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クリスは川で洗濯をしていた。
水は澄んでいるが、長く手を突っ込んでいると冷たいを通り越して痛くなってくる。
寒くなってきた。
「くっ。石鹸ないと落ちないんだよ……」
愚痴りながらかわのなかでごしごしごしごしこすっていると、なんか騒がしい。
金属音まで聞こえる。
「なんか尋常じゃないなぁ」
そういいながら再び手を動かす。
「事件が起こったからって駆けつけなくてよくなったのは、それはそれで幸せなのかね?」
首輪がかちゃりと音を立てた。
「これ、ポチや」
主たる族長ガーネットたん(クリス命名)が近寄ってきた。
例によって槍を持っている。
「はいはい。もうすぐ洗濯は終わりますからね」
「そうではない。この騒ぎが聞こえぬか?」
「そりゃもうばっちり」
親指を立てる。
そして洗濯に戻ったら槍の柄で殴られた。
「ぐおっ」
「様子を見に行くから付いてまいれ」
そう告げると赤い髪を揺らしながら一人先に行ってしまった。
しょうがないので洗濯途中の布を桶に戻して川岸に置いておく。
小走りに追いかける。
「遅いぞ」
「はいはい」
テントのあいだを抜けて南側にでると、そこが騒ぎの中心だった。
白い法衣を着た女性が、素手で武器を持った男たちをぶちのめしていた。
踏み込みが早く、一瞬で距離を消してしまっている。
拳が届く距離ならあとは先に当てたほうの勝ち。剣を振り回すより拳のほうが早い。
あれからさらに技量を上げたらしい。
金の髪に白い法衣。ついでに格闘までする変わり者、といえばこの世界に一人しかいない。
「……なんでメイリアがこんなとこまで」
そこにいるのはクリスの幼馴染で婚約者だった。
ぼやいて、見つかるとやばいということにいまさらながら気が付いて隠れようとしたら襟をつかまれた。
「待つがよい。そこで見ておれ」
「い、いや。……洗濯しないと」
「わらわと洗濯、どっちが大切だっ!」
「もちろんせんた、あうっ」
殴られた。
「そこでお座りしてみておるがよい。命令じゃぞ」
そういうとガーネットは小走りに騒ぎのど真ん中に入っていった。
「うう……隠れてよ」
とりあえずクリスはテントの陰に隠れて様子を見る。
「これ、そこの女。いきなりずいぶんな挨拶じゃの」
「誰? お嬢ちゃん。危ないから下がってなさい」
「わらわがこの村で一番強い。話があるなら聞こうか?」
「そう。あなたが“炎の娘”ってわけね。話はひとつよ。ここにクリス、という男がいるはずよ。とっとと連れてきなさい」
「そういう男は知らんがな。犬を一匹拾ったぐらいでな。ところで、そいつが何かしたというのか?」
「反逆罪よ。王を殺そうとした一味、ってことになってるわ」
遠巻きに囲んでいた男たちがざわめいた。
「そうか。じゃぁそのような男はいないし、いたとしても渡す義理はないし、そもそも貴様らの王が殺されてもこちらには関係がないことではないか」
「そう。そういう返事なのね。じゃぁ、正義の名において全員ぶちのめしてから聞くことにするわ」
メイリア、最近すさんじまったらしい。一応聖女だろう。お前。
ガーネットが火槍を構えた。
メイリアは正対したまま動かない。クリスたちが習った格闘技に構えは存在しない。普段の状態からでも反応して対処するために基本的に構えは取らない。
「来なさい」
「女神の一撃、受けるがよい」
ガーネットの槍が炎に包まれた。
槍を突く。
メイリアは下がって避けた。
素手と槍。リーチの差が槍一本分。素手では普通間合いに入ることすら許されない。達人級の域まで魔力を集中させた拳でないと魔力を帯びた武器になんか対応できない。斬られる。
問題は聖女の魔力は桁外れってことだが。
メイリアは槍を避け続けている。とはいっても間合いをはずしてくるくる回りながら下がっているだけだ。
「聖女とやらは口ばかりかえ?」
「その程度で思い上がってはいけませんよ?」
メイリアは拳で燃え上がる穂先を横に打ち抜いた。
「なっ!」
普通の人間なら触れただけで黒焦げになる火力である。
槍がぶれる。開いた空間にメイリアは飛び込んだ。
だがまだ遠い。
