(がけの上でやられてメイリアの拾われるシーン)
刀傷があることになっているので修正に注意。
体中を痛みが走っている。
肉の中をぐいぐい押しのけながら虫が全身を這い回っているみたいだ。
それが腰に全部集まって、一気に焼けた。
「ぐぉっ」
痛みで意識がむりやり現世に引き戻された。
目を見開くと、赤い髪の少女が顔を覗き込んでいた。水晶みたいに澄んだ瞳を向け、しげしげと見つめてくる。
猫が猫じゃらしでも見つけたみたいに、だ。
「どうじゃ?」
記憶が繋がらない。
誰?
見たことがない娘だ。
少女はなぜか真っ赤な槍を持っている。
少女の頭二つ分高い先端はぴんと天井を向いている。
思い出そうとしたら腰が痛んだ。
「うぐっ」
「大丈夫か。無理をするでないぞ」
他にも腕や肩や足首が痛み、熱を持っている。
左腕を見ると肉が貼り付けてあった。って肉っ?
「これ、何だ?」
「なんだ? そんなことも知らぬのか。熊の肉には打撲を治す効果があるのじゃ」
本当かよ。
まぁ、それはさておき。
「えーと、何で俺はここに?」
クリスは辺りを見回した。
良く見るとテントの中らしい。中央に柱が、そこから梁が放射状に伸びている。
真ん丸い。
囲炉裏があって、そこで火が燃えてテントの中を照らしている。
「知るかそんなの。崖の下に落っこちてたから拾ってきたまでじゃ」
物扱いかよ。
「で。ポチ。なにがあったのか話してみよ」
「ほち?」
「動物を飼うときは、ちゃんと名前をつけてやれとオババは言っておったのじゃ」
少女は胸を張った。
あんまり栄養分は足りてない模様だ。むしろ、引き締まった身体と言えるのかもしれない。のけぞった拍子に、火のように赤い髪がさらりと流れた。
一応念のため、自分の体を確かめてみる。
怪我しているけど人間だよな。犬じゃないよな、俺。
体をひねったときに腰が痛んだ。気になるが気にしている暇もない。
「念のため聞くが、お嬢ちゃんの目には俺が犬とか猫とかに見えているわけじゃないよな?」
「うむ、北斗の二連星もばっちり見えるぞ」
目はいいと主張しているらしい。
「何で動物扱いなんだよ」
「ほら、あれだ。奴隷扱いよりはかわええのぅ。そう思わんか」
娘は笑った。
本気でそう思っているのかよ。
「思わん。大体俺には、クリス、という名がちゃんとある」
「……かわいくない」
娘はむくれた。
「何じゃそれ?」
「くりす、よりも、ぽち、のほうがかわええ」
「無茶苦茶言うなーっ」
クリスは腹のそこから叫んだ。
その拍子に、腰がずきんと痛む。
「あ、あいてててて」
「無理するでないぞ」
眠い。
手当てはされているものの、ダメージは抜けきってはないみたいだ。崖の上から落ちたときは何度か斬られて出血していたはずだ。
傷も塞がっているので治療術でもかけられたのだろう。
だからといって負傷と同時に抜けた魔力は戻ってこない。回復させるために体が眠りを欲している。無駄に抵抗しないで寝た。
夢の中でたゆっているとスープの香りがした。
「んっ……メイリア?」
そうかもう朝ごはんか。彼女が作る食事はとてもうまいんだ。
「なにを寝ぼけておる」
白い法衣を着た幼馴染の姿がまぶたに浮かんでいたが、眼を薄く開けるとそれは蜃気楼のようにかすれて赤毛の少女の姿になった。
ついでに胸も半額セールになった。
少女が半分呆れ顔だった。
「大丈夫か? 疲れておるのではないか?」
「うう、たぶん大丈夫だ」
あんまり自信はないが。
「さぁ、ポチ。エサだぞ」
「エサ呼ばわりかよっ」
すげー、やな予感がしてならない。
皿に生肉乗ってたらどうしよう、と思いびくびくしながらおきるとまともな食事だった。
ちゃんと火が通っている肉だ。
あとスープ。ぎとぎととした油が表面に浮き上がっていた。
「これは何だ?」
「肉だ」
少女は即答した。
「何の肉だ?」
「鹿だ。わらわが今日手に入れた獲物のひとつだ」
「もうひとつは?」
彼女は無言で俺を指差した。
「獲物扱いかよ」
ちょっとランクダウン。
少女は笑ってクリスの頭をなでた。
「早く元気になってもらわないとな」
クリスは抵抗せずに小さい手でなでられていた。
そういえば昔こんな扱いだったな。
「なにをさせようというんだ」
「オババに聞いた話によると、なんでも狩りのときに犬を先導させて獲物を追いかけさせる、というではないか」
「俺は犬かよ。そんなに足は速くないぞ」
「うむ、まぁオトリぐらいにはなるだろう。
ちょっとその、オババとやらに一度会ってきつく文句を言いたいものだ。へんな知識を教えるんじゃない。と。
「そう不安そうな顔をするでない。大丈夫だ。ポチはちゃんと飼い主たるわらわが守ってやるから」
少女は薄い胸をぽんと手のひらで叩いた。
「うれしかねぇ」
クリスはぼやいた。
続けて、少女の名を呼ぼうとしてふと気が付いた。この娘の名前を知らないということに。
「そういやさ」
「なんじゃ?」
「名前、聞いてなかったな」
「ない」
「ないたん、と」
「……たん、というのは何じゃ」
「気にするな」
「気になるがまぁよい。『ナイ』という名前ではなく、名前は神に捧げたのじゃ。それが族長たるわらわの義務なのじゃ」
「ふむ、面白い風習だな」
クリスのいた、一般に中央と呼ばれる地域では兄妹神が信仰されている。兄が法の神で、妹が太陽の神である。これが世界における主流の宗教で、聖地フェニーラにある神殿が総括している。
フェニーラ神殿の影響下にない辺境では、土着の神が祭られてる。
きっとこう、名前を捨てることによって神の力(とされる魔力)を得る魔術儀式の一種なのだろう。
まぁそれはどうでもいいが、問題は名前がないと呼びづらいということである。
「じゃぁ、なんと呼べばいいんだ?」
「ご主人様」
きっぱり。胸を張ってきっとクリスを見下ろす目はさすが族長たんの貫禄、といったところである。
「勝手に付けるぞそういうこと言うと。とりあえずナイチチな」
ナイチチ(仮名)は槍の柄でクリスを殴った。
「ぐわっ」
痛い。
「ポチの言うナイチチなるものが何かはわらわはわからぬ、だが、とりあえずポチが非常に非常にひじょーに失礼なことを考えているというのは想像がつくぞ」
「うう。……じゃぁ、ガーネット」
「なんであるか? それは」
「宝石の名前だよ。赤い奴」
「なるほど。わらわはそのようなものには興味を持たぬのじゃ」
「……まぁ使わんよなここじゃ」
中央だと貴族どもはヒマなんで、女性陣は宝石とか布とか銀細工とかが大好き。もっともこれが例外って気もするが。
「つーわけで、異論がないならガーネットたんだ」
「好きに呼ぶがいい」
「じゃぁナイチチたん」
もう一度槍で殴られた。
「いてぇ」
「わらわが本気になったら、そなた今頃真っ二つで燃え尽きておるぞ」
「無抵抗の人間を斬らない良心を信じたいものです」
