高いところに手が届くっていいね


 ミトフェム神殿裏の厨房は、天井から吊られたランプとかまどの火で照らされていた。既に日が暮れている。
 ここでは、神殿付属孤児院の子供たちや職員や、神官たちの食事を当番制で作っている。リルリィーアを始めとする大人の指導の下、子供たちが練習を兼ねながら調理を行なっている。
 10歳にして神殿長。聖女と呼ばれているティナといえども、料理当番は免除されるわけではない。もっとも、この手の事で特別扱いされるようなしつけはされていないが。
 むしろ率先してやらされているというかなんというか。
 ティナは、ボウルを押さえて、サラダを混ぜ混ぜしている。時々、腕が止まり大きく息を吐く。
「ティナ。ちょっと来て」
 リルリィーアの声に、ティナは手を止め、顔を上げた。
「なに?」
 リルリィーアが、棚の上に手を伸ばして大皿を引きずり出した。金属製で、ティナがやっとのことで抱えられるぐらいの大きさだ。
 彼女はいつもの通り、青いロングドレスの神官服を着ていた。もぞもぞ動く背中の上で、エプロンの肩紐が交差している。
 ティナはボウルをテーブルに置いた。このくらい混ぜれば十分だと思う。そして、疲労で張った腕を、血の気が良く通るようにぶんぶんと振った。これ以前にも油と卵黄をひたすら混ぜてドレッシングを作っていた。
 机の側を回って、リルリィーアの脇に立った。彼女は、ちょっとほこりを被った大皿をティナに渡した。
「これ、洗って頂戴」
 言付けた後、リルリィーアはもう一度腕を上に伸ばした。戸棚の上段から、でかい盆を引きずり出した。さっきの大皿が十分乗っかるぐらい大きい。。
 ティナは大皿を両手で流し場に抱えて行く。あまり良くない事ではあるが、踏み台を足でこっそり動かた。そして上に乗る。流し台に楽に手が届くようになった。
 藁のたわしと水で、てかてか光る大皿を洗った。よく振って水気を切ってから、テーブルの上に置いた。そして、乾いた布巾で拭いた。
 リルリィーアは水洗いしてあるレタスを取ると、べりべりと二枚剥いてから、残りを剥いた後ちぎって皿の上に並べた。
 その上に、ティナは既に混ぜてあるジャガイモとにんじんのサラダを置いた。
 ボウルが空になると、それを側に置いて、ふたたび流し台へと向かった。
 トマトを取ると、へたを取ってから二つに切り、さらに四等分した。あまり上手く切れずに、汁が飛んだ。六つきり終えてから皿に載せて、テーブルに戻り、もう一度の大皿に盛りつけた。
 リルリィーアは、良く焼けた鶏を皿の上に三つ並べた。食べやすいように包丁を入れてばらしていた。
 盛り付けが終わったところで、リルリリィーアは大皿の両端を持ち、先ほど降ろした盆の上に乗せた。そして、ちょうど指が入るようになっている端の取っ手を掴んだ。
「よしっ」
 彼女は盆を持ち上げると食堂へと歩いた。
 ティナはエプロンをするりと外した。いつもの紺のドレスの上に、真っ白なエプロンを着けているが、トマトの赤い汁で胸が汚れてしまった。
 食事の前に替えてこようかな。そう思っ考えてていると。
 リルリィーアの声がした。 「ああ、ティナ。お願い、水差し持って来て。水入れて」
 彼女は部屋から出るところで、ティナに振り向いていた。
「あ、はーい」
 リルリィーアは声をかけるとそのまま出ていった。
 ティナは棚によって、しゃがみ、一番下の戸を横に開けた。
 空だった。
「ここじゃなかったのかなぁ」
 扉をずらし、別の戸棚かときょろきょろと中をを見回すと、一番高いところにガラスの輝きがあるのが見えた。
「お姉ちゃんだったら、普通に届くんだけどな」
 ティナは首を振ると、流し台の前においてあった踏み台をむんずと持ち上げた。
「このくらいあったら、なんとかなる、かな?」
 踏み台を戸棚の前に置いた。
 それに載って手を伸ばす。
 かかとを上げ、腿に力を込め、胸を張る。腕をぐいっと伸ばして、ようやく指先がガラスの台座部分に触れた。
「ううっ」
 ほこりが指先に纏わりつく。
 ちょっと、このままで取るのは無理っぽい。
 ティナは腕を下ろして深呼吸。
 そして、もう一度腕を上げた。
「まだ?」
 びくりと肩が震えた。声に振り返ると、リルリィーアが、半身で覗き込んでいた。
「……なにしてるの? わざわざ」
「……うう。乙女には、いろいろ秘密があるんだよ」
 ティナは視線を逸らした。
 ティナの背中から、光が展開される、それは羽根を形取る。
 羽根が空気を掴むように動くと、ティナの体がふわりと浮かんだ。
 ガラスの水差しは目の前だ。それを両手で掴む。
「何で最初から飛ばないんだ? 今日に限って」
 リルリィーアは疑問を飛ばした。
「うう。ほっといてよ」
 そして、いつものようにふわりと降下した。両足が床に着くと、光の羽根は空気に溶けるように消えてしまった。
「はいっ」
 ティナは水差しを、リルリィーアに渡した。 「うむ。ありがとう」
 リルリィーアはそれを受け取ると流し台に向かった。
「あう。しばらく使ってないから、汚れ溜まってるよ。駄目だこりゃ」
 リルリィーアはたわしを取ると、ごしごしごしと洗い始めた。
 リルリィーアはティナと違い、台なんか要らない。
「もう少ししたら、お姉ちゃんみたいに大きくなれるかな」
 いまだ幼い聖女はそう呟いた。


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