやっているのじゃ?」
「堀だよ、堀。溝を掘って水を流すんだよ」
シャベルで土を脇にすくい上げる。
「銀狼が来ないようにであるか?」
「うん。渡ってくるところを弓で撃つのだ」
「むぅ。なかなか卑怯な作戦であるのじゃ。敵にはまわしとうないものだ」
「戦術といえ」
クリスはちょっとむかついた。
「暴力女が待ってるぞ」
「ん? ああ、もう準備できたか」
「まったく。なぜわらわがでか乳のために伝言役をやらねばならぬのだ」
「ああ、すまん、あとよろしくたのむ。任せたぞ」
クリスは男たちに挨拶するとひょいと飛び上がって溝から出た。
ガーネットと並んで歩く。
「まったく、せっかくの新婚生活じゃというのに。なにが悲しくて別の女を連れ込まれねばならぬのじゃ」
「そんなに怒るなよ」
「うう、納得がいかないのである」
「ガーネットもこー、結婚にロマンを感じてたりするのか?」
「うっ。それは当たり前のじゃ。女であるならな」
どっちかというと半ズボンはいて野山を駆けずり回っているのがあっている少女と「女」という言葉はちょっと親和性が低いと思う。
「何か、例によって変なことでも考えておるか?」
クリスはあわてて首を振った。
「まったく。平和なときはぽわんとしている男であるな」
「ほっといてくれよ」
なんで自分より年下の女の子にそんなことを言われねばならんのだ。
「怒ったであるか? 別に責めているわけではない。いざというときには頼りになるゆえ、日ごろ少々役に立たなくともわらわが面倒を見てやるゆえ」
「飯つくったり洗濯するのは俺だけどな」
「じきに覚えるのだっ。楽しみに待つが良いぞ」
「へいへい」
「クリスは……あの女が好きなのか?」
「うん」
即答した。
「そうか」
ガーネットはむくれた。
「昔の女にまだ未練を残しておるのか」
「そんなんじゃないよ」
クリスは笑った。
「幼馴染みでね。家庭の事情で師匠んところに引き取られたときに、その娘がメイリアでね。姉弟同然に育ったんだよ」
「それはこう、いろいろ複雑であるな」
「で、だ。師匠が『お前ら仲いいから結婚してしまえ』と。子供のころのたわいもない約束だよ」
「なんじゃ。そうであるか。わらわはてっきり……」
言いかけてガーネットは途中で口を閉じた。
「どうかしたか?」
「いや。なんでもないぞ」
ガーネットは微笑んだ。
「クリスがなんとも思ってないのならば別にわらわは構わぬ」
広場に着いた。
テントによって円形に囲まれているその中央に、白い法衣を身にまとったメイリアがいた。
子供たちに囲まれていた。
男の子がメイリアの背中によじ登っていた。それをメイリアは落ちないように手で降ろそうとするが、男の子の手に邪魔されてうまくいかない。
「あー。助けてよクリス」
「どうした?」
「みんな離してくれなくて」
「遊んでやれよ」
「誰が呼んだと思ってるのよ。そもそも!」
怒られた。
そうでした。
「みんな、ちょっとあっちで遊んでなさい」
「ねぇぽち様。このひともぽち様のお嫁さんなの?」
子供たちのうちの一人が聞いてきた。
「『も』ってなによっ!」
「なにを愚かなことを。クリスの妻はわらわ一人で十分じゃ」
女性陣の声を無視してクリスは子供たちを追い払った。
「ほらほら、お母さんのところに帰った帰った」
メイリアの背中から男の子を引っぺがして地面に降ろす。
「結構重いな。育ってやがる」
「あはは。メイリアお姉ちゃん、またね」
子供たちは笑いながら走っていった。
「さてと。行くか」
クリスは二人を見やって告げた。
「何処へであるか?」
「どこいくのよ」
「北へ偵察に。何かわかるかもしれないだろう?」
「うー。反対であるのだ。いないうちにまた狼が来るかもしれぬのじゃ」
「狼だろう。夜行性じゃなかったっけ?」
「でも犬は夜寝るわよ」
メイリアが突っ込んだ。
「いや、それは人が真っ昼間に散歩させたり遊んだりしつけたりするから昼間起きてるんだよ」
「しかしであるな。銀狼が一般に夜に動くものではあるが、かといって昼にやって来ぬとは限らないのではないのか?」
ガーネットが尋ねた。
「むぅ。そりゃたしかに」
「であるからは不用意に村を放置するわけにはいくまいぞ」
「むぅ。そういわれれば否定できん」
となると、村に対抗できる人を残しておかねばなるまい。
「じゃぁ、俺一人で行くから。あとのことはよろしくお願いできるかな?」
「ま、まて。それはどうかとわらわは思うぞ」
「わたしも付いていくわ。心配だもの」
「そ、それはずるいのじゃ。わらわもいっしょに行くのじゃ」
クリスはため息をついた。ガーネット。前言をあっさり翻すようなことを言うんじゃない。
「ここに誰か残さなきゃいけないんだろう。だから俺一人で行くから、二人はここに残って村を守ってくれ」
「うう、しかしクリス一人では心配なのじゃ」
「不本意ながらそれには同意ね。クリス一人にするとなにしでかすかわかんないし」
「みんな俺を何だと」
クリスが不本意だとばかりに頬を膨らませているが、それに構わず二人は話し続ける。
「初めて出会ったときは行き倒れておったの」
「かわいそうなクリス。こんなど辺境で一人寂しく。お姉さんがいるからもう大丈夫よ」
「人の話を聞けよみんな」
何で俺の周りには、こんなに人の話を聞かない人ばっかり集まるんだ。
「困るんだろう? ここに誰も残らなかったら」
「うっ」
ガーネットは言葉に詰まった。
「だから二人が残ってくれたほうがいいんだよ」
「いやよ。何が何でもクリスに付いていくんだから」
「んなむちゃな」
「何が無茶よ。クリスを一人にするほうがよっぽど無茶よ」
むちゃくちゃ言ってる。
ガーネットは押し黙ってクリスを見ていた。
「もう一人になんかさせないんだから」
「落ち着いてくれよ。ああもうどうしたもんか」
「わかった。凶暴女といっしょに行くがよい」
意外にも先に引いたのはガーネットだった。
「……珍しい」
「何がじゃ。混ぜ返すでない。村のものを置き去りにするわけにはいかぬ」
メイリアははっきりと告げた。戦場で銀狼を前にしたときのように凛々しい顔つきだった。
「じゃぁ決まりね。クリス。何かあってもわたしが守ってあげるからね」
「子供扱いはやめてくれよ」
「クリス。信じておるからな」
ガーネットはクリスの手をとってがっちりと握り締めた。
なにを信じているのかは深く突っ込まないでおこう。妙に手が痛いし。
「じゃぁ、行きましょうか」
メイリアはクリスの腕を取ると、脇に引っ張った。
やわらかい胸が腕に当たる。
相変わらずでかい。
「……クリス、信じていいのか?」
ガーネットがじとーっと目を細めてクリスを睨んだ。
「心配するなって。後を頼むぞ」
クリスはガーネットの赤毛を軽くなでた。
「えへへ」
「行くわよっ」
メイリアに引っ張られてクリスは転びそうになった。
クリスが引っ張られながら後ろをちらちら見ると、ガーネットが心配そうにクリスを見ていた。
クリスとメイリアは馬で北に向かった。
「あんまり胸押し付けるなよ」
「馬は不安定で嫌いなのよ」
「だったら村に残ればいいのに」
人選間違ったかなとクリスは思った。
クリスが手綱を握り、メイリアがその後ろにしがみついていた。
北に行くと紅葉が始まっていた
赤や黄色のまだら模様野中を駆け抜ける。
「そろそろ冬ね」
「そうだな」
「寒くなる前に帰らない」
「駄目」
「どうせなら二人で南に逃げようよ。あー。泳ぎたいなぁ」
「川あるじゃないか」
「寒くて死ぬわ」
すーっと。身体から熱が逃げていく。
メイリアがぎゅっと抱きついてきた。
「なんか寒くない?」
クリスは馬を止めた。
「急に冷たくなってないか?」
北から冷気が来る。
北風というわけではない。どちらかというと冬に暖房の効いた部屋の扉を開けると、廊下から寒さがじわじわと入ってくる。そんな感じだ。
「雪でも降る。ってわけじゃないわよねぇ」
メイリアの声に空を見てみると曇り空だ。
「まだ早いだろう」
「でも北の森だし。北の分だけ初雪も早いよ」
メイリアは馬から飛び降りた。
法衣の白いロングスカートをたくし上げて、スカートの中に手を突っ込む。
ずるずると黒いコートが出てきた。
女性のスカートは何が隠されているかさっぱりわからないものである。
どう考えても、そんなもん隠してたらそもそも歩けないんじゃないかと思うが。
「寒いからこれを着るのよ」
「準備いいな。俺にも貸してよ」
「一着しかないわよ」
きっぱり言った。
「そうですか。早く乗ってくれ。とっとと帰ろう」
メイリアはコートに袖を通した。胸のボタンは締めずに、そのままクリスの後ろに飛び乗った。
「行くぞっ」
メイリアが後ろから抱き着いてきた。
コートのすそを持ち、手を前に回してきた。
「これなら二人ともあったかいよね?」
「……ありがとう」
クリスは礼を言って馬を走らせた。
しかし。
馬が足を速めるにつれ、風がコートの前から入り込んでくる。
二人羽織で、前でコートを閉じるにはコートはいくらなんでも小さすぎる。
メイリアがわき腹をびしっと押さえても、肩口から寒風がするする入り込む。
「……寒くねぇか?」
「うん、大丈夫だよ。クリスといっしょだから」
「いや、メイリアだけでも着ろよ。無駄だから」
「いーから」
ほとんど意味ないよなこれ。とは思いながらクリスは馬を走らせた。
背中にメイリアの体温とふくらみを感じながら。
前方が妙にきらきらしている。
クリスは馬の足を緩めた。
陽光がガラスに反射しているみたいだ。
「なんだ? 山の中にガラスの城でもあるまいし」
「滝でも凍っているとか」
「そんなばかな。まだ早いって。いくらなんでも」
しばらく進むと、輝きが強くなってきた。
そこは氷漬けの世界だった。
クリスの心臓が、跳ねた。
ある一線を境に、そこから向こうは氷に覆われきらめいている。
紅葉が始まった木々も、落ち葉が積もった地面も。
すべての動きが止まっている。
生命の動きがない、寂しい世界だ。
クリスの心臓がどくん、どくんと強く動いているのが自分でもわかる。
異常事態にびびっているのか?