「へんな奴だな。ポチは」
ガーネットは笑った。
ガーネットのある種献身的な看病によってクリスの体は癒えた。
「ようやく元気になったのじゃな」
クリスの頭をぽんぽんと叩く。
「これでようやく散歩ができるな」
ガーネットはにっこり笑って皮の首輪(人間サイズ)を差し出してくれた。
ひも付き。
「とりあえずオババなる人に文句言っていいか?」
「うわ。よくぞわかった」
「下手にひっぱられると首が絞まって死ぬんだが」
「大丈夫、死ぬことはわらわが許さん」
あんた死神かよ。死ぬなって言えばそれで済むのか。
「大体こんなもん誰が作ったんだか」
「メイアからもらった。ほれ、いつもポチがたべているえさを作ってくれている人だ。感謝するがよい」
メイアさんとやら、いったいこれ何に使ってたんですか。
「それに、だ。ここは族長のテントで立ち入り禁止でな」
「む? 初めて聞くが」
「聞かれてないからな。言ってはおらぬ。で、だ。入った奴は処刑、と決まっておる」
斬られるのか。俺。
「なんで俺を入れたんだ?」
「喜べ。当然、ペットは例外だ」
ガーネットは勝ち誇って笑った。
「……せめてひもは危険だから勘弁してください」
「えー」
「えーじゃねぇよ」
ひもは外したものの。自分の手で首輪をつけるとなんかやるせない気持ちになった。
「落ちるところまで落ちたもんだなぁ」
「崖から転落人生とか言うやつだな。あまり気にするでない。手遅れだ」
「うう」
「さぁ、わらわについてくるがよい」
「逃げようかなぁ……」
「ポチは猫か?」
「うにゃ?」
「やかましい。犬は一度受けた恩は忘れないというが。ポチは犬以下かな?」
「うぐっ。それもオババの入れ知恵か?」
「さあ。ポチの頭で考えてみるとよい」
ガーネットは振り返らずにテントから出た。
当然、付いてくるものだといわんばかりだ。
まぁ、確かに看病してくれた恩ぐらい返さないといかんかな。とは思う。
逃げてきてとりあえず行くところもないし。逃げるだけならいつでもできる。
……生まれてこのかた、まさかペットになるとは思わなかったが。
クリスは入り口の布をくぐった。
テントの外は広場になっていた。
毛皮でできた服に身を包んだ男たちがごちゃっと座っている。
円形の広場の周りにはテントが放射状に並んでいる。
結構でかいな。
久々に浴びた陽光は弱かった。フェニーラの真上から照りつける太陽とはまるで違った。
北に来たんだなといまさらながら思う。
「ポチ。これを持ってくるがよい」
ガーネットは視線で足元の木箱を指した。
釘で止められた頑丈な箱だ。中央では普通に使われている。
商人が箱に商品を入れて持ってきたんだろうか?
「なにをしておる?」
ガーネットがクリスを睨んでいる。
クリスは木箱を抱えるとガーネットの後に続いた。
広場に集まった男たちがクリスをじろじろ見ている。
俺がいったい何をした。と叫びたいものではあるが。まぁ、異邦人が珍しいのであろう。
「ここに置くがよい」
クリスが木箱を置くと、ガーネットはその上に乗った。
ようやくクリスと背が並ぶ。
「さて、皆のもの。今日は私の忠実なるペットをお披露目したいと思う」
ガーネットはクリスをちらりと見る。
「我がペットは幸いにも言葉を操ることができる高い知能を持っている。さぁ、自ら我が同胞たちに挨拶することを許すぞ」
どこまで本気なんだろうかと思うが。
こんな小娘に男たちがちょこんと座って黙って聞いているところを見ると、ここでついうっかり。
『お嬢ちゃんおいたはいけませんぜ』
とかいって手で突っ込んでみたら、次の瞬間、男たちの剣とか槍とか斧で三十六分割ぐらいされそうな勢いである。
「えー。ポチです。皆様よろしくお願いします」
野郎どもは無言でクリスを睨んでいる。
「……こういう洒落のわからん連中は苦手だ……」
クリスはぼやいた。
一人の男が立ち上がった。
右ほほに傷のあるひげ面の男だ。
「族長に申し上げます」
「なんじゃ。言うてみろ。ガルフォード」
「はっ。その男は正直信用できません」
しなくていいからそのまま帰してほしいものだ……
「理由を聞こう?」
「この、ノードアルスと小競り合いを続けているときに南方人ですと。信じろというほうが無理がありましょう」
「そうか。ならば却下である」
族長殿はあっさり言った。
「なぜですかっ」
ガルフォードと呼ばれた男の声がでかくなる。
「犬は一度受けた恩を忘れぬものじゃ」
ガルフォードは口をぱくぱくさせた。
論理飛びすぎてます。ガーネット。
男たち誰も突っ込めず広場はしーんと静まり返った。
鳥の声が聞こえる。
「な、納得がいきません」
ようやくガルフォードが言った。
「まぁ仕方ないな。だが私の許しなくポチに手を出すのは許さんぞ」
「御意」
そうはいったものの。ガルフォードはクリスを睨み続けている。
やる気満々らしい。
……とっとと逃げるか?
「今日の話は以上じゃ。じゃぁ、これより狩りを始める。準備をして集合。というわけで解散じゃ」
男たちが立ち上がってばらける。
ガルフォードはクリスたちのそばを通って、ガンを飛ばして去っていった。
クリスは視線を外した。
空は綺麗だ。
ガーネットはクリスの背中を叩いた。
「わらわのそばを離れるでないぞ。ポチはわらわがちゃんと守ってやるからのぅ」
そう言って笑う。
「さいですか」
「あ、ちゃんと木箱は片付けておくんじゃぞ。また使うからな」
「はいはい」
クリスはテントに戻った。
「はよ行くぞ」
ガーネットが垂れ幕から首を突っ込んで覗いている。
「ん。俺の持ってた剣とかあるか?」
「うむ、そこにあるぞよ」
ガーネットはテントに入ってきて机の上を指差した。
そこにぼろぼろになった服が置いてあった。その脇には鞘に入った剣が立てかけてある。
「持っててっていいか?」
「構わぬ。ペットの持ち物を奪うほどわらわは困窮してはおらぬ」
「いや、俺に武器もたせていいのか? ってことなんだが」
「何か問題があるのか?」
ガーネットは首をかしげた。
「……なければいいんだが」
信用されているのか、はたまたクリス程度には負けないと思っているのか。
いまいち判断が付かない。
クリスはベルトを手に、腰紐を外してかわりにベルトを身につけた。
白い包帯のような布を左手首にくるくる巻く。
「それは何じゃ? まじないか?」
「そんなもんだ」
「ふむ」
ガーネットは槍を置いてクリスの剣を手に取った。
抜いてみる。
刀身がなく、柄だけだ。
「折れたのか? なら代わりの剣をくれてやろう」
「いや、それでいい」
クリスは剣を受け取ると腰に帯びた。
「変な奴だな。それでは人は斬れぬぞ」
「人間を斬る気はないから問題あるまい」
「む? ……殴るのか?」
「は?」
いやなんで殴るって話が出てくるんだ?
