あれから七年が過ぎた……
カイルは眠っていた。
マルディア王国北部のエイケルという街にある自分の部屋だ。交通の要所なので、一件家を借りて自宅にしている。
独りで暮らすにはちと広いが。
んでもって自室である。本棚や机がある程度の実用重視のそっけない部屋だが、机の上に一輪の白いちっちゃい花が飾ってあった。
カーテンから漏れる陽光がほんわかと照らしていた。
そこだけなんか暖かい。
寝返りをひとつ打つ。
「マリア姉ちゃん……」
女王コンは健在らしい。
カイルは既に二十八歳。めぼしい彼女もいなくて周囲の同僚やら部下やらは心配している。
ぐっすり夢の中。無理もない、昨日は幼児誘拐をした反体制宗教組織を急襲して子供たちを救出。後始末して帰って来たのが夜明け直前。
扉が開いて一人の女性が入ってきた。
黒髪のショートヘアの若い女の子だ。短いスカートに太股まで被う長い靴下を履いていた。
カイルと比較すると年の離れた妹といった感じである。
手には手紙が二通。
カーテンをぱっと引くと、室内がいきなり明るくなった。
振り向いて笑ってカイルを見やる。
女性はゆさゆさとカイルを揺すった。
「起きろ〜。師匠」
「うう。もうお腹いっぱいだよぅマリア姉ちゃん……」
「お約束やってるんじゃないよぅ。ほら、とっとと起きる朴念仁」
しかしカイルは起きなかった。
女性は鼻をつまみ口を手で押さえて待つこと数秒。
「ぐはっ」
跳ね起きた。
「おはようございます。師匠」
カイルは枕元の女性を一瞥すると。
また横になった。
「あーっ。無視ですか」
「寝せろよ……朝帰りなんだから」
「それ聞く人が聞いたらすごく誤解するですよ」
「してもいいから寝せてくれ。頼む」
女性は手紙でカイルの顔をぺちぺち叩いた。
「王都から手紙っすよ。それも二通」
カイルは引っ手繰るように手紙を受け取った。
目を細めて見てみる。
二つとも、封ろうに三つの歯車の紋章があった。
ひっくり返して表を見ると、それぞれ、アインフェル陛下とマーニャ姫からの手紙だった。
「じゃぁ、渡したからね。たしかに。朝ご飯作ってあげるから……もう昼か。ちょっと待っててね」
カイルは部屋から出ていく女性をぼんやりと見ていた。
女性の名前はシェリルという。捜査官で、今年で二十一歳になる。
七年前カイルが赴任してきたときに事件が起き、その被害者だった。
びっくりしたのは一年後。シェリルは捜査官としてエイケルの捜査局に新人としていた。
いろいろ事件を解決するうちに、カイルの事実上の副官になっている。
師匠と慕っているようだが口調を見るかぎりはそうは思えない今日このごろ。
「さてと」
カイルは手紙を見た。
とりあえず王からの手紙を手で破って中を見る。
内容そのものは単純で、仕事を引き継がせた後王都へもどれという帰還命令だ。
「やることはやった、って事なんだろうなぁ」
山賊対策として定期的に護衛付きの隊商を組むシステムを確立した。これで通商の安全が確保されて被害だけでなく商取引も増えている。
邪教対策もほぼ終わりめぼしい被害はすでにない。
「……七年か。長いよな」
感傷にふけりながらもう一枚を破く。
マーニャ姫からの手紙である。
カイルはそれをゆっくり読んだ。
「ししょ〜出来たよ」
気が付くとシェリルがエプロン姿で立っていた。
手にはおたま。
「食べようよ。ボクもお腹空いた」
「ああ、すまない。今行く」
カイルはベッドから降りた。
シェリルは笑いながら食堂へ戻った。
カイルは机の前に立ち、王からの手紙を机の上に置くと、引き出しを引いた。
中から小箱を取り出す。特に装飾のされていない木目が奇麗な箱だ。
開けると、手紙がいっぱい入っていた。
その上にもう一つ手紙を置くと、蓋をして、王の手紙の横に置いた。
上着を羽織って食堂に。
ちっちゃいテーブルと椅子が二つ、揃ってないのがあるだけの例によって質素な部屋だ。
台所が直接見える。
テーブルの上にはスープとパンが有った。
「シェリル」
「うにゃ?」
向かい側に座って待っていたシェリルは声を上げた。
エプロンは着たままだ。
「俺、王都へ戻るから」
「ふーん。報告ですか? また一ヶ月ぐらいかかるっすね」
「いや、多分戻ってこない」
シェリルの手からスプーンが落ちた。
