刃なき剣持ちし法の王


 体中を痛みが走っている。
 肉の中をぐいぐい押しのけながら虫が全身を這い回っているみたいだ。
 それが腰に全部集まって、一気に焼けた。
「ぐぉっ」
 痛みで意識がむりやり現世に引き戻された。
 目を見開くと、赤い髪の少女が顔を覗き込んでいた。水晶みたいに澄んだ瞳を向け、しげしげと見つめてくる。
 猫が猫じゃらしでも見つけたみたいに、だ。
 で、なぜか真っ赤な槍を持っている。
 少女の頭二つ分高いそれはぴんと天井を向いている。
「どうじゃ?」
 記憶が繋がらない。
 誰?
 思い出そうとしたら腰が痛んだ。
「うぐっ」
「大丈夫か。無理をするでないぞ」
 他にも腕や肩や足首が痛み、熱を持っている。
 左腕を見ると肉が貼り付けてあった。って肉っ?
「これ、何だ?」
「なんだ? そんなことも知らんのか。熊の肉には打撲を直す効果があるのじゃ」
 本当かよ。
 まぁ、それはさておき。
「えーと、何で俺はここに?」
「知るかそんなの。崖の下に落っこちてたから拾ってきたまでじゃ」
 物扱いかよ。
「で。ポチ。なにがあったのか話してみよ」
「ほち?」
「動物を飼うときは、ちゃんと名前をつけてやれとオババは言っておったのじゃ」
 少女は胸を張った。
 あんまり栄養分は足りてない模様だ。のけぞった拍子に、火のように赤い髪がさらりと流れた。
 一応念のため、自分の体を確かめてみる。
 怪我しているけど人間だよな。
 体をひねったときに腰が痛んだが気になるが気にしている暇もない。
「念のため聞くが、お嬢ちゃんの目には俺が犬とか猫とかに見えているわけじゃないよな?」
「うむ、北斗の二連星もばっちり見えるぞ」
 目はいいと主張しているらしい。
「何で動物扱いなんだよ」
「ほら、あれだ。奴隷扱いよりはかわええのぅ。そう思わんか」
「思わん。大体俺には、クリス、という名がちゃんとある」
「……かわいくない」
「何じゃそれ?」
「くりす、よりも、ぽち、のほうがかわええ」
「無茶苦茶言うなーっ」
 クリスは腹のそこから叫んだ。
 腰がずきんと痛い。
「あ、あいてててて」
「無理するでないぞ」

 少女は入り口の布をかきあげて出て行った。
 良く見るとテントの中らしい。中央に柱が、そこから梁が放射状に伸びている。
 真ん丸い。
 眠い。
 ダメージは抜けてないみたいだ。崖の上から落ちたときは何度か斬られて出血していたはずだ。
 傷も塞がっているので治療術でもかけられたのだろう。
 だからといって負傷と同時に抜けた魔力は戻ってこない。回復させるために体が眠りを欲している。無駄に抵抗しないで寝た。
 夢の中でたゆっているとスープの香りがした。
「んっ……メイ?」
「なにを寝ぼけておる」
 白い法衣を着た幼馴染の姿がまぶたに浮かんでいたが、半眼を開けるとそれは蜃気楼のようにかすれて赤毛の少女の姿になった。
 ついでに胸も半額セールになった。
 少女が半分呆れ顔だった。
「さぁ、ポチ。エサだぞ」
 エサ呼ばわりかよ。
 すげー、やな予感がしてならない。
 皿に生肉乗ってたらどうしよう、と思いびくびくしながらおきるとまともな食事だった。
 ちゃんと火が通っている肉だ。
 あとスープ。油っぽい。
「これは何だ?」
「肉だ」
 少女は即答した。
「何の肉だ?」
「鹿だ。わらわが今日手に入れた獲物のひとつだ」
「もうひとつは?」
 彼女は無言で俺を指差した。
「獲物扱いかよ」
 ちょっとランクダウン。
「早く元気になってもらわないとな」
「なにをさせようというんだ」
「オババに聞いた話によると、なんでも狩りのときに犬を先導させて獲物を追いかけさせる、というじゃないか」
「俺は犬かよ。そんなに足は速くないぞ」
「うむ、まぁオトリぐらいにはなるだろう。
 ちょっとオババに一度会ってきつく文句を言いたいものだ。
「そう不安そうな顔をするでない。大丈夫だ。ポチはちゃんと飼い主たるわらわが守ってやるから」