「南方では柄だけで撲殺する新手の剣術でもあるというのか。理解不能だ」
「理解不能なのはガーネットたんの頭の中身だと思います先生」
「むー」
ガーネットは頬を膨らませた。
珍しく年相応に見えた。
「まぁお守りみたいなものだ」
「ふむ。よくわからんがわかった」
解ってねぇだろう。
「ところで、『たん』というのは何だ? 『ガーネットたん』とかポチはよく言うが」
「はい。私の出身地において美しい女性に対する尊称でありますわがご主人様」
ガーネットは黙ってじとーっとクリスを見る。
「何か?」
「なぜ急に饒舌になる」
ガーネットは不審げに目を細めた。
「わわは。気のせいでございますよ」
「まぁ良い。準備ができたらとっとと行くぞ」
馬に乗って森の中を駆ける。
木々の根や石大地がでこぼこしていて走りにくい。
中央の舗装された街道とは大違いだ。
積み重なった落ち葉の上を馬はすいすいと蹴って進む。
「どうだ? 気持ちが良かろう!」
軽い声で隣を走るガーネットを振り向く暇もなく、クリスは手綱をきつくつかんでいた。
というか気を抜いたら馬ごと転んで下敷きだ。
『生身の馬は乗りなれてねぇよ!』
と叫び返したいところだが、馬の背に上下に激しくゆられているので口を開いたら舌を噛む。
「先に行くぞっ!」
ガーネットが前に出た。
白馬を軽快に操り、右手に槍を持って片手だけで手綱を操ってぐいぐい引き離していく。
目的忘れてないか? お前。
というか離されたら道わかんねぇんだけど。
「んんんっ!」
あわてて手綱を緩める。
馬の足が上がる。
同時に上下振動がひどくなる。尻が跳ね上げられて、再び落下しきる前にまた跳ね上げられる。
もう地面なんかみえねぇ。
……無理
ガーネットの小さな背中が緑のカーテンの最奥に消えた。クリスは追いかけるのをあきらめた。
「はふぅ。そのうち戻って……くるよな? というか戻ってきてごしゅじんさまぁ」
まぁこなかったら逃げてしまおう。飢えたくないし。
そのうち人か馬か見かけるか、少なくても音は聞こえるだろうとゆっくりと馬を進める。
栗毛の馬だ。族長から借りた。肉の締まった旨そうな馬だ。
馬がいなないた。
食うな、といっているわけでもあるまい。
頭にちりちりと焼けるかすかな痛みが走った。
捜査官時代に鍛え上げられた勘が危険を示している。
視界の左隅から、銀弧が走る。
クリスは鐙から足を抜いて右に転がり落ちた。
馬の悲鳴が葉を揺らす。
クリスは肩から落ちた。受身を取ってくるりと一回転。即座に体を起こす。
馬がふらりとして、倒れた。腹には矢が刺さって血が出ている。
毒か?
「だれだ……あぁっ」
誰何の声を上げる暇もなく次の矢が飛ぶ。横っ飛びして近くの樹を盾にする。
矢が二本突き刺さった。
「人の話ぐらい聞けよ」
「ふむ。やはりそれなりに訓練は積んでいるようだな」
奥から頬傷の男が出てきた。
「ガルフォード、だっけ?」
半身だけ樹からずらして様子を伺う。
「いかにも。貴様が密偵だろうが、ただの不幸な旅人だろうが、そんなことは知らぬ。知る気もない。ここで死ね」
「直球ストレートな奴だな。そんなんじゃ長生きできんぞ」
「構わぬ」
ガルフォードは背中から剣を抜いた。
身長より長い刃を持つ大剣である。
常人では両手で抱え込むのがやっとなそれを、片手で振り回して正面に構えた。
「族長に害なす輩はここで滅ぶべし」
「俺怪我人で丸腰なんだけど、根っからの戦士がそーいうのっていいの?」
「その腰の剣は何だ?」
「飾りだってば」
ガルフォードは剣に力をこめた。
「女神よ力を」
刀身が一瞬で炎に包まれた。
燃え上がる大剣を肩にかつぐと、そのままクリスが隠れている樹ごと叩き切らんとばかりに横に振るった。
「戦士たる資格のないものはここで死ぬが良い」
クリスは後ろに飛んだ。
クリスの胴体の十倍以上の太さの樹があっさりと真っ二つに斬られた。
そして、次の瞬間に樹は一瞬で燃え上がる。
一呼吸かからず灰になって散らばった。
「派手やな〜」
「女神の加護を受けた俺の一撃をくらった奴は燃えて死ぬ」
「俺は萌えて死にたいよ」
「ならばこの一撃受けるがいい」
「断るっ! 俺には美人な嫁さんと仲良く隠居して昼はまったりと暮らすという野望があるんだ。だからまだ死ぬわけにはいかん」
「そうか、だが死ねっ!」
「夜はどうするんだと突っ込みやがれこの筋肉脳みそ」
クリスは背中を向けてとっとと逃げ出した。
「待て。貴様は戦う気というものはないのか」
後ろから罵声を受ける。
「ないっ」
クリスは後ろも見ずに全力疾走。
「そんな重い鉄の塊持って追いつけると思ったら追いついてみろっ!」
「この根性なしがっ!」
とっとと無視。
ベルトの背中に当たる部分に手を伸ばす。
そこからロープを引き出す。洗濯用ロープが簡単に格納できる魔法のベルトだ。
「さて、馬なんとか無力化しないと逃げ切れんよな」
するするとロープを手繰りながら辺りを見回す。
いいトラップポイントを探さねば。
「そこにするか」
クリスは樹と樹の間、ちょうど馬のひざの高さの辺りに一本のロープを張った。
それから枝の上にロープを投げる。降りてきた先端を持ち、手近な岩に十字に掛けてぎゅっと縛り外れないように重石にした。
「さて、何とかなるかなぁ」
クリスはロープを手繰った。するすると重石が持ち上がっていく。
時間をおかず、再び蹄の音が聞こえてきた。そのときにはクリスはすでに罠の設置を終えていた。
慣れというものは恐ろしい。捜査官として犯罪者を生きたまま捕まえる必要があった。そのための罠を仕掛ける時間はほとんどないときも多い。繰り返すうちに目をつぶってもできるぐらい習熟してしまった。
ロープを張った樹の間から、十歩ぐらい下がってガルフォードを待つ。
ここで無力化できないかぎり逃げれない。
「ようやく勝負する気になったか」
ガルフォードが馬上から声を掛けた。
「馬から下りて、正々堂々と一騎打ちしない?」
「貴様の口車には乗らん」
馬の腹を蹴って、疾走してくる。
「それにポチ、貴様のような奴が正々堂々などと抜かすなっ!」
クリスは肩の力を抜いて軽くひざを曲げて正対する。
左手で、腰の鞘を軽くなでる。
ガルフォードがロープの前に差し掛かる。
「このような小細工に頼る奴がっ」
手綱を引くのにあわせて、馬が飛び跳ねた。
足元のロープの上を綺麗に抜ける。乗馬の教科書みたいなさばきかただ。
だが、実はロープはそれ一本ではない。
「こんなものに気が付かぬと思ったかっ」
ガルフォードは肩から大剣を抜いてそのまま振り下ろす。
少し離して張られていたロープが、ちょうど飛び上がったガルフォードの胸に迫る。
それを剣で斬った。
ぴんと張り詰めたロープが左右に飛ぶ。
腐葉土の上に馬は着地した。
「うーん。二本しか見えなかったら俺の勝ちだと思う」
落ち葉が宙に舞う。丸く縛ったロープが地中から現れて、ちょうど馬の右前足を引っ掛けた。
ロープの動きに合わせて、重石をがするすると落ちてくる。
それを縛っているロープについているのは、さっき切られたロープの切れ端。
ロープが切れると連動して足元の罠が発動するようにしてあった。
「ぬおっ」
足が引っかかって馬が転ぶ。ガルフォードもさすがにこらえきれずに転がり落ちた。
一回転して背中から落ち葉の上に落ちる。
「ぐごっ」
「はい、俺の勝ち」
強打して呼吸が狂っているガルフォードを、クリスは慣れた手つきで縛り上げた。
足までがっちり。
「き、貴様。この程度で勝ったと思うな」
「勝敗なんかどうでもいいと思うぞ。口はそのままにしておいてやるから助けでも呼ぶがいい」
クリスは笑って、背を向けた。
「この屈辱は忘れんぞー」
怒鳴り声が聞こえる。
「すまんな、痛い目にあわせて」
馬の縄を解き、ロープを回収して再びベルトに戻すとクリスは歩きはじめた。
「さて、ガーネットたんはどこまで行ったのかねぇ」
とりあえず自分の借りた馬のところまで戻った。
馬は寝ていた。麻痺かもしれないが。
矢を抜いてやる。
馬の治療はどうやればいいかわからんのでとりあえずほっといた。
しばらく待っていると、赤い槍を肩に担いだガーネットが戻ってきた。
「愚か者が。いくら待っても来ないではないか」
「追いつけませんよ、そんなの」
「む、どうしたという」
ガーネットは寝込んでいる馬を見つけて聞いてきた。
「流れ矢に当たった、のかねぇ」
とりあえず波立てるのも面倒なのでごまかす。
「むぅ。まぁよい。ようやく獲物を追い込んだのじゃ。ポチも付いて参れ」
「って、動けそうにないぞこいつ」
「そのままにしておいてやれ。矢尻の傷なら眠り薬じゃ。じきに目を覚ます」
「じゃぁ、どうしろと」
「特別に乗せてやろう。我が後ろに座るがよい」
「二人乗り?」
「他のものを待たせておるのでな。早くするがよい」
反論不能っぽいのでとりあえず後ろに座った。
「でわ行くぞっ」
ガーネットは馬を走らせる。一気に飛ばす。
「早いぞ」
「黙っておれ。舌を噛むぞ」
容赦なくでこぼこしている森の中を駆ける。鐙もないのでぐらぐらゆすられ落っこちそうになる。
ずり落ちないように前の人につかまる。
細くて抱きしめると折れてしまいそうだ。
「どこを触っているっ!」
んー。胴体?
