空は人々の心を表すかのように薄暗く曇っていた。
エルフレア王国の王弟ベルングスが兄王を殺して王位を主張してから、既に二週間経っている。彼の愚行に騎士達が立ったが、ベルングスの魔術による死霊たちの前になすすべはなかった。
いまオールデアの街は、ベルングスに魂を売った騎士と傭兵達によって治められている。
「すっかり、暗くなったものだな」
動きやすい服で丈夫な革靴を身に付けた少年は、そう呟いた。彼の名はアルフィ。黒髪を、ナイフで切ったように雑に短く揃えている。まだ幼い顔立ちで、頬の曲線が柔らかい。目は黒く澄んでいる。
齢のころは十六。先日、山中で成人してから二度目の誕生日を迎えたばかりだ。
マントの下に剣が見える。しかしそれは、抜くことができないように、なにか文字の書かれた布で鍔と柄を巻き、きつく封印がされていた。
いつもなら市場が立ってあるであろう、領主の館の前にある中央広場はがらんとしていた。商人が国によりつかないのだ。
革靴はぼろぼろに擦り減っている。
領主の館の向かい側にある神殿も、音すらしない。神官と捜査官(神と法の名の下に、犯罪者を取り締まる役職)すべてに国外退去が言い渡されている。
その前に即席の磔台があり、青い神官服の老人の遺体がずたぼろになって乗っかっていた。
「狂ってやがる」
正気だとは思えない。もっとも、まともな人間だったら死霊なんぞ召喚しない。
降ろして埋葬してやりたいところだが、そういうわけにもいくまい。晒しにしてあるということは見せしめであるわけで。かってに降ろしたりすると、殴られ、斬られ、自分が磔にされ、もしくは別の人が晒し者になるわけで。
アルフィは心の中で老神官の冥福を祈った。
しばらくの間、エルフレアを離れていたほうがいいかもしれない。
もうじきここは戦場になる。死の技を使い、神官を処刑した狂王をフェニーラ神殿は決して許しはしないだろう。
「まぁ、許さなくてもどーにもならん、ということはあるかもしれないがなぁ」
とか不穏当なことを呟いていると。
「おいっ。向こうに行ったぞ」
怒鳴り声が遠くから聞こえた。
犯罪者かなぁ、とアルフィは思った。この場合の犯罪者というのはつまり現体制に対する反逆者で、狂った王様にたいする英雄的反乱勢力を指したりするわけですが。
急に日が陰った。
曇っているのでそんなに明るいわけではないが、まぁそれなりには明るいわけで。
「ううっ。どいてっ、あぶない」
声に反応して空を見上げると視界が白く染まっていたり。
「うわぁっ」
叫ぶ暇があるということは避ける猶予も合ったのかもしれない。
空から、羽根の生えた少女(だと思った)がスカートを広げながら体当たりさえしてこなければ。
ぺちょっ。
アルフィは下敷きになって石畳の上に倒れた。
「うう。どいてって言ったのに」
おなかが重い。
頭の後ろが痛いのを我慢する。目がちかちか。
右肩が赤く染まった、白い服を着た女の子が、後頭部を強打してうめいているアルフィの腹上にちょこんと座っていた。肩の布が切られて破れている。
ふわふわとしたウェーブの掛かった金髪が、肩口まで伸びている。
ぷにぷにとしたほっぺたに広いおでこ。
飾りの無い上下そろいの純白の服を着ている。上は、手首まで被った長袖で、下はひだの入った長いスカート。立っていれば足元まであるのではなかろうか。
胸元には唯一の装身具である、ルビーのペンダントが慎ましい胸の間で輝いている。
「とりあえずどけ。重い」
「うう。重くないもん」
「いいから、どけ」
女の子は、「うう、これでも毎日ケーキがまんしてるもん」などと言いながら、腕をアルフィの胸に突いて、顔を痛そうにしかめながら立ちあがった。
「じゃぁ、そういうことで」
踵を返して立ち去ろうとする。右の肩が、背中の肩甲骨あたりまで真っ赤だ。
「まてこら」
アルフィは体を起こして、女の子のスカートの裾を掴んだ。
「ううっ。えっち。めくらないでよ」
「なんかこう、言っておくことはないのか俺に」
「うう、今それどころじゃないの。大変なんだよ。早く逃げないと」
女の子は涙目だ。
「人間として、なにか俺に言っておくことがあるだろう」
「ご、ごめんなさい」
「違う」
アルフィは首を左右に振る。
「えっ?」
「慰謝料だ、い、しゃ、りょ、う」
女の子はその小さい口をぽかんと開けた。
「俺が下にいたからこそ、その程度で助かったんじゃないか」
「邪魔だったんだけど」
「黙れ。というわけで、お父さんかお母さんと相談しようか。うちどこだ?」
「……」
「黙ってたらわからんぞ」
「黙ってろって言った」
「あーあ。最近のガキはかわいげがないなぁ」
アルフィはため息を吐いた。
「そうだ。そのペンダントは?」
「ええっ。駄目だよ。これは大切なものなんだよ」
などと話していると。
「見つけたぞ。姫っ」
という怒鳴り声が聞こえた。
さっき聞こえたような気もしなくもない。
声に振り向いた。先ほど女の子が降ってきた建物の影から、剣を帯びた青年が出てきた。
逃げようとした女の子を、後ろから、左腕で体を抱きかかえた。
じたばたもがいている振動が伝わってくる。女の子を掴んでいる手は離さない。
「ううっ。胸、触らないでよ」
「はいはいはい。そういうのはもっと大きくなってから聞いてやるから」
青年の胸には刺繍がしてある。おそらく家の紋章だろう。
そういえば、青年はなんか奇妙な事を言っていたような気がする。
「姫?」
アルフィは背後から抱きしめている女の子を見た。
そしてあたりをきょろきょろ見まわした。
あたりには青年と少女とアルフィ以外、誰もいない。
一つ肯く。
「んなわきゃないな」
「ひどいよっ!」
女の子はアルフィの胸の中で暴れた。
「まぁいいや、それより親だ、親」
「きゅぅ。このひと、本当に極悪人だよ」
アルフィ達のほうに、青年は駆け寄ってきた。
二十代半ばぐらいだろうか。マントの下に皮鎧が見える。
髪は短く奇麗に揃えられた黒髪で、長身で肩幅が広い。いかにも戦士らしい風貌だ。
「おいっ。お前っ」
叫ばれた。
「俺? アルフィって名前が一応あるんですが」
「お前の名前なんかどうでも良い」
ひどいことをいう青年である。
「姫様を渡してもらおうか」
「姫?」
アルフィは女の子を抱えて、またきょろきょろとした。
「どこに?」
「ぐぅ。わざとやってるぅ」
「その女の子を渡してもらおうか」
「これ?」
女の子のふわふわする金髪を、ぽんぽんぽんと叩いた。
なんか良い音がするような気がする。
「それ」
「ものじゃないよぅ」
「とにかく、それを渡してもらおうか」
「いくらで?」
アルフィは真顔だ。
「は?」
貴族っぽい青年は、その整った顔を崩して、ぽかんとアルフィを見やった。
「いくらで、買ってくれる?」
「……何を言っているのだ」
「話せば長くなるんだが」
アルフィはさっきの状況を説明したあと、
「というわけで、慰謝料貰うまで離すわけにはいかないのだ」
と、続けた。
「そうか。いくらだ?」
「払ってもらえるのか?」
物分かりのよさそうな青年である。
「うむ」
青年は鷹揚に肯いた。ある意味、貴族らしい。
「じゃぁ、金貨百枚」
しばらくの間、無言があたりを支配した。
「さすがに、そりゃぼったくりすぎたとおもうよ」
青年は無言で抜刀した。
「おいおいおい。まて、言論で負けたからといって暴力に訴えますか」
「姫を渡せ。さもなくば斬る」
青年は剣をアルフィに突きつける。
アルフィはあっさりそれを無視。
「いきなり火球っと」
アルフィは腕を振り、下手から何かを放り投げるようなしぐさをした。
アルフィの手に炎の弾が現われる。それがぽいっと剣を構えた青年へ向けてゆっくりと飛ぶ。
青年は剣でそれを叩き落とした。
轟音とともに赤い炎が舞った。
「おまけ、もう一発」
アルフィは腰から手のひらぐらいの大きさの皮袋を取り出すと、口紐を解いて、ぽいっと青年めがけて投げた。
あたりに、赤や黒やら白い粉が、先ほどの爆風に乗って撒き散らされる。
青年は重病の風邪のように咳き込んだ。
「よし、逃げるぞ」
アルフィは女の子を担ぎ上げた。
「えっ、えっ。ちょっと」
青年の足元にもう一発火球を叩き込んでから、アルフィは手近な裏路地めがけて走った。
爆風とともに石畳の破片が飛び散る。
「き、貴様、卑怯だぞげほげほ」
爆風の向こうから、咳が聞こえる。
「うーん。やっぱり重いぞ」
「重くないもんっ」
アルフィの腕を掴み、胸にぎゅっと頬を押し付けながら、少女は尋ねた。
「さっきの粉、なぁに?」
「唐辛子と胡椒と塩の混合物」
「……ひどいよ、それ」
「探せ。まだこのへんにいるはずだ」
怒鳴り声が遠ざかる。
馬小屋が有った。宿の裏にある、宿泊者用のものだ。そこにおいてある藁がごそごそうごめいた。
