(ヴァレンタインイヴ(仮)) ============================  優は二階の自室で数学の宿題をしていた。 「……疲れた」  お茶でも入れようかと階段を降りる。わざわざ聖さんをよぶのも気が引けるし。  階段を降りると、玄関の向こうから物音がした。  かちゃかちゃという金属音に続いて、鍵がかしゃんと動く。  扉が開き、幼なじみの香澄が顔を見せる。 「あ。優。いたんだ」  香澄は合鍵をつけたキーホルダーをポケットにしまいながら、閉まろうとする扉に肩を割り込ませるようにして中へ滑り込んだ。  左腕に抱えた紙袋の口から、白で縁取りがしてある赤いリボンの束が見える。 「いたんだ、って何しに来たんだ」 「台所、貸して」  そういうと香澄は靴を脱いでつかつかと奥へ進む。 「聖いるかな?」 「うん。いるとおもう」  キッチンの前までくると。 「聖さん、いるかな?」  優はドアを開けた。  コンロの前で、いつものメイド服姿の聖は、しゃがんで床を雑巾で拭いていた。紺のワンピースにフリルの白いエプロンが映える。 「はい。優様。いかがなさいましたか?」  顔を上げて、聖は答えた。 「こんちー。待ってた? 聖」 「はい。お願いしていたもの、ありましたか?」 「うん。ばっちり」  優は香澄と聖の顔をかわるがわる見つめた。 「なんか、約束でもしたの?」 「はい。今日は二人で明日のために」 「あっ。駄目よ。内緒なんだから」  『内緒だ』と口にしてしまっては内緒も何も無かったりするのでありますが。 「いいんだ。二人でぼくをのけものにして」 「そんな子供みたいなこと言わないの」 「優様。男には男同士の話があるように、女には女同士の秘密があるのですよ」  聖は優しく微笑んだ。 「優様のベッドの下みたいに」 「いやっ、あれは剣が勝手に」  優は顔を赤くして、両腕を目の前で左右に振りながら聖から視線を外した。  香澄と目が合った。あのときのことを思い出しているのか眉をひそめて優を見ている。圧力に負けて優は背中を向けた。 「というわけで、大変申し訳ないとはおもいますが、しばらくの間、部屋に入らないでいただきたいのですが。お願いいただけますでしょうか?」  聖は深々と頭を下げた。 「ぼくに拒否権はないのね」 「優がいやだっていうなら、私のうちでやるだけだけど?」 「うう」 「まったく。いやがることじゃないじゃない。いったい、誰のためにやっているとおもっているんだか。いいわよね。優」  優が肯くのを確認するまでもなく、香澄は優のをキッチンの外に押しやった。  そして扉を閉める。 「ちょ、ちょっと待ってよ」  優がもう一度扉を開けると、香澄は優の眼前に指を突きつけた。 「入ってきちゃ駄目よ。覗きも禁止」  そう言うとばたんと扉を閉めた。 「ここ、ぼくのうちなんだけど……一応」  一人ぽつんと、廊下に残される優だった。  優を追い出した香澄は、テーブルの上に持ってきた紙袋の中身を広げた。チョコレートに生クリーム、包装紙、リボン、ハートマークのシール、組み立てて使う厚紙の箱、サインペン、メッセージカード。  香澄は聖にチョコを差し出した。 「溶かすのお願いね。こっち用意しているから」 「はい。任せて下さい」  香澄は椅子に座って。 「……ペン忘れた」  優に借りようとおもって二階に上がった。  二階はアパートみたいに扉が10枚並んでいる。優の父が、いつか娘達を連れてくるために広く作ってあるらしい。 「これでも足りないかも」とか言っていた記憶がある。というか把握してないのかと。  それはさておき。 「優。いる?」  返事が無かろうが勝手に開ける。  いなかった。 「どこいったんだろう?」  正面に見える窓越しに香澄の部屋の窓が見える。  テーブルの上には数学の教科書とノートが開きっぱなし。 「借りてくよ〜」  香澄はペン立てのカラーペンを掴み取った。  聖は空の鍋を火に掛けた。メイド服なのですでにエプロンは標準装備である。 「さて。ちゃっちゃっちゃっ、と融かしますか」  板状のチョコレートを鍋に叩き込むと、端から柔らかくなってみるみる融けていく。  なんか煙も出ているが。 「……」  鍋を前にして首を傾げる。 「換気扇、回さないと」  融けたチョコレートが煙を上げながらぐつぐつ沸騰している。  なんか油分が浮いている。 「……これでいいのかしら?」  そういいながら別のチョコレートをさらに入れた。  そのころ優は裏口からサンダルを履いて外に出ていた。めざすはキッチンの窓。  広間から見えないように遠回りして、玄関の前を横切ってキッチンの窓の下まで来ると。  換気扇がこれでもかというぐらい黒い煙を上げていた。 「……火事?」  窓の向こうに、黒煙を上げる鍋を見ているメイドの姿が。 「あれ? 優様?」  ふと気が付いたのか、顔を上げた聖と視線が合う。 「……とりあえず、火を止めたほうがいいとおもうよ。うん」  香澄はペンの束を握って階段から降りてキッチンに入った。すると。  煙を上げる鍋から一歩離れて立っているメイドの後ろ姿が見えた。 「なにやってるのよっ!」  香澄はペンをテーブルの上にばらまいて、聖の横に。  コンロを止めると、黒いすす状のものがこびりついた小型鍋をとなりの流し台に突っ込んで蛇口を全開にした。  ぴきぴきとかいう音を立てながら湯気が上がる。黒い泥水が鍋からこぼれる。 「ねぇ、チョコ触ったことも無いの?」  横目でじとーっと香澄が睨み付けると。 「……えーと。まぁ、そうですね」 「……ただ溶かすだけなのに」 「何事も特訓です。はい」 「自分で言っちゃ駄目。それから優!!」  こっそり離れようとする優に窓越しに怒鳴りつけた。 「は、はい?」 「覗いちゃ駄目よ」 「いや。だって煙が……」 「男の子が言い訳しないっ」