それは違う。
手の甲にざざざっと寒気が走った。
理由はよくわからないが、ここにいてはいけない。
クリスは首を振って妄想を振り払う。
メイリアは黙って、クリスにしがみついている。
メイリアの心臓の拍が、背中越しに伝わってくる。
一人じゃない。
クリスは深呼吸した。何も恐れることはない。
「これが原因なのか?」
視界の果てまで、白く輝いている。
これ自体の原因はさっぱりわからないが、森の一部が凍りついたことによって銀狼たちが追い出される形で南下してきたのか。
「帰ろう。クリス」
メイリアがつぶやいた。
「おいおい。なんでだよ。せっかく調べに来て、ようやく異常が見つかったというのに」
「いいから。ここにいちゃだめよ」
妙にメイリアがカリカリしている。
いつもだったら、『ふん。何か出てきてもわたしがクリスを守ってあげるから』といって拳を握るのに。
……女性としては正直どうかと思う。
「なんかへんだぞ、今日のメイリア」
クリスは馬から下りた。
振り返ってクリスは気が付いた。メイリアの顔が青い。
「む。大丈夫か?」
「わたしは大丈夫よ。それよりもクリス、あんたは」
クリスは答えずに振り返って歩いた。
足が妙に重い。
痺れてる。
慣れない馬に乗った疲労か。
クリスは氷結の境界線前にしゃがみこみ、氷に指を伸ばした。
冷たい。
「凍ってる」
見たとおりのことを告げる。
手を離そうとしたら、指先がくっついてた。
かちんとクリスは固まった。
「なんかしたの?」
メイリアが聞いてきた。
「……剥がれない」
「はぁ?」
人差し指と中指の腹が、氷にぴったりくっついて剥がれない。
「なに遊んでるのよこんなときにっ」
肩をつかまれてぐいっと引っ張られた。指先が焼け付くように痛む。
「ぐわっ」
「ほらとれた」
「痛いってば。馬鹿ぁ」
「男の子なんだから我慢しなさい。ほら」
メイリアはひざまずき、クリスの手をとると、指先を舌でなめた。
赤い唇に指二本をくわえ込まれる。
舌先で指がくすぐったい。時々しみて痛む。
「ほら、大丈夫よ。それとも魔法かけて治す?」
「いい」
クリスは恥ずかしくなってぶっきらぼうに答えた。
「それより先に進まないと。この村でなにが起こっているか調べないと」
クリスは馬を近くの木に留めた。
氷結の範囲内に入り、歩いてみる。凍っているので滑りやすいかと思ったが、意外にも固いタイル張りの床みたいにがっしりしていた。
クリスは凍りついた赤い木の葉に手を伸ばした。
手に付かないように、布を手のひらに載せてそれ越しにつかみとる。
引っ張ったら葉が割れて砕け散った。
粉々になってつるつるの地面に落ちていく。
「うう」
ちらりと後ろを見るとメイリアの視線が痛い。
「なにをしているのよ」
「何事も実験だよ」
クリスはこんどこそ丁寧に葉っぱを取ると、メイリアの前に差し出した。
「これが何か?」
「見てごらん。葉っぱ一枚丸ごと凍りついてるよ」
葉を丸ごと氷付けにして、彫刻家が丁寧に削りだしたように薄く氷が張っていた。
「どうやったらこんなに綺麗にできるんだ?」
「自然現象ではないことはたしかね」
普通に考えると魔法だろう。
つまり誰かが意図的に、もしくは事故でこんな広範囲を凍らせていると考えるべきか。
「北の森だとこれがふつーだったり」
「そんなわきゃねぇだろう」
とりあえず突っ込んでおく。というか前言即座に翻すなと。
メイリアは凍った葉っぱをつっついた。砕けた。
「もろいね」
クリスたちは歩いていった。
しばらく進むと氷付けの村が見つかった。ガーネットたちとおなじ丸いテントが放射状に並んでいる。
「全滅って感じね」
メイリアはつぶやいた。
「生き残り。っていうのか? 誰か残ってるのかな」
すぐに見つかった。
ひざまずいて子供を抱きしめている女性。が子供ごと凍り付いていた。
「ひどい。誰がこんなことを」
クリスは拳を握り締めた。
「メイリア。何とかできる? 奇跡とか」
メイリアは首を振った。
「魔法的に固定されてるから無理。これをやったやつに解かせるか、ぶちのめして気絶させるかしない限り、例え誰でも解除は無理ね」
「むぅ」
クリスはうなった。
「お湯かけてもだめかなぁ」
「それで何とかなるならとっくにとけてるわよ。まだ水が凍りつくほど寒くないんだから」
「むぅ。何とかする方法を早く見つけねば」
どうしようもないのでとりあえず先に進む。
村を回りながらクリスは思った。
あれ、いまのなんかおかしくないか?
妙に引っかかる。メイリアの発言が。
息子の手を引いたまま凍りついた母親や、肩を寄せ合って逃げている老夫婦の氷像がところどころに見えた。
なんで見ただけでわかるんだ? 魔法的に固定されているって。試したわけでもないのに。
テントの間を抜けた。
北のひらけた広場では、男たちが手に武器をもって掲げている状態で凍り付いていた。
全員がある一点を見上げて。男たちの顔はみな恐怖におびえていた。
「ここが戦場だったみたいね」
メイリアがつぶやいた。
「たぶん、一発でみんな凍りついてしまって」
彼らの視線の先に、何かがいたんだろう。
「何でみんな上を見てるんだよ」
「上から来たんでしょう? もしくはでかいのとか」
「こんなに大きいのってドラゴンかよ」
クリスは笑ったがメイリアは黙ったままだった。
「突っ込めよ」
メイリアは露骨にため息をついた。
「そんなおばかなことを言っている場合じゃないわよ」
「人生に笑いは大切なんだよ。たぶん」
クリスたちはさらに北に行ってみた。しばらく歩くと氷漬けの世界は終わり、赤と黄色の紅葉の世界に戻った。
「位置的に、やっぱりさっきの村が中心かな?」
「みたいね」
メイリアはうなずいた。
引き返す。
生存者はいないかと村の中をくまなく探してみる。テントの布をずらそうとしてそのままパリンと砕いてしまったりもしたが、ほかに手はないので最後にはばんばん割っていった。
「なんか楽しんでない?」
「そんなことはないぞ。たぶん」
テントの中には誰もいなかった。
外には子供をつれて逃げる母親がいっぱい凍りついていた。
クリスはふと気がついた。
「女の子がいない。どこへ消えたんだ?」
メイリアは答えなかった。
「もともといないのか、別に逃げたのか、連れ去られたのか、実は全員男装しているとか」
「最後のはどうよさすがに」
「あ、やっぱり?」
クリスは頭をかいた。
「美少女だといけないひとに誘拐されちゃうからみんな男装してるんだよ」
「で、どうやって確かめるの、それ?」
「そんなはしたないことぼくの口からはいえません」
「黙れ」
クリスは黙った。
「あとでガーネットにでも聞いてみましょう。そっちのほうでなんか変な風習とかあるとか」
クリスはうなづいた。
クリスたちは自分の村まで戻った。
馬を柵の中に入れて、テントまで戻る。
「やめよ。離せ無礼な。子供扱いするでない」
ガーネットの叫び声が聞こえてきた。
「なんなんだ?」
「またへんなことになって」
とりあえずクリスは走った。
中央の広場にガーネットはいた。
彼女を後ろから抱きしめて、すりすりしている女性がいた。
透き通るような真っ白い肌をして、黒いノースリーブの上着とミニスカートをしていた。
そして太股まであるニーソックス。
「寒そう」
クリスはつぶやいた。
突然メイリアがクリスをかばうように前に出た。
「なんであなたがここにいるのよっ!」
いきなり叫ぶ。
メイリアの背中でぜんぜん見えないのでクリスはちょっと横にずれた。
黒ずくめの女性はいきなり怒鳴られても平然と笑っていた。
「のわっ。暴力女よ。このものと知り合いであるか?」
ガーネットがたずねた。そのあいだも女性はがっちりとすりすりして離さない。
「何とかするがよい。これではわらわは何処へも行けぬ」
黒ずくめの女性はメイリアに言った。
「あらあら。お嬢ちゃん。お久しぶりね」
「お久しぶりじゃないわよっ。あんたまたっ」
「はいストップ。その先言っちゃっていいのかな? ここで始める気?」
「くっ」
メイリアは苦しそうにうなった。
「大丈夫よ。まだなんかするわけじゃないから。それにもうあなたには興味ないし」
「……昔の女ってやつか?」
クリスはたずねた。
「ちょっと黙れ」
メイリア、まじ怖いです。声。
「べつにこう、俺がいないうちに恋人作っても木にしないから。女性ってのはちょっとびっくりかな。あとで紹介してよ」
「黙れといっている。あとで殴るから」
「ごめんなさい」
ちょっと触れちゃいけない過ちだったらしい。
「痛くしないでね」
メイリアは無視した。
「あはっ。相変わらず面白いひとね」
女性は笑った。
緩んだ腕からガーネットが必死に逃げ出した。
「あらあら」
ガーネットは女性から離れてにらんだ。
「あらら。怒ったところもかわいい」
「クリスー。助けるのじゃ」
「いやどうしろと」
すがりつくようなガーネットのレアな視線を受けてクリスは頭をかいた。
「ふふ。また遊びに来るわね」
女性は微笑を浮かべたまま去っていった。
「頼りにならんやつだな」
「うう、ひどいことを言う」
「わらわが必死でどんな思いをしていたかわからぬのかっ」
ガーネットは顔を赤くしてわめいた。
正直さっぱりわからん。
「うー。察しろ」
「むりむり。これにそーいうの求めるほうが間違ってるんだから」
メイリアが冷たく言った。
「むぅ。それはさておき。さっきの寒そうなねーちゃんはなんだったんだ?」
まだ冬じゃないからって袖なしは見ているこっちが寒そうだ。
「知らぬ、北から逃げてきたとか言っておったのじゃが」
「で、なんで抱きしめられていたのだ?」
「さっぱりわからん」
ガーネットは言い切った。
「かっ、かっ『可愛い』などといってわらわをいきなり抱きしめおって。なにを考えているのかさっぱりわからん」
「かわいいじゃん」
「まぁ、言わんとすることはなんとなくわかる」
メイリアとクリスはそれぞれうなづいた。
「馬鹿者、これでも人妻なのじゃ。大人のレディにはもっと適切な表現があるのではないのか」
「自分で『これでも』って言っている時点でわりと自覚症状ありね」
「うっ」
ガーネットは言葉に詰まった。
「まぁ、悪いやつではあるまい。子供たちと遊んでおったからな」
「いや、その基準はどうかと」
「そうであるのか?」
「ある日気がついたら狼さんにぱっくり。とかやられないように気をつけるのよ」
メイリアが口を大きく開けて、がおー。と言った。
「大丈夫である。その辺の狼には負けぬのじゃ」
「まぁ気をつけとけ。ところでガーネット、聞きたいことがあるんだ?」
「なんじゃ?」
クリスたちはテントに戻った。
メイリアが持ってきた紅茶を入れようとしている。
クリスは座り込み、正面のガーネットに尋ねた。
「北に行ってきたんだが。村を見つけた。そこは全部凍りついていた」
先ほど見たことをすべてガーネットに告げた。
ガーネットの顔が曇る。
「あやつか」
「知っているのか?」
「うむ、北の山に邪悪なドラゴン、氷龍エーベクルーズなるものがいて、人を氷漬けにするという伝説があるのじゃ」