 少女は薄い胸をぽんと手のひらで叩いた。
「うれしかねぇ」
「そういやさ」
「なんじゃ?」
「名前、聞いてなかったな」
「ない」
「ないたん、と」
「……たん、というのは何じゃ」
「気にするな」
「気になるがまぁよい。『ナイ』という名前ではなく、名前は神に捧げたのじゃ。それが族長たるわらわの義務なのじゃ」
「ふむ、面白い風習だな」
 フェニーラ神殿の影響下にない辺境では土着の神が祭られてる。
 きっとこう、名前を捨てることによって神の力(とされる魔力)を得る魔術儀式の一種なのだろう。
 まぁそれはどうでもいいが、問題は名前がないと呼びづらいということである。
「じゃぁ、なんと呼べばいいんだ?」
「ご主人様」
 きっぱり。
「勝手につけるぞそういうこというと。とりあえずナイチチな」
 ナイチチ(仮名)は槍の柄でクリスを殴った。
「ぐわっ」
「ポチの言うナイチチなるものが何かはわらわは知らないが、とりあえずポチが失礼なことを考えているというのは想像がつくぞ」
「うう。……じゃぁ、ガーネット」
「なにそれ?」
「宝石の名前だよ。赤い奴」
「なるほど。わらわはそのようなものには興味を持たぬのじゃ」
「……まぁ使わんよなここじゃ」
 中央だとヒマなんで女性陣は宝石とか布とか銀細工とかが大好き。もっともこれが例外って気もするが。
「つーわけで、異論がないならガーネットたんだ」
「好きに呼ぶがいい」
「じゃぁナイチチたん」
 もう一度槍が飛んだ。
「いてぇ」
「わらわが本気になったら、そなた今頃真っ二つだぞ」
「無抵抗の人間を斬らない良心を信じたいものです」
「へんな奴だな。ポチは」
 ガーネットは笑った。

 ガーネットのある種献身的な看病によってクリスの体は癒えた。
「ようやく元気になったのじゃな」
 ガーネットはにっこり笑って皮の首輪(人間サイズ)を差し出してくれた。
 ひも付き。
「とりあえずオババなる人に文句言っていいか?」
「うわ。よくぞわかった」
「下手にひっぱられると首が絞まって死ぬんだが」
「大丈夫、死ぬことはわらわが許さん」
 あんた死神かよ。
「それに、だ。ここは族長のテントで立ち入り禁止でな」
「む? 初めて聞くが」
「聞かれてないからな。で、だ。入った奴は処刑、と決まっておる」
「なんで俺を入れたんだ?」
「喜べ。当然、ペットは例外だ」
 ガーネットは勝ち誇って笑った。
「……せめてひもは危険だから勘弁してください」
「えー」
「えーじゃねぇよ」
 ひもは外したものの。自分の手で首輪をつけるとなんかやるせない気持ちになった。
「落ちるところまで落ちたもんだなぁ」
「崖から転落人生とか言うやつだな。あまり気にするでない。手遅れだ」
「うう」
「さぁ、わらわについてくるがよい」
「逃げようかなぁ……」
「ポチは猫か?」
「うにゃ?」
「やかましい。犬は一度受けた恩は忘れないというが。ポチは犬以下かな?」
「うぐっ。それもオババの入れ知恵か?」
「さあ。ポチの頭で考えてみるとよい」
 ガーネットは振り返らずにテントから出た。
 当然、付いてくるものだといわんばかりだ。
 まぁ、確かに看病してくれた恩ぐらい返さないといかんかな。とは思う。
 逃げてきてとりあえず行くところもないし。逃げるだけならいつでもできる。
 ……生まれてこの方、まさかペットになるとは思わなかったが。
 クリスは入り口の布をくぐった。

 テントの外は広場になっていた。
 毛皮でできた服に身を包んだ男たちがごちゃっと座っている。
 円形の広場の周りにはテントが放射状に並んでいる。
 結構でかいな。
 久々に浴びた陽光は弱かった。フェニーラの真上から照りつける太陽とはまるで違った。
 北に来たんだなといまさらながら思う。
「ポチ。これを持ってくるがよい」
 ガーネットは視線で足元の木箱を指した。
 釘で止められた頑丈な箱だ。中央では普通に使われている。
 商人が箱に商品を入れて持ってきたんだろうか?
