虹が煌くとき ケインベイト攻防戦


 霧雨を切り裂くように、二つの影を載せた馬が駆けていた。背後の人影が、前の小柄な陰を雨から守るように自らのマントで包んでいた。
 後方から手綱を取っているのは、黒髪を雨でべったり貼り付けた若い男だ。アルフィという。マントの裾から鞘が覗いている。
 男の胸の中にすっぽり納まっているのはかわいらしい少女だった。雨避けにフードをかぶっているが、その陰から金髪がはみ出している。マントの端を巻き込んで、手が露出しないようにして、胸の前で交差させて震えながら雨をしのいでいる。
 そろそろ冬が始まろうという11月の雨は旅行者にはきつい。
「もうちょっとだから我慢しろよ、姫様」
 あんまり敬っていない言い方で胸の中の女の子に告げた。
「大丈夫だよ」
 遠くから雷鳴が響く。
 馬はケインベイトの城門目指して走っている。
 ただでさえ暗い空が完全に闇に落ちる直前、城門にたどり着いた。
「おーい。開けてくれ」
 アルフィは声を張り上げた。
 通常なら開きっぱなしの城門が閉まっていた。内乱の真っ最中、いつ敵襲があるかわからない日々では当然のことではあるが。
 城壁の上から、鉄兜をかぶった男が顔を出した。
「誰だ?」  アルフィの胸の中で、姫様は叫んだ。
「国王ムルーアイムが娘、メルターシャです。叔父上にお願いがありまして参りました。どうか門を開けてください」
 ムルーアイムというのは内乱中のエルフレア王国の国王である。いや弟に殺されたのでもと国王か。
 メル姫ことメルターシャというのが少女の本名だが。
「そんな長い名前だったのか」
「うう。知らなかったのぅ」
「すまんな。最近までずっと山で修行してたんだよ」
 二人が会話しているあいだに、兵士はあわてて引っ込んでしまった。
 無理もない。
 行方不明だった姫様がひょっこり現れたのである。城門を空けずに姫様を雨の中ほったらかしにしたとしても誰が責められようか。
 あとで上官がこっぴどく怒られたのであるが。

 アルフィがメル姫を連れて領主の館までついたときには、当然のことながら雨でべちゃべちゃになっていた。しばらく前からこんなもんだか。
 二人が立派な石の床の上をぽたぽた雨だれをたらしながら歩いていると、奥から高そうな服を着た男たちとメイドたちが走ってきた。
「姫様」「姫」「メル様」
 と男たちが寄ってきたが、メイドたちはメルの手をつかみ抱え上げ、掻っ攫うようにして連れて行ってしまった。
「そんなみすぼらしい恰好に」「おいたわしや」「早くお風呂に入らないと風邪を引いてしまいますわ」
 そんなささやき声が聞こえたような気がする。
 俺も入りたい。風呂に。
 アルフィはくしゃみをした。気が抜けたら一気に寒気がした。
 男たちは姫様がいなくなったためか、あっさり帰っていった。
 ひとり、残った男がアルフィの前に立った。
 背の高い男だ。腰には剣がある。アルフィを値踏みするようにじろじろ見やった。
「姫様を連れてきたのは貴様か?」
「見たらわかるだろう。それよりも休ませてくれないかな?」
 袖を絞ったらいっぱい水が垂れた。
「ここで絞るな。わかった。宿を用意させよう」
 しばらく待っておれ。そういい残して男は去っていった。
「あ。あの。これ」
 女性の声に振り向くと、メイドさんがいた。大きなタオルをアルフィに差し出していた。
「いやー。すみません。だれーもこっちに気を回してくれなくて」  アルフィは濡れた頭をごしごしこすった。

「で、だ」
 あのあと、メイドに連れられて馬を引っ張りながら到着したのは一軒の宿屋だった。
 そこの最上階、部屋付きメイドがいる最高級の部屋に通されたアルフィであったが。
「こんな高い部屋じゃなくても良かったんだけどな」
 ずぶぬれのシャツを脱いだ。クローゼットがあったが水玉ぼたぼたのままかけるのも忍びなく、窓から手を出してしぼったあと、壁の出っ張りにハンガーを引っ掛けた。
「まぁ、めっちゃ混んでたからなぁ。ほかに部屋がなかったのかもな」
 ここケインベイトの街では、どこの宿屋も盛況だった。活気があるというわけではないが人だけはどこも多かった。
 エルフレア王国で唯一、王弟の支配下ではない安全な街である。国中から逃げてきた人が集まっているのだろう。
「無事、メルを送り届けたし。あとは報酬もらって。次どこ行こう」
 べっとりと太股に張り付いたズボンを引っぺがし、もう一度絞ろうと窓に近づいた。
 外は真っ暗。
 窓を開けて下を覗き込んだら、壁をするする登ってくる赤毛の人物がいた。
 ロープもなしで。
「やぁ。奇遇だな」
 メイド服を着た女性はそう告げた。
「……どこにつっこんだらいいんだ!」
 わけわかんなくてアルフィは悲鳴を上げた。
「とりあえず入れてくれ。寒い」
 返事も聞かずに赤毛の女性はひょいっと部屋の中に飛び込んできた。
 振り向いて窓を閉める。
「これでよし」
「これでよし、じゃねぇ。何をしにきたんだ」
 これもまたずぶぬれになったメイド服だった。身体にぴったり張り付いてはいるが、もともと動きの邪魔にならないように、体型に合わせて作ってあるので大して変わりはない。布地が厚いので透けないし。
 顔に張り付いた前髪を手で直している。手で髪をすくと水が垂れる。気になるのかなんどか弄っているが、もともと長いのでどんなに直しても顔が隠れてしまう。
 彼女はエレナという。どっからみてもメイドだが自称医者らしい。すくなくても医術の腕は確かだ。
 先日、兵士に絡まれているところを助けたのが縁で知り合った。
「話せば長くなるんだが」
「また財布を落としたとかいわないよな」
「……よくわかったな」
「だーっ。同じネタ繰り返すんじゃないよ」
「すまん。嘘だ。本当は宿の空き部屋がまったくないので泊めてほしいんだ。頼む」
 アルフィは奥のドアを見やった。向こうが寝室だ。ベッドが二つあるが、そのあいだに仕切りはない。
 ……俺はソファーでいいか。
「まぁ、しょうがないか」
「すまない。恩に着る」
「へぷしっ」
 アルフィは変なくしゃみをした。濡れたままパンツ一枚なのですごく寒い。
「アルフィ」
「なんだ?」
 もう一度窓を開けて、ズボンを絞って水を切る。
「寒くないのか?」
「寒いんだよっ! これからあったかいお風呂に入るのっ」
 こんこん、とノックがなった。 「どうした?」
「マリアです」
 ここの宿屋の娘でこの部屋のメイドだ。いつもは下の食堂で料理を運んでいるそうだが。
「どうぞ」
「失礼いたします」
 扉が開いた。
 木の取っ手の付いた金属籠を持ったメイドが入ってきた。
「……すみませんお楽しみのところを」
 アルフィは自分の姿を見た。パンツ一枚。
「楽しんでない。寒い。着ているほうが寒いんだよ」
「えー。あの、その。お風呂開きました。お早めにお願いします」
「うー。ありがたい」

