ティナはかごを持って路地を走っていた。ウェーブのかかった金髪がテンポよく揺れている。
足音が石畳と石壁に響く。足の裏をべったり地面にくっつけて走っているので靴音がよく鳴る。
かごを揺らさないように気をつけながらも元気よく駆ける。
かごの中には塩が入った壺が二個ある。
リルリィーアお姉ちゃんに命令されてのお使いだ。
「うみゅぅ。わざとじゃないんだよぅ」
手が滑って、塩壺を落としてしまった。床に壺のかけらと塩がばら撒かれた。
箒で壺だったものごと片付けてから、あわてて店に走り、あわてて帰るところだ。
「ティナちゃんはお手伝いしていい娘ね」
そうお店のおばさんに言われたのがなんかくすぐったい。
空の茜色が次第に消えて青紫に変わっていく。
もう日没だ。
急がないとスープが塩抜きになってしまう。
曲がり角から誰かが飛び出してきた。
「あうっ」
あわてていたのでよける暇もなく、頭から突っ込んでしまった。
額を強打してくらっときた。
手からかごが離れ、何かが割れる音がした。
ティナは転んで座り込んだ。
涙目になり、おでこをさすりながらぶつかった人を見上げると、ところどころすすけた白衣を着た若い男が心配そうにティナを見下ろしていた。黒髪を短くまとめて丸い眼鏡をかけている。
「いてて。すまんな、お嬢ちゃん」
男は腹をさすりっていた。包帯のような布をくるくると巻き付けすべてを覆い隠した杖を握りなおすと、しゅたっと手を振って逃げようとした。
ティナの視界の隅に、かごから落ちて割れた二つの塩壺が見えた。
なんか少し前に見たまんまの光景だ。
「うみゅ。待ってよおじさん」
ティナはむんずと男の後ろから白衣のすそをつかんだ。
男は振り向いて言い切った。
「お兄ちゃんだ」
ちょっとすねている。
「お兄さん待って」
「ちっちっち、『お兄ちゃん』だ」
ティナはため息をついた。
「……よくわかんないけど、お兄ちゃん」
「うむ、ちょっとお兄ちゃんは急いでいるんだ。またね」
「うう、大人って嘘つきだよぅ。急いでいるならそんな細かいこと気にしないよう」
「大人にはどうしても引けないときがあるんだ」
自称お兄ちゃんは胸を張って言い切った。
「お嬢ちゃんも大人になったらわかるさ。顔のしわが増えてきたころに。『私はまだお姉ちゃんよ!』といいたくなる気分が」
なんかこうリルリィーアお姉ちゃんが頭に浮かんできた。
「おばちゃん」と呼ぶと突っ込まれる。手が飛んできてかなり痛い。
「……よくわかんないけど、なんとなくわかったよ」
あと十年もすればそうなるんだろうか。あまり深く考えたいものではない。
「いたぞっ」
叫び声が聞こえた。
石畳に反響する足音が近づいてきた。
「ちっ。めんどいなぁ」
白衣の男は舌打ちした。
「嬢ちゃん、危ないからとっとと逃げな」
そういわれたけど、ティナは白衣のすそをぎゅっと握ってそこにいた。
ちょっとお兄ちゃんが心配だったし、あと、塩壷も弁償してもらわないといけないから。
「そうか」
お兄ちゃんはティナの頭をなでた。
「お兄ちゃんに一目ぼれか」
「ちがうよぅ」
ティナはあきれた。
ふたりがじゃれているうちに、黒ずくめの男二人が、ティナたちに駆け寄ってきた。
「見つけたぞ、ケイン!」
男の一人が叫んだ。
「貴様が盗っていった宝玉を返せ!」
もう一人の男は黙って腰の剣を抜いた。
断ったら問答無用らしい。
ティナは怒った。
「いけませんそんなことは!」
白衣のとこと黒ずくめたちの間に立って、両手を広げた。
「暴力で解決するのはよくないって、神様もおねえちゃんも先生も言ってます!」
いきなり十歳の女の子にそんなことを言われて男たちはぽかーんとした。
