ぼくはもう大人です


 リルリィーアはいつものように神官服にエプロンを身に付け、廊下を歩いていた。赤い前髪が目元までたれている。
 今は朝。孤児院で共同生活している子供たちみんなで掃除をしている。
 食堂の様子を見ようと廊下を進む。窓から朝日が差し込んでくる。ティナが窓を拭いていた。息を吐きかけて雑巾でこする。
「おはようございますっ」
 そういわれて後ろからいきなり抱きつかれた。
 リルリィーアは顔をつかんで引っぺがすと、眉をひそめてその少年をにらみつけた。
「くっつかないの」
 少年は杖を持っていた。
 最近、捜査局に入ったクリスだ。幼い顔で笑われるといまいち強く怒れない。
 リルリィーアは、クリスをまだ未成年なので神殿に住まわせている。一人暮らしで事故があると困るから。
 最近、クリスのことでちょっと困っている。
 問題を起こしたりというわけではない。しかし、この手のことに不慣れなリルリィーアには扱いかねる問題だ。
「デートしようよ」
 直球ストレートにクリスは言い切った。
 リルリィーアの胸の奥がとくんと鳴った。少なくても実年齢ではかなりとうがたっているというかそろそろデッドラインなリルリィーアであるが、男性に好意を示されていやなわけはない。クリスは少々ショタ顔とはいえかなりの美少年だ。しかし。
「とりあえず掃除しなさい。あなたはこっちじゃなくて神殿の聖堂でしょう」
 とりあえずきっぱり言った。子供たちの世話をしているリルリィーアは、教育的観点からもその辺ははっきりさせておかなければならない。
「うん、する、だからデートしよう」
 クリスはあっさり言った。
「あとにしなさい、あとに。だいたい言ったでしょう。私は子供には興味ないから」
 クリスは頬をぷっくり膨らました。
「子供じゃないもん」
「十五歳未満は未成年です」
「うちの村じゃ十二で成人だよぅ。結婚も出来るんだよぅ」
「いいから掃除行け」
 リルリィーアはクリスを押した。クリスは一度振り返った。
「明日非番でしょう。学院で展覧会あるから一緒に行こうよ」
 そう告げて走っていった。
 背中を見てリルリィーアは思った。廊下走るなと説教するべきだったと。
「うう。もてもてなんだよ」
 高いところから声がした。
 リルリィーアは見上げた。ティナが宙に浮きながら窓の高いところを拭いていた。
 紺色のワンピースにフリルのエプロンつき。金色のウェーブのかかった髪が背中に流れ、背中から白い光翼を生やしている。
「お姉ちゃん、もう後がないんだからいいかげんラストチャンスだよ」
「うるひゃい」
 リルリィーアは顔をしかめた。
「私にはここの子供たちがいるからいーのよ」