ガーネットはカーペット代わりの毛布をぎゅっと握り締めた。
「十年ほど前にも襲ってきたのじゃ」
「そのときはどうしたんだ?」
「わらわの父上が何とか追い返したのじゃ。そのとき」
ガーネットは黙った。
「よしよし」
クリスは頭をなでた。
「次に出会ったときがあやつの最後なのじゃ。必ず倒すのじゃ」
「ほら、紅茶」
メイリアが二人のあいだにカップを二つ置いた。
「わざわざ持ってきたのか」
「当然」
メイリアは胸を張った。
エプロンの下から胸の部分がが押し上げられている。
白い法衣の上に白いエプロンなのであんまり目立たない。
エプロンの端に、ひらひらとしたフリルが付いている。
「のわ。旨いのである」
ガーネットが驚きの声を上げた。
「むぅ。お茶がこんなにおいしいものとは知らなかった。恐るべし。暴力女のくせに」
「一言余計よ」
「さて、なんとか原因はわかったが」
クリスは紅茶を飲んだ。
「やっぱりメイリアのお茶はうまいな」
「ありがと」
メイリアは嬉しそうにしいた。
「原因はわかったが、対処法はさっぱりだ」
クリスはため息をついた。
「銀狼が逃げてきたってことは、あれよりドラゴンのほうが強いんだよな」
「大丈夫である。わらわが氷龍エーベクルーズなぞ必ず倒してみせる」
「クリスはわたしが守ってあげるから」
女性二人ははっきりとクリスに告げた。
それからしばらく、銀狼は姿を現さなかった。
クリスが朝目覚めると、メイリアがすでに起きて朝食を作っていた。
「むにゃ。もう食べられぬのじゃ」
クリスの脇ではガーネットがぐっすり寝ていた。
「ほら、起きろ」
クリスはゆさゆさゆすった。
「うにゃ」
「ほれ、朝ごはんだぞ」
「もうおなかいっぱいなのである」
「ねぼけてるな」
くー、とかわいらしくガーネットのお腹が鳴った。
「おかしい。さっきまでお腹いっぱいに食べたはずなのに」
問題は食事中に起こった。
「うう、うまいのじゃ。悔しいのじゃ」
「まぁ、慣れだ慣れ。ガーネットも練習すればじきにうまくなるぞ。きっと」
メイリアお手製の鹿の丸焼きと澄んだスープを飲みながら仲良く話していたが、途中からちょっと風向きが変わった。
「やっぱり、女の子は料理の一つや二つはできないとね」
「うっ」
「結婚したときに何も作れません。じゃ困るよね」
「ううっ」
「挙句の果てに旦那様に作らせるなんて」
「うーっ。暴力女め。わらわに喧嘩売っておるのか?」
ガーネットは眉をひそめてメイリアをにらんだ。
「べつにそんなつもりはないけど」
メイリアは笑ってクリスを見た。
「クリスは、料理のできる娘と、できない娘。どっちが好みかな?」
「うーん、それはもちろん料理のできる」
そこまで言って、ガーネットが泣きそうな顔でクリスを見ているのに気が付いた。
ちょっと良心が痛む。
「……ほうがいいかもしれないけど、人間の価値はそれだけでは決まんないよ。たぶん」
「逃げたわね」
クリスは視線をはずし、黙ってスープを飲んだ。
「それはそれとして、料理だけ比べたら上手なほうがいいよね?」
メイリアがさらに詰め寄る。
「そりゃまぁ、そうかもしれないけど」
「どうよ」
メイリアは胸を張った。
「大人気ないぞ」
クリスはぼそっと突っ込んだ。
「ほっといてよ。というわけで、料理の一つもできないというのはちょっと心配だなお姉さんは」
ガーネットは毛皮の敷物をどんと叩いた。
「黙っていればいい気になりおって。わらわが本気になればきっとおいしい料理が、作れる、といいなぁ」
語尾がどんどん弱くなり、最後はかすれてしまった。
「ふぅん、じゃぁ、試してみる?」
「うっ。望むところじゃぁ」
はたから見ても空元気でガーネットは答えた。
「さて、散歩兼偵察に行ってくるか」
クリスはとっとと逃げようとした。
しかし後ろからつかまれた。二人に。
クリスはいやいや後ろを見た。
「審判よろしく」
「クリス、ちゃんと見ておるがよいぞ」
みんな暇じゃないだろうお前ら。
(「まずは材料からじゃ〜」などといって狩りから始めようかとは思ったけど枚数削るときに真っ先に削らざるを得ないので省略)
料理対決が始まった。
わざわざ調理台を隣から借りてきて並べ、そこにガーネットとメイリアが並んだ。
まずは下ごしらえからだ。
「るんる〜」
メイリアはエプロンを身に着け、歌交じりに料理を始めた。
包丁を軽く当てるだけで、肋骨があっさり外れていく。
「むぅ、さすが本職といったところか」
「まぁね。今回は本気だから」
容赦のない女である。
対してガーネット、メイリアからエプロンを借りたものの長すぎてロングスカートみたいになっている。
「うのっ。このっ」
「落ち着け。危ないから」
包丁を持って文字通り素材と格闘している。
自分の手ごと切りそうでもう見ていられない。
「あうっ」
ガーネットは顔をしかめた。
クリスは見ていられなくてガーネットのもとに駆け寄った。
「まったく。なんで槍は普通以上に扱えるのに、包丁はだめなんだよ」
「あう。小さすぎて難しいのじゃ」
「ほら、大丈夫か?」
ガーネットの左人差し指が切れていた。
クリスは手をとると指をなめた。
「気をつけろと」
「うう、ごめんなのじゃ」
「ほれ、手伝ってやるから」
「あー。ずるいぞクリス」
メイリアが叫んだ。
そういいながらも手は止まらない。骨をばらばらにはずした上で肉を刻んでミンチ状にしていた。
「やかましい」
料理のプロと、調理の基本も知らない子供が戦っているようなものである。
クリスはガーネットの後ろから腕を回してメイリアの手をとった。
ちょうど背後から抱きしめている形になる。
「あっ」
「ほら、こうやってここに歯を当てるんだ」
クリスの指示にあわせて、ガーネットが包丁を引くと、するりと肉が切れた。
「うわっ。すごい」
「なにを言っている。ガーネットがちゃんとやったんだよ」
「う、うん。わかっておる。次はどうしたらよいのじゃ?」
「ほれ、こうやって」
見る見るうちに肉が綺麗に切り分けられる。
「うう、包丁と言うものはこんなに便利だったのであるか。知らなかった」
「なんかあれだ。力に頼りすぎ」
クリスは頭をなでようとしたが、指先に脂が付いているのに思い当たった。
代わりに腕でぎゅーっと抱きしめてやる。
「く、クリス。あまり引っ付くでない」
「クリス! あんたいったい何やってるのよ!」
隣から怒鳴り声が聞こえた。
「ほらほら、集中しないとまた手を切るぞ」
「うう。が、がんばるのじゃ」
とかなんとかで完成した。
「結局、ほとんどクリスが作ってなかった?」
「気にするな」
「ぶー」
とりあえずメイリアは無視。
三人で食べることにする。
メイリアのはスープと肉団子。
「うう、どうやってもスープがくどくなっちまうんだよなぁ。どうやってるんだ?」
「あとで教えてあげるわよ」
メイリアは微笑んだ。
さすが家事のプロ。文句のない味だった。
「うぐ」
一口くわえ込んでガーネットが沈んでいた。
「さて、つぎはガーネットのと」
鹿肉をスライスして焼いただけの単純な料理である。
「はむっ」
ちょうどよく焼けていて良い。
「上手くなったな。ガーネット」
頭をなでてやる。
「うむ。がんばったのじゃ」
「……いや、全部クリスの指示じゃ」
「最初はそれでいいんじゃないか? 俺たちだって最初から師匠に何も言われずにできたわけでもないんだから」
「むぅ」
メイリアは頬を膨らませた。
「というわけで食べようよ。冷めないうちに」
「そうなのじゃ」
ガーネットはうれしそうだった。
生まれて始めて料理が上手くいったからだろう。
「で、どっちが旨いの?」
「両方」
クリスはきっぱり答えた。
「どうしても白黒はっきりつけろと言うんだった、努力点を強めに加算するけど」
「もういい」
メイリアはため息をついた。
「クリスってばガーネットに甘くない?」
「そうか? 俺は子供には優しいぞ」
「うー。子供扱いするものではないのじゃ」
ガーネットはむくれた。
クリスは村の周囲を見回っていた。
穴掘りは終わり、きっちり堀が完成していた。あまった土は村側に盛り上げ、その上に新しい柵を築いた。
盛り土の上に立って、柵の前から森を見るとなんか変わって見えるかと思ったけどあまり変わらない。
逆に、村の中を見ても、テントの屋根を見下ろす、というわけにもいかない。
夕日でテントが赤く染まっている。
子供たちが遊んでいるのが遠くから見えた。
で、黒いノースリーブも見えた。
近寄ると、エルスだった。
「あら、ごきげんよう。族長さん」
「子供たち好きなの?」
「ええ、大好き」
即答だった。
「かわいい」
「さいですか」
「なんというか、けがれてないところがいいよね」
そんなもん同意もとめられても困る。
「そう思わない?」
「もうちょっと言葉に気をつけたほうがいいんじゃないかと」
「なんでー。子供が可愛いのは万国共通じゃない」
「絶対、『可愛い』の意味が違うぞ、それ」
別の子供たちがクリスのほうにやってきた。
子供たちは肩で息をしていた。
「あっ。ポチさま。エルスお姉ちゃん。大変なんだよ」
「ポチ様?」
エルスがクリスを見る。
「ほっといてください」
クリスはむくれた。
「で、何があったんだい?」
「コリンたちがいなくなっちゃったの。森に行ったら」
「はぁ」
クリスは頭を抱えた。
「危ないから森に入るなと言ったのに」
「えー。だってパパとか村の周りにいて外にでる隙なかったんだもん。ようやく遊びに出れると思ったのに」
クリスはかくんとあたまを下げた。
「……あとで説教な」
「うう」
「とりあえずどのへんだ? 探してやるから案内しろ」
「わたしも手伝うわ」
エルスは言った。
「ありがとう」
「子供たちのためだもの」
「ぼくたちも行くよっ!」
子供たちが元気よく言った。目が本気だ。
「だめ。残っていなさい」
クリスはあっさり却下した。
「えー、じゃない。暗くなったら危ないだろう」
「心配だよぅ」
「俺に任せろ」
クリスは言った。
とりあえず子供たちは納得したようだった。
森の中はごちゃごちゃして視線が通りづらい。
クリスとエルス、二人が並んで歩いている。
そろそろ二手に分かれよう、とエルスが提案した。
「何かあったら必ず呼んでくださいね。危険ですから」
「はいはい」
エルスは手をひらひらさせた。
クリスは一人で歩いていた。
「コルツ。カリン〜」
後方からごそごそ音がする。
クリスが振り返ると、音がぴたりと止まった。
「……残ってろと言っただろう?」
「えへっ」
子供たちが笑いながら木陰から出てきた。
「よくわかったねぇ。ポチさま」
「お前ら大人なめすぎ」
クリスはため息をついた。
「しょうがない。危ないから、みんな離れるなよ」
「はーい」
残った子供たちは答えた。
「こるつー」
「かりんー」
みんなで名前を呼びながら、緑の空間を進む。
「いつもここで遊んでいるのか?」
クリスは傍らの男の子に尋ねた。
「うん。あっ、いつもじゃないよ」
あわてて否定した。
「銀狼がでなくなるまではとりあえず村の中で遊べよ」