アルフィと女の子が、中から顔を出した。
「行ったみたいだな」
アルフィはあたりを見まわした。
小屋の中は広いが、今は一頭の馬もいない。それでも、奇麗に掃除されていた。
「うう、ひどいよ。いきなり人を押し込んで」
「仕方がないだろう? ゆっくりしている暇なんかなかったんだから」
アルフィは、藁の山からもぞもぞと這い出た。
そして、女の子を引っ張り出して、服にくっついている藁を払った。
右肩の乾きかけた血の上に、藁がぺったり張りついていた。
藁をそっと取ると、傷に触れるのか女の子は顔をしかめた。
「まぁ、ついてこいや。とりあえず肩の手当てぐらいしてやる」
アルフィは扉を開けて裏口から宿屋の中に入った。
そこは、カウンターのある食堂兼酒場だった。六人掛けできるぐらいの大きさの丸テーブルが六つ、奇麗に並んでいる。
「邪魔するぞ、セリス」
カウンターでは一人の女性がコップを磨いていた。アルフィと同じぐらいの年頃の若い女性だ。女性はアルフィを見ると目を細め、硬い表情で睨み付けた。
「また、なんかやったの? 探してたよ、騎士様が」
「うむ、またやった」
あっさり肯いた。
「あっさり肯いているんじゃないわよ。そっちの子、って血まみれじゃないの」
「うむ。わるいが、これ、借りるぞ」
カウンターの上においてある酒瓶を一つ手にとった。
アルフィは女の子を振り返った。不安げな視線がアルフィとセリスの間を泳いでいる。
「ああ、こいつはここの主人でセリスっつーねーちゃんだ。口は軽いがヤバイことまでは喋らないので安心しろ」
「軽い、いわれる筋合いなんかないわよ。あんたには。で、いいからとっとと手当てしてあげなさい。それとも私がやる?」
「いらん。誰か来たら適当に誤魔化しておいてくれ」
「あいあいあい」
セリスは軽く手を振った。
アルフィは女の子を連れて部屋に入った。オールデアの街にに来たときには、いつも借りている部屋だ。ベッドが二つあり、机と椅子が一組。いつもは一人で部屋を占拠している。ベッドの下から砂埃で薄汚れた袋を取り出し、中から真っ白な布を数枚取り出した。
アルフィはそのうちの一枚を筒状にくるくる巻いた。かぷりと一噛みにできるぐらいのパンの大きさにした。
「とりあえず、脱げ」
「えっ。そんな。まだ真っ昼間なのに」
「たとえ、真っ昼間でも気にしないが、残念ながら子供に興味はない」
「うう」
「脱がしてやるか?」
「いらない」
女の子は自分でボタンを外した。
白い肌だが、右肩が赤くねっとりとした液体で濡れている。深い傷口が幼い肩の曲線にある意味芸術的なアクセントを与えている。
と言うか、直接的に言って見ているだけで痛い。
胸の谷間に、ルビーのペンダントが光っている。
アルフィは首に手を回して、そっとペンダントを外した。
「あっ、駄目っ」
「邪魔だから退けとくぞ」
テーブルの上にそっと置いた。
「そういえば。名前聞いてなかったな」
「メル」
「そうか。どっかの姫様とおんなじ名前だな」
「本人だよっ」
「偽者はみんなそういうんだ」
「うぎゅぅ」
「まぁいい。とりあえず、口大きく開けろ」
「あー?」
こう? とでも言ったのだろう。
アルフィはその口の中に丸めた布を押し込んだ。
「あにうんのー」
声が布でこもって良く聞こえない。
テーブルの上に置いてある酒瓶を掴むと、アルフィはメルを押し倒した。
コルク栓を噛んで、瓶を引っ張ってひっこ抜く。
「月並みな表現で大変申し訳ないが……痛いのは初めだけだから力を抜いたほうがいいぞ」
「あーあーあ」
なにかわめいているが、メルの口には布が押し込んであるので聞こえない。
肩の赤いところに酒をぶっ掛ける。
メルはアルフィの上腕をその幼い肢体からは想像できないほど強く爪を立た。しばらくそうしたあと、くてっと力を抜いて気絶した。
しばらくしてメルは起き上がった。
身体に掛けられていた毛布がぱらりと落ちた。アルフィがちゃんとベッドに寝かしつけていたのだ。
毛布の下から、右肩が布でくるくる巻かれて止血されている上半身が現われた。
「おお、目が覚めたか」
アルフィは、メルが寝ている隣でちょこんと椅子に座っていた。
「ああよかった。このまま目が覚めなかったらどうしようかと」
「なにか、さりげにひどいこといってるよぅ」
メルは何かに気が付いたのか、毛布の下を覗き込んだ。
「スカートがない」
「脱がしたからな。邪魔かと思って」
「見た?」
「いや、だから子供に興味がないというとるに」
疑わしげに細い目で睨んでいるメルを、アルフィは呆れた顔で見ていた。
「なにか着るものない?」
アルフィは反対側のベッドに視線を向けた。
ベッドの上には、さっきまでメルが着ていた肩が血まみれの白いドレスがあった。
「他のがいいな」
「姫っつーのはわがままだな」
アルフィは自分の袋から、替えのシャツを取り出した。
「とりあえずそれでも着てろ」
そう言うと部屋から出ていこうとした。
「どうしたの?」
「なんとかするさ。とりあえずセリスに子供のころの服残ってないか聞いてくるさ」
「子供じゃないのに」
開口一番。
「あ、鬼畜がいる」
セリスは、階段から降りてきたアルフィに言った。
「だれが鬼、畜生だ」
「少女を部屋に連れ込んで……きゃっ」
見ていられないわ、とばかりにセリスは顔を覆うふりをした。
「残念ながらそういう趣味はない」
「残念だったんだ」
「やかましい。セリス、あの子ぐらいのときの服持ってない?」
「ないわよ。お下がりにあげたから」
「……そーだよなたしかに」
というわけで古着を買いに行くことにしたアルフィ。
裏路地をこっそり目立たないように歩いていると、ふと気が付いた。
「帰って目立つよな」
というわけで普通に歩くことにした。
東西に伸びる、城壁の門と門を繋ぐ主要道路がある。それに平行に走る、一本裏の細い道を一人歩く。
だれもいない。中央広場と同じく、静かだ。いつもだったらもっと騒がしいだろう。
今日、出会ったはあの女の子と貴族風の青年だけだ。
十字路に出た。右手側に曲がると大通りに出る。
そこから白いエプロンを身に付けた赤毛の女性が走ってきた。
フリルのエプロンの下に、紺色のロングスカートのワンピース。いわゆるメイド服だ。頭には白いフリル付きの髪留めがある。赤い前髪は目元まで伸びていて、表情が良く見えない。
メイド服の女性はアルフィのほうに走ってきた。
「少年。頼みがある」
そういうとアルフィの脇を通って、細い裏道に重ねておいてある木箱の陰に隠れた。
「『美人で性格のいいお嬢さんが通らなかったか』と聞かれたら、『走っていった』と言ってくれ」
アルフィがこれ見よがしにきょろきょろしていると、二人組の帯剣した貴族らしき(胸に紋章がある)男達が走ってきた。
彼らはアルフィの前で立ち止まった。
「おい。メイドみなかったか?」
「あっち」
適当なほうを指差す。
貴族らしい男達は顔を見合わせると、そっちに向かって走っていった。
「行ったか?」
メイド服の赤毛の女性がひょっこり木箱の陰から顔を出した。
「ああ」
「なんで、メイドが追われているんだ?」
「ふむ。少年には私がメイドに見えるというのだな」
妙な事を言うメイドだ。
「見たまんまじゃないですか」
「甘いな。もう少し物事の本質を見ぬく力を持ったほうがいいぞ」
アルフィは女性の頭から足元まで見返してみた。
頭にはフリルの髪留め。
赤いショートヘアではあるが、前髪が長く目元まで隠れている。
隠れているせいでどこまで本気が全然分からない顔。
薄く紅を差した唇。
大きな胸と、カップに合わせて丸みをつけているフリル付きエプロン。
紺色のロングスカートのワンピース。
白いソックスに革の靴(ヒール無し)。
「メイド以外に見えないんですが」
「愚かものめ。医者だよ、医者」
全然、そうは見えないんですが。とアルフィは思った。
「髪留めがあると髪がばらけなくて作業に楽だし、エプロンがあれば汚れてもすぐ代えられる」
「前髪がすごい邪魔そうなんですが」
「気にするな」
「ワンピースも白いほうが」
女性は舌をならしながら、人差し指を立ててリズム良く左右に振った。
「邪道だ。メイド服は神話の時代から紺色だ」
「結局メイドですかっ」
「あまい。メイド服を着ているからといってメイドとは限らない」
「普通、着ませんよ。一般人は」
などと漫才していると、誰かが走ってくる足音が聞こえてきた。
さっきの貴族風の男達が走ってきた。
「少年。すまないがもう一度頼む」
そう言うと、再び先ほどの木箱の陰に隠れた。
貴族達が戻ってきた。
「おい、貴様。行き止まりじゃないか」
「あれ?」
そういえばそうだったような記憶が……あったっけ?