「あひー。生き返るねぇ」
 アルフィは湯船に身体を沈めて身体を思いっきり伸ばした。かじかじになった四肢がやわらかくなっていく。
 ここは騎士盾亭のウリのひとつである温泉だ。町外れの源泉から引っ張ってきているそうな。
 通常は客や村人が(お金さえ払えば)自由に入ることが出来るが、いまは三階のロイヤルスイートのための貸切である。時間で切られているが。
 アルフィの目の前には桶がひとつ、浮いている。その上に鞘に入った剣が一振り、天秤のように置いてあった。
 鞘の端にはタオルが掛けられている。
「こんなときにかぎって雨が降るんだから困ったもんだねぇ」
 湯船のお湯で顔を洗う。
 びちゃびちゃする水音に混じって、濡れた石の上をぺたぺた歩く足音が聞こえた。
 貸切じゃなかったっけ。
 顔を上げると、タオルで身体を包んだ女性がいた。布が小さいのか胸が大きいのか、二つのふくらみが布越しにも良く見えた。
「エレナさんっ!!!」
 目元まで隠す赤い前髪のせいで表情は例のごとく良く見えないが、エレナは驚くアルフィを尻目に平然と告げた。 「一緒に入っていいか?」
「い、いや。ちょっと待ってください。それはどうかと」
「アルフィがいやならいたしかたないが。見ていてそう楽しいものでもないからな」
 タオルの下から肉付きのいい太股が覗く。胸とかからスタイルを想像するとこんなもんか。動きを阻害しないようにメイド服の上半身は身体にぴったり合うように作ってあるが、スカートの下はメイドの聖域といえよう。
 ……いや、べつに変な気持ちで見てないですよ。はい。
 タオルの端から、腰の脇の部分がはみ出している。アルフィは湯船の水面近くに頭がある。掘り下げてある湯船からはエレナを見上げる形になって、太股のさらにその上が。
「エレナさん。いいからとっとと入ってください」
 アルフィは視線をはずして赤くなって叫んだ。
「ん。じゃぁありがたく」
 水音がして、波がアルフィの身体を揺らす。
「ちょっと熱いかな」
「このくらいでちょうどいいですね」
「そうか。身体洗ってやろうか」
「……結構です」
「いまさら恥ずかしがらなくても。メルには手伝ってやったんだろう」
「ぬわっ。な、なんでそれを」
「だってあの娘、一人で風呂入れないから」
 エレナは口元を緩めた。
「もしかしたら、って思ってね」
 アルフィは咳き込んだ。
 おもいっきり引っ掛けられたらしい。
「ふーん。貴族様方にばれたら大問題ですな」
「ふん。子供に興味ねぇよ」
「私は駄目だからな。泊めた代わりに身体で払えとか」
 いらんわ。と即答しようとして、さっき見たエレナのバスタオル越しの胸周りや腰周りを思い出してしまった。
「……そこで悩まれると非常にアレでナニなんだか」
 ナニかなんだかさっぱりなことをいった。
「いえ。あの。その、せっかく貸しを作ったので有意義につかいたいと検討する所存であります」
「初めてだからやさしくしてほしい、と」
「何でそうなるんですか」
「そのくらい突っ込んでもらえないと気が乗らんのだ」
 木桶かなにかをテンポ良く叩く音がする。
 音のするほうを見ると、エレナが、剣を乗せた桶を指先で叩いていた。
 エレナは肩までつかっている。いつものフリルのカチューシャはない。
「こんなところまで持ち込むんだな」
 剣のことだろう。
 
「伝言を受けてな。今日、これから晩餐会を開くそうだ。アルフィ。あなたも参加するようにとのこと」
「疲れたから寝たいよ……」
「王女が是非に、とのことだが」
「……王族ってのは大変なんだな」
「そんなもんよ。魔術師だって医者だっていそがしいときは」
 エレナはすーっと近寄ると、アルフィの手を取った。
「つーわけで急ぐぞ。もう時間ないからな」
 手を引っ張り立ち上がる。
「ぬわっ」
 水面が揺れる。
 桶の上から落ちかけた剣をつかみ、エレナに引きずられる。白くて細い腕をしているくせに力がある。
「背中洗ってやろう。そのほうが早いだろう」
「いや、いいっ」
 アルフィはあわてた。
「遠慮するな、王女にだってしてやったんだろう」