「愚か者め。無礼であろうっ」
槍で頭を殴られる。
真後ろに向かって器用な奴だ。
つーかこれ以上変なことされると本当に落ちるんだってば無茶言うなよ。
ぎゅぎゅーっと抱きつくと、態度の割に骨格はちっこいんだよな、確かに。と悟った。
「馬鹿者。手を離せといっておる」
微妙に泣いてないか?
森から抜けたら崖の下に付いた。
「ここか?」
馬の歩みがようやく遅くなる。
「ふぃー」
「いい加減に離せっ」
ひじがこめかみに飛んできた。
「ポチよ。せめてつかまるのは腰とかにするがよい」
いや腰だってば。まっ平らだったし。
そういえば微妙に硬かったような気が。見た目より腹筋強いのかな?
ガーネットたんが怒りにか顔を赤くしてクリスを睨んでいた。
「……もうよい」
「さいですか」
「ポチはやっぱり動物じゃな。このけだものがっ!」
「俺が何をしたって言うんだよ」
ガーネットはぷいっと前を向いた。
周囲には森から出たところに騎乗した男たちが並んでいた。
彼らの視線の置くには鹿がいた。
「あれ?」
クリスは目をこすった。
微妙に遠近感が合わない。
「なんかでかくないか?」
「あんなものじゃ。この森を守る精霊のようなものじゃからな」
いまなんつった?
「年に一度、ガモーウェルドの肉を食べて森と大地の力を得るのじゃが、今年は少々足りなくなってな」
「なんかしたのかよ」
「うむ、どっかの崖から落ちたポチにくれてやってな」
「……そーだったのか」
鹿なんてくったことないからあんなもんとばかり思っていた。
「貸しを作ったとは思わん。ペットを大切にするのは飼い主の務めじゃからな」
「売る気満々の口調やな」
「まぁそれはよい。というわけでもういちどあやつを狩るのを手伝うがよい」
「何で俺まで」
「掟であやつを狩るのは族長ただ一人、と決まっておる」
「じゃぁ、がんばれ」
馬から降りようとしたらあっさりつかまった。
「馬はありじゃ。たぶんペットもありじゃ。というわけで手伝え」
ガーネットは赤槍を高く掲げると男たちに宣言した。
「見るがよい。わらわが森の精霊たるガモーウェルドからその血と肉を頂くところを!」
男たちから歓声が上がった。
「……ついていけんノリだ」
「行くぞっ!」
ガーネットは馬を走らせた。
ぐんぐん鹿が近くなる。
それはでかかった。馬に乗ったクリスやガーネットよりも、まだ頭が上にある。
ガモーウェルドはゆったりと草を食んでいたが、それをやめ、ガーネットにでかい角を向けた。
「質問その一。こんな奴に勝てるんか?」
「がんばった」
ガーネットは即答した。
あんまり答えになってないような気がする。
「この程度の試練に耐えられぬようでは族長たる資格はないとされている」
「じゃぁ、以前にもだめだった族長が?」
「そのような話は聞いたことないが、単になかったことにされているだけかも知れぬのぅ」
ガーネットは右手で槍を構え、左手で手綱を持つ。
「あやつは強い。落ちるなよ……特別にわらわにつかまっても構わぬ」
「わかった。ちゃんと腰につかまる」
「腰だぞ、間違えるでないぞ……わらわが守るから安心しているがよい」
「えーと、質問その二、だ。俺はなにをすればよい?」
「見ておれ」
「だから、仕事」
「わらわの後ろで、ただ見ておるだけでいい。ポチはわらわのペットじゃ。ペットというものはそういうものじゃ」
単に見せたかった。と解釈するのは好意的すぎるんだろうかやっぱり。
「行くぞよ」
馬は全力で走った。
クリスはしがみつく。
「だからそこではいと言うておるっ」
ガモーウェルドは逃げない。奴もこっちに走ってきた。
「女神の一撃受けるがよい」
ガーネットの叫びとともに、穂先が炎に包まれた。
「ここの面々は全員火を使うのかよっ」
「そうじゃ。なんていっても我が女神は火の神であるからな」
炎の槍と、枝分かれしたぶっとい角が交錯。
火の粉と、光が舞う。
「……硬い角だ。いかれてる」
「精霊だからそんなものなのだ」
その体がすでに魔法みたいなものだから、魔力による攻撃にも耐えられるらしい。
ガーネットはすばやく馬を転回させる。
そしてもう一度、ガモーウェルドとぶつかりある。
槍はリーチがあるが、角に引っかかって鹿の頭まで届かない。むしろ鹿が角で引っ掛けるように頭を跳ね上げてガードしている。
「やりおるの」
「う、来るぞっ」
ガモーウェルドが突っ込んできた。
ガーネットたちの左側面側からきた。ガーネットは左に槍を差し入れて止めるが、押される。
乗ってる馬は駿馬だろうがただの馬だ。
衝撃でぐらりと揺れる。
ガモーウェルドはターンしてもう一度突っ込んでくる。
「あわてるな。ポチはそこにいるがよい」
ガーネットは馬から飛び降りた。
跳躍の勢いをそのままに火槍を振り下ろす。
ガモーウェルドの動きが止まる。
巨大なうねうねした角と、炎を吹き上げる槍が互いに押し合って力がつりあっている。
クリスは手綱を引き寄せると、馬の背をずりずり動いて何とか鐙をはめた。
紐が短いのでひざが曲がって窮屈だが。
「ガーネットっ」
クリスは馬を回して少女の下に寄る。
「来るな! そこで見ておれ。わらわは大丈夫じゃ」
ガモーウェルドは角を下に突っ込み、そのまま上へと跳ね上げた。
ガーネットの小さな体がぽーんと吹っ飛んだ。
攻撃力は対等だとしても質量と元の筋力が違いすぎる。
ガーネットは野草の上に落っこちた。
「この程度でわらわを倒せると思うなよ」
起き上がったがふらついている。
止めとばかりにガモーウェルドが突っ込んでくる。加速をつけて全身をバネのようにしてガーネットに向かう。
「来るがよい」
ガーネットは血が出ている口元をゆがめて笑った。
もう見てられん。
クリスは馬から飛び降りると腰から剣を抜いた。
刀身はなく柄だけのを前に構える。
「馬鹿者、下がっておれ」
「一度だけ止めるから一撃で決めてくれよ……さすがに二回は死ぬ」
ガモーウェルドが来た。
衝撃がずん、と馬車で跳ねられたぐらいに一気に来る。
刃がない剣の、刀身に相当する部分が淡く光っている。
そこに剣があるかのように、ガモーウェルドの角はクリスの眼前で止まっていた。
「頼みますぜ」
「余計なことを」
ガーネットが飛んで槍を一閃した。胴体がずるりとずれてあっさりと両断された。
割とあっけない結末だった。
男たちの喝采の声が聞こえる。
なんかこう腹が立った。お前ら手伝えと。こんな小娘一人で戦わせて何も思わないのかと。
まぁ異邦人が言っても仕方がないことか。クリスは柄を鞘に戻した。
ガーネットの槍が炎を失う。振り向いたガーネットは頬を膨らませていた。
「礼ぐらいは言ってやる。感謝するがよい」
「……感謝するのは俺かよ」
「うむ、ポチの助けがなくても何とでもなった」
ガーネットは馬へと目を向けた。
「さて、帰るぞポチ」
「へいへい」
帰ったら宴会だった。
ガモーウェルドを広場の中央で丸焼きにしている。
でかい。
男も女も子供も集まって火を囲んでいる状態だ。
クリスは当然のごとくガーネットの隣に座らされていた。
女たちが酒を配り、当然のごとく族長の前にも置かれた。
ガーネットが手を伸ばす前にクリスが奪い取った。