覚えてないや。知るかい、そんな裏道。
「そうですか。記憶違いだったかもしれないですね。あっちだったかな?」
「ふざけるのもいいかげんにしろ」
男の一人は、アルフィの首を掴もうと腕を伸ばしてきた。
アルフィは、その腕を軽く避けると流れるように、腕を伸ばしている男の後ろに回り込んだ。
「ふざけているつもりはないのですがね」
「なっ」
「何、手間取っているんだ。そんな若いのに」
もう一人の貴族は、木箱を蹴り飛ばした。
鈍い音を立ててさいころのように転がる。
その陰に、赤毛のメイドが立っている。
「しつこい男は嫌われるものだ」
「いいかげん逃げるのを止めて下されば、我々もこのようなくだらない任務に就く必要はないのですが。ねぇ、"神眼"エレナ・ケイファート」
「くだらなければ。やめてしまえ。あのような僭主に従う事はない」
貴族は首を振った。
「あのお方の素晴らしさが分からないとは。そんなんだから野良メイドなんですよ」
ひどい言い草である。
「まぁいいでしょう。さて、付いて来て下さらないというのならば、力ずくでも同行をお願いせねばなりませんが」
「できないことをいうものではない」
放置状態なアルフィは、黙って自称医者と貴族ふたり組の話を聞いていた。
「うう、なんかまた巻き込まれた?」
黙っていなかった。
アルフィは腰に差している剣に触れた。鞘に入り、さらに、文字の書かれた細い布で抜く事ができないように封印されている。
貴族ふたりは抜刀した。
メイド服を着た自称医者は、特に構えもせず、素手のまま、背筋を伸ばして立っていた。
アルフィは首を振りながら、頭をくしゃくしゃと掻いた。そして、腰から鞘を外した。
「お前達、ちょっと待て。まぁ、待て。ちと待て」
「なんだ。邪魔するな」
「理由は知ったこっちゃ無いけど、女性に手を挙げるな。屑め」
「何を言うか、ごろつき風情が」
貴族の一人が怒鳴った。
「怒るぐらいの理性は有るようだな。とりあえずだ。そこなメイドに手を出すのなら」
「医者だ愚か者」
即突っ込みが入った。しかも愚かもの呼ばわりらしい。
「……そこの口の悪いメイド服に手を出すなら、俺を倒してからにしろ」
アルフィは鞘に入ったままの剣を正面に構えた。
「メイドじゃないと言っている……」
自称医者の呟きは無視。
「なんだその剣は。抜かぬのか」
貴族は、鞘に入ったままの剣を見て言った。
「それとも、飾りか?」
「これで十分。かかってこい」
アルフィは左手で手招きをした。
「舐めるな、ガキ」
貴族は間合いを詰めると、上段から剣を振り下ろした。
「遅い」
アルフィの鞘の上に炎が走る。
流れるような動作で、貴族の剣が降りてくるその下を、炎が泳いだ。弧を描く
燃えるアルフィの鞘が、貴族の右肩を打ち砕いた。
貴族は剣を離して、膝を付いて前に倒れた。
「ああっ、しまった。やりすぎた」
「き、貴様っ。我々にたて突くとっ」
もう一人の貴族が、声を震わせた。
「どうなるのか、あんたの剣で教えてくれるのか?」
アルフィに注意を向けている後ろで、自称医者のメイドのねーちゃんが動いていた。
袖から何かちっちゃい棒状のものを抜くと、流れるように動いて、それを貴族の首に当てた。
見えていたアルフィにも、一瞬、何が起こったか把握できないぐらい無駄に洗練された動作だった。
貴族の人は「えへへへへ」とか、ある意味、宗教的なよくわからないことを言いながら、ぽてっと倒れてしまった。
「なに、したんですか?」
「うむ。少々、興奮しているようだったのでな。鎮静剤を」
「ぶすっと?」
「うむ。ぶすっとな」
お注射してしまいやがりましたかこのメイドは。危ないなぁ。
「もしかして、俺、なにもしなくても大丈夫だったりするですか?」
「気にするな。精神衛生上良く無い」
「むぅ。しまった。また金にならない事をしてしまった……」
「礼を言うぞ。少年」
「言われよう。それじゃぁ、急いでいるんで」
アルフィは踵を返して古着屋に向かおうと。
「まぁ、待ちたまえ」
襟を引っ張られて首が絞まった。
「ぐぇっ。なにするんですかっ」
「年上の話は最後まで聞くものだ。少年は正しい事をした。誇るがいい」
アルフィは、エレナと呼ばれていた、目の前の女性をジト目で見た。
目元まで前髪によって隠れているため、表情が取りづらい。
「で、だ。こっからが本題だが。私は、正直な話。他人に借りを作るのが嫌いだ」
「気にしてませんから。それじゃっ」
「まてというに。それでだ、借りを返させてもらおう。というわけだ」
「ふむ。じゃぁ、お金でいいですよ。俺、なんでも屋っすから。仕事ってことで」
「そうか。金で済ますのは嫌いなんだが……」
エレナはエプロンのポケットに手をやり。
ぽんぽんぽんと叩いて。
「……さて、少年。別の方法を考えてもらおうか」
「落としたな」
「気にするな。さぁ。ほれ。とっとと考えるのだ」
「……このまま黙って帰らせてもらう、というのをお願いしてもいいかな」
「却下」
あっさり却下されてしまった。
アルフィはしばらく考えていたが、やっぱり思い浮かばない。
メルの傷でも見てもらおうかと思ったが、巻き込んでもアレだし。
「すみません。思い付かないし、ちと急いでますので。やっぱり、別の機会ってことで」
「むむう。致し方あるまい。ならば、なにか用があるなら、我が名を呼ぶがいい」
「呼んだら、世界の果てまでも飛んで来てくれるとか?」
「いや、残念ながら声の届く程度までだ」
「……そんな都合よく、近くにいるわけ無いじゃん」
「わからんぞ。たまたま再会したらそれが運命と言う事だろう」
「会わなかったら」
「それまでってことで。我が思うに、いまのうちに、なにか手伝わせたほうがいいと思うぞ、な、ほら」
「いりません」
じゃぁ、そういうことで。とアルフィが行こうとすると。エレナはとぼとぼと下を向いて元来た道を歩き始めた。
「……なにしているんですか?」
「さいふ」
「……貸します?」
「うむ。貸されよう」
なんでこんなに偉そうなんだこのメイドは。と思いながら。アルフィは金貨を財布から出し、メイド服姿の自称医者に指で弾いて渡した。
アルフィは、中には古着や下着が入っている袋を抱えて宿に戻った。
古着屋に行ったら留守だった。戦争の混乱を避けるためにとっとと逃げたのだろう。賢明な判断である。鍵は開いていた。不用心だ。
奥のテーブルの上に金貨を置いて、適当に女物を見繕って持ってきた。
「おかえり。ロリコン」
宿の中では、セリスが床の掃除をしていた。モップでふきふき。
「うむ。旨かったぞ。ちと脂身が少なかったけど」
「食うなよ!」
セリスはモップで床をどんどんと叩いた。
「でまぁ、あったの? 服」
「まかせろ。問題はない」
アルフィは階段に足を掛けた。ふと思い出して、セリスに振り向いた。
「すまんが、宿代つけといてくれ」
「またかよ!」
「いろいろあってな。変なメイドに出会うは。服代かかるは……」
アルフィは肩を竦めて。
「最近ツッコミ上手になってきたな、セリス」
「誰のせいだと」
呆れた声を背中に受け、アルフィは階段を上がった。
部屋に戻ると、メルがベッドの上で毛布に包まっていた。