スープ皿の上に落ちるとちゃぷんとスープが跳ねて、皿とぶつかり耳障りな音を立てた。
「なにしてるんだ?」
「え。ほんと?」
「嘘を付いてどうなる」
カイルはスープに手を付けた。
最初のころは上手くないというか俺が作るからやめろというくらいひどかったものだが……人間訓練である。
剣の腕もこのくらい上達すればいいんだがなぁ。
「というわけで、後は頼むぞ、シェリル」
期待を込めて見やるが、上の空で聞いちゃいない。
スプーンのない手を動かしてもスープは飲めないぞ。
「……頼むの止めよっかなぁ」
次の日。
やることは既に終えたので引継ぎと言っても特にやることはない。
エイケルの領主と捜査局支部長に挨拶してから、知り合いの証人に家の鍵を預けて(売って代金だけ送ってもらおう)、準備完了。
荷物はたいした物はないが先に送った。
背の袋の中には王の手紙と小箱がひとつ。あと着替え。
南門の前に立って待ちを見やる。
遠くの広場で市が立っているのが見える。最初に来たときよりも人が増えた。
ちと感傷的か。
と思ったら、誰か駈けてくる。
増幅具の杖を持ったミニスカートの女性。
左手にはなんかでかい袋を持ってぶんぶん振りまわしている。
「はぁっ、はぁっ……師匠、待って下さいよ。水臭いですよ」
シェリルはカイルの前で膝に手を乗せてぜーぜー呼吸した。
「もうちょっと身体鍛えたほうがいいぞ。魔法系とはいえ」
「ひどいっすよ。黙っていくなんて」
「いやちゃんと喋っただろう……だいたい一応挨拶してやるかと探したけどいねーだろ家に」
「いやまぁいろいろ説得工作しまして……えへん」
咳払いひとつ。
「ふむ。いままでありがとう」
カイルはシェリルの頭をぐりぐり撫でた。
「あまり腕が立つとはいえないかもしれないがやる気だけなら一人前なので……個人的には事務職とか他人のサポートをする仕事を薦めるぞ。うん」
「うわー全然誉めてないですよ師匠」
シェリルはカイルを睨んだ。
この二人ではいつものことである。
「じゃぁ、俺行くから」
「はいっ」
カイルは背を向けて歩きはじめた。
なぜかシェリルが付いてくる。
「……」
「……なにか?」
「何で付いてくるんだ?」
シェリルは首をひねった。
「決まっているじゃないですか」
さも当然のことのように告げた。
「ボク、師匠の副官ですから」
王都マールへと続く街道上に二人の捜査官の姿が有った。
「うわー。師匠。すごいですこれ、はじめてみました」
「……頼むから静かに歩いてくれよ」
エイケルからマールまでは約二週間。こんな日が続いた平和なマルディア北部であった。
二週間ほどかかり、カイルとシェリルは王都まで着いた。
「でかいっすね」
シェリルは城を見上げてひとこと。
青空を切り裂くように尖塔が天空へと伸びている。
「おのぼりさんみたいなことをするもんじゃありませんよ」
カイルは場内へ。
半年ぶりだ。毎年、報告のため城へは来ている。
いつものように自動人形のメイドに先導される。
ひとつの部屋に案内された。
「うひゃっ。一緒の部屋ですか?」
「いや、寝室は別にあったはずだ」
奥には扉が二つならんでいた。念のため開けるとベッドが一つ見えた。
もう片方も同じ。こっちは外に面していないので窓がない。
別に扉が有ってこっちが洗面所になっている。
「しかし、いいのかなぁ」
「何だ?」
「いえ。わたしまで付いてきてしまって」
「……そういう後悔はずっと前にしてほしかったのだがなぁ」
カイルは荷物を置くと剣だけを持って廊下へ出ようと。
「師匠? どこへ?」
「ちょっと散歩だ。休んでいなさい」
階段を頑張って登って後宮へと向かう。
境界に当たる扉の前で、兵士が二人立っていた。
「誰だ?」
一応聞かれた。
「ザーディンのカイルだ」
そう答えると奥に向かって声が掛けられた。
しばらくすると一体の自動人形が出てきた。
手に雑巾を持っているのはメイド長オルヴェータ。
「お久しぶりでございます」
奥へと進む。
別に、後宮だからといって豪華なわけではない。
半開きの扉が有って、ちらりと中を覗くと分解された自動人形が半分組み立てられた状態で……閉めようよちゃんと。
「今日は何用でございますか?」
「陛下に挨拶にねぇ。それに……」
横の扉がかちゃりと開いた。
「カイル!」
そこには一人の少女がいた。