「舐めるなっ」
ガーネットは槍に力をこめて、横なぎにした。
側面から当たっても燃え尽きることには変わりない。
メイリアの背に光が走った。
それは広がり、白い双翼になった。翼は聖女を守るように広がり、槍にぶつかった。
羽が槍に削られていく。光でできたものでありながら炎に包まれ、消えていく。
止められたのはただの一瞬。聖女の翼とはいえ異教の神級の魔術儀式を完全に打ち消すことはできない。
しかし、一瞬あれば十分。
メイリアはありったけの魔力を拳にこめてガーネットの顔を打ち抜いた。
ガーネットの体が宙に舞った。それも一瞬のことですぐに地面に叩きつけられる。
「ガーネットっ!」
クリスはついふらふらとテントの陰から出てしまった。
その声を聞いて、メイリアが振り返った。
「クリスっ」
一瞬で間合いをつめるその足でクリスの眼前に近寄り。
「わー。生きてたんだよかったぁ」
抱きついた。
クリスはついくせで抱き返そうとして、指先にざらざらしたものを感じた。
右脇腹の法衣がこげて穴が開いている。傷口も火傷になっているが白く光っている。治癒魔法が自動発動しているようだ。
「痛くないのか?」
「うん、大丈夫……心配したんだよ。馬鹿ぁ。一度ぐらい顔見せろ」
「すまない」
さすがにメイリア巻きこむ気もなかったし、反逆罪で手配されているのにフェニーラに一度戻るわけにも行かず逃げていたのだった。
「で、さっきの娘、誰?」
急に声のトーンが冷たくなる。
「それに私いたのに隠れてたよね。それなのにあの娘ぶん殴ったとたん出てきて」
「え? ええっ」
「返答しだいでは聖地に連れ帰る前にここで殉教してもらうけど」
「それ殉教と違うと思う」
「こらーっ。ポチから離れろっ!」
ガーネットが上体を起こして叫んだ。
よくあのパンチ食らって意識が飛んでないものである。俺は昔ダメだった。
カウンターで槍が一応入っていたのでその分打ち抜ききれなかったのかもしれない。
メイリアの性格から言って「子供だから手加減した」ということはあるまい。
「ポチ?」
メイリアは冷たい視線をクリスに向ける。
「いや、そのなんかそういうことに」
「この首輪どうしたのかしら」
ぐいぐい引っ張られる。痛い。
「いたたたた」
「ポチはわらわが拾ったからわらわの物じゃ。返せ」
「いや。私のよ」
即答かよ。というか物か俺は。
「これは私の婚約者なんだから」
「だめである。夜、ポチを抱いて寝ると、あったかくて気持ちでいいのである。返すのじゃ」
広場の空気が一瞬で冬になった。
俺帰りたい。帰るとこないけど。一応腹筋締めておこう。んっ
「この性犯罪者がっ」
予想通りばっちりメイリアの拳がみぞおちにクリーンヒット。
意識は飛ばずに済んだが。呼吸が、ぐふっ。咳もでねぇ。
クリスが悶絶しているのをほっといて、メイリアはガーネットに向き直った。
「さて。まだやる気?」
「同じ手は二度と食らわないのじゃ」
ガーネットは再び火槍を構えて突っ込んできた。
二人の戦いは正面からのどつき合いになった。
ガーネットは槍を振るい、光翼ごと叩き斬らんとする。
メイリアは光翼で防ぎ、それを切り裂いてきたのを拳で止めた。
白い光と赤い炎がぶつかり合う。
二人は一歩も譲らない。今度はメイリアもうかつに懐に飛び込めず。払うのがやっとだ。
クリスは腹をさすりながらずりずりと歩いた。
こいつらどっちか死ぬまでやめそうにないな。
手近なテントにこっそり入ると、床に敷いていた大きな毛布を引っ張って持ち出した。
家族全員が座れるほど広い。
真っ向からどつき合っている二人に近寄ると、ぽいっと捕縛用の網をかける要領で二人まとめて布をかぶせた。
「うのっ」
「きゃっ」
「みんな手伝って。押さえつけて」
そういうなりクリスは盛り上がってもぞもぞ動いているところに飛び掛って上から乗った。
「ど、どっちを抑えるんですか?」
男の一人が聞いてきた。
「まぁじきにわかる」
毛布がずばっと切れ、そっから族長が顔を出した。
泥が鼻先についている。
「愚か者め。一瞬布ごと焼いてやろうかと思ったぞ」
つまり、残った、クリスの下で布をかぶせられてもごもごしているのがメイリアである。
「さーて簀巻き簀巻き」