「なにをしておる?」
 ガーネットがクリスを睨んでいる。
 クリスは木箱を抱えるとガーネットの後に続いた。
 広場に集まった男たちがクリスをじろじろ見ている。
 珍しいらしい。
「ここに置くがよい」
 クリスが木箱を置くと、ガーネットはその上に乗った。
 ようやくクリスと背が並ぶ。
「さて、皆のもの。今日は私の忠実なるペットをお披露目したいと思う」
 ガーネットはクリスをちらりと見る。
「我がペットは幸いにも言葉を操ることができる高い知能を持っている。さぁ、自ら我が同胞たちに挨拶することを許すぞ」
 どこまで本気なんだろうかと思うが。
 こんな小娘に男たちがちょこんと座って黙って聞いているところを見ると、ここでついうっかり。
『お嬢ちゃんおいたはいけませんぜ』
 とかいって手で突っ込んでみたら、次の瞬間、男たちの剣とか槍とか斧で三十六分割ぐらいされそうな勢いである。
「えー。ポチです。皆様よろしくお願いします」
 野郎どもは無言でクリスを睨んでいる。
「……こういう洒落のわからん連中は苦手だ……」
 クリスはぼやいた。
 一人の男が立ち上がった。
 右ほほに傷のあるひげ面の男だ。
「族長に申し上げます」
「なんじゃ。言うてみろ。ガルフォード」
「はっ。その男は正直信用できません」
 しなくていいからそのまま帰してほしいものだ……
「理由を聞こう?」
「この、ノードアルスと小競り合いを続けているときに南方人ですと。信じろというほうが無理がありましょう」
「そうか。ならば却下である」
 族長殿はあっさり言った。
「なぜですかっ」
 ガルフォードと呼ばれた男の声がでかくなる。
「犬は一度受けた恩を忘れぬものじゃ」  ガルフォードは口をぱくぱくさせた。
 論理飛びすぎてます。ガーネット。
 男たち誰も突っ込めず広場はしーんと静まり返った。
 鳥の声が聞こえる。
「な、納得がいきません」
 ようやくガルフォードが言った。
「まぁ仕方ないな。だが私の許しなくポチに手を出すのは許さんぞ」
「御意」
 そうはいったものの。ガルフォードはクリスを睨み続けている。
 やる気満々らしい。
 ……とっとと逃げるか?
「今日の話は以上じゃ。じゃぁ、これより狩りを始める。準備をして集合。というわけで解散じゃ」
 男たちが立ち上がってばらける。
 ガルフォードはクリスたちのそばを通って、ガンを飛ばして去っていった。
 クリスは視線を外した。
 空は綺麗だ。
 ガーネットはクリスの背中を叩いた。
「わらわのそばを離れるでないぞ。ポチはわらわがちゃんと守ってやるからのぅ」
 そう言って笑う。
「さいですか」
「あ、ちゃんと木箱は片付けておくんじゃぞ。また使うからな」
「はいはい」

 クリスはテントに戻った。
「はよ行くぞ」
 ガーネットが垂れ幕から首を突っ込んで覗いている。
「ん。俺の持ってた剣とかあるか?」
「うむ、そこにあるぞよ」
 ガーネットはテントに入ってきて机の上を指差した。
 そこにぼろぼろになった服が置いてあった。その脇には鞘に入った剣が立てかけてある。
「持っててっていいか?」
「構わぬ。ペットの持ち物を奪うほどわらわは困窮してはおらぬ」
「いや、俺に武器もたせていいのか? ってことなんだが」
「何か問題があるのか?」
 ガーネットは首をかしげた。
「……なければいいんだが」
 信用されているのか、はたまたクリス程度には負けないと思っているのか。
 いまいち判断が付かない。
 クリスはベルトを手に、腰紐を外してかわりにベルトを身につけた。
 白い包帯のような布を左手首にくるくる巻く。
「それは何じゃ? まじないか?」
「そんなもんだ」
「ふむ」
 ガーネットは槍を置いてクリスの剣を手に取った。
 抜いてみる。
 刀身がなく、柄だけだ。
「折れたのか? なら代わりの剣をくれてやろう」
「いや、それでいい」
 クリスは剣を受け取ると腰に帯びた。
「変な奴だな。それでは人は斬れぬぞ」
「人間を斬る気はないから問題あるまい」
「む? ……殴るのか?」
「は?」
 いやなんで殴るって話が出てくるんだ?