絹のドレスを纏った金髪の少女が喜色を浮かべてカイルを見ていた。
そしてタックルするように元気に抱き付いてきた。
「ぐえっ」
「信じられませんわ。また半年会えないものとばかり」
タックルに潰されないようにカイルは何とか耐えた。
背中に手を回して軽く抱きしめてやる。
今年で十二歳。
七年前の香りはそのままで、でも身体とか丸みを帯びて来て女らしく。
「太ったか?」
足を思い切り踏んづけられた。
女の子の部屋は何かと居心地が悪いものである。
……
女性の部屋に入ったのって十四年ぶりか。一応。(犯罪捜査で被害者の部屋を捜索したのを除く)
……
駄目っぽい。
カイルはマーニャ姫に誘われて私室にいた。カイルの対面で、スカートを足首まで伸ばして自然にくつろいでいる。
オルヴェータがいつもの無表情で茶を注いでいる。
マーニャの部屋は服装とは似ているようでなぜか実用的だった。
いつもふりふりなドレスを着ている姫であるが。
フリルを多用した装飾であるが、壁にはなぜか無骨な本棚がいっぱい有る。
その上にはファンシーなウサギさんとかねこさんのぬいぐるみがあり、その脇には法律辞典がある。
でっかい机とか有って(高そうだ……)、金で出来たペン立てが有りそこには白い羽根ペンが刺さっている。
テーブル脇には布製の手紙立てが掛かっていたが、それが花とかをイメージしたアップリケが付いている。
給仕用の台車が有って、その上に管理番号を振られた本が積んである。図書館のか?
そして、その横に、胸元にリボンをつけた熊のぬいぐるみが椅子の上にちょこんと置いてある。
マーニャが六歳のときにカイルがプレゼントしたものだ。
ふかふかするソファーに体を沈めながらカイルは思った。
わけわかんねー部屋だな……
「どうしました? カイル?」
「いや……いいやもう」
深く考えるのやめた。
「かわいい部屋でしょう」
オルヴェータが唐突に告げた。
無表情に言われても恐いんですけど。まじで。
「姫様に合うように頑張って作ったんですよ〜」
いやだから、嬉しそうな口調で顔が鉄面皮は。
もういいや。
「はぁ」
カイルは空返事。
「姫様はかわいくてかわいくてもー」
……諸悪の根元、これなんじゃ。
聞いたら帰れそうにないので自粛した。
「ええとまぁ、それはさておき。元気でございますか。姫」
「あ、はい」
強引に話題を変えるために振る。
微妙に頬が引き攣っている……苦労しているんだな。
とはいえマーニャ姫の近況は理解しているつもりだ。
毎月のように手紙が届く……子供のころは短かったが、年を重ねるごとにだんだん長く。
上手くなったなぁ。
姫は手紙で「先生に、『いつも書くことが大切です』といわれたのでお手紙いたします。よろしければお返事下さい」と合って文通状態だ。
一応立場的に微妙なのでこっそりと続いている。
返事遅れると最速が三連で付くし。転送で遅れていただけなのに……
さておき。
成長が手に取るように見えて面白いものである。
娘がいるとこんな心情なのかのぅ。
「カイル……疲れてます?」
心配そうな表情でそういわれてしまった。
「うん……まぁ移動してきたからね」
「そう。甘いお菓子を用意したので、食べて下さいね」
テーブルの上には砂糖が掛かったお菓子がいっぱいある。
「えーと……太る」
いきなり拳が飛んできた。
姫は立ち上がり、軽く握った手をぶんぶんと太鼓を叩くようにしてカイルの頭をぽくぽく殴った。
「やめ、やめっ」
痛くはないが腕を上げて頭を庇う。
なんか涙目になりながら頬をぷっくりと膨らませて上から睨み付けてきた。
「うう、ひどいですぅ」
姫ににらまれて黙った俺はチキンです。
娘ぐらいの年齢だぞ……うう。
「そんな。いつもはこんなに食べていません」
そんな力説されても。
「姫様。いけません」
オルヴェータが口を開く。
そうだ、ちゃんと言ってやれ。
「やるならきっちり最後まで。男というものは放っておくと付け上がるものでございます」
煽るのかよ!
「一国の姫気味がこんなのはどうかと思う」
「必要なときだけねこを被っておけばいいのでございます」
ひどいメイドもいたものだ。
カイルは頭を抱えて下を向いた。
テーブルの上にはお菓子がいっぱい。
しかしこんなにあっても。
オルヴェータが食べるのかな?