「あ、あのな嬢ちゃん。気持ちはうれしいんだがちょっと下がっていて」
「あなたもですおにいちゃん!」
ティナは振り向いて、びしっとおにいちゃんに指を突きつけた。
「盗みなんていけません。悪いことをしてもちゃんと神様は見ていらっしゃいますからね」
「なぁ、嬢ちゃん、なんでそんなに偉そうなんだ?」
「こう見えても神官なんだよ」
ティナはまったいらな胸を張った。
白衣の男はティナの頭をぽんぽんと叩いた。
「ひとつだけいいことを教えてやろう」
「ほえ?」
「証拠もないのに人を犯罪者扱いしちゃいかん、とか先生とかそのおねえちゃんとかに習わなかったのか?」
ティナは首を傾けてしばらく考えた。
そういえばそんなことをいっていたような気もする。
いつも、「あいつが犯人だ」とか不穏当なことを連呼していて、挙句の果てにもうちょっとで冤罪だったりするときもあるのですっかり忘れていた。えへ。
「で、お兄ちゃんは盗んだの?」
「あっさりスルーしたながきんちょの癖に……盗んでねぇよ。ちょっと盗られたものを盗りかえしただけだ」
お兄ちゃんは白衣のポケットをごそごそいじっている。
「うー、それってあんまり良くないよ」
「お前ら、俺たちを無視するな!」
黒服がわめいた。
律儀に待っていてくれたのは、根はいいってことかもしれない。
「つーわけで返せない。暴力はいかんぞ、とっとと帰れ」
白衣から二つのものを取り出した。蝋燭と、刻印の刻まれた棒だ。発火棒とよばれる刻印された魔術道具だ。素人でも発火の魔法が使える。
「ちょっと持ってな」
男はティナに杖を渡した。布が巻いて合ってざらざらする。
「そういうわけにいくか!」
男たちは襲い掛かってきた。
「嬢ちゃん、ちょっと目をつぶってな」
ケインはそういうと蝋燭に火をつけた。
ちっちゃな明かりがともる。昼なのであんまり目立たない。
それをぽいっと男たちに投げると、いきなりティナを抱きしめた。
見かけより筋肉質な体だった。さすが男の人、がっちりしている。
「あわっ」
びっくりして杖を落としそうになる。
光の洪水が、ティナの背中から前に通り過ぎた。
「うがっ」「ぐわっ」
背後で男たちがうめいた。
真っ暗闇で近くに落雷すると、一瞬だけ真昼間みたいになる。そんな強さの光だ。
昼でもまぶしいなんてどんな強さの光なんだ。
「逃げるぞ!」
ケインはティナを抱きかかえると、有無を言わさずに走った。
「うわっ、かごわすれているよ」
「あとにしろ、あと」
ティナは渡された杖を抱きしめた。
未練がましく振り向いてかごを見ようとした。男たちが二人とも目を押さえて転がっていた。
さっきの光で目を眩まされたのか。
「大丈夫かな、あの人たち」
「ちょっと太陽を直接みたようなもんだ。そのうちもとにもどるさ」
ケインはティナを見て尋ねた。
「で、とりあえずうちはどっちだ?」
しばらく抱きかかえられてから、ティナはつぶやいた。
「……買い物どうしよう」
「あと、あと」
抱きかかえられているのでケインの顔がすぐ近くに見える。
ケインはただまっすぐ前を見ていた。
「うう、誰のせいだと思っているんだよ」
「黒服」
ケインは言い切った。
「うに、そうなんだけどそうじゃないんだよ」
ティナは男の腕の中でじたじた暴れた。
「いかんな。論理的思考力を鍛えるのは数学がいいぞ」
「あー。お姉ちゃんに怒られるよぅ」
ケインはティナを抱きかかえた状態から、ひざを突いてそっと腕から降ろした。
「お姉ちゃんか……お姉ちゃんは、怖いよな」
ケインはうんうんと頷いた。
白衣の裾が風でぱたぱた揺れる。
ケインのおかけで寒くはなかった。
なんかこう、あったかい。
「つーわけで嬢ちゃん。うち、どっちだ?」