「どうした。寒そうだな」
「寒いんだよぅ。着るもの無いから」
アルフィは持っていた袋から服を出すと、メルが乗っているベッドの上に並べた。
「サイズわからないから、適当に見当つけてきたぞ」
「うう。ありがとうだよ」
メルは身体を包んでいる毛布の前を開けて、手を伸ばした。
包帯にくるまれた肌が見える。腰の当たりに白い布が見えた。
メルは青いワンピースを手に取った。そして、座ったまま、アルフィをじーっと見上げた。
「どうした。もっと布の面積の少ないほうが良かったか?」
「着替えたいんだけど……」
「気にするな。少なくても俺は気にしない」
「わたしが気にするんだよぅ」
「なにをいまさら」
「うう。ひどいよ」
アルフィはにやりと笑うと。
「まぁ、どうしてもというなら、出ていってやらんこともないけど。
いいかげんからかうのをやめて、アルフィは廊下に出ようと扉をぐいっと開けた。
扉になにかぶつかった。
「ぐおっ」
その向こうから悲鳴というかうなりごえが聞こえた。
廊下を覗き込むと、赤毛のメイドさんが頭部のフリルの上を押さえてうずくまっていた。
「……なにをしているんだ?」
「うう、奇遇だなぁ」
目元まで赤毛で隠れている。が、なんか涙目になっているような気がする雰囲気だ。先ほどであったばかりのエレナだ。
世界は狭いらしい。いやんなぐらい。
「奇遇ってより、うぐぅ、って言うような気もしますが」
「……よくわからないが。まぁいい」
「で、なにか用ですか?」
「うむ、下で奥さんに『上に怪我人がいる』と聞いてな」
そういえば自称医者だったような気が。
「あれ未婚ですよ。奥さんじゃなく」
「じゃぁ娘さんだ」
そういえばこの人独身なんだろうなぁ。旦那いてこんなことしているわけじゃないよな。
「思いっきり失礼な事考えていないか?」
前髪越しで見えないのににらまれているような圧迫感を感じる。
表情が見えないのに、表情豊かな変わった人だ。
「早めに結婚して落ち着いた生活したほうが……」
「余計なお世話だ。ええいっ、そんなことより怪我人はどこにいる」
扉を開け、自称医者を中に入れる。
ベッドの上では、背中に毛布を掛け、胸に青いワンピースを抱いた少女が座っている。
エレナは彼女をみると。
「少年、性的嗜好は個人の趣味だが。実行に移すのは、人間としていかがなものかと思う」
「さて、お茶でも飲んでくるか」
しれっと扉から出ようとすると、後ろから襟首を掴まれた。
「ぐえっ」
「ひとのツッコミは最後まで聞くものだぞ」
エレナ。それはボケだ。
「むっ。メル様ではありませぬか。お久しぶりでございます」
「えっ。先生? なんでここに?」
メルが驚いた。
「知り合いなのか?」
アルフィが尋ねた。なんか世界ってますます狭いぞ。
「うん、先生は王宮にいたの」
「医者として?」
「うん、メイドじゃないよ」
「いやいや、わざわざ強調しなくても」
やっぱりメイドにしか見えないんだろうなぁ。
とか思っていると、エレナはメルの前に膝を付いた。
「怪我したのはどこだ。見せてみろ」
「うう、恥ずかしいよぅ」
こいつは、誰に対してもこんなことを言っているのやら。
「女同士だろう? 気にすることはないぞ」
とか考えていたら、メルとエレナ、ふたりともこっちをみている。
「出てってよぅ」
「出て行きたまえ。それともなにかね。少年は治療行為を見て性的興奮を覚えるタイプかね」
そんな奴がいるとは思えないが、突っ込むのも疲れるので部屋から出た。
ぱたんと扉を閉める。
「むぅ、ひどいなこれ。傷のこるぞさすがにこんな治療じゃ……まぁ素人じゃしょうがないんだが」
「ううぅ」
廊下にまで声が聞こえてくる。客は他にいなく、町中も静寂に包まれているので音が良く通る。
壁薄いし。
「まぁ安心しろ。こう見えても名医だ、私は」
「大丈夫?」
「任せろ。治癒魔法で一発だ」
アルフィは階段を降りた。
……治癒魔法は名医かどうかと関係が無いのは気のせいだろうか?
階下に降りると、セリスが声を掛けてきた。
「そうそう。アルフィ。つけ、払ってよ。せめて、払える分だけでも」
「すまん、ない」
セリスがジト目でアルフィを見た。
「……服代で飛んだり変なメイドに貸したりして大変なんだよ」
「……知り合いなの?」
いかん。いらん事を言ってしまった。
「いやこうあれだ。兵士に絡まれているのを助けたら、『さいふおとした』ってたかられた」
セリスのジト目がますます細くなる。
信用されてないか? もしかして。
「アルフィって変な人引き付けるよね。よく」
「余計なお世話だ」
つけで牛乳を貰おうとしたら、「ない」と断られた。仕方が無いので水を飲む。水の素晴らしいことは無料であることだ。
しばらくしてから上に戻った。
「入るで〜」
青いワンピースを着たメルがちょこんとベッドの上に座っていた。ルビーのペンダントが胸元に光っている。
その側にあるテーブルには、血がぬっとり付いた、包帯代わりにアルフィが巻いた布が置かれていた。
少女の前に立っていたエレナいわく。
「傷は塞いだ。痕は残らないはずだ。ダメージそのものは抜けてないのでできれば数日ゆっくりしろ」
「なぜ俺に言う」
そういうと、エレナは意外そうな顔をして。
「保護者じゃないのか?」
「保護者って言うより、被害者?」
「疑問形でいわれても困る。うん。まぁあれだ。できるだけ気をつけてやれ。そうも言っていられないだろうが」
エレナはアルフィの肩をぽんと叩いた。
「というわけでだ。治療費」
「金とるのかよ!」
「当たり前だ。これでも名医だからな」
「うう。いくらだよ?」
「金貨10枚」
アルフィはこけた。
「治癒魔法ひとつに、そんなに取るのか。えーい、この、ぼったくりメイドめ」
「メイドではない。よくわからんが。名医というものは高い金を取るものではないのか?」
名医かどうかはまったく関係が無いと思う。
「違う、絶対違う」
「そうか。まぁ、気にするな」
気になるわ!
「それよりあれだ。本人に請求しろよ」
「うむ、それはあれだ。そのような手段も考慮しなかったわけではないが」
エレナはメルを見ると。
「姫。現金はお持ちで?」
メルは首を振った。
「文無しかよ」
「そのような些末なことは、侍女が行なうからな。金なんか持っているようではとても一国の王女とはいえまい」
自分の台詞に納得するかのように、エレナは肯く。
「そういうわけだ。理解したか?」
「できねぇよ! だいたいなんで俺が払うんだよ」
エレナはあごに手を当てると。
「そうだな。これで借りをひとつ返したってことで」
話聞いてないし。
「うん。これがいい。少年も医療費踏み倒して幸せだし、私も借りが返せて満足だ」
借りの押し売りをしている人がここにいます。
「そういうわけだ。気に病む事はないぞ。少年」
「あんまり少年少年言わないでくださいよ」
「わかった、少年」
わかってねぇよ。
「ところで少年。気がついた……」
「少年とゆーなとゆーとるに」
「ふむ。すまない。少年の名前を、まだ聞いておらぬ。名乗るがよい」
「アルフィ」
「了解した。ところでアルフィ。気がついているか?」
ほえ?