「うん」
素直にうなづいた。
遠くで風がざわめいた。
鳥たちの羽ばたきの音が強く聞こえた。
「あっちでなんかあったのか?」
「あれって秘密基地の方角じゃ」
「ばかっ」
別の子が叱った。
「そっちに行ったと思うか?」
「んー。そういえば基地に忘れ物して取りに戻れなくなったって言ってたよ」
「行ってみるか」
クリスは駆け出した。
が、子供たちが付いてこれない。
「あー。まってよぅポチさま」
「……すまん」
置いていくわけにも行くまい。これでぱくりと食べられたらごめんなさいではすみません。
「適度にゆっくり走るぞ!」
「おおっ」
子供たちの声が森に消えた。
日が暮れてきた。
クリスたちが森をかき分け、走って進むと、銀色の毛皮が見えた。
木の下に子供が二人いて、その前にエルスが涼しい表情で立っていた。
銀狼たちに囲まれている。
クリスはベルトからロープを引き出した。
銀狼が飛び掛った。
遠すぎる。
間に合わないとはわかってはいたが、クリスは先を輪にしたロープを投げた。
「邪魔よ」
エルスの声にあわせて、氷の槍が何本も現れた。
飛び掛る銀狼に、氷槍が打ち落とす。
でかいつららを三本身体に受け、銀狼は犬みたいに鳴いて大地に転がった。
クリスのロープがへろへろとおっこちた。
「大丈夫だから。心配しなくていいわよ」
エルスは振り返ると、子供たち二人を抱きしめた。
クリスは駆け寄った。
「むぅ。見つかったようですな」
「よかった。怪我はないみたいね」
クリスは転がった人狼を見下ろした。
三体いっぺんにあっさり返り討ちか。強いんだなぁ。
背筋に寒気が走った。
「何はともあれ無事でよかった。があとで説教な」
「えー」
「えーじゃねぇよ」
クリスは地図を見ていた。村周囲の地形を自分で調査したお手製の地形図だ。
「クリス。ちょっと話があるの」
メイリアは告げた。
「ん?」
クリスは地図を折たたんた。
「なんだ?」
「ちょっと来て」
「むぅ」
メイリアに引きずられてテントを出た。
きょろきょろ辺りを見回す。外は月明かりだけだった。
暗いテント周辺をきょろきょろ見渡す。
「ガーネットはどこ行った?」
「いいからっ」
あんまりよくない。
クリスは一度テントに戻ると、たいまつに火を移して囲炉裏の火に灰をかけて消した。
テントから出る。
メイリアに先導されて西へ向かった。
「どこまで行くんだよ」
返事は来なかった。
川までたどり着いた。
夜の川は暗くどこまでも深い。
向かい岸の森は暗くてよく見えない。
風が木々をざわめかしている。
「座って」
促されて、メイリアの隣に座った。
たいまつは乾いた石の上に投げた。
「クリスは、ガーネットのことどう思うの?」
メイリアが聞いてきた。
「ん? どう、と聞かれても難しいなぁ。うーん」
クリスはしばらくうなった。
「そうだな。大事な家族だと思っている」
「それはこう、妹みたいなもの? それとも。恋人?」
クリスは笑った。
「笑わないでよっ」
「ごめんごめん。そうか。メイリアにはもしかしてへんに見えてた?」
「そうじゃないけど、やっぱり自称妻がいるなんて変よ。もっときっちりしないと。人として」
メイリアは早口にまくしたてた。
「そりゃ、クリスがガーネットが好きだ、っていうなら別にいいとは思うわよ。もうちょっと待ったほうがいいとは思うけど。でもね」
メイリアの目から、一筋の涙がこぼれた。
それはたいまつのかすかなあかりを受けてうす赤く輝いた。
「もしクリスにそんな気がないならいけないとは思うの」
クリスはメイリアの肩に触れ、そっと抱き寄せようとしたが拒絶された。
「クリスは本当にガーネットと結婚する気があるの?」
「むむ」
クリスはうなった。
「そう改めて聞かれると非常に困るけど、妹みたいなもん、かな?」
「本当?」
「……疑うから最初から聞くなと」
「ほんとにほんとにほんとにほんとにほんと?」
「うん。ほっとけないんだよ。助けてもらった恩もあるし」
「そう、じゃぁ。クリス。私のこと愛してる?」
「うぐっ」
言葉に詰まる。
「そーいうこと聞くかなぁ。酔ってねぇか?」
ほれ。クリスはメイリアのほっぺたに触れた。
熱が手のひらに伝わってくる。
「熱あるぞ」
「くぅっ。酔ってないわよ。男だったらはっきりしなさいよ」
「むぅ。メイリアはぼくの大切な幼馴染だよ」
「その先よ、先」
そういうことを言うのは非常に照れくさいんだが。
なんか昔のことを思い出す。
「そういえば、愛してるって言わないと殴られたことあったなぁ」
「そんなこと思い出すんじゃないわよこんなときに」
声が冷たい。
クリスはメイリアを抱き寄せると唇に軽く口をつけた。
メイリアは最初身体を硬くしたたが、すぐにやわらかくなりクリスの背に手を回した。
メイリアの身体を抱きしめて、クリスはじっとしていた。
どちらともなく口を離した。
「ぷふぁっ」
メイリアは口を開けると大きく深呼吸した。
「愛してる」
「……いきなりなんてずるいわ」
「どーしろと。それよりキスのときに呼吸止めるのやめろよ」
「いいじゃない」
「これで満足か?」
メイリアはこくん、とうなづいた。
「わたしだけ愛してくれるならそれでいいわ」
次の日。
昼間ガーネットに呼ばれた。
メイリアは昼食を作っている最中だ。
「なぁクリス。昨日暴力女と何をやっていた?」
直球だった。
「……見てた?」
「大変参考になったぞ。大人の口付けたるものはああいうものか」
穴掘って埋まりたいです。
「やはりクリスはわらわのような身体より、あの暴力女のようなこー、大きいほうがいいのかのぅ?」
そういうことを聞かれても困る。
「クリスや。わらわにも口付けを教えよ」
「ぐふっ」
せきこんでしまった。
いきなり何を言い出すかこいつは。
「わらわにも、メイリアと同じようにしてはくれぬのか?」
「キスというのは、大事な人とするもんだよ」
「わらわはクリスが一番大事じゃ。クリスは違うのか?」
悲しそうな瞳でクリスを見る。
「おいで」
クリスはガーネットを抱き寄せた。
細い身体をそっと抱きしめ、赤い前髪をすくい上げて額に軽く口づけをした。
「ほら」
「な、な、なんでじゃ。扱いが違うぞ。不公平なのじゃ」
じたじた暴れるガーネットの赤毛をなでなでしてクリスは告げた。
「ガーネットが大人になって、それでも俺のことを一番大事だと思っているなら、そのときもう一度唇にしてあげる」
「わらわはもう大人であるぞ」
「いや、その。なんというか。身体がもうちょっと大人になったらってことで」
「クリスの馬鹿ぁ」
ガーネットは叫んで走っていってしまった。
クリスは呼び止めようとして手を伸ばしたが途中で止めた。
フォローのしようがない。
「すまんガーネット」
クリスはガーネットの背にわびた。
夜。三人で寝ていたら笛の音が聞こえた。
「来たのじゃっ」
ガーネットはクリスの腕から身体を起こすとすばやく槍を手に取った。
「んっ」
ぼんやりした頭で起きようとしたら、メイリアが抱きついて離してくれない。
白い法衣越しに、胸がわき腹に当たっている。
「ほれ、起きろ。敵襲だ」
「うんっ。あれ? おはようクリス」
クリスはガーネットの頭のしたから腕を引っこ抜いた。
頭がことんと落ちる。
「うぐっ。ひどいよぅ」
「寝てるなら置いてくぞ」
クリスは起き上がって、鞘を腰につけてテントを飛び出した。
再び笛の音が鳴った。
いまの星空のように澄んだ音色で物寂しい。
音を頼りにそっちへ向かう。
「遅いぞクリス」
先にガーネットが到着していた。
少女は盛り上げた土の上、柵の手前に立ち、凛とした視線を外側に向けている。
火槍をたいまつ代わりにしてあたりを照らしている。
クリスはガーネットの隣に駆け上った。
柵の前に男たちが並んで、弓をぽんぽん撃っている。
下を見た。
水掘りの中を、銀狼がいぬかきで泳いでいた。
「空堀にしておいたほうが良かったのか?」
「そんなことを言っている場合ではなかろうが!」
ガーネットに突っ込まれた。
狼たちはさすがに水中では地上のようには駆けられない。銀色の毛皮に矢が何本も刺さる。
泳ぎぎったあとには急な坂だ。
前足で這い上がり、そのまま坂を上るあいだにも矢は降り注ぐ。
眉間に矢を受け、銀狼一匹が再び堀の中へ落っこちた。
とっぽーんと水しぶきが上がった。
「準備のかいはあったようだな」
「そうであるの。む、来るぞクリス」
北から銀色の突風が吹いた。
巨大な銀狼ギルトヴァーンをすべる王が、堀を一気に跳躍し、人の身長を超える高さの盛り土を越え、体当たりで柵と兵士三人を跳ね飛ばした。
銀狼王はそのまま村の中へと着地した。
「化けもんだ」
「むちゃくちゃだ」
男たちのあいだに動揺が走る。
「そのままっ。全員、村に銀狼を入れるなっ! こっちは俺たちに任せろ」
クリスは指示を出すと盛り土から飛び降りようとしたガーネットの襟首をつかんだ。
「ちょっと待て」
「のわっ。何をする。それどころではあるまい」
「ガーネット、あれの前に立つな」
クリスは耳元でささやいた。
「何でじゃ?」
銀狼はクリスたちを見ていた。盛り土の上からだと、ようやく目の高さが一致する。
「銀狼がやってることはたぶんメイリアとか師匠といっしょなんだよ。気配を世界といっしょにして溶け込ませることによって認知できなくする」
「……さっぱりわからぬぞ」
「メイリアも使うだろう? 気が付いたら間合いつめられて懐に入られるだろう? アレといっしょだ」
「むぅ」
メイリアは額にしわを寄せた。
「で、だ。消せるのは一瞬だけだから、正面には立つな。銀狼と言ってもしょせん犬だ。人間みたいに横にも動けるわけじゃない」
「わかったのじゃ。クリスは大丈夫なのか?」
「狙うならガーネットのそれだからな」
クリスは火槍に視線を移した。
「俺じゃぁ打撃入れてもダメージにならん。あちらさんもわかっているだろうし。もし俺にきたらその隙に一撃くれてやれ」
「うむ。死ぬでないぞクリス」
ガーネットは飛び降りた。
クリスもあとに続く。
腰の剣を抜く。ぽっきり折れているが、刀身部分が淡く光が集まっている。
それを構える。
クリスとガーネットはちょっと離れて、銀狼王との間合いをじりじりつめる。
銀狼王はガーネットのほうを向く。
それに合わせてガーネットが右へ回る。
クリスも離れないように付き添う。
二人はくるくる回りながら、次第に間合いが狭まっていく。
勝負そのものはきわめて簡単である。
銀狼王の口が先にガーネットをぱっくり食べてしまうか。
その前にガーネットの槍がぶすっと突き刺さるか。
クリスはまぁ、脇から突っつくことはできてもぶん殴ることはできない。
この折れた剣では何も切ることはできない。
まぁ、やれることをやるだけだ。
銀狼の姿が消えた。
来たっ。
クリスは即座にガーネットの前に横跳びした。
構えた剣に、衝撃が走る。
銀狼の歯が光剣に当たり、火花が飛び散る。
たとえその姿が見えなくても、存在しないわけではない。
行動さえ読めればあとは先読みで止められる。
