滝のような雨が降っている。
クリスは森の中を逃げていた。幸いにも雨は天井のように広がる葉っぱに遮られてたしょう減衰されている。
その分暗く、木々の重なりもあってあまり遠くが見えない。
もはやここは中央ではない。北の森、フェニーラ神殿の法の支配も届かない、いわゆる辺境である。
捜査官の追っ手をまきまきここまで逃げてきた。ど辺境までご苦労さまである。クリスはもう中央にはいられない。
容疑は捜査官の殺害である。ばっちり冤罪。
「うう、ごめんよ」
故郷に残してきた義母と義姉のことを思い起こす。
孤児だった自分を拾ってここまで育ててくれたのに。
「なんかもう疲れたなぁ……」
急に視界が開けた。
真っ黒な空が広がり、眼下にも緑の森が広がっている。
東の山から白い煙が上がっているのが見えた。
クリスが歩くとべちゃべちゃと音が鳴った。
下を見る。
落っこちたら割と死ねる高さである。
「なんか疲れたなぁ」
ため息一つ。
二つ三つ四つ。
「俺はもう駄目だなぁ」
逃げてきたはいいが、行く当ても無し。
このまま落っこちたらナイスに死ねるかも。
くー、と腹が鳴った。
昨日から何も食ってない。
「はぁ、馬鹿言ってないで寝るとこでも探すか……あと飯」
地面がぐらりと揺れた。
雨でゆるんでいた地盤が、クリスが乗ったせいで崩れ始めた。
「うわーっ、こんな人生の落ちはいやだぁ」
わりと余裕ある悲鳴を上げながらクリスは足下の土ごと落っこちた。
目が覚めたらテントの中だった。
背中が痛い。
「おお、起きたかポチ」
どうやらベッドに寝かされていたらしい。
赤毛の美少女がクリスの顔を覗き込んでいた。
「うう、ここは天国か?」
「うーむ、頭を打ってかなりおかしくなっているようじゃな」
少女はきわめて失礼なことを言った。
「おかしいと言うな」
「元からであったか? それは大変済まぬことを」
「やかましい」
「まぁ気にするな」
じゃぁ最初から言うなと。
クリスは裸だった。熊の毛皮に挟まれるようにして寝ていた。
肌がくすぐったい。
「で、ここはどこで、わたしはだれだ?」
「ここはわらわのテントじゃ。で、お前はポチ。わらわのペットじゃ」
そうか。俺はポチというのか。
……。
クリスは自分の頭をぺちぺち叩いた。
「いかん、マジでおかしくなってる」
「どうしたポチ」
「あのすみません。わたしにはクリスという名前があるのですが」
「そうかポチ。気にするな」
「お前が気にしろーっ。あいたたた」
叫んだら腰が痛い。
「あまりむりをするでない。けが人なのじゃからな」
怪我。
「はて、俺どうしたんだっけ?」
記憶が……えーと、崖が崩れて……良く生きていたな。
「がけの下で拾ったのじゃ」
娘は胸を張った。かわいそうに真っ平らだった。
「なんじゃその目は」
「まぁ、未来があるからまだ気にするな」
クリスはうんうんと頷いた。
人間の価値は胸だけで決まるもんでもないし。
「……なんだか失礼なことを考えておらんか?」
「気にするな」
「むぅ。というわけで、わらわが拾った獲物なのでポチはわらわのペットじゃ」
「ペットか」
ここで考えてみる。
行く当てもないしなぁ。
「一つ聞きたいが、ペットと言うからにはご飯くれるのか?」
「うむ、ペットには罰を与えるとき以外はえさをやるものだとオババも言っている」
オババって誰だよ。
うーん、結構良いかも。とくに当てもないしなぁ。
「うむ、今日からお前が俺のご主人様ということで」
「おお、話が早いな。うむ。これからちゃんとかわいがってやるから。とりあえず傷を治すが良いぞ」
「これから毎日かわいがられてやろう」
「早速だがこんなものを用意した」
黒く光る川の首輪だった。
準備良いな。
「……なんでこんなのがあるんだよ。熊用か?」
「いや、隣のアリナから人間用に作ってあると言うことで貰ってきたのだ」
……なんでど辺境にこんなマニアックなものがあるんだよ!
「……まぁ、とりあえず現実は前向きに受け入れると言うことで。付けるの?」
「首輪を首に付ける以外に何に使うというのじゃ?」
「輪投げとか」
「そりゃ革新的だな」
ご主人様はあっさり流すと、クリスのそばへぴったり寄って、腕を首に回して首輪を付けた。
ばっちり人間用に作ってあるので、角かこすれて痛いということはない。
少々重くてかなり気になるが。
……結婚式ってこんなんかね。とクリスは思ってみたりした。
「これで良しと」
ご主人様は満足げに頷いた。