「没収」
「何でじゃっ。ポチのくせに」
「子供が酒飲んじゃいけません。体に悪い」
「何を言う。わらわは女神の加護を受けているのだから酔わないのだ。問題ないのじゃ」
「酔わないなら飲む意味なかろう」
「酒の一杯や二杯飲めてこその族長なのじゃ」
「……本当に大丈夫なんだな」
「当然なのじゃ。飼い主に間違いはないのじゃ」
そう告げてごくごく飲んだ。
お肉が焼きあがったころ、クリスのひざに頭を乗っけてガーネットがとろんとした目で星を見ていた。
「……信じた俺が馬鹿だった」
「何を言う、わらわはよっとないぞ」
もうだめぽい。
すぐ脇には半分飲みかけの酒の入った器がある。
「一杯すらもたねぇのかよ……」
一人の男が来て、ガーネットをゆすった。
「族長。族長殿おきてくだされ」
「うーもう食べられないよう」
「……べただ」
「……族長、客人がいらしまして。南の商人が例のように」
「ん? とりあえず任せた」
ころんと寝返りをうって男に背を向けてしまった。
すがりつくような視線をクリスに向けてきたがどうしろと。
「どうしましょう」
「俺に聞くなよ。ただのペットだぞ」
「そーですよね。じゃぁとりあえずお通ししておきますね」
そう言って去っていった。ペットの部分は否定してほしかったんだが。
俺は気になって近くの女性に聞いてみた。
「なんで、飲めないのに酒なんか置いたんだ?」
「飲ませないと暴れるんですよ。素面なのに」
そりゃ困るというか人としてなんかダメだろう。
「最近はポチどののおかげでおとなしくしておりまして。実は一同、陰ながら感謝しているのですよ」
「感謝しているならポチと呼ばないでほしいのだが」
「あら。だって私たちはポチどののお名前を存じ上げないのですわよ」
女はからからと笑った。
しばらくして、懐かしい服装の男たちがやってきた。
布製の服を着た男たちだ。さっき行っていた商人たちなんだろう。
「お久しぶりでございます。本日もいろいろと持ってまいりましたので……あっ!」
「あ?」
男はクリスの顔を見て奇声を上げた。
「俺が何か?」
クリスのひざではガーネットが一心不乱に寝ている。
「あ、いえ。何でもありません……族長はどうかされたのですか?」
「本日いろいろとあって疲れているみたいだ。……起こすか?」
「いえ、それには及びません。では後ほど改めて挨拶いたします」
男たちは逃げるように戻っていった。
「……失礼なやつらだなぁ」
彼らに見覚えはない。
出身がこっちだからといって顔がそんなに広く知られているわけでもないはずなんだが。なかったことになってる三男坊だし。
「へんなの」
こっそりつけてみようにも、クリスの膝で族長がぐっすり寝ている。
「ま、気にしてもしょうがないか」
数日後、ノードアルス北端のアインツヴァイの町に商人たちが帰ってきた。
彼らは着替えもせずあわてて神殿に向かった。
神殿の前には立て札があった。
『このものを見つけたら神殿方メイリアまで 捜査局』
そう書いてある上には北の森でポチと呼ばれている男の顔が合った。
クリス。名前までばっちり。
男たちが神殿に駆け込むと、一人の法衣を身にまとった女性が祭壇の前で祈りを捧げていた。
聖女のみに着ることが許されている純白の法衣だ。
「す、すみません聖女様。私は大変なものを見つけてしまったのです」
聖女はゆっくりと振り返り、商人たちに微笑を見せた。
金色の髪がふわーっと広がる。
「ごきげんよう。そんな騒々しいことではいけません。神様の前ですよ。もっと落ち着きなさい。誰も逃げたりはしませんわ」
「で、ですが。見てしまったのです」
「なにをですか」
「あの手配書の男です。国王陛下を狙った愚か者の三男坊ですよ」
「なんですって?」
いままでのまったり具合はどこ行った? という感じでいきなり聖女様は叫んだ。
そして、拳を手のひらに打ち付けてにっこり笑った。慈愛ってより修羅という感じだが。
「ようやく見つけたわ手がかりを……必ず捕まえてフェニーラまでふんじばって連れ帰るんだから」
「あ、あの……」
「よくやったわ。さあ、案内なさい。今すぐっ」
「あの、疲れたんで一晩やすませて」
「ダメよ。また逃げるからあの男は」
商人は顔を見合わせてため息をついた。
「見てなさいよ。もう二度と逃がさないんだから」
クリスは川で洗濯をしていた。
水は澄んでいるが、長く手を突っ込んでいると冷たいを通り越して痛くなってくる。
寒くなってきた。
「くっ。石鹸ないと落ちないんだよ……」
愚痴りながらかわのなかでごしごしごしごしこすっていると、なんか騒がしい。
金属音まで聞こえる。
「なんか尋常じゃないなぁ」
そういいながら再び手を動かす。
「事件が起こったからって駆けつけなくてよくなったのは、それはそれで幸せなのかね?」
首輪がかちゃりと音を立てた。
「これ、ポチや」
主たる族長ガーネットたん(クリス命名)が近寄ってきた。
例によって槍を持っている。
「はいはい。もうすぐ洗濯は終わりますからね」
「そうではない。この騒ぎが聞こえぬか?」
「そりゃもうばっちり」
親指を立てる。
そして洗濯に戻ったら槍の柄で殴られた。
「ぐおっ」
「様子を見に行くから付いてまいれ」
そう告げると赤い髪を揺らしながら一人先に行ってしまった。
しょうがないので洗濯途中の布を桶に戻して川岸に置いておく。
小走りに追いかける。
「遅いぞ」
「はいはい」
テントのあいだを抜けて南側に出ると、そこが騒ぎの中心だった。
白い法衣を着た女性が、素手で武器を持った男たちをぶちのめしていた。
踏み込みが早く、一瞬で距離を消してしまっている。
拳が届く距離ならあとは先に当てたほうの勝ち。剣を振り回すより拳のほうが早い。
あれからさらに技量を上げたらしい。
金の髪に白い法衣。ついでに格闘までする変わり者、といえばこの世界に一人しかいない。
「……なんでメイリアがこんなとこまで」
そこにいるのはクリスの幼馴染で婚約者だった。
ぼやいて、見つかるとやばいということにいまさらながら気が付いて隠れようとしたら襟をつかまれた。
「待つがよい。そこで見ておれ」
「い、いや。……洗濯しないと」
「わらわと洗濯、どっちが大切だっ!」
「も、もちろん決まっている」
「そうであろう、そうであろう」
ガーネットは頷いた。
「もちろん洗た、あうっ」
殴られた。
「そこでお座りしてみておるがよい。命令じゃぞ」
そういうとガーネットは小走りに騒ぎのど真ん中に入っていった。
「うう……隠れてよ」
とりあえずクリスはテントの陰に隠れて様子を見る。
「これ、そこの女。いきなりずいぶんな挨拶じゃの」
「誰? お嬢ちゃん。危ないから下がってなさい」
「わらわがこの村で一番強い。話があるなら聞こうか?」
「そう。あなたが“炎の娘”ってわけね。話はひとつよ。ここにクリス、という男がいるはずよ。とっとと連れてきなさい」
「そういう男は知らんがな。犬を一匹拾ったぐらいでな。ところで、そいつが何かしたというのか?」
「反逆罪よ。王を殺そうとした一味、ってことになってるわ」
遠巻きに囲んでいた男たちがざわめいた。