「なにが?」
「囲まれているぞ。降伏する気が無いならとっとと逃げたほうがいいと思うが。余計な世話だったかな」
いきなり変な事をいいだした自称医者をきょとんと見ていると、彼女は窓を指差した。
「嘘だと思うならそこから覗いてみるがいい。こっそりとな」
アルフィは窓から外を無雑作に見た。
兵士が宿を囲んでいる。見える範囲だけで十人を超える。
正面入り口の前に、メルを追いかけていた貴族がいた。
その横に、黒いローブを頭からかぶっている人影がある。
見つかる前に、慌ててアルフィは引っ込んだ。
「どうしてわかったんだ?」
エレナに尋ねると。
「いや。なんというか。普通わかるもんじゃないのか」
「わかんねーよ」
とりあえず小声で突っ込んでみる。
下から、若くて元気な声が聞こえてくる。
「ここの主人はいるか」
メルの身体がぴくりと震えた。
奥歯をぐっとか噛み、アルフィをきっと見据えると、口を開いた。
「お願いがあるの。私を引き渡し」
アルフィは、メルの口もをと手で押さえた。
暖かい吐息が手のひらに当たる。
やわらかい頬が、指を押し返す。
メルの目を見て微笑むと、続けて首を振った。
「無理する事はない。ガキなんだから」
「子供じゃないよぅ」
「もうちょっと大きくなってから主張するものだ」
慎ましい胸の膨らみに視線を向けられて、メルは頬を膨らませた。
「うう、ひどいよ」
「時間ないな。さて、どうしたものか。自称姫様」
「うう。これ以上巻き込めないよ」
「もう手後れだ。気にするな」
アルフィはメルの頭のてっぺんを、手のひらで叩いた。
「俺が護ってやるから」
やわらかく光る金髪を、ゆっくり撫でる。
「えっ」
「慰謝料の貰いはぐれは嫌だからな」
アルフィはメルに背を向けた。
「ああ、あと報酬は慰謝料と一緒に請求するから」
「うう、わざとじゃないのに」
わざとかどうかはもちろん関係が無い。
アルフィはエレナに話を向けた。
「頼みがある。メルと一緒に逃げてくれないか?」
「それは、あれか?『先ほどの金貨一枚の借りを返せ』と。そう解釈していいのか」
「金貨で命を懸けろとは言えん。さすがに。ただ、逃げるならこの自称王女もいっしょにと。駄目か?」
「よかろう。我らのことは気にするな。自分ともう一人ぐらいなんとでもなる」
「いえ、まったく心配してません」
アルフィがきっぱりいうと、エレナは露骨にため息を吐いた。
「ああ、あのときの純真な成年はどこへ消えたのか」
「ちょっとのあいだに、すっかり染まってしまったようですね」
「すっかりエロ少年に」
「……俺にも選ぶ権利はあると思うんだが」
アルフィは頭をかいた。
「というわけで、頼まぁ」
「頼まれよう。死なんかぎり無理矢理にでも治療してやる。あとで。金取るけどな」
取るんかい。
「うう。怪我しないでね」
むちゃ言う自称姫様だ。
アルフィは腰から鞘ごと剣を外すと、それを右手に持って部屋を出た。
二階の廊下の端ににある、階段を半分ぐらい降りると、階下の酒場兼食堂が見える。
いつもは丸テーブルが順序良く並んでいる広いスペースに、皮鎧を着た兵士達と、先ほどメルを追いかけていた貴族がいた。
テーブルは蹴り倒されたのか側に転がっている。
兵士の一人は、ここの主であるセリスの首根っこを掴んで釣り上げている。
貴族はそれを無表情に見つめていたが、足音に気が付いたのか、アルフィを見上げた。
「やはりここにいたか」
貴族はつぶやいた。
「何している! 手を放せ。屑め」
アルフィはセリスの首を掴んでいる男に怒鳴った。
「なんだ、お前、この女の男か?」
男は下品な笑いを浮かべた。
「ちと、国王の兵士である俺様に、非協力的だったんでな」
男は手を放した。セリスはカウンターによりかかるようにずるずると倒れ込んだ。ボタンの飛んだ上着の前がはだけ、胸が露出する。
セリスは咳き込む。
「とっとと喋ればいいものを。もうちょっと黙っていれば気持ちいいことでもしてやった」
言葉の最後まで聞きもせず、アルフィは鞘に包まれた剣を手に下げ、階段から男めがけて跳躍した。
男の顔面に飛び蹴りを食らわすと、そのまま着地。
「ふごがばっ」
男は蹴り飛ばされてそのまま動かない。気絶したか。
兵士達はぽかーんと口を開けて無茶をしたアルフィを見ている。
アルフィはマントを外すと、胸元が露出しているセリスに掛けた。
「ちーと、待ってろ」
貴族の男に剣を向ける。
「全員、ぶちのめす!」
「てめぇ。よくもゲハイトを!」
宣言に、弾かれたように男達が動き出す。
上段に剣を構えて兵士が迫ってくる。
「手加減しねぇっ」
アルフィは柄に力を込めた。
鞘の上から、炎に包まれる。
横薙ぎに払うと、兵士の皮鎧の上からずん、とメイスで叩いたような衝撃音がした。
男の体が宙に浮き、壁まで飛んでめきょっ、と音を立てた。
「全員で掛かれっ」
誰かが叫んだ。
「貴様らごとき人間の屑に俺が倒せるかっ」
アルフィも吠えた。
大振りになって左右正面から振るわれる剣を、避け、弾き、斬られる前にぶったたく。
炎の剣をぶんぶんと振り回して大暴れ。
男達とどつき合っているあいだも、例の貴族はだまって静かな目でアルフィを見ていた。
「うざってぇ」
ふたりがかりでデタラメに斬ってこられるのを軽快に避けながら、横薙ぎに剣を振るう。
斬撃と爆発で、一人吹き飛ぶ。それに横の兵士が巻き込まれて一緒に転ぶ。
「続けるか?」
半分ぐらい倒れたところで、兵士達の動きが止まった。
ようやく、目の前の人物が自分達の手におえる物ではないという事が分かったようだ。
「なかなかの腕だな」
貴族は言った。
「こいつらが弱すぎるだけだ」
「だが、その程度では俺には勝てん」
そういうと剣を抜いた。
「いや、勝負は時の運だし」
「名を聞こうか。死んでからでは名乗れまい」
「アルフィだ」
「ケイン・ベルケイト。参る」
宿屋の裏では、一組の女性達が兵士に囲まれていた。
「ふへへっ。姫様は生きて連れてこい、と言われたが。別に、他の奴はどうしろ、という指示はなかったよな」
兵士の一人はそう言った。
それに続けて、教育上あまりよろしくない妄想を語っていたが、エレナはメルの耳を後ろから塞いで聞き流していた。
「……少しは恐がるとか嫌がるとかしてもらわないと」
「放置プレイの精神だ。気にするな」
目元まで赤毛を伸ばしているメイド服の女性はあっさり流した。
「うう、いつまでこうしていればいいの?」
青いドレスを着たメルは、エレナに耳を塞がれてじたじたしていた。
「はいはい。教育上よろしくないから黙ってなさい」
エレナがそんなことを言ってもメルには聞こえないわけだが。
「とっととやってしまいましょう」
別の兵士が声を掛けた。
胸の大きい女性は性的反応が悪いが、それは俺の持っている薬品でどうにでもなるとか続けて語ったが。
エレナは首を傾けて。
「薬に頼らないと駄目なんですか?」
ぼそりと言った。聞き流しているようでいて妙にチェックがきつい。
「ぐっ。ええいっ。みんなやってしまえ」
痛いところをつかれたのか、力押しで何とかする気らしい。
兵士達が剣やら槍やらを構えてじりじり近寄る。
エレナはメルの耳を塞いでいた手を放すと、腰を掴んだ。
軽々と肩まで持ち上げた。
「うわっと」
「姫様、申し訳ございませんが少々のあいだ」
慌てて暴れるが全く気にせず、一歩踏み出してぽいっとメルを空中に放り投げた。
「飛んでいて下さいませ〜」
エレナの細い身体に、どこにそんな筋肉があるのかわからない。ぽいっと投げられた王女様は、軽々と姫の身長の倍ぐらいの高度まで達する。
「先に言ってよ〜。ぐぅ」
メルの背中に光が集まる。
青いドレスを貫いて、光の翼が広がる。翼が風を受けるように、メルはふわふわ漂っていた。
「姫、己の力では高度が上がらないではありませんか」
兵士達は光の羽根をもつ姫を見上げていた。
ふわふわと漂いながら、ゆっくりと風に乗って流れていく。
「いかんっ。逃げられるぞ」
兵士の一人が叫んだ。
エレナは手首の裾から注射器を抜くと、気配を消してそっと動いた。
最後の一人の、やみくもに突いてこられた槍を軽く躱して、彼の首に睡眠薬を叩き込んだ後。
「もう、降りて来て結構でございます」
「……暗殺者に成れるね、先生」
「放っておいて下さいませ」
メルが羽を畳んで降下してきた。
「自力で飛べるといいんだろうけどね」
メルはエレナの前に降りた。
にっこりわらってエレナの顔を見上げると。
「どうしたの。先生」
エレナは表情を硬くしていた。
「いけません。もしかしてこっちが本命でしたか……優先順位からすると妥当でしょうね」
エレナはくるりと振り向いた。
屋敷の裏側から、黒ローブの人影がやってきた。さきほどアルフィが上から外を覗いた時に、あの貴族の隣にいた怪しい人物である。
「姫。姫の仕事は、何だか理解しておられますか?」
「え?」
「逃げる事でございますよ」
エレナは黒ローブを見やり、身体の力を抜いた。
戦闘態勢だ。
アルフィと騎士ケインは五歩ほどの間をとって対峙している。
兵士達の半分が脅えながら二人を囲む。
残り半分は床でうめいているか気絶。
アルフィの後ろでは、マントを胸に抱いたセリスが床に座り込んでいる。
アルフィは構えた、鞘のままの剣に力を込めた。
鞘の上から、炎が走る。
「くらいやがれっ」
掛け声とともに、上段から剣を振り下ろす。
ケインは剣を頭上に掲げ、それを受け止めた。
力任せに押しきろうとするが、巨木でも素手で殴っているかのように、全く動かない。
「この程度か?」
二つの剣が離れる。
アルフィは続けて、左右に剣を振ったが、すべて受けられた。
右から横薙ぎにする。
と、見せかけて。再び頭上から全力で斬り込んだ。
ケインは剣を受けると、つい、と剣を傾けた。
力がずらされ、それに引っ張られるように身体が流れる。
ケインは剣を払い、横薙ぎに斬った。
剣が明後日の方向に行っている。
引き戻す暇はない。
アルフィは地面を蹴り、身体が流れるまま、右に飛んだ。
アルフィの上着が裂けた。
一瞬遅れて、血が直線状に染み出しはじめた。
ケインは剣を止めた。
「降伏しろ、悪いようにはしない」
「やなこった」
アルフィは火球を左手に作ると、それをケインにぶん投げた。
ケインは剣で払った。
火球が爆ぜた。
爆風をスクリーンに、飛び掛かるようにケインに斬りかかった。
ぶん、と勢い良く振り回した。
炎が消えた。鞘に入ったままの剣は空振り。
先ほどから二歩、横に歩いたところに、ケインはいた。
「来るならせめて、全力で来い」
ケインの斬撃を、体をひねって何とか受け流す。
しかし無理をして体勢が崩れた。
ケインの連斬は、その軌跡をなんとか剣で払いつづけるのがやっとだ。
二歩、三歩と後退。
と、足に何かが引っ掛かった。
「おっ?」
くらりと体が崩れる。足元には先ほど階段から飛び蹴りを決めた兵士が転がっていた。
ふんばろうと足を下げようとしても、身体に引っかかるわけで。
ケインの斬撃が迫る。
尻餅を突いて転ぶ。その上を、ケインの剣が通過。髪の毛を数本刈り取る。
「これで終わりだ」
アルフィは剣を握り締めようと。
ない。
「あれ?」
こけたときに離したらしい。
ケインは剣を上段に構え、アルフィの頭をすいかのようにかち割ろうとしていた。
アルフィは手探りで剣を探す。
冷たい感触。つるつるしているガラスの触感。
酒びん?