 神殿の裏に捜査局がある。
 そこの支部長室に、二人の女性がいた。
 黒い年代ものの机に座っているのはリルリィーア。その隣に事務員のテレサが立っていた。  テレサは丸い眼鏡をかけていて、リルリィーアとクラスメートだった。隣の神殿で学んだ仲である。
「でね、洗濯したてのシャツみたいな笑い顔で言うわけよ。『デートしましょう』って」
 リルリィーアは机にひじを付き、手にあごを当てて窓の外を見ていた。
 机の上には書類が雑多に詰まれている。食器や掃除道具はきっちり変質的なまでにそろえるリルリィーアであるが、なぜか机の上だけはいつもごちゃっとしていた。
「こまるのよねー。私、子供に興味ないし」
 脇に立っている、リルリィーアと同い年の女性は冷たい声で告げた。
「のろけはいいからとっととサインしなさい」
 手に持っていた書類の束を黒光りする机の上にたたきつけた。
「どれだけたまっていると思っているのよ。そりゃしょうがないわよ。本部長が見るべき書類もあんたに回っているんだから。でもね、口動かすヒマがあったら手を動かしたらどうなのよ」
「……すみません」
 リルリィーアはペンを取ってサインを連続で書き始めた。
 本部長代理が不在がちなので、リルリィーアに仕事が回ってきている、その上、リルリィーアは報告書はすべて目を通すようにしているので、必然的に書類は増えるのである。
 整頓能力以上に。
 内容をチェックしつつサインを書く。
 しばらく経ったところで、テレサがお茶を持ってきてくれた。
 机の上の紙を避けてスペースを作る。今サインしている束は脇の紙山の上に。
「……そーゆーことするから書類なくすんでしょう。あんたは」
 リルリィーアは聞こえないふりをしながら手を振った。
 筆圧が高いので、ペンが指に食い込んで手が痛くなる。
 紅茶を口に含む。既に砂糖が入れてあってちょうどいい甘さだ。
「で、どうなのよ」
 テレサが尋ねた。
「なにが?」
「さっきの話。クリスくんだっけ。直球ストレートよね。ミル以来かしら」
「うう。クリスはそんなんじゃないから」
 古くなったパンを油で揚げて砂糖をまぶした菓子をつまむ。かりかりした歯ざわりが良い。
 ミルはリルリィーアが過去唯一愛した男性の名である。
「振るならきっちり振ってあげないと」
「言ったわよ。『子供に興味ない』って」
 リルリィーアはため息をついた。
「それなのに毎日毎日デートしようデートしようって……子供ですか」
「自分で子供ってさっき言ったわよ」
「とにかく、大人としての債務は果たしたわよ」
「大人ねぇ」
 テレサはいたずらめいた笑いをした。
「あなたより恋愛経験ないのってティナぐらいじゃ……」
「うっ」
 思い当たるところが多すぎてリルリィーアはぷっくらとした乳房の上から押さえた。
 清楚な神官服であってもその胸は目立つ。
 ティナは十歳児で男の影もない。おまけに聖女様である。あんたの恋愛権見地は損なもんだといっているのだ。
「そんなにいい体つきしてるのに……もったいない」
「うう。好きでこんな身体しているんじゃないのに。もっとちっちゃいほうがかわいいわ」
「かわいーってあんた何歳よ」
 もうすぐ三十代である。
「でもね、あの子ももうちょっとで大人でしょ。いま十四だっけ」
「十三よ」
「あと二年じゃないの。……三十超えるけどね」
「関係ないでしょうそんなの」
 リルリィーアは傍らの女性をにらみつけた。
 テレサは既に結婚して子供もいる。いま娘がティナと同い年で、神殿の学校でも同じ教室だ。
 早くあんたも結婚しなさいよ、と言われ続けて早十年。
「結婚する気ないから」
「そんなことゆーて。ミルのときは脇目も振らずに全力突撃じゃないの」
「いーの、私にはいっぱい子供たちがいるんだから」
「まぁ、それでいいならいいけど」
 テレサはリルリィーアの顔を覗き込んだ。
「わりと脈ありなん? なぁちょこっとおしえてな」
 テレサはにやりと笑った。
「やめてよぅ。もう」
 リルリィーアは眉をひそめた。
「私はあなたのおもちゃじゃないんだから」

 リルリィーアは両手を大きく振った。洗い立ての白いシャツがぴんと伸びる。
 日本の洗濯用ポールに張ったロープに洗濯バサミで止める。
 リルリィーアは綺麗になったそれをみて満足そうに笑った。
 足元の籠には干されるのを待っている洗濯物がおいてあった。
 白いエプロンを神官服の上に身に付け、すばやく吊るしていく。
 籠が空になり、新しいのを持ってこようとしたところで、一人の女性がやってくるのに気が付いた。
 リルリィーアと同年代ぐらいだ。ティナたちが通う学校で、親が集まるとこの年代の人が揃う。
 しかし、見たことのない人だ。学校に限らず神殿での礼拝でも。
 この近辺に暮らしているわけではないのだろう。
「こんにちは。精が出ますな。こんなにいっぱいですと」
 先頭に立っていた男性がいった。
「はい、綺麗になるって気持ちがいいですよね」
 リルリィーアは答えた。
「どうかなさいましたか? なにかうちの子供たちが」
 リルリィーアが男の表情を伺っていると、それをさえぎるように男は頭を下げた。
「いえ。捜査局の支部長に、お願いがありまして参りました」
 リルリィーアは首をかしげた。
「私の子供が帰ってこないのです。街中に仕事を探しに行ったきり」
 リルリィーアは眉をひそめた。
「戦災でミトフェムにきたのもつい先日で。探して見ようにもどこを探していいのやら。お願いです。どうか子供たちを探し出してください」
 リルリィーアは遠い目をしながら頭をかいた。
 この広いミトフェムの町のどこを探せと。
 しかし、放っておくわけにもいかない。
「わかりました。何とか探してみましょう」
 リルリィーアが答えるのに重なるように声が響いた。
「話は全部聞かせてもらった!」
 リルリィーアが声のしたほうをじろりと見ると、杖を持って黒いローブを羽織ったクリスが、柵をひょいっと越えて裏庭に入ってきた。
 ローブの腕のところには、ミトフェム学院の紋章が白抜きで入っている。
「授業は?」
「今日午後なし。先生遺跡行っててさ帰って来ないんだ」
 それは何かやばいんじゃないかとリルリィーアは思った。
 クリスはきょとんと目を開いている女性に、にっこり笑いながら近寄った。
「おばさん、僕に任せてよ。おばさんの娘さん、ちゃんと僕が見つけてあげるから」
「お、おばさん……」
 なぜか隣のリルリィーアのほうが精神ダメージを受けていた。
「この子は?」
 いったい誰だい? と言わんばかりに女性はリルリィーアに問いかけた。
「未成年ですけど、ちゃんと正規の捜査官の資格を持ってますよ。腕は私が保証します」
 リルリィーアはきっぱりと言った。
 捜査官には一種と二種がある。一種は魔術師としての能力がないと習得できない。未成年でも取ることは出来るが、戦闘能力が大人以上にないと取れない。未熟な状態で戦線に立たせたくないので、要求する能力を高くしてある。
 未成年で捜査官ということは、年のことをさておいてもエリートであることを示すのである。
 ……経験以外は。
「はい、そうですか。わかりました。お願いします」
 女性はクリスに頭を下げた。 「お任せください」
 クリスは胸を張った。リルリィーアをちらりと見るとにっこり笑った。
 リルリィーアはクリスを心配そうに見ている。
「それじゃぁ、詳しいことを教えてください」
 クリスと女性が話し出したので、リルリィーアは足元の空の籠をつかんだ。洗濯を続けよう。
 リルリィーアは洗濯物を干しながら、クリスのほうをちらちら見ていた。
「大丈夫かなぁ……今回初めてになるんだよね。単独では」