「そうか。じゃぁそのような男はいないし、いたとしても渡す義理はないし、そもそも貴様らの王が殺されてもこちらには関係がないことではないか」
「そう。そういう返事なのね。じゃぁ、正義の名において全員ぶちのめしてから聞くことにするわ」
メイリア、最近すさんじまったらしい。一応聖女だろう。お前。
ガーネットが火槍を構えた。
メイリアは正対したまま動かない。クリスたちが習った格闘技に構えは存在しない。普段の状態からでも反応して対処するために基本的に構えは取らない。
「来なさい」
「女神の一撃、受けるがよい」
ガーネットの槍が炎に包まれた。
槍を突く。
メイリアは下がって避けた。
素手と槍。リーチの差が槍一本分。素手では普通間合いに入ることすら許されない。達人級の域まで魔力を集中させた拳でないと魔力を帯びた武器になんか対応できない。斬られる。
問題は聖女の魔力は桁外れってことだが。
メイリアは槍を避け続けている。とはいっても間合いをはずしてくるくる回りながら下がっているだけだ。
「聖女とやらは口ばかりかえ?」
「その程度で思い上がってはいけませんよ?」
メイリアは拳で燃え上がる穂先を横に打ち抜いた。
「なっ!」
普通の人間なら触れただけで黒焦げになる火力である。
槍がぶれる。開いた空間にメイリアは飛び込んだ。
だがまだ遠い。
「舐めるなっ」
ガーネットは槍に力をこめて、横なぎにした。
側面から当たっても燃え尽きることには変わりない。
メイリアの背に光が走った。
それは広がり、白い双翼になった。翼は聖女を守るように広がり、槍にぶつかった。
羽が槍に削られていく。光でできたものでありながら炎に包まれ、消えていく。
止められたのはただの一瞬。聖女の翼とはいえ異教の神級の魔術儀式を完全に打ち消すことはできない。
しかし、一瞬あれば十分。
メイリアはありったけの魔力を拳にこめてガーネットの顔を打ち抜いた。
ガーネットの体が宙に舞った。それも一瞬のことですぐに地面に叩きつけられる。
「ガーネットっ!」
クリスはついふらふらとテントの陰から出てしまった。
その声を聞いて、メイリアが振り返った。
「クリスっ」
一瞬で間合いをつめるその足でクリスの眼前に近寄り。
「わー。生きてたんだよかったぁ」
抱きついた。
クリスはついくせで抱き返そうとして、指先にざらざらしたものを感じた。
右脇腹の法衣がこげて穴が開いている。傷口も火傷になっているが白く光っている。治癒魔法が自動発動しているようだ。
「痛くないのか?」
「うん、大丈夫……心配したんだよ。馬鹿ぁ。一度ぐらい顔見せろ」
「すまない」
さすがにメイリア巻きこむ気もなかったし、反逆罪で手配されているのにフェニーラに一度戻るわけにも行かず逃げていたのだった。
「で、さっきの娘、誰?」
急に声のトーンが冷たくなる。
「それに私いたのに隠れてたよね。それなのにあの娘ぶん殴ったとたん出てきて」
「え? ええっ」
「返答しだいでは聖地に連れ帰る前にここで殉教してもらうけど」
「それ殉教と違うと思う」
「こらーっ。ポチから離れろっ!」
ガーネットが上体を起こして叫んだ。
よくあのパンチ食らって意識が飛んでないものである。俺は昔ダメだった。
カウンターで槍が一応入っていたのでその分打ち抜ききれなかったのかもしれない。
メイリアの性格から言って「子供だから手加減した」ということはあるまい。
「ポチ?」
メイリアは冷たい視線をクリスに向ける。
「いや、そのなんかそういうことに」
「この首輪どうしたのかしら」
ぐいぐい引っ張られる。痛い。
「いたたたた」
「ポチはわらわが拾ったからわらわの物じゃ。返せ」
「いや。私のよ」
即答かよ。というか物か俺は。
「これは私の婚約者なんだから」
「だめである。夜、ポチを抱いて寝ると、あったかくて気持ちでいいのである。返すのじゃ」
広場の空気が一瞬で冬になった。
俺帰りたい。帰るとこないけど。一応腹筋締めておこう。んっ
「この性犯罪者がっ」
予想通りばっちりメイリアの拳がみぞおちにクリーンヒット。
意識は飛ばずに済んだが。呼吸が、ぐふっ。咳もでねぇ。
クリスが悶絶しているのをほっといて、メイリアはガーネットに向き直った。
「さて。まだやる気?」
「同じ手は二度と食らわないのじゃ」
ガーネットは再び火槍を構えて突っ込んできた。
二人の戦いは正面からのどつき合いになった。
ガーネットは槍を振るい、光翼ごと叩き斬らんとする。
メイリアは光翼で防ぎ、それを切り裂いてきたのを拳で止めた。
白い光と赤い炎がぶつかり合う。
二人は一歩も譲らない。今度はメイリアもうかつに懐に飛び込めず。払うのがやっとだ。
クリスは腹をさすりながらずりずりと歩いた。
こいつらどっちか死ぬまでやめそうにないな。
手近なテントにこっそり入ると、床に敷いていた大きな毛布を引っ張って持ち出した。
家族全員が座れるほど広い。
真っ向からどつき合っている二人に近寄ると、ぽいっと捕縛用の網をかける要領で二人まとめて布をかぶせた。
「うのっ」
「きゃっ」
「みんな手伝って。押さえつけて」
そういうなりクリスは盛り上がってもぞもぞ動いているところに飛び掛って上から乗った。
「ど、どっちを抑えるんですか?」
男の一人が聞いてきた。
「まぁじきにわかる」
毛布がずばっと切れ、そっから族長が顔を出した。
泥が鼻先についている。
「愚か者め。一瞬布ごと焼いてやろうかと思ったぞ」
つまり、残った、クリスの下で布をかぶせられてもごもごしているのがメイリアである。
「さーて簀巻き簀巻き」
クリスはメイリアを布ごとくるくる巻いて、その上にロープをかけた。
「少々不本意ではあるが。ペットの勝ちはわらわの勝利じゃ」
なかなか豪快な論理構成でガーネットは薄い胸を張った。
「動くなよ。下手すると切れる」
クリスは短剣で毛布を切り裂いて、メイリアの顔を露出させた。
「くっ。卑怯な。一対一だと思ってたのにぃ」
メイリアは顔をゆがめてクリスを恨みがましく睨んだ。
「すまない。止める方法がほかになかったんだ」
「……さっきのパンチ絶対恨んでるでしょう」
「なんのことやら」
「そう。魂までそのつるぺた女に売っちゃったのね。こんな手まで使って」
「誰がつるぺたじゃ。わらわにはまだ未来がいっぱいあるのだ」
「多少の恩があるだけだ。ちょっと死に掛けてな」
「じゃぁ、あなたは別に、この蛮族と手を組んでノードアルスに攻め込もう、とか考えているわけじゃないのね?」
「俺、そこまで信用されてないのか……」
「しょうがないじゃない。わざわざきな臭いところにいるあんたのせいよ。だいたい、なんでこんなド辺境にいるのよっ!」
「中央だと追われるんだよ!」
「ねぇ、私といっしょにフェニーラまで来ない? 私がちゃんと『クリスには反乱の意志はまったくありません』って巫女を必ず説得してあげるから」
巫女とはフェニーラ神殿の最高位の神官を指す。フェニーラの国家元首で事実上の世界の王である。
神に変わって地上を統べ法を定める役割を持っている。ということになっている。一般に中央と呼ばれる文明化された地域で一番偉いのは間違いない。