「南方では柄だけで撲殺する新手の剣術でもあるというのか。理解不能だ」
「理解不能なのはガーネットたんの頭の中身だと思います先生」
「むー」
 ガーネットは頬を膨らませた。
 珍しく年相応に見えた。
「まぁお守りみたいなものだ」
「ふむ。よくわからんがわかった」
 解ってねぇだろう。
「ところで、『たん』というのは何だ? 『ガーネットたん』とかポチはよく言うが」
「はい。私の出身地において美しい女性に対する尊称でありますわがご主人様」
 ガーネットは黙ってじとーっとクリスを見る。
「何か?」
「なぜ急に饒舌になる」
「わわは。気のせいでございますよ」
「まぁ良い。準備ができたらとっとと行くぞ」

 馬に乗って森の中を駆ける。
 木々の根や石大地がでこぼこしていて走りにくい。
 中央の舗装された街道とは大違いだ。
 積み重なった落ち葉の上を馬はすいすいと蹴って進む。
「どうだ? 気持ちいいだろう!」
 軽い声で隣を走るガーネットを振り向く暇もなく、クリスは手綱をきつくつかんでいた。
 というか気を抜いたら馬ごと転んで下敷きだ。
『生身の馬は乗りなれてねぇよ!』
 と叫び返したいところだが、馬の背に上下に激しくゆられているので口を開いたら舌を噛む。
「先に行くぞっ!」
 ガーネットが前に出た。
 白馬を軽快に操り、右手に槍を持って片手だけで手綱を操ってぐいぐい引き離していく。
 目的忘れてないか? お前。
 というか離されたら道わかんねぇんだけど。
「んんんっ!」
 あわてて手綱を緩める。
 馬の足が上がる。
 同時に上下振動がひどくなる。尻が跳ね上げられて、再び落下しきる前にまた跳ね上げられる。
 もう地面なんかみえねぇ。
 ……無理
 ガーネットの小さな背中が緑のカーテンの最奥に消えた。クルスは追いかけるのをあきらめた。
「はふぅ。そのうち戻って……くるよな? というか戻ってきてごしゅじんさまぁ」
 まぁこなかったら逃げてしまおう。飢えたくないし。
 そのうち人か馬か見かけるか、少なくても音は聞こえるだろうとゆっくりと馬を進める。
 栗毛の馬だ。族長から借りた。肉の締まった旨そうな馬だ。
 馬がいなないた。
 食うな、といっているわけでもあるまい。
 頭にちりちりと焼けるかすかな痛みが走った。
 捜査官時代に鍛え上げられた勘が危険を示している。
 視界の左隅から、銀弧が走る。
 クリスは鐙から足を抜いて右に転がり落ちた。
 馬の悲鳴が葉を揺らす。
 クリスは肩から落ちた。受身を取ってくるりと一回転。即座に体を起こす。
 馬がふらりとして、倒れた。腹には矢が刺さって血が出ている。
 毒か?
「だれだ……あぁっ」
 誰何の声を上げる暇もなく次の矢が飛ぶ。横っ飛びして近くの樹を盾にする。  矢が二本突き刺さった。
「人の話ぐらい聞けよ」
「ふむ。やはりそれなりに訓練は積んでいるようだな」
 奥から頬傷の男が出てきた。
「ガルフォード、だっけ?」
 半身だけ樹からずらして様子を伺う。
「いかにも。貴様が密偵だろうが、ただの不幸な旅人だろうが、そんなことは知らぬ。知る気もない。ここで死ね」
「直球ストレートな奴だな。そんなんじゃ長生きできんぞ」
「構わぬ」
 ガルフォードは背中から剣を抜いた。
 身長より長い刃を持つ大剣である。
 常人では両手で抱え込むのがやっとなそれを、片手で振り回して正面に構えた。
「族長に害なす輩はここで滅ぶべし」
「俺怪我人で丸腰なんだけど、根っからの戦士がそーいうのっていいの?」
「その腰の剣は何だ?」
「飾りですが何か?」
 ガルフォードは剣に力をこめた。
「女神を力を」
 刀身が一瞬で炎に包まれた。
 燃え上がる大剣を肩にかつぐと、そのままクリスが隠れている樹ごと叩き切らんとばかりに横に振るった。
「戦士たる資格のないものはここで死ぬが良い」
 クリスは後ろに飛んだ。
 クリスの胴体の十倍以上の太さの樹があっさりと真っ二つに斬られた。
 そして、次の瞬間に樹は一瞬で燃え上がる。
 一呼吸かからず灰になって散らばった。
「派手やな〜」
「女神の加護を受けた俺の一撃をくらった奴は燃えて死ぬ」
「俺は萌えて死にたいよ」
「ならばこの一撃受けるがいい」
「断るっ! 俺には美人な嫁さんと仲良く隠居して昼はまったりと暮らすという野望があるんだ。だからまだ死ぬわけにはいかん」
「そうか、だが死ねっ!」
「夜はどうするんだと突っ込みやがれこの筋肉脳みそ」
 クリスは背中を向けてとっとと逃げ出した。
「待て。貴様は戦う気というものはないのか」
 後ろから罵声を受ける。
「ないっ」
 クリスは後ろも見ずに全力疾走。