クリスはメイリアを布ごとくるくる巻いて、その上にロープをかけた。
「少々不本意ではあるが。ペットの勝ちはわらわの勝利じゃ」
なかなか豪快な論理構成でガーネットは薄い胸を張った。
「動くなよ。下手すると切れる」
クリスは短剣で毛布を切り裂いて、メイリアの顔を露出させた。
「くっ。卑怯な。一対一だと思ってたのにぃ」
メイリアは顔をゆがめてクリスを恨みがましく睨んだ。
「すまない。止める方法がほかになかったんだ」
「……さっきのパンチ絶対恨んでるでしょう」
「なんのことやら」
「そう。魂までそのつるぺた女に売っちゃったのね。こんな手まで使って」
「誰がつるぺたじゃ。わらわにはまだ未来がいっぱいあるのだ」
「多少の恩があるだけだ。ちょっと死に掛けてな」
「じゃぁ、あなたは別に、この蛮族と手を組んでノードアルスに攻め込もう、とか考えているわけじゃないのね?」
「俺、そこまで信用されてないのか……」
「しょうがないじゃない。わざわざきな臭いところにいるあんたのせいよ。だいたい、なんでこんなド辺境にいるのよっ!」
「中央だと追われるんだよ!」
「ねぇ、私といっしょにフェニーラまで来ない? 私がちゃんと『クリスには氾濫の意志はまったくありません』って巫女を必ず説得してあげるから」
巫女とはフェニーラ神殿の最高位の神官を指す。フェニーラの国家元首で事実上の世界の王である。
神に変わって地上を統べ法を定める役割を持っている。ということになっている。一般に中央と呼ばれる文明化された地域で一番偉いのは間違いない。
「よくそんなみっともない格好で言えるのであるな」
ガーネットが簀巻きメイリアを見下ろした。
「うるさいつるぺた」
ガーネットは槍の柄でクリスを殴った。
「何で俺を……」
「うるさいのだ」
「……中央に帰る気はないし、これ以上俺にかまうな」
「……そんなにその娘のほうがいいの?」
「いや、そんなこと一言も言った覚えはねぇよ」
「ふっ。ポチはわらわの元で暮らすのが一番幸せなのじゃ」
「って煽らんでくださいよ。メイリアも俺なんかとっとと忘れて結婚しろよ。嫁き遅れるぞ。捜査官なんてやってるとなかなか結婚で気ないんだから」
「そう。よくわかったわ。あんたを信じてた私が馬鹿だったってことがね」
「な? なんか勘違いしてないか?」
「覚えてなさいっ」
メイリアの叫びとともに、簀巻きの毛布を貫通して光翼が現れた。
羽ばたきひとつして飛び上がる。
「次は軍隊でもつれてきて無理矢理フェニーラまで送還してやるんだからっ」
「まてこら、これ以上俺にかまうなと」
「クリスの馬鹿ーっ」
メイリアは叫びながら飛んでいった。蝶みたいに。
「うー。なんか虫みたいじゃな」
「羽の生えた芋虫……」
あんまり形容がきれいじゃない二人がいた。
「ポチや、お前昔なにしでかしたんだ? な」
ガーネットはクリスの脇腹をつんつん突っついた。
「さぁ、わらわのもとに来ることを許すぞよ」
ガーネットが寝所の上で告げた。
テントの中は二人しかいない。明かりになるのはかまどにくべた薪だけ。
本来なら煮炊き用ではあるがここでは使わない。隣のテントに住んでいる女性から二人分もらっている。
ガーネットは料理できないのだ。
「へいへい」
クリスはやる気なさそうにガーネットの隣にころんとねっころがった。
「腕」
クリスが右腕を差し出すとガーネットはその上に頭を乗っけた。
ここ数日こんなんだ。
族長のテントには寝所は一箇所しかない。
離れて寝る、と宣言はしたものの結局飼い主に押し切られる形になってしまった。
娘と添い寝する父親はこんな気分なのかもしれない。
ガーネットは割とかわいいと言える。だが、まだまだ幼いのでべつに意識することもない。女性である以前に子供なのだ。
「ポチはタバコなるものをたしなむか?」
「いや、煙いし……やめなさい体に悪い」
「むぅ、それは毒なのか?」
「タバコやめたら倍以上は知れるようになったという話は聞いたことがある」
「そうか。オババの話では男がベッドでタバコをすって遠くを見るようになったら良くない。ということじゃからの」
そのうちオババとやらに説教したいと強く思うクリスだった。ところでオババって誰よ?