アルフィはそれをケインの顔めがけて投げた。
ケインの剣が振り下ろされる。
酒びんは、ケインの剣に当たって砕けた。
中から赤ワインが飛び散る。運動量そのままでケインの顔に。
それがケインの目に入った。
ケインの剣は、アルフィの側頭部をかすめると、アルフィの左肩を割った。
衝撃で呼吸が止まる。
アルフィは、ケインの足を掴むと痛みをがまんがまんがまんがまん。
足を掴んだまま両手で立ち上がる。気合いだ気合い。両手で掴んだはずだが、右手の感触しかない。
ケインは転倒。顔を左右に振っている。
アルフィは、カウンターの上に置いてある、花瓶を手に取った。
水が入って重い。
それをケインの顔面に叩き付けた。
ケインの動きが止まった。
アルフィは、左腕をだらりとさせ、兵士達を睨み付けた。
「まだやるのか?」
兵士達は残っている奴等を見捨てて、慌てて宿から逃げていった。
ぜーぜーいいながら、アルフィは剣を拾った。
「アルフィ。ちょっと待ちなさいっ」
セリスは、折れた椅子の足をアルフィの左肩に当てた。そして、テーブルクロスを破って包帯にして、赤く染まった肩を服の上からぐるぐる巻いて固定した。
「これでよし」
「止めないの?」
「止めたら行かないの? 行くんでしょ。止めたって、また。黙ってとっとと行く!」
セリスはアルフィを宿の外に突き出した。
エレナは黒ローブ姿の男を見やり、身体の力を抜いて立っていた。メルを庇うように前に立っている。
構えは取らない。紺のスカートの側に、手を当てている。
「お久しぶり、ですね。"神眼"」
黒ローブはそう言った。
エレナにも、そしてメルにも聞き覚えがある。
「アルフレド? なんでここに?」
王女が疑問を投げる。
アルフレド・バーミル。クーデター前から僭主ベンクルスに仕えていた。今現在、ベンクルスの元で働いているというのは(道義的にはさておき)不自然ではないが。
彼は文官である。
エレナの記憶では、ベンクルスの個人的な蔵書を管理していたはずだ。助言者でもあったと思う。
最前線に出て肉体労働するタイプではない。はっきり行って邪魔だ。
「ど、どうして、あなたまで」
姫が叫んだ。
「ふっ。殿下を捕まえるのは、あの騎士ひとりでは心もとないということです」
「えーとあのその。こっち側に付かない?」
黒ローブの被り物の部分が、左右に揺れた。
「さすがにこう、説得としてはひどすぎないか?」
エレナのツッコミは容赦ない。
「ううぅ」
「"神眼"よ。なかなかの腕前ですね。さすが、最強メイドと呼ばれるガルディアの魔女のひとり、といったところですか」
ローブの男はそう言った。
エレナは頬をぴくりとさせた。が、表情が赤い前髪に隠れて良く見えない。
ガルディアというのは十年ぐらい前に滅んだ国の名である。西大陸の南の砂漠にある。
「まじょゆーな、魔女と。こんなか弱い女性を捕まえてひどいことを言うものだ」
男はにやりと笑うと。
「しかしここまでです。私が陛下からお預かりした力をお見せしましょう」
ローブから腕を出して、両腕を掲げた。
「来れ、死の軍団よ」
石畳が揺れた。
複数の場所で下から何かが盛り上がり、石畳を突き破って姿を現した。
「きゃっ。なにこれ。なんで」
メルが喚いている。
それは人の形をしていた。土気色に澱んだ肌に、腐りかけた眼球。突き刺すように伸びた爪に。大きく開かれた口から覗く牙。
ちらり見回すと、メルとエレナをぐるりと囲むように二十体ぐらいの死者がいた。
「死霊術に魂を売ってまで、何がしたいのやら」
「高貴なるものの考えは愚民には分からないのですよ」
「貴殿も知らぬのか。愚民とやららしいな」
「うるさい。姫をお渡ししてくだされば。エレナ、あなただけは見逃しても構いませんよ」
「私がそういう人間に見えるか?」
「王女はあなたの主ではありませんよ」
「……まーそーなんだが。ええい、世の中には義理と人情というのが有るのだ」
「致し方ありませんな。あなたも死体の仲間入りをするがいい」
「ちょっと待って」
エレナはアルフレドに指を突きつけた。
「提案がある」
「なんですか?」
「……一対一で正々堂々と」
「駄目です」
あっさり却下されてしまった。
二十たす一(黒ローブ)対、一まいなす一(足手まとい)。
逃げ場無し。
「うう、なんでこんなにいっぱい、石畳の下に遺体が埋まってるのよう」
その、足手まといの声にエレナは振り向くと、無言で首を振った。
「細かい事を突っ込むと危険だからやめれ」
「うう」
大人の事情らしい。
実際には、死体の兵士を召喚する魔法である。べつに死体を埋めてその上に石畳を敷くとかいうひどい事をしていたわけではなかったりするが。
ローブの男はぴくりとしたが黙殺した。
「やってしまいなさい」
「問答無用ですか。ひどいものだ」
ゾンビたちが、見た目のぼろさかげんが嘘のように俊敏に飛び掛かってくる。
エレナはメイド服のスカートの裾をめくった。
白いエプロンの下にある紺のプリーツスカートの中に手を突っ込み、何かを掴んだ。
そして引き抜く。
一振りの剣が現れた。刀身には、細かい模様が刻まれている。増幅具と呼ばれるものだ。
刀身が青く光る。
エレナめがけて襲ってきたゾンビを三体、まとめて叩き切った。
ゾンビ達は胴体真っ二つで石畳に転がった。
続けて、襲い掛かってくるゾンビを振り払うようにぶんぶん振り回す。
「"神眼"よ。なぜいまさら関わろうとするのか」
アルフレドはそう呟いた。
「えーいうるさい気が散る黙れ」
あんたが一番うるさい。
「きゃっ」
背後からメルの悲鳴が聞こえる。
メルのまわりに、五体のゾンビが集まり、みんなで担ぎ上げた。
高く掲げられた腕の上にちょこんと青いドレス姿が転がっている。
姫を助けたエレナが向かおうとすると、背後からゾンビが腕を振ってくる。
「邪魔っ」
振り向きざまに剣を振るう。メルを担ぎ上げだゾンビが、ちぎれた肘から先をメルにくっ付けたまま身体が吹っ飛ぶ。
メルは光の翼を背中から展開して、体をひねり軟着陸。
「あーもう、きりがない」
アルフレドの男の声が聞こえた。
「いくらやっても無駄ですよ。いくら倒しても何度でも甦りますから」
男のいうことは本当だった。
先ほどエレナがまとめて千切り飛ばしたゾンビたちの肉塊が動き出した。
千切れた身体が互いに呼び合うようにうごめき、くっつき、再びエレナに襲い掛かった。
左右長さが違う足でぐらぐら体を揺らしながら走り、二本とも右腕な両腕をぶんぶん振り回す。
左側の腕の軌道がわけわかんない。
「あー。もう、いいかげんにしたまえっ!」
エレナは叫びながら剣を振った。衝撃波であたりのゾンビ達を跳ね飛ばして。
そして、剣をスカートの中に戻した。
「おや、降参ですか? いまさら」
エレナはフリルの付いた髪留めを外した。
「本気出しますよ、ちょっとだけ」
本気なのか本気じゃないのかはっきりしなさい。
それをおでこに当てると、前髪を押し上げるように頭のてっぺんにまで上げた。
いつもは隠れている顔が露になる。
右目が真っ赤だ。青い左目と対称的に。
「この、"神眼"。とくと味わえ」
「剣を捨てて、何になるというんです?」
男の声に続いて、起き上がったゾンビたちが襲い掛かってくる。
「だいたい、あなたの魔眼は治療用だ。戦闘にどう使うというのです」
アルフレドの言う通りだ。
エレナの魔眼、"心眼"は病気とか怪我とかの、弱っているところを見つけ出す能力だ。
エレナは声を無視して、袖から注射器を取り出した。
「またそれですか。ゾンビに睡眠薬なんか効くわけが無い」
「いや、やってみないとわからないぞ」
続けて、透明な筒を袖から取り出した。注射器より一回りほど小さく、中になみなみと透明な液体が入っている。
注射器の筒に触れると、上部が開いた。中から透明な筒を取り出し、さきほど取り出した筒と入れ替える。
外した筒は袖に戻す。
ゾンビが、爪をエレナに振るう。