「よくそんなみっともない格好で言えるのであるな」
ガーネットが簀巻きメイリアを見下ろした。
「うるさいつるぺた」
ガーネットは槍の柄でクリスを殴った。
「何で俺を……」
「うるさいのだ」
「……中央に帰る気はないし、これ以上俺にかまうな」
「……そんなにその娘のほうがいいの?」
「いや、そんなこと一言も言った覚えはねぇよ」
「ふっ。ポチはわらわの元で暮らすのが一番幸せなのじゃ」
「って煽らんでくださいよ。メイリアも俺なんかとっとと忘れて結婚しろよ。嫁き遅れるぞ。捜査官なんてやってるとなかなか結婚で気ないんだから」
「そう。よくわかったわ。あんたを信じてた私が馬鹿だったってことがね」
「な? なんか勘違いしてないか?」
「覚えてなさいっ」
メイリアの叫びとともに、簀巻きの毛布を貫通して光翼が現れた。
羽ばたきひとつして飛び上がる。
「次は軍隊でもつれてきて無理矢理フェニーラまで送還してやるんだからっ」
「まてこら、これ以上俺にかまうなと」
「クリスの馬鹿ーっ」
メイリアは叫びながら飛んでいった。蝶みたいに。
「うー。なんか虫みたいじゃな」
「羽の生えた芋虫……」
あんまり形容がきれいじゃない二人がいた。
「ポチや、お前昔なにしでかしたんだ? な」
ガーネットはクリスの脇腹をつんつん突っついた。
「さぁ、わらわのもとに来ることを許すぞよ」
ガーネットが寝所の上で告げた。
テントの中は二人しかいない。明かりになるのはかまどにくべた薪だけ。
本来なら煮炊き用ではあるがここでは使わない。隣のテントに住んでいる女性から二人分もらっている。
ガーネットは料理できないのだ。
「へいへい」
クリスはやる気なさそうにガーネットの隣にころんとねっころがった。
「腕」
クリスが右腕を差し出すとガーネットはその上に頭を乗っけた。
ここ数日こんなんだ。
族長のテントには寝所は一箇所しかない。
離れて寝る、と宣言はしたものの結局飼い主に押し切られる形になってしまった。
娘と添い寝する父親はこんな気分なのかもしれない。
ガーネットは割とかわいいと言える。だが、まだまだ幼いのでべつに意識することもない。女性である以前に子供なのだ。
「ポチはタバコなるものをたしなむか?」
「いや、煙いし……やめなさい体に悪い」
「むぅ、それは毒なのか?」
「タバコやめたら倍以上は知れるようになったという話は聞いたことがある」
「そうか。オババの話では男がベッドでタバコをすって遠くを見るようになったら良くない。ということじゃからの」
そのうちオババとやらに説教したいと強く思うクリスだった。ところでオババって誰よ?
いまだにわからん。
「あまり気にするな。そういうのは大人になってから考えなさい」
「子ども扱いするでない」
いや子供だし。胸とか。
「また失礼なこと考えてるな。まぁよい。わらわは状況が許せばもう結婚できるのじゃ。
「……そんな犯罪な!」
「よくわからんが。わらわより強い男が現れたときにはその男と結婚することになっておるのだ。もっとも、女神から力をうけたわらわより強い男がいるとは思えんが。
「メイリアとか強かったよなぁ」
「あれで男だったら三色昼寝つきでお招きしたいものじゃ。もっともわらわのほうが強いのじゃがな」
「じゃぁ、一生結婚できんな」
「十五になったときに、氏族で一番強い男と結婚することになっておる。次の族長を産むためにな」
強すぎて子供が作れなかったら本末転倒だから、とりあえず妥協して最強の男と子供作っておきましょう。という話らしい。
「というわけで旦那が決まったらポチは地面な。テントの隅でじっと見ているが良い」
「はいはい」
とりあえず流しておく。
そもそも、旦那となにをするかわかってんのかと思わなくもない。特に胸の当たり見るとたぶんわかってねぇだろう。でも、突っ込んだら確実に聞き返される。
やっぱり流そう。
「どうした? ……最近、よくぼんやりしておるの?」
「そうか?」
「ペットの健康状態を見るのも大変なのじゃ。……あの白いぼよんの女のせいか?」
白い法衣仕様のメイリア、らしい。
あいつ胸でっかいからな。
「いや、そんなことはない」
と思う。
ただ、これからどうしたものかと考えることはある。
特にこれから行くところもない。でも、クリスがここにいることによって別の捜査官や軍隊が来て。
戦いになってお互いに怪我人や死人が出たら。
そろそろここを去るべきなのかもしれない。
「これ」
ガーネットはつん、とクリスの頬を指先で突く。
「ポチはわらわのことだけを見ておればよいのじゃ」
「へいへい」
「……なにか思うことでもあるのかの?」
ガーネットが、クリスの腕に頭を預けたまま心配そうに顔を見る。
腕の重みがなんか心地よい。
「何かあるのならわらわに言うてみよ。なにか助言をくれてやれるかもしれない。そうでなくても気休めぐらいにはなろう」
彼女はそういうが、言ってどうにかなることではない。
クリスは笑って首を振った。
「そうか。別に遠慮せずによいぞ。わらわはペットには甘いからな。それに」
ガーネットの顔に、彼女の真っ赤な前髪がかかっている、それを左手で軽く避けてやる。
族長は黙ってされるがままになっていた。
「ポチには恩があるからな」
「ポチっ」
空が青い。南の空には太陽が昇っている。
ずいぶんと低い。
「ぽーちっ」
川の流れはゆったりとしている。向こう岸の森から白い鳥が三羽、宙に飛び上がった。
「聞こえておるか愚か者っ」
頭を殴られた。
「いてっ……ガーネットたんか」
振り向くと族長が頬を膨らませていた。
「さっきから呼んでおる。首輪に紐を付けるるぞ」
「それはご勘弁くださいご主人様」
クリスがぺこぺこと頭を下げると、付いて参れ、と彼女は告げた。
出たのは広場だった。テントの中心にある円形の空間で、そこでは男の子たちが木の棒で剣の練習をしていた。
というか棒で殴りあい。
「えーと、ここで何かするんですかね」
クリスは首輪を親指ではじいた。
いきなり後ろから蹴られた。
背中を押されるように前かがみになり、三歩進んでようやくバランスを戻した。
「うー。なにをするん」
「抜くが良い」
肩に担いでいる槍の穂先ががいつのまにか燃えている。
マジだ。
「……すみませんわたしなにかお気に触ることしましたでしょうかご主人様?」
「ポチの本気、見せてみよ」
「なんか、話通じてないし」
「ポチはいつも私に隠しているだろう。ポチが昔なにをやったかは知らぬ。聞いても教えてくれぬ。だったら」
ガーネットは自分の槍を構えた。
「体に聞くしかあるまい」
「いや、ちょっと論理飛びすぎてますがな」
「わらわは戦士でな。お互いを理解するのはこれが一番だろう」
「……拒否権なし?」
「却下である。わらわに本気を見せるまでもないと見くびるならここで斬り捨てる」
なんかこう、俺悪いことしたんだろうか……
「構えよ。構えぬならそれえもかまわぬ。さんにーいち」
「早いよ!」
無視。横なぎの一撃がクリスを襲う。
クリスはしゃがんでかわした。
火の粉が舞う。
「死ぬならせめてわらわの手で供養してやろう」
槍が軌跡を変えて上から降り注ぐ。
「いらんわっ」