いまだにわからん。
「あまり気にするな。そういうのは大人になってから考えなさい」
「子ども扱いするでない」
いや子供だし。胸とか。
「また失礼なこと考えてるな。まぁよい。わらわは状況が許せばもう結婚できるのじゃ。
「……そんな犯罪な!」
「よくわからんが。わらわより強い男が現れたときにはその男と結婚することになっておるのだ。もっとも、女神から力をうけたわらわより強い男がいるとは思えんが。
「メイリアとか強かったよなぁ」
「あれで男だったら三色昼寝つきでお招きしたいものじゃ。もっともわらわのほうが強いのじゃがな」
「じゃぁ、一生結婚できんな」
「十五になったときに、氏族で一番強い男と結婚することになっておる。次の族長を産むためにな」
強すぎて子供が作れなかったら本末転倒だから、とりあえず妥協して最強の男と子供作っておきましょう。という話らしい。
「というわけで旦那が決まったらポチは地面な。テントの隅でじっと見ているが良い」
「はいはい」
とりあえず流しておく。
そもそも、旦那となにをするかわかってんのかと思わなくもない。特に胸の当たり見るとたぶんわかってねぇだろう。でも、突っ込んだら確実に聞き返される。
やっぱり流そう。
「どうした? ……最近、よくぼんやりしておるの?」
「そうか?」
「ペットの健康状態を見るのも大変なのじゃ。……あの白いぼよんの女のせいか?」
白い法衣仕様のメイリア、らしい。
あいつ胸でっかいからな。
「いや、そんなことはない」
と思う。
ただ、これからどうしたものかと考えることはある。
特にこれから行くところもない。でも、クリスがここにいることによって別の捜査官や軍隊が来て。
戦いになってお互いに怪我人や死人が出たら。
そろそろここを去るべきなのかもしれない。
「これ」
ガーネットはつん、とクリスの頬を指先で突く。
「ポチはわらわのことだけを見ておればよいのじゃ」
「へいへい」
「……なにか思うことでもあるのかの?」
ガーネットが、クリスの腕に頭を預けたまま心配そうに顔を見る。
腕の重みがなんか心地よい。
「何かあるのならわらわに言うてみよ。なにか助言をくれてやれるかもしれない。そうでなくても気休めぐらいにはなろう」
彼女はそういうが、言ってどうにかなることではない。
クリスは笑って首を振った。
「そうか。別に遠慮せずによいぞ。わらわはペットには甘いからな。それに」
ガーネットの顔に、彼女の真っ赤な前髪がかかっている、それを左手で軽く避けてやる。
族長は黙ってされるがままになっていた。
「ポチには恩があるからな」
「ポチっ」
空が青い。南の空には太陽が昇っている。
ずいぶんと低い。
「ぽーちっ」
川の流れはゆったりとしている。向こう岸の森から白い鳥が三羽、宙に飛び上がった。
「聞こえておるか愚か者っ」
頭を殴られた。
「いてっ……ガーネットたんか」
振り向くと族長が頬を膨らませていた。
「さっきから呼んでおる。首輪つけるぞ」
「それはご勘弁くださいご主人様」
クリスがぺこぺこと頭を下げると付いて参れ、と彼女は告げた。
出たのは広場だった。テントの中心にある円形の空間で、そこでは男の子たちが木の棒で剣の練習をしていた。
というか棒で殴りあい。
「えーと、ここで何かするんですかね」
クリスは首輪を親指ではじいた。
いきなり後ろから蹴られた。
背中を押されるように前かがみになり、三歩進んでようやくバランスを戻した。
「うー。なにをするん」
「抜くが良い」
肩に担いでいる槍の穂先ががいつのまにか燃えている。
マジだ。
「……すみませんわたしなにかお気に触ることしましたでしょうかご主人様?」
「ポチの本気、見せてみよ」
「なんか、話通じてないし」
「ポチはいつも私に隠しているだろう。ポチが昔なにをやったかは知らぬ。聞いても教えてくれぬ。だったら」
ガーネットは自分の槍を構えた。
「体に聞くしかあるまい」
「いや、ちょっと論理飛びすぎてますがな」
「わらわは戦士でな。お互いを理解するのはこれが一番だろう」
「……拒否権なし?」
「却下である。わらわに本気を見せるまでもないと見くびるならここで斬り捨てる」
なんかこう、俺悪いことしたんだろうか……
「構えよ。構えぬならそれえもかまわぬ。さんにーいち」
「早いよ!」
無視。横なぎの一撃がクリスを襲う。
クリスはしゃがんでかわした。
火の粉が舞う。
「死ぬならせめてわらわの手で供養してやろう」
槍が軌跡を変えて上から降り注ぐ。
「いらんわっ」
クリスは転がり、立ち上がったあと背中を見せてとっとと逃げた。
「逃げるな馬鹿者」
「逃げるわっ」
クリスの後ろでぶんぶん槍を振るう音が聞こえる。
テントが切れて崩れる。
つんであった桶が蹴り飛ばされる。
テントの陰から出てきた女性を突き飛ばす。