「そんな重い鉄の塊持って追いつけると思ったら追いついてみろっ!」
「この根性なしがっ!」
 とっとと無視。
 ベルトの背中に当たる部分に手を伸ばす。
 そこからロープを引き出す。洗濯用ロープが簡単に格納できる魔法のベルトだ。
「さて、馬なんとか無力化しないと逃げ切れんよな」
 するするとロープを手繰りながら辺りを見回す。
 いいトラップポイントを探さねば。
「そこにするか」
 クリスは樹と樹の間、ちょうど馬のひざの高さの辺りに一本のロープを張った。  それから枝の上にロープを投げる。降りてきた先端を持ち、手近な岩に十字に掛けてぎゅっと縛り外れないように重石にした。
「さて、何とかなるかなぁ」
 クリスはロープを手繰った。するすると重石が持ち上がっていく。

 再び蹄の音が聞こえてきたのは直ぐだったが、クリスはすでに罠の設置を終えていた。
 慣れというものは恐ろしい。捜査官として捕まえるために罠を仕掛ける暇はそんなにないときも多いので、目をつぶってもできるぐらい習熟してしまった。
 ロープを張った樹の間から、十歩ぐらい下がってガルフォードを待つ。
 ここで無力化できないかぎり逃げれない。
「ようやく勝負する気になったか」
 ガルフォードが馬上から声を掛けた。
「馬から下りて、正々堂々と一騎打ちしない?」
「貴様の口車には乗らん」
 馬の腹を蹴って、疾走してくる。
「それにポチ、貴様のような奴が正々堂々などと抜かすなっ!」
 クリスは肩の力を抜いて軽くひざを曲げて正対する。
 左手で、腰の鞘を軽くなでる。
 ガルフォードがロープの前に差し掛かる。
「このような小細工に頼る奴がっ」
 手綱を引くのにあわせて、馬が飛び跳ねた。
 足元のロープの上を綺麗に抜ける。乗馬の教科書みたいなさばきかただ。
 だが、実はロープはそれ一本ではない。 「こんなものに気が付かぬと思ったかっ」
 ガルフォードは肩から大剣を抜いてそのまま振り下ろす。
 少し離して張られていたロープが、ちょうど飛び上がったガルフォードの胸に迫る。
 それを剣で斬った。
 ぴんと張り詰めたロープが左右に飛ぶ。
 腐葉土の上に馬は着地した。
「うーん。二本しか見えなかったら俺の勝ちだと思う」
 落ち葉が宙に舞う。丸く縛ったロープが地中から現れて、ちょうど馬の右前足を引っ掛けた。
 ロープの動きに合わせて、重石をがするすると落ちてくる。
 それを縛っているロープについているのは、さっき切られたロープの切れ端。
 ロープが切れると連動して足元の罠が発動するようにしてあった。
「ぬおっ」
 足が引っかかって馬が転ぶ。ガルフォードもさすがにこらえきれずに転がり落ちた。
 一回転して背中から落ち葉の上に落ちる。
「ぐごっ」
「はい、俺の勝ち」
 強打して呼吸が狂っているガルフォードを、クリスは慣れた手つきで縛り上げた。
 足までがっちり。
「き、貴様。この程度で勝ったと思うな」
「勝敗なんかどうでもいいと思うぞ。口はそのままにしておいてやるから助けでも呼ぶがいい」
 クリスは笑って、背を向けた。
「この屈辱は忘れんぞー」
 怒鳴り声が聞こえる。
「すまんな、痛い目にあわせて」
 馬の縄を解き、ロープを回収して再びベルトに戻すとクリスは歩きはじめた。
「さて、ガーネットたんはどこまで行ったのかねぇ」

 とりあえず自分の借りた馬のところまで戻った。
 馬は寝ていた。麻痺かもしれないが。
 矢を抜いてやる。
 馬の治療はどうやればいいかわからんのでとりあえずほっといた。
 しばらく待っていると、赤い槍を肩に担いだガーネットが戻ってきた。
「愚か者が。いくら待っても来ないではないか」
「追いつけませんよ、そんなの」
「む、どうしたという」
 ガーネットは寝込んでいる馬を見つけて聞いてきた。
「流れ矢に当たった、のかねぇ」
 とりあえず波立てるのも面倒なのでごまかす。
「むぅ。まぁよい。ようやく獲物を追い込んだのじゃ。ポチも付いて参れ」
「って、動けそうにないぞこいつ」
「そのままにしておいてやれ。矢尻の傷なら眠り薬じゃ。じきに目を覚ます」
「じゃぁ、どうしろと」
「特別に乗せてやろう。我が後ろに座るがよい」
「二人乗り?」
「他のものを待たせておるのでな。早くするがよい」
 反論不能っぽいのでとりあえず後ろに座った。
「でわ行くぞっ」
 ガーネットは馬を走らせる。一気に飛ばす。
「早いぞ」
「黙っておれ。舌を噛むぞ」
 容赦なくでこぼこしている森の中を駆ける。鐙もないのでぐらぐらゆすられ落っこちそうになる。
 ずり落ちないように前の人につかまる。
 細くて抱きしめると折れてしまいそうだ。
「どこを触っているっ!」
 んー。胴体?
