リーファ王女に婚約者来る


 月が、雲の端っこにから姿を出した。
 月光が降り注ぐ。
 船が一隻、繋いであった。そこには人目を避けるように、明かりもつけずに甲板に立っていた人影があった。
「そこまでよ。このリルリィーアの目を誤魔化そうといったって、そうはいかないのよ」
 リルリィーアは桟橋から揺れる船に、足音ひとつ立てずに飛び移り、抜き身の増幅具を構えた。
 たった一人である。
 目元まで長い前髪は銀の光を受けてもなお赤い。すねまであるロングスカートの神官服を身につけ、男たちを睨んでいた。
 海は光を吸い込むかのように真っ暗。
 剣の先には、男が四人、二人ずつ別れて向かい合っていた。頭ぐらいの大きさの袋が三つ、甲板に置いてあった。
 最近町で問題になっている麻薬の取引だ。このミトフェムの町で麻薬をばらまくなんて許せない。
 リルリィーアは叫んだ。
「麻薬の密輸、現行犯。ようやく尻尾をつかんだわ。おとなしくお縄に付きなさい。さもないと」
 男のうちの一人が、話も聞かず、リルリィーア目掛けて走ってきた。
「一人で来るとはなめたものだな!」
 腰から剣を抜く。
 男は上段から剣を振り下ろした。
 リルリィーアはよけようともしない。剣を振りかぶった。あとから動いたにもかかわらず、男の剣よりも早い。リルリィーアの一撃は胴体を叩き、そのまま男を宙に打ち上げた。
 反対側の縁を超え、男は海中へと落ちた。
「ちょっと痛い目あってからお縄についてもらいますわ」
 リルリィーアは切っ先を再び男たちに突きつけた。
 リルリィーアの剣の刃は潰してある。捕縛のときに、間違って殺してしまうことのないようにするための配慮だ。
 男たちは目配せしあうと、今度は三人がかりで襲い掛かってきた。
 往生際の悪い奴らだ。
「女性に三人がかりで恥ずかしくないの?」
 投げられたナイフを、半身ずらして避ける。
 それにあわせて、二人が同時に剣で切りかかってくる。
「炎よ!」
 リルリィーアは手のひらに火球を出すと、ぽいっと投げた。
 片方はあわてて脇に避ける。火球は肩をかすって海へ。
 避けたことによって襲い掛かるタイミングがずれた。
「食らえ!」
 気合一閃、横なぎに振った剣をリルリィーアは跳躍して避けた。足をぐいっと曲げる。唯一、重力に引かれて垂れ下がるスカートの裾を切り裂いた。
「やめて!」
 布が千切れる音を聞いてリルリィーアは悲鳴を上げた。
 そのまま顔面に飛び蹴り。
「特注だから高いのにぃ!」
 先ほどの火球が水面で炸裂して水の柱をあげる。
 飛んでくるナイフを剣で弾き飛ばし、リルリィーアは船縁の上にちょこんと着地した。
 顔に靴の形の泥がついた男は甲板に倒れた。剣が転がる。
「もうやめようよ。無駄だから」
 リルリィーアのスカートは後ろが一部切れて、三日月みたいになって垂れ下がっていた。
 船が揺れるたびに舷側に立っているリルリィーアも上下し、それに合わせて三日月もしっぽみたいに踊る。
「おとなしく、およ?」
 急に、ぐらりと船が揺れた。
 先ほどの火球の爆発のせいか、高い波が来て船体を揺さぶった。
 リルリィーアは腰を沈めてバランスを取った。
 月明かりに何かが光った。
 ナイフだ。後方にいた男が転びながらもナイフを投げてきた。
 前にいる男は揺れに膝を突いている。
 リルリィーアは増幅具でなんとかはじいた。
「くらえ!」
 今度は剣が飛んできた。
「え?」
 膝を突いた男が持っていた剣をリルリィーア目掛けてでたらめに投げつけてきた。
 剣ではじいたが、衝撃は来る。
 リルリィーアは背中から海に落っこちた。

