東の国から来た少年


 空が赤く染まっている。
 石畳の上を歩く人たちは、みな早足だ。日が沈む前に帰ろうと急いでいる。
 リルリィーアは、大きな買い物籠を持って歩いていた。
 大きな胸が下からエプロンを押し上げている。その下は青い神官服で、長いスカートだ。髪は夕焼けを受けでますます赤い。長い前髪で目元まで隠れている。  彼女の足取りは軽い。思いのほかキャベツが安かった。そのおかげで多めにブドウを買うことができたのだ。子供たちのおやつにできる。
「むー。忙しいってのに」
 背後から視線を感じる。誰か後をつけてきている。素人みたいに振り向いたりはしない。気が付いたことをわざわざ知らせたやる必要はない。
 なぜ、尾行されているのだろうか?
 リルリィーアが神殿で子供たちと暮らしているかとか、捜査局で支部長やっているとかは、このへんの人に聞けばすぐにわかる。いい噂のネタなのである。
 つまり、リルリィーアの素性を調べるためにつけているのではなく。
「めんどいなぁ」
 ぼやいて、リルリィーアは脇道に入った。
 あとをつけている人たちは、リルリィーアを直接狙って何かをしようというのだ。邪魔なので殺すのかさらって情報を得たいのか。
 家と家の間の狭い道だ。石でできた迷宮の間をすいすいと歩く。
 神殿までの最短距離だが、人通りがなく、女子供にとってはちと危険だ。今ぐらいなら普通は問題はないが、夜だと通らない。
 石畳を打つ足音が響く。
 背後からも、複数の足音が聞こえてくる。
 建物の間を抜けると、公園の裏に出た。
 人工的に木を植えてある。赤や黄色に染まった木々が等間隔に並んでいる。火事の場合は防火帯になる。
 公園には人はいなかった。
 腰ほどまである低木を飛び越えると、木の間を通って奥に進む。
 背後から、がさごそ、音がした。
 一人の男がリルリィーアの前に回りこんだ。腰に剣をさしている。
 あたりを見ると、右と左に一人ずつ、背後に一人立っている。
 囲まれた。
 男たちはいっせいに抜刀した。
 リルリィーアは頭をかいた。
 構えからいってあまり強そうに見えない。
「リルリィーアだな」
 正面にいる男は、そう聞いた。若い男で、頬に傷があった。
「だとしたら?」
 リルリィーアはかごを雑草が生えている地面に置いた。
 玉子が入っているので、こんなのを持って格闘なんかしたくない。
「死んでもらう」
 男は剣を振りかぶった。ほかの男たちも剣を構えてじりじりと迫ってくるのが聴覚や気配でわかる。
 リルリィーアは裾に手を触れた。
「まてっ!」
 遠くから怒鳴り声が聞こえた。
「いたいけな女性に四人がかりで襲い掛かるとは」
 一人の黒髪の男が走ってきた。男の子、といったほうがいいかもしれない。丸っこい顔つきで背はあまり高くない。ほっそりとした身体で、腰に剣を下げている。リルリィーアたちの剣とは違って反っている。
 左腕が妙に白い。包帯だ。腕のひじから先がぐるぐる巻きになっている。
「僕が相手をしてやる!」
 少年は高らかに宣言した。恐れを知らない純な笑顔だ。
「や、やめなさいっ」
 リルリィーアはあわてた。
 自分ひとりだったらこの四人全員ぶちのめすぐらいの自信はある。しかしほっそりとした少年にとっては一対一でも危険に見える。
「ふん。ガキはすっこんでろってんだ」
 男の一人が少年に向かった。無造作に剣を振り下ろす。
 少年は腰に手を伸ばした。剣にではない。ベルト代わりにしている腰帯に触れる。そこに挟んだ金属棒を抜くと、剣をがっちりと受け止めた。
 かぎ付きの金属棒で、剣が棒とかぎのあいだに挟まっている。
 十手、と呼ばれる捕縛用具だ。東方でつかわれているという話は聞いているが、実物を見るのはリルリィーアは初めてだ。
 少年が手首をひねると、男の手から剣がとんだ。
 次の瞬間、男の身体が宙に舞った。少年は男の手を掴むとそのまま片手で背負って投げた。身体が地面に叩きつけられる。土の上ではあるがひどく痛い。男は呼吸もできずに雑草の上で悶絶した。
 リルリィーアは目をぱちくりさせた。
 動きが洗練されている。年若いがかなりの修行を積んでいる。
「おじさんたちじゃ、僕に勝てないですよ」
 少年は胸を張った。
「僕のほうに正義はありますから」
 言い切りやがった。
 正義で勝てれば苦労はないよ、とか思いながらもリルリィーアは黙ってみていた。
 出番いらないね、これじゃ。
「ふ、ふ、ふざけるなーっ」
 別の男が突っ込んできた。
 男はぶんと剣を横に振った。
 少年はしゃがんで剣をよけた。起き上がりに十手の先端で男のみぞおちを突いた。
「ぐわっ」
 身体ががくんと前かがみになった。そこで顔面を打った。
 鉄の棒で殴られてはたまらない。斬られるよりはましだが。男は倒れた。
 立っている二人の腰が明らかに引けていた。
 少年はつかつかと歩いてきた。
 男は打ち込む機会がつかめなくて立ちすくんでいた。
 つばを飲んだ。
 十手の間合いに入る直前、えいやっと上段から切りつけた。
 少年はあっという間に踏み込むと、剣を持った腕をぱしっとつかんだ。
 そのままぽいっと投げた。地面に叩きつけられた衝撃で男は剣を落とした。
 残るは一人。
「で、どうするの?」
 リルリィーアが少年の代わりに聞いた。
 男は剣を捨てて逃げ出した。
 実に潔い節操なしである。
 まー、いいか。三人捕まえたし。 「まてっ」
 少年が叫んだが待つ奴はいない。
 男は振り向くと、光るものを投げた。
 ナイフだ。
 リルリィーアはそれをつかもうと手を動かした。
 「あぶないっ」
 少年がリルリィーアに飛んできた。
 十手を伸ばす。
 ナイフが十手があたり、はじかれた。
 そういえばこの程度よけられる、って知らんよな、少年は。
 リルリィーアが冷静に考えていると。
「うわあああっ」
 そのまま少年が勢い余って突っ込んできた。ジャンプしたんじゃ止まらんよな。
 リルリィーアは後退してよけようとした。
 足元に何かが当たった。
 夕食の材料の入ったかごだ。
 足を取られて、リルリィーアまで倒れ掛かる。
 そこに少年がぶち当たった。
 リルリィーアは少年の下敷きになって潰れた。