クリスは転がり、立ち上がったあと背中を見せてとっとと逃げた。
「逃げるな馬鹿者」
「逃げるわっ」
クリスの後ろでぶんぶん槍を振るう音が聞こえる。
テントが切れて崩れる。
つんであった桶が蹴り飛ばされる。
テントの陰から出てきた女性を突き飛ばす。
「ぐおっ。なんじゃい」
「ごめん俺死にたくないんだ」
「待て、正々堂々と戦えっ!」
「嫌だ。疲れる」
干してあった洗濯物に突っ込んで顔にぬれたシャツが張り付いた。
引っぺがしてぽいと捨てる。
川が見えた。
いつもクリスが洗濯をしている広い川だ。
クリスは躊躇せずに川の中に突っ込んだ。
冷たい水が足に絡まり重い。
必死に足を動かしていると、ガーネットが水際まで追いついてきた。
「どこまで逃げる気じゃ。いい加減腹を切ってみたらどうだ?」
「いや、それ死んでるー」
クリスは川底に足を取られないように慎重に、でも急いで進んだ。突っ込みながら。
川の中央では腰まで来る。
水を吸った毛皮が太股にへばりつく。
「いい加減勘弁するがよい」
ガーネットは川に片足を突っ込んで。
元に戻した。
「冷たいなら無理してこなくても」
「うるしゃい」
えいやっと飛び込むようにガーネットが川に入る。
「というか槍って火属性だから、水につけたら折れるんじゃ」
「折れるかっ。そんなボロではない。ちょっと威力が落ちる程度じゃ」
ガーネットがやってくるが、身長差のせいで胸元まで水が来ている。
槍を水につけないようにしながら歩いてくる。
「のわっ」
滑りかけたらしい。水圧も結構強い。
「ここでなら何とかなると思うなら、それは浅知恵だといっておくぞよ」
「かもな」
クリスは逃げようとして足を滑らした。
水中にじゃぼんと上半身が落ちた。
あわてて顔だけ水面に出したが、ガーネットが喜色を浮かべてこっちに歩いてくる。
じゃぼじゃぼ水を掻き分けて。
「愚か者め。策士策におぼれるとはまさにこのことわうぁっ」
ガーネットも転びかけた。
クリスはあらかじめ水底に杭を打ってロープを張り巡らせていたのだ。本来はノードアルスの騎兵や歩兵が渡河をして攻め込んでくるのを想定した防御である。
で、見事にガーネットはそれにけつまずいたのである。
ガーネットは何とか転ぶ寸前で耐えた。
「な、何でこんなのがぁっ」
ガーネットの手首に白い線が飛んだ。クリスの左腕に巻いてある布だ。栗栖は添えをまきつけて、引っ張った。
足はロープに引っかかったままだ。
ガーネットは槍を持ったまま転んだ。
「もごもごもご」
叫んでいるが全部気泡になっている。
クリスは上にのしかかるようにすると、脇腹に手を伸ばした。
ガーネットは槍を振るう。
でたらめに動かしているが、クリスの肩に何度かぶつかる。焼け焦げるが水中では完全には効果を発揮しない。
触れただけで灰にしてしまう、女神の加護を受けた武器とはいえ、火傷を起こすのが精一杯だ。
クリスは一心不乱にガーネットの脇腹をなでた。
(もごっ。もごごごご)
ひときわ大きな泡を吐いたあとガーネットは痙攣して動かなくなった。
槍から手が離れる。
クリスはあわてて彼女を担いで水面に顔を出した。
「ぷはっ」
クリスが体を起こすと、川の周辺には氏族のひとたちが集まっていた。
クリスは全力で川を渡った。両手が使えないのできつい。
ガーネットは動かない。
息もしてない。
川辺に出るとガーネットを寝かせて薄い胸を押そうとした。
そこで気が付いた。
左腕が動かない。
上着の肩の部分がなくなっていて、火傷を通り越して黒くなっていた。
右手だけで押すと、ガーネットは口から水を吐いた。
肋骨越しに心臓の鼓動は感じる。
「メイリアがいれば楽なんだよなぁ。ちっ。応急手当なんてもう覚えてないぞ」
鼻をつまんで口を開けると、そこに息を吹き込んだ。
二十回ぐらい繰り返したら、うめき声が聞こえてきた。
「うー。生きてたか」
さすがにあれで溺死させたら目覚めが悪すぎる。
ほっとしたらくらりと世界が歪んで。
気が付いたら族長のテントだった。
脇にガーネットがいた。
「……ここはどこわたしはだれ?」
「そういうネタはやめよ。ちと火傷がひどすぎてな。よく生きていたものじゃ」
割とそれどころじゃなかったような気がするが。
というか殺す気だった奴の台詞ではあるまいご主人様。
「わが氏族にはやけどを治す薬があるのじゃ。女神の加護でな。もう安心じゃ。傷までは消し切れんがな」
肩は布が巻かれていた。左腕を動かそうとしたら痛みが走った。
「あまり無理をするでない。さて、クリスは元気か? もう大丈夫か?」
「ん。……なんで俺の名を」
「もうコレはいらぬ」
ガーネットは俺の首に手を伸ばすと首輪を取った。
中に指を入れてくるくる回す。
「不本意ではあるが。汝はあのような手段ではあるがわらわに勝った。納得はいかんが汝がいまから族長だ」
「は?」
「先日言ったよな。氏族で一番強い男と結婚する、と。こんなのありか? といいたいがまぁ掟ゆえいたしかたがない」
「なんかすごく嫌そうですな」
「当たり前だっ! ……まぁたしかに、かような知恵も力のうちかも知れぬ。しかしじゃっ」
「ガーネットたんは物理的に強い奴が好み、と」
「その通りじゃ」
「まぁ、じゃあそうしろと」
「は?」
「俺じゃなくて別の強い奴にしろよ」
「だ、だめじゃっ。汝ではなくてはだめだっ」
「いやめんどいし。部外者だし。よわっちぃし」
「だめじゃっ。おきてだから仕方がないのじゃっ。わらわもあきらめるゆえ汝もあきらめるがよい」
「……かなり納得がいかんが。嫌だといったら?」
「前例はないが、部族の男でバトルロイヤルなるものをするのが妥当ではないか? 無論汝が最も狙われると思うが」
「なんでそんな言葉だけ知ってるんだよ。まったく、死ねってことかよ。……まぁ、それについては別の手を考えることにしよう」
「そうか。じゃぁ、これはもういらんな」
ガーネットは指先でまわしていた首輪をぽいっと投げた。
ガーネットはクリスの横に寝ると、かちんこちんに体を硬くした。
「さあっ」
これから総術の練習でも始めるのかというぐらい気合の入った子をあげる。
「……どうした? 寝るのか? そんなに気合入れて」
「……馬鹿者ーっ! わ、わ、わらわに皆まで言わせる気か。しゅ、しゅ羞恥プレイとか言うやつか。これがオババの言う」
何を言っているかさっぱりわからない。
いつもだったら腕枕を要求してとっとと寝るがきんちょが。
「せ、せっかく初めての夜だというのに。気の効かぬ男め」
「なにがどうはじめ……ああ」
腕が動かないので、クリスは頭の中で手を叩いた。
「俺そっちの趣味ないし」
「趣味とは何じゃ? 羞恥ぷれーとか放置ぷれーとかいうやつか?」
「だからなんで偏っているんだよ。子供に手を出す趣味ないし。俺の出身地方で犯罪なんだよ、それ」
クリスは目をつぶった。
「なんか魔力削れて眠いし。おやすみ」
「……まて」
「ほら、腕貸してやるから」
ガーネットの頭の重みが例によって右腕に感じられる。
「汝の生まれたところでは初夜なるものはこのようなものなのか?」
「……」
違うと突っ込みも入れるのもめんどくて眠い。おやすみ。