エレナの右目が、赤く光る。
エレナは軽く肩を傾けて避けると、ゾンビの首筋にぴたりと注射器を当てた。
ゾンビはふらりと前に倒れた。
「な、な、あんですとー?」
アルベルトは口をあんぐり。
「ほら、試す価値はあったぞ」
あとは先ほどの兵士達との戦いの再現だった。
体術でゾンビに勝るエレナは、爪から噛み付きなどを避けて避けて捌きながら首筋に注射器を当てまくった。
すると、ゾンビは嘘のようにばったり倒れて動かなくなる。
最後の一体を注射で倒してから、エレナは赤い目を黒ローブに向けた。
「まぁ、こんなもんだ」
「な、な、なんて無茶苦茶な」
エレナの足元には、倒れて動かなくなった死体が転がっている。
普通の場合、死体は動かないが。
「すごいよ先生。ゾンビ用の薬でも持ってたの?」
「いいえ姫。そんなものがある訳が無いでございますわよ。ゾンビには代謝が無いから薬は効くわけがないのでございます。はい」
「うう、婉曲的に責められてるぅ」
「これは、聖水なのでございます。ミトフェムの聖女様に聖別していただきました。どっかの姫様と違って奇跡使えるし」
「うううぅ。今度は直接的だよぅ」
「で、これを被ると邪悪な存在は動けなくなってしまうのよ」
「えーと。じゃぁ、バケツでぶっかければいいんじゃないの?」
「高いのよ」
即答された。
普通の人はバケツでぶっ掛けるという発想はしませんが。
「量が足りないので、ちまちま脊椎のあたりに叩き込んでね」
「そんなんで大丈夫なの?」
「魔術的なラインは残っているから、その部分が聖水で機能停止すると行動できなくなるのよね。麻酔されたみたいに」
ゾンビ達は、破壊に対して再生するように作られてはいるようだが、一部の機能停止に対しては対応できないらしい。
これは、対応するように作られていないのか、それとも聖水を無力化できないのかはわからないが。
「どこに打てばいいのかは、これで一目瞭然だし」
エレナは再び、その赤い魔眼を黒ローブに向けた。
「さて。これで終わりかしら?」
アルフレドは黒いローブをぱらりと脱ぎさった。
「ぬ?」
エレナは油断なく男を見ていた。
ひょろりとした体で、頭脳労働系に見える。細い手足で、あまり重いものとか持たなくて良い生活だったんだろうなぁとか思う。
「あんまり、肉体労働はしたくないものなんですがね」
そういうと、アルフレドの身体が急に消えた。
アルフレドはエレナの左側に現れると、エレナに殴り掛かった。
エレナは左腕を上げて拳を受け止め、顔を守る。
腕の上から、アルフレドの拳がめり込む。
重いメイスでぶん殴ったような衝撃が、腕を通り越して頭を揺さぶる。
アルフレドの腕が、鍛え上げられた格闘家の腕のように膨れ上がっている。肥大しすぎて長袖の内側から布を裂き破った腕の表面に、ぶっとい血管が浮き出ている。
エレナの体が浮きあがった。
エレナは空中でバランスを取ると三歩ほど下がったところに着地した。痺れた腕を振りながら、右手に下げた剣を構え直す。
「汝自身まで売ってしまったの」
頭がくらくらする。それを見せずに、エレナは言葉を続けた。
「人間じゃないものになってまで、いったい何をするつもりなの?」
「心外だなぁ。"神眼"。人の枠から、足を半分踏み外した君たち魔女に言われるなんて」
アルベルトの牙は獣のように尖っていた。
「自ら望んで吸血鬼に言われる筋合いはない」
「つれないなぁ。僕は君のためにこうなったのに」
エレナは眉をぴくりとさせた。
「きみのため、というのはちょっと表現が不正確かな。君たちのような化け物じみた戦士やら暗殺者に対抗するには、ちょっと僕も化け物になるしかなかったんだよ。たとえばこう、これから来るであろう神殿の腕利き捜査官とかね」
「そこまで、するか」
「する」
男は断言した。
「した分の価値はあるさ。たとえば」
ふたたび、アルベルトの姿が掻き消えた。
化け物になった筋力を使って、目が追いつけないぐらいの速さで走っただけだが。
「君には、僕は倒せない」
アルベルトが再び。エレナの左側に現れた。
エレナは剣を握って左足を下げる。
剣が魔力を帯びて青く光る。
アルベルトの化け物じみた右ストレートを、剣で叩き斬る。
拳が砕け、血が飛び散る。
「あまり舐めた事をいうものではない。素人が」
アルベルトは自らの拳を見ている。
「そうかな?」
まるごと拳から先が飛んだ手首の、切断面が潰れた傷口から肉が盛り上がる。
それは手の形を取ると、骨、肌、体毛、爪、手のひらの皺までを即座に再生した。
「君には僕が殺せない。つまり、どうやっても僕を倒せない」
メルの目の前で、エレナとアルベルトは無様な舞踏を繰り広げていた。
剣技を極めると美しく見えるといいますが、なんというかそれとは無縁の世界だ。
アルベルトが人間の限界を超えた身体能力だけでぶんぶん腕を振り回しているのを、エレナが体術で躱しつつ剣の一撃を叩き込んでいる。
アルベルトがエレナに殴り掛かった。
エレナはそれを下がって躱すと、振り切った腕を押してさらにアルベルトの身体を流れさせる。
そこに、青く輝く増幅具の一撃。胴体から真っ二つに千切れ飛んだが、それは即座に再生を開始する。
「効かないよよ。その程度じゃ」
「うう。もう、いいかげんにしなさいよ」
あまり子供に見せたくはない光景だ。
エレナのメイド服は所々裂けてぼろぼろになっている。
聖別された糸で織った布で作られている、高位の神官の法衣と同一素材でできている、俗に言う「本物のメイド服」だ。鎧としては最高の品質を誇る。通常の刃や矢は軽く止め、増幅具の一撃ですら断ち切る事はできない(衝撃は通る、さすがに)メイド服ではあるが、それがアルベルトの素手で裂けている。
とんでもない威力だ。
「……あんまりすごそうに見えないのは気のせいかなぁ」
メルは思った。
並みの人間では早すぎて見えないパンチだ。エレナはなんとか躱していたが、それでも限界はある。
ふたたび向かってきたアルベルトを斬ろうとして。
剣が空を薙いだ。
「霧?」
ねっとりとした空気。それがエレナの肩口を通ると、背後で固まった。
アルベルトの顔に。
「先生、危ないっ!」
と、メルが叫んだ時には既に、エレナの首にアルベルトが噛み付いていた。
エレナは放心したように動かない。
首筋に牙を突き立てられたまま、立っていた。
アルベルトが口を離すと、前に手を付いて倒れた。剣が転がる。
アルベルトは赤い唾を吐いた。そして振り向き、メルに向かって言った。
「まずい」
メルは目の前の光景に凍り付いてこおりついてかき氷。
「……ほえ?」
目を真ん丸くして、素っ頓狂な声を上げた。
「まずいというな。しつれいな」
エレナは上体を起こした。
「なにを食べているんだ一体きみは。こんなどろどろとした血液初めてだ」
「けつえきってーのは、どろどろしてないと危険なんだが」
「たとえだたとえ。普通の血をトマトジュースに喩えるとあなたのはどろり濃厚」
「わけわかんねー」
全員錯乱しているようです。
エレナは剣を杖代わりに地面に突いて立ち上がると。
ふらふらよこに転びそうになりながらあさっての方向に動いている。
顔が赤い。
酔っ払っているようにも見える。
「まーいいや。さて、姫。邪魔物もいなくなったことですし」
「ほえっ」
メルは踵を返して。
「逃げようっても駄目です」
アルベルトがメルに近寄る。
「ひ、姫に寄るな」
アルベルトはエレナの前に走った。
エレナの斬撃を霧化して躱す。剣先に先ほどまでの威力が無い。
そしてエレナの顔面を殴打する。
エレナがぽてっと倒れる。さすがにふらふらでは避けられなかったらしい。
「しばらく眠っていて下さい」
アルベルトはエレナを見下ろした。
「待てっ」
男の声が響いた。
メル達を追いかけに、宿の裏に回ったアルフィの眼前には異様な光景が広がっていた。