「愚か者め。無礼であろうっ」
 槍で頭を殴られる。
 真後ろに向かって器用な奴だ。
 つーかこれ以上変なことされると本当に落ちるんだってば無茶言うなよ。
 ぎゅぎゅーっと抱きつくと、態度の割に骨格はちっこいんだよな、確かに。と悟った。
「馬鹿者。手を離せといっておる」
 微妙に泣いてないか?

 森から抜けたら崖の下に付いた。
「ここか?」
 馬の歩みがようやく遅くなる。
「ふぃー」
「いい加減に離せっ」
 ひじがこめかみに飛んできた。
「ポチよ。せめてつかまるのは腰とかにするがよい」
 いや腰だってば。まっ平らだったし。
 そういえば微妙に硬かったような気が。見た目より腹筋強いのかな?
 ガーネットたんが怒りにか顔を赤くしてクリスを睨んでいた。
「……もうよい」
「さいですか」
 ガーネットは前を向いた。
 周囲には森から出たところに騎乗した男たちが並んでいた。
 彼らの視線の置くには鹿がいた。
「あれ?」
 クリスは目をこすった。
 微妙に遠近感が合わない。
「なんかでかくないか?」
「あんなものじゃ。この森を守る精霊のようなものじゃからな」
 いまなんつった?
「年に一度、ガモーウェルドの肉を食べて森と大地の力を得るのじゃが、今年は少々足りなくなってな」
「なんかしたのかよ」
「うむ、どっかの崖から落ちたポチにくれてやってな」
「……そーだったのか」
 鹿なんてくったことないからあんなもんとばかり思っていた。
「貸しを作ったとは思わん。ペットを大切にするのは飼い主の務めじゃからな」
「売る気満々の口調やな」
「まぁそれはよい。というわけでもういちどあやつを狩るのを手伝うがよい」
「何で俺まで」
「掟であやつを狩るのは族長ただ一人、と決まっておる」
「じゃぁ、がんばれ」
 馬から降りようとしたらあっさりつかまった。
「馬はありじゃ。たぶんペットもありじゃ。というわけで手伝え」
 ガーネットは赤槍を高く掲げると男たちに宣言した。
「見るがよい。わらわが森の精霊たるガモーウェルドからその血と肉を頂くところを!」
 男たちから歓声が上がった。
「……ついていけんノリだ」
「行くぞっ!」
 ガーネットは馬を走らせた。
 ぐんぐん鹿が近くなる。
 それはでかかった。馬に乗ったクリスやガーネットよりも、まだ頭が上にある。
 ガモーウェルドはゆったりと草を食んでいたが、それをやめ、ガーネットにでかい角を向けた。
「質問その一。こんな奴に勝てるんか?」
「がんばった」
 あんまり答えになってないような気がする。
「この程度の試練に耐えられぬようでは族長たる資格はないとされている」
「じゃぁ、以前にもだめだった族長が?」
「そのような話は聞いたことないが、単になかったことにされているだけかも知れぬのぅ」
 ガーネットは右手で槍を構え、左手で手綱を持つ。
「あやつは強い。落ちるなよ……特別にわらわにつかまっても構わぬ」
「わかった。ちゃんと腰につかまる」
「腰だぞ、間違えるでないぞ……わらわが守るから安心しているがよい」
「えーと、質問その二、だ。俺はなにをすればよい?」
「見ておれ」
「だから、仕事」
「わらわの後ろで、ただ見ておるだけでいい。ポチはわらわのペットじゃ。ペットというものはそういうものじゃ」
 単に見せたかった。と解釈するのは好意的すぎるんだろうかやっぱり。
「行くぞよ」
 馬は全力で走った。
 クリスはしがみつく。
「だからそこではいと言うておるっ」
 ガモーウェルドは逃げない。奴もこっちに走ってきた。
「女神の一撃受けるがよい」
 ガーネットの叫びとともに、穂先が炎に包まれた。
「ここの面々は全員火を使うのかよっ」
「そうじゃ。なんていっても我が女神は火の神であるからな」
 炎の槍と、枝分かれしたぶっとい角が交錯。
 火の粉と、光が待った。
「……硬い角だ。いかれてる」
「精霊だからそんなものなのだ」