 暖炉で薪が爆ぜる。
「ぐへ」
 アルフィは三階の部屋でソファーに転がり、黄色がかった炎を見ていた。その前に、アルフィの濡れた靴がそろえておいてある。
頭の上には乾いたタオルが乗っている。長時間入ったわけではないのにのぼせていた。
「エレナさん、どこまで本気なんだか」
 なんとか前を洗うのはやめてもらった。もう少しでお婿にいけなくなるところだった。
 そのエレナは、どこから持ってきたのか一枚の紺色の布を持っていた。彼女のメイド服と同じ色合いだ。乾いたメイド服に着替え、右手にはナイフを持っている。
 珍しく前髪が上がっている。いつもは隠されたエレナの瞳は、左側は青いのに右目は真紅だった。
 エレナの“魔眼”だ。物体の弱点を見通す眼だ。
 流れるように三度、上下に動かすと、布ががばらばらになった。
 それを空中で抱え込み、テーブルの上にそっと並べた。
「すぐに合わせるから待ってろ」
 彼女はそう告げるとスカートをそっとまくった。白い靴下がももを覆っている。スカートの中から箱を取り出すた。
 ふたを開ける。
 そこから、一本の輝く針を取り出した。糸を一発で通し、生地を二つ手に取る。
 別の針で生地を固定。
 縫い針を生地に当てると、手を細かく動かす。一呼吸するあいだに二十針は縫っている。
「よし」
 あっというまに生地同士がくっついてしまった。
 固定用の針を抜く。
「どうやったらそんなに早くなるんだよ……」
 アルフィが驚嘆を通り越してあきれていると、エレナは平然と次の布を手に取りながら答えた。
「医者は使うんだよ。血管とか皮膚とかを縫合するときに」
「あんた治癒魔法使ってるだろうが!」
「気にすると疲れるぞ」
 そういいながらも手が動く。
「うん。これでよし」
 魔法のような速さで上着が仕上がってしまった。
「とりあえず着てみてくれ。ぴったりのはずだが初めて作ったからな」
「初めて? それでこんな手際がいいわけあるか」
「男物ははじめてなんでな。一から作ったのは。昔、自分のや妹たちのを作ったことはあるがな」
「なるほど」
 アルフィは上着を受け取るとそれを羽織った。  腕を回してみる。 「……全然邪魔にならない」
「どうだ」
 エレナはどことなく偉そうだった。
「寸法とかまったく測ってないのに」
「見ればわかるさ。骨格から筋肉の付き具合。それに戦闘のときの運動能力。これでも医者だからな」
 医者と何の関係があるんだという気がするが突っ込んで気分を害しても無駄なのでやめておこう。
「すみません。わざわざ」
「気にするな。晩餐会に行くのに行くのに服がないというのも悲惨だろう」
「布代とか手間賃ぐらいは」
「いらんいらん。だいたい、聞いても払えんぞ」
「え?」
 そんなに高いの?
「メイド服用の防刃、対魔法の魔力を込めた糸で織った布だ。メイド服よりは布の量は少ないけど、それでも金貨二百枚は行くぞ」
「二百……」
 アルフィはあわてて脱いだ。
「そうだな。ここに泊めてもらったことでチャラ、ってことで」
「でも」
「いいから。だいたい、斬ってしまったらもう戻せんぞ」
 ちなみに、メイド服用の祝福された布は専用のはさみでないと切れない。増幅具の一撃でも切断するのは至難の業だ。
 もっとも、そんな威力を食らったら身体のほうが持たないが。
「ズボンも今作ってやるから」
 エレナは布を手に取り、下に垂らすと再びナイフで生地を切り取っていく。

 天井にはシャンデリアが輝いている。五十人ぐらいでダンスが出来るぐらいの広い部屋で、着飾った男女が数人のグループを作り和やかに話し込んでいた。
 丸テーブルがいくつも置かれてあり、テーブルクロスの上には鳥や豚の肉、そして色とりどりの野菜が並んでいた。メイドがテーブルごとに立っており、飲み物を配ったりパンを切ったりしていた。
「ぜーたくだなぁ」
 鳴く腹を押さえながらアルフィはぼやいた。エレナにあつらえてもらった紺色の上着の下から白いシャツが覗く。これはエプロン用の純白の生地で作ったものだ。
 腰にはいつもの剣。鞘から鍔を巻き込むように二本の帯が十字を描いて交差し、抜くことが出来ないように押さえつけている。
 戦乱で交易が止まり、難民が別の街に逃げ込んだせいでどこも食べ物が足りないというのに、ここには望む限りのものが揃っていた。
 エルフレア王国最後の砦であるケインベイト。戦で食糧庫が焼かれたわけでもなく、まだ余力があるのか。
 そういえば人は多かったが暴動は起こる気配はなかった。夜だったからかもしれないがとりあえず食べ物は足りている。
 アルフィは入り口で突っ立っていた。
 山で修行の日々を送っていた彼にとって。
「……どうすりゃいいんだ」
 こーいう格調高いところでの礼儀作法なんかさっぱり教わってこなかった。こまった。
「何をやっているんだ。ぼーっとして」
 背後から声がした。 「いや、なんかね」
 振り向いてエレナの姿を見て、アルフィは息を呑んだ。
 胸元を強調するノースリーブの淡い青のドレス。手にはひじまで覆う白い手袋。腰から緩やかに流れるスカートは床ぎりぎりまで伸びている。半分露出した胸の谷間に琥珀のブローチが添えてあった。
「手を」
 アルフィはこくんとうなずくのがやっとだった。
「え、エレナさん。そんなドレスどっから」
「なんだ。私がメイド服着てないと変だといいたいのか?」
「いや、むしろいつも着ているのが変なんですが」
「仕事着だからしょうがない」
 エレナはアルフィの手を取ると自分の腕に絡めた。
「えっ。なに」
「ほら、ちゃんとエスコートする」
「え、え、えすこーと?」
「こんなところでは、男性は女性を大切にするもんだ。まぁ、そんな文化だと思っておけ」
 エレナの胸が腕に当たる。本人はべつに押し付けているつもりはないのだろうが、エレナの胸が大きくていやでも当たってしまう。
 別にいやじゃないけど。
 エレナから石鹸の香りがする。アルフィ自身と同じ香りだと思うとなんかますます赤くなってしまう。
 そう、ドレスという薄布越しにさっきの風呂でのエレナを思い出して。
 アルフィは頭を振った。
「大丈夫か。顔赤いぞ。……見たところおかしいところはないが」
「はい、大丈夫。って、どうやって食べるんですか? ここ。晩餐会って聞いたけど」
「ああ、テーブルから適当に皿にとって食べるんだ」
 どこで食べるんだ? と思い当たりを見回したが、壁際に椅子が並んでいるぐらいで座るところが見当たらない。
「立ったまま?」
「そうだが」
 エレナは平然と答えた。
 むぅ。
 一般市民でも座って食べるのに、貴族というのは立って食べるなんて大変だな。
「平民生まれてよかった」
「何の話だ?」
 エレナが怪訝そうな顔でアルフィを見た。
「なんでもないよ」
 アルフィはきょろきょろと辺りを見回した。
「メル、どこかな」
 せっかく招いてくれたんだからお礼の一つでも言うのが礼儀というものだろう。
「あんまり、他人に聞こえるようにいわないほうがいいぞ」
 エレナが諭した。
「ん?」
 疑問詞つきで腕を組んでいる彼女を見ると、エレナは視線を部屋の奥に向けたまま答えた。
「仮にも王女だからな。あれでも」
 ひどいことを言う。
「あんまり親しい口ぶちでいると、そうだな。簡単に言うと、妬かれるぞ」
 ぴんとこないのできょとんとしていると、エレナは笑った。
「そのへんわからんあたりが、鈍いというか純だと言うか」
「は? どういう」
「王女と仲良くしていると、結婚して王様になりたい奴に邪魔扱いされるぞ」
「……アレと?」
 ちょっとこう、見た目と言動が幼いメル王女と結婚という一言はくっつかない。アルフィの頭の中では。
「アレいうな。元はいいし、あと数年すると美人になるぞ」
「うーん」
「まあ玉座欲しいなら、赤ん坊だって気にしない奴は気にしないんだが」
 赤ん坊と比較される王女が哀れである。
「貴族社会ってとこは、上下関係で成り立っているんだ。そこを壊すと嫌われるぞ」
「そんなもんですか」
 話ながらも会場を見渡すが、メルらしき人影はない。
 ちんまいので居たとしても人の影に隠れて見えないかもしれない。
「私も大変だったんだよ。医者の仕事していると『働け』とかいわれて皿洗いさせられたり」
「それは……」
 日ごろからメイド服を着ているせいじゃないのかと思うが、もう突っ込むのもめんどくさい、この件は。
『皆様お聞きください。ただいまより、メルターシャ王女よりお話があります』
 広間に声が響いた。
 会場のざわめきが止まった。顔をつき合わせて歓談していた貴族たちが、みな声のほうを向く。  人と人の間から、白いドレスを纏った女の子が見えた。
 メルが空から落ちてきて、初めてであったときと同じ色のドレスだ。
 着るものが違えば別人という。穢れのない純白の布に包まれた彼女はこの世から一歩離れて天界に居る神の侍女のようにも見えた。
「皆さん」
 メル王女は良く通る声で呼びかける。いつもの幼い言葉遣いは影を潜め、会場のすべての人を見渡したあと、続けた。
「今日はお集まりいただきありがとうございます。私は元気です。私をかばってくれた侍女たち、じい、そして助けてくれた先生と旅の剣士のおかげです」
 メルが、こっちを見ていた。
「皆様。この国を守るために力を貸してください。父王ムルーアイムが愛したこのエルフレアを」
 歓声が上がった。
「ベルングスを倒せ」「国をわれらが手に」などと、主に帯剣した若い貴族たちが拳を上げて熱く叫んでいる。
 脇に下がるメルと入れ替わるように一人の男が前に立った。
 四十半ばになろうかというごつい男で、怖い顔だ。気に入らないものは腰の剣で一刀両断しかねない雰囲気を持っている。
「あの方がダンデだ。ここの領主様で王女の母方の伯父だ」
 エレナがささやいてくれた。
「諸君。エルフレア王国を僭主から開放するために力を借りたい」
 ダンデと呼ばれた男はみなに話し始めた。 「ここのトップだな」
「あんまり似てないですね。姫様と」
「王妃様は王女似の美人なかただったんだがな。王が『お前は兄に似なくて良かったな』と王妃に告げて喧嘩になったという話を聞いたことがある。
「ありゃりゃ」
 そりゃ怒るで。
「それで、一ヶ月ぐらいサボタージュしてな」
「なにを?」
「夜中寝室に鍵を掛けてしまって、『我が子が兄様にそっくりになったらお困りでしょう』と追い出してしまった」
 夜のお勤めらしい。
「それで、一ヶ月して許してもらって……それからきっかり十ヶ月経って王女が生まれたんだが……」
ろにしておこう」
「サルみたい。ってぼろっといったら大惨事ですな」
「無事に出産して何よりだ。というとことで」
 アルフィたちが雑談に興じているあいだにもダンデの話は進んでいた。
「もうすぐ神殿からの援軍が来る。そのときこそ反撃に転じるのだ!」
「ようやく終わりそうですね」
「そうだな。ところで、このあとどうするつもりだ?」
「メルを安全なところまで連れて行くのが仕事だからな。あとは報酬もらって次の仕事探すよ」
「このまま残って、王女を手伝ったらどうだ? その腕とその剣があれば高く売れるだろう」
「んー。パス」
「なんでだ? お前の言動を見ていると金、金、金。なんでお金が欲しいのかは知ったこっちゃないが、いい仕事あるのにそれを無視する必要はないはずだが」
「やぱり、堅苦しいの苦手みたいなんですよ」
 アルフィは笑った。
「そうか。そりゃしょうがないな」
 拍手が響いた。いつのまにか演説は終わっていたらしい。
「んじゃまぁ、姫様に挨拶とギャラの請求に行ってきますか。
 アルフィが奥に向かおうとすると、エレナは組んでいた腕を押さえた。
 引っ張られてバランスが崩れる。
「ぬわっ」
「女性を置いていくつもりか。ちゃんと連れて行け」