 洗濯を終えた後、リルリィーアは捜査局に戻った。
 支部長と子供たちの世話の両立はそれなりに大変なのである。
 テレサは窓際に立って外を見ていた。支部長室から、神殿の裏庭にはためく洗濯物が見える。
 リルリィーアは山積みの書類に取り掛かった。
 しばらくは集中していたが、二十枚を越えるあたりから、指で机を叩いたりして落ち着かない。
「なにやっているのよ」
 テレサが突っ込んだ。
「さっき人が来てさ。それで、クリスにひと探しするように命じたんだけど」
「そうね、昼にお客さん来てね、『支部長は』って聞かれたから神殿で洗濯しているわってこたえておいたけど」
「そのひとよね。たぶん。で、クリス、今回が初めてなのよね……単独で捜査するの」
「心配なの?」
 リルリィーアは頷いた。
「そんな過保護にしなくても大丈夫よ。ひと探しでしょ。殺人犯を捕まえろ、って言うんじゃないんだから」
「うーん」
「どうしても心配なら付いていってあげれば?」
「いや、それはさすがに。もうひとりぐらいつけてやるべきだったかなぁ」
「いまからいってもしょーがないよ」

 そのころクリスは杖を持って、大通りをてこてこ歩いていた。
 ミトフェムは港町だ。荷物を山積みにした馬車がひっきりなしにすれ違う。  大通りは、街道から中央広場まで直線で結ぶ大通りで、馬車が二台楽にすれ違うことが出来る。その上、左右に歩道まである。
 しばらく歩くと城門までたどり着いた。
 ミトフェムの町には高い城壁がある。
 大きな門があり、そこには兵士が詰めていて人の出入りを監視している。
 馬車が一台止まっていて、御者と兵士がなにか言い合っているのが見えた。別の兵士が馬車の横の扉を開けて中を確かめている。
「こんにちは〜」
 クリスは兵士の一人に話しかけた。
「お、どうした坊主」
「ちょっとお願いがあるんだ。出入りの記録、見せてもらえないかな?」
 怪訝そうな顔をした兵士に、クリスは胸から取り出したものを見せた。
 首にかけられるような鎖が付いた、鷹をあしらったペンダント状のものだ。
「ぼんず、その年で捜査官か。たいしたもんだな」
 そのペンダントは捜査官である証である。尾羽のところに穴が開いていて、そこに口をつけて息を吹き込むと笛にもなる。
 兵士に先導されて、城門脇にある小屋に入った。
 中には休憩中らしい兵士が二人、テーブルに座ってカードゲームに興じていた。テーブルの上には小銭が散らばっている。
「かー。嘘だろう、おい。何だよその手は」
 奥にいた兵士がカードをテーブルに投げ捨てた。
「どうした? 甥っ子かなんかか?」
「捜査官さまが、調べ物だってさ」
「ははっ。そんなちっこい子供がかい?」
「そんなんで嘘ついてどうするんだよ」
 クリスを先導した兵士は、戸棚の前にたつと振り返った。
「で、とりあえずいつのが必要なんだ?」
「三日前のをお願いします」
 クリスはファイルを受け取ると、開いている机を借りてファイルをめくった。


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