「いえ。私は有機物をエネルギーにする機能はありません」
唐突に自動人形が告げた。
「心読むなよ!」
「表情だけで主の意志を悟るのがメイドというものであります」
オルヴェータは深深と頭を下げた。
無表情で。
……表情ないから騙されているかもしれないが、実は俺、からかわれているか?
カイルはふとそんなことを思った。
「甘味は疲れを取ると聞きます……どうかカイルも元気になって」
マーニャはそう言った。
「う。ありがたく貰おう」
気を遣わせてしまったか。
一口食べると、さくっとした歯ざわりとともに、甘さが口内に広がる。
「これは、姫がお作りに?」
「違いますよ。オルヴェータが作ってくれたんです」
「……」
味見できるのか?
「一度味を見ていただければ、あとは同じ手続きで作ることが出来ますので」
「だから心読むなってば!」
カイルが場内をへこへこ階段降りて下へ向かうと声を掛けられた。
「ししょ〜どこ行ってたんですか?」
カイルの横には一人の金髪の娘がいた。顔立ちが良くて将来が期待できそうである。
服は麻で安っぽいけど、良く見ると丁寧な仕事で動きを邪魔しないように作ってあるのがわかる。
と思う。
「だれ? この娘?」
押し掛け副官のシェリルは尋ねた。
カイルは答えた。
「んー。姪」
嘘は言っていない。
マーニャの部屋でお茶会が終わった後のことだ。
「カイル」
姫はずいと体を乗り出して顔を近づけた。
もうちょっとで唇どうしがぶつかるぐらい。
彼女がこうするのはいつもお願いをするときだ。
「……ああ、いいよ」
皆まで聞かずに同意する。
「わー。ありがとう」
「今年は気合い入れて作りましたからね」
オルヴェータがさらりと告げる。
いや台詞と口調合ってねぇってば……
女王の騎士カイルが、マーニャ姫をこっそり城から連れ出すのはこれで七度目のことになる。
もはや年中行事である。
もっとも公になるといろいろアレなので極秘である。
思い返すと七年前。『外に出たーい』とマーニャはこっそりメイド服で変装して城外へ。誘拐事件に巻き込まれてひどい目に合った。
むしろひどい目に合ったのは誘拐した犯人だったが。王族誘拐で一発処刑になりかけて……
さておき。
それからというもの、『単独でこっそり逃げられるよりも紐付きで認めたほうがマシ』ということで時々こっそり外出させている。
社会勉強ということもある……という建前である。
仕事が増えたのはカイルであるが。
今年もこっそり出かけることになった。姫が押しきる形で。
服はオルヴェータが安い素材で無駄に気合いを入れて(入れたかどうかは端からは判別できないが出来上がった服の品質は無駄に良い)作っている。
「どうです? カイル」
オルヴェータは胸を張って自分が作った服を見せた。
着ているのは当然姫。
胸を張っても自動人形の無表情だと……反応に困るってば。
というわけで安っぽいけど実は高級な服を着たマーニャ姫がカイルの横にいるのであった。
「参りましょう。おじさま」
マーニャはカイルと腕を組んだ。
カイルを見上げて嬉しそうに笑っている。
「姪の……マリアだよ」
シェリルにはいつも使っている偽名で紹介した。
「マリア……王妃様と一緒ですね」
「うむ、陛下からこっそり頂いたそうだ」
カイルはしれっと答えた。
「彼女が俺の副官のシェリルだよ」
「よろしくね。マリアちゃん」
マーニャに紹介すると、なぜかぷいっと顔を背けた。
「ししょ〜。ボクなにかしましたか?」
「同レベルに落ちるなよ……」
カイルはマーニャの頭を引っぱたいた。
「いたっ」
「ちゃんと挨拶したまい」
マーニャはカイルになにか言いたそうに見上げていたが。カイルが睨み付けるとしぶしぶシェリルに向き直った。
「はじめまして。マリアと申します」
深々と礼をした。
「……なんか嫌われている?」
いやなんでだろう。
「まぁとりあえずあれだ。街案内してくるので部屋で待ってろ」
「ついていく」
即答された。
「だって暇だもん」
「いや、子供じゃないんだから一人で……」
「うう、師匠。こないだご飯一緒に食べようって約束してまだじゃないですか」
それを言われると痛い。
忙しくて二ヶ月ほったらかしだからなぁ……
ちなみに外食しようということで、自宅でならシェリルが作って二日に三回(朝夜朝とか)食べていた。