 人のかたまりを避け、奥に歩いていった。メルが、領主のダンデやメイドとともに脇の扉から出て行こうとするところにたどり着いた。
「姫様」
 アルフィは声を掛けた。
 メルは振り向いたが、その腕を隣に居た年老いたメイドがつかみ、引っ張って歩かせた。お目付けの乳母といった感じである。
 メルは引きずられながらもアルフィのほうを見ていた。
 ぱたんと扉が閉まった。
 奥へ入ろうとすると、扉の前に立っていた若いメイドに止められた。
「申し訳ありません、この先はご遠慮くださいませ」
「姫様に話があるんだが」
「殿下はお忙しいのです。御用事がありましたら明日以降正規の手続きを踏んで面会くださるようお願いいたします。
 アルフィは頬をかいた。
「まぁ、忙しいなら致し方ないか」
「なぁ、マリア。私が頼んでも駄目か?」
 脇に居たエレナが口を挟んだ。
「無茶言わないでくださいませ。関係者以外通すなと命じられているのです。私の首が飛びます」
 メイドの背後の扉がかちゃりと開いて、別のメイドが姿を現した。
 メイドはちっちゃな盆を持っていた。その上に袋が載っていた。口はきつく閉じられ、ぱんぱんで布地からコインの端が押されてくっきりと見えている。
「アルフィ様でいらっしゃいますね」
 扉を閉めたあと、盆を持っているメイドは尋ねてきた。
「あっ」
 今日、玄関ホールでずぶぬれのアルフィにタオルをくれた女性だ。
「先ほどはどうも」
「ここにいらした方のお世話をするのが仕事ですから」
 メイドは頭を下げた。
「ダンデ様よりアルフィ様にお渡しするように仰せになったものがございます。
 メイドは盆をアルフィに突き出した。
「どうぞ、お取りください」
 アルフィはその袋を手に取った。ずっしりと重い。口をあけてみると金貨が入っていた。
「ダンデ様より伝言がございます。『王女を助けてくれてありがとう。これは報酬だ。王女はわれわれが守るのでもう君の力は必要ない』とのことです」
「近寄るんじゃないわよ、ってことね」
 エレナが実も蓋もなく意訳した。
「そんなとげとげにしなくても。そうだ、ちょっと、そのお盆貸して」
 アルフィはお盆を借りるとその上に金貨をぶちまけた。
 そして一枚ずつ数える。
「金に関してだけは細かい奴だな」
「一回してやられたことがあってね。下半分が銅貨だったって」
「そんなけち臭いことなんかするかい」
 エレナはあきれてアルフィを見ていた。
「いちにのさん……二百枚ちょうどか。金払いがいいですなぁ」
「まぁ、口封じ料込みだと安いような気もするが」
「エレナさんそんなこといわないでください」
 盆を持ってきたメイドがあきれた。
「それにしても、エレナさんがメイド服以外を着ているのをはじめてみましたよ」
「ん、まぁそうだな」
 否定しろよというか私服着ないのかよ。
 アルフィは数え終わった金貨を袋に詰め戻す。片手で盆を持って指先で袋の端をつまんで、開いた手でコインを放り込む。
 コインをわしづかみにして流し込むたびに重くなる。指先をぴーんと張って支える。
「ふふーん。ついに満足できるご主人様でも見つかったんですか?」
 メイドが揶揄するようにエレナを見ている。
「なんのことだ?」
「とぼけないでくださいよ。『自分が満足する男しか主と仰ぐ気はない』といっていたじゃないですか」
 メイドがアルフィの顔を探るように見た。
 なぜか額から汗が出てくる。
「そう、見えるのか?」
「将来性はありそうですよ」
 エレナはそうか、と答えた。
「今日はメイドと間違えられたくはなかったからな。それだけだよ」
 雰囲気がなんかやばそうなのでアルフィはあわててコインを袋詰めした。
 口を縛ってお盆を返す。
「どうもありがとう」
「どういたしまして、エレナさんを大切にしてくださいね」
 どうも思いっきり勘違いされているらしい。
「いやなんというかそれは違う」
「照れてかわいいですね」
 言葉に詰まってアルフィは赤くなって視線をはずすのがやっとだった。
「それとですね。アルフィ様。これは私からです」
 メイドは改めて背筋を伸ばした。
「アルフィ様。メル王女を助けていただきましてありがとうございます。これは生き延びた姫様付きのメイドすべての言葉だと思ってください。あなたが居なかったら、私たちは生きた姫様と再会することは出来ませんでした」
 そう告げて深々と頭を下げた。
「いや、その。仕事だから、当たり前のことをしただけです」
 なんだか気恥ずかしくなってアルフィは頭をかいた。
 メイドは顔を上げた。
「それでは失礼させていただきます。ご自愛くださいませ」
 もう一度例をして彼女は扉から出て行った。
 メイドが一人、ドアの前で立ってアルフィを見ていた。
「帰ろうか?」
 隣のエレナを見やる。
「それはかまわんが、食事はいいのか?」
「うーん。ここよりももっと落ち着いたところで食べたい」
「そうか、ならばそうしよう」
 エレナは腕をつかむとアルフィにささやいた。
「収入も入ったし、当然、おごりだよな」