 その体がすでに魔法みたいなものだから、魔力による攻撃にも耐えられるらしい。
 ガーネットはすばやく馬を転回させる。
 そしてもう一度、ガモーウェルドとぶつかりある。
 槍はリーチがあるが、角に引っかかって届かない。むしろ鹿が角で引っ掛けるように頭を跳ね上げてガードしている。
「やりおるの」
「う、来るぞっ」
 ガモーウェルドが突っ込んできた。
 ガーネットたちの左側面側からきた。ガーネットは左に槍を差し入れて止めるが、押される。
 乗ってる馬は駿馬だろうがただの馬だ。
 衝撃でぐらりと揺れる。
 ガモーウェルドはターンしてもう一度突っ込んでくる。
「あわてるな。ポチはそこにいるがよい」
 ガーネットは馬から飛び降りた。
 跳躍の勢いをそのままに火槍を振り下ろす。
 ガモーウェルドの動きが止まる。
 巨大なうねうねした角と、炎を吹き上げる槍が互いに押し合って力がつりあっている。
 クリスは手綱を引き寄せると、馬の背をずりずり動いて何とか鐙をはめた。
 紐が短いのでひざが曲がって窮屈だが。
「ガーネットっ」
 クリスは馬を回して少女の下に寄る。
「来るな! そこで見ておれ。わらわは大丈夫じゃ」
 ガモーウェルドは角を下に突っ込み、そのまま上へと跳ね上げた。
 ガーネットの小さな体がぽーんと吹っ飛んだ。
 攻撃力は対等だとしても質量と元の筋力が違いすぎる。
 ガーネットは野草の上に落っこちた。
「この程度でわらわを倒せると思うなよ」
 起き上がったがふらついている。
 止めとばかりにガモーウェルドが突っ込んでくる。加速をつけて全身をバネのようにしてガーネットに向かう。
「来るがよい」
 ガーネットは血が出ている口元をゆがめて笑った。
 もう見てられん。
 クリスは馬から飛び降りると腰から剣を抜いた。
 刀身はなく柄だけのを前に構える。
「馬鹿者、下がっておれ」
「一度だけ止めるから一撃で決めてくれよ……さすがに二回は死ぬ」
 ガモーウェルドが来た。
 衝撃がずん、と馬車で跳ねられたぐらいに一気に来る。
 刃がない剣の、刀身に相当する部分が淡く光っている。
 そこに剣があるかのように、ガモーウェルドの角はクリスの眼前で止まっていた。
「頼みますぜ」
「余計なことを」
 ガーネットが飛んで槍を一閃した。胴体がずるりとずれてあっさりと両断された。
 割とあっけない結末だった。
 男たちの喝采の声が聞こえる。
 なんかこう腹が立った。お前ら手伝えと。こんな小娘一人で戦わせて何も思わないのかと。
 まぁ異邦人が言っても仕方がないことか。クリスは柄を鞘に戻した。
 ガーネットの槍が炎を失う。振り向いたガーネットは頬を膨らませていた。
「礼ぐらいは言ってやる。感謝するがよい」
「……感謝するのは俺かよ」
「うむ、ポチの助けがなくても何とでもなった」
 ガーネットは馬へと目を向けた。
「さて、帰るぞポチ」
「へいへい」

 帰ったら宴会だった。
 ガモーウェルドを広場の中央で丸焼きにしている。
 でかい。
 男も女も子供も集まって火を囲んでいる状態だ。
 クリスは当然のごとくガーネットの隣に座らされていた。
 女たちが酒を配り、当然のごとく族長の前にも置かれた。
 ガーネットが手を伸ばす前にクリスが奪い取った。
「没収」
「何でじゃっ。ポチのくせに」
「子供が酒飲んじゃいけません。体に悪い」
「何を言う。わらわは女神の加護を受けているのだから酔わないのだ。問題ないのじゃ」
「酔わないなら飲む意味なかろう」
「酒の一杯や二杯飲めてこその族長なのじゃ」
「……本当に大丈夫なんだな」
「当然なのじゃ。飼い主に間違いはないのじゃ」
 そう告げてごくごく飲んだ。
 お肉が焼きあがったころ、クリスのひざに頭を乗っけてガーネットがとろんとした目で星を見ていた。
「……信じた俺が馬鹿だった」
「何を言う、わらわはよっとないぞ」