 受身をとっさに取ったので頭は無事。
 衝撃に目を閉じた。
 身体が重い。
 具体的にいうと左胸が妙に重い。
 そーっとあけると、腕が見えた。
 ぷにっ。
 少年の右手が、リルリィーアの胸をつかんでいた。
 少年は左肩を地面につけ、右手で身体を支えていた。
「なにをしている?」  リルリィーアはとりあえず冷静に聞いた。
「え?」
 少年はぷに、ぷにと何かを確かめるように手の中のものをもみしだいた。
 状況を把握したのか、顔が赤くなった。
 リルリィーアはとりあえず下から少年を蹴り上げた。
「はうっ」
 少年は転がったあと、右手を付いて起き上がった。
 左腕は力なく垂れ下がったままだ。
「なんかいうことは?」
 リルリィーアも起き上がった。長い前髪越しに、ジト目で少年を見やる。
「えーと」
 少年はしばらく考え込んでいた。
「いや、あのなんだ。ひととしてなんか言うべきことはないのか?」
 少年はポン、と手を叩いた。
「あ、あの。大きくてすごかったです」
 リルリィーアの中で何かが切れた。
 スカートをまくって中から剣を取り出した。刻印が青く光ってやる気まんまん。
「えっ、あの、それなんですかいったい!」
「痴漢は死ね」
 冷たい一言とともに剣を振った。
 リルリィーアの一撃で、少年は放物線を描いて飛んでいった。
 威力だけなら手加減なしである。
 地面に大穴が開いた。
 土ぼこりがやんだあと、ため息をついて剣をスカートの中に戻した。入りきらないはずなのに、何事もなかったようにあっさり入った。
 かごの中を見ると玉子が割れて大惨事だった。
「あーっ。だからいやなのよ襲撃って」  リルリィーアは笛を取り出して吹いた。巡回中の捜査官を呼んで襲撃者を運ばせるために。


 神殿に戻るころには、日も落ちて真っ暗になっていた。
 神殿の勝手口から調理室に入る。神殿には付属孤児院があり、リルリィーアはそこで子供たちの世話をしている。捜査局支部長をやるかたわら。
「ただいま」
 調理室では当番の子供たちが料理を始めていた。おくのかまどで鍋がぐつぐつ言っている。
 リルリィーアはかごから玉子まみれのキャベツとブドウを取り出した。
 それを見ると、全員、うわっ、と嫌そうだ。
 とりあえず水洗いした。
 次に、ぬるぬるするかごを石鹸で洗っていると、「お客様よー」と呼ばれた。
「だれ?」
「旅の人です。神殿長に、って。講堂にいるわ」
 孤児院の子供が取り次いでくれた。
 リルリィーアは廊下をカンテラをもって歩いた。
 神殿長は、今日は合宿で留守なのでリルリィーアがかわりに話を聞くのだ。
 講堂は暗い。壁の大きなガラス窓から降り注ぐ月光のみが明かりだ。
 祭壇の前で、跪いて祈っている人がいる。
 リルリィーアが近づくと、ランタンの明かりに気が付いたのか、顔を上げた。
 幼い顔つきをした男の子だ。よくみるとさっき胸をまさぐった不届きものの少年だ。
 少年はリルリィーアを見ると咳き込んだ。

「な、な、なんでっ」
 少年はあわてた。
「それはこっちの台詞よ。なにをしにきたのかしら?」
 リルリィーアが問うと、少年はあわてて跪いた。
「い、いえ。失礼しました。……先ほども。わたくし、聖女様にお願いがありまして」
 少年は顔を上げて微笑んだ。
「それにしても、聖女様がこのようにお美しいかただなんて」
「いや、ちょっと、まった。私、“聖女”じゃないわよ」
「え?」  少年のかたばった肩がかくんとおちた。
「神殿長、今日はいないのよ……だから、私が代理で話を聞こうと」
 少年の左肩の包帯が目に留まった。
「……思ったんだけど、私じゃ“奇跡”起こせないからね。戻ってくるまで待ちます?」
 おそらく少年の話というのは包帯の下、おそらく負傷にかかわることだろう。
 “聖女”は神から与えられた力として、光の翼と高い治癒能力、そして“奇跡”を起こすことができる。
 通常の医学や魔法で癒せない怪我や病気でもなんとかなる。
 しかし、いないものはさすがにどうしようもない。
「緊急なら呼び戻すけど」
「いえ、今しばらくは大丈夫です」
「そっか。あ、名前聞いてなかったわね。わたしはリルリィーア。あなたは」
「ヒカルと申します」
「どこから来たの」
「東の果てから」


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