 そのころメル王女は二階に居た。
 テーブルの上に地図を広げ、そこで卓を囲んで皆で話し込んでいた。
 部屋には領主のダンデを筆頭に、軍の指揮官が集まっていた。
「まず、王女様もいらっしゃるので、いままでの戦況を整理させていただきます」
 そう告げたのはここの騎士隊長のキール。挑発の美形で、メルの記憶によると女性の人気が高かったのを覚えている。
 キール隊長によると、戦の流れは以下のようになる。
 王弟ベルンクスが兄王ムルーアイムを殺して王位を僭称したのが二十四日前の十月二十一日。
 生き残ったメイドの証言によると、ベルンクスは己の剣で兄を突き刺した、というのを目撃されている。
 そのあと、場内に死霊術による化け物が現れ、兵士たちや文官、侍女が殺される。城に詰めていた魔術師もベルンクスや彼の部下によって大部分が殺された。
 兵士の証言によると、『首がもげても平然と繋ぎなおして再び襲ってくる。そして首から地をすすっている』ということだ。
 国王および王妃マリアンヌは生死不明。唯一の娘メルターシャは侍女とじいと医者に連れられて逃げたが、そのあと行方不明。
 ベルンクス即位。王を名乗る。
 近隣の領主、大量の死人の群れの前になすすべもなく敗れまくる。無抵抗でベルンクスに付く町が出る。
 ベルンクス支配下の町や村に命令。「年若い女性を人口比例で王都まで送れ」反対した村が死霊に襲われて全滅。親なしの子供を捕まえて縛り上げて引き渡したりして全土で荒れまくる。
 神殿の元老院でベルンクス打倒の決議。司令官マイヴェンを任命して軍の編成開始。
 ケインベイトを中心に王国派が集まる。生き残った魔術師や市民が集まる。
 マイヴェン指揮下の軍団がエルフレア国境に集まる。
 ケインベイトに王女メルターシャが帰ってくる。
「以上のような状況です」
 キールは告げた。
「神殿軍はあと五日で王都まで進む予定です。それに合わせてわれわれも動き、僭主からわが国を解放することになります」
「大体わかったか。王女?」
 ダンデは尋ねた。
 メルはこくこくとうなずいた。
「先を頼む」
「ここから北に一日ほどの距離のところに、スイーフィーという町があります。そこにエミーデ軍が」
 エミーデというのは北の端、廃都オーベリウスそばにあるベルンクスが領主を勤める町である。つまりベルンクスの指揮下の軍だ。
「そいつらが何か?」
 ダンデは先を促した。
「はっ。そいつらがケインベイト目指して進軍を開始したという報告が斥候より届いております」 「妙だな」
 ダンデは呟いた。
「なんで?」
「なぜ、今頃動くか、ってことだ」
「外から攻められる前に、内側の敵を倒しておかないと、今みたいに一緒に攻められてしまいますからね。叩けるうちに叩いてしまう必要があるのです」
「しかし、今まで動かなかった。つまり動けない理由があったはずなんだが。いったいなんでだ?」