 海中に落ちたリルリィーアが感じたのは心臓を刺す痛みだった。
「もがもがもがもが」
 そろそろ秋も終わろうかというところで水は冷たい。
 リルリィーアの手から、するりと増幅具が落ちた。
「あっ」
 と声を上げたが水中ではただの気泡だ。
 手を動かして海中をあさるが、当然、硬いものに触れることはない。
 何も見えない。なくなった手の感触だけが剣を取り落としたことを示している。
「むー」
 息が続かない。
 リルリィーアは水上目指して泳いだ。
 神官服が水を含み、身体にまとわりついて邪魔だ。特にスカート。格闘で蹴りをしても足にまとわりつかないように保護する魔法がかかっているのだが、水には無効なのか機能していない。
 主に腕で水をかく。
 顔が水上に出たとたんに、リルリィーアは口を大きく開けた。
 唇がしょっぱい。
 月はいまだに出ていた。
 水上に出たところを狙われないように、リルリィーアは辺りを見回した。
 船の上には誰もいないように見える。逃げたのか。
 剣戟の音が陸上から聞こえる。
 急に月光が翳った。
 リルリィーアのすぐ脇に何かが落ちてきて、大きな波を立てた。
 口と鼻の中に海水が入る。
 痛みに咳き込んでいると、上から声がした。
「大丈夫ですか。お嬢さん?」
 男の人の声がした。
 塩水くらって見えない目をなんとか開いた。
 水中に首から下を沈めたまま、上を見やる。
 月を背に、逆光で顔は良く見えない。
 男は無言。
 大丈夫か、とかいっているぐらいならせめて手ぐらいは伸ばしてほしい。
 ああ、剣拾ってこなきゃ。あれ形見だから。
「リーファ?」
 男は言った。
「人違いでは?」  リルリィーアは答えた。
 リーファというのはガルディア王国の亡国の姫君である。と一般には解釈されている。むろん、同名の別人のことを言っているのかもしれないが。
「いや、失礼。知り合いにそっくり、いや、知り合いかと思ったもので」
 同じことじゃないのかと思った。別に言い換えなくても。
 男はリルリィーアに手を伸ばしてきた。
「すみません。船の上に男たちいませんでしたか?」
「ひとり、ここで伸びているし。もう一人は」
 男はリルリィーアから視線をはずした。リルリィーアもそっちを見た。男が海を沖のほうに泳いで逃げていた。
 そっちには灯台が見えるのでそこから上がる気が。
「あと、船の上にだれかねっころがっていますね」
「そうですか、ありがとうございます」
 リルリィーアは大きく息を吸い、水中へもぐった。
 海底目指して水をかく。
 指先が砂についた。暗くて何も見えない。
 手探りで形見の剣を探していたが、見つからない。息が続かないので一度海上に戻る。
「ぷはっ」
「どうかされたのですか?」
 男が尋ねてきた。
「剣を落として……増幅具の。大切なものなんです」
 それだけ聞くと、男は上着を脱いだ。
 腰の剣を外し、シャツとズボンまで脱いでパンツ一枚になった。
「なっ」
 何をする気か見当がついて、非常にありがたいことではあるが、それはそれとして恥ずかしい。水中で寒いのに身体がかーっとしてくる。
 男は軽く体操をしてから海に飛び込んだ。
 海面は静かに波打っていて、月光を反射して銀色に光っている。
 さっきまでの喧騒が嘘のようだ。
「……」
 男が上がってこない。
 この寒さだ、身体が弱いひとだと一撃死だ。
 謎の男性、パンツ一枚で投身自殺。
 いろんな意味でいやな連想をしてしまい、リルリィーアはもう一度もぐろうと深呼吸をした。
 海面が盛り上がる。
「ぷはっ」
 男が上がってきた。その波を顔に受けてリルリィーアは再び咳き込んでいた。鼻が痛い。
「はい、これかな」
 男は一本の剣を海中から出した。
 間違いなくリルリィーアの剣だ。
「ああ、ありがとうございます。わざわざ」
「どういたしまして」
 男はにっこり笑った。
 月光に照らされて、男の顔が良く見えた。
 黒髪で短くまとめられている。やわらかそうな風貌で目じりが下がっている。肩は筋肉質で厚く盛り上がっている。
 いい人だな、とリルリィーアは思った。
 心臓がぎゅっと跳ねた。
 形見の剣を胸に抱いて、リルリィーアは無言で男を見ていた。
 こんな冷たい海中だと言うのに、身体がどんどん熱くなってくる。
 剣をなくして困っていたところに、すぐに海に飛び込んで見つけてくれた。
 リルリィーアは、何かを振り払うかのように首を振った。
 なんかすごくどきどきしている。男の人って感じだ。男性運がないと言われるリルリィーアには、頼りになるなぁと思える男性と出会える機会はほとんどないのだ。
 戦闘技術で大抵の男より優れてしまうし。
 それにしても。リルリィーアは思った。
 どっかで見たような気がする。
 記憶をさかのぼってみる。しかし、魔術師だったら覚えているはずなんだが。数少ないうえに個性はぞろいだから。
 こんないい人を忘れるはずもないし。
 リーファとか言ってたな。
 ガルディアの関係者か?
 ふと思い出す。
 王宮で見かけた記憶がある。うちの貴族じゃない。たしかあの時はリーファの婚約で私が賭けで負けて押し付けられて。
 リルリィーアはひとつの答えにたどり着いた。
「テイルズ……殿下?」
 イーマフェイトの第三王子、テイルズ・イーマフェイトだ。20年ぶりで全然ぴんと来なかったけど。
 リーファの婚約者で、内乱がなかったら婿国王になっていたはずのひとで。ちがう。殿下じゃない、確か今は。
「思い出してくれた?」
「い、いえ。殿下、じゃない陛下のことは噂で聞き及んでおります。10年にわたる内乱を治めた英雄だと」
 そうなのだ。今は陛下、兄たちがみな死んでしまって国王様。少なくても噂では。
 いや報告書ちゃんと届いてたな、捜査局に。
「そうか。残念だな。ようやく会えたと思ったのに」
 陛下は少し悲しそうな顔をした。桟橋に手をかけると腕力だけで身体を持ち上げて、足を引っ掛けて上へあっさり上がってしまった。
 背中も筋肉がついて分厚い。黒く焼けている。昔は真っ白でひょろとしていたのに意外である。
 テイルズの手を借りて引き上げてもらった。
 海上は風があり、濡れた肌が寒いが海中よりはマシになった。
「あ、ありがとうございま、きゃっ」
 リルリィーアは悲鳴を上げた。
 神官服が海水で張り付いて、月光の元、下着の線がはっきり出てしまっている。ひとよりも大きな、ふくよかな二つのふくらみが神官服を下から押し上げていた。
「いや、あの。失礼。すまない」
 テイルズはくるりと反対側を向いた。
「そのままだと風邪を引くから、よかったらうちの宿までおいでよ、すぐそこだからさ。着替えも貸してあげられるし」
 テイルズは後ろを向いたまま、自分の上着を拾い上げてリルリィーアに渡した。
 律儀にリルリィーアのすけすけの姿を見ないようにしている。
 リルリィーアはそんなテイルズ陛下を見てくすりと笑った。