 もうだめぽい。
 直ぐ脇には半分飲みかけの酒の入った器がある。
「一杯すらもたねぇのかよ……」
 一人の男が来て、ガーネットをゆすった。
「族長。族長殿おきてくだされ」
「うーもう食べられないよう」
「……べただ」
「……族長、客人がいらしまして。南の商人が例のように」
「ん? とりあえず任せた」
 ころんと寝返りをうって男に背を向けてしまった。
 すがりつくような視線をクリスに向けてきたがどうしろと。
「どうしましょう」
「俺に聞くなよ。ただのペットだぞ」
「そーですよね。じゃぁとりあえずお通ししておきますね」
 そう言って去っていった。ペットの部分は否定してほしかったんだが。
 俺は気になって近くの女性に聞いてみた。
「なんで、飲めないのに酒なんか置いたんだ?」
「飲ませないと暴れるんですよ。素面なのに」
 そりゃ困るというか人としてなんかダメだろう。
「最近はポチどののおかげでおとなしくしておりまして。実は一同、陰ながら感謝しているのですよ」
「感謝しているならポチと呼ばないでほしいのだが」
「あら。だって私たちはポチどののお名前を存じ上げないのですわよ」
 女はからからと笑った。
 しばらくして、懐かしい服装の男たちがやってきた。
 布製の服を着た男たちだ。さっき行っていた商人たちなんだろう。
「お久しぶりでございます。本日もいろいろと持ってまいりましたので……あっ!」
「あ?」
 男はクリスの顔を見て奇声を上げた。
「俺が何か?」
 クリスのひざではガーネットが一心不乱に寝ている。
「あ、いえ。何でもありません……族長はどうかされたのですか?」
「本日いろいろとあって疲れているみたいだ。……起こすか?」
「いえ、それには及びません。では後ほど改めて挨拶いたします」
 男たちは逃げるように戻っていった。
「……失礼なやつらだなぁ」
 彼らに見覚えはない。
 出身がこっちだからといって顔がそんなに広く知られているわけでもないはずなんだが。なかったことになってる三男坊だし。
「へんなの」
 こっそりつけて見ようにも膝で族長が寝ている。
「ま、気にしてもしょうがないか」

 数日後、ノードアルス北端のアインツヴァイの町に商人たちが帰ってきた。
 彼らは着替えもせずあわてて神殿に向かった。
 神殿の前には立て札があった。
『このものを見つけたら神殿方メイリアまで 捜査局』
 そう書いてある上には北の森でポチと呼ばれている男の顔が合った。
 クルス。名前までばっちり。
 男たちが神殿に駆け込むと、一人の法衣を身にまとった女性が祭壇の前で祈りを捧げていた。
 聖女のみに着ることが許されている純白の法衣だ。
「す、すみません聖女様。私は大変なものを見つけてしまったのです」
 聖女はゆっくりと振り返り、商人たちに微笑を見せた。
 金色の髪がふわーっと広がる。
「ごきげんよう。そんな騒々しいことではいけません。神様の前ですよ。もっと落ち着きなさい。誰も逃げたりはしませんわ」
「で、ですが。見てしまったのです」
「なにをですか」
「あの手配書の男です。国王陛下を狙った愚か者の三男坊ですよ」
「なんですって?」
 いままでのまったり具合はどこ行った? という感じでいきなり聖女様は叫んだ。
 そして、拳を手のひらに打ち付けてにっこり笑った。慈愛ってより修羅という感じだが。
「ようやく見つけたわ手がかりを……必ず捕まえてフェニーラまでふんじばって連れ帰るんだから」
「あ、あの……」
「よくやったわ。さあ、案内なさい。今すぐっ」
「あの、疲れたんで一晩やすませて」
「ダメよ。また逃げるからあの男は」
 商人は顔を見合わせてため息をついた。
「見てなさいよ。もう二度と逃がさないんだから」

 続く


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