 アルフィとエレナは宿屋に戻った。
 アルフィはソファーに座ると身体を深く沈めた。
「なんかむだに疲れたような気がする……」
 エレナは向かい側に座った。薄い青色のドレスを着たままだ。
 ……胸の上半分が露出しているので非常に落ち着かない。
「もう一度お風呂にでも入るか?」
「もういや……」
 アルフィは懐から金貨の入った袋を取り出した。
「報酬なんだけど、戦闘とかエレナさんにも手伝ってもらったので、半分分けようか?」
「いらん」
 即答だった。
「いや、でも」
「言ったはずだ。『借りは返す』と」
 きっぱり拒絶された。これ以上言葉を重ねても無駄だろうと思いアルフィは懐に金袋を戻した。
「なぁ、ここ、借りていいか?」
 エレナは自分が座っているソファーを叩いた。
「ん?」
「寝るところだよ。向こうにはベッド二つあるけど同じ部屋で寝るわけにもいくまい」
 エレナは扉を見た。向こうは寝室だ。
「ああ、エレナさんあっちで寝て」
「アルフィ。念のために一応確認しておくが、借りは身体で返せというのは却下だぞ」
 そーいうネタでくるのならばそんな胸元が開いたドレス着てくるなと重ねて主張したい。
「ふぅ」
「ため息で返すな! 失礼な奴め」
「師匠に鍛えられてるときで慣れているからいいですよ。野宿よりはマシですから」
 そう言って寝室のドアを指差す。
「私もな、お姫様が寝るようなふかふかなベッドから地下室の床の上まで、どこでも寝るように訓練したからな」
「なんですかその偏りは」
「で、悟ったんだ。やわらかいベッドが一番きつい」
「本当ですか?」
 アルフィは眉をひそめた。
「腰が曲がるんだよ。体重でぐきーっと。固い床は敷物でごまかせるがアレはだめだ。詰め物をベッドにおいて床に寝るわけにはいかんからな」
「エレナさんいったいどんな人生送ってきているんですか」
「気にするな」
 エレナは例によってあっさりぶった切った。
「そうだな。たとえると人よりも少々退屈で少々エキサイティングな人生を送っているだけだな」
「よくわかんないんですけど」
「大丈夫。私も良くわからん」
 むちゃくちゃ言いますな。
 ここで寝るってことは、多分今のドレスじゃなくて着替えるんだよな……
「そうだ、こうしましょう。二人で一緒に向こうで寝ましょう」
 ずるっとエレナは滑って、長いソファーの端の肘掛に顔を押し付けた。
「な、な、なにいいだすんだ」
 目元まで隠す赤毛の下で頬を染めているエレナを見て、してやったりと思った。
 たまには反撃してやるのもいいだろう。
「エレナさんは、ここで寝るなら、着替えますよね」
「そうだ」
 エレナは手を付いて身体を起こす。
「どうせ、服を着たまま寝るなら変わらないじゃないですか。同じだろうが別の部屋だろうが。大体、僕が先に目を覚ましたら、くーっとソファーで寝ているエレナさんを見てしまうことには変わりないですよ」
「ふむ。アルフィがかまわないというなら甘えよう」
「じゃぁそういうことで」
「夜這いはなしだからな」
「いい加減にしないと襲われたいと解釈しますよ」
 洒落にならなくなるのでいい加減にやめてほしいものである。
 戸を叩く音がした。
「ん? だれだ?」
 尋ねてみたが返事がない。マリアとかここの従業員だったら返事をするはずなんだが。
 ソファーに立てかけておいた剣を持って行ってみる。
 そっと扉を開けた。その隙間から人影がアルフィに抱きついてきた。
 金色の髪が揺れる。薔薇の香りがアルフィの鼻をくすぐる。
 アルフィが渡した黒のコートを纏ったメルだった。
「な、何しにきたんだ!」
「えへへ。お礼を言いにきたんだよ。このままお別れするのが嫌だから」
 とりあえず見られると変な誤解を招きかねないので、アルフィはメルを中に引っ張り込んだ。
「あ。先生。なんでここに?」
 メルがドレス姿でソファーに座っているエレナを見つける。
「部屋が全然なくてな。好意に甘えて泊めてもらうことにした」
「押しかけたくせに……」
 メルはエレナの隣に座った。
 アルフィはソファーに剣を立てかけて、向かい側に座る。
「いままでありがとう」
「仕事だからな。貰うものはもらったし」
 アルフィは懐を叩いた。金貨がちゃりんと鳴った。
「……そういえばメルに踏まれた分、請求しなかったな」
「うう。そんなことばっかり覚えてないでよ」
 メルは頬をぷっくりと膨らました。
「あと、これ。お礼に受け取って欲しいんだ」
 メルは首に手を回した。鎖をはずすとペンダントをはずす。ぼろいコートの下は白のドレス。さっきの晩餐会のときのままだった。
「王女。それは」
 急にあわてたエレナに、笑顔を向けて静止しようとさせる動きを抑えた。
「アルフィに貰ってほしいんだよ。これはお守りなんだ。アルフィがもう怪我をしないように、って」
 メルは澄んだ青い瞳でアルフィを見ていた。
「そうか。頂こう」
 アルフィはメルからペンダントを受け取った。
 メルはアルフィをじっと見つめつづけた。 「これからどうするつもりなの?」
「別の仕事を探すよ。もう大丈夫だろう。メルは」
 メルはうなずいた。あまり元気良く見えないのは気のせいか。
「じゃぁ、ここでお別れだね。お城に来てよ。歓迎するから」
「ありがとう」
 そうは言ったものの、他の人は嫌がるんだろうなと思った。今日のみなの反応から考えるに。
 メルは立ち上がると、コートのフードになっている部分をかぶりなおした。
 綺麗な金髪がちょうど隠れる形になる。
 これなら目立つまい。
「元気でね」
 メルはそういうと部屋から出ようとした。
「ああ、王女。送ってやる」
 エレナが立ち上がってメルについていった。
「あ、俺が送る」
「いや、いい。誰かに見られたらお前が連れ出したように見られるぞ」
「だったらエレナさんでも」
 エレナは口元を緩めた。
「気にするな、いつものことだ」
 いつもそんなことをやっているのか。 「先生。一人で大丈夫だよぅ」
「やかましい。これから一戦交えようかってときに一人でのこのこ歩くんじゃないよ。何事もなかったとしてもみんなで探さなきゃ駄目なんだから」
「うう、先生だっていつもやりたいほうだいじゃないの」
「先生はいいの。なんたって先生なんだから」
「うう、むちゃくちゃだよぅ」
「ちょっと待て」
 アルフィが呼び止めた。
「エレナさん、なんか戦闘起こりそうなのか?」
「隣町で騎士たちがなんか準備してたぞ」
「騎士がこっちに向かってくるっていう話はあったよ」
 続けてメルが答えた。
「やばいのか?」
「城壁あるからとりあえずは大丈夫だろう。ただなぁ」
「どうしたの?」
 メルが傍らのエレナを見た。
「攻めるなら内側から崩すよなぁ。そのへん、ダンデもわかっているはずだから」
「内側から工作員使ってなんとかするのか」