中央広場まで出た。
中央に時計塔がある六角形の広場だ。六つの主要道路がここから周辺部に向けて放射状に延びている。
いつも市が立っているが、もう日が暮れるでみんなすでに撤収している。
通路代わりにてこてこ歩いている人だけだ。
神殿とか領主の館とか、劇場、学院の正門(と背後に広がる森)、商人ギルドと海運組合がそれぞれ六角形の各辺に面している。
それぞれの建物から明かりが漏れている。とくに領主の館はまだ明るい。
いまは王女のエルミリアがいるはずだ。
「よっせ」
かけ声とともにティナは地面に下ろされた。
風が吹いてきた。
このごろ暑くなってきたが、まだ日が暮れると肌寒い。
ティナは震えて腕を組んだ。
ケインはティナをおろして、しばらくぼーっと眺めていた。
視線の先には、西大陸を総括するミトフェム神殿がある。ティナがいつも暮らしているところだ。
あまり芸術的な装飾がされてないシンプルな作りではあるが、ティナはその単純さが好きだ。
裏には孤児院がある。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「ん? あ、すまん。ミトフェムに帰ってくるのが久々でな」
ケインは頭をぽりぽりかいた。
「で、うちどっちだ、嬢ちゃん?」
「あそこだよ」
ティナは白い建物を指差した。
「む……関係者だったか」
「ほえ?」
関係者とはどういうこと? とティナが尋ねようとケインを見上げると。
「俺もここの出身なんだよ」
ケインは答えた。
「というわけで胸を張ってお兄ちゃんと呼ぶがいいわが妹よ」
「……なんか呼びたくなくなてくるなぁ」
「わがままはいかんぞ」
「なんだかなぁ」
ティナはあきれた。
ティナたちは神殿に入って裏側に抜けた。
渡り廊下の向こうは孤児院だ。
赤毛の女性が廊下を歩いているのが見えた。
青い法衣の上に真っ白なエプロンを着けている。
「あ、おねぇちゃ」
ただいまー、と挨拶しようと思ったら口をいきなりふさがれた。
「もごもご」
ケインは唇の前に指を一本立てて、いたずらっ子のように笑った。
手まねでそこにいろといわれた。
ケインは足音を消してリルリィーアお姉ちゃんに近づくと、後ろから手を回した。
胸の上に。
「ただいまー、リル姉」
手に余るぐらい大きなそれをむにむにと揉みながら一言。
「……なにをするいきなり」
リルリィーアの声が冷たい。
「いや、軽い挨拶」
「ほぅ」
リルリィーアは腕をつかむと関節を決めて、そのままぽいっと投げた。
ケインが一回転し、背中から叩きつけられた。
床がきしんだ。
「やめなさいっていつも言っているで……あれ? ケイン?」
「や、やぁリル姉」
リルリィーアは白衣の襟をつかんでそのまま首を絞めた。
「……十年ぶりに帰ってきていきなりこれですか」
ケインがぱんぱんとリルリィーアの腕を叩くがあっさり無視。
きゅーっと閉めていると腕がぱたんと落ちて動かなくなった。
「お、お姉ちゃんそれ落ちてるよぅ」
リルリィーアが手を離した。
ケインは咳き込みながら上体を起こした。
「あれ?」
「どうせ寝たふりだ。気にするな」
リルリィーアが言った。
「げほ、そのうち間違って殺しちゃうぞ」
「その程度で死ぬようなやわな体に育てた覚えはない」
リルリィーアはケインの頭に手を置いてぐりぐり撫でた。
「まぁ、元気なようで何よりだ。お帰り」
「ただいま、リル姉」
二人は互いを見やって笑っていた。
ティナは二人を見てニコニコしていた。お姉ちゃんもケインお兄ちゃんも知り合いだったんだね。
しばらくしてリルリィーアがティナを見た。
「ところでティナ。頼んでおいたお使いはどうした?」
ティナはあうーと鳴いた。