冬の冷たい風が去り、春の花が咲き始めた頃、一人の青年神官がミトフェムの神殿を訪れました。
風も落ち着いて航行しやすくなったはずの指輪海を、交易船に便乗させてもらって東から西へとやってきたのです。
青年の名前はトリンといいます。
本人は女の子みたいな名前なので嫌っていますが。
青い法衣に身を包んだ、成年したばっかりのぴちぴちの15歳です。すらりとした身体でまだ頬に幼さが残っているというか女の子みたいなかわいらしさがありますが、きりっと目に力があります。肩に薄汚れた袋を引っかけています。
男性だと、化け物のたぐいから人々を守るために帯剣している神官も多いのですが、トリンは腰に剣を下げてはいません。かわりに、ウェストポーチが腰にあります。神官服と合ってなくてぶっちゃけ変です。
トリンは、大きく開かれた扉から講堂へ入りました。
人を探しているのです。ここの神殿長を。
砂埃で汚れた背負い袋の中には、神殿からの命令書があります。トリンは先週からここの神殿で神に仕えることになっていたのです。
船が風で押し流されて遅刻してしまいました。一週間。
しかし、今更焦ってももう手遅れなのでトリンはゆっくりと講堂の中を見回しました。
講堂の天井はガラスになっているので、天井から春の暖かい光が差し込んできてぽかぽか暖かいです。
がらんとしていました。
これが昼頃までならば、神殿で行っている初等教育のために子供たちでわいわいがやがや騒いでいたのですが、みんなお昼を食べに帰ってしまったのです。
残っているのは一人だけでした。
紺色のワンピースに、白いエプロンを身につけた少女が一人、神像を磨いていました。
少女のふわふわとした髪の毛はは陽光に照らされて蜂蜜色に輝いています。
大理石でできた神像よりも、その少女のほうがよっぽど拝みがいがあるようにトリンには思えました。
少女はぞうきんで像を拭き拭き、講堂に入ってきたトリンに気がつかずに一心不乱に手を動かしています。
メイドさんみたいです。
まだ十にもなるまい。いい子だなぁ。
トリンが黙って少女を見ていると、少女は手を止めて脇に置いてあったバケツにぞうきんを入れました。
ちゃぷちゃぷ音を立てて洗い、そして小さな手でぎゅっと絞ります。
「ん?」
そして気がついたようです。
少女は振り返るとトリンをみてほほえみました。
「こんにちは。お姉さん」
「お兄さんです」
トリンは苦虫をかみつぶしたように顔をゆがめました。
かなり気にしているようです
「うー、ごめんなさいなんだよ」
少女は本当にすまなそうに頭を下げました。
「すごくきれいな顔をしているから美人に見えたんだよぅ」
全然フォローになっていません。
むしろとどめを刺しています。
「大丈夫だよ。人間、顔じゃないから、ねっ」
「それ用法違う」
トリンはじとーっと目を細めました。
「それはいいとして、ここの神殿長様はおられますかな?」
話を打ち切るようにトリンは眼前の少女に尋ねました。
こんなとんちき娘にかまっている暇はありません。一週間の遅刻なのですから。
「うん。わたしだよ」
少女はそう答えました。
トリンは声を上げて笑うと、少女の頭をぽんぽんぽんと太鼓のように叩きました。
少女の背は年相応に小さいので、ちょうど叩きやすい位置に頭があるのでした。
なんかいい音まで聞こえてくるような気がします。
「そういう見え見えな嘘は良くないぞ」
「えうー。嘘じゃないんだよ」
「世の中にはついてはいけない嘘が三つあるんだぞ」
トリンは胸を張って言いました。
「つまんない嘘と他人を不幸にする嘘」
「二つなんだよ、それじゃぁ」
少女は即座につっこみました。
「もう一つは嘘がばれたあとにそれを取り繕うためにつく嘘だ」
トリンは少女の肩に手を置いた。
ウェーブの金髪が肩に掛かっていて、絹のような手触りがした。
「……ひどい目に遭いましたよ」
どこか遠いところを見るトリン。
「……えー。自己完結されると突っ込みようがないんだよぅ」
「というわけでだ。神殿長さまはどこだい?」
「うー。わたしだって言っているのにぃ」
少女は頬をふくらましました。
「俺が聞いたところによると、ここの神殿長さまは、背が高くて、すらりとしていて、それでいて胸が大きくて、美人で、素手で犯人をたたきのめす聖女さまって聞いているぞ」
トリンの顔がぱーっと明るくなりました。
なんか頬が赤いです。
「えぅ、なんか変な単語が混じっているよぅ」
少女は眉をひそめました。
「だいたい、お嬢ちゃんは胸が大きくないだろう」
十歳で胸がはっきりとわかるぐらいふくらんでいたらただの太りすぎです。