「ぐおっ。なんじゃい」
「ごめん俺死にたくないんだ」
「待て、正々堂々と戦えっ!」
「嫌だ。疲れる」
干してあった洗濯物に突っ込んで顔にぬれたシャツが張り付いた。
引っぺがしてぽいと捨てる。
川が見えた。
いつもクリスが洗濯をしている広い川だ。
クリスは躊躇せずに川の中に突っ込んだ。
冷たい水が足に絡まり重い。
必死に足を動かしていると、ガーネットが水際まで追いついてきた。
「どこまで逃げる気じゃ。いい加減腹を切ってみたらどうだ?」
「いや、それ死んでるー」
クリスは川底に足を取られないように慎重に、でも急いで進んだ。突っ込みながら。
川の中央では腰まで来る。
水を吸った毛皮が太股にへばりつく。
「いい加減勘弁するがよい」
ガーネットは川に片足を突っ込んで。
元に戻した。
「冷たいなら無理してこなくても」
「うるしゃい」
えいやっと飛び込むようにガーネットが川に入る。
「というか槍って火属性だから、水につけたら折れるんじゃ」
「折れるかっ。そんなボロではない。ちょっと威力が落ちる程度じゃ」
ガーネットがやってくるが、身長差のせいで胸元まで水が来ている。
槍を水につけないようにしながら歩いてくる。
「のわっ」
滑りかけたらしい。水圧も結構強い。
「ここでなら何とかなると思うなら、それは浅知恵だといっておくぞよ」
「かもな」
クリスは逃げようとして足を滑らした。
水中にじゃぼんと上半身が落ちた。
あわてて顔だけ水面に出したが、ガーネットが喜色を浮かべてこっちに歩いてくる。
じゃぼじゃぼ水を掻き分けて。
「愚か者め。策士策におぼれるとはまさにこのことわうぁっ」
ガーネットも転びかけた。
クリスはあらかじめ水底に杭を打ってロープを張り巡らせていたのだ。本来はノードアルスの騎兵や歩兵が渡河をして攻め込んでくるのを想定した防御である。
で、見事にガーネットはそれにけつまずいたのである。
ガーネットは何とか転ぶ寸前で耐えた。
「な、何でこんなのがぁっ」
ガーネットの手首に白い線が飛んだ。クリスの左腕に巻いてある布だ。栗栖は添えをまきつけて、引っ張った。
足はロープに引っかかったままだ。
ガーネットは槍を持ったまま転んだ。
「もごもごもご」
叫んでいるが全部気泡になっている。
クリスは上にのしかかるようにすると、脇腹に手を伸ばした。
ガーネットは槍を振るう。
でたらめに動かしているが、クリスの肩に何度かぶつかる。焼け焦げるが水中では完全には効果を発揮しない。
触れただけで灰にしてしまう、女神の加護を受けた武器とはいえ、火傷を起こすのが精一杯だ。
クリスは一心不乱にガーネットの脇腹をなでた。
(もごっ。もごごごご)
ひときわ大きな泡を吐いたあとガーネットは痙攣して動かなくなった。
槍から手が離れる。
クリスはあわてて彼女を担いで水面に顔を出した。
「ぷはっ」
クリスが体を起こすと、川の周辺には氏族のひとたちが集まっていた。
クリスは全力で川を渡った。両手が使えないのできつい。
ガーネットは動かない。
息もしてない。
川辺に出るとガーネットを寝かせて薄い胸を押そうとした。
そこで気が付いた。
左腕が動かない。
上着の肩の部分がなくなっていて、火傷を通り越して黒くなっていた。
右手だけで押すと、ガーネットは口から水を吐いた。
肋骨越しに心臓の鼓動は感じる。
「メイリアがいれば楽なんだよなぁ。ちっ。応急手当なんてもう覚えてないぞ」
鼻をつまんで口を開けると、そこに息を吹き込んだ。
二十回ぐらい繰り返したら、うめき声が聞こえてきた。
「うー。生きてたか」
さすがにあれで溺死させたら目覚めが悪すぎる。
ほっとしたらくらりと世界が歪んで。
気が付いたら族長のテントだった。
脇にガーネットがいた。
「……ここはどこわたしはだれ?」
「そういうネタはやめよ。ちと火傷がひどすぎてな。よく生きていたものじゃ」
割とそれどころじゃなかったような気がするが。
というか殺す気だった奴の台詞ではあるまいご主人様。
「わが氏族にはやけどを治す薬があるのじゃ。女神の加護でな。もう安心じゃ。傷までは消し切れんがな」
肩は布が巻かれていた。左腕を動かそうとしたら痛みが走った。
「あまり無理をするでない。さて、クリスは元気か? もう大丈夫か?」
「ん。……なんで俺の名を」
「もうコレはいらぬ」
ガーネットは俺の首に手を伸ばすと首輪を取った。
中に指を入れてくるくる回す。
「不本意ではあるが。汝はあのような手段ではあるがわらわに勝った。納得はいかんが汝がいまから族長だ」
「は?」
「先日言ったよな。氏族で一番強い男と結婚する、と。こんなのありか? といいたいがまぁ掟ゆえいたしかたがない」
「なんかすごく嫌そうですな」