一撃を止めればこっちの勝ちだ。
あとはガーネットの火槍が決めてくれる。
クリスの目の前で予想外のことが起きた。
光剣が、銀狼王の牙に砕け散った。
「ぬわっ」
聖別が弱かったようだ。
わるいこといわないから靴と洗濯紐と武器だけは高くていいのにしておきなさい。あ。武器は使わないか。という師匠の言葉が浮かんでくる。
……せめて対処法にしてくれ。師匠。
こうなったら身体ででも止めて。せめて。
このガーネットだけでも守らないと。
右側に熱を感じる。
槍を構えたのか。
クリスは左拳に力をこめた。
全身の魔力をそこに集める。
一撃でいい。
せめて一瞬でも銀狼王の動きが止まれば。
クリスごとガーネットを食べようとする銀狼王に向かって、クリスはせめて一撃入れんと拳を振りかぶり。
「男だったら殺す気で殴りなさいよっ。それが相手に対する礼儀ってもんでしょう」
幼馴染みのむちゃくちゃな声が聞こえた。
「聖女メイリアの名において願う。世界をつかさどる七つの精霊よ。どうかかの武器に聖なる祝福を。って他人の素手にかけたことないから副作用あったらごめんね」
クリスの左拳が輝きで包まれる。
「そんなんでいいのか〜」
クリスは叫びながら拳を振るった。
拳は銀狼王の牙に当たり、それをぶち折った。
「がるるるるるるるぅ」
銀狼王がひるんだ。
「今よガーネット、正義の一撃をさくっと」
「いままでどこにいたのじゃ。この暴力女め」
ガーネットの槍が銀狼王の腹に当たった。
銀狼王は牙ひとつを失い、腹部に大きな穴を食らって大きく吼えた。
そして逃げ出した。
テントを引き倒しながら走る。
「なっ。逃げるであるか」
こまったことに村の中心方面だ。そっちには子供たちが逃げている。
「頼む、抑えろメイリア」
「まかせてっ」
ガーネットは銀狼王の前に立ちふさがった。
跳ね飛ばされた。
「まて、洒落ならんって」
メイリアは光翼を展開して空中で制止した。
そのまま飛び、銀狼王を上から殴るが止まらない。
「このっ」
目玉に拳を打ち込む。悲鳴を上げて首を振ったが足は止まらない。
メイリアは弾かれてぽてっと落ちた。
「勘弁してくれよ」
「やばいのじゃ。子供たちがやばいのじゃ」
うずくまっているメイリアの脇をクリスたちは駆け抜けた。
メイリアも顔と法衣を泥まみれにしてあとに続く。
「みんな逃げろー。狼が来たぞ〜」
クリスは叫んだ。
中央広場では子供たちと母親、老人が集まっていた。
銀狼王の巨体を見てみな悲鳴を上げた。大部分の子供や親は逃げ出したが、数名、腰を抜かしたのかその場で動かなかった。
「はやく、はやく」
子供を引きずり、がくがくに震える腰に鞭打って逃げ出す女性もいた。
「大丈夫。あなたたちに手は出させないわ。お願いだから、目をつぶっててね。
エルスが残っていた。彼女はへたりこんだ子供たちの頭を一人ひとりなでると微笑んだ。
「今まで楽しかったわ」
エルスは前に出、ノースリーブで何にも覆われていない両手を広げた。
「ギルトヴァーンよ。わたしにも責任の一端があるから強くはいえないんだけど。子供たちを襲うことは許せないわ」
ギルトヴァーンとは、銀狼の種族名であるとともに、それをすべる王の名前でもある。
「エルスさん、だめだー」
左目と犬歯を失い、腹に大穴を空けている銀狼王は彼女の声を気もせずぱくりと食った。
そのまま子供たちめがけて蹂躙せんとした。
異変が起こった。
銀狼王は不自然なほど口を大きく開けた。
めみょ。と変な音がして口角が裂けた。
銀狼王の大口を破壊しながら何かが出てくる。
それは水晶の身体を持った巨大なトカゲだった。
「なんで、なんでじゃ?」
ガーネットが驚きの声を上げた。
「なんでわらわの父上を殺したあやつがいきなりこんなところへ?」
「氷龍エーベクルーズ」
エーベクルーズと呼ばれた龍は透き通った前足で銀狼王の口をつかみ、そのまま真っ二つに裂いてしまった。
「我はもうしばらく様子を見るつもりだったのだがな。そうもいってられんようだ。改めて。久しぶりだなクリス、メイリア。大きくなったな」
「いや、久しぶりって……初めて見るでかさだ」
「我と貴様は以前に出会っている。仮の姿でもこの姿でもな」
たいまつの明かりが北に向かって流れている。
戦士たちがたいまつを左手に掲げて走っているのだ。
それに沿うようにクリスたちは村の北端目指して走った。
テントの間を縫うように進む。
そこを抜けて村の外へ出る。
森まで多少の距離がある。
その開けたところに、ガーネットを先頭に戦士たちが剣を振るっていた。
地面に投げ捨てられたたいまつと、戦士たちの剣や槍に宿る炎だけが明かりだ。
戦っているのは銀色の狼の群れ。
「銀狼ギルトヴァーンっ。何でこんな人がいるところに?」
メイリアが驚きの声を上げた。
「レアなのか?」
クリスは声で尋ねながら、視線は周囲を見回していた。
「……じゅぎょーでやってでしょうが。精霊種。山奥にいて人里には出てこない。領域を侵すものにはわりと容赦しないいっぴきおおかみ。って習ったでしょうが」
「群れてるぞ」
「言葉のあやよっ。でも、何でここにいるのよ」
「狼さんにでも聞いてくれよ」
聞いたところで何の解決にもならないと思うが。
影が飛んできた。
銀狼が跳躍してクリスめがけて口をあけた。
クリスは動かない。
銀狼がクリスをぱくりと噛み付こうとしたそのとき、メイリアが動いた。
空中で銀狼を殴り飛ばした。横から。
「邪魔っ」
地面をころころ転がって動かなくなった。気絶したっぽい。
「お見事」
「あんたも邪魔っ。少しはよけなさい」
みたところこっち優勢っぽい。
ガーネットの火槍に貫かれて狼が一匹火の粉になった。
「苦戦しているところから一匹ずつ潰すぞ」
「了解」
膠着状態のところをメイリアが後ろから狼を蹴る殴る蹴る蹴る蹴る。
「うー。なんか動物虐待している気分」
「まぁ虐待なのは間違いないんだが」
「ってあんたも仕事しなさいよ」
メイリアの後ろからクリスはロープを狼の首めがけて投げた。
銀狼に引っかかった。
銀狼は首を引っ張られてクリスを青い目で見た。
「……」
銀狼が飛び掛ってきた。
ロープが緩んで地面に落ちる。
よける暇なし。
とがった牙の奥に赤い喉元が見えた。
クリスは一か八か口のかなに手を突っ込んでつかんだ。
銀狼の舌を。
そして、水を入れたバケツを振り回して「落ちないぞ〜水」と遊ぶ要領で狼をぶん回した。
そのまま投げ飛ばす。
「無茶するわね。腰の剣はなによ」
「割と飾りだ」
クリスは答えながらせっせと口を縛った。
ついでに足も。
「大丈夫ですか?」
メイリアは営業スマイルでかまれて怪我をした人の腕に触れた。
光翼を展開する。
メイリアの手に集まった光が傷口に溶け込むように流れていく。それにあわせて傷が見る見るうちにふさがっていった。
「これで大丈夫ですよ」
「フェニーラ神殿もよろしく」
クリスはぼそりと言った。
「そこ、茶々入れない」
振り向いてメイリアがマジ怒りしていた。
「なんとかなったようだなぁ」
向こうを見るとガーネットが逃げる銀狼を追いかけていた。そりゃ逃げたくもなるな。
銀狼は森へと逃げていく。
追いかけるガーネットの足が止まった。
「ん?」
風向きが変わった。
北から吹き付けるような冷気がやってきた。
巨大な影が現れた。
黒き森の奥から、銀狼が現れた。馬に乗った人間の背よりも高い位置に頭がある。
またでっかいのかよ。
「なんで辺境の生物はみんなでかいんだよ。人間以外」
「辺境だからじゃないの? 街中で猫がでかかったら困るし」
そういう問題ではない。
「猫だったらかわいいじゃないか」
「うーん。じゃれつかれて城とかぽろりと折れそうだよねぇ。見張り塔とか」
すごいファンシーでシュールな光景を思い浮かべてしまい、クリスは首を振った。
とりあえず目の前に意識を戻す。
ガーネットが銀狼の前に立った。
ガーネットがちっこく見えた。
「おぬしがなにを考えておられるのかはわからん。だか、この先通すわけにはいかんのじゃ」
銀狼は声も上げずに少女を見下ろす。
大木のように静かにそこにいた。
銀狼は森の精霊。そこにあるのが自然なごとく森と調和していた。
風に合わせて銀の毛皮が波打つ。
「高く売れそうよね」
「いやそこ問題じゃねぇよ」
突っ込んでふと思った。
メイリアや師匠の戦闘時に雰囲気が似てると思った。構えもせず周りと調和して静かにそこにある。
いやな予感がする。
クリスは柄に指を当てていつでも抜けるようにした。
銀狼の姿が消えた。
「なっ」
銀矢のごとき踏み込みで、一瞬にしてガーネットの眼前に現れた。
口を大きく開けて丸ごとぱくり。
閉じられる口の中に、一本の光が走った。
それはかすかではあるが確かな輝きだ。クリスの剣が銀狼の口内に飛び込み。
爆発音がした。
ガーネットを飲み込まんとする口が、クリスの剣を縦に挟み込んで一度止まった。
夜の囲炉裏のそばでは、目を凝らしてみないと見えない光の刀身が、煌々ときらめきながらはじけ飛ぶ。
一拍遅れて再びぱくりとせんと口が動く。
虚を疲れて放心しているガーネットを抱きかかえて横に飛んだ。
銀狼の口がガーネットがさっきまでいた空間をくわえこんだ。
その顔の横に、飛び込んできたメイリアの拳が飛んだ。
白い拳。聖女の無駄にでかい魔力がこめられた一撃だ。本来なら怪我人の治療のために髪から与えられた力を容赦なく打撃力に代えて銀狼の頬を殴った。
ずん、と重い音が響いた。
反動で軽く顔が横にずれたものの、銀狼は平然としていた。
「……きーちゃいないか」
クリスとガーネットはころころしていたが、すばやく起き上がった。
「な、な、なんじゃいったい。早くてぜんぜん見えなかったぞ」
「人間にはまだまだわからない自然の英知はいっぱいあるのだ」
クリスたちは銀狼の動きを見ていた。
隙がない。もともとの体格差の上に妙にどっしり感がある。
崩す手が見つからない。
銀狼は首を上げて天を見た。
そして吼えた。
「あおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーん」
風が鳴いた。吹き付ける北風がクリスたちを打った。
葉が風にあおられて森がざわめいた。
声そのものが、心臓を圧迫してくる。
声がやんだ。
銀狼はクリスたちに背を向けると森へと帰っていった。
銀色の影が森の奥へ消えるのを見やってクリスはつぶやいた。
「勝った気はしないな」
「なにをいう。村を守ったのじゃ。立派な勝利である」
ガーネットはクリスにそう告げた。
「むぅ」
そういわれてみればたしかにそうかもしれない。
「はいはい〜。怪我した人は並んで〜一列」
向こうではメイリアが営業スマイルで治癒魔法をかけている。
「また来るんだろうなぁ。はぁ」
「しかし、なぜこんな麓まで降りてきているのだあやつは」
クリスはガーネットを見やった。
彼女までそう言うか。クリスはさっきメイリアと交わした話を思い返す。
『……じゅぎょーでやってでしょうが。精霊種。山奥にいて人里には出てこない。領域を侵すものにはわりと容赦しないいっぴきおおかみ。って習ったでしょうが』