 雨が続いていた。
「やってられんな、館ではパーティだといっているが俺たちは寒空の下ずぶ濡れだ」
 南門に立っている兵士は、視線を遠くに向けながら傍らの同僚に話しかけた。
「まったくだな」
 隣の男が答えた。
 雲に隠れて月が出ていないため真っ暗だ。背後には家々から明かりが漏れていてそれなりに明るいが、城壁を挟んだ向こう側は光源がひとつもない。
「おいおい。お前ら、気を抜くな」
 兵士はびくりとして振り向くた。
 一人の男がはしごを上ってきていた。
「隊長」
 ほっとしたように男は肩の力を抜いた。
「エミーデの奴らがこっちに向かっている話だ。わざわざ松明をかざして『俺たちはここに居るぜ』などといいながら来てくれるわけがない。ちゃんと見てろよ」
「ういー」
 兵士たちは声をそろえた。
「まぁ、疲れただろう。降りて詰め所で食べて来い。交代だ」
「うひょー」
 奇声を上げた。
「領主様んとこのパーティー並みってわけにはいかんがな」
「聞こえてたんですか」
 三人は声を合わせて笑った。
「なんか変わったことはないか?」
「いえ、何も」
「そうか。……遅いな。なにやってるんだ」
 隊長が下を覗こうと梯子を見下ろすと、それに合わせたようにメイドがひょっこり顔を出した。
「どうした?」
 隊長は尋ねた。
「あ。はい。ご主人様から伝言を承りまして」
 メイドは梯子を上りきり、城壁の上に立った。
「そうか、で、なんだって?」
 隊長は改めて下を覗いた。
「お前ら。なにをやっているんだ。とっとと昇って」
 隊長の言葉は途中で止まった。
 首が胴体から外れて、笛の音が鳴った。
 頭部が重力に惹かれて落ちる。切断面を赤く染めながら、血と雨でべちょべちょになった兵士たちの惨殺死体の上へと。
 メイドは大きな鎌を構えていた。
 左手をスカートにあて捲くりあげていた。左足の白い靴下と、スカートの裏地が闇の中目立っている。
 隊長の胴体が力を失って、笛の音を立てながら落ちる。肺の空気が漏れるときに鳴る音だ。
 柄だけでも彼女の身長を越える大きな鎌をくるりと回した。金属部分が金色に光っている。スカートを離し、両手で構える。
「ベルングスさまからの伝言をお伝えします。全員死ね」
「ひっ」
 兵士の一人が槍を構える前に、メイドは鎌を横に振った。槍の柄ごと胴体を真っ二つに刈り込む。
 兵士の身体が転がる。胴体から血が染み出すように広がっていくが、すぐに雨に流れていく。
「ごめんなさい。あなたには恨みはないんだけど」
「うおおおおおお!」
 兵士は破れかぶれになったのか、絶叫しながら槍を付いてきた。
 メイドは飛んだ。空中で縦に一回転しながら鎌を振るって首を狩ると、そのまま城壁の端の出っ張りの上に着地した。
 兵士を見向きもしないでそのまま城壁の上から跳躍。着地すると泥が跳ねた。
 その脇に頭部が一個落ちてきた。
「姫様のために鍛えた力が姫様を害しようとは」
 メイドは城門までゆっくりと歩いた。
 既にここの兵士は全員殺してある。
 城門を押さえているかんぬきを鎌で叩ききると、ため息とともに赤い瞳を天へと向けた。
「アルフィ様。あのかたが姫様をお連れにならなければ、滅びの日まで姫に従順なメイドで居られたのですがね」  メイドはスカートをめくると鎌をスカートに突っ込んだ。それはスカートの中に吸い込まれるように消えていった。
 城門を押し開ける。
 合図が必要だった。兵士の詰め所に入りランプを取る。血が付いていたのでエプロンでぬぐう。
 靴の裏が血でべっとりとするがいまさら気にしてもしょうがない。血が付いてないのは天井ぐらいだ。壁も床も兵士たちの血と死体で染めてある。
 ランプを持って城壁の外に出て、円を描くように回す。
 音を立てないように、人の群れが列を成して向かってくるのが見えた。ベルングスに支配されてから、暗闇でも昼間のように見えるようになった。
 馬を下りて三列になって行進してくる。
「これで」
 姫様の今後を思うと胸が痛む。すると、首筋に痛みが走った。ベルングスにかまれた傷跡がじくじくと痛む。

 雨が降っているので傘を差して、メル王女とエレナは並んで歩いていた。
 夜遅いので人気はあまりない。宿屋からは活気のある声が聞こえてくる。みんな食事でもしているのだろう。
 二人は黙って歩いていた。
 人の声も静かになってきて。しばらく歩くと領主の館までたどり着いた。
「部屋はどこだ?」
 エレナが聞いたが返事がなかった。
「部屋はどこかと聞いているんだが?」
「あ、はい。えー、なに?」
「部屋だよ、部屋」
「あ。こっちだよ」
 メルに先導されて裏へと回り込む。
「なぁ。ぼんやりしてどうした?」
「うん、なんでもないよ」
 メルは笑っていたがどことなく寂しそうだった。無理している。
「言いたいことがあったら正直に言ったほうがいいぞ」
「うん。いいの。私のわがままだから」
「わがままでも言うだけならただだぞ」
 メルは答えなかった。
 エレナは屋敷を見上げた。一箇所だけ、雨が降っているというのに窓が大きく開けっ放しになっていた。
「……わかりやすいな」
「うみゅぅ。気が付いたら飛び降りたあとだったんだよ」
「ベッドに詰め物するとかちゃんと偽装ぐらいしろよ」
 エレナは傘をたたむと、壁の前に立って身体を沈めた。
「ほら、早く」
 メルが背中に負ぶさった。
 それを確かめると、エレナは壁に手を突いた。
 手のひらをぴたりと壁面にくっつけて、するすると城壁を登っていく。
「どうやって戻るつもりだったんだ? 一人で」
 壁を這い上がりながらエレナは訪ねた。
「うう、裏口からこっそり」
「そして見つかって説教か。無理だってば。みんなカリカリしているんだから。
 三階の窓に手が届いた。エレナはそこに手を引っ掛けて昇ろうとした。
「ああっ。先生。あっち」
 背後からメルのあわてた声が聞こえた。
「あっちゆーてもわかるかい」
 エレナは懸垂の要領で身体を引き上げて足を引っ掛けた。そしてメルを背中に乗っけたまま部屋の中に入った。
 部屋の中は質素だ。ベッドと奥のクローゼットしかない。もっとも寝室だからであろうが。
「ほら、先生。あれ見て」
 メルに手を引かれて窓から外を見ると、火事が起こっていた。
 橙色の炎が建物中から吹き上がり、空に黒煙を吐き出している。
 そして、怒号と金属同士がぶつかり合う音が風に乗って聞こえる。
「はじまったか」
 エレナは呟いた。