「当たり前だっ! ……まぁたしかに、かような知恵も力のうちかも知れぬ。しかしじゃっ」
「ガーネットたんは物理的に強い奴が好み、と」
「その通りじゃ」
「まぁ、じゃあそうしろと」
「は?」
「俺じゃなくて別の強い奴にしろよ」
「だ、だめじゃっ。汝ではなくてはだめだっ」
「いやめんどいし。部外者だし。よわっちぃし」
「だめじゃっ。おきてだから仕方がないのじゃっ。わらわもあきらめるゆえ汝もあきらめるがよい」
「……かなり納得がいかんが。嫌だといったら?」
「前例はないが、部族の男でバトルロイヤルなるものをするのが妥当ではないか? 無論汝が最も狙われると思うが」
「なんでそんな言葉だけ知ってるんだよ。まったく、死ねってことかよ。……まぁ、それについては別の手を考えることにしよう」
「そうか。じゃぁ、これはもういらんな」
ガーネットは指先でまわしていた首輪をぽいっと投げた。
ガーネットはクリスの横に寝ると、かちんこちんに体を硬くした。
「さあっ」
これから総術の練習でも始めるのかというぐらい気合の入った子をあげる。
「……どうした? 寝るのか? そんなに気合入れて」
「……馬鹿者ーっ! わ、わ、わらわに皆まで言わせる気か。しゅ、しゅ羞恥プレイとか言うやつか。これがオババの言う」
何を言っているかさっぱりわからない。
いつもだったら腕枕を要求してとっとと寝るがきんちょが。
「せ、せっかく初めての夜だというのに。気の効かぬ男め」
「なにがどうはじめ……ああ」
腕が動かないので、クリスは頭の中で手を叩いた。
「俺そっちの趣味ないし」
「趣味とは何じゃ? 羞恥ぷれーとか放置ぷれーとかいうやつか?」
「だからなんで偏っているんだよ。子供に手を出す趣味ないし。俺の出身地方で犯罪なんだよ、それ」
クリスは目をつぶった。
「なんか魔力削れて眠いし。おやすみ」
「……まて」
「ほら、腕貸してやるから」
ガーネットの頭の重みが例によって右腕に感じられる。
「汝の生まれたところでは初夜なるものはこのようなものなのか?」
「……」
違うと突っ込みも入れるのもめんどくて眠い。おやすみ。
メイリアは砂船の先頭に立っていた。
風を帆に受け、船は砂の上を滑るよう南へ向かう。
フェニーラは砂漠の国だ。
見渡す限り砂砂砂。そのど真ん中に神殿が建っている。本神殿だ。
都市機能をつかさどる居住地や農地は地下にある。地上に見えるのは大きな神殿と、採光用の鏡塔が砂から何本も柱のように生えているものだけである。
初めて見たときから思うが、妙な光景である。
風を受けて白い法衣のスカートがはためいた。
「そんなところで気分出してないでくださいよ。落ちたら下は水じゃないんですよ。ひかれてすりつぶされますよ」
「うっ」
背後から船員に注意された。
光塔のあいだをすり抜けるように砂船は進んだ。
神殿に戻ったメイリアは階段を駆け上って巫女の元へと向かった。
最上階の広間に飛び込むように扉を開けた。
「捜査局本部長、メイリア。ただいま戻りましたっ」
「ごくろうさまです」
奥にいる、赤い法衣を身につけた少女が微笑んだ。巫女ルゥフィリアだ。中央において一番偉い人。
その隣に黙って立っているの男が枢機卿ゼルフィン。メイリアやクリスの幼馴染で若いながらに巫女の補佐として事実上政治を取り仕切っている。
反対側には白いあごひげを蓄えた宰相ロンディーグが椅子に座り、巫女に体を向けて手を杖の上に載せていた。
聖女は巫女の前に来ると膝を突いて一礼した。
「お願いがあります。どうか私めにクリス捕縛の軍をお与えください」
「とりあえず疲れましたでしょう。お座りなさいな」
ルゥフィリアは椅子を指差した。
巫女が手を叩くと法衣の上にエプロンをつけた侍女たちが紅茶を持ってきてくれた。
水で出した紅茶は旨かった。
「報告書は読んだ。やっかいじゃのぅ」
ロンディーグ老は白ひげを手でしごいた。
「老師、禿げますぞ」
「禿げちゃいますよ」
「一度禿げたら奇跡でも直らないんですからね」
「ほっといてくだされ」
ロンディーグは傍らの枢機卿と巫女、そして目の前の聖女に非難の目を向けた。
「まぁ、それはさておき。メイリアたんでダメだときついのぅ。たかが逃亡犯に枢機卿クラス二人以上も突っ込みたくないものだな」
「……『たん』はおやめください」
「私が動ければずんばらさと斬ってくるんですが」
ゼルフィンが言った。
「本国防衛があるからだめじゃ。ほかの枢機卿が帰ってくれば向かわせられるんだが」
現在、東大陸で内乱状態になっており、その鎮圧のために枢機卿四名が派遣されている。
本国は言わばがら空きの状態で万が一のことを考えると巫女とゼルフィンはここを動けない。
「クリスさんはお元気でしたか?」
巫女が尋ねた。
「あ。あー。飼われてた?」
「……」
「……」