こっちまで降りてくるはずもない。
「レア?」
「少なくとも今までに聞いたことはないのじゃ」
となると、ひとつ疑問が残る。
「どうして銀狼ギルトヴァーン……だっけ? はこっちに来たんだ?」
「わらわにはわからぬ」
原因がわかれば、何か手が打てるかもしれない。
それを解決すれば銀狼は帰っていってくれるかもしれない。
とはいえ。
「調べたいんだが。どうやって調べるんだ?」
「直接行くしかあるまい。だがな。行ったところで何かわかるかどうかはわからぬぞよ」
そーなんだよなぁ。
とりあえず狼の襲撃に備えて策でも練るか。
死人が出なくて良かった。クリスは思った。
(朝のラブラブごたごた。着替えを見たり見なかったり)
クリスが男たちといっしょに溝を掘っていると、ガーネットがやってきた。
上から見下ろしてくる。
細い太股が見えた。
「なにをやっているのじゃ?」
「堀だよ、堀。溝を掘って水を流すんだよ」
シャベルで土を脇にすくい上げる。
「銀狼が来ないようにであるか?」
「うん。渡ってくるところを弓で撃つのだ」
「むぅ。なかなか卑怯な作戦であるのじゃ。敵にはまわしとうないものだ」
「戦術といえ」
クリスはちょっとむかついた。
「暴力女が待ってるぞ」
「ん? ああ、もう準備できたか」
「まったく。なぜわらわがでか乳のために伝言役をやらねばならぬのだ」
「ああ、すまん、あとよろしくたのむ。任せたぞ」
クリスは男たちに挨拶するとひょいと飛び上がって溝から出た。
ガーネットと並んで歩く。
「まったく、せっかくの新婚生活じゃというのに。なにが悲しくて別の女を連れ込まれねばならぬのじゃ」
「そんなに怒るなよ」
「うう、納得がいかないのである」
「ガーネットもこー、結婚にロマンを感じてたりするのか?」
「うっ。それは当たり前のじゃ。女であるならな」
どっちかというと半ズボンはいて野山を駆けずり回っているのがあっている少女と「女」という言葉はちょっと親和性が低いと思う。
「何か、例によって変なことでも考えておるか?」
クリスはあわてて首を振った。
「まったく。平和なときはぽわんとしている男であるな」
「ほっといてくれよ」
なんで自分より年下の女の子にそんなことを言われねばならんのだ。
「怒ったであるか? 別に責めているわけではない。いざというときには頼りになるゆえ、日ごろ少々役に立たなくともわらわが面倒を見てやるゆえ」
「飯つくったり洗濯するのは俺だけどな」
「じきに覚えるのだっ。楽しみに待つが良いぞ」
「へいへい」
「クリスは……あの女が好きなのか?」
「うん」
即答した。
「そうか」
ガーネットはむくれた。
「昔の女にまだ未練を残しておるのか」
「そんなんじゃないよ」
クリスは笑った。
「幼馴染みでね。家庭の事情で師匠んところに引き取られたときに、その娘がメイリアでね。姉弟同然に育ったんだよ」
「それはこう、いろいろ複雑であるな」
「で、だ。師匠が『お前ら仲いいから結婚してしまえ』と。子供のころのたわいもない約束だよ」
「なんじゃ。そうであるか。わらわはてっきり……」
言いかけてガーネットは途中で口を閉じた。
「どうかしたか?」
「いや。なんでもないぞ」
ガーネットは微笑んだ。
「クリスがなんとも思ってないのならば別にわらわは構わぬ」
広場に着いた。
テントによって円形に囲まれているその中央に、白い法衣を身にまとったメイリアがいた。
子供たちに囲まれていた。
男の子がメイリアの背中によじ登っていた。それをメイリアは落ちないように手で降ろそうとするが、男の子の手に邪魔されてうまくいかない。
「あー。助けてよクリス」
「どうした?」
「みんな離してくれなくて」
「遊んでやれよ」
「誰が呼んだと思ってるのよ。そもそも!」
怒られた。
そうでした。
「みんな、ちょっとあっちで遊んでなさい」
「ねぇぽち様。このひともぽち様のお嫁さんなの?」
子供たちのうちの一人が聞いてきた。
「『も』ってなによっ!」
「なにを愚かなことを。クリスの妻はわらわ一人で十分じゃ」
女性陣の声を無視してクリスは子供たちを追い払った。
「ほらほら、お母さんのところに帰った帰った」
メイリアの背中から男の子を引っぺがして地面に降ろす。
「結構重いな。育ってやがる」
「あはは。メイリアお姉ちゃん、またね」
子供たちは笑いながら走っていった。
「さてと。行くか」
クリスは二人を見やって告げた。
「何処へであるか?」
「どこいくのよ」
「北へ偵察に。何かわかるかもしれないだろう?」
「うー。反対であるのだ。いないうちにまた狼が来るかもしれぬのじゃ」
「狼だろう。夜行性じゃなかったっけ?」
「でも犬は夜寝るわよ」
メイリアが突っ込んだ。
「いや、それは人が真っ昼間に散歩させたり遊んだりしつけたりするから昼間起きてるんだよ」
「しかしであるな。銀狼が一般に夜に動くものではあるが、かといって昼にやって来ぬとは限らないのではないのか?」
ガーネットが尋ねた。
「むぅ。そりゃたしかに」
「であるからは不用意に村を放置するわけにはいくまいぞ」
「むぅ。そういわれれば否定できん」
となると、村に対抗できる人を残しておかねばなるまい。
「じゃぁ、俺一人で行くから。あとのことはよろしくお願いできるかな?」
「ま、まて。それはどうかとわらわは思うぞ」
「わたしも付いていくわ。心配だもの」
「そ、それはずるいのじゃ。わらわもいっしょに行くのじゃ」
クリスはため息をついた。ガーネット。前言をあっさり翻すようなことを言うんじゃない。
「ここに誰か残さなきゃいけないんだろう。だから俺一人で行くから、二人はここに残って村を守ってくれ」
「うう、しかしクリス一人では心配なのじゃ」
「不本意ながらそれには同意ね。クリス一人にするとなにしでかすかわかんないし」
「みんな俺を何だと」
クリスが不本意だとばかりに頬を膨らませているが、それに構わず二人は話し続ける。
「初めて出会ったときは行き倒れておったの」
「かわいそうなクリス。こんなど辺境で一人寂しく。お姉さんがいるからもう大丈夫よ」
「人の話を聞けよみんな」
何で俺の周りには、こんなに人の話を聞かない人ばっかり集まるんだ。
「困るんだろう? ここに誰も残らなかったら」
「うっ」
ガーネットは言葉に詰まった。
「だから二人が残ってくれたほうがいいんだよ」
「いやよ。何が何でもクリスに付いていくんだから」
「んなむちゃな」
「何が無茶よ。クリスを一人にするほうがよっぽど無茶よ」
むちゃくちゃ言ってる。
ガーネットは押し黙ってクリスを見ていた。
「もう一人になんかさせないんだから」
「落ち着いてくれよ。ああもうどうしたもんか」
「わかった。凶暴女といっしょに行くがよい」
意外にも先に引いたのはガーネットだった。
「……珍しい」
「何がじゃ。混ぜ返すでない。村のものを置き去りにするわけにはいかぬ」
メイリアははっきりと告げた。戦場で銀狼を前にしたときのように凛々しい顔つきだった。
「じゃぁ決まりね。クリス。何かあってもわたしが守ってあげるからね」
「子供扱いはやめてくれよ」
「クリス。信じておるからな」
ガーネットはクリスの手をとってがっちりと握り締めた。
なにを信じているのかは深く突っ込まないでおこう。妙に手が痛いし。
「じゃぁ、行きましょうか」
メイリアはクリスの腕を取ると、脇に引っ張った。
やわらかい胸が腕に当たる。
相変わらずでかい。
「……クリス、信じていいのか?」
ガーネットがじとーっと目を細めてクリスを睨んだ。
「心配するなって。後を頼むぞ」
クリスはガーネットの赤毛を軽くなでた。
「えへへ」
「行くわよっ」
メイリアに引っ張られてクリスは転びそうになった。
クリスが引っ張られながら後ろをちらちら見ると、ガーネットが心配そうにクリスを見ていた。
クリスとメイリアは馬で北に向かった。
「あんまり胸押し付けるなよ」
「馬は不安定で嫌いなのよ」
「だったら村に残ればいいのに」
人選間違ったかなとクリスは思った。
クリスが手綱を握り、メイリアがその後ろにしがみついていた。
北に行くと紅葉が始まっていた
赤や黄色のまだら模様野中を駆け抜ける。
「そろそろ冬ね」
「そうだな」
「寒くなる前に帰らない」
「駄目」
「どうせなら二人で南に逃げようよ。あー。泳ぎたいなぁ」
「川あるじゃないか」
「寒くて死ぬわ」
すーっと。身体から熱が逃げていく。
メイリアがぎゅっと抱きついてきた。
「なんか寒くない?」
クリスは馬を止めた。
「急に冷たくなってないか?」
北から冷気が来る。
北風というわけではない。どちらかというと冬に暖房の効いた部屋の扉を開けると、廊下から寒さがじわじわと入ってくる。そんな感じだ。
「雪でも降る。ってわけじゃないわよねぇ」
メイリアの声に空を見てみると曇り空だ。
「まだ早いだろう」
「でも北の森だし。北の分だけ初雪も早いよ」
メイリアは馬から飛び降りた。
法衣の白いロングスカートをたくし上げて、スカートの中に手を突っ込む。
ずるずると黒いコートが出てきた。
女性のスカートは何が隠されているかさっぱりわからないものである。
どう考えても、そんなもん隠してたらそもそも歩けないんじゃないかと思うが。
「寒いからこれを着るのよ」
「準備いいな。俺にも貸してよ」
「一着しかないわよ」
きっぱり言った。
「そうですか。早く乗ってくれ。とっとと帰ろう」
メイリアはコートに袖を通した。胸のボタンは締めずに、そのままクリスの後ろに飛び乗った。
「行くぞっ」
メイリアが後ろから抱き着いてきた。
コートのすそを持ち、手を前に回してきた。
「これなら二人ともあったかいよね?」
「……ありがとう」
クリスは礼を言って馬を走らせた。
しかし。
馬が足を速めるにつれ、風がコートの前から入り込んでくる。
二人羽織で、前でコートを閉じるにはコートはいくらなんでも小さすぎる。
メイリアがわき腹をびしっと押さえても、肩口から寒風がするする入り込む。
「……寒くねぇか?」
「うん、大丈夫だよ。クリスといっしょだから」
「いや、メイリアだけでも着ろよ。無駄だから」
「いーから」
ほとんど意味ないよなこれ。とは思いながらクリスは馬を走らせた。
背中にメイリアの体温とふくらみを感じながら。
前方が妙にきらきらしている。
クリスは馬の足を緩めた。
陽光がガラスに反射しているみたいだ。
「なんだ? 山の中にガラスの城でもあるまいし」
「滝でも凍っているとか」
「そんなばかな。まだ早いって。いくらなんでも」
しばらく進むと、輝きが強くなってきた。
そこは氷漬けの世界だった。
クリスの心臓が、跳ねた。
ある一線を境に、そこから向こうは氷に覆われきらめいている。
紅葉が始まった木々も、落ち葉が積もった地面も。
すべての動きが止まっている。
生命の動きがない、寂しい世界だ。
クリスの心臓がどくん、どくんと強く動いているのが自分でもわかる。
異常事態にびびっているのか?