 アルフィはソファーに半分ねっころがってうとうとしていた。
 正直、昼から馬を飛ばして疲れて眠い。エレナを待とうとはしているが揺れる炎を見ながら、次第にまぶたが下がっていく。
「お金溜まったし、妹探しにいけるな……どっからはじめるか」
 肘掛を枕代わりにして横になる。まぶたを閉じると睡魔が。
 ガラスが割れる音がした。
 アルフィはぶすっとした表情で身体を起こした。
「誰だよ。うるさいなぁ」
 そのあと悲鳴が聞こえた。アルフィは目を大きく開けると立ち上がって剣をつかんだ。
「なんだって言うんだ」
 ただの事故だったらいいなぁ、と思いながら階段を飛び降りる。
 一階の食堂兼カウンターの大広間まで降りると、窓ガラスが割れていた。砕かれたドアから泥まみれの人間状のものが入ってきていて、周囲の人間を襲っていた。
 客たちは持っていた剣や槍で人間状の奴を殴り返していた。だか数が多くて守りきれていない。
「止めなさい。お客様に手を出さないで!」
 メイド服を着たマリアがカウンター越しに箒で殴っていた。しかし、効いた様子はない。それはマリアの腕をつかむと引っ張り上げた。
「きゃっ」
 メイド服の襟をつかむとしたに引き下げた。そもそも知性がありそうに無いので脱がせようと思ったわけではあるまいが、服はあっさり破けて白いブラがあらわになった。
 アルフィは剣を抜いた。
 柄に絡まるように結ばれていた留め紐が一瞬で解ける。アルフィは剣を一振り。マリアをつかんでいた両腕を斬り飛ばす。
 返しの一撃で脳天から真っ二つにした。
 カウンターの上に落ちるマリアを一瞥してアルフィは次の敵に向かった。
「お前ら。なんでこんなところに現れるんだっ!」
 ゾンビどもをなぎ払うように斬りながらアルフィは開きっぱなしの扉に向かった。そこに居たゾンビ三体を剣で弾き飛ばした。
「なんか抑えるものっ」
 アルフィは叫んだ。
 震えている客を睨みつけて。
「そのテーブルだ。早くっ」
「は、はいっ」
 客が持ってきたテーブルを入り口においてバリケードにした。
「入ってこれないように抑えてろ」
「え、ええっ」
「死にたくなかったら通すなよ!」
 怒鳴りつけたあと、別の客たちを襲って背を向けているゾンビを後ろから全部切り捨てた。

「いったいなにが起こっているんですか?」
 マリアが尋ねた。胸元はとりあえず糸で軽く縫い合わせて、エプロンでごまかしている。
 あのあと、扉と窓を裏から板で押さえて釘を打った。
 一番もろそうな入り口と裏口は食器棚を動かして押さえた。
 床に散らばったゾンビの死体は手をつける暇がなかった。腐ったにおいが広間中に漂っている。
「全然わからん。が、これはベルンクスの魔術によるらしい。つまり戦争中ってことだ」
「そんな」
 客の一人から呟きが上がった。
「戦える奴は武器を取ってくれ。そうじゃない奴は上の階に上がって……信じてやってくれ。戦う奴を」
「アルフィさんは?」
 マリアが尋ねた。
「僕か? 僕は行かないと」
 アルフィは微笑んだ。
「守りたい人がいるんだ」
「さっきの娘?」
 マリアが笑った。
「気づいてたのか」
「客商売だから。お客様は全員見ています。それにしても、アルフィさんも隅に置けませんね。女性二人も連れ込んで」 「そ、そんな。違うよ」
 マリアはこらえ切れず腹を抱えて笑った。
「アルフィさん、きっとすごい英雄か。そうでないならひどい女たらしになりますよ」
「ひどいこというなぁ」
 アルフィは頭をかいた。
「あ、アルフィさん。襟にゴミがついてますよ」
 取ってあげますね、とマリアはアルフィの首に腕を回した。
 アルフィが心ともなく突っ立っていると、マリアはふいにアルフィの唇にキスをした。
 離れてからマリアが微笑んでも、アルフィはぼーっと突っ立っていた。
「おまじないですよ。アルフィさんが元気に帰ってくるっ、って」
 それを見ていた客が一気に湧いた。
「にーちゃん。しあわせもんだな」
「この女殺し」
「そんな感じで別の女どもも泣かせているんだろう」
 アルフィはようやくはっとした。赤面しながら手を動かして顔を隠す。
「そそそ、そんな違いますよぅ」
 戦場だというのに広間には笑い声が響いた。

 遠くから怒号が聞こえる。メルは震えた。
 燃え盛る炎を遠目にエレナは見ていた。
「先生」
 メルは不安げにエレナの手にすがった。
 扉が勢い良く開いた。
「姫様っ」
 振り向くと、黒髪のメイドが息を切らせて立っていた。
 メル付きのメイドのトリスだ。
 トリスはエレナを見ると目を丸くした。
「エレナさん、なんでここに?」
「気にするな」
「あっ、先生とは久々にあっていろいろ話をしていたんです」
 メルはあわててフォローした。
「それより、なにがあった?」
 エレナは質問した。
「あ、はい。敵襲です。危ないですから皆様が居るほうへお集まりください」
「それはいいが」
「うん、わかったよ」
 急いで部屋から出ようとしたメルを後ろから抱きかかえた。
「ちょっと待て」
 エレナの身体はやわらかくてふかふかしていて気持ちがいい。特に胸の辺りがメルの平らな胸とは違って盛り上がっている。二つのふくらみがメルの頭の上に乗っかっている。重い。
「お姉ちゃん、なにしたの?」
 メルが頭を振り、頭上の重たいものをずらしてエレナを見上げる。
 エレナは前髪をかきあげた。
 隠されていた目があらわになった。左目は青いが、右目が真紅に染まっている。
 エレナの一族に発現する“魔眼”だ。
 その赤い瞳をトリスに向ける。
「な、なにをやっているんですか。べつに、どこも怪我はしてないですよ。急がないと」
 エレナの“魔眼”は病気を見抜くことが出来る、と聞いている。伊達に医者を名乗っているわけではないのだ。
「なぁ、トリス。ひとつ聞いていいか?」
「はい? そんなことより」
「なんでお前、死んでいるんだ?」
 メルの背筋が凍りついた。
「えっ。先生、いま、なんて」
 トリスはエレナを伺うようにみると、薄く笑った。
「どうして、私が普通じゃない、って思ったの?」
「とりあえず戦闘始まったら全員疑うことにしてたんだよ。すまないな」


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