 リルリィーアは肩まで湯船につかり、手で湯を掬い上げて塩気の付いた顔を洗った。
 三階にあるメイド付きの高級な部屋。そこにテイルズは宿を取っていた。国王ということを考えると普通でだが。
「メイドひとりだけってのはね」
 リルリィーアは呟いた。
 国王の訪問だと、公式非公式問わず部下やメイドが付いてくるはずだ。普通の旅行者みたいに自分のことは自分でしろというわけにも行かない。外交行為や内政で本国と連絡を取ったり情報を集めるにも部下は必要だ。
 さすがにお忍びで単独行動といってもお付のメイドは一緒だったが。
「まぁ、仕事じゃないし気にしてもしょうがないか」
 リルリィーアはゆったりと湯につかった。
 三階の寝室脇に、個人用の風呂があった。人間一人がすっぽり入るぐらいの小さな湯船だ。焼けた石を放り込んで加熱する方式だ。部屋の隅で、石が炭で熱せられている。
 ちなみに二階の普通の宿の人は、一階にある共同の風呂を使う。時間を切って男女を分けている。
 扉をノックする音が聞こえた。
「失礼します」
 メイドが入ってきて、頭を下げた。
 黒髪の女性で長い髪を背中に伸ばしている。
 ナージと、最初に会ったときに名乗っていた。
「お手伝いしたしますね」
 メイドは告げた。
「髪とか一人ですすぐのは大変でしょう」
 リルリィーアは好意に甘えることにした。
 手桶からお湯をゆっくり流してもらい、リルリィーアは頭を洗った。
 塩でじゃりじゃりしている。
 手で撫でるようにしてそっと綺麗にする。
「リルリィーア様は、陛下とどのようなご関係でございますか?」
「ん? ちょっと、さっき知り合ったばかりだけど」
 本当のとことはそれどころではないが、とりあえず当たり障りの内容に答えた。
「そうですか」
 ナージの声はちょっと沈んだ。石鹸を手に取ると、ごしごしこすって泡立てる。
「陛下は今回、花嫁探しをしていらっしゃるのです」
「そういえば、結婚したって話聞かないわね。確かに」
 ナージのぬるぬるした手が頭に触れた。
 細い指で頭皮をマッサージされる快感に身をゆだねる。
「内乱のごたごたのせいで、それどころじゃなかったんですのよ」
 王族を含む貴族の男性には、成人にかかわる慣習がひとつある。
 成人の前後に数年、外の世界を見て回ると言う儀式だ。一般に捜査官として二年ぐらい悪と戦うことになる。見識を広める、と言うこととともに、ひとつの重大な仕事がある。
 嫁探しだ。
 多くの貴族は将来の伴侶をこの時期に決める。というかこのとき以外ヒマがないと言うのが事実だ。
 魔術師は血統で能力差がでるというのが一般的見解だ。そのため、優れた血を残すことも貴族の勤めだと言うことになっている。
 血統だけがすべてじゃないと言うことは、英雄譚において魔術師が全員貴族出身じゃないということを見ればわかりそうなものであるが。
「リルリィーア様が陛下の思い人かと思ったのですけどね」
「どうしてですか?」
「見たまんまじゃないですか。頬を染めてちらちら陛下を見て。そして陛下に見つめられたら視線をそらして」
 そんなことをしていたのか私は。リルリィーアは顔を洗うふりをして手で顔を覆い隠した。
「でも、きっとチャンスありますよ。良かったら私も応援しますから」
 ナージは桶を手に取った。
「申し訳ございませんがお手をお借りいたしますね」
 ナージは桶からお湯をリルリィーアの頭に注ぐ。リルリィーアは手を動かして髪をすすいだ。

 風呂上り。リルリィーアはナージから借りた服を着た。


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