「あのですな、あんまり姫にへんなプレイ教えないでくだされ」
「なんか首輪してたし」
「……」
「……」
「……そこんとこ詳しく報告しなさいな」
「なんだか、ロリっぽい小娘に『ポチ』とか『わらわのペットじゃ』とか言われていたような」
「……堕ちたなクリス」
「私もペット飼いたい」
「姫、神殿内では動物禁止でございます」
しばらくのあいだ、なんともいえない重ったるい空気がよどんだ。
「当面放置しておいてもよろしいのではないのでしょうか?」
巫女が言った。
「同意。正直恐れてはいたんだが。蛮族たちを扇動してノードアルスにでも攻め込んでこないかと。それ以前みたいだな」
「ひとつ聞きたい。これは非常に重要なことなんじゃが」
「ロンディーグ、お盆」
「はい」
「そのロリ娘は萌えるのかぐわっ」
巫女はジジイの頭をお盆の角で殴った。
「……ったく。はい、というわけでクリス追撃の必要性は認めません。というわけで派兵は却下です。捜査局長として追いかける分には止めません」
「というかメイリア、いいかげんあきらめてほかの男見つけないと嫁き遅れるぞ」
「やかましいでございますは枢機卿猊下」
「で、ね。もうちょっと別の話も聞かせてもらいたいですの。ダメですか?」
ルゥフィリアはにっこり笑った。
とっとと取って返したかったが、さすがに巫女のお願いを無視することかメイリアにはできなかった。
話の途中でゼルフィンもロンディーグ老もいなくなり、女の子二人+侍女たちで北の森の話をすることになった。
とりあえずつかまって縛られたことは伏せて。
気が付いたら空が赤くなっていた。
「あら。こんな時間。そろそろおいとましないと」
「うん、ありがとうね、メイリア」
巫女は年相応な笑いを浮かべた。
広間から出ると廊下にロンディーグ老が座り込んでいた。
「……ぎっくり腰?」
「疲れたんでな。メイリアたんに話があったんだがいくら待っても出てこなくてのぅ」
目の前には報告書らしきものがじゅうたんの上に散らばっていた。
「で、ここで仕事してたと」
「うむ」
「……なにをしていらっしゃるのか」
「話があると言っている。クリスじゃが、あんまり追い詰めんほうがいいぞ」
「うっ。でも早く捕まえないと」
「ノードアルス近辺は荒れてるからな。お前も直接見ておろう。森の中に開拓地作って蛮族ともめている。波風立てすぎると巻き込まれて利用されるぞ」
「いや、でも、それは聞けません。私はクリスを必ずフェニーラの法廷につれてくると決めたんですから」
失礼します。そう言ってメイリアは歩き去った。
「おーい、わし放置プレイか?」
夢の中でまどろんでいると、焦げくささが鼻を突いた。
妙にリアルな夢である。
匂いはどんどん強くなってきた。というか煙?
「うわー。またやってしまったのじゃ」
ガーネットの声までしている。五感を抑えた響く贅沢な夢である。これであと味覚までそろったら完璧だ。
メイリアの手料理食いたいなぁ。
「うう、さっぱりわからんのじゃ。えーい」
うるさいガーネット。
クリスが目を薄く開けると、いきなり痛みが走った。
「ぐぉっ」
涙が出てくる。
なんかやばい。目をぱちぱちさせながら無理矢理開いた。テントの中はに霧がかかったみたいにぼんやりとしていた。煙のせいで。
「火事かよっ」
クリスはあわてて体を起こした。体の上からかけていた毛布代わりの毛皮がずり落ちた。
煙の発生源は囲炉裏だった。ガーネットがそこでしゃがんで何かを焼いていた。もくもくと煙が出ている。
囲炉裏の火は異常に強かった。煌々と鍛冶屋の炉のごとく燃え上がり、ガーネットの髪を赤く染めている。
クリスはとりあえず入り口まで這うようにして進み、布の隙間から顔を出した。
外は清浄だった。
こんなに空気が旨いとは知らなかった。
顔を切るような寒さだが、それがいまは心地よかった。
クリスの首のすぐ上から煙がテント外に逃げていく。
とりあえず、入り口の布を思いっきり捲り上げて空気口を作ると、クリスは囲炉裏で炎と格闘している自称嫁に尋ねた。
「げほ。なにしてるんだ?」
「朝ごはん」
ガーネットは振り向きもせずに答えた。
手には串。それに刺さっているのはかつて肉だったもの。でかい。それを直接火にかけてはいるが。
「焦げてるぞ、どう見ても」
どうもても真っ黒である。
「ああっ。話しかけるでない気が散る失敗してしまう」
「もう焦げてるってば」
「あー。なんで上手くいかぬのじゃ」
皿の上には串刺しにされた炭の塊が並んでいた。無駄にでかい。
だいぶ煙が晴れてマシになった。
クリスは手で煙を払いながらガーネットの後ろにしゃがみこんだ。
「もったいないなぁ。鹿さん、無念だって化けてでるぞそのうち」
「うるさい黙れ痴れ者がっ」
「まぁがんばれ。自分で食事作れるようになるのもいい訓練だ」