石畳が掘り返され、死体が二十対ばかり転がり、ぼろぼろになったメイド服を着たエレナが頬を腫らして気絶。メルと、見た事が無い男が立っていて、あさっての方向に黒い布がうち捨てられている。
「待てっ」
左肩を縛ったアルフィは叫び。
「……いったい何があったの?」
素朴な疑問を口にした。
「うう、いま、そんなこと言ってる場合じゃないよぅ」
アルベルトの姿が霧となって空中に融ける。
アルフィは迷わず体を前に投げ出した。
すぐ後ろをアルベルトの実体化した拳が、風を纏いながら通りすぎる。
アルフィは前転して、その勢いで体を起こす。
アルベルトが再び襲い掛かってくる。
右足を後ろにしてアルフィは立ちあがる。アルベルトの肥大化した右腕と交差するように鞘に入った剣を振り上げて、拳が当たるより先に脇をぶっ叩いた。
鞘を被っている炎が火の粉を上げた。
だか、拳の勢いが止まらない。
不完全ながら、アルフィの顔面に拳が当たった。
衝撃が脳まで通る。
折れた左肩の骨が神経を刺す。
膝が崩れるのを堪える。
燃える剣を右脇の下に食らい、衝撃で背後に跳ねたアルベルトを追いかけて、空中で左肩に一撃叩き込む。
アルベルトは背中から倒れ込んだ。
右上腕と左肩を叩き折ったはずだが。
「効かないよ。たとえ、どんな一撃だったとしてもね」
ごきごきごきと骨が鳴る。不自然に曲がった骨が、筋肉の躍動と共に元に戻って行く。
「貴様。人間じゃないっ」
「見ての通りだが」
アルベルトはあっさり受け流した。
アルフィの膝が崩れた。さっきのパンチが意外に効いていたらしい。
「脆いな、人間」
アルフィは倒れた。
「ま、まて」
顔を上げるのがやっとだ。
アルベルトはアルフィを無視し、一人立っているメルにゆっくりと近寄る。
「さぁ。姫。来ていただきましょうか」
メルはずりずり後ずさりする。
アルベルトはメルの腕を取ると。
ごぎり、と嫌な音がした。
「ああああああああああああっ」
メルの悲鳴が響く。
「殺しはしませんが。抵抗なさるなら両手両足折ってでも引きずらせていただきますよ。姫様」
アルベルトが手を放すと、メルは腕をぶらんと下げた。
次第に握られたところが紫に膨れる。極度の圧迫と粉砕骨折による内出血でぼろぼろだ。
アルフィはあの日の事を思い出す。
「俺は」
右手を付く。
左肩が焼けるように痛い。
でもそれが身体を覚醒させてくれる。
上体を起こす。
八年前連れ去られた妹を思い出して。
薄く笑った。
「もう、俺は……」
立ち上がる。
封印のされた、鞘に入ったままの剣を手に持って。
「何度でも言おう、メルから離れろ」
叫んだ。
「おや、まだやろうというのですか? あなたの剣では私は倒せないというのに」
「そんなのは些細な問題だ」
アルフィは、鞘に入ったままの剣を突きつけた。
「メルは俺が守るっ!」
断言してアルフィは突撃する。
アルフィの剣が光った。
鞘を固定していた細い布が、ぱらりと解ける。
剣に沿って鞘が落ちる。
中から現れた刀身は、虹のように七色に輝いている。
「くらいやがれっ」
アルフィは上段に構えて全力で振り下ろす。
アルベルトは笑って、右腕で受け止めた。
力と力がぶつかり合う。
虹の刀身が、アルベルトの手のひらを裂き、そのまま腕を真っ二つに両断した。
肘から剣がぬけた。
「やりますね。しかしこの程度……な?」
アルベルトは慌てた声を上げた。
右腕が再生しない。
慌てて、霧化する。そのすぐ後、アルフィの横薙ぎの剣が霧を泳ぐ。
数歩離れて実体化した。
「な、な。なんですかこれは」
「どうやら家宝らしくてな。神とか悪魔とかをばっさりする剣らしい」
アルフィは律義に答えた。
「人には抜くな。と師匠にいわれていてな。できる事なら使いたくはなかったが」
アルベルトを睨む。
「魂まで堕ちたなら手加減しねぇ」
「ぐっ。し、しかし。当たらなければ意味が無い」
「その通り。だが、当てる」
アルフィは断言。
「個人的には逃げる事を薦めるぞ……こっちはメルが助かればいいんだし」
アルベルトはしばらく考えていたが、きゅっと唇をかみ締めた。
そして、アルフィに向かい、ゆっくりと歩き出した。
覚悟を決めたらしい。
アルフィは剣に力を込める。
負傷と疲労で手の力が抜けてきた。
鼓動を刻むごとに肩が痛む。
アルベルトはアルフィの剣の間合いに入ったが、そのまま進む。
もともと見切れていないのかもしれない。
アルフィは剣を横に振った。
アルベルトは状態を引いてぎりぎりで躱す。
剣の軌道を変え、縦に変える。
円を描くように変化させる。それは一歩踏み出していたアルベルトの腿を断った。
アルベルトがぐらりと倒れる。
アルフィは振りかぶって止めの一撃を放った。
それは宙を薙いだ。ちょうど、そのタイミングでアルベルトは霧化。足をおとりにして躱す気だった。
霧が、一撃を振ってがら空きの胴体を通り過ぎる。
アルフィの左背後で実体化。アルベルトは首筋を狙って噛み付こうと。
アルフィの視界の陰で、むくりと起き上がった影があった。
それは赤毛を振り乱して、立て膝から一気に飛ぶとアルフィの首の脇に紺のドレスに包まれた腕を突き出した。
アルベルトは、エレナの腕に噛み付いた。
「ぐえっ」
よっぽど不味いのか悲鳴を上げる。
「非常に読みやすい動きだ。死角にしか出現しないんだからな」
エレナは顔を赤くして、呼吸を乱している。
かまれた腕に歯形が付いている。魔法で強化されているメイド服を貫通するぐらいの噛む力だ。
エレナは注射器をアルベルトの首に当てると、聖水を脊髄だったところに打ち込んだ。
「あまり効かないようだが、一瞬あれば十分だろう?」
エレナはバックステップで距離を取る。
アルベルトは身体の制御を失って背後に倒れ込もうと。
そこへ、振り向いたアルフィの斬撃が。
虹に輝く剣で、アルベルトの胴体が真っ二つになった。
「こんな……馬鹿な」
アルベルトは上半身だけを地面に横たえた。
まだ喋る事ができるというのが化け物染みているというか化け物なんだが。
「恐るべき剣だ……だが次はこうはいかん」
そう言うと、霧になって消えた。
「逃げたか」
エレナは呟いた。
そして、メルに近づき、ぼろぼろに青黒くなった腕に注射一発。そのあと、治癒魔法を掛けた。
「うう、あとまわしでいいよ。それより」
メルはアルフィを見やる。
「駄目だ。こっちのほうがひどい」
エレナはメルの腕に魔法を掛けた後、アルフィの肩の傷を見た。
「しばらく左腕使うなよ。動かないけどな。治癒魔法とはいえ万能じゃないからな。欠けたオーラは自然回復待たないと駄目だ」
「動くようになったら使っていいのか?」
「戦闘以外ならな」
「それではさらばだ。王女、アルフィ」
エレナは落ちていた自分の剣を拾うと、スカートの中に戻した。
「用事でもあるのか?」
アルフィが尋ねた。
「うむ、こう見えても忙しいのだ」
「暇そうだけど」
メルがぼそりと言った。
「うるさい、姫。というわけで借りは返した。さらば、縁があったらまた会うだろう」
エレナはスカートの裾を上げて一礼すると去っていった。
アルフィは手を挙げて挨拶を返す。
「ありがとう、先生」
メルが背中に声を掛ける。
宿屋の裏庭で、アルフィは馬に荷物とかを括りつけているセリスを見ていた。
主のいない領主の館にいき、そこに留めてあった馬をこっそり借りてきたのだ。
アルフィは右手一本でなんとか荷物を馬に括り付けようとしていたが。
「ああもう、見ていられないわよ」
と、セリスにいわれて荷物を奪われた。
メルと並んで見物中である。
「さぁ、これでよし」
セリスが振り返って二人に告げた。
「うむ、ありがたい」
アルフィはそういうと鐙に足を掛けて、ひょいっと馬に乗った。
「ほら、乗れ」
手を伸ばす。メルが腕を掴むと、引っ張りあげた。
メルはアルフィの前にちょこんと座った。
「それじゃぁ、行ってくるぞ」
アルフィは踵で馬の腹を蹴る。
「つけ、返すまで死ぬんじゃないわよ」
セリスの声を背に受けながら、アルフィは馬を走らせた。