少女は自分の胸に手を当てると、半球状に手を動かしてみました。
「うーん。あと五年は待ってほしいんだよ。そうすればお姉ちゃんぐらいにはきっと、なんとか」
「待てるかいっ!」
トリンは叫びました。
そもそも待っても仕方がありません。
トリンが吟遊詩人から聞いた話によりますと、ここミトフェムの街には強くて綺麗な聖女さまがいるという話です。神殿長と捜査局支部長を兼任していて、悪人をばったばった素手でなぎ倒す英雄です。
一部聖女分の中に不純物が紛れているようですが、そこも含めて東のほうではウケています。
トリンは是非そんな聖女さまの元で働きたいと思っていたのです。
むしろお付き合いしたい。もしも聖女さまに相手がいなければ。
……噂だけで人間を判断すると非常に危険だと言うことはこの後によくわかるのですが。
それはさておき。
「お嬢ちゃんのことは、五年たったら改めて考えるとして」
考えるのですか。
「とりあえず今は聖女さまだ。さぁ、早く案内してくださいな。一応仕事なんだから」
遅刻しまくっておいて一応、とはひどすぎるとは思いますが、自分の話を全然信じてくれないので少女は怒り出してしまいました。
「知らないんだよっ、もう」
少女は言い捨てると、バケツを持って講堂を出て行ってしまいました。
さすがに嘘つき呼ばわりされて平気でいられるひとは少ないでしょう。
トリンにはもう少し神官らしい言葉の使い方が要求されますが、その辺の機微がわかっているならここまで遠くに行くこともなかったでしょう。
それはさておき。
トリンは一人取り残されてしまいました。
石でできた講堂がなんだか冷たく感じられます。
「……むぅ。まずったかな」
少々反省しているようです。
「あの年頃の子は愛されたいために嘘をつくことがあるとか聞いたことがあるけど、きっとかわいそうな目に遭っていたんだろうなぁ」
ひどいこと言ってます。
女性の声が不意に響きました。
「まったく。いきなりやってきて他人の妹の頭をぺちぺち叩いているんじゃないわよ」
トリンは振り向きました。
そこには、トリンが脳内に思い浮かべていたとおりの聖女さまが立っていました。
鼻筋のたった美しい顔で、唇にだけ紅をさしています。白いエプロン越しにもわかる大きな胸ですが、腰のあたりはきゅっと締まっていました。
神官服の青いスカートが足首まで覆っています。
そんなに格闘ができそうなほど太い腕には見えませんが、外見では細い腕だと聞いていました。女性の格闘家では魔力を筋力に代えて、見た目は普通の少女なのに岩の一つぐらいを素手で割れるひともいると言います。きっと聖女さまもそうなのでしょう。
一つだけ違ったのは髪です。吟遊詩人の話によると、金色のウェーブのかかった髪が腰まであるという話でしたが。
……さっきの少女の怒った顔がトリンの脳裏に浮かびました。
この女性は赤毛のショートヘアです。一つ変わったところがあって、前髪が妙に長いです。まるで目を隠しているかのようです。
「あなたがトリンですね。待っていましたわ。一週間ほど。初めまして。私が……」
「聖女さまっ」
トリンが割って入っていきなり尋ねた。
まず本題から行こう。
「は?」
聖女さまは、いきなり割って入られてびっくりしたのかぽかんと口を開けた。
「彼氏います?」
トリンは直球で聞いてみました。
「……いないわよ。悪い?」
なぜかすねたように聖女さまは答えました。
「そうですか」
トリンはうれしそうに肯きました。もしかすると自分にも上司と部下以上にお近づきになれるチャンスがあるかもしれないからです。
「……何がおかしいのよ」
聖女さまの声にはトゲがあります。
「いえ別に」
「……まぁいいわ。私がここの神殿の責任者みたいなものでリルリィーアと言います」
トリンの頭の中に一つの疑問がわいた。
「……えーと、ティナさん、じゃないんですか? お名前」
ここの神殿長の名前はそう聞いている。
「……私、神殿長じゃないわよ」
「ええっ!」
トリンは素っ頓狂な声を上げた。
「神殿長はさっきあなたがぽんぽん頭ひっぱたいていた娘よ」
リルリィーアと名乗った聖女さま(と思っていた女性)は目を細めた。赤い前髪越しでさっぱり見えないはずだが、なぜかじとーっとした雰囲気でトリンにもわかった。
「一つだけ言っておくわ。あの娘の頭を叩いていいのは私だけだからね」
そもそも叩いちゃダメです。あんたのじゃないし。リルリィーア。
「……もしかして、自分、上司の頭を楽器にしてた?」
「もうばっちり」
リルリィーアは肯いた。
「出世はもうないものと思ったほうがいいかもね」
お題もの書き:新人参加作品