それは違う。
手の甲にざざざっと寒気が走った。
理由はよくわからないが、ここにいてはいけない。
クリスは首を振って妄想を振り払う。
メイリアは黙って、クリスにしがみついている。
メイリアの心臓の拍が、背中越しに伝わってくる。
一人じゃない。
クリスは深呼吸した。何も恐れることはない。
「これが原因なのか?」
視界の果てまで、白く輝いている。
これ自体の原因はさっぱりわからないが、森の一部が凍りついたことによって銀狼たちが追い出される形で南下してきたのか。
「帰ろう。クリス」
メイリアがつぶやいた。
「おいおい。なんでだよ。せっかく調べに来て、ようやく異常が見つかったというのに」
「いいから。ここにいちゃだめよ」
妙にメイリアがカリカリしている。
いつもだったら、『ふん。何か出てきてもわたしがクリスを守ってあげるから』といって拳を握るのに。
……女性としては正直どうかと思う。
「なんかへんだぞ、今日のメイリア」
クリスは馬から下りた。
振り返ってクリスは気が付いた。メイリアの顔が青い。
「む。大丈夫か?」
「わたしは大丈夫よ。それよりもクリス、あんたは」
クリスは答えずに振り返って歩いた。
足が妙に重い。
痺れてる。
慣れない馬に乗った疲労か。
クリスは氷結の境界線前にしゃがみこみ、氷に指を伸ばした。
冷たい。
「凍ってる」
見たとおりのことを告げる。
手を離そうとしたら、指先がくっついてた。
かちんとクリスは固まった。
「なんかしたの?」
メイリアが聞いてきた。
「……剥がれない」
「はぁ?」
人差し指と中指の腹が、氷にぴったりくっついて剥がれない。
「なに遊んでるのよこんなときにっ」
肩をつかまれてぐいっと引っ張られた。指先が焼け付くように痛む。
「ぐわっ」
「ほらとれた」
「痛いってば。馬鹿ぁ」
「男の子なんだから我慢しなさい。ほら」
メイリアはひざまずき、クリスの手をとると、指先を舌でなめた。
赤い唇に指二本をくわえ込まれる。
舌先で指がくすぐったい。時々しみて痛む。
「ほら、大丈夫よ。それとも魔法かけて治す?」
「いい」
クリスは恥ずかしくなってぶっきらぼうに答えた。
「それより先に進まないと。この村でなにが起こっているか調べないと」
クリスは馬を近くの木に留めた。
氷結の範囲内に入り、歩いてみる。凍っているので滑りやすいかと思ったが、意外にも固いタイル張りの床みたいにがっしりしていた。
クリスは凍りついた赤い木の葉に手を伸ばした。
手に付かないように、布を手のひらに載せてそれ越しにつかみとる。
引っ張ったら葉が割れて砕け散った。
粉々になってつるつるの地面に落ちていく。
「うう」
ちらりと後ろを見るとメイリアの視線が痛い。
「なにをしているのよ」
「何事も実験だよ」
クリスはこんどこそ丁寧に葉っぱを取ると、メイリアの前に差し出した。
「これが何か?」
「見てごらん。葉っぱ一枚丸ごと凍りついてるよ」
葉を丸ごと氷付けにして、彫刻家が丁寧に削りだしたように薄く氷が張っていた。
「どうやったらこんなに綺麗にできるんだ?」
「自然現象ではないことはたしかね」
普通に考えると魔法だろう。
つまり誰かが意図的に、もしくは事故でこんな広範囲を凍らせていると考えるべきか。
「北の森だとこれがふつーだったり」
「そんなわきゃねぇだろう」
とりあえず突っ込んでおく。というか前言即座に翻すなと。
メイリアは凍った葉っぱをつっついた。砕けた。
「もろいね」
クリスたちは歩いていった。
しばらく進むと氷付けの村が見つかった。ガーネットたちとおなじ丸いテントが放射状に並んでいる。
「全滅って感じね」
メイリアはつぶやいた。
「生き残り。っていうのか? 誰か残ってるのかな」
すぐに見つかった。
ひざまずいて子供を抱きしめている女性。が子供ごと凍り付いていた。
「ひどい。誰がこんなことを」
クリスは拳を握り締めた。
「メイリア。何とかできる? 奇跡とか」
メイリアは首を振った。
「魔法的に固定されてるから無理。これをやったやつに解かせるか、ぶちのめして気絶させるかしない限り、例え誰でも解除は無理ね」
「むぅ」
クリスはうなった。
「お湯かけてもだめかなぁ」
「それで何とかなるならとっくにとけてるわよ。まだ水が凍りつくほど寒くないんだから」
「むぅ。何とかする方法を早く見つけねば」
どうしようもないのでとりあえず先に進む。
村を回りながらクリスは思った。
あれ、いまのなんかおかしくないか?
妙に引っかかる。メイリアの発言が。
息子の手を引いたまま凍りついた母親や、肩を寄せ合って逃げている老夫婦の氷像がところどころに見えた。
なんで見ただけでわかるんだ? 魔法的に固定されているって。試したわけでもないのに。
テントの間を抜けた。
北のひらけた広場では、男たちが手に武器をもって掲げている状態で凍り付いていた。
全員がある一点を見上げて。男たちの顔はみな恐怖におびえていた。
「ここが戦場だったみたいね」
メイリアがつぶやいた。
「たぶん、一発でみんな凍りついてしまって」
彼らの視線の先に、何かがいたんだろう。
「何でみんな上を見てるんだよ」
「上から来たんでしょう? もしくはでかいのとか」
「こんなに大きいのってドラゴンかよ」
クリスは笑ったがメイリアは黙ったままだった。
「突っ込めよ」
メイリアは露骨にため息をついた。
「そんなおばかなことを言っている場合じゃないわよ」
「人生に笑いは大切なんだよ。たぶん」
クリスたちはさらに北に行ってみた。しばらく歩くと氷漬けの世界は終わり、赤と黄色の紅葉の世界に戻った。
「位置的に、やっぱりさっきの村が中心かな?」
「みたいね」
メイリアはうなずいた。
引き返す。
生存者はいないかと村の中をくまなく探してみる。テントの布をずらそうとしてそのままパリンと砕いてしまったりもしたが、ほかに手はないので最後にはばんばん割っていった。
「なんか楽しんでない?」
「そんなことはないぞ。たぶん」
テントの中には誰もいなかった。
外には子供をつれて逃げる母親がいっぱい凍りついていた。
クリスはふと気がついた。
「女の子がいない。どこへ消えたんだ?」
メイリアは答えなかった。
「もともといないのか、別に逃げたのか、連れ去られたのか、実は全員男装しているとか」
「最後のはどうよさすがに」
「あ、やっぱり?」
クリスは頭をかいた。
「美少女だといけないひとに誘拐されちゃうからみんな男装してるんだよ」
「で、どうやって確かめるの、それ?」
「そんなはしたないことぼくの口からはいえません」
「黙れ」
クリスは黙った。
「あとでガーネットにでも聞いてみましょう。そっちのほうでなんか変な風習とかあるとか」
クリスはうなづいた。
クリスたちは自分の村まで戻った。
馬を柵の中に入れて、テントまで戻る。
「やめよ。離せ無礼な。子供扱いするでない」
ガーネットの叫び声が聞こえてきた。
「なんなんだ?」
「またへんなことになって」
とりあえずクリスは走った。
中央の広場にガーネットはいた。
彼女を後ろから抱きしめて、すりすりしている女性がいた。
透き通るような真っ白い肌をして、黒いノースリーブの上着とミニスカートをしていた。
そして太股まであるニーソックス。
「寒そう」
クリスはつぶやいた。
突然メイリアがクリスをかばうように前に出た。
「なんであなたがここにいるのよっ!」
いきなり叫ぶ。
メイリアの背中でぜんぜん見えないのでクリスはちょっと横にずれた。
黒ずくめの女性はいきなり怒鳴られても平然と笑っていた。
「のわっ。暴力女よ。このものと知り合いであるか?」
ガーネットがたずねた。そのあいだも女性はがっちりとすりすりして離さない。
「何とかするがよい。これではわらわは何処へも行けぬ」
黒ずくめの女性はメイリアに言った。
「あらあら。お嬢ちゃん。お久しぶりね」
「お久しぶりじゃないわよっ。あんたまたっ」
「はいストップ。その先言っちゃっていいのかな? ここで始める気?」
「くっ」
メイリアは苦しそうにうなった。
「大丈夫よ。まだなんかするわけじゃないから。それにもうあなたには興味ないし」
「……昔の女ってやつか?」
クリスはたずねた。
「ちょっと黙れ」
メイリア、まじ怖いです。声。
「べつにこう、俺がいないうちに恋人作っても木にしないから。女性ってのはちょっとびっくりかな。あとで紹介してよ」
「黙れといっている。あとで殴るから」
「ごめんなさい」
ちょっと触れちゃいけない過ちだったらしい。
「痛くしないでね」
メイリアは無視した。
「あはっ。相変わらず面白いひとね」
女性は笑った。
緩んだ腕からガーネットが必死に逃げ出した。
「あらあら」
ガーネットは女性から離れてにらんだ。
「あらら。怒ったところもかわいい」
「クリスー。助けるのじゃ」
「いやどうしろと」
すがりつくようなガーネットのレアな視線を受けてクリスは頭をかいた。
「ふふ。また遊びに来るわね」
女性は微笑を浮かべたまま去っていった。
「頼りにならんやつだな」
「うう、ひどいことを言う」
「わらわが必死でどんな思いをしていたかわからぬのかっ」
ガーネットは顔を赤くしてわめいた。
正直さっぱりわからん。
「うー。察しろ」
「むりむり。これにそーいうの求めるほうが間違ってるんだから」
メイリアが冷たく言った。
「むぅ。それはさておき。さっきの寒そうなねーちゃんはなんだったんだ?」
まだ冬じゃないからって袖なしは見ているこっちが寒そうだ。
「知らぬ、北から逃げてきたとか言っておったのじゃが」
「で、なんで抱きしめられていたのだ?」
「さっぱりわからん」
ガーネットは言い切った。
「かっ、かっ『可愛い』などといってわらわをいきなり抱きしめおって。なにを考えているのかさっぱりわからん」