クリスはガーネットの頭をなでた。
「うう、子供扱いするでない」
ガーネットは頭を振った。
「実際子供じゃん」
「失礼なっ」
クリスはガーネットを抱きかかえてなでなでした。
猫みたいにやわらかくて暖かかった。
最初は暴れていたが、しばらくするとクリスの腕の中にすっぽりと入っておとなしくなった。
ひとしきり遊んだところで聞いてみる。
「で、残りはまだあるのか?」
「これが最後の一切れじゃ」
ガーネットはうなだれた。
「そうか」
クリスは皿の上の肉? に串を刺して眼前に持ってきた。
「うう、せっかく汝のために用意したのに」
そう言われると、自分がなんか悪いことをしたみたいではないか。
「すまない。今日もカナンからもらってくる事にするのじゃ。はぁ」
クリスはナイフを取ると、丸こげ肉の炭化した部分を豪快にがりがり削った。
皿の上に炭が落ちる。
白い部分には焦げ臭い匂いがついているだろうから、一緒にそぎ落とす。
そこから、ほんの一切ればかりだが赤く綺麗に焼きあがったお肉が出てきた。
「あむっ」
肉を贅沢にも丸丸潰して作ったごちそうだ。肉汁が中からあふれてきて熱々で旨い。
「……結構いいな」
「本当か?」
ガーネットは目を大きく開けて笑顔でクリスを見た。
「どうじゃ。すごいであろう」
「いちいち削るのめんどいけどな」
「うう、そういうことは言うでない」
クリスはもうひとつ手にとってがりがり削った。露出したうまく焼けた肉を、今度はガーネットに向けた」
「ほれ」
「ん。……わらわに食えと?」
ガーネットはなぜか赤くなった。
「朝食だろう? 二人の分なんだろう?」
「うむ、その通りだが。ありがたく頂くことにする。あ、あーん」
首まで赤く染めて口を開く。クリスの差し出した肉をぱくっと食べた。
ゆっくりかんで飲み込んだ。
「むぅ。話には聞いていたが、結構恥ずかしいものであるな」
「? 何のことだ?」
なんかまたオババに変なことでも吹き込まれたのか。
「新婚夫婦というものはそういうものではないのか? なんでも『あーん』すると相手が食べさせてくれるという伝統があるとか」
「いや、知識偏りすぎだよそれは」
クリスはがっくりと肩を落とした。
「わらわもやるのじゃ。ほれ。あーん」
「せめて炭落とせよっ! 腹壊すわっ」
クリスは集落のまわりにある樹で懸垂をしていた。
雪の中、商人たちがそりを引いてきたのが見えた。
それはさておき、懸垂を続ける。
枝につかまっているのではない。
指先に魔力をこめて、手袋越しに枝に張り付いているのである。
魔力を集中させる、奥義である。
しばらくしたら、声を掛けられた。
「おーい。旦那」
下を見るとガーネットがクリスを見上げていた。
「……それ微妙に間違ってるぞ」
「むぅ。じゃぁなんと呼べば」
「旦那様とかご主人様とかマスターとか」
「……それはメイドとかというものじゃないのか?」
「気にするな。ところでなんかしたのか?」
危険なので話題を変えてみる。
「商人が来た」
「ああ、見えた」
「族長たる汝が挨拶してこないといかんぞ」
「お前行ってこいよ」
クリスはだるそうに傍らのガーネットに答えた。
「仕事であるぞ」
「……あんまりノードアルスの連中に知らせたくないんだよ。俺が族長扱いされているとか言うと変な妄想抱くし」
「むっ。……よなよな別の女を連れ込んでしゅちにくりんのあびきょーかんをしてるとか?」
「俺を何だと。大体意味わかって言ってるのか?」
「じつはあんまりよくわからん」
クリスはため息をついた。
「つーわけで、ガーネット、頼む」
「わかった。いたしかたあるまい」
ガーネットはうなずいた。
しかしこう、上から見ると胸ぺったんこでつまらん。
これがメイリアだったら谷間が見えて、そのあと見つかって樹を蹴られて落っこちる。
つるんでよかったかもしれない。
「どうした? 頭ひねって。器用な奴じゃな」
「なんでもない」
じゃぁ行ってくるぞよ。と告げてガーネットは行った。
クリスは懸垂を再開した。
指先で固定しているので、特に手首と指間接に負担がかかる。
「むー。やっぱり邪道かのぅ」
本来は壁や天井を掃除するときの技法である。
筋力トレーニングとしてやるのは癖がついてよくない、とは言われたものの。
ここは壁がないからなぁ。布だし。
上下運動しながら遠くを見ると、中央広場に馬に引かれたそりが入っていくのが見えた。
そういえば最近の情勢とか知らないな。
それとなく探ってくるか。
クリスが指先の魔力集中を解くとそのまま落下。雪の上にふわりと着地した。
「さて、目立ちたくはないんだよなぁ」
クリスの足元は新雪だったにもかかわらず、落下しても足が埋まったりせずに足跡ひとつついてなかった。
もっとも、そこから続く足跡は普通についていたのだが。