「かわいいじゃん」
「まぁ、言わんとすることはなんとなくわかる」
メイリアとクリスはそれぞれうなづいた。
「馬鹿者、これでも人妻なのじゃ。大人のレディにはもっと適切な表現があるのではないのか」
「自分で『これでも』って言っている時点でわりと自覚症状ありね」
「うっ」
ガーネットは言葉に詰まった。
「まぁ、悪いやつではあるまい。子供たちと遊んでおったからな」
「いや、その基準はどうかと」
「そうであるのか?」
「ある日気がついたら狼さんにぱっくり。とかやられないように気をつけるのよ」
メイリアが口を大きく開けて、がおー。と言った。
「大丈夫である。その辺の狼には負けぬのじゃ」
「まぁ気をつけとけ。ところでガーネット、聞きたいことがあるんだ?」
「なんじゃ?」
クリスたちはテントに戻った。
メイリアが持ってきた紅茶を入れようとしている。
クリスは座り込み、正面のガーネットに尋ねた。
「北に行ってきたんだが。村を見つけた。そこは全部凍りついていた」
先ほど見たことをすべてガーネットに告げた。
ガーネットの顔が曇る。
「あやつか」
「知っているのか?」
「うむ、北の山に邪悪なドラゴン、氷龍エーベクルーズなるものがいて、人を氷漬けにするという伝説があるのじゃ」
ガーネットはカーペット代わりの毛布をぎゅっと握り締めた。
「十年ほど前にも襲ってきたのじゃ」
「そのときはどうしたんだ?」
「わらわの父上が何とか追い返したのじゃ。そのとき」
ガーネットは黙った。
「よしよし」
クリスは頭をなでた。
「次に出会ったときがあやつの最後なのじゃ。必ず倒すのじゃ」
「ほら、紅茶」
メイリアが二人のあいだにカップを二つ置いた。
「わざわざ持ってきたのか」
「当然」
メイリアは胸を張った。
エプロンの下から胸の部分がが押し上げられている。
白い法衣の上に白いエプロンなのであんまり目立たない。
エプロンの端に、ひらひらとしたフリルが付いている。
「のわ。旨いのである」
ガーネットが驚きの声を上げた。
「むぅ。お茶がこんなにおいしいものとは知らなかった。恐るべし。暴力女のくせに」
「一言余計よ」
「さて、なんとか原因はわかったが」
クリスは紅茶を飲んだ。
「やっぱりメイリアのお茶はうまいな」
「ありがと」
メイリアは嬉しそうにしいた。
「原因はわかったが、対処法はさっぱりだ」
クリスはため息をついた。
「銀狼が逃げてきたってことは、あれよりドラゴンのほうが強いんだよな」
「大丈夫である。わらわが氷龍エーベクルーズなぞ必ず倒してみせる」
「クリスはわたしが守ってあげるから」
女性二人ははっきりとクリスに告げた。
それからしばらく、銀狼は姿を現さなかった。
クリスが朝目覚めると、メイリアがすでに起きて朝食を作っていた。
「むにゃ。もう食べられぬのじゃ」
クリスの脇ではガーネットがぐっすり寝ていた。
「ほら、起きろ」
クリスはゆさゆさゆすった。
「うにゃ」
「ほれ、朝ごはんだぞ」
「もうおなかいっぱいなのである」
「ねぼけてるな」
くー、とかわいらしくガーネットのお腹が鳴った。
「おかしい。さっきまでお腹いっぱいに食べたはずなのに」
問題は食事中に起こった。
「うう、うまいのじゃ。悔しいのじゃ」
「まぁ、慣れだ慣れ。ガーネットも練習すればじきにうまくなるぞ。きっと」
メイリアお手製の鹿の丸焼きと澄んだスープを飲みながら仲良く話していたが、途中からちょっと風向きが変わった。
「やっぱり、女の子は料理の一つや二つはできないとね」
「うっ」
「結婚したときに何も作れません。じゃ困るよね」
「ううっ」
「挙句の果てに旦那様に作らせるなんて」
「うーっ。暴力女め。わらわに喧嘩売っておるのか?」
ガーネットは眉をひそめてメイリアをにらんだ。
「べつにそんなつもりはないけど」
メイリアは笑ってクリスを見た。
「クリスは、料理のできる娘と、できない娘。どっちが好みかな?」
「うーん、それはもちろん料理のできる」
そこまで言って、ガーネットが泣きそうな顔でクリスを見ているのに気が付いた。
ちょっと良心が痛む。
「……ほうがいいかもしれないけど、人間の価値はそれだけでは決まんないよ。たぶん」
「逃げたわね」
クリスは視線をはずし、黙ってスープを飲んだ。
「それはそれとして、料理だけ比べたら上手なほうがいいよね?」
メイリアがさらに詰め寄る。
「そりゃまぁ、そうかもしれないけど」
「どうよ」
メイリアは胸を張った。
「大人気ないぞ」
クリスはぼそっと突っ込んだ。
「ほっといてよ。というわけで、料理の一つもできないというのはちょっと心配だなお姉さんは」
ガーネットは毛皮の敷物をどんと叩いた。
「黙っていればいい気になりおって。わらわが本気になればきっとおいしい料理が、作れる、といいなぁ」
語尾がどんどん弱くなり、最後はかすれてしまった。
「ふぅん、じゃぁ、試してみる?」
「うっ。望むところじゃぁ」
はたから見ても空元気でガーネットは答えた。
「さて、散歩兼偵察に行ってくるか」
クリスはとっとと逃げようとした。
しかし後ろからつかまれた。二人に。
クリスはいやいや後ろを見た。
「審判よろしく」
「クリス、ちゃんと見ておるがよいぞ」
みんな暇じゃないだろうお前ら。
(「まずは材料からじゃ〜」などといって狩りから始めようかとは思ったけど枚数削るときに真っ先に削らざるを得ないので省略)
料理対決が始まった。
わざわざ調理台を隣から借りてきて並べ、そこにガーネットとメイリアが並んだ。
まずは下ごしらえからだ。
「るんる〜」
メイリアはエプロンを身に着け、歌交じりに料理を始めた。
包丁を軽く当てるだけで、肋骨があっさり外れていく。
「むぅ、さすが本職といったところか」
「まぁね。今回は本気だから」
容赦のない女である。
対してガーネット、メイリアからエプロンを借りたものの長すぎてロングスカートみたいになっている。
「うのっ。このっ」
「落ち着け。危ないから」
包丁を持って文字通り素材と格闘している。
自分の手ごと切りそうでもう見ていられない。
「あうっ」
ガーネットは顔をしかめた。
クリスは見ていられなくてガーネットのもとに駆け寄った。
「まったく。なんで槍は普通以上に扱えるのに、包丁はだめなんだよ」
「あう。小さすぎて難しいのじゃ」
「ほら、大丈夫か?」
ガーネットの左人差し指が切れていた。
クリスは手をとると指をなめた。
「気をつけろと」
「うう、ごめんなのじゃ」
「ほれ、手伝ってやるから」
「あー。ずるいぞクリス」
メイリアが叫んだ。
そういいながらも手は止まらない。骨をばらばらにはずした上で肉を刻んでミンチ状にしていた。
「やかましい」
料理のプロと、調理の基本も知らない子供が戦っているようなものである。
クリスはガーネットの後ろから腕を回してメイリアの手をとった。
ちょうど背後から抱きしめている形になる。
「あっ」
「ほら、こうやってここに歯を当てるんだ」
クリスの指示にあわせて、ガーネットが包丁を引くと、するりと肉が切れた。
「うわっ。すごい」
「なにを言っている。ガーネットがちゃんとやったんだよ」
「う、うん。わかっておる。次はどうしたらよいのじゃ?」
「ほれ、こうやって」
見る見るうちに肉が綺麗に切り分けられる。
「うう、包丁と言うものはこんなに便利だったのであるか。知らなかった」
「なんかあれだ。力に頼りすぎ」
クリスは頭をなでようとしたが、指先に脂が付いているのに思い当たった。
代わりに腕でぎゅーっと抱きしめてやる。
「く、クリス。あまり引っ付くでない」
「クリス! あんたいったい何やってるのよ!」
隣から怒鳴り声が聞こえた。
「ほらほら、集中しないとまた手を切るぞ」
「うう。が、がんばるのじゃ」
とかなんとかで完成した。
「結局、ほとんどクリスが作ってなかった?」
「気にするな」
「ぶー」
とりあえずメイリアは無視。
三人で食べることにする。
メイリアのはスープと肉団子。
「うう、どうやってもスープがくどくなっちまうんだよなぁ。どうやってるんだ?」
「あとで教えてあげるわよ」
メイリアは微笑んだ。
さすが家事のプロ。文句のない味だった。
「うぐ」
一口くわえ込んでガーネットが沈んでいた。
「さて、つぎはガーネットのと」
鹿肉をスライスして焼いただけの単純な料理である。
「はむっ」
ちょうどよく焼けていて良い。
「上手くなったな。ガーネット」
頭をなでてやる。
「うむ。がんばったのじゃ」
「……いや、全部クリスの指示じゃ」
「最初はそれでいいんじゃないか? 俺たちだって最初から師匠に何も言われずにできたわけでもないんだから」
「むぅ」
メイリアは頬を膨らませた。
「というわけで食べようよ。冷めないうちに」
「そうなのじゃ」
ガーネットはうれしそうだった。
生まれて始めて料理が上手くいったからだろう。
「で、どっちが旨いの?」
「両方」
クリスはきっぱり答えた。
「どうしても白黒はっきりつけろと言うんだった、努力点を強めに加算するけど」
「もういい」
メイリアはため息をついた。
「クリスってばガーネットに甘くない?」
「そうか? 俺は子供には優しいぞ」
「うー。子供扱いするものではないのじゃ」
ガーネットはむくれた。
クリスは村の周囲を見回っていた。
穴掘りは終わり、きっちり堀が完成していた。あまった土は村側に盛り上げ、その上に新しい柵を築いた。
盛り土の上に立って、柵の前から森を見るとなんか変わって見えるかと思ったけどあまり変わらない。
逆に、村の中を見ても、テントの屋根を見下ろす、というわけにもいかない。
夕日でテントが赤く染まっている。
子供たちが遊んでいるのが遠くから見えた。
で、黒いノースリーブも見えた。
近寄ると、エルスだった。